第八十六話 分かり合えない
崖上の山道からそのかつて村だったものを見たとき、ラッティは自分の心臓が軋むのを聞いた。一面の焼け跡。そうとしか形容のしようがない。
まるで山と山の間にぽっかりと黒い穴が口を開けているような。そんな景色だ。
途端に全身に震えが走って、ラッティは思わず眼下の景色から目を背けた。
狭い山道を慎重に下ってゆく馬車の上で、ぎゅうっときつく腕を抱く。
そうしないと何年もかけて封印したはずの絶望が再び目を覚まして、肉体ごと心を持っていかれてしまいそうだ。それくらいそっくりな景色だった。
六年前、滅びゆく祖国で最後に目にした故郷の姿と。
「ここがケルッカ村だ。いや、ケルッカ村だった場所だ、といった方が正しいか」
生命の営みが一葉も感じられない死の風景。谷を下りてようやくそこに辿り着くと、馬車を降りたユーリが笑いながらそう告げた。
どうしてこの景色を前にして笑えるのだろう。
かける言葉のないラッティは馭者台から立ち上がることもできないまま考える。
ここまでくると、もう笑うしかない、という心境なのだろうか。いや、違う。
ユーリのあれは、たぶん自嘲だ。
もはや村でも何でもない虚無の地を、未だに〝村〟と呼んでしまう自分への。
「ひ……ひ……ひどい……」
と、ユーリに続いて荷台を降りてきたポリーが、まるで幽霊にでも怯えるみたいに身を竦めて泣いている。
隣では同じく馬車を降りたカヌヌが立ち尽くし、茫然と言葉を失っていた。
すん、と鼻から息を吸えば、焦げた木材のにおいが今なお肺を満たす。
半年前までは何の変哲もない山間の集落だったというその村は、今や見渡す限り焼け崩れた家屋と煤を被った田畑しかなく、よほど激しく燃えたのか、山の斜面を覆う木々すらも焼けて無惨な姿を晒していた。
「……本当にユーリさん以外、誰もいないの」
「いないよ。少なくとも、今は」
「……〝今は〟?」
「もしかしたらおれの他にも生き延びて、逃げたやつがいるかもしれない。そういう人間が戻ってくるのを、待ってる。……望み薄かもしれないけど」
ヴォルクの問いにそう答えたユーリの眼差しは、獣人隊商の馬車が下りてきた崖の方を見据えていた。何かあるのかと振り向けば、切り立った崖の麓には自然に崩れたとは思えないほど几帳面に並べられ、積み上げられた木材の山がある。
いずれも真っ黒に焼け焦げてはいるものの、誰かが焼けた家々の残骸を片づけ、あそこに積み上げているのだとひと目見て理解できた。
そして今、この村の跡地で暮らしているのはユーリただひとりだけ。
(つまりユーリさんは半年もの間、たったひとりで村の片づけを続けてたってことか……)
ピュリュリンナ城主国南部の町、トルニから東へ二日ほど歩いた先。
そこにユーリの故郷であるケルッカ村はあった。もとは酪農を生活の基盤とした静かな村だったのだろう。崖の反対側に広がる山の斜面は勾配がゆるやかで、いかにも放牧に向いていそうな地形をしている。低い石積みによって囲われた畑は崖の麓の、比較的平板な土地の上に集中していて、奇跡的に焼け残った案山子が煤を被った姿のまま、ゆらゆらと風に揺れているさまが物悲しかった。
そんな寂れきった村の跡地まで、ラッティたちが遥々旅をしてきたのには理由がある。というのも、今なおひとりで村に住み続けているユーリがどうしても冬を越すための食糧を必要としているというので、物々交換ができそうな品物を求めて村を訪ねることにしたのだ。
何しろユーリがトルニへ持ち込もうとしていた品々はとても値がつけられたものではなく、町でも門前払いされるだろうことは目に見えていたから、もっと他に交換できそうなものはないのかと尋ねたら、意外にも「ある」と彼は答えた。
「二十二大神すべてを国神とするエレツエル神領国が、占領地でも教会にだけは手を出さないことはあんたらも知ってるだろ。だから常に神領国軍の脅威に晒されてるこのあたりの町や村では、冬を越すための備えをいつも教会に納めるようにしてる。教会の所有物だけは、神領国軍の略奪の対象外だからだ。おかげでおれの村の教会も無事だった。教会を管理していた聖職者はみんな、どこかへ行ってしまったみたいだが……地下にある酒造庫には、あの人たちが造ってた酒がまだ残ってる。それと交換でよければ、案内するよ」
