勇者に婚約破棄されたけど、魔王と結婚します。
リハビリとして書いた短編です。
4/21 ご指摘して頂いた箇所の変更、誤字修正及び後半部分の改稿を致しました。
たくさんのブックマーク、大変感謝しております。お気に入り登録もありがとうございます。感想も読ませて頂いております。
「アリエス、オレとの婚約を取り消してくれ」
そう可憐な少女に告げられたのは残酷な言葉だった。長い間慕い続けていた恋人と、その隣に寄りそって幸せそうな微笑みを浮かべながら優しくお腹を撫でる仲間の姿は、嫌でもその言葉が冗談ではないことを示している。
「フェイグ……さま」
乾いた口から漏れた擦れた声。悲痛な面持ちのアリエスに、申し訳なさそうにフェイグは謝った。
「すまない……」
「どう、して? 私は学園時代からずっとあなたをお慕いしておりましたのに……私の何がいけなかったのです?」
「アリエスが悪いんじゃない、ただ、他に好きなコが出来たってだけだ」
アリエスは膝から崩れ落ちるようにして地面にへたりこむ。
自分のどこも悪い所がないなら、目の前の恋人はどうして別れを告げるのか。
――分からないわけじゃなかった。ただ認めたくないだけで。
「オマエのことは好きだよ。何も悪い所なんてないし、最高にいい女だった。だけどラミウムも好きだし、それに」
言わないで。それ以上、言わないで。
アリエスはそう願いながら目をぎゅっと瞑る。
しかし、フェイグの言葉は途切れることは無かった。
「ラミウムが妊娠したんだ」
言わなくてもふっくらとしたそのお腹を見れば分かる。先程から幸せそうな表情を浮かべて、ゆっくりと風船のように膨らんだお腹を撫でるラミウムを見れば分かる。
そして、その子どもが彼女のお腹に宿ったのはまだアリエスとフェイグが付き合っていた頃だろう。それもフェイグが“勇者”として魔王を倒すために旅を出ていた時期のはずだ。アリエスがまだフェイグの恋人で勇者一行の一員だった日から裏切りは始まっていたのだ。
アリエスはその事実をようやく認識する。どっと溢れるように涙が湧き出て頬をじっとりと濡らした。
「そういうわけだからアリエス。今までありがとうな」
「じゃあね、アリエス。あたし達、幸せになるから」
そう言って勝ち誇った笑みを浮かべるラミウム。
勇者一行の弓使いのラミウムは、遠距離攻撃を担うポジションだった。同じ遠距離攻撃を担う魔法使いの男性とパーティに加わった当初は付き合っていたはずなのだが、いつの間にか勇者に乗り換えていた意地汚い泥棒猫だ。旅をしている途中で勇者であるフェイグと濃密な夜を過ごしていたことも知ってはいた。
魔王を倒したのは、今から数か月ほど前のこと。魔王を討伐し、街に戻ったフェイグ達は英雄扱いされ、特に神の加護を受けた勇者でもあり、パーティリーダーのフェイグは人々からちやほやされていた。
その頃から女癖が悪くなり、遅くまでお酒を飲み、大人な店に入り浸る生活をしていたフェイグだったが、アリエスはそれでもずっと家で彼の帰りを待っていた。
どんなに彼が遅く帰っても、酔っていてもアリエスは怒ることなくただ彼を待っていたのだ。それなのに、彼がした仕打ちは何なのだ。
女遊びの果てには、勇者一行だったラミウムと浮気し、その挙句の果てにはデキちゃった婚。
この世に神様がいるとするならば。特にフェイグに加護を与えた神よ。
なぜ、彼に加護を与えたのだろうか?
