第八十九話 きっと届く
「で、結局アタシらはどうしたと思う?」
宙を見上げてそう尋ねたラッティの声が、ぼんやりとあたりを照らす灯明かりの中を漂った。グニドがふと目をやれば、ふたりの足もとに置かれたランプには、小さな羽虫が何匹も群がっている。
それほど長い間、ラッティが語る獣人隊商の昔話を聞いていたのだと思った。
森の主たちと呼ばれる苔生した巨木の上。ラナキラ族の祈祷師たるクムと共に〝聖域〟へ向かった、ルルの帰りを待つ夜のことである。
「ムウ……オマエ、ユーリ、見捨テナイ。ダカラ、村、戻ッタ。違ウカ?」
普通の樹木の幹ほどもある巨木の枝に腰を下ろしたまま、グニドはさして悩みもせずに答えた。相手が人間であれ獣人であれ困っている者を見かけたら放っておけない。ラッティがそういう気質の持ち主であることは、実際に助けられたグニドもよく知っている。すると頭上にぽっかり開いた森の口から月を眺めていたラッティが、にわかにクッと苦笑した。かと思えば、いつものように結われていない狐色の鬣をガシガシ掻いて、そっと小さく息をつく。
「ご名答。……カヌヌのあんな言葉聞いたら、余計にさ。やっぱほっとけないよなって気持ちになっちゃって。で、戻ったんだよ、ケルッカ村に。売れ残った食糧全部引っ提げてね」
「ユーリハ、歓迎シタカ?」
「それがサ。アタシもてっきり、最初は邪険に突っ撥ねられるんじゃないかと思ってたんだよね。キーリャが散々憎まれ口叩いたあとだったし。けど、アタシらが会いに行ったら……ユーリさん、急に泣き出しちゃって。なんていうか、張り詰めてたもんが切れたって感じだったな。たぶん、死ぬほど寂しかったんだと思う。故郷が滅ぼされてから、ずっとひとりきりだったところにアタシらと出会って……人肌のあったかさってもんを、嫌でも思い出しちまったから」
「……」
「ま、人肌って言ってもカヌヌ以外は獣人と半獣だったんだけど。だけどそのあとからは、ユーリさんも丸くなってね。村の復興に協力したいって言い出したアタシらを、喜んで迎えてくれた。キーリャとはちょっと気まずそうだったけど……キーリャも昔、同じように故郷を失った過去があるんだって話したら、ごめん、って、謝ってた」
──故郷に定住もせずふらふらしてる獣人風情が。
かつてキーリャの事情を何も知らずにそう罵ってしまったことを、ユーリは心から恥じていた、とラッティは言った。自分と同じかそれ以上に故郷を愛し、苦しんだキーリャにぶつけてよい言葉ではなかったと、真摯に頭を下げたそうだ。
だが同時にユーリは、以前のキーリャの憎まれ口が、自分を救うための助言だったのだと気がついた。ゆえに誤解が解けてからは常にキーリャを目で追い、彼女を気にかけるようになっていったと言う。
「ま、そんなことがありながら、アタシらはケルッカ村でひと冬を明かしてさ。数年ぶりに過ごす北の冬はさすがに厳しかったけど……今になって思い返すと、楽しかったよ。寒さに凍えながら、みんなでああでもないこうでもないと試行錯誤して、助け合いながら乗り切った。おかげで雪が溶け出す頃には、どうにか人が住めそうな環境も整ってたしね」
不格好ながらも最低限の暮らしは営めるであろう小屋がいくつかと、煤を払った畑。建て直した家畜小屋に、生活に必要な大小の道具や資材。
そういったものがある程度揃った頃、ついにラッティたちの危惧していた事態が起こった。雪解けを待っていたエレツエル神領国が再びピュリュリンナ城主国への侵攻を開始し、進路上にある町や村を壊滅させていったのである。
ところが街道からはずれた山間に佇むケルッカ村は、幸いにして神領国軍の襲撃を免れた。前年の侵攻で村が焼き払われたあとだったから、エレツエル人も何も奪えるものがない土地をわざわざ襲うほど暇ではなかったということだろう。
だがそうして神領国軍に見向きもされなかったことが、村に幸運を呼び込んだ。
というのも戦によって住む場所を追われた難民がケルッカ村へ流れ着き、助けを求めてきたのである。
再興の真っ只中だった村には満足な食糧も家畜もなかったが、ラッティたちの手で耕し直された畑は農作が可能な状態になりつつあった。加えて村の湖に船を出せば貝や魚が獲れるので、どうにか口を糊することはできる。
