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子連れ竜人のエマニュエル探訪記  作者: 長谷川
【無名諸島編】
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第八十五話 たったひとりの


 片膝を立てて座り込んだキーリャの手の中で、カリニャが赤く輝いていた。

 彼女の手で丁寧に磨かれ、焚き火の明かりを鏡のごとく反射する刃は相変わらず美しい。されどその持ち主であるキーリャは今、とても不機嫌だ。磨き終えた刃を角度を変えて眺める()には、猛獣特有の獰猛さがチラチラと瞬いている。


「ハア~、やっぱりダメネ……このあたり、全然ケモノいなかったデス。足跡もフンも見つからないから、みんな逃げてしまったネ。今日のお肉はおあずけヨ」


 そんなキーリャとの間に垂れ込めた気まずい沈黙を、どう破ったものかとラッティが考えあぐねていたさなか。不意に森の奥からパキンと枝を踏む音がして、周囲の見回りに行っていたヴォルクとカヌヌが戻ったことを知らせてくれた。

 大陸北方に多く見られる針葉樹の森は、南方に広がる常緑樹の森と違って(くさむら)が生い茂ったりしていないから、存外見晴らしがいい。

 偵察から戻ったふたりは(まき)になりそうな枝を抱えて、逆の手には手桶も携えていた。恐らく近くに泉か小川があったのだろう。

 水場が傍にあるのなら、ひと晩くらいはまあ、問題なく過ごせそうだ。

 既に干し肉の在庫が尽きて、食べられるものと言えばカチカチに焼き締められた黒パンと固くなったチーズ、そして豆の油漬けくらいしかないのが問題だけど。


「おかえり、ヴォルク、カヌヌ。狩りは……やっぱ無理だったか。しょうがないよな、魔物が出たあとじゃ」

「うん……というか、やっぱり城主国(じょうしゅこく)に入ってから魔物が多いね。つい最近まで戦場だった場所だから、しょうがないんだけど。森に獣がいないのは、もっとずっと前からみたいだ。途中で野兎(ウサギ)の巣を見つけたから調べてみたけど、家主のにおいが残ってなかった」

「……城主国の食糧難に拍車をかけてるのはそれか。獣たちはずいぶん前にこの土地を捨てて他に移っちまったみたいだね」

「英断じゃない? どんなに住み慣れた土地だとしても、人や魔物に追われて暮らせなくなるならさっさと余所に安住の地を見つけた方が賢いもの。野生の獣たちは人間よりもずっとそのことを分かってる」


 と、冷笑と共に吐き捨てながら、キーリャは磨き終わった愛剣を宙に(かざ)して瞳を細めた。カリニャの歪曲した刀身は、昼間に魔物の血で真っ黒に汚れたのが嘘みたいにピカピカだ。もっとも呪いのような瘴気(しょうき)の悪臭は、もうしばらく取れずにつきまとうのだろうけど。


「だけど狩りができないのは残念ね。本当なら今頃はトルニの町に到着して、暖かい暖炉の傍で干し肉のシチューくらいにはありついてたでしょうに」

「う……」

「いくら食糧難とは言え、町に入ればお酒(オルット)くらいは飲めたでしょうし……蒸し風呂(サウナ)で旅の汚れを落としてから、屋根つきの部屋でお酒片手にのんびりくつろげたら最高だったでしょうねえ」

「……っだーーーっ! だから悪かったって言ってるだろ! アタシだってほんとなら酒飲んで暖炉の前で思う存分ゴロゴロしたかったよ! けどしょうがないじゃんか、町に入る前に人間とバッタリ鉢合わせしちまったんだから……!」

「だから人間を助ける必要なんかないって言ったのよ。せっかく女帝国(じょていこく)からこんな辺境まで遥々食糧を運んできたのに、私らが獣人だってことがバレて全部パアになったら意味ないじゃない。金も時間もドブに捨てたようなもんだわ」

「た、確かにどんなに飢えてても、半獣から施しを受けるくらいなら死んだ方がマシだって言う人間もいるけどサ……でも、だからって目の前で死にそうになってる人を見捨てたら、アタシらまでそういう人間と同じになっちまうだろ。アタシはヤだよ。心底軽蔑してる相手と同類になるなんてサ」