ユーリがそう提案したのは、ラッティたちが彼と出会った二日前の晩のこと。
確かにケルッカ村のような小さな村では、酒造は特定の職人ではなく教会の聖職者たちが担っていることが多い。彼ら自身は酒を飲まないが、基本的に信徒からの寄付で運営が成り立っている教会は大抵の場合深刻な資金難を抱えているためだ。
ゆえに資金繰りのひとつとして酒を造り、行商人などに売ることで得た利益を教会の運営費に充てている。そういう理由で造られた酒ならば売り物としての価値は保証されているし、町でも買い手がつく可能性が高いということで、ラッティたちはトルニの町へ行くより先にケルッカ村を訪ねることにした。
だったら初めからあんなガラクタではなく、酒樽を運んで町を目指せばよかったのではないかと言いたいところだが、ユーリにはそうしたくてもできなかったわけがある。というのもケルッカ村からトルニの町を目指すにはどうしても山ひとつ越える必要があり、彼の細腕で酒が満杯に詰まった樽を担ぎながら峠を越えるのは物理的に不可能だったのだ。
せめて驢馬の一匹でもいれば話は違ったのだろうが、見たところ廃墟と化したケルッカ村には驢馬どころか、家畜の類は鶏一匹残っていない。
見るからに酪農向きの村だというのに、山羊や羊の鳴き声すらもしないのは、恐らく神領国軍がすべての家畜を食糧として持ち去ってしまったためなのだろう。
「……で? どう見ても家や納屋や家畜小屋の残骸しかないみたいだけど、問題の教会ってのはどこにあるの?」
「お……おいキーリャ、もう少し言い方ってもんが……」
「下手に取り繕ったってどうしようもないでしょ。何にもないのは事実なんだし」
「……教会があるのは村はずれの方だ。ついてきてくれ」
細い腰に片手を当てて「フン」とそっぽを向いたキーリャは、依然としてユーリとは目も合わせようとしなかった。が、ユーリの方もそんな彼女の態度に慣れつつあるようで、頓着せずに踵を返す。村の南に聳える岩壁に沿ってまっすぐ東へ。
人が住まなくなったためだろうか、踏み固める者のいなくなった道を割って雑草がぼうぼうに生えているのを後目に見つつユーリの案内に従って行くと、やがて不意に視界が開け、なみなみたる青を湛えた湖が見えた。
「オー……!」
と、それを見たカヌヌが真っ先に駆け出し、湖の畔まで走り寄っていく。生まれた島の滝を神聖視し、また海を故郷とする彼はとにかく水辺が好きなのだ。
そこは山間の窪地に雨水が溜まってできたような形の湖で、対岸までの距離はさほど遠くなかった。つまり大して広くもない湖ということだが、湖岸に漁具を積んだ小舟が乗り上げているところを見る限り、日常的に漁が行われていたらしい。
なるほど、こんな辺鄙な場所に村ができたのはあの湖の恩恵があったからかと納得しながら、ラッティもまた馬車を止めて湖岸へ歩み寄ってみた。
静かな水音を立てる湖の真ん中では、村が滅んだことなど知りもしないのだろう優雅さで、野鴨の群が悠々と水面を掻いている。
さらに湖を囲む森からは、ピルピル、ピルピル、と美しい小鳥の鳴き声がした。
この時期、大陸の北辺でよく見かける黄連雀という鳥だ。
城主国に入ってからというもの、久しく聞いていなかった黄連雀の歌声に、ラッティは得も言われぬなつかしさを覚えた。
焼け朽ちた村の只中で、ここだけが今も変わらず生命の息吹を感じさせる。
その事実に意外なほどほっとしている自分がいた。
見上げた空はやはり気難しい曇天だが、雲間からわずか注ぐ陽の光を反射して、鏡面のごとく輝く湖の姿に少しだけ心が救われる。
「へえ……いい場所だね。黄連雀が鳴いてるってことは、ここらはあんまり魔物が出ないの? アタシらが通ってきた他の森では鳥の鳴き声ひとつしなかったけど」
「いや。最近ようやく出なくなっただけで、村が焼けた直後はうようよしてたよ。死人をみんな埋葬し終えた頃から、やっと見かけなくなったけど。あいつらが咥えていったせいで……ちゃんと弔ってやれなかった人も、たくさんいる」