さらに難民の中には数頭の家畜を連れて逃げてきた者もいて、それをケルッカ村で繁殖させようという話になった。
もともと牧畜の村だったケルッカ村は、家畜の飼育に向いていたのだ。
精霊はラッティたちの想いに応えた。気づけば村には十数人の村人が集まり、彼らを助けたユーリを長として、ひとつの群が出来上がりつつあったという。
「アタシらはほら、獣人だからサ。最初の難民が村に流れ着いたあたりから、森に隠れて村の様子を窺ってた。ユーリさんはとっくにアタシらを仲間として認めてくれてたけど、他の人間はそうもいかないだろ。村に獣人がいると分かれば、エレツエル人がまた攻めてくると怯える人が出るかもしれない。そうなりゃせっかく村に集まり始めた人たちが、また出ていっちまうかもしれないと思って」
「ムウ……ダガ、オマエタチ、村、救ッタ。ソイツラガ、村ニ住ムコトデキル、オマエタチノ、オカゲ。ナノニ、オマエタチ、嫌ワレルカ?」
「言ったろ。エレツエル神領国が北西大陸侵攻に乗り出したのは、連中が忌み嫌う獣人を匿った国があったせいだって。まあ、もちろんそれだけが理由ではないんだけど、エレツエル人が獣人を目の敵にしてることは事実だったからね。群立諸国連合の人間にとって、アタシらの存在は災いの種だったのサ。だからアタシらは──ケルッカ村はもう大丈夫だろうって結論づけて、もとの根なし草に戻ることにした。つまり本来の獣人隊商にね」
そう言ってようやくグニドを振り向き、ラッティはニッと笑った。
今もどこかで苦しんでいる獣人のため、半獣のため、人間のために行商し、世界の果てまで旅をする。ラッティの言う本来の獣人隊商とは、そういうものだ。
ケルッカ村が無事に救われたなら、隊商はもうその土地での役目を終えたと言ってよかった。そもそもこれ以上村に留まれば、かえって悪い事態を招いてしまうおそれすらある。そう判断したラッティは、仲間たちとの相談の末、ついに村を去ることにした。だが、仲間の中にただひとり、村を離れることを悩む者がいた。
それが、キーリャだった。
「……アタシも薄々勘づいてはいたんだけどさ。キーリャはいつの間にかユーリさんに恋をしてたんだ。きっかけはユーリさんから告白されたことだったみたいだけど……以来ずっとユーリさんのことが気になって、村を離れ難いと思ったみたい」
「……ラッティ」
「うん?」
「〝恋ヲスル〟……トハ、ドウイウコトダ?」
と、グニドが先程から気になっていたことを尋ねると、途端にラッティが目を点にした。しかしグニドはこれまで〝恋〟などという言葉は長老からもヨヘンからも教わったことがなく、どういう意味を持つ人語なのか、まったく見当がつかなかったのである。
「ぶっ……あっはははははは!」
ところが問いを受けるや否や、突然、ラッティが丸出しのヘソを押さえて笑い出した。にわかに上がった哄笑にグニドがぎょっとしていると、やがてひとしきり笑った彼女は、目尻に浮いた涙を指先で掬いながら言う。
「あー、ごめんごめん。竜人にはまずそこからだったよね。〝恋をする〟ってのはつまり……アンタにも分かる言葉で説明するとすれば、人間のメスとオスがつがいになりたいと思うこと、かな。もちろん片方が一方的に恋することも多々あるんだけど、キーリャとユーリさんの場合はどっちもそう思ってたってことサ」
「ムウ……ナルホド。自分ノ、ツガイニ、望ムコト。ソレガ〝恋〟カ」
「そ。アンタら竜人には縁のない文化かもしれないけどね。人間の世界じゃこいつがちょっと厄介で……複数のオスがひとりのメスに恋をして、そのせいで戦争が起きたことまであるくらいサ。〝夫婦〟や〝結婚〟って概念がないアンタらの故郷じゃ、考えられない話だろ?」
「ム、ムウ……竜人モ、自分ノ卵、残スタメ、メスヲ懸ケテ戦ウコト、アルガ……竜人ノ戦イハ、オス同士ノ決闘ダ。メスハ、強イ者ノ卵、産ミタガル。ダカラ、決闘スル。ダガ、戦争マデスルノハ、馬鹿ゲテイル」
