私のお店・1
現実世界編。
「絵に描いたような『訳あり』だったなー」
カップルを送り出し、表の扉を施錠して片付けを始める。それを待っていたように声を掛けられた。
「そうなんですか?」
カウンターの隅に腰かけた青年を見もせず洗い物に取りかかる店主に彼はおかしそうに笑う。
「鈴にはわからないかもしれないけど、さっきの二人、多分東側の諸国のどっかから来てたな。特に女の方、元はかなりの身分と見た」
「へー。貴族とか、そういう話ですか。……すごいなあ」
皿はさっとすすいで食器洗浄機に入れる。サービスの菓子鉢にはまだ少し中身が残っていた。いつもながら一口羊羮は敬遠されがち。
「食べます?」
それを見せて問うと、鈴の手から鉢が消えた。そう思った時には既に彼の手元に届いている。
「やっぱ焼き菓子以外は受けが悪いか」
「得体が知れんでしょう。個人的には蒟蒻ゼリーを導入したいです、オーナー」
「オーナーはキミじゃん。ボクは、んー……土地の所有者、って感じ?」
「微妙に違う気がする……」
遠江鈴が自分の店を持つことになったのは、ちょっとした偶然と巡り合わせのおかげだった。
老夫婦の住処だった古い町家を、彼等の死後譲り受けることになったのだ。田舎街の割に立地は悪くないが、何分古い建物でついでに独り暮らしには広すぎる。
改装するならいっそ憧れだったブックカフェにすることにした。
奥の二階建て部分をプライベート空間にし、手前は半分土間にしてテーブルと壁に沿って本棚。八畳の座敷を残し、掘り炬燵風で席を作った。この辺りなら人の家にお茶を飲みに行く習慣がある、それに乗っかってみようと思った。
日本茶(緑茶と番茶、夏場は麦茶も)は無料、コーヒー等は有料。茶菓子一皿も付けて三十分五百円から。
読み放題の本棚はロングセラーの少年マンガメインに娯楽小説や雑誌が主戦力。家族には大丈夫かと心配された。飲食に主眼を置かないとは言えこの手の客商売は、あまりにも鈴には似合わない。というか、本人も接客は苦手と宣言している。
代わりに彼女が考えていたのは、暇を持て余した近隣のおばちゃん達が来ることだ。
本来なら本を読んでまったり時間を過ごす空間にしたかったのだが、反面この辺りは過疎気味で独居老人の多い地域。互いの付き合いはあるがお互いに歳をとってお茶の準備や片付けもしんどくなりつつある、自宅にこもるようになれば孤独死しかねない。そうした人々が来やすいよう座敷を用意し、日本茶や茶菓子を無料提供した。時間制なのは自分も食っていくため、と説明して納得してもらった。
事情が事情なので飲食物にはあまりこだわりがない。お茶やコーヒー豆は業務用だし茶菓子も徳用大袋。
たまに思いついたようにお菓子を作ったりするし数量限定のランチを出しているが、熱を入れてはいない。
それでも半年ほど経てば、ようやく近所のおばあちゃん達やマンガ目当ての中学生達が顔を出して行くようになった。或いはランチを食べに来る主婦達も、常連と言えるくらいに。
「鈴ちゃん今日はお昼何があるの?」
「おにぎりはおかかと鮭で、小鉢は茄子の田舎煮です。お魚は鰯の生姜炊き、お肉はポークジンジャー」
「じゃあおにぎりちょうだい」
「わたし焼きおにぎりね」
おにぎりセットは四百円、お魚やお肉のセットは主菜にご飯、汁物と小鉢が付いて五百円。カレーも常備しているが、これと焼きおにぎりは業務用でカレーはレトルト、焼きおにぎりは冷凍だ。
「鈴ちゃんは一人でお店やってたら大変じゃない?」
「そんなに忙しくないですからねー。人を雇うほどは余裕もないし」
自分一人食っていける程度であれば、それで十分。鈴は大した欲はないし今の生活に満足している。
おばあちゃん達は暇である以上に寂しいのだろう、ご飯を頼んだときはすごくゆっくり食べて時間をつぶしている。そして仲間内でお喋りしたり。時間制なのでそこそこお金はかかるが、その辺は席料として納得しているようだ。
仮にもブックカフェと名乗って開店したのだし、目の効かなくなった彼女達のために、大活字本や写真集を書架に入れてみた。要望があってもテレビを入れる気にはならなかった、その代わりのように。幸い世界遺産や動物の写真集などの評判は悪くなく、楽しんでもらえているようで何より。
だからまさか、他のところに出店してみないかと誘われるとは思ってもみなかったのだ。増してそれが、自分の生まれ暮らした世界とは違う、所謂『異世界』になど。