第九十一話 おひとよしは夢を見る
枝葉の間から注ぐ夕日が指差す先に、カヌヌはふらふらと歩み寄った。
無名諸島に数多群生する樹種の中でも特に丈夫なことで知られる黒檀の枝の先に、虎の骨から削り出した刃を括りつけ、螻蛄首に赤い飾り紐を結んだ槍。
石突を飾る金の輪は、持ち主が族長の身内であることの何よりの証だ。
つまりこれは、まぎれもなく試練に出たまま戻らなかった父の槍。
ワイレレ島の禁足地──人蛇の森の奥深く、ついに太古の祭壇に辿り着いたカヌヌは茫然と、その上に置かれた槍を手に取った。
何故、失踪した父の槍がこんなところにあるのだろう。
彼は試練に失敗し、だからこそ定められた期日までに戻らなかったのでは?
確か父が精霊を通して神から与えられた試練は、人蛇に会って祖父の病を癒やす方法を聞き出すことであったはず……。
だが父の槍が祭壇に置かれていたということは、少なくとも彼はここに辿り着いたのだろうか。神に選ばれた者だけが辿り着けるという伝説の祭壇に。
なのに人蛇と会うこと叶わず……否、あるいは彼らに殺された?
禁忌の地に無断で足を踏み入れたから?
あるいは人の血に飢えた彼らに襲われて……?
「──スワガット・ヘィ、ラナキリ・バッチャー」
ところが刹那、我を忘れて槍に見入っていたカヌヌの耳に、背筋を舐め上げるような声が聞こえた。囁きに似て、ところどころ牙の間から息を抜くような発音が混じる、奇妙で耳慣れない声だ。カヌヌは全身に鳥肌が立つのを感じながら、とっさに父の槍を祭壇へ戻し、自前の槍を構えて振り向いた。
が、直後、全身からぶわっと汗が噴き出し、目を見開いたまま動けなくなる。
何故ならそこでは、四年間世界のあちこちを旅したカヌヌでさえ見たことのない生き物が樹木の枝にぶら下がり、ニィッと裂けるように笑っていたから。
〔な……人蛇、様……!?〕
人間によく似た上半身に、長い長い蛇の胴を持つ奇怪なイキモノ。
否、無名諸島では海の神の化身と信じられている亜人。
──これが人蛇族。
幼い頃から幾度となく伝承に聞いていたものの、本物を目にしたのは生まれて初めてのことだった。不気味な斑を描く下半身を枝に巻きつけ、逆さまになりながら金色の眼を細めたその亜人は恐らく女だ。何故なら大陸の人間とも、島の人間とも違う黄色味の強い上半身は丸裸で、ふたつの乳房が露出している。
ということは人蛇は人蛇でも女人蛇。普通の蛇の雌雄は一見しただけではとても分からないが、人蛇のそれは非常に分かりやすいな、などと頭の片隅で軽い現実逃避をしながら、カヌヌはごくりと唾を飲んだ。
次第に夕闇が迫りつつある森の中で、女人蛇の瞳は怪しく弧を描いている。
十日ぶりに現れた新たな獲物を喜んでいるのか、あるいは品定めしているのか。
眉のない両眼はまさしく爬虫類で、金色の結膜の真ん中に瞳孔という名の細い亀裂が走っている。人間のものより広く裂けた口からチロチロと覗く舌は先端が二叉に分かれていた。神の化身と呼ぶにはあまりにおぞましく、ひと目見ただけで生物的本能が畏怖という名の警鐘を鳴らし出す。
だが今すぐ逃げ出したいほどの恐怖とは裏腹に、カヌヌの素足は地に張りつき、もはや一歩も動けなかった。
まさにハノーク語で言うところの〝ヘビに睨まれたカエル〟というやつだ。
そもそもここで彼女に襲われたとて、カヌヌには抵抗の術がない。何故なら相手は島民が神と崇める種族であり、手を上げるなど言語道断なのだから。
〔な……人蛇様、許可なくあなた方の森へ立ち入ったこと、どうかお許し下さい。ですが私は精霊の導きによってここへ来ました〕
ゆえにカヌヌは告げると同時に槍を手放し、諸手を上げた。こちらには敵意がないことを示すためだ。だが、そもそも人蛇には島の言葉が通じないと聞いている。
彼らが話す言語は独特で、話し合いによる意思疎通は不可能。
ゆえに島の人間たちは古の時代から、生贄を捧げて許しを乞うことしかできなかったそうだ。実際、先刻聞こえた不気味な言葉もまるで理解できなかったし。
(だけど霊樹は、ルルさんを彼らのもとへ送り届けろと……あの子をここへ連れてくれば、何か特別なことが起こるんじゃないか? たとえば、ルルさんなら人蛇様とも意思の疎通が図れるとか……)