「まあね。他人の恋路のために殺し合いをさせられる身にもなってみろって話だけど、まあ昔から人間たちの間には〝恋は盲目〟って言葉があるくらい、恋ってのは人を惑わせるもんってわけ。で、キーリャもそんな恋の病にかかっちまってサ──隊商を抜けて村に残りたいって、言われちまったんだよね。村を出る前日に」
森のそこかしこで虫が鳴いている。雨のように絶え間なく降り注ぐその声の下で、足もとに視線を落としながらラッティは言った。
話を聞く前から分かっていたことだ。キーリャが獣人隊商を抜けて、人間と共に生きる道を選んだことは。されど闇の中でぼんやりと照らし出されたラッティの寂しそうな横顔を見たら、グニドは何も言えなくなった。
「正直言うと……ショックだったよ。キーリャはアタシたちよりもユーリさんと一緒にいることを選んだってことだから。でも、ケルッカ村の復興がようやく軌道に乗ってきた今だからこそ、ユーリさんを傍で支えたいって……いつになく真面目くさった顔で話すキーリャを前にしたら、アタシ、何も言えなくてサ。ひと晩考えさせてって、声を振り絞るだけで精一杯だった」
「ダガ、キーリャモ、獣人ダ。ナラバ、村ニ残ルコト、危険デハナイカ?」
「うん……アタシもそこが心配だったし、キーリャも分かってた。仮に村の人たちが受け入れてくれたとしても、間近に神領国軍がいたわけだしね。でも、キーリャは全部分かった上で……それでもユーリさんを支えたいんだ、って言った。ユーリさんがようやく見つけた希望を守ってあげたいって」
自分がかつて掴めなかった希望だからこそ。
ユーリがようやく掴んだひと握りの望みを取り零すことがないように、彼を傍で守りたいとキーリャはそう願ったのだろう。
しかしラッティは悩んだ。キーリャがユーリと離れ難いと思う気持ちと同じくらい、キーリャとの別れを受け入れられなかったから。
ゆえにいっそのこと、隊商ごとケルッカ村に定住する道も考えたそうだ。
けれどやはりどう考えても、神領国軍が駐留する群立諸国連合に留まるのは危険すぎる。仲間の命を守らねばならないラッティは苦悩し、考えに考えて──翌朝、仲間たちの前で、告げた。キーリャとはここでお別れだ、と。
「あのときは、そうするのが一番正しいと思ったんだ」
と、遠い目をしてラッティは言った。
「アタシもケルッカ村の行く末が気がかりだったしサ。生き延びる術に長けたキーリャが残るってんなら、村も安泰だろうと思って。何より、あんなに他人に無関心だったキーリャがサ。自分で決めたんだよ。誰かのために生きたいって。だから、そこにキーリャの幸せがあるのなら、アタシらは仲間として祝福するべきだと思った。人間と獣人が結ばれるなんて、獣人隊商にとってはこれ以上ないくらいめでたいことだったしね」
確かにそうだ。ラッティが今も獣人隊商を率いているのは、人間と獣人が少しでも歩み寄れる世界を作るため。ならばキーリャとユーリが〝恋〟によって結ばれたことは、ラッティの願いがひとつの形となって成就した、とも言えるだろう。
ゆえにラッティは決意した。自分の望みよりも、キーリャの幸福を優先することを。グニドは彼女の決断を、素直に英断だったと思う。
すべては仲間を想ってのことだったのだから。けれど、ラッティは、
「でもね、グニド。アタシは間違えたんだよ」
やがてぽつりと落ちた呟きが、グニドの瞳孔をきゅうっと細めた。
「アタシはあのとき、泣いて縋ってでも、キーリャが必要だって言うべきだった。そのせいでキーリャに恨まれたってよかったんだ。……キーリャを永遠に失う未来に比べたら、そんなもの、屁でもなかったんだから」
ほんの一瞬、光を浴びた猫の目のように細く鋭くなった瞳孔が、うつむいたラッティの横顔を映して徐々に開いてゆく。
「……キーリャハ、ヤハリ、モウイナイカ?」
「……」
「ダガ、ヴォルクハ、キーリャノコト、生キテイル、ト……」
「死んだよ、キーリャは。村の人に、ユーリさんの家へ押し入った強盗と間違われてサ。袋叩きに遭って、殺されたって。……キーリャのあとを追って自殺したユーリさんの遺書に、そう書かれてた」
グニドは絶句した。今のグニドならば理解できるはずの人語を、脳が竜語に翻訳し、理解することを拒んでいる。だって、キーリャが、殺された?