「埋葬?」
「ああ……死体、野晒しにしとくわけにはいかなかったから。司祭さまももういないし、どのみちちゃんと弔ってはやれなかったけど……墓標を立てるくらいなら、おれでもできたから」
そう言ってユーリが視線を向けた先には、湖の傍に佇む小さな教会があった。
入り口の上に掲げられた破風飾りを見る限り、どうやら群立諸国連合で最も古い歴史を持つ金神正教会の教会のようだ。太陽を模した真円の上下左右から四本の線が伸びるあの正十字輪は、かの教会の紋章で間違いない。
だがラッティの目を引いたのは、すっかり煤けた真鍮製の太陽よりもそれを戴く建物のすぐ後ろ──そこに広がるゆるやかな山の斜面だった。
途端に目に飛び込んできたいくつもの粗末な墓標に、ぞっと背筋が冷えたのは言うまでもない。かつては放牧地としてたくさんの山羊や羊を養っていたのであろう大地は、数え切れないほどの木切れで埋め尽くされていた。
あれをすべて、ユーリがひとりで。そう考えたら絶句してしまい、何も言葉を発せないまま、ラッティは斜面を仰ぐユーリの横顔を顧みる。けれど男にしてはやや長い黒髪が風に揺られているせいで、彼が今、どんな表情をしているのかはよく分からなかった。既に死んでしまった村でひとり、黙々と死体を背負って運び、あそこに埋めていく作業は一体どれほど彼の心を磨り減らしたのだろう。
どうりで出会ってから一度も、にこりとも笑わない男だと思った。
愛想笑いひとつ作らないのは獣人と馴れ合わないためだろうか、なんて、頭の片隅でこっそり考えていた自分の浅ましさに反吐が出る。
「ウーン……教会、確かに焦げてマセンが、ぼろぼろデスネ。エレツエル人は、教会、襲わないと違いマシタカ?」
ほどなくラッティたちが足を踏み入れた小教会は、建物としての原型こそ保っているもののカヌヌの言うとおりボロボロで、屋根や壁の至るところに大小の穴が開いていた。聞けばあれらは村人の死体をあさりにきた魔物どもが、教会の中へ逃げ込んだユーリを襲うために開けた穴らしい。が、辛うじて建物が崩壊せずに済んだのは、礼拝堂の壁に掲げられた銀の蹄鉄のおかげだろう。
神界から渡ってきた金属だと言われる純銀には魔物を遠ざける力があり、蹄鉄は世に二十二大神を生み落とした《母なるイマ》の象徴だと言われている。
すなわちこの教会は村が魔物に襲われた際の避難所の役割も兼ねていたわけだ。
ラッティたちはその蹄鉄と、無人の説教台に佇む正十字輪に短く祈りを捧げて、教会の奥へと足を進めた。かつてはここで暮らす聖職者たちの住まいとして使われていた空間には今も濃い生活感があり、もしやと思って尋ねてみると、やはり今はユーリがここを家代わりとしているらしい。
地下室へ下りる階段は厨房の傍にあって、そこを下るとすぐ酒造庫だった。
ユーリが事前に話していたとおり、地下に造られた小さな庫には、酒造樽が横ざまに寝かされいくつも積み上げられている。試しに手前のひとつを拳で軽く叩いてみると、重くたっぷりとした質量を感じさせる音が響いた。中身は半分が麦酒で、半分が乳酒──牛や羊の乳から造られる酒──のはずだという。
「の、はずって……ユーリさん、樽の中身を確かめてないの? こう言っちゃなんだけど、ここを管理してた人らはもういないんだし、飲もうと思えばいつでも好きなだけ飲み放題だったろ?」
「ああ、まあ……酔って何もかも忘れられたら、幸せだったんだろうけど。おれ、下戸だから……酒はひと口飲んだだけで目が回るんだ。だから正直、ここの酒樽はずっと持て余してて」
「へえ。下戸なんて、北の人間なのに珍しい。酒が飲めないんじゃ、真冬に暖を取るのに難儀するだろ」
「無理して飲んで吐くくらいなら、寒い方がマシだ。うちの村は水には困らないから、火さえ熾せば、いくらでも湯は沸かせるし」
同じ諸国連合出身のラッティに笑われてばつが悪かったのだろうか。ユーリはいつにも増してぶっきらぼうにそう言うと、ふいっと顔を背けてしまった。
そんな彼の反応がまた可笑しくて、ラッティはアハハッとさらに笑う。
けれどユーリが下戸なおかげで、教会の酒はほとんど手つかずで残っていた。