と緊張のあまりぐっと搾り上げられるような感覚に陥る頭で、カヌヌは必死に考えた。同じく精霊の導きを受けてここへ来た父が戻らなかったことを思えば、どんな理由があれ、自分もまた彼らの餌にされてしまう可能性は否めない。
だが、だからこそ今は襲われないための最善を尽くし、奇跡が起きるのを祈る他なかった。そう、昨夜霊樹を目覚めさせるという奇跡を起こした少女がもう一度、新たな奇跡を起こしてくれることを──
〔……あれ?〕
が、そこでカヌヌはようやく気がついた。というか思い出した。
──そう言えば、ルルさんってどこに行ったんだっけ。
祭壇で父の槍を見つけた衝撃と、人蛇に遭遇した衝撃が相次ぎすっかり失念していたが、確か自分は突然駆け出したルルを追いかけてここへ至ったのではなかったか。しかし付近に彼女の姿は見当たらない。
ルルはずっとカヌヌの前を走っていたから、ひと足先に森を抜けたはずなのに。
(いや、でも、そう言えば)
カヌヌが森を抜ける直前。
思い起こせば、ルルの悲鳴が聞こえた気がした。
だから自分は槍を抜き、全速力で木立の間を駆け抜けたのではなかったか。
なのに一瞬もルルの姿を見かけなかったということは……。
「……」
さっきまでとはまったく違う種類の汗が、ダラダラと全身を濡らすのを感じた。
そうしながらカヌヌはぎこちない動きで顔を上げ、周囲の森に目を凝らす。そして失神しそうになった。何故なら自分はいつの間にか大勢の人蛇に囲まれている。
あちらにもこちらにも、木々から逆しまにぶら下がったり、枝の上に寝そべったりした人蛇がいて、全員が興味深げな眼差しをカヌヌへ注いでいるではないか。
「……! ルルサン……!」
ところが暗転しそうになる意識を辛うじて繋ぎ止めた刹那、カヌヌは見つけた。
ルル。いた。木の上だ。カヌヌが最初に目撃した女人蛇とはまた別の、波打つ緑の髪をした女人蛇に抱えられ、宙ぶらりんになっている。
気を失っているのか四肢は力なく垂れ下がり、うなだれている状態だ。カヌヌは息を飲むと同時に槍を拾った。そうして再び身構えながら必死に声を張り上げる。
〔ル、ルルさんを……ルルさんを放して下さい!〕
言葉が通じないと分かっていながら、しかしカヌヌにはそう叫ぶことしかできなかった。ひょっとして人蛇たちは、村の霊術師よりも強い霊力を持つルルの魂を欲しているのではないか。だとしたらこのままではルルが彼らに食べられてしまう。
否、あるいは霊樹は彼女を人蛇への生贄とすべく遣わせたのか? 人を生贄とする風習が絶えてから、長らく好物の血を口にしていなかった彼らのために──
〔落ち着きなさい、ラナキラの子よ〕
最悪の想定が脳裏をよぎりかけ、カヌヌは息を詰まらせた。
が、直後、背後から聞こえたクプタ語に驚いて振り返る。
と同時に仰け反りそうになった。何故なら一体いつからそこにいたのか、父の槍が置かれた祭壇のすぐ向こうに新手の人蛇がいたためだ。
手を伸ばせば確実に届く距離。しかも三人。ゆえにカヌヌは思わず一歩退いた。
だが新たに現れた人蛇はあちこちで木からぶら下がり、クスクス笑っている他の人蛇たちとはどこか違う。先頭にいるのは女人蛇、後ろに控えているのは男人蛇だ。男人蛇の方は大陸で舶刀と呼ばれるのによく似た幅広の曲刀を携え、射抜くような視線でカヌヌを見据えている。
一方、彼らよりも手前に佇む女人蛇は、他の女人蛇にはない特徴を持っていた。
というのも額や頬、腕や乳房に、戦化粧に似た赤い紋様が描かれていて──否、あるいはあれは黥かもしれない──見る者に神秘的な印象を与える。
また鱗の一枚一枚が緑玉でできているかのような蛇の下半身も美しく、カヌヌは不覚にも束の間見とれてしまった。
〔よくぞ愛し子を届けてくれました。我が名はキヴィティ。其方らが〝人蛇〟と呼ぶ一族の長です〕
しかしほどなく我に返ったカヌヌは、女人蛇が紡ぐ言葉を聞いて絶句した。
今のはまぎれもなく、カヌヌら無名諸島の民が使うクプタ語だ。ということは先刻話しかけてきたのもこの女人蛇──キヴィティと名乗った──だったのか。
されど人蛇は独自の言語を操り、意思の疎通ができないという話では……?