*
フェイグの行いを見てきたアリエスは何となく婚約を破棄されるだろう、とは薄々感じていた。しかし、アリエスが住んでいた家を『ラミウムとの愛の巣にするから』という理由で追い出されるのは腑に落ちない。
確かに勇者であるフェイグのお給金で建てた新築だったが、アリエスにあげると言ってもらった家なのにどうして自分が追い出されるのだろうか。
「でも、このままだと衣食住が確保できないわ……」
今さらフェイグに婚約破棄されたこと、ラミウムに寝取られたことを考えていても仕方がない。それよりも考えないといけないのは、自身の衣食住だ。
住む所を追われたアリエスは、とりあえず宿で生活をしていた。
だがそれも魔王討伐の報酬金と旅に出る前に両親が持たせてくれたお金でしのぐ生活だ。すぐに新しい住居と職を見つけなければ貯金は朽ちてしまう。
アリエスは顔が見えないようにフードを被り(勇者一行の回復役だったアリエスも街では有名人である)、宿に併設されている酒場で夕食をとっていた。
酒場では強面の男達が片手にお酒、片手に骨付き肉を持って大声で話していた。
聞き耳を立てていなくても聞こえてくるその会話の内容に興味を持つ。
「おい、キャサリンの旦那がギルドを始めたんだってなぁ?」
「ああ、聞いたぜ。乙女の嘘、だっけ? 寮もあって、食事も付いているって最高だよな! おれも大工辞めてギルドに入ろうかなぁ」
「お前じゃ無理だって!」
(寮があって食事もあるギルドは珍しいわ。乙女の嘘、明日行ってみようかしら)
食事を終えたアリエスは明日に発つために荷造りをしようと部屋へ戻った。
*
翌日、男達が言っていた“乙女の嘘”というギルドにやってきたアリエスは、ギルドマスターであるキャサリン(男)にギルドに入るための手続きをお願いしていた。
「アリエス・ローダンセ? ちょっとぉ、本当にぃ? ローダンセのお嬢様がアタシのギルドに入りたいってぇ~?」
キャサリンは野太い声と濃い化粧の下から生える青い髭が特徴的な人だ。男性のはずなのだが、本人は女性と言い張っているのでおそらく女性なのだろう。
「言いたくないなら深くは聞かないけどぉ、ローダンセってこの国の宰相をやっているんじゃなかったけぇ~? アンタ、その人の娘さん?」
「はい、そうです。父はユークレース王国の宰相を務めております」
アリエスの実家はローダンセ公爵家であり、このユークレース王国の宰相を代々担う上位貴族なのである。公爵家の中でも権力が強い家柄であり、そしてアリエスの母は王妃の従妹という由緒ある血筋なのだ。
「そんな超お嬢様がぁアタシのギルドに入らなくてもぉ、生きていけるでしょぉ? もしかして家の人と何かあったぁ?」
キャサリンは遠慮なく聞いてくる。けれども不思議と嫌な感じはしなくて、真摯に心配してくれているからこその質問だというのが伝わってくるのだ。
「いえ、家族とは何もないのですがあまり心配を掛けたくなくて……」
実家に戻ればきっと父と母は温かく迎えてくれるだろう。しかし、それは同時にフェイグと何かあったということを意味することになる。
アリエスが家を出た時、愛する人がこの世の悪である魔王を倒すために旅に出ることになったので自分も行く、と言ったのだ。無事に街に帰っても、愛する人を傍で支えたいというアリエスの気持ちを尊重してくれた両親は、無理に帰ってこいと言うこともなく、貴族令嬢では珍しく勝手に婚約者を決めることもしなかった。
むしろ、フェイグとの恋を応援してくれた両親にあんな残酷なことを言えるはずがない。
「まぁいいわぁ、アタシもそれ以上はきかなぁい。でもアンタ、見たところ回復魔法しか使えないのよねぇ」
「はい」
旅に出ていた時も回復役としてパーティの仲間を魔法で癒していた。回復魔法は体力の回復や、傷口を塞いだり気持ちをリフレッシュさせる効果を持つ。大きな怪我や、病気といったものは治すことは出来ないが、治しやすくする、つまり自然治癒力を高めることは出来る。これはアリエスの得意分野でもあるのだが、同時に彼女は回復魔法以外を使えない。
「回復魔法士が単独でクエストをこなそうとしてもぉ、薬草採取くらいしか無いのよねぇ……。それだとお給金はすごく少ないしぃ、いくらウチが寮・食事付きだとしてもねぇ?」
見本としてクエストボードに貼られていたクエストの紙を見せてくれた。
そこに表示されていた金額は、1日の1食分しかなかった。それをずっとこなしたとしても、3回こなしてようやく1日分の食費だ。それではすぐに貯蓄が尽きてしまうだろう。
この“乙女の嘘”は、キャサリンが作る食事は無料で食べることは出来るのだが、寮を借りるためにはお金を払わなければならない。薬草採取クエストで賄うことはどうしても無理だ。
