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フォルトゥーナハルモニア~ダブルブッキング編~

作者: 宵千 紅夜

 暖かな潮風を受けていた帆はたたまれ、船は港にゆっくりと着岸した。船からはたくさんの客に混じり、四人の少年と一人の少女が降りてくる。

一同は、北の大陸フロースから、南の大陸ハイヤールへと移動することとなった。フロースにあるフランソワ達の故郷へ移動することも一同は考慮したが、ハルバナが劇場から追われているであろうことから、ハルバナの身の安全を考え、フィニとハルバナはハイヤール大陸にいる依頼屋ロズの元へ向かうことに決めた。フランソワ、ラリー、ジオの三名は出稼ぎを兼ねて、二人のボディーガードがわりに同じ目的地へ向かうことにした。

 フロース大陸とハイヤール大陸の間は頻繁に貿易船が往来している。また、旅行用の船も小型船から大型船までずらりとそろっていて、フロース大陸の港は壮観である。一同は予算の低い中型船に乗り込んだ。ハルバナの稼いだ莫大な財産はすべて劇場の管理下にあったので、強行突破でハルバナを奪還するのには、賃金を受け取る時間などなかったし、ましてたとえハルバナの稼いだ金とはいえ、たやすく莫大な財産を劇場側が渡すとも思われなかった。すなわち旅の予算はなるべく安いほうがよかったのだ。五日の船旅は海が荒れることもなく、とどこおりなく過ぎて行った。

 南の大陸ハイヤールに着き、皆が一斉に口にした言葉がこれだ。

「暑い!」

 ハイヤールの温度は春程度の適度な温かさを保っていたが、北国で育ち、冬服を着込んでいる彼らには周りの気温がとにかく暑く感じられた。一同は依頼屋へ行く前に、ハイヤールの気候に合った服を買い、それぞれ新しく薄い生地の服に袖を通した。そして、雪に耐えるブーツから、新品の気候に合った靴へ足を収めた。

 実際、船賃と五日分の食糧費、服や靴の経費が五人分となると、彼らの持ち金は底を尽きかけていた。馬車で行けば三十分ほどですむところを、一同は二時間ほど歩いてゆくことを選択した。途中ハルバナが「足が痛い」「疲れた」など何度もぼやいたが、フランソワやジオがなだめなだめ、依頼屋ロズの元へたどり着いた。


 依頼屋ロズの店構えは、一見小料理屋である。実際、知らない人なら通り過ぎてしまうほどの隠れたところにある穴場の料理屋だが、ここのローストビーフは絶品だと通に評判だ。しかし大通りから一歩はずれた見つけづらい場所にあるのにはロズが小料理屋の他に依頼屋も兼ねて営んでいるという事実がある。依頼屋の仕事は依頼人から依頼を受けて、依頼を受けたい人に受け渡す仲介をする事。中にはあぶない依頼も数多くあるので、依頼屋ロズの店は一見小料理屋を営み、大通りから一歩はずれたところに店構えをしているのであった。

「やっと着いた……」

 ハルバナがへろへろとその場に座り込みそうになる。なにしろ彼女はフィニやフランソワがおんぶするといくらいっても頑としてきかなかったためなのだが、もう少しだからと言いなだめてフィニはドアに手をかけた。依頼屋ロズの小料理屋の木の扉がギイと開かれ、カランカランと扉にくくられたチャイムベルの音がする。と同時に、新鮮な生肉にどすりと大型の肉包丁が振り下ろされた。フィニ以外の一同は唖然としてカウンターの向こうの若い女性を見た。銀がかった短髪の、爬虫類めいた金色の瞳、白いタンクトップからすらりと伸びた左腕には蛇の鱗がきらめいている。女性は一同の、特にフィニに気が付いた。

「あら、フィニじゃない。いらっしゃい」

「ロズ、久しぶり。実は……」

 ひとり先陣を切って飛び出していったフィニをさておき、一同は狼狽していた。肉をぶつ切りざま、爬虫類めいた金色の目と、蛇の鱗にびっしり覆われた腕を隠しもせず、にっこりとほほ笑む女性。耐えきれない様子でラリーがジオの両肩をつかんでゆさぶる。

「これでいいのか? ここでいいのか? ていうかあの人でいいのか?!」

「知らない! 俺に聞いてもわからない! ここはフィニを信用しよう。フィニの知り合いなんだろう? あの人は」

 ジオが改めて店内を見回すと、ここへ来た経緯を身振り手振りを交えながら話すフィニの向こうで、黒い服に赤い髪のオールバックがやたら目立つ男が昼間から酒をあおっている。こんな昼間から酒を飲むなんてとジオは眉をひそめた。

「皆!」

 フィニが手招きをして皆を呼んでいる。五人はカウンター席へと座った。そして、依頼を受けることが可能になる条件として、ここが依頼屋であることを口外しないことを誓わされた。「された」というのは、ロズの利き手にはいまだしっかりと肉切り包丁が握られたままで、ロズの爬虫類めいた金色の目がにらみを利かせていたからだ。しかしもともとだれもロズが依頼屋をしている件に深入りする気も、他人に口外する気もなかったので、皆ロズのおどしとは別に本気で契約を交わした。ロズはにこりと笑った。

「よく私の見た目に惑わされずに契約を交わしたわね。人は目を見ればその人が真剣かどうかくらいよくわかるわ。おごってあげる。どうせお腹ペコペコなんでしょう」

「ありがとう。ロズ」

 皆がロズの目や腕や肉切り包丁をみてびくびくしていたことを恥じる中、気にするなという風にフィニはフランソワにウインクして見せた。

「いい人だろ? 慣れっこだってさ。ロズもよくわかっててやってるからお互い様」

「変わらないわね、フィニは」

 ロズは、ふふっと笑って肉切り包丁を放り投げくるくるっと回すと、パシッとキャッチして舌を出してみせた。カウンター奥に座るオールバックの赤髪の男が、一連の流れを見ていたのかくすりと噴出して、一同の注目をあつめた。ロズが肉切り包丁をどすりと肉に突き刺し、両腕を自分の腰に当て、男に向き直った。

「盗み聞きとは感心できないわね、『お客さん』」

 オールバックの赤髪の男はくすくすと笑いながら謝罪して、一言付け加え、ついでにウインクも付け加えた。

「ごめんね。あんまりお姉さんが美人だから気になっちゃって」

 尚もへらへらと男は笑いながら、ひとしきり彼女を口説いた後、ロズの小料理屋兼依頼屋を後にした。


 良い香りと素晴らしい味覚。ロズの手料理で皆がお腹を満たす間、ロズがそれとなく依頼の件の話をふる。ジューと肉の焼ける音やぐつぐつと煮込まれるスープの音や香りにまざって、依頼の話はあたかもほんの世間話のように聞こえる。なるほど、ここが依頼屋だとばれないわけだ。

「それでね、そのおばあさんが大事にしてた首飾りをなくしちゃって。なんでもオパールみたいなキラキラした石がはめこまれた代物らしいんだけど、とても高価なものなんですって。お気の毒に」

 その後も関係のない噂話を続け、皆がお腹を満たした頃ロズはふぅとため息をついた。

「それにしてもあのおばあさん、可哀そうに」

 一同は顔を見合わせこくりとうなづきあい、今日の依頼が例の首飾り探しであると確認し合った。そして、ロズにおごってもらったお礼を言って店を出た。

「いいのよ、食べててもらった方が都合がいいから」

 ロズの言葉にもうなずける。この手法なら、一般人は依頼屋の件にまるで気が付かないだろう。


 店を出た一同の後ろから、じゃりと靴が土を踏む音がした。そして、路地裏に潜んでいたオールバックの赤髪の男が姿を現し、顎に手を当て何か考えるそぶりで、ロズを口説いていたときとは別人のような真剣な眼差しでつぶやいた。

「『オパールみたいな宝石の首飾り』ねえ……」


 ***


 もうもうと蒸気を上げる汽車からホームに降り立ったスパイルの眉間には、誰が見てもわかるようなシワが刻まれている。続いて降りてきたリコルといえば対称的で、その目は興味やらなにやらでキラキラと輝いていた。放っておけばどこかへ走りだしてしまうのではないかと言う彼女のワクワク感にまた、スパイルは肩を落とした。

「おい……あんまりはしゃぐな。……田舎者丸出しだぞ」

 スパイルを追い越して歩きだそうと踏み出していたリコルは、彼の言葉にハッと顔を赤くしてから、取り繕うようにすまし顔をして見せた。

「はしゃいでなんかいないもん。それに……仕方がないじゃない。今まで村から出たことなんてなかったんだし」

 ため息混じりに歩き始めたスパイルの横を、少女は意気揚々と付いていく。閉鎖的な村で十数年も暮らしてきたリコルにとって、スパイルと一緒に旅をするようになってから見る物はすべて新しく、心躍らされるものだった。しかし、ずっと静かな一人旅を続けてきたスパイルにとって、走りだしそうになるリコルを止めたり、はしゃぐ彼女をなだめたりということは苦難の連続と言っても過言ではなかった。もし彼女が鞄に入るサイズなら、詰め込んで持ち運んでやるのにということは、この短い間で何度もよぎった考えだ。

 駅舎を抜けると、視界は開けた。石畳の道を沢山の人が行き交い、馬車が悠然と過ぎてゆく。ここプエルタの石造りの町並みは実用性を重視しつつも、外国に開かれた港を持つ街ならではの異国の建築も取り入れられていて華やかだ。

