第八話 決闘
逃げたはずの群の仲間が、ぽつぽつと戻り始めていた。
彼らの生み出す控えめなざわめきは、地下水のせせらぎのようにひたひたと大穴の底を満たしていく。
グニドはその大穴の真ん中で、一族最強と名高い戦士イドウォルと向き合っていた。
右手には長年愛用してきた大振りの大竜刀。
その握り心地を確かめながら、やはり自分にはこれくらいずっしりと重い方が合っている、とグニドは思う。
耳を澄ませば、再び大穴に集まった仲間たちの囁きが聞こえてきた。
――グニドとイドウォルが決闘をするらしい。
――勝った方が次の長老になるそうだ。
――何だってこんなことになったんだ。
――あのイドウォルに勝てるやつなんているのか?
グニドはそんな囁きに耳を傾けながら、雨でずぶ濡れになったときのように、一度ぶるぶると首を振るった。
そうすることで、余計な雑念を振り払う。尻尾の先、鬣の一本一本にまで闘志を行き渡らせ、グニドは目の前の敵を睨み据える。
(あいつはドニクを殺し、先代を愚弄した。同じ一族の者として許してはおけない)
次第に昂っていく闘気を持て余し、グニドは長い尾でバシン!と地を打った。
そうして腹の底から咆吼すれば、イドウォルもそれに吼え返してくる。それを戦いの合図と受け取ったのだろう。大穴にはたちまち緊張が走り、壮年の竜人が一人、向き合った二人の前へ進み出てくる。
『イドウォル。それにグニド。準備はいいな?』
『ああ、俺はいつでもいける。覚悟しておけよ、小僧』
低く喉を鳴らしながら、口の端を吊り上げてイドウォルが言った。しかしグニドはそれに答えず、ただじっとイドウォルを睨み返しただけだ。
予想はしていたが、決闘の立会人として現れた壮年のオスは、イドウォルの取り巻きのうちの一人だった。
取り巻きは当然イドウォルが勝つと思っているのか、鼻白んだ様子でグニドに一瞥を向けてくる。だがグニドもぷいと横を向いて、そんな視線には取り合わなかった。
やがて両者は大竜刀を引きずりながら、数歩進み出て向かい合う。
それから同時に刀を振り上げ、その刃を岩の地面に叩きつけた。
地の精霊に決闘の誓いを立てる儀式。
それが済めば、あとは互いにぶつかり合うだけだ。
『いいか、人間かぶれ。この決闘、俺が勝ったらもう誰にも文句は言わせない。新しい一族の長はこの俺だ。そのときはもう二度とこの俺に逆らおうなどと思うな』
『おれはお前が次の長老だなんて認めない。ドニクの無念を晴らすためにも、必ずお前を倒す』
グニドが毅然と言い放てば、イドウォルはますます口角を吊り上げた。
視界の端に、集まった仲間たちに紛れてこちらを見つめているイダルとエヴィの姿が見える。その表情はどちらも不安そうで、エヴィなどは今にも飛び出したくてたまらないといった様子だった。
しかし本当にそんなことになったらまずい。そのときはきっとスエンがエヴィを引き留めてくれると信じよう――とグニドは思ったが、ときに長い首をもたげてあたりを見渡しても、群の仲間たちの間に悪友の姿は見当たらなかった。……どうやら一足先に逃げ出したらしい。
『あいつ……』
『では始めるぞ。両者、構え』
あまりにも不甲斐ないスエンのていたらくに呆れていると、すぐに立会人から声がかかった。
グニドはそれを聞いて気を取り直し、大竜刀を右手で握り直す。
同じようにイドウォルも刀を構え、再び地を揺るがすほどの咆吼を上げた。
グニドもそれに負けじと吼え返す。
これは、一族の誇りを懸けた決闘だ。
『――始め!』
立会人の声が張り詰めた空気を切り裂き、グニドとイドウォルは同時に走り出していた。
姿勢を低くし、長い尾で体の平衡を取りながら駆ける。一瞬ののち、両者の間で激しい火花が散った。
二人の大竜刀が全力でぶつかり合い、弾き合う。イドウォルが使う大竜刀もグニドのそれと同じ、かなりの重さを持つ重量型のものだった。
ゆえにその一撃一撃が重い。イドウォルは一合目を弾かれたと知るや、すかさず二合目を繰り出してきた。
グニドもそれを横薙ぎの一撃で弾いたが、思ったよりイドウォルの刀はぶれない。生半可な力では押し返すどころか逆に押しきられてしまう、とグニドは直感した。
それだけの力で大竜刀を振るっておきながら、イドウォルはまるで木の棒でも振っているように軽々と三撃目、四撃目を繰り出してくる。
グニドはその刀の動きに翻弄され、何とか受け流しつつも後退した。同じ竜人から見ても、信じられないような膂力の持ち主だ。
『おい、どうした? お前の力はそんなもんかよ、人間かぶれ!』
愉悦に牙を剥きながらイドウォルが叫ぶ。そこから更に繰り出された一撃を、グニドは辛くも弾き返した。
だがそのまま挑発に乗って突っ込むような真似はしない。そんな戦法を選ぶのは、よっぽど思慮のない馬鹿か死にたがりかのどちらかだ。
グニドは鼻から息を吐き、尾をしっかりと地につけて両足を広く開いた。普段の構えよりやや頭を下げ、大竜刀を両手で握り込む。
不動の構え。そこへ勢いに乗ったイドウォルが、頭上から一直線に刀を振り下ろしてきた。
グニドはそれを受け止める。両腕の筋肉が痺れるような一撃を愛刀でしっかりと止め、支えきれなかった衝撃は尻尾から地へ逃がす。
そうして鍔競り合った二人の力は、束の間拮抗した。