だからと言って、寮代を支払うことが出来るレベルのクエストは戦闘が出来る人向けのものがほとんどになってくるので、サポートを主とするアリエスにとっては非常に危険だ。
そんなアリエスにキャサリンは1つ提案をする。
「そうだ、アンタの他に新人がもう1人いるのよぉ。その子、戦いに向いているからアンタ、組めば良いんじゃない~? ちょっとぉ、ルシアン~」
言うや否やキャサリンは向こうの方でクエストボードを眺めていた、フードのついたマントを羽織る男に呼びかける。背の高いその人物はゆっくりと振り返ると、キャサリンの手招きに応じてこちらへとやって来た。
異様に身長が高い。そしてどこかで見たことのあるような背丈だった。
「何でしょう、ギルドマスター?」
「やぁねぇ、“ママ”って呼んでって言っているのにぃ。そんなことより、ルシアン、新しく入ったアリエスとチームを組んであげなさいよぉ~」
「えっ、私がチームを組むのですか!?」
チームを組むことに、そして人を信用しなければならない行動に苦手意識を抱いていたアリエスにとっては修行に近い行為だ。
「そうよぉ~、じゃないとやっていけないでしょぉ~?」
だが、キャサリンの言う事も分かる。
回復魔法しか使えないアリエスは、単独でやるなら薬草採取くらいしか出来ないのだ。
生活をするには魔物を倒したり、危険なクエストをこなしたりするしか道はない。
ルシアン、と呼ばれた男性の方へ向き直りアリエスは挨拶をした。
「よろしくお願いいたします、アリエスと申します」
「こちらこそ、アリエスさん。ルシアンといいます」
そう言ってフードを取った奥に隠れていたのは――
「ま、魔王!?」
勇者フェイグが倒した魔王だった。
*
「この山、厳しい道のりですわ……」
早速チームワークを磨いてきなさぁい、とキャサリンに半ば強引に上位クエストを受注させられたアリエス達は、さっそく依頼をこなすため龍格山へと登っていた。
ここでは、その名の通り竜が棲む山だ。他とは違って魔力の高く、位の高い竜ばかりがいる。2人が受けたクエストは、龍格山の雌竜の卵を1つ持って来て欲しい、とのことだ。
ルシアン曰く、竜の卵には寿命が延びる効果が含まれているらしい。特に富裕層の人々はこぞってそれを欲しがるのだ。危険なクエストになるため、クエストボードでは上位に位置づけられており、報酬金も見合うくらいに高かった。
きっと、ルシアンがいなければアリエス1人で受けることは出来なかったクエストだろう。
だが、そんなことよりも。
「どうして魔王のあなたがギルドに所属しているのです?」
勇者フェイグに課せられた魔王を倒すという運命。
数か月前、それは実現された。数々の魔王の手下たちを倒し、魔王城の玉座に辿り着いた時に出迎えたのはルシアンだったのだ。
その時は長く漆黒の髪と、燃えるような赤い瞳と、薄い唇から覗くぎらりと光っていた牙が特徴的だったが、今はその面影はなく深紅の瞳は深い紺色の瞳に変わり、牙も失われていた。
全て勇者に倒された“代償”というのは聞かなくても理解できる。
しかし、フェイグに倒されたルシアンは何故ギルドに加入し、働いているのだろうか。
魔族を総べる王たるもの、そんなことをする必要はないはずなのに。
ひょっとすると、自分のように何かわけがあるのではないだろうか。そんな考えに至り、慌てて質問を取り消そうとしたが、ルシアンは静かに微笑を浮かべて答えてくれた。
「魔王城の修復費を稼ぐため、ですよ」
「ご、ごめんなさい」
彼が住んでいた魔王城はアリエスもいたパーティメンバーが破壊してしまったのだ。ルシアンが今こうして働いてお金を稼がなければならないのは、自分のせいでもあると思い謝るが、彼は笑って首を横に振る。
「貴方が謝る必要はありませんよ、レディ。回復役の貴方は何も壊していませんから」
「ですが……」
「昔の事はもういいでしょう、今はクエストをこなすことだけに集中しましょう」
ルシアンは口元に人差し指を当てて片目を瞑る。そして、細長い指でアリエスの後ろを指差した。
そこには狩りをして巣に帰ってきた雌竜の姿があった。大きく、固い鱗に覆われた竜は人間では勝てないと本能的に感じるものがある。
獲物を胃に流しながら雌竜は卵を温めていた。そして、とってきた獲物を全部飲みこむと翼を羽ばたかせて狩りに向かう。
アリエスは隠れていた茂みから出た。さっさと巣から卵をとって依頼人に渡さなければ。
そんな焦燥感に駆られていた。今はとにかくルシアンのことが信用ならないのだ。学園時代からずっと付き合っていたフェイグでさえ、ラミウムと結婚するとアリエスを裏切ったのだ。魔王であるルシアンは勇者側だったアリエスを憎んでいるに違いない。