「キヴィティ・ヂィ・アパナーム・ヴァターヤ。クリペヤ・アパナーム・ムジェ・ヴィ・ヴァタイン」
ところが脳裏に浮かべた疑問に答えるかのように、突然、武器を手にした男人蛇がすごんだ声を上げた。妖艶な色香をまとう女人蛇とは裏腹に男人蛇はどちらもいかつく大柄で、睨まれるとまた竦み上がってしまいそうだ。
だが彼の話す言葉はやはりカヌヌには理解不能だった。ゆえに槍を構えたまま困惑していると、真っ赤な紅が塗られた口角を持ち上げてキヴィティが笑う。
〔彼らは長たる妾が名乗ったのだから、其方も名乗れと言っています。念のため、名を尋ねてもよいですか?〕
〔カ……カヌヌ……ラナキラ族のカヌヌといいます〕
〔そう。〝カヌヌ〟……やはりサガドの息子で間違いありませんね〕
〔……! ど……どうして父様の名前を……!?〕
〔サガドの魂を喰らったからです。ゆえにあの男の記憶はすべて妾の中にある。其方の一族が置かれた状況についてはおおよそ理解しています。そして其方が父を追い、この地へ辿り着いた理由も〕
キヴィティの答えを聞いた瞬間、ふっと手から力が抜けて、カヌヌは槍を取り落とした。立ち尽くした頭の中に、たったいま耳にしたばかりの言葉が谺する。
──サガドの魂を喰らった。
キヴィティは確かにそう言った。
つまり父は──サガドはやはり喰われてしまったのだ。ここにいる人蛇たちに。
祖父を救うため決死の覚悟で訪れた、人知れぬ森の奥で……。
〔……父は、あなた方に槍を向けたのですか〕
ほどなく絞り出すような声でカヌヌは尋ねた。
〔いいえ。彼はひれ伏し、こう言いました。〝病に倒れたラナキラの長を救う方法を教えてほしい〟と〕
キヴィティは眉の代わりの赤い黥を、ぴくりともさせずそう答えた。
〔だったら……だったら、どうして……!!〕
〔其方らの長を救うためには、そうする必要があったからです〕
〔え……?〕
〔ラナキラの子、カヌヌ。其方もまた長を……いいえ、一族を救うために来たのでしょう。ならばひとつ試練を授けます。それに打ち勝つことができたなら、其方の父が望んだものを差し上げましょう〕
カヌヌは依然として、瞳を見開いたまま立ち尽くすことしかできなかった。
父が望んだもの? つまり、祖父を死の淵から救う方法……?
確かに祖父の病が癒えれば、ラナキラ族は再び立ち上がれるだろう。
祖父は一族の歴史の中でも飛び抜けて勇敢で智恵のある長だ。
彼がひとたび目を覚ませば、もはや敵対部族など恐るるに足りない。
自分が長になるよりずっと確実に、一族を勝利へ導けるだろう──けれど。
(……爺様が生き返れば、島を守るのに鰐人族の力は要らない。そもそも爺様は鰐人たちをひどく憎んでる。あの人が長のままでは、彼らと手を取り合うなんて絶対に不可能だろう……たとえ試練を生き延びて帰っても、爺様が生きているのなら、みんなは僕を長と認めないに決まってる。爺様は長として、ずっと皆に仰がれてきたのだから……)
森を包む夕闇が忍び寄るように濃さを増していた。されどカヌヌは身動きができぬまま、じっとりと濡れた額に手を当てる。クムが授けてくれた魔除けの加護もいつの間にか消えかけていた。ゆえにカヌヌは黙り込み、惑う。
キヴィティの話を信じるならば、父は祖父を救うために命を賭けた。
そうして父が遺したものを人蛇は預かり、カヌヌへ手渡そうとしている。
ならばここで彼らの言う試練とやらを拒む理由はないはずだ。
父の死を無駄にはできない。だが祖父が息を吹き返したら、カヌヌの目指す無名諸島の平和がまた遠のくのではないか?