「だけどあんたは獣人隊商(ビーストキャラバン)のリーダーなのよ、ラッティ。その(こころざし)を否定する気はないし、立派だとも思うけど、あんたには顔も知らない人間より先に守って助けてやらなきゃいけない仲間がいる。ここで計画がダメになれば、あんたらはもとの極貧生活に逆戻りでしょ? 何せ隊商の資金のほとんどを今回の仕入れに回しちまったんだから」

「……」

「ま、あんたはバカじゃないし、私も説教臭い話をする気はないけど。分かったら次からはもう少し、物事の優先順位ってもんを考えて行動することを勧めるわ」

「……俺は、ラッティが考えて決めたことなら何でもいいけど。隊商をやめたって、みんなで生きていく方法はあると思うし」

「ヴォルク……あんたってほんとラッティバカね」

「それほどでも……」

「褒めてないわよ」


 なんて軽口を叩きながら、ヴォルクはカヌヌと一緒に集めてきた薪をひとまとめにしている。そんな彼の様子にキーリャは呆れ顔で嘆息し、カヌヌも苦笑を零していた。だがラッティには分かる。ヴォルクはキーリャに図星を衝かれて、思わず黙り込むしかなかったラッティをかばったのだ。だって昼間、ユーリと名乗った男を助けたのはラッティが自分の信念を曲げられなかったからで、そこに〝もし城主国での商いが失敗したら〟という先の思考がなかったのは事実だから。


「──ラッティ!」


 ところがラッティが、自分の軽挙を恥じる暇もなく。

 今度は背後に停めた馬車の方から声がして、ラッティははっと振り向いた。

 視線を巡らせた先には、(ほろ)に覆われた荷台から顔を出し、慌てた様子で口をぱくぱくさせているポリーがいる。何か伝えようとしているようだが、狼狽(ろうばい)しすぎてとっさに言葉が出てこないようだ。けれどラッティが何事かと腰を上げるよりも早く、彼女が取り乱している原因が分かった。

 何故ならおろおろするポリーの横から、分厚い綿入りの上着をまとった人間の男がひとり、ぬっと現れて荷台を下りてきたからだ。


「ユーリさん」


 そう名乗っていた男の名を呼んで、ラッティは立ち上がった。

 共に焚き火を囲んでいたヴォルクたちは動じなかったが、冬を間近に控えた北方の夜気がピリッと張り詰めたのが分かる。たぶんキーリャの殺気だ。

 少しでもおかしな挙動を見せたら殺す。彼女の放つ気配がそう告げているのを肌で感じながら、ラッティは慎重に男へ歩み寄った。ユーリ・マウネルという名前らしい人間の若者は馬車を降りるとじっと立ち尽くして、計るようにこちらを見据えている。彼は魔物の襲撃から辛くも生き延びたものの、出血がひどかったためかほどなく意識を失い、今の今までポリーが馬車の中で介抱していたのだった。


「よかったよ、無事に目が覚めて。具合はどう?」

「……」

「あー……ひょっとしてどこか悪い? 一応傷は綺麗に治した気でいたんだけど」

「いや。おかげさまで、どこも痛くない。血が足りなくて少しふらつくくらいだ」

「そっか。そいつはよかった。昼間にも名乗ったけど、アタシは──」

「ラッティ、だろ。群立諸国連合出身の」

「え。あ……ああ、うん、覚えててくれたんだ?」

「あんたのハノーク語、確かに東の訛りがある。嘘をついてるわけじゃなさそうだってことは、分かった。……おれの傷を治してくれたのは、そっちの黒い人?」

「え?」

「獣人は神術を使えないだろ」

「あ、あー……うん、そう、なんだけどサ。ま、そこは商売上の秘密ってことで」

「商売?」

「商人なんだ、アタシら。そうは見えないだろうけど、人呼んで獣人隊商(ビーストキャラバン)。世界中あちこち渡り歩きながら行商をしてる。今回は南で仕入れた食糧を売りに来たんだけど……ユーリさんはトルニの町の人?」