アリエスのせいじゃない、と口では言っていても心の中ではどう考えているかは分からない。信用が出来ないからどうしても1人でこなさなければならない気持ちがアリエスを包む。
ルシアンの制止の声も耳に届かず、アリエスは巣に入り込み大きな卵を抱えようとする。卵はつるつるの表面をしており持ちにくいうえ、かなり重い。岩を抱えているようだ。
このまま山を下りればクエストは完了する。
アリエスは割らないようにゆっくりと巣から出ようとした。
「アリエス!!」
ルシアンの呼ぶ声と共にアリエスの頭上に影が現れる。その影の形を見てアリエスは咄嗟に巣に卵を戻す。
「グギャァアアア!!」
目の前に降り立った竜は、鋭い牙をアリエスに向けて劈くような咆哮をあげた。
突如、眼前に現れた竜にアリエスは震える。アリエスは回復魔法を使えても、防御魔法は発動することが出来ない。ましてや攻撃魔法も出来ないのだ。相手をひるませてその隙に逃げることも出来ない。
「ギャアァアア!!」
竜は怒りの咆哮をあげるとその大きな口を開き、アリエスを飲みこもうとした。
「ルタン・サレット!」
ぴたりと動きを止めた竜に唖然としていると、いきなり現れたルシアンに手を引かれその場を走り去った。
痛いくらいに手を掴まれながら後ろを振り返ると、まるで彫刻のように同じ姿勢をとる竜の姿があった。おそらく、対象の時を止める時間魔法だろう。ルシアンは勇者に倒されたとしても、その力は計り知れない。
「はぁ……はぁ……。逃げたのはいいですけど、ルシアンさん、ここはどこです?」
息も途絶えながらアリエスは涼しい顔をして、辺りを見渡しているルシアンに聞いた。あれだけ走ったのにルシアンは息も乱れていない。これも魔王だからなのか。
「森、ですね」
「ええ、森ですわね」
「木がいっぱいあります」
「……もしかして、道に迷ったのじゃありませんか?」
ルシアンのおかげで危機一髪のところを助かったのだが、ここに来て新しい問題が出てきてしまった。
ルシアンは極度の方向音痴なのだ。
必死に逃げているうちに道をいつの間にか外れてしまっていたらしく、来た道を探したものの見つからなかった。そのうちに陽もくれ、このまま探し回るのは危険だと判断し、近くにあった洞窟で夜を過ごすことにした。
「ごめんなさい、僕のせいでアリエスさんに迷惑を掛けてしまいました」
拾ってきた木の枝を積み重ね、魔法で火を灯しながらルシアンは謝った。炎の灯りに照らされる彼の顔はとても暗い。かなり落ち込んでいるらしい。
「いえ、私があなたの制止を振り切って巣に入らなければこんなことにはならなかったはずですし、もとはと言えば私が悪いんです。むしろルシアンさんには助けてもらったのですから謝らないでくださいな」
アリエスがそう言うと、ようやくルシアンが顔を上げた。
「あの、先程の様子を見ていて思ったのですが、アリエスさんは僕のことを信用していませんよね?」
「えっ……どうしてそう思われるのでしょう?」
「だって貴方の様子を見ていればすぐに分かることです。今日だって自分でやろうとしていたでしょう。僕の事を信用していたら、貴方はきっと違うことをしたはずです」
真っ直ぐな彼の視線にいたたまれなくなってそっと目を伏せた。
「僕がギルドに入って働いている理由、昼間は城の修復のためって言いましたよね。あれ、半分嘘なんです。確かに城の修繕は必要なくらい壊れていますけど、僕がこうして稼いでいるのは負傷した配下の者の治療費のためなんです」
そうだ。城だけじゃなくて自分達が壊してきたものは、彼の仲間だった魔族だ。
ずっと一緒にいた仲間を自分達に傷つけられ、どんな気持ちで自分の前にいるのだろう。
アリエスは痛む心を押さえるように、服をきゅっと握るとルシアンに聞いた。
「あなたは……私が憎いですか?」
きょとん、と首を傾げるルシアン。何を言っているのですか、と目が語る。
「私は、私達はあなたの大事な人を傷付けて、居場所まで壊したのですよ。憎いはずでしょう? 同じ目に遭わせたいと思わないのですか」
そう聞いてアリエスはハッとする。これはルシアンに聞いているんじゃなくて、自分に聞いているのだ、と。
恋人を寝取ったラミウムに仕返しをしてやりたい。泣き崩れる自分に『幸せになる』と言い放った彼女に、やり返しをしたい。考えないようにはしていたが、心の奥底ではそう思っていたらしい、蓋が取れたかのように次から次へとドス黒い感情が湧き上がった。
そんなアリエスの心を落ち着かせたのはルシアンだった。
「全く憎くない、と言えば嘘になります。貴方達が壊したものの中には、二度と戻ってこないものもありましたから。だからと言って僕は同じことをして仕返しをしたい、とは思いません」