これは不幸中の幸いだ。試しに樽に取りつけられた飲み口を拈り、持ち込んだ杯に中身を注いでみると、たちまち真っ白な乳酒で満たされた。
味も悪くなく、乳酒特有の強い酸味と酒精が絶妙のバランスで絡み合っている。
乳酒の文化がない島から来たカヌヌは強烈な臭いと酸味に仰け反り、「飲めマセン!」と騒いでいたが、意外にもキーリャはぐびぐび飲んだ。
平気なの、と尋ねれば、彼女の暮らしていた砂漠の大陸──南東大陸にも駱駝の乳から造る酒があり、臭いも味も似ているから平気だと言う。
麦酒の方もなかなかよい仕上がりで、こちらは酸味よりも苦味とコクの方が強く、トルニの町で好んで飲まれているものとはまた味わいが違った。
葡萄酒や果実酒よりも麦酒が好まれる北方の国々では、土地によって麦酒の味がまったく違う。どこへ行っても土地ごとの味があり、ゆえに余所の土地で造られた麦酒は同じ国の中でも結構いい値で取り引きされる。
これなら充分高値で売れそうだと判断したラッティは、快くユーリとの商談に応じた。樽ひとつにつき、十葉(五〇センチ)四方の木箱ひとつ分の食糧と交換。
それでどうだと交渉したら、ユーリは初めてぱっと瞳を輝かせ、ありがとう、と礼を口にした。村が滅んだのは半年前、つまりちょうど冬が明けて、教会の貯蔵庫が空になる頃だったから、もうずっとまともなものを口にできていなかったのだろう。地下の暗闇でもそうと分かるほど紅潮した白い頬からは、隠し切れないほどの喜びと安堵が窺える──ああ、うん。そうだよな。これだよ、これ。
この反応を見るために、アタシらは遥々南から食糧を担いで旅してきたんだ。
やっぱり城主国を目指してよかった。その瞬間、ラッティは心からそう思えた。
「……だけど今更食糧なんか買い込んで、あんた、どうするつもりなの」
ところが無事商談が成立し、ラッティたちが一度地上に戻って、酒樽を積むべく馬車の荷を整理し始めた頃。地上に下ろした箱の中から好きな食糧を好きなだけ取って十葉箱に詰めていい、とユーリに伝え、ラッティ自身は積み荷の移動に精を出していると、不意に幌の向こうからそんな声が聞こえた。
人間より遥かに優れた聴力を持つ半獣人の狐耳が聞き逃すはずも、聞き間違えるはずもない。今のはキーリャの声だ。
そして言うまでもなく質問を投げかけられているのはユーリだろう。
あ、ちょっとまずいかな、とラッティは思わず手を止めた。放っておいたらキーリャがまた、ユーリに何か失礼な言葉をぶつけるかもしれない……。
「どう、って……もちろん、今までどおり村で暮らすよ。おれひとりなら、これだけの食糧があれば充分ひと冬は越せる。湖が凍れば釣りもできるし……おれは木樵の家の子だから、冬の間に切れるだけ木を切って、木材を蓄えておきたいんだ。で、雪が溶け始めたら……本格的に村の再建を始めたい」
「村の再建? あんたひとりでどうやって? ここには医者もいなければ大工もいない。だいたい村を立て直したって、住む人間がいなきゃ意味ないでしょ」
「そうだけど……もしかしたら生きてどこかに逃げ延びて、戻ってきてないだけの人もいるかもしれないだろ。だから、おれはそういう人がいつ帰ってきてもいいように……できるだけ村をもとに戻したい。そうすれば、もし他に生き残った人がいなくても、いつかまた人が住み始めるかもしれないし……」
「だけど冬が明ければ神領国がまた攻めてくるわ。そのときもし村に人が集まってたら、また連中に狙われるかもしれない。そんな目に遭うくらいなら、村のことは潔く諦めてトルニにでも移住した方が賢いんじゃないの? あるいは城主国自体を捨てて、もっと西の国へ逃げるとか……」
「おれは生まれも育ちもケルッカ村だ。今更余所の土地へ移り住む気はないし、町へ行ったところで、この状況じゃ住む場所も働き口も見つかるかどうか分からないだろ。なら最初から村に残って……故郷のためにできることをしたい。諸国連合にいる限り、どこへ行ったところで、どうせエレツエル人からは逃げられないしな」
「じゃあ西じゃなくて南へ行けば? 華封諸国にまで辿り着ければ、あとはアマゾーヌ女帝国が神領国軍から守ってくれるわよ」