「さて、どうするかな」

 スパイルは呆然と町並みに見惚れているリコルを置いて、少し考えた。ここまでの道すがら、彼女の探し物の話は詳しく聞いている。母親の形見で、磨いた一角族の角が嵌められた雫型の銀細工のペンダントらしい。宝石関係を扱っている連中をたどれば、物を見つけるのは簡単かもしれない。だが、希少な一角族の角のアクセサリーは粗悪な偽物も多い上、本物は法外な値段がする。もう誰かに買い取られた後だった日には、取り返す方法を別に考えなくてはいけない。

 考えれば考えるほど、悩みしか出てこないので、スパイルは大きくかぶりを振って暗鬱な気分を払った。

「とりあえず宿でも探すぞ」

「う、うん」

 リコルを現実に引き戻し、スパイルは歩き始めた。晴れた空に、白い石造りの壁がまぶしい。いつもならまず馴染みの情報屋を探して、いい仕事があるか聞き込みを始めるところなのだが、あまり治安の良くないところへリコルを連れまわす事は避けたいという思いがあった。

 プエルタは北のフロース大陸ともつながる港がある大きな街で、人も物もピンからキリまでひしめく大都市である。その上、正体がばれると、いつどこから狙われるかわかったものではない希少な種族の少女とくれば、危険は倍増である。危ういものには近寄らないに越した事はない。スパイルの悩みは山積みだった。

 駅からそう離れていないあたり。人通りも多くて治安の良い地域の宿を選んで、スパイルは部屋を取った。宿屋の主人に教えられた部屋へ向かう廊下で、スパイルは後ろから刺さる視線に眉をひそめて振り返る。

「なんだ?」

 振り返った先には当然のようにリコルがいるのだが、その顔にははっきりと「不服」と書かれている。しかし、スパイルには彼女が不服に思う理由にまったく見当がつかない。

「何がそんなに不服なんだ」

「不服だよ! たとえベッドが二つだとしても、同じ部屋ってどういうこと!」

 リコルの悲鳴に近い主張に、スパイルは失笑に近いため息を吐いた。

「ガキが何を気にする必要がある。それに、宿代は俺が払うことになるんだ。二部屋も取るのは金の無駄だろう」

 文句があるなら強制的に帰郷させるという捨て台詞に、リコルはぐっと言葉を詰まらせ、言いたいことがまだまだある雰囲気をさせつつもおとなしくなった。実際リコルは一文無しで、旅の経費はすべてスパイルの懐から出ることになる。その上、彼女の個人的な探し物にも付き合ってくれるとあっては、ぐうの音も出なかった。

 部屋に着くとリコルは荷物を投げ出し、ベッドにうつぶせに倒れたのでスパイルは一瞬、彼女がすねてふさぎこんでしまったのかと思った。

「うーん、ふかふかのベッドだ!」

 さっきまでの文句はどこへ行ったのか、彼女はベッドの感触に満足らしく、足をパタパタさせて笑っている。スパイルは呆れながら肩をすくめた。

「お前、そんなにコロコロと気分が変わって、疲れないのか?」

 ため息をつくスパイルを振り返り、リコルはきょとんとした顔で聞き返す。

「いつまでも怒っていたら、つまらなくない?」

「そういうものか?」

「うん。そりゃ、同じ部屋だってことに不満はまだあるけれど、すねていても仕方ないもん。あと、ベッドがフカフカなのは幸せだし」

 リコルはそう言って枕を抱きしめ、幸せを享受した。

「単純なやつだな」

 スパイルはそうため息混じりにつぶやくと荷物を床に降ろし、空いているほうのベッドに腰を下ろした。これから情報を集めに行かなければ行けないのだが、リコルを連れて行くつもりはない。だが、どうしたら彼女が納得するか、スパイルは少し考えをめぐらせた。

「ねえ、これからどうするの?」

 切り出してきたのはリコルのほうだった。

「とりあえず、お前が探しているペンダントに、似た物の噂がないか聞いてまわるしかないな……。だが、一角族の角の装飾品はかなりの値段で取引される代物だ。噂は数あれ、本物は一握りだろうな。さらにお前の物かどうか、となると……」

 そこまで言ってスパイルは言葉を濁し、少しだけリコルのほうを伺った。別段落ち込むでもなく、リコルはスパイルの言葉にうなずいているだけだ。

「とにかく、俺は情報を集めてくる。お前は何事もないように、大人しくしていろ」

「え、一人で行くの?」

 心外だという風にリコルは跳ね起きて、抗議する。

「よく考えろ。母親の形見だといって、なにやら一角族の角らしきものを探しているガキがいたら? 捕まえてみて、一角族なら儲けモノ。金持ちの令嬢なら、まあ幸運。なにも無くても、処分の方法は……わかるだろ? 狙われる危険がある以上、情報収集なんて不特定多数の人間の居る場所にお前が付いてくるのは得策ではない」

 スパイルの言葉にリコルは渋々うなずいた。説得が何とかうまくまとまり、スパイルが少しだけ胸をなで下ろしたのも束の間、リコルはパッと顔を上げた。

「じゃあ、少しだけ、街を見て歩いてもいい? 危ないところには近づかないから!」

 手をパチンと合わせて頼み込む少女に、スパイルは頭痛を覚えた。この少女はどこまで状況を理解しているのだろう。

「あのな、聞いていたか? お前は危険の隣にいるようなものなんだぞ?」

「角は帽子で隠れているから、一角族だってわからないでしょ? 本当に、ちょっとだけだし! 目立たないようにするから」

 しばらく眉間にシワを寄せたままリコルをにらんでいたが、折れそうにも無い彼女にスパイルは盛大にため息をつき、裏路地には不用意に入らないことと、他人とあまり接触しないことを約束させ、自由を認めることとなった。どうせ騙し騙し置いていったとしても、追いかけてくるか勝手に外に出るかされるのが、スパイルには容易に想像できた。一緒に旅をすることを決めた際、彼女の角を隠すために帽子を買い与えたのだが、今では帽子でも力不足で、もっと他の何かが必要なのではないかと悩むこともある。

「ありがとう。日が暮れる前には部屋に帰るようにするから!」

 そう言ってリコルは満面の笑みで街へ駆け出して行く。スパイルは閉まる扉をげんなりと眺めて、大きなため息をひとつついた。



 大きな聖堂を通り過ぎ、駅や中心街の喧騒から少し遠ざかったあたりから細い道へ入って行く。頭痛のネタは尽きないが、スパイルは久々の単独行動に肩の荷が軽いのを感じていた。

 探し物も程々に、彼女を早く故郷に帰す方がいいのかもしれない。自分の負担も減るし、家族だって心配しているだろう。聞いたところによると彼女は、村から近い森の中で良からぬ人間にさらわれて、命からがら逃げて来たのだという。一角族という希少種の上、彼女は角が二本あるというさらに珍しい存在だった。また、本人がそれをあまり気にしておらず、警戒心が薄いというのが状況を危険な方向へ向かわせやすくしている。

 ――いつもの俺なら、こんな面倒事に付き合ったりしないのにな……。

 自分で自分の行動を振り返って、ほんの少しだけ苦笑した。帰りを待っているだろう父親と、母親の形見を見つけるまで帰りたくないと言う子。家族の絆という言葉が浮かび、すぐにスパイルはそれを頭から消した。

 ――今さら何を考えているんだ、俺は。

 建物の陰となって日のあまりあたらない路地へと曲がった。

「ん、おお! スパイルさんじゃないっすかー」

 うちに沈み、考え込んでいたスパイルにカラカラと明るい声が降ってくる。顔を上げると、通り沿いにある石階段の上から、青年が手を振っているのが見えた。確か、以前一度だけ依頼をもらったことのある仲介屋の青年だ。青年が急いで階段から駆け下りて来る。

「いやー、スパイルさんに会えるなんて、ラッキーっすよ」

「えーと、ジャック……だったか」

 スパイルは、彼の名前を何とか思い出しながら口にした。仲介屋として駆け出しで、色々な経験も人脈も足りていない青年は、名前を覚えられていないことも多いのだろう。笑ってうなずいた。

「いやー、覚えていてくれたんすね。よかったー。ちょうど昨日受けたばっかりの依頼があって、誰に当たろうか困っていた所だったんすよ」

 まだ依頼を受けるとも答えていないのに、ジャックは顔をほころばせている。その様子は、さながら遊び相手を見つけて尻尾を振っている小型犬である。

「まだ、その依頼を受けるとは言っていないんだが?」

「そんなー。話だけでも聞いて下さいよー」

 ジャックがスパイルにすがるように頼み込むので、とりあえず彼は聞くだけならと了承したのだが、話の途中から内容は、真剣に聞かざるを得ない方向へ向かっていった。

 依頼の内容はこうだった。あるコレクターの男が最近手に入れた、大変高価なペンダントが盗まれたから取り返して欲しいという。そのペンダントには大変見事なオパールがあしらわれており、かなりの大枚を叩いて購入したものらしい。

「ジャック、ひとつ確認したいんだが……。それは本当にオパールのペンダントなのか?」

 スパイルの一言に、ジャックはニヤリと笑った。

「鋭いっすね。実はもっと別のヤバイ宝石ってウワサもあって、どうしても取り戻したい、でも周りに大々的に宣伝したくないってんで、オレみたいな仲介屋にお鉢がまわって来たって訳みたいなんすよ」

 それに、とジャックはもったいぶって付け足す。

「今回のブツを盗んだのは、『赤いトカゲ』の連中って話まであるんすよ」

 スパイルは右目がうずくのを感じて、手で覆う。少し危険な稼業のものであれば、『赤いトカゲ』という言葉を知らないものは居ないと言ってもいいほど、それは有名な組織だった。盗みや恐喝から強盗や殺人、薬物や人身の売買まで手広くやっている犯罪組織で、ハイヤール大陸の闇の権力の一、二を争う組織と言っても過言ではない。しかし、大きな組織であるがゆえ、末端ともなれば、ただ組織の皮をかぶったチンピラということも少なくない。