「どうしてですか?」
「だって、僕の居場所を奪った人以上に僕が幸せになることこそが、彼らへの最大の仕返しだと思うからです。彼らは僕が幸せにならないように、居場所を失くし絶望させたのです。だから僕が幸せになれば、彼らが恐れていたことになるでしょう?」
この世の悪だ、と決められ勇者に倒される運命だった魔王の言葉は、凍りついていたアリエスの心を優しく溶かしていった。
魔王が絶望し、打ちひしがれることを望んだ勇者たちにとって、魔王がもう一度立ち上がり、自分達以上に幸福になっていることは、フェイグを始め王も、民も望んでいない。だからこそ、ルシアンがもう一度立ち上がるということは、最大の報復なのだ。
「僕の一族は魔を総べる王として君臨してきました。同時に人間達の不満のはけ口になるための、生贄でもあったのです。僕は人間達に何の危害も与えてはいません。だけど、日々の不満を募らせた国民達の矛先が自分達に来ないように、と各国の王がこの世を滅ぼす魔王を倒せ、と僕達に刃先を向けたんです」
「そんなの酷いじゃありませんか」
「でも、仕方のないことです。人間は争わなければいけない悲しい種族です。各国の王は、自分達の思い通りになる勇者を作り出して魔王討伐を行い、不満を減らし忠誠を誓わせていたんですよ」
彼の事がそうなら、フェイグは国家に作り上げられた虚像の勇者ということなのだろうか。
「じゃあ、私は国が作り上げた勇者という身勝手なもののせいで居場所を奪われたわけですね……」
アリエスとルシアンは似た者同士だ。お互い居場所を奪われている。
傷付き合った者同士、もしかしたら良いコンビを組めるかもしれないなとふと思った。
そんなことを考えれば何だかルシアンに今までのことを話してみたくなって、フェイグと5年付き合っていたのに、同じパーティだった仲間に寝取られたこと、しかも妊娠していることと、住んでいた家を愛の巣にするからと言って追い出されたことを洗いざらい話した。
「貴方は何も悪くないですよ、安心してください」
親身に聞いてくれたルシアンはそうアリエスに言葉を掛けた。
その瞬間、どっと涙が溢れ今まで堰き止めていた分まで流れ出すようだった。
「ありがとう、ございます」
“何も悪くない”
その言葉が欲しかったんだ、とアリエスは思ったのだった。
*
森で迷子になったことがきっかけでアリエスとルシアンの距離はぐっと縮まった。
料理が得意だというルシアンの元へ遊びに出掛けては、一緒に昼食を作ったり、新しいお菓子作りに挑戦してみたりと2人で過ごす時間が多くなっていく。
接していくうちに分かったルシアンの優しく誠実な所に、アリエスは気になっていた。
まだその気持ちを認めるには、フェイグへの想いが枷となってアリエスは素直になれないままでいた、ある日のこと。
お菓子作りが趣味だというルシアンの提案で、休みの日は彼の家で新しいお菓子のレシピを研究することになっていた。実家では料理人やパティシエ達が食事を作っていたため、アリエスは一から作る経験が全くなく、彼の家で経験すること全てが目新しく面白いものだ。いつのまにか休みの日を楽しみにしていたアリエスは、ルシアンに頼まれたお菓子用の薬草を摘んで家へと行こうとした。
キャサリンがマスターを務めるギルド、乙女の嘘の女子寮からルシアンの家まで歩いて数分。馬車を使うまでもない距離なのでアリエスはいつも歩いて向かう。いつもはルシアンがギルドまで迎えに来てくれるのだが、今日はとびっきりのお菓子を作るらしくその準備で手が離せないらしい。
細い蔓で作られた籠に薬草を入れ、片手に持って石畳の街を歩く。ふと、馬の蹄が石の表面を叩く音が近づいてくる。すると、大型の4輪馬車がアリエスの隣で歩調を合わせるように走っていた。
前後開閉式の帆が特徴的なランドーと呼ばれる馬車だ。ふと、扉が開いて中から深く帽子を被ったふくよかな女性がアリエスに話しかける。
「ねえ、お嬢さん」
貴族が乗るような馬車に乗っている女性だ、おそらくはどこかの夫人なのだろうが、自分で馬車の扉を開けて外にいる人に話しかける不作法な貴族の女性は珍しい。
アリエスはどことなく、違和感を抱きながらどうかしましたか? と向き直った。
決して女性は彼女の方へ顔を向けようとせず、むしろ彼女から顔を背けるようにして言葉を続けた。
「ねえ、あなた。クラウドの森をご存じ?」
クラウドの森というのは、この街からそう遠くない小さな森だ。美しい湖が有名で、街の人の憩いの場ともなっている。しかし、そこへ向かうには馬車では道が悪い。
「ええ、知っていますが森へ行くには森の入り口から馬車を降りて歩いた方が近いですわ」