グニドが手繰り寄せてくれた一縷の望みが、潰されてしまうのではないか……。
(……爺様はもう高齢だ。たとえここで命をつないだところで、あとどれほど生きられるかも分からない。だったら、いっそ──)
──ここで祖父を見殺しにして、理想を叶えるための足がかりにしてはどうか。
カヌヌの耳にするりと入り込んだ悪霊が、そう囁くのが聞こえた。
ああ、駄目だ。やはり魔除けの加護が弱まっている。
けれど悪霊の言うことももっともだ。無名諸島で暮らす十一の部族の中で、最も強い発言力を持つラナキラ族。その長の座に、病的なまでの排他主義を貫く祖父が居座っている限りカヌヌの望みは叶わない。が、もちろん祖父には世話になった。
無益な争いを嫌うあまり〝お前はそれでも戦闘部族の子か〟と何度も厳しく叱られはしたけれど、最後には獣人隊商と共に旅に出ることも許してくれたし、いずれ長を継ぐ末の孫として慈しまれた記憶もある。家族としての情も、敬慕の念も。
だから、祖父を救いたいという気持ちにも嘘はない。
叶うことなら精霊が許す限りの長生きをして、立派な長の手本であってほしい。
そしてもっと欲を言えば、共に無名諸島の平和を築いてほしい。
カヌヌの理想に祖父の智勇と人望が加われば百人力だ。
祖父の救済と夢の実現。どちらも叶えられる唯一の道。
でも、果たしてそんなことが可能だろうか。自分に叶えられるだろうか。
物心ついた頃から臆病者と後ろ指をさされてきた自分に。
理想ばかり口にしながら、結局まだ何ひとつ叶えられていない自分に──
『まあ、あんたがどうしてもって言うならそうすればいいんじゃない』
されど、刹那。
悪霊の囁きに塗り潰されかけたカヌヌの脳裏に、ひと筋の記憶が差した。
『それがあんたの誇りなんでしょ』
あの日、凍え死ぬかと思うほど寒かった、遠い北国での夜のこと。
『大丈夫。アンタならできるよ、絶対』
そして、自分を信じ見送ってくれた、かつての仲間たちの──
『四年も一緒に旅したアタシが言うんだ、間違いないよ』
カヌヌは獣人隊商が大好きだった。
だから叶えたいと思った。彼らの理想、彼らの夢、彼らの願い、そのすべてが、いつしかカヌヌ自身の望むものになっていたから。
〔やります〕
そこに思い至った瞬間、カヌヌの中の迷いは消えた。
にわかに燃え上がった覚悟の炎に焼け出され、悪霊が退散していく。
〔父様の願いと、僕の願い。どちらも叶えるために、僕はやります〕
キヴィティが金色の眼をすうっと細めた。
耳まで届くのではないかと思うほど裂けた微笑はしかし、怖くない。
〔よくぞ決意しました〕
まるでカヌヌの心中などすべてお見通しのようにキヴィティは言った。
〔しかし、我々の課す試練は厳しい。覚悟なさい。決して生きて帰れる保証はないことを〕
〔はい。望むところです。ですが、キヴィティ様。試練の前にふたつだけお尋ねしてもよろしいですか?〕
〔許可します〕
〔まず、あそこで女人蛇様に捕まっている少女のことなんですけど……〕
と、未だ樹上で宙ぶらりんになっているルルを指差したカヌヌは、再び冷や汗が額を濡らすのを感じながら口を開いた。何故ならルルを無事に連れて帰らないと、グニドに頭からかぶりつかれてしまうからだ。そうなったらせっかく試練を乗り越えて戻ったところで、結局カヌヌを待つのは死。けれどカヌヌは、どうせ死ぬなら為すべきことを為したあとで、苦しまず安らかに死にたい。
〔あの、僕が試練を乗り越えたら、彼女のことも無事に返していただけますよね? えっと、その、彼女の安否は、僕の生死に関わるので……〕
〔ええ、もちろんです。ルルアムス……彼女をここへ招いたのは、ある儀式を行うためですから。それさえ済めば、彼女は無事にお返しすると約束しましょう〕