「もちろん、トカゲの尻尾の切れっ端ってこともあるんですがね、奴らが狙った物なんて面白そうな話じゃないっすか?」

 ジャックの熱弁からすると、前金でいい額をもらっているのだろう。その上、きな臭い噂を知ったので、本当なら成功報酬を吊り上げようという算段らしい。どういう経緯の情報かはわからないが、駆け出しの仲介屋がつかめるような噂が転がっている案件など怪しすぎる、というのがスパイルの感想だったが、最近という時期から、コレクターが購入したペンダントがリコルのものである可能性も否定できない。見逃すには惜しい機会だ。

「……下調べはいいんだろうな?」

「昨日、一睡もしないで情報収集したんすよ!」

「よし、受けよう」

 その言葉にジャックは飛び上がるように喜んで、スパイルに調査をまとめたメモを渡した。

「じゃあ、なんか進展があったら連絡たのむっす。大体は船着場地区の家か、酒場に居るんで」

 ジャックはそれだけ伝えると、スパイルに背を向け去っていった。気分だけはいいのだろうが、疲労がたまっているのか足取りはやや危なっかしい。まだまだひよっこの仲介屋の書いたメモに目を通しながら、スパイルは宿へ戻ることにした。



 光のあふれる様な石畳の道をリコルは駆けてゆく。初めのうちは、スパイルに散々脅されていたので、周りを少し警戒しながら歩いていたのだが、当然誰一人としてリコルのことを気にする様子も無かったので彼女は次第に街を見ることに夢中になった。はじめて見る大きな街は、見たことのない大きさと美しさの建物で溢れている。村の外に出たきっかけが何であれ、リコルは胸があふれそうな感動で一杯だった。

 しばらくは駅前の広場を歩き回り、駅から出発する蒸気機関車を飽きずに何度も眺めた。次には商店が並ぶ通りを眺めて歩いて、大きな窓ガラスから見える店内に心を躍らせた。

 そうして歩いていると、大きな通りの向こう側で、見たことのある人影がよぎったような気がした。暖かい日の多い時期にもなるというのに、真っ黒い格好の男というのはかなり目立っていた。それに加え、あの赤い髪である。

 ――あの行商の人だ。

 リコルは追いかけようと通りを横切ろうとしたが、馬車が行き交い、なかなかうまく横切る機会がつかめないで、すっかり姿を見失ってしまった。

 やっとの思いで通りを渡ったリコルは、黒服の青年が消えたと思われる道をたどって走り出した。

 人の多い通りから離れ、路地の角を曲がろうとしたとき、目の前に現れた人影に、リコルは止まることができずにぶつかってしまった。走っていた勢いがあまって、リコルは前のめりに倒れこみ、数人の人影の中に突っ込む形でやっと止まった。

「いたぁ……っ! ご、ごめんなさい!」

 リコルはガバッと起き上がり、押し倒して下敷きにした少年から離れた。

「ははっ、痛いけど大丈夫……だ」

 少年はなんとか笑って見せて立ち上がった。しかし、やはり結構痛かったようで少年は短い黒髪の後頭部をさすっている。

「本当に、ごめんなさい」

 リコルがおろおろと謝るのを見かねたのか、彼の友人だろう年上の背の高い少年が優しく微笑んだ。

「大丈夫。彼は丈夫だから、これくらい平気だよ。な、ラリー」

「ジオ、お前はもう少し心配してくれてもいいんじゃ……」

「ラリー、その子の帽子、踏んでるよ」

 黒髪の少年、ラリーの言葉をさえぎる様に、プラチナブロンドの美しい少年がラリーの足元を指摘する。はっと気づいたラリーが足をどけると、もう一人の少年が帽子を拾い上げた。栗色のふわふわとした髪の毛がかわいらしい男の子で、リコルと同じ位の年頃に見える。彼は帽子の汚れをパタパタと払って、リコルに差し出した。

「ごめんね。はい、きれいになったよ」

「ありがと……!」

 リコルは帽子を受け取ってから、ハッと気づき、手遅れではあるがぎゅっと帽子をかぶってぐるりとあたりを見渡した。幸いにも細い路地に他の人は見当たらない。

「急いでいたみたいだけれど、大丈夫?」

 少年らの後ろからリコルより少し年上の少女が顔をだし、尋ねた。プラチナブロンドの少年といい、この少女といい、都会はなんと美人の多いことか、リコルは緊張も忘れて呆然と見惚れてしまった。ゆったりと波打つ淡い桃色の長い髪に、透き通るような青い瞳。誰もがあこがれる可憐さが、人の形をして立っているようだった。

「ねえ、君? 大丈夫? どこか悪いところでも打ったんじゃ……」

 ぼうっとするリコルを心配して、栗色の髪の少年が首をかしげる。リコルは少女に見惚れていたなど言えるわけも無く、顔を赤くした。

「いやいやいや、大丈夫です! 元気です! ばっちりです!」

「頭が大丈夫じゃなさそうな反応だな……」

 ラリーがリコルの反応を見て笑うと、桃色の髪の少女が彼をいさめる。

「もう、ラリーったら失礼ね。もう一度頭を打ったら礼儀正しくならないかしら」

「ハルバナ、無理だよ。ラリーの頭は飾りだから、何度打っても良くならないよ」

「何だと! フィニ! お前な、言っていいことと悪いことが……」

 プラチナブロンドの少年、フィニのからかう一言にラリーが反発してつかみかかろうとするのを、栗色の髪の少年は止めに入った。

「ラリー、殴るのは良くないよ! フィニも、あんまりラリーをからかうなよ」

「フランソワ、止めるな。たまにはびしっとやってやらねば」

 リコルはにぎやかな少年たちを見ていて、ついついふきだしてしまった。笑うのを我慢していたのかそれにつられるように、一番年長の少年、ジオも笑い出した。

「ふふっ。なんだかごめんね、お嬢さん。ぶつかった上にこんな格好悪いところを見せちゃって」

「いいえ、私こそ不注意で。それに、良さそうな人たちでよかった」

 リコルは笑いが収まってから、もう一度頭を下げた。そこで、リコルはスパイルとの約束を思い出し、ハッと固まった。裏路地に入っている上、五人の見ず知らずの人と仲良くおしゃべりしてしまっている。

「あ、あの。ぶつかっておいてこんなことを言うのも、なんだか悪いですけれど、ここで会ったことは他の人には秘密にしておいてもらえませんか!」

 あんまりあわててリコルが言うものだから、一同は理由を尋ねることも出来ずにうなずく。名前も知らない少女のことを、一体誰にどう言うというのか。リコルはそんなことを考えもしなかったが、とりあえずは安心できると胸をなで下ろした。

「本当にごめんなさい! じゃあ、私、そろそろ行きますね」

 リコルはもう逃げるように、来た道を引き返して宿まで走った。まだ日は高かったし、もう少し街を見て歩きたい気もしたのだが、あんな失態をしてしまって、スパイルにばれていないとはいえ、とにかく今は宿に帰るのが一番だと判断した。

 犬に吠えられた子猫のようにリコルは宿の部屋に飛び込むと、フカフカのベッドに飛び込んだ。柔らかな感触が今日の小さな冒険のすべてを迎え入れてくれる。リコルはドキドキする心臓を綿雲のような感触に埋めながら今日の色々を思い出し、くすぐったい気持ちで小さく笑った。


 ***


 すがすがしい嵐のように少女が走り去って、少年たちは少し呆然としてしまい、なんだか何が面白いのかもわからないが、誰からとも無くクスクスと笑いがこみ上げた。

「なんか、すごい子だったな」

 ぶつかられた本人のラリーがつぶやくと、一同はうなずく。誰もが思っている感想を端的に述べた言葉だ。

「でも、都会ってすごいね。見たことない様な人がいっぱいだよ。依頼屋のロズの腕の鱗といい、今の女の子の角といい」

 感心したようにつぶやくフランソワに珍しくフィニが同意した。フィニはフロース大陸の都会で育ったとはいえ、大陸を越えた先のことはあまり詳しくない。彼にとっても珍しいものは多かった。

「でも、すごく元気が良くて……いいなって思っちゃった」

 ハルバナは少女のことを思い出しているのか、少し遠い目をして微笑んだ。

「余韻を楽しむのはいいけれど、程々にな。今日の依頼は少し危ないから、ちゃんと準備をしないと」

 ジオは年長者らしく、一同を取りまとめ目的の場所へと先を急いだ。いつもどおりの和やかな雰囲気ではあるが、依頼屋のロズから聞いた話では、確かに今日の依頼は骨が折れそうなものであった。老婦人が大事にしていた首飾りの奪還である。しかも、首飾りを盗んだ犯人は、婦人から話を聞く限りどうにも組織的な相手らしく、否が応でも緊張感は高まる。彼らは今夜の奪還作戦に向けた準備のため、道具屋を目指した。

 表通りから一本裏の道にあるとはいえ、そこは大きな道具屋でさまざまな術をこめた護符や結晶体、それに武器の類も置いている。さまざまな依頼を引き受けて日々の糧を稼ぐ彼らは必要不可欠なものが多く、取り揃えている品が良いということで何度かこの道具屋に出入りしていたが、どうにも居心地が良くなかった。

 それもそうである。年長者でも二十歳未満という少年らのグループが武器を必要とするなんて、まっとうな大人から見れば不審でしかない。その上、術を込めた道具というのは、その術が高度になればなるほど値段も跳ね上がる。普通の子供で手が出るものではない。少年たちは、術や武器を買うたびに店員から疑いの眼差しを向けられていた。