「分かったわ、でも森には行かないの。森の方へ行きたいだけだから、あなた案内してくださる?」
ふと、夫人の顔がちらりと見えた気がした。どうも初めて会った気がしない。
怪しいとは思ったが断わる理由もない上に、クラウドの森の近くにルシアンの家があるので、一石二鳥と思ったアリエスは道案内を買って出た。
しかし、アリエスの指差す方向に御者台に乗って馬を操る男は行かない。さすがに不審に思ったアリエスは、馬車から降りようと扉に手をかける。
「逃がすものですか、ローダンセのお嬢さん」
扉に手をかけようとした瞬間、細いアリエスの腕を夫人の大きな手が掴んだ。掴まれた腕がみるみる赤くなっていく。
夫人が帽子をとると、そこに隠れていたのは嫌でも見覚えのある金髪、そして青い眼。
「ラミウム!?」
「久しぶりね、アリエス。残念だけどあんたは人質なんだよ」
おそらく御者台に居る男もラミウム達が雇ったのだろう。馬車は森を外れ、人気のない道を行く。
「ど、どういうことです……私が人質なんて。あなた達は家も職もあるでしょう? それにラミウム、あなたのお腹には赤ちゃんがいるのに」
アリエスの言葉に彼女は不機嫌そうに眉をひそめる。
「フェイグがあんたを振った後、その事実が街中に広まったのよ。愛想を尽かしたパーティの仲間たちは、あたし達の元を去り国王や国民からの信頼も失ったの。おかげで、あたしもフェイグも今は失業中。残されたのはあんたが住んでいた家だけ」
ラミウムは乱れた金髪を掻き上げる。どことなく、前に見たときよりも疲れているように見えた。
「だから私を人質にして、ローダンセ家に身代金を要求しようということですね」
「分かっているじゃない、アリエス。だったら協力してよ」
「するものですか。大事な恋人を奪った挙句、私を人質にしてしまうような性悪女になんか」
こんな汚い言葉づかいをしていることを知った母は寝込んでしまうくらいにショックを受けてしまうかもしれない。『私の娘がどうしてこんなに』と泣き叫ぶかもしれない。
そんなことを考えながら、アリエスはラミウムと対峙していた。
「生まれてくる子どもの為に必要なのよ、あんたが大好きだったフェイグの子どもよ? 何とかしてあげたいと思わない?」
あまりの身勝手な言い分にアリエスは頭に血がのぼり、カッと熱くなるも堪える。ここで感情的になれば、アリエスの負けだとそんな気がしたからだ。
「フェイグ様の事は好きでしたわ、お慕いしていたのも事実。でも、身ごもったあなたがこんなことをしなければならないくらいに、あの方は何もしなかったのね。ラミウム、勘違いなさらないでね。もう好きでもなんでもないわ、家族の為に何も行動することが出来ないような殿方はこちらからお断りよ」
フェイグへの想いを口にした途端、アリエスの中で何かがはじけ飛んだ。
鎖で縛られていたものが取れたような、そんな心の開放感。
どこまで馬鹿なんだ。何よりもこんな最低な男のために5年もの歳月を捧げた自分が一番愚かだ。そう思った瞬間、アリエスはフェイグへの気持ちが吹っ切れた。
ラミウムの腕に噛みつき、怯んでいる隙に馬車の扉を開けて逃げ出す。しかし、さすがは元弓使い。弓矢を放ってくる。しかし、動揺しているのかアリエスには当たらずに全く別方向へと飛んでいくばかりだ。このまま進めば逃げ切れるはずだ、そう思った矢先、アリエスに立ちはだかる影があった。
「フェイグ様……」
あの御者台にいた御者の格好をしたフェイグだった。茶色の瞳をこちらに向けてくる。
「アリエス、お願いだ。人質になってくれ。そうすれば、オレ達はオマエに危害を加えない」
「フェイグ様、私あなたにお礼を言いたいの」
アリエスはじっと彼の後ろに視線をやる。しかし、フェイグはアリエスの視線に気付かない。
「どういうことだ?」
「私、あなたに婚約破棄されて本当に良かったです。もし、あなたと結婚していたら私は今のラミウムみたいになっていたかもしれないでしょう? やっぱり私は、守り守られる関係が夫婦だと思うのです。それが出来ないあなたと結婚しないで済んだこと、心から安心できますわ」
アリエスの言葉にフェイグは何も言い返せないでいたが、やがて腰にさげていた剣を鞘から引き抜くと低い声で呟いた。
「……大人しく人質になれば良かったものを」
フェイグがかざす剣の先がアリエスに振り下ろされる。しかし、アリエスは微笑んだまま、フェイグを見つめていた。
「……な、なに!?」
フェイグがかざした剣先は、ぐっと握り込まれて動かないでいた。彼よりも背が高く、美しい黒髪を垂らした妖艶な青年がそっと微笑んだ。
「お久しぶりですね、勇者フェイグ殿。こんな所で盗賊ごっこですか?」