〔よ、よかった……あ、あと、もうひとつの質問なのですが〕
〔はい〕
〔人蛇族は神ではなく亜人ですよね? 僕がかつて目にした国々では、亜人は獣人と同じく、人間とは一定の距離を置いて暮らしていました。人馬族も人獣族も、時折人前に姿を現すことはあれど、決して人間の暮らしに干渉しようとはしなかった。なのにあなた方は、どうして島民を助けてくれるのですか? 僕たちがあなた方のためにできることなんて、ほんの時々、気まぐれに供物を捧げることだけだというのに……〕
それはカヌヌが、いつか人蛇と出会うことがあったら、一度尋ねてみたいと胸に秘めていた疑問だった。島の民は今も彼らを神の化身と信じて疑っていないようだが、ラッティたちと共に世界を見て回ったカヌヌは知っている。人間の上半身に獣の下半身を持つ種族。大陸では彼らを総じて〝亜人〟と呼ぶのだ。
そして実際に会ってみて確信した。
やはり彼らは、カヌヌがかつて旅先で出会った人馬族や人獣族と同じ種族だ。
確かに見た目こそ浮き世離れして神々しいが、まとう気配は亜人と同じ。
その肌の下には他の人類と同じ赤い血が通っていて、心臓を貫けばたちどころに息の根が止まるであろう、れっきとした生き物の気配。
だからこそカヌヌは疑問だった。
人蛇族の持つ霊力は熟練の霊術師をも遥かに上回るというあの噂が事実なら、彼らが邪魔な人間を淘汰して無名諸島を乗っ取ることは容易だったはず。
だのに彼らは今も森の奥でひっそりと息を潜め、でしゃばらず、人間が身勝手に差し出すわずかな生贄と引き替えに願いを叶えてくれる。生贄がなくたって、この豊かな島の自然があれば、彼らが暮らしに困ることなどないはずなのに。
〔……其方は聡慧ですね、カヌヌ。分からぬものを分からぬまま怯えたり、断じたり、崇めたりはしない。可能な限り真実を見つけ出し、取れ得る選択肢の中から最も正しいものを選ぼうとする。ですが我々は其方以外の、多くの人間にもそうあってほしいと願っているのです〕
〔僕以外の……つまり島で暮らすすべての部族たち、ということですか?〕
〔いいえ。もっと多くの、坤輿に満ちるすべての人類にです。鰐人族の占者が言っていたでしょう。〝我々は過去の遺恨を捨てて、手を取り合わねばならない。そういう時代がついにやってくる〟と〕
〔……! どうしてそれを──〕
〔我ら人蛇も同じです。大地にわずか残された〝はじまりの一族〟の力だけでは、来たるべき滅びのときを回避することはできない。ゆえに其方ら〝生み出されしもの〟を導き、未来を変えようとしている〕
〔……? アディム……?〕
〔フフ……今は分からずともよい。とにかく其方の抱く願いは、我らの願いでもあるということです。叶えるためならば助力は惜しみません。されどすべては其方に長としての覚悟と素質があればの話。ゆえに試すのです。其方が我らの希望を託すに値する人物であるかどうかを〕
依然妖艶な微笑を湛えたキヴィティにそう言われた刹那、カヌヌは身の引き締まる思いがした。今のキヴィティの話には一部聞き取れない言葉もあったが、しかし彼女らは人間と共存することで、何らかの未来を変えようとしているのだ、という主旨は理解できる。ならば喜んで試されよう。望み続けた理想のために。
そして自分を信じ送り出してくれた、大切な仲間のために。
クプタ語の翻訳があまりにも大変すぎたので表現方法を変更しました。
根性なしですみません……。
そして何気に連載6周年です。ご愛読大変ありがとうございます。6年間も亀更新のままで申し訳ありませんが、引き続きお楽しみいただけましたら幸いです。