しかも、獣人狩りを押し進めるエレツエル人の手にかかったでもなく──彼女が心底救いたいと願って残ったはずの、ケルッカ村の人間の手によって。
「……アタシらも、ユーリさんの遺書に書かれてた以上のことは知らない。ただ、あの人がアタシらのために遺してくれた手紙にはこう書いてあった。キーリャはユーリさんと結ばれたあとも、ずっと隠れて暮らしてたって。獣人を妻に迎えたユーリさんが、村の人たちから迫害を受けなくて済むように」
「……」
「だけど、そうして村の人たちに知られずに暮らしてたことが仇になってね。ある日、キーリャは山で村を襲おうとしてる盗賊どもと出会した。そいつらから村を守ろうと、皆殺しにしたまではよかったんだけどね。人間を次々狩ってる姿を、たまたま居合わせた村人に見られちまったらしいんだ。で、村人は誤解した。獣人が人間を襲っているってね」
「……」
「で、村人は大慌てで村へ駆け戻ってサ。山に凶暴な豹人がいるって騒ぎ立てた。そして武装した住民を引き連れて、村長であるユーリさんのところへ押しかけたのサ。村を守るために山狩りをしようって提案しにね。だけど、そこには──」
興奮した村人たちが何の前触れもなくユーリの家へ押し入ったとき、そこには人間の血にまみれたキーリャがいた。恐らく彼女は森に盗賊が出たことを、その残党がまだ森にいるかもしれないことを、大急ぎでユーリに知らせに来たのだろう。
されど運命の悪戯だろうか。ユーリは運悪く、教会に呼ばれていて不在だった。
ゆえに村人たちは、さらなる誤解に駆られた。
すなわち凶悪な豹人が既に村長を亡き者にし、彼の家を物色していると。
「キーリャは、逃げようとはしたみたいだけど……村の人に武器を向けなかった。だから、最後は無抵抗で殺された。騒ぎを聞きつけたユーリさんが駆けつけた頃には、もう……顔も分からなくなってたって」
ラッティの声は震えていた。うなだれた肩も、膝の上で握り締められた拳も。
「キーリャはサ……ほんと、変なところでお人好しだったから……ユーリさんが愛した故郷の人たちに、手を上げられなかったんだ、きっと。ユーリさんがケルッカ村のためにどれだけの血と汗と涙を流したか、知ってたから。けど、結局……事件の一部始終を知ったユーリさんも、精神を病んで首を吊っちゃった。キーリャがあんな悲惨な最期を迎えたのは、村に引き留めた自分のせいだって……アタシらと一緒に行かせるべきだったって、何度も何度も、手紙にそう書き殴って」
そして、故郷を愛し続けた村長と、彼の傍らで人知れず村を守り続けた守り人を失ったケルッカ村は、ほどなく滅びた。ピュリュリンナ城主国を攻め滅ぼした神領国軍によって再び火を放たれ、二度と人が住めぬ土地に変えられてしまったから。
キーリャと別れた翌年の冬。ラッティたちは彼女と再会すべく立ち寄った村の跡地で、彼女の死と理由を知った。村が滅びたあともただひとり、ラッティたちを待って教会に留まり続けていた司祭からユーリの遺書を受け取って。
「……カヌヌハ、ソレヲ、知ラナイカ?」
やがて訪れた長い長い沈黙の果てに、グニドは尋ねた。
「ダカラ、ヴォルクハ、キーリャガ生キテイル、ト言ッタカ? カヌヌノタメ……嘘ヲ、ツイタカ?」
「……ああ。キーリャと別れてほどなく、カヌヌも隊商を抜けて故郷に戻ったからね。だから……カヌヌはキーリャのその後を知らない。アタシらも真実を知ったあとは、ずっと無名諸島を避けて通ってたから」
「……」