「できるならとっくにそうしてる。連合の外まで逃げる、なんてことができるのは一部の金持ちだけだ。おれたちみたいな貧乏人は、故郷にしがみついてエレツエル人に殺されるか、金もないまま難民になって餓死するか……選べるのはふたつにひとつしかない」
「だとしても、こうなった村に留まったってどうしようもないでしょ。今のあんたは何もかも諦めて思考停止してるだけよ。生きる意思さえあれば、初めは多少苦しくたって──」
「おれは諦めてなんかない。諦めてなんかないから村に残ると言ってるんだ。おれはこの村を愛してる。だからここを捨てて余所へ行く気はないし、可能なら再建したいってそう言ってるだろ!」
瞬間、ユーリがついに語気を荒げ出したのを聞いて、発作的に「やばい」とラッティは思った。案の定キーリャの歯に衣着せぬ物言いが彼の神経を逆撫でしたらしく、幌一枚隔てていても肌を刺すような険悪な空気が伝わってくる。
──止めに入らないと。ラッティは持ち上げかけていた木箱をもとの場所へと戻し、同じく困惑の表情を浮かべているヴォルクとカヌヌを目だけで押し留めた。
そうして荷台を降りようとしたところでふたりのさらなる口論が聞こえてくる。
「ならありもしない希望に縋るのはとっととやめることだね。あんただって本当は分かってるでしょ? 村がこんなことになった以上、仮に生き残りがいたとしても戻ってきたがるやつなんていやしない。だけどあんたは村の再建とかいうもっともらしいお題目を掲げて、現実から目を背けてるだけよ。どうせ立て直したところでまた奪われるのが分かってるのに、なんでそこまでこだわるわけ? あんた、本当は生きたいと思ってないんじゃないの?」
「は……おまえに……故郷に定住もせずふらふらしてる獣人風情に、おれの何が分かるんだよ! おれがどう生きてどう死のうがおれの勝手だろ!? そりゃおまえらはどこに行っても迫害されて、故郷に愛着なんて持ったこともないかもしれないがおれは違う! おれは自分を育ててくれたこの村が好きで、大切だから取り戻したいだけだ! おまえの勝手な解釈を押しつけるな!」
「チッ……分かんない男ね。あたしはあんたのためを思って──」
「キーリャ!」
これ以上議論が白熱されたら困る。そう思ったラッティは急いで馬車を飛び降り、声を荒げた。するとそこには斑模様の頭の上にわずか生えた鬣を逆立て、今にもユーリを噛み殺さんばかりの形相をしたキーリャがいる。
彼女のあんな表情を、ラッティは初めて見た。
ゆえに驚いて立ち竦んでいると、猛獣の獰猛さを湛えた金色の瞳が束の間こちらの姿を捉える。かと思えば彼女は忌々しげに舌打ちして、くるりと身を翻した。
ユーリと一緒に商品の仕分けをしていたポリーは縮こまって、忿怒の表情をしているユーリと立ち去るキーリャを見比べている。が、彼女は自分の手がユーリのものとなる食糧に触れていることに気がつくと、慌てて手を引っ込めた。
──〝獣人風情に〟。
直前にユーリが叩きつけたあの言葉を聞いて、ポリーも悟ったのだろう。
二日間の旅で少しは打ち解けられたと思っていたユーリが、やはり獣人を快くは思っていなかったことに。
「ラッティ」
背後の馬車からヴォルクの呼ぶ声がする。しかしラッティは振り向けなかった。
キーリャを追わなきゃ。そう思うのに、足が縫い止められたように動けない。
「……ユーリさん」
やがて長く気まずい沈黙を経て、ラッティはようやく声を絞り出した。
「ウチの仲間が……ごめん。ユーリさんはユーリさんの望むとおりにすればいいと思うよ。村のことは余所者のアタシらがどうこう言えることじゃない。だから……その、荷を積み終えたら、アタシらは行くから。これ以上迷惑はかけらんないし。ほんと……ごめん」
まるで思考に栓がされたみたいに、それ以外の言葉が出てこなかった。もっと他に言うべきことや、かけるべき言葉があるような気がするのに、喉もとで詰まって言語にならない。冷たい大地に膝をついたユーリも、うつむいて答えなかった。
その日、彼との取り引きを終えたラッティたちは、夜が過ぎるのも待たずにケルッカ村をあとにした。
墓標代わりの教会に、ユーリをひとり残したまま。