「あの、交信用の術符じゅつふと……。閃光系の術符はありますか?」

 ジオが店員に尋ねると、億劫そうに店員がカウンターの奥から出て、棚の下のガラス箱から術の込められた護符を取り出して見せた。

「どうだ、フィニ?」

「……だめだ。これじゃあただの灯かりだよ」

 フィニが術符にかかれた方陣を見て、静かに首を横に振った。値段の問題もさることながら、店員は強力な術を少年たちに売ることを明らかに嫌っていた。ここではもう分かりきったやり取りで、喧嘩っ早いラリーに至っては事を起こさないように、と店の前で待っている始末だ。

「おじさん、もっとあるだろ。あれとか。見えるところに、すぐ」

 フィニが珍しく少し声を荒げて、ガラス棚の上にある術符を指差すと、店員は奥歯に者でも挟まったようにもごもごとしゃべる。

「あれは……お高いですよ? お客さん」

「それも、見えているんだよ! 値札の見方くらい分かるさ。それをくれって言ってるんだろ!」

「フィニ! フランソワ、先にハルバナとフィニを連れて、外に出ていてくれないか?」

 後ろで小さくなっていたフランソワは、うなずくと眉間にシワを寄せたフィニの腕を引いて店の外へ出た。

 爪を噛みながらぶつぶつと文句をこぼすフィニに、ラリーは行かなくて正解だったとつぶやく。フランソワが困った顔でうつむくものだから、ハルバナは彼の背をいたわるようにそっとなでた。

「ごめんなさいね」

「ハルバナ! 謝らないの」

 フィニはいっそうイラだった様子で、ぴしゃりとハルバナに告げる。困った状況になるとすぐにハルバナは自分を責め、謝り、最後には自分が元いた場所へ帰ればいいのだと言い出す。それも仕方の無いことで、そもそも彼らが危険な仕事でも請け負って日銭を稼ぐ理由は、彼女によるところが大きかった。彼女はここから遥か遠くのフロース大陸から、少年たちと逃げてここまで来たのだ。

 夢を本物のように見せるショーの、核となる夢を創り出す少女。それがハルバナだった。しかし、沢山の観衆を魅了する夢を創り、興行として使うためには術の組まれた装置の中で眠る必要があり、それは長く使用し続ければ命を削るような強力な術だったのだ。

 金儲けの為に少女を囲う劇場と、自身の夢と観客の喝采に魅了された、命を削り続ける少女。それに耐えられず、彼女の従兄弟であるフィニは思い切ってフランソワたちに協力を頼み、少女を劇場から連れ出し逃亡した。

 ハルバナは夢から覚め、世界に触れ始めている。その現実の温度や質感のどれもが、彼女の心を変え始めている。それでも、自分の為に従兄弟やその友人らを苦しめていると思うと、自らを責めずにはいられないのだろう。

 ガチャンと道具屋の扉が開き、ジオが出てきた。

「お待たせ。もうだめだね、ここは。あんまりロズに迷惑をかけたくなかったんだけれど、信頼できるいい道具屋でも紹介してもらわないとね」

「ジオせんせーってば大人だなー」

 しょぼんとしたままだったフランソワに、ラリーはもたれかかるように肩を組み、自分だったら店員を殴り倒すと笑って付け足した。

「ほら、フィニもいつまでイライラしてんだよ」

「わっ! よせよ、ラリー」

 無理やり肩を引き寄せられ、フィニはよろめくが、ラリーはお構いなしにからかい続ける。浮かない顔のハルバナの肩に優しくジオが手を置くと、ハルバナは大丈夫、というように小さくうなずいた。

「お困りかな? きれいな、きれいな、お嬢さん。ついでに少年たち」

 五人は割り込んできた声に身を硬くして振り返った。

「おっと、まるでお姫様と四匹の忠犬?」

「あなたは……」

「ああ、見た顔だな」

「ロズの店にいた方……ですね? なんの用ですか」

 臨戦態勢を崩さない少年たちを横目に、赤い髪の青年はスタスタと距離を縮め、ついにはハルバナの前でペコリとお辞儀をした。

「俺はスクラ。しがない行商にございます。こんなに綺麗なお姫様が、なんとも悲しそうな顔をしていたら、放っておけるもんですか」

 態度はあくまでも紳士的だが、なんともニヤニヤとした笑いが彼らを不安にさせる。ハルバナもどうしていいか目を泳がせていた。

「おや? 『きれい』なんて安い言葉、聞き飽きてるかな?」

 スクラと名乗った男はハルバナの透き通った海のような瞳を底まで見透かすように見つめる。

「じゃあ『夢幻の花のお姫様』なんて――」

 言い終わる前に、ラリーが鋭い蹴りを青年のいる場所へ繰り出すが、人体とは違う鈍い感覚に阻まれる。スクラの位置からは完全に死角であったはずだが、ついさっきまで手に提げていた黒い革の大きな鞄で的確に衝撃を受け止めている。

 一同が一瞬の出来事にあっけに取られている隙に、スクラはポケットから小さな紙切れを取り出した。

「トートゥリム(風よ、飛ばせ)」

 唱えた瞬間、青年を激しい風が包み、一瞬で遥か頭上の建物の屋根まで飛ばしたかとおもうと、彼は華麗に着地して見せた。屋根の上からひょこっと頭を出して、下で呆然としている少年たちにスクラは笑顔で手を振った。

「君は手が早いなぁ。まったく。また縁があったらご贔屓に、じゃ!」

 そのまま屋根の陰に隠れて、それっきり赤い髪の青年は姿を見せることは無かった。

 しばらく誰もが顔を見合わせて口を開けなかった。

「なんだ、ありゃ?」

 ラリーがやっとのことで口を開くと、一同は同じ様子で首を横に振った。ハルバナの劇場に来ていた客というわけではないようだが、彼女の素性を知っているかの口ぶりだった。しかし、彼を見たのは依頼屋であるロズの店のみである。しばらくまたみんなが黙ってしまったのでフランソワはポツリとこぼした。

「よくわからないけれど……悪い人じゃない気がする」

 彼はつぶやいてから、みんなの顔をうかがった。ラリーは反論があるような苦い表情で見ていた。だが、確かに怪しい人物ではあるが、危険な人物かと言われればはっきりとは分からなかった。

「確かに、私のことを『夢幻の花の』なんて表現をしていたけれど、偶然かもしれないし」

「でも、油断は出来ない!」

 フィニがすぐさまハルバナを制する。それには誰もが同じ意見だった。

「とりあえずは気をつけた方が無難だろうね。次の機会に、ロズに聞いてみた方がいいかもしれない」

「だな、常連とかならすぐ分かるだろうよ」

 意見がまとまったところで、少年たちは部屋を取っている宿へ急ぐ。とりあえずは必要な物もそろった。後は依頼の品の奪還へと、入念に準備をするだけだ。


 ***


 スパイルが宿の部屋の木戸を開くと、すぐにベッドの上に身を投げ出しているリコルと目が合った。日は暮れ始めたばかりだったが、彼女が約束どおりに帰ってきていることにスパイルは胸をなでおろした。

「いい情報はあった?」

 彼女はスパイルを見つけるなりベッドから起き上がり訊ねるが、彼はどこまでを伝えるべきか逡巡した。聞いてきた事実を伝えれば、彼女は自分も付いていくと言って聞かないだろう。スパイルは何事もなかったかのようにポケットに突っ込んであるメモを握りつぶし、手近な椅子に腰を下ろした。

「仕事を請けた。今晩少し空けるが、お前はここに残っていろ」

「私のペンダントに関係すること?」

「違う」

 雲が出てきたのか西日は一気に弱まり、部屋には夕闇が忍び込み始める。いつもどおりの鉄面皮にしか見えないスパイルの横顔を、リコルはしばらく見つめた後で小さく首を振る。

「ウソ、ついてる。何か手がかりかもしれない話を見つけたんでしょう?」

 リコルはベッドから降りると、スパイルに詰め寄った。

「教えて! どんな小さな手がかりでもいい。私、絶対付いていくからね!」

 リコルが言い切るのと同時に、スパイルは拳を強くテーブルにたたきつけ、彼女が身をすくめた。お互いに目を合わせずに、しばらくの間、薄闇の迫る部屋には沈黙だけ増えていく。窓から見える白い石の町並みに映る茜色も、落ちた日のため、宵闇へと姿を変え始めていた。

 やがて、スパイルがすべての憤りを飲み干したように静かにつぶやいた。

「同じ事を何回も言わせるな」

 それでも食い下がろうとするリコルは、スパイルの鋭い一瞥にたじろいで言葉を飲み込んだ。

「それに、形見とは言え、なぜそんなにペンダントにこだわる。本当に家族のことを考えるなら、一刻も早く無事に帰ってやることが最良の選択じゃないのか?」

 容赦の無い金の瞳は視線をそらさない。射抜かれた少女の瞳は言葉を飲み込んだ後、小さく震えて視線を落とした。反論のしようも無い正論に、リコルのくすぶっていた火もついに消え、小さな体は糸が切れたように空いている椅子の上にクタリと座り込んだ。リコルの小さなため息が、やけに大きく部屋に響く。

「……わかってる」

 沈黙があふれた部屋に、振り絞って出した声はあまりにも弱々しく、また痛々しかった。

「……でも、私は……そうしないと、自分を許せないの……。約束を破った上に……大事な物まで失くして……」

 彼女の住んでいた村はその特殊な種族ゆえ、外界から閉ざされた安全な森の中にあった。彼女たちの森にはそれ以上外に出てはいけないという境界の川があり、小さな頃から親や教師に言い聞かされて育つのだという。リコルの場合も例外なく親に言い聞かされ、絶対に出たりしないという約束をしたのだ。しかし、子供の好奇心は行動力が付くほどに大きく膨れ上がり、あるとき仲間を誘い、外に少しだけ出てみるという計画を立てた。