「……」


 一馬身ほどの微妙な距離を開けたまま、ラッティはできる限り平静を装ってそう尋ねた。ユーリの傷を癒やしたのはカヌヌではなく、アビエス連合国で仕入れた魔導石の力だ。しかし相手は大陸でも特に迷信深い北の民。余所の国の魔女が作った石で治療した、などとは口が裂けても言えず、ラッティは無難に話題を逸らした。

 が、ユーリはこちらの問いに沈黙し、むっつりと唇を結ぶ。

 何か話したくない理由でもあるのだろうか。体格にそぐわない太い眉の間には(しわ)が寄り、その皺が彼を何となく気難しくて近づき難い人物に見せた。


「あー……えっと、こ、答えたくないなら別にいいんだけどサ! 人には人の事情ってもんがあるし……ただトルニの町の人なら明日、日が昇ってから送っていってもいいかなと思って」

「……」

「い、いや、まあ、アンタがアタシらみたいな半獣と一緒にいたくないってんなら無理にとは言わないよ。ただ今から町に戻るのはさすがに危険だ。夜は魔物どもも活発になるし……」

「……あんたら、トルニの町へ行くのか」

「う、うん。そうだけど……」

「おれもあの町へ行く途中だった。食糧を買いに」

「えっ……なんだ、じゃあアタシらと一緒じゃん。そういうことならやっぱり明日、日が昇ってから──」

「だけどあんたらは、町へ行くのはやめた方がいい」

「へ?」

「あんたも北の出身なら知ってるだろ。エレツエル神領国の獣人狩りは有名だ。連中がこの地に攻めてきたのは、東のアルスラン獅子王国が獣人たちを匿ったからだと言われてる。もちろん理由は他にも色々あるんだろうけど……諸国連合(ここ)にはそう信じてる人間が多い。だから……つまり、あんたらは行っても歓迎されない」

「へえ。それって要するに、戦争の原因になった疫病神はさっさと国から出てけと言ってるわけ? 命の恩人に対して礼より先にそんな言葉が出るなんて、ずいぶん高尚な教育を受けて育ったみたいね」


 ところが刹那、腹の探り合いに似たラッティとユーリの会話に、突如失笑が割り込んできた。ぎょっとして振り向けば、焚き火の傍に座ったキーリャがこちらを見もしないまま、皮肉るように口の端を上げている。

 途端に目の前の青年の、いかにも北国の民らしい白面がカッと紅潮したのをラッティは見た。彼はみるみる(まなじり)を決し、眉を吊り上げながらキーリャを見やる。

 そんなユーリの反応に気づいたラッティは慌てて「おい、キーリャ!」と叱声を飛ばした。が、キーリャは当然のように聞く耳を持たず、フンと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。


「あ、あー、えっと、ごめん、ウチの仲間が……あ、アタシらが歓迎されてないのはもちろん分かってるよ、ただ──」

「いや……今のは、確かにおれが悪かった。こんな話をする前に、助けてもらった礼、言うべきだったよな。……ありがとう」


 ラッティは意表を衝かれた。

 てっきり今ので相手の機嫌を損ね、一気に険悪なムードになりそうだと思っていたのに、意外にもユーリはキーリャの非難を聞き入れて、素直に胸に手を当てた。

 あの拳を胸に押し当てる仕草は、大陸北方の国々に古くからある感謝の印だ。

 故郷を離れて久しいラッティはいつしか使わなくなってしまったけれど、あれが真心からの感謝を伝える身体言語であることは、今でもちゃんと覚えていた。

 もっともユーリはこちらから視線をはずしていて、動きもどこかぎこちなく、その様子が彼の複雑な心境をありありと表してはいたが。


「い、いや……どう、いたしまして? ま、まあ、アタシらはたまたま通りかかってお節介を焼いただけだし、気にしないでよ。隊商(ウチ)が商品として扱うのはあくまで実体のあるモノだけで、恩や義理まで高値で売りつけるつもりはないしね」

「それは……とても、助かる。今のおれには、返せるものが何もないから……」

「いいっていいって。あ、けど食糧の買い出しに行くとこだったなら、アタシらも女帝国産のイイ品を色々取り揃えてるけど……買ってく?」

「……」

「って、はは、さすがに半獣の商人(あきんど)が売るモンなんか買いたくないよな。ごめん、つい売り文句が出ちゃって──」

「いや……食糧、売ってもらえるなら有り難い。ただ……」

「ただ?」


 ユーリが依然、何か言いづらそうにしているのを見て取って、ラッティは小首を傾げた。すると彼はまた眉を寄せてしばし沈黙したあと、おもむろに背中の荷物を下ろす。昼間魔物に襲われたときも背負っていた、あの大きな背負い(かご)だった。