面白そうに笑うルシアンに、フェイグは剣を持っていた手を離し、後ずさる。
「な、何故だ……? オマエはオレに倒されたんじゃないのか?」
「何を馬鹿なことを。僕が貴方みたいな人に倒されるわけがないでしょう。あの時、貴方に負けたのは敵味方、お互いの犠牲を増やさないようにするためです。そうでなければ、僕は貴方に何か負けたりしませんよ」
ルシアンは地面を蹴るとそっとアリエスの隣に立った。そして、優しく肩を抱き寄せた。
「それとも今、ここで僕とあの時の勝敗を決めますか?」
そう言い、アリエスの方を抱いていない方の手をフェイグへとかざす。風が唸る程の凄まじい魔力の循環が目に見えて分かる。
「人は守りたい存在がある時、初めて強くなれるんです。それがない貴方に僕が負けるとは思えないですが……どうします、勇者?」
「……し、知らねェよ!」
その場から逃げ出そうとするフェイグに、ルシアンは言葉を続けてかけた。
「勇者フェイグよ、僕は今から貴方の宝物を奪いますがそれでもいいのですか?」
ルシアンの言葉にフェイグは足を止めたが、振り返ることもなくそのまま去って行った。
暫く2人でフェイグが去った方を見ていたが、やがてルシアンが口を開く。
「貴方に何も無かったようで一安心しました」
心配そうに体の何処にも怪我がないか確認しているルシアンの様子に、アリエスはくすりと笑った。
「来てくれたのですね、魔王様」
「ええ、お菓子を作る約束をしていたのに貴方が来なかったから。貴方の持ってくる薬草がないと作れないんですよ」
「あら、お菓子のためですか?」
「そんなまさか。僕は魔王です、勇者から姫君を攫いにきたのですよ」
ルシアンはそう言って、アリエスの手の甲に口づけを落とす。そして、上目づかいでアリエスを見つめると、妖艶な微笑みを浮かべて告げる。
「僕と結婚してくれますか?」
*
ルシアンと婚約してからの生活は前とはあまり変わらない。良い条件のクエストがあれば受注して、2人でこなす。休みの日は新しいお菓子のレシピ研究に没頭する。勿論、クエストの報酬金の一部は城の修繕費や部下達の治療費に当てている。残るお金は2人で暮らしていく分には問題なく(贅沢は出来ないが)、質素ながらも幸せな生活を送っている。
ただ、アリエスの住む場所がルシアンの家になったくらいだ。
変わったのは一緒にいる時間の多さ、だろうか。恋人と過ごす時間がどんなお菓子よりも甘いことを今までずっと忘れていた。
勿論、両親にはルシアンとの婚約は言った。必然的にフェイグとの一件も話すことになったが、2人は応援してくれたのだった。
屋敷に婚約の挨拶にやって来た魔王の姿を見た父は、今までアリエスに黙っていた真実を全て打ち明けた。魔王を始めとする魔族が人間側から差別されていること、それがきっかけで不満のはけ口にされていること。宰相である父は何とかその風習を取りやめようと国王に進言してきたものの、やはり国民の不満を一気に解消できる方法はすぐには捨てることが出来ないと主張しており、廃止への道のりは遠い。中々良い方向へと進まない現状は自分の責任だとルシアンに頭を下げていた。
勇者との交際を許したのも、国民から絶大な支持を受ける“勇者”と婚約することが出来れば自然とローダンセ家の名声も上がると踏んだから、らしい。貴族の世界ではそういった事は当たり前だが、それでも初めて聞かされたアリエスは、ショックだった。
「今まで散々お前には迷惑をかけたね。今度こそは幸せになりなさい。私が言うのも虫がいいと言われても仕方ないが、本当にお前が可愛いんだ。幸せになれるそのためなら、私も母さんも努力は惜しまないさ」
勇者に婚約破棄された挙句、誘拐事件にも巻き込まれてしまったアリエスは、貴族令嬢として2度と華々しい社交界に戻ることは出来ない。ひっそりと静かに暮らすことが結婚の条件だったが、アリエスとルシアンは快く引き受けた。
「アリエス、今度旅行に行きませんか」
ルシアンはケーキに果物を真剣な表情で乗せているアリエスに、容赦なく抱き着いた。
背も高く、体重も重いルシアンは華奢なアリエスでは耐えられず、そのまま顔からケーキに突っ込んでしまう。
顔中クリームまみれにしてルシアンの方を振り返ると、彼はお腹を押さえて床に倒れ込んでいる。
「やめてください、ルシアン。このケーキ、食べられなくなっちゃったじゃないですか」
涙目になりながら目の端を拭うルシアンは、ペロッとアリエスの頬を舐めた。
「ケーキが食べられないならアリエスを食べれば良い話でしょう?」
「またそうやって悪ふさげをなしにしようとするのは止めてください!」
「バレましたか~」
子どもっぽく笑うルシアンにアリエスもつい許してしまう。最後にはルシアンも顔にクリームを付けられてお互いに真っ白になってしまった。