「けどサ……言えないだろ? キーリャがそんなひどい殺され方をしたなんて……キーリャとユーリさんが結ばれるきっかけを作ったのは、カヌヌだ。決めたのはアタシだけど、本当のことを知ればカヌヌだってそう思うに決まってる。だからアタシは、あいつに真実を言えなくて……どうするべきか迷ってるうちに、ヴォルクが嘘をついた。あいつはそうするのがカヌヌのためだと思ったんだろう。でも……」
くしゃり、と、うなだれたまま自身の鬣を掴んで、ラッティは唇を噛み締めた。
頭の上の狐耳は、力なく垂れている。
枝から垂れ落ちた尻尾も、未だに震える細い肩も。
「……でも、まだ迷ってるんだ。やっぱりあいつにも真実を告げるべきなんじゃないかって。だってカヌヌはこれから命懸けの試練に挑むんだ。そこでもしカヌヌまで死んじまったら……アタシはたぶん、あいつに嘘をついたことを一生後悔する。あいつだって、アタシらの大事な仲間なのに……騙したまま死に別れるなんて」
「……」
「けど、真実を言ったら言ったで、あいつを動揺させちまうかもしれないだろ。そのせいでカヌヌが試練に失敗したら本末転倒だ。だから……どうするのがあいつにとって一番の選択なのか、分からなくて……アタシはカヌヌを傷つけたくない。だけど嘘もつきたくないんだよ。それは昔の仲間に対する裏切りなんじゃないかって……そう思うから」
森のにおいを孕んだ風が吹いた。
〝聖域〟の入り口を飾る呪具たちが、揺れてカラコロと音を立てる。
精霊の声だ。そう思った。
ゆえにじっと耳を傾け、ひとしきり彼らの囁きを聴いたのち、言う。
「ラッティ。カヌヌハ、イイヤツダ」
「……え?」
「オレ、今日、初メテ、カヌヌト会ッタ。ダガ、ワカル。アイツハ、イイヤツダ」
「あ、ああ……そうだね。あいつは……あいつもとんだお人好しだよ。未だにアタシらのことを〝人生の先輩〟なんて言ってサ……」
「ウム。ダカラ、オレ、思ウ。カヌヌハ、ラナキラ族ノ、長ニナルベキダ。精霊モ、キット、ソウ言ウ。アイツハ、イイ長ニナル」
「うん……」
「ダカラ、ラッティモ、信ジロ」
「……信じる?」
「ソウダ。カヌヌ、キット、長ニナル。ダカラ、死ナナイ」
「……グニド、」
「コノ島、精霊ガ、トテモ沢山。ダカラ、精霊ガ、カヌヌ守ル。ソシテ、カヌヌハ、長ニナル。ナラバ、カヌヌガ、生キテ戻ッタラ、モウ一度、考エルト良イ」
ようやく顔を上げたラッティが、瞳を揺らしてグニドを見ていた。
こんなに不安げで弱々しい彼女を見るのは初めてかもしれない。
けれどだからこそ、グニドは笑った。
ラッティの背中をぽんと軽く叩きながら、大きく裂けた口の端を持ち上げて。
「オマエタチガ、嘘、ツイテモ、本当ノコト、話シテモ。カヌヌハ、オマエタチ、責メナイ。オレ、ソウ思ウ」
「……なんで? アタシらはカヌヌを裏切ったんだよ。それに……キーリャのことだって、間違えた。アタシがあのとき、キーリャを引っ張ってでもケルッカ村から連れ出してれば……」
「違ウ。オマエ、間違エテナイ。キーリャト別レタモ、カヌヌニ嘘ツイタモ、仲間ノタメ、思ッタカラ。キーリャモ、カヌヌモ、ソノコト、ワカル。オマエガ、ナカマ、トテモ大切ニスルコト、知ッテイル。ナゼナラ、オレデモ、ワカル。ダカラ、キーリャモ、カヌヌモ、ワカル。絶対ダ」
揺るぎない確信と共にグニドは言った。
だって、獣人隊商に入ったばかりのグニドにさえ分かるのだ。
ラッティがいつも誰かの幸せを願い、精一杯力を尽くしていることを。
だから、キーリャもカヌヌも知っているはずだ。
誰も彼女を責めたりしないはずだ。たとえ迎えた結末が望んだ形と違っても、ラッティが仲間のためを思って選んだ道であることは、皆が知っているのだから。