だが今度は、両足と尾の三点でしっかりと体を支えたグニドの方が強い。グニドは低く構えていた刀を体ごと渾身の力で持ち上げ、火を噴くような咆吼と共にイドウォルの刀を押し返す。
『やった!!』
エヴィのものと思しい歓声が聞こえた。予想外の力で刀を押し返されたイドウォルは、その反動で体勢を失っている。
グニドはそこへ突っ込んだ。迷わず首をしならせて、体ごとイドウォルにぶつかっていく。
『ジャアアアアアアッ!!』
『うおっ……!?』
そのままイドウォルの懐へ飛び込んだグニドは、長い首を振り上げるようにして強烈な体当たりを決めた。
その一撃をまともに喰らったイドウォルは、背後へと吹っ飛んでいく。そうして地に落ち、一回転を決めてひっくり返ったところへ、グニドは迷わず追い討ちをかける。
前後を失ったイドウォルが首を振り、体を起こす前に、グニドは地に落ちた彼の大竜刀を踏みつけた。
膂力ではとてもイドウォルには敵わないが、刀さえ封じてしまえばもう何も恐ろしくない。グニドはそうして頭上高く刀を振り上げ、仰向けに倒れたイドウォルへと狙いをつける。
『終わりだ、イドウォル』
『ちっ……調子に乗るなよ、ガキが!!』
イドウォルの全身から、にわかに殺気が噴き出した。
次の瞬間、肩当ての裏から何かを引き抜いたイドウォルが、それをグニドへ向けて投げつけてくる。
避ける間もない不意討ちだった。直後、左肩に走った激痛にグニドは悲鳴を上げて後退した。
とっさに押さえた肩に刺さっていたのは、飛刀だ。それもグニドの鱗の継ぎ目を、恐ろしいほど正確に狙って突き刺さっている。
『卑怯よ、イドウォル! 決闘で大竜刀以外の武器を使うなんて!』
『ハッ、知ったことか! 〝力〟っていうのはなァ、こういうことを言うんだよ!』
エヴィの叫び声が聞こえた。しかしイドウォルはまったく聞く耳を持たず、むしろ狂気の笑みを浮かべて跳ね起きる。
その手には大竜刀。
まずい。もう同じ手は通用しない。
おまけに飛刀を抜いた肩がひどく痛んだ。
腕が、思うように上がらない。
『死ねェッ、人間かぶれ!!』
『グニド!!』
振り下ろされた刃を、受け止めようとした。しかし左腕に力が入らず、グニドの大竜刀が地面に叩き落とされる。
目の前で、イドウォルが裂けるように笑った。
大重量の刀が、グニドの頭上に振りかざされる。
『じゃあな、人間かぶれ』
「――ビレ・ゲフィルスト・ハイネ」
そのときグニドのすぐ耳元で、何か聞こえたような気がした。
それは小さな風の囁きのような――澄んだ鳥の鳴き声のような。
次の瞬間、グニドの眼前で、大竜刀を掲げたイドウォルの姿が竜巻に呑まれた。
突如として現われた竜巻はすさまじい勢いで、足元の砂礫と共にイドウォルの巨体を巻き上げる。
『ぐおおおおおおっ!?』
想像を絶する風圧の中、風に攫われたイドウォルの悲鳴が聞こえた。
が、あまりにも突然の出来事に、グニドも身動きが取れない。その上旋風に巻き上げられた大小の石が、ガツガツと容赦なくグニドにも降り注いでくる。
グニドは両腕を使って何とかその石の雨から身を守り、突風に煽られながらもどうにかそこにしゃがみ込んだ。
そうして手にしたのは、先刻イドウォルに叩き落とされた大竜刀。
グニドが右手でしっかりとその柄を握った瞬間、まるでそれを待っていたかのように、暴れ狂っていた旋風がふっと消える。
『ぐおあっ!?』
途端にごしゃりと重いものが落ちる音がして、頭上からイドウォルが降ってきた。
彼は遥か高みから硬い岩の上へと落下し、背中をしたたかに打ちつけてもがいている。
グニドはゆっくりとした足取りでそのイドウォルに歩み寄ると、彼の傍に落ちていた大竜刀を尻尾で弾き飛ばした。
――こいつにはもはや、情けをかける価値もない。
そう確信したグニドは今度こそ、油断なく大竜刀を振り上げる。
『お……おい、待て、グニドナトス! 分かった、この勝負俺の負けだ! 長老の座はお前に譲る、だからその刀を下ろせ!』
『おれは最初からそんなもの要らないんだよ、イドウォル。ただお前が、おれたちの偉大なる長老を侮辱し、一族の掟を踏みにじり、竜人の誇りを傷つけたことが許せなかった。それだけだ』
『そ、そうか。ならば、これでお前の気も……』
『お前に殺されたドニクの魂は、既に精霊たちに迎えられた。次はお前の番だ。お前も安らかに眠りたかったら、霊道から叩き出される前に、ドニクに許しを乞うんだな』
『お、おい、待て、やめろ――!!』
グニドは、迷わなかった。
こいつをこれ以上生かしてはおけない。そう一念を定め、一息に刃を振り下ろす。
『――待たれよ!』
背後からそんな叫び声が聞こえたのは、ちょうどグニドの刀が、イドウォルの喉に食い込む直前だった。
その刀をすんでのところで止め、グニドが振り向いた先に、巣穴の奥から現われた他部族の長たちがいる。
『汝がグニドナトスか』
『ええ、そうです。おれがグニドですが、何か?』
『刀を収めよ。我々は汝らドラウグの子らに伝えねばならぬことがある』
『伝えなければならないこと?』
『そうだ。皆も心して聞くがいい。我ら諸部族の総意により、汝らを治める次なる長は――そこにいる、イドウォルとすることにする』