KAKERU︰2016 - The Young Constable
落ち着いたクラシックやカフェ特有の空気の香りは、換気扇の音や洗剤の匂いで遮られ裏方の厨房までは届かない。もうじき昼と夜の受け持ちの交代時間で、店員達は厨房で作業をしている。
その中に紛れてアルバイトが二人。
皿洗いを全面的に任せられている二人の男子高校生が居た。二人共厨房服を着て、小声で話しつつ皿洗いを遂行している。
「先輩、それたぶん思い違いですよ」
作業する手元を見ながら呆れた調子で先輩に突っ込む彼の名は、古屋 海斗。このカフェから近所なわけではないが、そこまで遠いわけでもない、とある市立高校に通う高校生だ。
「ええぇそうなのか…マジかあ」
手を止めて宙を仰ぐ彼は、森野 駆。
古屋より少し背の高い彼は、古屋とは違う高校に通っている同じく高校生だ。
「手、止まってますよ先輩」
「OK、スマンスマン。真面目かお前」
森野が皿洗いを再開しつつ聞くと、古屋は苦笑いを漏らして「よく言われます」と言う。
彼らはまだこのバイトで出会ってせいぜい2、3週間の付き合いで、互いのことはほとんど知らないし探ろうともしないのだが、気負わずに話ができる程度の距離感ではあった。プライベート抜きにして話せる相手というのは、なかなか得難いものなのだ。
「まだ、クビになる訳にはいかないんですよ」
「…まだって何だよ。金貯めてんのか?」
古屋の言葉に首を傾げる森野。その間にも二人の横にはどんどんと洗われた皿が積み上がっている。古屋は少し躊躇ってから、口を開こうとした。その時、
『だから、もう無理なんだって!』
飛び込んで来た怒号に、店内のみならず、アルバイト二人を含む厨房に居た店員の作業まで一瞬止まった。
「……おわっ、危ねぇ!!」
その拍子に崩れかけた皿の山にいち早く気づいた森野は、体全体で押し戻すようにして皿を支えた。その皿の擦れる耳につく音を切っ掛けに、厨房の時間が動き出す。
再び作業音で満たされた厨房。気にしないのが最善手と考えたのか、誰も店内に出たり覗いたりしようとはしなかった。ただ一人を除いて。
皿の山を押し戻した森野は、懸命に体と首を伸ばし厨房から店内の様子を覗き見ようとしていた。もちろん手は止まっている。
古屋が無言で森野を呆れた目で見やると、流石にまずいと思ったのか森野は皿洗いに戻る。
「わかったわかった、そんな目で見んなよ!」
「やめてくださいよホントに、道連れで俺までクビになったらどうすんですか…。それで、どうだったんです?」
「そんなんでクビにゃならねえよ…痴話喧嘩だよ痴話喧嘩、なんてことないよくあるヤツだ。痴話喧嘩できるだけ、羨ましいわ」
「あれ、先輩彼女とかいないんですか?イケメンなのに」
「お前に言われたかねぇよ…」
森野はそれなりに自分の容姿に自信を持っていたつもりだったのだが、このカフェに勤め始めてからというものの、もはやコンプレックスが育ち始めていた。オーナーや保さんはいいとして、厨房の店員、果ては同じアルバイトの古屋までもが美形、イケメン揃いなのだ。堪ったものではない。
「古屋お前さ、彼女いんの」
「いないですよ!忙しいですし」
「お前忙しいって、『忙しくなくなったらすぐにでも彼女なんてできるぜ』とでも言うつもりか…?」
「先輩こそ、なんで彼女作らないんですか」
「作れねえんだよ!!」
泡だらけの皿を振り上げて嘆く森野。古屋は頬に飛んできた泡を肩口で拭いて、先程言い損ねた台詞を言った。
「俺は、夢を追うのに忙しいんですよ。探偵になるという夢を」
その言葉を聞いた森野はなんとも言えぬ表情をした後、こう返す。
「お前厨二病抜けてねえのか…って言うとこなんだけどな、本来は。奇遇だな、俺もお前と同じく、夢を追っている。警察官になるという夢をな」
へえ、と森野が意外そうに目を開く。
「てっきり笑われると思いましたよ、先輩のことだから二週はネタにされると覚悟してたんですが」
「じゃあなんで言ったんだよ…ってまあ、言わずともわかるけどよ」
森野が同じように夢を明かしたのと全く同じ理由のはずだ。互いの素性を明かさずに、話し込める貴重な相手だから。
「俺だってお前と同じくクビになる訳には行かねえ。俺はここに潜入捜査っつー名目でバイトしに来てるんだ」
「潜入捜査?警察の?」
「そう、正真正銘警察の捜査の一環だ。ちょっと警察に知り合いが居てな…」
一応な、と心の中で付け足す森野。彼は彼女にこのアルバイトの指示を出された時のことを思い出す。
………………
『殺人事件を起こしそうな奴がいる』
彼女の場合いつもこうだった。
丸野 契。彼女の勘は外れたことがない。
彼女の住まいである安アパートの一室に通された森野は、緊張した面持ちで彼女の言葉を一言も聞き漏らさないように、散らかった部屋で正座する。
散らかった部屋とは反面、自分の服飾だけはきっちりと整えられた彼女の眼光は、全てを見通すかのように鋭い。
『お前にはその調査の一部にあたってもらう』
その辺に落ちていた資料を一掴みし、森野に手渡した。『勘の被疑者』の行動リスト、その一項目にマーカーが引いてある。
『麻布十番の駅のカフェ…?』
『そうだ。被疑者の行動パターンから見て、そのカフェの前を通る率が少しある』
少し?と首を傾げる森野。今日の丸野の物言いには違和感を感じる。
『高い、ではなく?』