「ダカラ、オレ、思ウ。オマエハ、オマエガ後悔シナイ方、選ベバ良イ。ソレデ、カヌヌガ、モシ、オマエノコト、責メルナラ、オレガ喰ウ。ダガ、カヌヌハ、オマエノコト、責メナイ。ソウ思ウ」
「……グニド」
「カヌヌモ、オマエノコト、キット大事。ダカラ、オマエ、苦シメルコト、嫌。ナラバ、オマエガ苦シクナイ方、選ベ。ドッチ選ンデモ、オレ、オマエノ、味方」
死の谷を出て、もうずいぶん長い間、人間たちの国を旅した。
だから少しは人語も上達したと自負していたのに、どれだけ言葉を尽くしても、想いの半分も伝えられていない気がする。それでもグニドは、今の自分に操れる精一杯の人語を使って、ラッティを励まそうとした。かつてルルと共に生きるべきか悩んだとき、背中を押してくれた彼女に恩返しがしたかったから。
「……ジャ!?」
ところが数瞬ののち、グニドは仰天した。何故なら草色の瞳でじっとこちらを見つめたままのラッティが、大粒の涙を零し始めたからだ。
おかげでグニドは慌てふためいた。まさか泣かせてしまうとは微塵も思っていなかった。ゆえにわけも分からぬまま、とにもかくにも謝り倒した。
混乱のあまりぶんぶん尻尾を振り回しながら。
「ス、スマン……オレ、ナニカ、悪イコト、言ッタカ? ダガ、泣カセルツモリ、ナカッタ……」
「はは……アハハッ……違うよ、グニド。ごめん。ただアンタの気持ちが、すごく嬉しかったから」
「ム、ムウ……ソ、ソウカ?」
「そうだよ。竜人のアンタが味方についてくれるなら、向かうところ敵ナシだ。そう思ったら……少し気持ちが軽くなった。ありがとう」
依然頬を濡らしたまま、されどラッティはニッと笑った。
それはもういつものラッティだった。
次いでようやく目もとを拭い、ぐず、と小さく洟をすする。
かと思えばいきなり天を仰ぎ「あーーーっ!」と大声を上げ出したので驚いた。
何事かと瞬きして見つめれば、ラッティは再び頭を掻いて笑う。
「ごめん。でもアタシ、ほんと隊長失格だ。仲間のことをちっとも信じないでサ。あいつが死んじまうんじゃないかとか、恨まれるんじゃないかとか……余計な心配してる場合じゃないよな。仲間ならビシッとバシッと信じて待って、腹を割って話す。アンタに言われるまで、そんな簡単なことも忘れてたみたいだ」
「ウム……少シ、元気、出タカ?」
「ああ。アンタにはみっともないとこ見せちゃったね。でもサ、グニド。カヌヌとはアタシが話をつけるから、たとえあいつが何を言っても、喰っちまうのだけはやめてくれ。でないとラウレアさんが今度こそ立ち直れなくなっちまうだろ」
「フム……ソウダナ。カヌヌガ、泣イテ謝レバ、考エル」
「アハハッ。アンタに睨まれたら、泣いて謝らないヤツなんかいないよ! カヌヌだってせっかく試練から生きて戻ったのに、竜人に喰われて押っ死ぬなんて御免被るだろうし──」
と、ラッティが声を上げて笑った直後だった。
突如頭上にすさまじい風が吹き、彼女の言葉の先を攫っていく。
完全に不意を衝かれた。
おかげで手を伸ばす暇もなく、足もとのランプが倒れて消える。
木々が、森が、島が吼え猛っているかのような風だった。グニドは飛んでくる木の葉や小枝からラッティを守ろうと、とっさに彼女へ覆い被さる。
これは自然の風ではない。
グニドの本能がそう判じた瞬間だった。
にわかに島中を包むような光が噴き上がり、目がくらむ。
されど閃光の中、グニドは見た。
風に煽られて騒ぎ出した吊り橋の呪具の先──そこにある〝聖域〟から、まるで滝と見紛うような光が天へと昇り、やがて金色の大樹の姿を取ったのを。