「アリエス。僕は思うんです。勇者の大事な宝物をとった僕は、最大の仕返しをしたんじゃないかって」
それを言うならアリエスも同じだ。
「私もです、私は今彼らよりずっと、ずっと幸せなんですから」
風の噂ではフェイグとラミウムは、アリエスにしようとしたことが国王に知られてしまい、公になる前に2人して国外追放。今は流浪の身となり、貧困生活を送っているらしい。事実、誘拐事件は“無かった”ことになっている。今、2人のその後を知る者はいない。
アリエスは真っ直ぐに、透き通る彼の瞳を見つめて言う。
「私は世界で一番、幸せ者です」
そう言ってルシアンと2人で笑い合った。楽しげな声は途切れることはない。
* *
お菓子作りを終えると彼女は疲れたのか、大きなソファに座り込んで目を瞑る。僕も疲れたのでそっと隣に座った。
やっぱりケーキを作るのに体力を使い果たしたらしい。アリエスはそのまま僕の肩へと寄りかかってきた。
あどけない彼女の寝顔。透き通るような白く何の穢れもない肌、美しく健康的な桃色の髪。そして今は瞼に隠れている空色の瞳。
僕はアリエスの髪を撫でながら、初めて彼女の父に会った時の事を思い出す。
婚約の事実と結婚の承諾を貰いにいった僕たちは、応援すると両親から声をもらった後、アリエスは彼女の母と庭園へと出た。しばらく会わなかった親子同士、積る話もあるだろうなと僕は思った。楽しそうに母の手を引いて、庭園へと誘う彼女の姿を見守っていると彼女の父が僕を呼び寄せる。
「魔王ルシアンよ」
「その呼び方はやめて頂きたいですね、宰相殿」
固くて壁のある彼の呼び方に思わず苦笑する。
しかし、アリエスの父は真面目な顔を崩さずに僕に告げた。
「君だけに約束してもらいたいことがある」
「何でしょう」
「この数百年、1度も魔族側は人間側を裏切らなかった。だが、私は一刻も早くこのくだらない儀式を終えたいのだ」
彼女の父は歯を食いしばり、血管を浮かび上がらせて言う。
魔族と人間。太古から存在していた2つの種族は、差別や偏見、土地を巡って争いが起きるなど様々な事で対立し続けていた。大昔に起きたある大きな戦争をきっかけに人間側は魔族側に1つ提案をする。
『魔王が勇者に倒される儀式を行いたい。代わりに、この大地の半分は魔族に。我々は一切干渉しないと誓おう』
つまり、魔族という種族に何も干渉しない代わりに『魔王』という犠牲が欲しい。そういうことだ。魔王は全ての悪、災厄の根源。それを倒す『勇者』という存在がいるからこそ、人間側の世界は明るい。
国民の不満をいつだって、どの時代も人間達はそうやって儀式を行い、逸らして来たのだ。魔族に干渉しない、土地を半分に分けるということで。
僕の一族は魔族側の犠牲、つまりは生贄なのだ。
勇者に倒されるというお遊戯をしなければならない。
「終えたい、と言いますと国民にどう説明するおつもりで? それに、この儀式が無ければ国民の不満は国王や貴方に向かうのですよ」
僕がそう告げると、言葉を予測していたかのように食いつくようにして彼は返答した。
「魔王は封印されて2度と目覚めない、と捏造でもするさ。ありのままに今まで塗り固めていた嘘を剥がす気にはなれない。国民の不満だって、それを解消するために本来は我々が尽力せねばならなかったのだ。私はもう、君たちや次の勇者に儀式を行わせたくないんだ」
真っ直ぐな視線に僕は気付けば頷いていた。
「アリエスの結婚を認める条件として、表舞台に出ない事、真実を明かさないこと。これを飲めるなら娘はやろう」
そんなの、考えるまでもない。
「もちろんですよ、お義父上」
「お義父上……お義父上……うん、まあ、そうだな。そうなるよな、うん。ルシアン君、娘を頼んだよ」
「はい」
それから『魔王』としての僕は『勇者』に封印されたことになっており、決して表舞台に出ることは許されない。そして、全ての真実を明かすことも出来ない。もちろん、それはアリエスにもだ。アリエスに1つ嘘をつくのは心苦しいけれど、この嘘はきっと彼女を守ってくれるものだろうと僕は思っている。
彼女を守れるのなら僕はどんな道化だって、何でも演じてみせよう。
勇者一行としてやって来た時から見初めていたアリエス。彼女がすぐ近くにいることに僕の心は満たされる。そして、耳元に近づき聞こえていないと知っていながらも優しく囁く。
「僕は君を守るためなら勇者でも、神でも戦ってみせよう」
ぴくっ、と彼女の体が動いた、そんな気がした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※ケーキはスタッフがおいしく頂きました。