『………………。とにかく、潜入捜査だからな。アルバイトの面接を受けておけ』
あまりに急な展開に流石に森野も眉を顰める。
『アルバイト、ですか?店の前を通るのであれば張り込みでいいんじゃ…』
『うるさい従え。上司の命令は聞くものだぞ、森野巡査。猫の手も借りたいくらいなんだ』
その言葉に、森野の背筋はピンと伸びる。彼女は森野のことを巡査扱いしてくれるのだ。それが森野は嬉しくて仕方がないし、自分が警察になったかのような錯覚に陥ってしまう。まあ本当はこんな不当な扱いは受けないのだろうが。
森野が気合を入れていると、丸野が不自然に目を逸らしてこう言った。
『猫といえばついでなんだが……この写真の猫、失踪しているんだが、そのカフェに出入りしているという情報があってだな……あくまでついでだぞ、見つけたら連れてこい。別に知り合いとか身内とかそういうんじゃないぞ、警察に持ち込まれた話なんだからな』
仮に警察に持ち込まれた話だとしても、彼女のところにそんな話が回ってくるはずがなかった。
………………
だから一応っつーことだ、と心中で苦笑いを漏らす森野。
驚いたのか古屋は目を丸くし、意外な一言を返した。
「俺も潜入捜査なんですよ!」
「お前も!?」
今度は森野が驚く番だった。
「俺も私立探偵の助手みたいなことをしてるんですけど、そこにとある依頼が入って、学生バイトで入り込みやすい俺が潜入することになったんです」
「………ん?待て待て、とある依頼ってまさか…」
その時、不意にその被疑者はやってきた。
厨房の料理人が裏口から外に出ようとした瞬間、その足元を縫って長いしなやかな生き物が厨房内に入ってくる。
猫だった。
「「あっ!!」」
同時に声をあげたのは、森野と古屋だ。彼らは皿をほっぽりだし、猫を指差し、そして顔を見合わせた。
猫は裏口付近で厨房から追い出されまいと料理人と格闘している。
顔を見合わせた二人は共に怪訝そうな顔をしたが、古屋がふいに吹き出し、そして笑い始めた。森野は一瞬遅れた後、何かを察したような顔で「そういうことかよ………」と呟いた。
………
笑いが収まった古屋と猫を抱いた森野は、バイトをあがって厨房着も脱ぎ、普段着で裏口の外の路地に並んで座っていた。
猫は森野の膝の上で丸まっている。人懐こい猫のようだった。
「つまり…俺は警察官である丸野さんに命じられて猫を探しに潜入捜査、お前は私立探偵の助手の仕事で猫探しに潜入捜査、ってわけだ」
「たぶん俺のところの私立探偵に依頼したのは、その丸野さんって人ですよ。依頼主の名字は丸野ってデータに書いてありますし」
「なるほどな…でも丸野さん、猫なんて部屋に飼ってるの見たことないけどなあ」
「事前に聞いた話だと、親の飼い猫らしいですね」
「親かぁ…別居してるって言ってたけど、あの人なんだかんだ親思いだからなぁ」
猫を撫でながら、森野は脱力して呟く。一応殺人犯(暫定)の調査だと常に気を張ってきたのだが、これはほぼ無駄足と言っていいだろう。
「どうします?猫。俺のとこの探偵の依頼を通して猫を納入するか、先輩が直接、その丸野さんに猫を渡すか」
「もうどっちでもよくなってきたわ…」
膝の上で猫が呑気に鳴いた。
………………
この半年ほど後、暫定殺人犯『去石 遵』は殺人を犯し、暫定ではなく確定の殺人犯となった。
束の間の協力を知らない間に行っていた彼らは、この殺人犯の捜査で再び共同戦線を張ることになるのだが、それはまた別の話。
コロンシリーズ内企画のオムニバス企画の一つ『カフェオムニバス』の他の参加者様の作品です。敬称略。
KASHIWAGI:2016 甘い香り(ちや。著)
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YUUNA:2016 (藤田なない著)
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RYOUKA:2016 あめ (狼零 黒月著)
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MANA:2016 苦い珈琲を私に (お萩な狭霧著)
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前回のオムニバス企画『乗り合い電車』の作品。こちらのキャラをちょっと借りました。
MAIKO:2017 作者:梛
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KAITO:2017 作者:ちや。
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KAITO:2017 - The Young Detective 作者:志室幸太郎
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MARUNO:2017 電車の中で 作者:丸野智
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JUN︰2017 作者︰来栖
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