 誰もが夢見る冒険で、無事に家に帰れたならそれで終わりとなるはずだったが、何の因果か、リコルは捕まってしまい、「出ない」と約束した相手である母親の形見までなくしてしまったのだ。

「だから、自分で探さないと……私は……」

 そこまでポツリポツリとこぼすようにつぶやいていたリコルだが、自分の心のうちに言葉を与えていくほど、別のものが浮かび上がってくるのを感じているようだった。約束を破ったつぐないをしなければいけない。しかし、スパイルの言ったとおり、父へ心配をかけていることを思えば、それは小さなことのはずだ。

「あ……」

 小さく声を漏らすと同時に、リコルの両目からは大きな雫がこぼれ始める。ぬぐっても、何度ぬぐっても、それは止まらない。リコルが必死になって涙をぬぐう間、スパイルは慰めるでもなく、声を掛けるでもなく、夕日の残滓が漂う街を眺めていた。

 リコルの涙の理由は、聞かずとも想像できた。彼女は村の外の世界をまったく知らない。彼女は、父の元へ帰るための道が分からないのだ。連れさらわれて移動した道も、逃げてきた道も、彼女はまったく分からない。地図があったとしても、閉ざされたリコルの村の場所は記されていない。

 そのどうしようもない不安から目をそらすために、彼女の心は無意識に別の目的を掲げていたのだ。真っ暗な闇で心が潰されてしまわないように。

 やがて、リコルの呼吸が落ち着いた頃、スパイルは静かにひとつだけ訊ねた。

「お前の故郷を探して送り届けることが、俺にだったら出来るだろう。それでも、危険な場所まで付いて来て形見を探し続けるか?」

 金色の冷えた眼差しが、うなだれた少女に向けられたが、一つ小さく息をしたかと思うと、泣き濡れた青灰色の瞳がスパイルを強く見返した。

 何度もこすったため、目の周りは赤くなっているが、その瞳には確かに火が灯っている。

「馬鹿にしないで。付いていく」

 テーブルを押しのけるような勢いで、リコルは椅子から立ち上がった。

「不安から逃げるためじゃない。泣きながら待っているだけなんて、絶対に嫌だから!」

「お前に出来ることなんて無い。それでもか?」

 火花がはじけるかと思われるほど、二つの意思は静かに激しくぶつかり、リコルは確かにうなずいて見せた。

 うなずいたリコルに、スパイルはポケットから取り出したものを握らせた。ちょうどリコルの手を広げたくらいの大きさの銃だった。

「撃ってみろ」

 スパイルはリコルにデリンジャーを握らせると、自分の胸を指差す。安全装置のはずし方、撃鉄の起こし方、構え方を淡々と説明するスパイルに、リコルは言葉をなくし、説明が終わるとまた沈黙が訪れた。ただ冷えた空間に二つの視線がぶつかるだけだ。

 めまいがするような長い一瞬が過ぎた後、一度、祈るように目をつむり、リコルは深呼吸をして目を開いた。

 細い指が引き金にかけられ、滑らかな銃把じゅうはを強く握った。

 ガチン、と撃鉄が落ちる音だけが凍った部屋の沈黙を砕く。

「……」

 スパイルは椅子から立ち上がり、固まったまま小さく震えるリコルの手からデリンジャーを取ると、その両手を下げさせ、肩を一度軽く叩いた。リコルは目の前からスパイルが消えてから、やっと肩の力が抜け、久しぶりに呼吸をしたような気になった。

 スパイルが本気で自分を撃てと言ったのではなく、試されているということはリコルでも分かっていただろう。それでもあれだけの緊張と恐怖を感じるということを、彼女は知らなければいけなかった。いざという時、引き金を引く時に戸惑わないように。

「こいつを渡しておく。だが、あくまでも護身用だ。いいな」

 後ろからかけられた声に、リコルは驚いて振り返った。ベッドの上に鞄を開いたスパイルは、先ほどのデリンジャーに慣れた手つきで、弾丸を込める。再びリコルの目の前まで戻ると、呆然とする彼女に銃を手渡した。

「それは……付いて行っても良いってこと?」

「ぼさっとしているな。行くぞ」

 スパイルはリコルの頭に乱暴に帽子をかぶせると、自分の猟銃の入った鞄を肩に掛け、ドアに向かって行く。

 リコルは勢い良くうなずいてスパイルの後を追った。



 街を出ていくらも経たない場所のはずだが、街道から離れた森の中は夜の闇で満たされていた。まるで整えられた道を歩くように進むスパイルの後ろを、リコルは黙々とついてゆく。スパイルは、彼女が弱音を少しでも吐こうものなら、形見の捜索は打ち切るつもりでいた。しかし、思いのほか、彼女の決意は固いようだった。

 風すらも息を潜めているような木々の先に、スパイルは目的の建物を発見し、足を止めた。それに気づいたリコルもスパイルのすぐ後で歩みを止め、前方に目を凝らした。二階建てと思われる小さな家はひっそりと木々に囲まれて建っており、この地方では珍しい木造だった。

「情報どおり……だが、かなり古そうだな」

 スパイルが、闇夜の先の建物を遠くから観察する。木で組まれた外壁の所々は朽ちているし、コケが張り付いているところもある。難しい顔をするスパイルに、リコルは首をかしげた。

「古かったら何か問題でもあるの?」

「考えても見ろ。忍び込んだとしても床板が軋んでしまうようなら、ここに居ますと言っているのも同然だろ」

 スパイルは建物を遠巻きに眺めたまま少し考え込んだ。今回の件にかかわっていると思われる賊の人数は、最大でも四人ということだった。地の利も相手側にある。慎重にならざるを得ない。

「あれ?」

 リコルが小さくつぶやき、スパイルも、その存在に気が付いた。家に近づく人影が五つ。隠れているようにリコルを手で制し、スパイルは身を低くかがめる。

 五つの人影は背丈の小さい姿がうかがえ、リコルと同じ位の年の子供がいるようだった。影の動きは家にある程度近づくとピタリと止まり、古い建物の様子を伺っているように見える。

 わざわざこんな夜に、こんな場所に来ているということは、スパイルの同業者の類であることは明らかだった。五人組みが突入するのならその漁夫の利を狙ってもいいかという考えがよぎったが、彼らがまったく役に立たず、いたずらに敵の警戒心を刺激してしまうという事態の方がスパイルにとっては好ましくない。

 身をかがめたまま足音を殺し、獲物を狙う獣のように五つの影に忍び寄った。

 近づくにつれ、相手の様子も細かく分かる。相手のうち四人が少年で、一人は少女だった。仕留めるのなら力のありそうな年上の少年二人からだ。スパイルは一瞬のうちで片方に狙いをつける。黒い短髪の少年。上背はそんなにないが、五人の中で一番身軽そうだ。

 地面に落ちていた石をつかむと、スパイルは五人のさらに向こうに放った。ガサッと音を立てながら落ちる石に驚いた少年たちは、音のほうを一斉に向き、完全にスパイルに背を向けた。

 次の瞬間、草むらから飛び出したスパイルは黒髪の少年を引き倒し、鳩尾に拳を打ち付ける。不意を打たれた少年には、なすすべも無かった。鳩尾を強打したせいで呼吸がおぼつかず、声を出すことも出来ずにむせ込んで地面にうずくまる。黒髪の少年の行動不能を確認しないうちに、スパイルは次の標的に移った。

 長身の少年の手には拳銃が握られていたが、使わせたりはしない。スパイルに向けて狙いをつけるように伸ばしかけた腕をつかみ、一瞬で背後に回り込むと軽く腕をひねった。ひねった角度では力が入らず、長身の少年の手からは拳銃が零れ落ちた。

「動くな。大きい声も出すな。ここで騒ぎたくは無い」

 スパイルは少年の腕を締め上げたまま、全員を見渡して静かに告げた。

 プラチナブロンドの少年が、ジリジリとスパイルとにらみ合ったまま、ポケットに手を入れようとした。

「動くなといっただろう。こいつの腕を折ってやってもいいんだが?」

 プラチナブロンドの少年はぐっと眉をひそめ、目をそらした。

「ここはガキの遊び場じゃない。俺一人相手にこれだ。わかったら怪我をしないうちに帰るんだな」

 スパイルは少年たちの鋭い眼光を、なんと言うこともない様子で受け流す。これは忠告だった。どんな事情があるかは知らないが、明らかに戦闘要員ではないメンバーを二人も連れていは、荷物が増えるだけだ。

 ――まったく、最近はずいぶんガキと縁があるもんだ。

 心の中でため息を付いた頃に、スパイルの耳にその頭痛の種の声が届いた。

「スパイル、やめて! その人たち……」

 待っているように指示をしたにもかかわらず、のこのこと現れる少女に、スパイルの眉間にはシワが一瞬で寄った。しかし、表情が変わったのはスパイルだけではなかった。それまでスパイルを睨み付けていた少年たちが、一斉にリコルの方を驚いた顔で見たのである。

 それは、新たな敵の登場に対する驚愕というより、知っている者の声が聞くはず無いと思っていた所で聞こえた驚きのようであった。

「やっぱり! 昼間に会ったよね!」

 下草に足をとられながらも走ってきたリコルは、打ちのめされ膝を突いていた少年にそっと手を伸ばす。少年はリコルを見てうなずいたが、手を借りることはなく立ち上がり、服の汚れをを払った。

「スパイルも、彼を放して!」

 立ち上がった少年に怪我の無い様子にほっとしたリコルは、険しい目でスパイルの方を振り向き、未だ捕らえたままの少年を離すように告げる。

 スパイルの顔には聞きたいことが山積みだと書いてあったが、とりあえずは彼女に従うことにした。リコルが現れたことにより、状況は変わったが、空気の剣呑さはよりいっそう増している。