 ユーリはその籠の半分以上を覆っていた暗色の布を取り払って、中身を地面に並べ始める。籠の中から次々と取り出されるのは、見るからに使い込まれた鍋や鉄瓶、炭火を入れて使うタイプの鉄の火熨斗(ひのし)(かんな)(のみ)(なた)、トナカイと針葉樹のシルエットが織り込まれた壁掛け(タペストリー)、膝掛けなどなど……とにかく何のまとまりもない日用品の類だ。そんなものを急に並べ出してどうするのかと思ったら、最後に木彫りの飾りがついたペンダントを取り出して、ユーリは恥じ入るようにうつむいた。


「……見てのとおり、おれは金を持ってない。だから、この中のものと交換してほしいんだが」

「オー! 物々交換(マグパリト)デスネ! ボクの故郷(コキョー)も、オカネ、ナイから、みんな欲しいモノ、物々交換(マグパリト)してマシタ! なつかしいネ!」


 と、予想外の方向から話に食いついたのはカヌヌだった。ポリーが毛糸で編んでくれた耳当てつきの帽子の下で目をキラキラさせながら、駆け寄ってきたカヌヌが並べられた品々の前にしゃがみ込む。しかしそうしてはしゃぐカヌヌとは裏腹に、ラッティは驚き半分、戸惑い半分でユーリを見やった。町へ食糧を買いに行くと言っていたのに金を持っていないなんて……普通に考えて、普通じゃない。


「あー、えっと……そうだな……余所に持っていって売れそうなものがあれば、交換もできるけど……でもユーリさん、町でも物々交換で食糧を譲ってもらうつもりだったわけ?」

「……」

「こういう言い方はアレだけど……今、城主国はどこもみんなひもじいし、物と交換で食べ物を分けてくれる人はなかなかいないんじゃない? よっぽど珍しい品ならワンチャンあるかもだけど……」


 と言ってラッティが目を落とした先に並ぶのは、城主国どころか世界中どこへ行っても手に入るような何の変哲もないものばかり。おまけにどれもこれも薄汚れていて、とても値のつきそうなものには見えなかった。もとはもっと色鮮やかであったろう壁掛けや膝掛けも、今は(すす)を被ったようにところどころ黒ずんでおり、唯一買い取れそうなのは最後に出てきたペンダントくらいだ。

 とは言えどう贔屓目(ひいきめ)に見ても素人が手作りした品にしか見えないから、多少色をつけたところで一青銅貨(ペニナ)にもなりそうにないけれど。


「……失礼ですけど、ユーリさんはどこからいらしたんですか?」


 そのとき、不意にそう問いかけたのは、カヌヌに続いて品物を覗き込みにきたヴォルクだった。


「近くの村にお住まいなら、俺たちがそこまで行って食糧を売ることもできますよ。俺たちはこの辺の相場より安く売るつもりだから、村の人たちでお金を出し合えば、そこそこの量が買えると思います。それをみんなで分け合えば……」

「いや。悪いが、無理だ」


 ヴォルクの提案をみなまで聞かず、きっぱりと断ったユーリの口調は硬かった。

 うつむいたままの彼の表情は、トナカイのものと(おぼ)しい毛皮で作られた帽子に隠れてよく見えない。


「……無理、というのは、俺たちが半獣だから?」

「違う。そうじゃない。そうじゃなくて……村にはもうおれしかいないんだ。だから、みんなで金を出し合うこともできない」

「……え?」


 ところがヴォルクの質問に返ってきたのは、まったく予想外の答えだった。

 ユーリは寒さと貧血で紫がかった唇を噛み締め、何かをこらえるように息を詰めたのち、ようやくわずか顔を上げる。


「……おれはトルニの東にある、ケルッカ村からここへ来た。だけど村は半年前、エレツエル人に襲われて……みんな殺され、わずかな田畑も全部焼かれた。おれはそのケルッカ村の、最後の生き残りだ」


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