「どう言うことだ、リコル」

 最初に口を開いたのはスパイルだった。どう見ても、少年たちとリコルは顔見知りのようであるが、彼らの頭に角は見あたらない。とすれば一体どこで知り合ったのか、およそ想像はついていた。

 自分の言動が、何を意味しているかリコルも気づいたのだろう、一瞬気まずそうに目をそらしたが、悩むように目を伏せた後、口をとがらせた。

「彼らと会ったのは事故。偶然。何より、いきなり襲撃して黙らせるよりは、まともだよ!」

 リコルは少年たちの方を向いて、すまなそうに頭を下げた。

「本当にごめんなさい。スパイルは、悪い人じゃないんだよ。ただ、ちょっと時々鼻持ちなら無いこともあるけれど」

 スパイルを弁護する気があるのか無いのかわからないリコルの言葉だったが、少年たちは少しだけ緊張を解いた。彼らの中でリコルと同じ歳ほどの少年が、おずおずと前に出てきた。

「えーと、君の名前を聞いてもいいかな? あのとき結局名前も聞かないうちに走って行っちゃったし」

「あ。ご、ごめんなさい。私はリコル。あっちはスパイル。君は、確かフランソワ君。で、合っている?」

 リコルは思い出しながらしゃべっていたが、彼らは名前を覚えていたことに少しだけ驚いた顔を見せた。

「よく覚えていたね。で、彼はフィニ。で、そっちの背の高いのはジオ。さっき倒されたのはラリー。で、彼女はハルバナ」

「どうでもいいけどよ、のんきに自己紹介してんなよ。こっちは引き倒されて殴られてんだぞ? 一発くらい殴らせろ」

 ラリーが怒り心頭に発するように拳を平手に打ちつけて、スパイルとの距離をどんどん詰めた。リコルは止めようかと戸惑っていたが、一方のスパイルは構えもせず、彼が目の前に来るのを黙って見ている。

 一瞬の睨み合いのあと、小さく風が起こったかと思うとラリーは鋭くスパイルの顔面めがけて拳を繰り出した。その素早さと正確さに、誰もが次の瞬間を予想したが、それは訪れることなく、あっさりと手のひらで阻まれてしまった。ラリーの拳は込めた力から小さくふるえているが、スパイルは顔色一つ変えることなくその拳を払った。

「悪くは無いが、経験が足りないんじゃないか? 真っ直ぐすぎる」

 ラリーの神経を逆撫でするには十分すぎる一言に、彼はスパイルにつかみかかろうとしたが、さすがにそれまではまずいと、ジオが止めにかかる。

「ジオ! 離せ。こいつは本気でぶん殴る!」

「よせ。それで事態がよくなる訳じゃないだろ。ここは引くんだ」

 少しの間、ラリーはスパイルを睨んでいたが、ジオが押さえる肩を乱暴に振り払って、彼に背を向ける。ぶつぶつとあからさまに文句をこぼすのはラリーを横目にフィニはスパイルに訊ねた。

「で、そっちが僕らを襲撃した理由はなんなの? まあ、想像はつくけれど」

 このような時間に人里離れた場所にいる理由など、木立の先の建物以外には思いつかないだろう。スパイルは肩をすくめて、ため息混じりに答える。

「わかっているのなら引いてもらいたいものだ。子供の遊び場とは訳が違う」

「僕たちだって本気ですよ。そう言われたからと言って、簡単に引き下がるとは思っていないでしょう?」

 ジオがスパイルと真正面から向き合い、あくまでもにっこりとした顔で食い下がった。スパイルとジオの間に、またギスギスとした空気が流れるのではないかと不安に思ったリコルが苦し紛れに声をあげた。

「あ、あの! 目的は何なんですか。もしかしたらお互い違うものが必要かもしれないし。情報交換しませんか」

「おい、ガキが勝手に話を進めるな」

「ガキじゃないもん!」

 スパイルの言葉のどうでもいいようなところにに引っかかったリコルは抗議の意を返すが、そのやり取りにさすがに呆れたハルバナが見かねたようにつぶやいた。

「ねえ、離れているとはいえ、いつまでもここでこうやっていたら、見つかるのも時間の問題じゃない?」

「ハルバナの言うとおりだ。不本意だけれど時間が惜しいから、こちらも譲歩します。僕たちは盗まれたオパールの首飾りを取り返しに来たんです」

 一瞬、闇夜に包まれた森に風が通って木々の葉を揺らして行く。ジオの言葉に、スパイルは眉をひそめた。

「依頼主は?」

「言えません。守秘義務という言葉くらい、本職である貴方なら分かっているのではないですか?」

 笑顔を絶やさずにトゲを盛った言葉を告げるジオをよりも、スパイルには別のことが気にかかっていた。

「どういうわけか、俺の方も同じ内容でね。同じ依頼主が複数の情報屋に話をばら撒いたか、もしくは」

「一つの物の奪還依頼が二人から出されているってことか」

 フィニも合点がいったらしく、腕を組んで考える。しかし、手持ちの情報だけで考えても埒があくわけもなく、彼は顔を上げた。夜はまだ長そうだが、これ以上ここにいても互いの納得のいく答えは出ないだろう。

「とりあえず今はお互い引かないか? 情報を洗い直そう」

 スパイルがうなずくと、他の面々もそれぞれ同じ事を思っているようで、異論は出なかった。

「じゃあ、ロズの店に戻らない? この依頼の他にも聞きたいことがあるわけだし」

「ロズだと?」

 ハルバナの一言で、いつも眉間にしわを寄せる以外は無表情に近いスパイルの頬がヒクリと歪み、リコルが目を丸くした。

「ど、どうしたのスパイル?」

 彼女の問いに対して、何でもないというように首を振るスパイルだったが、明らかにその頬がひきつっている。スパイルのそんな反応に気づかない一行は、すでに街の方へと引き返す体制になっていた。

 頭を抱え込みたい気持ちで一杯なのだが、それで事態がよくなる訳でもなく、スパイルは小さくため息をもらし、彼らの後を続く事となった。



 とにかく、スパイルの足取りは重たかった。少年等の口から聞かされた店を、スパイルはよく知っていたからだ。

 表向きは小さな小料理屋なのだが、実体は仲介屋で、それだけならよくあることだ。問題は、その店主にあった。

「ねえ、スパイル。本当に大丈夫?」

 リコルが再び訊ねたのは、店の前についた頃だった。今更ここを離れたところで、事態は進展しない。スパイルは眉間にしわを寄せたまま、うなずくほか無かった。


 深夜ということもあり、看板の横の明かりは消えており、店が開いているかはわからなかったが、フィニがドアノブをひねると、ドアは抵抗なく開き、ドアに取り付けられているベルが乾いた音を立てた。

「あら、意外と遅かったじゃない」

 店のに入ると、ロズが待ちかねた様子でカウンターから声をかけるが、一同はその店にいたもう一つの存在に声を無くした。

「みなさんお揃いで」

 何故お前がここにいる、という皆の視線を集めながら、その男は悠々とカウンター席に腰掛けたまま、赤い髪を掻き上げながらヘラヘラと笑う。その声で、スパイルの引きつった顔の眉間にシワが追加されたことには誰も気づかない。

「あ、あの。行商さん。あの時はありがとうございました」

 リコルが、ぱっと思い出したように声を出すと、スパイルはさらに眉を歪めた。そのままスタスタとスクラの方へ歩み寄ると、今にもつかみかからん勢いで彼に問いつめた。

「スクラ……リコルとお前に何故面識がある? 一体どういう事だ?」

「ひどい顔になってるよ、スパイル? あと、俺、可愛い女の子のことはすべて把握済みだもん? イロイロと、ねー」

 リコルに向かってスクラがウインクしてみせるのと同時に、いつの間に取り出したのか、スパイルは猟銃をスクラの眉間にゴリゴリと押しつけている。

「その頭……風通しを良くすれば、少しはすっきりするんじゃないか?」

「ジョーダンきついって、スパイル」

 ロズはあきれた顔で二人のやりとりを止めようともしない。

 猟銃が店内のランプの光を跳ね返し、ハルバナはハッとして目を開いた。

「その猟銃、まさかあなた、オッドアイのスパイル?」

 彼女の言葉に、スパイルはぴたりと銃を納め、ため息混じりに頭を掻いた。

「その呼び方は好きじゃないんだがな」

「でも、オッドアイって? 両方金色の目だけれど……」

 首をかしげたフランソワを、スパイルが一瞥すると、彼は少しまごついて目をそらした。

「スパイル、もう少し笑いなさい? 怖いじゃない」

「別に睨んでる訳でもないんだが」

 ロズがたしなめるように言うと、スパイルは依然無表情のままでとりあえずカウンターのイスに腰を下ろした。それに続いて一同もカウンター席に集まったが、どう見ても奇妙な会合だ。

「あなたってばいつもそうよね。無表情か、眉間にしわが寄っているかのどっちか」

「でも、悪いことばっかりじゃないんだよ、お姉さん。この微妙な変化を見て楽しむっていう」

 ロズとスクラの話は取り留めもない方向にそのまま進んでしまいそうで、誰もが開いた口がふさがらずに本題を忘れてしまいそうだった。

「えーと、ロズ。盛り上がって来たところで悪いんだけれど、そろそろ事情を説明してくれないかな」

 ジオが一つ咳払いをした後、そう切り出すと、皆の視線がロズに集まった。聞きたいことは誰しも山のようになっている。どこから説明したらいいかと、ロズは少しあごに手をやって考えた後、にこやかに微笑んでグラスをカウンターに並べた。

「まず、少し飲みましょう? それからみんなの自己紹介」

 手際よくグラスに飲み物が満たされてゆくのを、一同は黙って見ていたが、それにロズがふきだす。

「ちょっと、やだ。お葬式じゃないんだから。ほら、みんな。笑顔、笑顔」

 雰囲気のよいランプが照らす室内で、和やかなのはロズとスクラくらいだったが、全員の手に、取り合えず、グラスは行き渡った。それに満足したようにロズがニコリと笑う。

「まずリコルちゃんは、はじめまして、ね。スクラから少し聞いているわ」

 名前をいきなり呼ばれて、リコルは目をパチパチさせたが、ロズの笑顔につられて彼女も照れたように笑った。

「それで、ロズ。そこの赤い髪のヘラヘラした奴は何なんだよ。それに、こっちの無表情とも知り合いみたいだし」

 いい加減待ちかねたように、フィニはスクラとスパイルを交互に指差して、ロズに説明を求め、フランソワたちも大いにうなずいた。

「そうね、まずそこから説明しましょうか。そっちの無表情男は、スパイル。ハンター兼便利屋みたいなものね。さっきハルバナが言っていたように、そこそこは名の知れたハンターなんだけれど……この可愛げのない感じが鼻につくわよね。いまどき術音痴って言うのもひどいと思うし」

 ロズがだんだん楽しそうに続けるものだから、スパイルはため息をそのまま吐き出すように言葉にする。

「おい、それは本当に紹介する気があって言っているのか?」

 何をどう切り返しても、結局は痛手になって帰ってくるだけなので、スパイルは完全にロズが苦手だった。

「というか、あんた。術音痴って……」

 高度な術ならいざ知らず、簡単な術は、少しの知識があればほとんど符にかかれた式を唱えるだけで発動できるはずである。フィニは信じられないという驚愕の顔でスパイルを見やるが、スパイルはもう完全に頭をうなだれて、流れるがままになっている。見たことのないスパイルの反応に、リコルは何故だか落ち着かず、必死になって援護の言葉を探した。

「でも、ほら、初めて会ったときの罠って、術がかかっていたよね……」

「あ、それ、俺の特別製」

 いつの間にか新しいグラスを持っているスクラがヘラヘラと笑いながら挙手する。カウンターの隅で肘をついて頭を抱えるスパイルは、だからここへ来たくなかったんだとぶつぶつとつぶやいた。

「呪文とか、発動式とか無しでも使える術を組んだ道具とかも売っているよ」

「スクラはあちこちフラフラしている行商兼情報屋よ。腕はいいんだけれど、女の子と見ると……ねぇ」

 ロズが苦笑しながらスクラの言葉を補足するが、最後の事はそこにいる誰もが、言わずもがな理解していた。

「まあ、二人とも悪い人じゃないのは保証するわ」

「さて、じゃあ、本題に入ろうか?」

 三つ目の空になったグラスをカウンターに置いて、スクラは全員を見渡した。先ほどまでのふざけた雰囲気はなくなっている。その急な変化に、スパイルとロズ以外はやや面食らったように、背筋を正した。スパイルは大きくため息をつくと、グラスを空にした。

「全部分かっているという顔だが、お前が仕組んだわけじゃないよな?」

「嫌だなぁ、スパイル。俺はそこまで悪趣味じゃないよ。今回は色々と偶然が重なったみたいでね」

 軽く咳払いをしたスクラは、演説でもするように説明を始めた。

 スクラがこの件に関わったきっかけは、この店でフランソワたちがロズから依頼を受けたのを聞いたことからだった。リコルの探し物が、今回の依頼の首飾りと似ているということがあり、少し聞き込みをすることにしたそうだ。

 最終的には婦人を知る人物から、件の首飾りはずいぶんと昔から大事にしていたものだという話を聞き、リコルのものではないと分かったのだが、街の人から話を聞こうと歩いているうちに、スクラは奇妙な点に気がついた。情報が無いのだ。人によっては、婦人の家に強盗が入ったことすら知らないと言う始末だ。そこで、スクラは宝石商を営んでいる知人を訪ねることにした。そこでも、強盗事件について目立った情報はなかったが、婦人の首飾りを欲しがっていた人物の話を聞くことが出来た。それはとある貿易商の男で、いくらでもいいから買い取らせてくれと、しきりに婦人に迫っていたらしい。結局のことろ婦人は、大事な家宝だからと断固断り、貿易商の男もしばらく前にあきらめたかのように、ぴたりと交渉をやめているそうだ。

「で、その貿易商が強盗を仕組んだって話? でもそれじゃあ、依頼が二つ出ていた説明にはならないよ」

 フィニがじれったそうに話の先を促した。

 最初は二つの依頼の存在を知らなかったため、スクラもフィニのような推論を立てたのだそうだ。しかし、知人の宝石商はもうひとつ大事な情報を提供してくれた。スクラと同じ話を、若い男が聞きに来たということだ。

 スパイルはその男に思い当たる人物がいた。駆け出しの仲介屋、ジャックだ。スクラも彼を訪ねたという。ジャックは、最初渋ったそうだが、スクラのことを先輩として慕っており、少し揺さぶればすべて吐いたそうだ。しかし、その内容は、スパイルに語った内容よりも、情報が多かった。

 ジャックの依頼人である貿易商は、賊に首飾りを盗まれたから取り返して欲しい、とだけ頼んだそうだ。スパイルの聞いた内容とほぼ同じだ。しかし仲介屋として、依頼人の話をすべて鵜呑みにしない、という、言わば危ない仕事を請け負う者としての常識にのっとり、色々と下調べをしたらしい。ジャックの調査でも、スクラの調べたときと同じように街に妙なうわさは無く、一見それは普通の依頼のように思えたらしい。だが、運がよかったのか、彼は宝石商で、依頼人と老婦人の話を聞くことが出来た。そこからプエルタに出入りする商人で依頼人に首飾りを売った人物がいないか調べたらしい。ところが誰一人として、依頼人に首飾りを売った者はいなかった。それでは、依頼人はいつどこで首飾りを手に入れたのか。

「なるほど……話は見えたな」

 スパイルは冷めた笑みを少しだけ口元に浮かべる。その表情は、笑みと呼ぶには殺気が混ざりすぎていた。

 つまり、喉から手が出るほど欲しかった首飾りが盗まれてしまった。それなら、その強盗から取り返すように見せかけて横取りしてしまえばいいという話である。ジャックのような未熟な仲介屋なら、うまいこと騙せると思ったのだろう。すべてを把握したジャックは、騙されたふりでスパイルに首飾り奪還を依頼し、おいしいところを持って行こうと思ってしまったという事だ。

「あいつはきつく叱っておいたからさ、今回は大目に見てやってよ。ね?」

 静かに殺気だっているスパイルに、スクラは頼み込むように手を合わせる。スパイルは眉間にシワを寄せるが、腕を組んで、小さくため息をついた。胡散臭い依頼だとは思っていたが、リコルのこともあり、つい安請け合いしてしまったスパイルにも責任がないとは言い切れない。

「次は無いと伝えて置け」

 その言葉に、スクラは笑ってうなずいた。

「じゃあ、スパイルは手を引くということでいいですね」

 切り出してきたジオに、スパイルは肩をすくめてうなずく。当然、ずる賢い貿易商の片棒を担ぐつもりはさらさら無い。

「じゃあ、手伝うよ!」

 その声に一番驚いたのはスパイルだった。目を無駄にキラキラさせて、イスから立ち上がったリコルを見て彼は、言葉通り、開いた口がふさがらなかった。散々言い聞かせたはずなのに、何故彼女はここまで、自分から面倒なことに首を突っ込んで行くのだろう。

「……お前の頭は……実は空洞なんだろ? そうだと認めてくれた方が、俺の心臓にはいいんだが」

 凍りついた表情のまま、スパイルはリコルを眺めるが、彼女はそれを冗談と受け取ったらしい、とてもいい笑顔で笑っている。

「ふふっ、ともかく。味方は多くて困ることは無いでしょ?」

「僕としては歓迎だよ。ね、みんな?」

 すっかり意気投合したリコルとフランソワはにこやかに話を進めるが、言葉をなくして固まったままのスパイルに、全員が心の中で同情した。そんなスパイルに気づいたのか、リコルは覗き込んで首をかしげた。

「そ、そんなに心配しなくても、大丈夫だよ。初めてのメンバーで、いきなりの仕事だけど、大丈夫だって!」

 リコルはスパイルを安心させようとしているのだろうが、その方向性はまったくずれており、スパイルの抱えている不安や不満を和らげることは無かった。



 夜はいっそう深まり、空気は静かに冷え込んでいた。重なり合う木の葉の隙間を風が撫でてざわめかせて行く森で、三つの影が遠巻きに建物を伺っている。

「まさか、一晩で二回もここに来る事になるとは思いませんでしたよ」

 ジオが声をひそめながらつぶやく。

「まったくだ……」

 心底そう思っているに違いないスパイルは猟銃を構え、建物付近をぐるりと見渡して構えを解く。しばらく沈黙が続き、雲が月明かりも隠した。合図はまだ無い。彼らの少し後ろに、ハルバナは膝を抱えて腰を下ろしていた。

 一番体が小さく身軽なリコルと、それについで体の小さいフランソワが、崩れかけた床の通風孔から侵入して、内部を偵察する。ラリーとフィニは建物の近くで、内偵の情報を待ち、突入するとなれば、後援のスパイルとジオに合図を出すことになっている。

 この配置を決めるにあたり、リコルが建物に侵入することにひと悶着あったことは当然だが、進入するためには小さくなければいけないということから、リコルとフランソワのタッグしかないという決定に至った。ハルバナは小さく唇をかみ締める。

「ねえ、スパイル。リコルを行かせてよかったの?」

 再び顔を見せた月明かりを、振り返ったスパイルの目は冷たく金色に反射している。一瞬だけハルバナを見たが、スパイルはすぐに建物へと視線を戻した。

「あいつは強情でな。言い出したら聞かない。……それに、諦めるということを知らないらしい。無茶だということを、あっさりやってのける」

 背後からではスパイルの表情はうかがい知ることが出来ず、ハルバナは視線を落とした。また、風が一陣走ってゆく

「……うらやましいな……」

 木々のざわめきに消されそうなほど小さく、ハルバナはつぶやいた。



 クモの巣の張られた通風孔を、手で掻き分けながら、フランソワは進んでいる。リコルはその後に続く形で、二人とも息を殺しながら慎重に這い進んだ。

「大丈夫?」

 小声でフランソワがリコルを確認すると、リコルは笑って親指を立てる。このくらいのクモや虫なら、田舎育ちのリコルは平気だった。少し進んだところで、床板の隙間から明かりが漏れているのが見えた。数人の話し声も聞こえる。

 隙間から目を凝らしてあたりを伺うと、そこはリビングのようであった。男が四人、なにやらテーブルを囲んでゲームに興じているようだった。

 フランソワはリコルと目配せし、小さくうなずくと、ポケットから一枚の術符を取り出した。

「トゥーウェリンゲン(対なるものよ)」

「こちらフィニ、どうだ?」

 フランソワの術符が小さく震え、対の符を持ったフィニの声が聞こえる。

「相手は四人ともリビングに固まっているみたい」

 床板の隙間から様子を伺っていたリコルは、フランソワを制止した。男の一人が何かを探すようにあたりを見回している。しばらく息を殺して見守る二人の小さな心臓は、それぞれが大きな音を立てているのではないかと思えるほどに脈打っていた。

 やがて男は、頭をかいてまた元のようにテーブルに顔を戻し、二人は胸をなでおろした。

「フランソワ、リコル。大丈夫か?」

「なんとか。でもどうやって乗り込んだら……」

 声をひそめながら思案する、フランソワに、リコルはある案を提示した。その手には一匹の大きな黒い蛾がおとなしく捕まっている。

「スミヒトリガ。さっきそこにいたの。ここの明かりって、カサの無いランプひとつでしょ。この蛾は羽を広げたら大きくて、よくロウソクとかに飛び込んで火を消しちゃうの。だから、ここの明かりも消してくれると思う」

 ウインクすると、リコルは板の隙間からスミヒトリガをそっと差し入れた。少しの後、やはり大きな蛾に男たちは気づき、叩き落そうとするが、フラフラと飛び回る蛾を誰も捕らえることが出来ず、ついには火に飛び込むと一瞬燃え上がり、明かりを消してしまった。

「フィニ、ラリー、今だ!」

 合図をすると、近くで待ち構えていた二人が部屋に飛び込んだ。いきなりの事態にうろたえた男たちはラリーの拳やら蹴りやらを食らい、倒れ、最後にはフィニの捕縛用の術が彼らを絡めとる。

「おい! 一人少ない! どこだ!」

 叫んだのはラリーだ。フィニもラリーも動きをやめ、バッとあたりを見渡し耳を澄ますと、床板の軋む音が続き、裏玄関がガタンと開け放たれた。

「透明化の術符か!」

 フィニの声は悲鳴に近かった。通風孔に隠れていたフランソワとリコルも部屋に出てきて見渡すが、確かに一人、逃げられてしまっている。短く舌打ちをして、フィニは新たな術符を取り出し叫ぶ。

「バーディガン!(出でよ、鳥よ)」

 フィニの意思に反応して現れた鳥は、一直線にジオの元へ向かった。

「ジオ、一人取り逃がした。透明化の術を使っている。いつまで持続するか分からないが、森に入られたら厄介だ」

 早口に告げるフィニの耳に飛び込んできたのは、ジオの返事ではなく、スパイルの落ち着き払った声だった。

「俺には、『見えて』いる。安心しろ」

 一発の銃声が森にこだました。



 銃の構えを解いたスパイルの横で、ジオは呆然と固まっていた。フィニの通信鳥が告げた内容を理解するより先に、スパイルは状況を把握していたのだ。

「……これが……オッドアイのスパイル……」

 ハルバナが気迫に飲まれそうになりながら立ち上がった。当のスパイルは、いつもの愛想のない無表情で、遠くに倒れて足を抱え込んでいる強盗団の一人を眺めている。その右目は青白い月明かりの中で、滴る血のように赤く、燃える炎のように強い光を放っていた。

「……『神の紅玉』という眼ですよね……。すべてを見通す千里眼だと……本で、読んだことがあります」

 固唾を呑んでたジオが、ポツリと思い出したようにつぶやくのを、スパイルは苦々しげに切り捨てた。

「悪魔の呪いだ」

 鈍く痛みが走り、スパイルは、右目を押さえそのまま髪をグシャっと握る。

「ジオ、全員捕縛完了だ。首飾りも見つかった」

 ジオの肩に止まっている通信鳥がフィニの声で告げた。その声でジオはハッとわれに返り、撤収の号令をかける。ジオが再びスパイルを確認したが、すでにその目は元の金色に戻っていた。



 人のいない道の石畳を踏み鳴らし、スパイルとリコルは帰途についていた。フランソワたちも、道は別だが、宿へ戻ると言っていた。

「ねえ、スパイル」

「なんだ」

 ニコニコしながらリコルが声をかけるが、スパイルは立ち止まらず、歩く速度も落とさずに声だけを返す。それでもリコルは何故だか楽しそうだった。

「ありがとう」

 小さく告げられた言葉に、スパイルは小さくため息をついて頭を掻いた。宿まで黙ってあるくには、もう少し距離がある。

「……お前が勝手に無茶苦茶をやっただけだろう。放って置いても勝手に突っ走って行くだろうし」

 リコルはスパイルの顔を覗き込んで、少し微笑んだ。リコルの言いたかったお礼は、フランソワたちに協力してくれたことだけではなかった。普段なら受けないような、怪しい依頼でも、リコルのことを考えて引き受けてきてくれたことに、彼女は感謝を覚えていた。今回は結果的に大ハズレを引いてしまったわけだが、それでも、感謝の気持ちは変わるものではない。

 リコルの言葉が何を意味しているのか、まったく分からないスパイルでもなかったが、いつもどおりの仏頂面には「そんなことは知りません」と書かれている。

 リコルはクスッと笑って、自分もすまし顔で宿まで歩調をそろえて歩いていった。



 大騒動の一夜から明け、やっと落ち着いた朝を迎えたスパイルだが、その目覚めは最悪だった。術で構成された鳥が部屋の中を飛び回り、返事をするようにとうるさく催促していたのだ。

 もちろんスパイルが召喚したはずも無く、仕方なく体を起こして返事をすると、聞き覚えのある声で鳥はしゃべり始めた。

「あ、聞こえてますか? ジオです。どこに宿を取っているか聞いていなかったので術を使ってしまいましたよ」

「……で、なんだ?」

 頭をガリガリと掻きながら部屋を見渡すが、リコルは神経が図太いようで、鳥の声にも目を覚まさず健やかに隣のベッドで眠っている。

「ちょっと話がありますので、今日のお昼ころ、ロズのお店に来てください。あ、通信がそろそろ切れますので、ではまた後で」

 小さな光となって、鳥が姿を消し、スパイルはため息とともにベッドに頭を沈めた。

「こっちに選択肢は無いのか」



 あまり気乗りはしなかったが重い足を引きずりつつ、スパイルはロズの店へ向かった。ついてくるリコルは、なんだかいつにも増して楽しそうで、スパイルはため息をこぼした。

「いらっしゃい」

 ドアのベルが鳴るのと同じくらいか、ロズの声が聞こえる。が、それよりも店内が騒がしかった。

「なんで俺なんだよ! んなの、ジオでいいじゃんか」

「ラリー、観念しなさい?」

「そうだよ、いつまでも根に持つなんて良くないよ」

「まったく、ラリーは本当にそういうところがお子ちゃまだよなー」

「で、みんな。スパイルとリコルが、来たみたいだけど」

 ジオが、暴れるラリーと皆に向かってにこやかに告げると、全員がぴたりと静まって、視線は自然とラリーに集まる。彼は内なる何かと葛藤するように固まっていたが、ついにはガクッと肩を落とした。

「くそっ!」

 勢いをつけて体を起こすと、ズンズンとスパイルのほうに向かってラリーが距離をつめる。リコルは一瞬、昨夜の続きかと思い、息を呑んだが、スパイルの目の前でラリーが止まると、ひとつの封筒を押し付けた。

「これは……果し状か……?」

 スパイルのもらした一言を、誰もが納得してしまったが、ラリーは顔を真っ赤にして怒鳴った。

「んなことあるかっ! 今回の謝礼金の一部だ! ったく!」

「ほら、ちゃんと言えよ。協力してくれてありがとうって」

 後ろから笑いながらフィニが声をかけると、ハルバナも笑いだした。

「そうよ、仲直り。ね?」

「なんで俺ばっか!」

 ラリーが叫びだす頃、スパイルはやっと状況が飲み込めた。ツイッと歩み寄ってきたハルバナは、スパイルの横にいたリコルの手をとって微笑む。

「昨日は色々とありがとう。これからも、もし何かあったらお互いによろしくね」

「もちろん!」

 リコルは握った手をブンブンと振り回さん勢いで握手を交わした。

 まだ開店時間ではないのか、客のいない店内で、ラリーとフィニの言い合いは収まる様子は無かった。スパイルはちらりとロズの方を伺うが、いいんだというように彼女はウインクを返してきた。

 ずいぶんと賑やかな知り合いが出来たものだと、スパイルはため息混じりに苦笑するしかなかった。



〔了〕

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