第八十三話 むかしばなし
クムには「夜明けと共に帰る」と言われたが、落ち着いて朝が来るのを待てなかった。カヌヌの巣の床に伏し、じっと眼を閉じていてもちっとも眠れない。
おまけにすぐ隣からは酒のにおいをプンプンさせたヴェンの大鼾が聞こえていて、それがますますグニドの睡眠を妨げた。
ああ、これはもうダメだと我慢の限界を迎えて体をもたげたのは〝聖域〟とやらに向かったクムとルルを見送ってからどれくらいが経った頃のことだろう。
(……眠れん)
唯一の光源だった松明も消された闇の中。むくりと起き上がって床に座り込んだグニドは、水に浸かったときのようにぶるぶると全身を振るわせた。
カヌヌの巣では現在カヌヌ、ラウレア、オルオルの他、人質であるヴェンと客人のジェレミー、そして獣人隊商の面々が厄介になっている。
グニドの夜目をもってしても暗すぎて輪郭しか確認できないが、ルルを除いた全員が思い思いの場所に寝転んで体を休めているはずだ。
しかしカヌヌの巣は確かに他の人間の巣よりは広いものの、これだけの人数が横になろうとするといささか手狭であることは否めなかった。
おかげで皆がぎゅうぎゅうに距離を詰めて眠っているから、ただでさえ蒸し暑い森の夜がさらに寝苦しくなっている。暑さには強い方だと自負するグニドも、この島の湿気を孕んだ暑さにはどうも慣れなかった。いつもより体が重いと感じるのは、衣服や鬣が水気を吸ってしまっているせいなのだろうか。
(夜明けまであとどれくらいだ?)
おまけに〝聖域〟へ送り出したルルのことも気になる。それがラナキラ族を救う手立てになるのならと、ルルをクムと共に行かせる決断をしたのは他ならぬグニドだが、一方で心配も募っていた。何しろルルとクムは互いに言葉が通じないのだ。
そんな状況下でルルがしっかり務めを果たせるのかどうかも心配だったし、ラナキラ族の〝聖域〟には本当に危険はないのだろうか、という懸念もある。
カヌヌ曰く〝聖域〟には古くから一族の祈祷師しか入ることが許されないというから、余計な心配は要らないと思いたいが、敵対部族や魔物までもがラナキラ族の掟を律儀に守るとは思えなかった。
特に族長の不在に付け込みたがっている敵対部族は、ラナキラ族をさらに混乱させるために、族長の代理を務める祈祷師を狙ってくるかもしれない。
そう考えたらますます落ち着かなくなって、グニドはついに腰を上げた。
ルルとクムが〝聖域〟から戻るまで自分にできることは何もないとは言え、ここでじっとしていても気を揉むだけだ。グニドは他の仲間を起こさないよう、かつ誤って踏みつけないよう細心の注意を払いつつカヌヌの巣を出た。
とは言え外に出たからと言って、余所者のグニドに行く宛はない。あまりひとりでうろうろすると他の人間を怯えさせてしまいそうだし、どうしたものか。
屋根代わりの葉っぱが垂れた軒先で「フム……」と考え込んだグニドは、やがて行き先を決めて歩き出した。目指すは先刻ルルを見送った樹上広場だ。
(ここで朝を待てば、ルルの無事な帰りをいち早く確認できるだろう……)
グニドたちが鰐人族の里から戻ったとき、クムが一族のオスを集めていた広場。
そこは森の主たちの太い枝が折り重なったり絡み合ったりしてできた天然の空間で、凸凹した足場はお世辞にも歩きやすいとは言えなかったが、苔生した樹皮の感触が足の裏にやわらかかった。
加えて広場の上には枝葉の覆いがなく、夜空がぽっかりと口を開けている。
おかげで月明かりも直接足もとまで届き、瞳孔を開いたグニドの眼には〝聖域〟へ続く吊り橋の入り口に設けられた二本の柱と、その上に渡された蔓から垂れる様々の装飾まではっきりと見分けることができた。
(貝と骨と木の実と石と……海や大地や島の生き物から採れるものを集めて、精霊との間を取り持つ媒介にしてるんだな)
と、改めてそうした装飾を眺めながら、グニドはカヌヌから聞いた話を反芻する。たくさんの装飾をぶらさげた蔓には余りがあって、端の方にだらんと垂れたそれを引っ張ると、装飾が揺れてぶつかり音を立てる仕組みだった。
〝聖域〟へ向かう前のクムが何事か唱えながらガラガラとこれを鳴らしていたのは、吊り橋の向こうで待つ精霊たちに今から〝聖域〟へ向かうことを告げ、訪問の許しを乞うためだったのだろうと思う。
あまりに長い橋の果てには一体何があるのか、この暗さでは確かめようもないものの、日が昇れば少しは見えるだろうかとグニドは長い首を伸ばした。
「──グニド?」
ところが刹那、生温い夜風に乗ってツンと鼻を突くようなにおいがする。
と同時に背後から名前を呼ばれ、グニドは首だけで振り向いた。
そうして見やった先にいたのは、いつも着ている丈の短い上着を脱いで、胸のあたりだけを覆う黒い布を巻いたラッティだ。彼女は自前の小さなランプを携えており、グニドと目が合うや「よう」と片手を上げながら、狐耳をぴくぴく動かした。
「ラッティ? 何故、ココニ居ルカ?」
「いや、なんか寝つけなくて困ってたら、アンタが明かりも持たずに出ていくのが見えたからサ。暗闇の中、うっかり足を踏みはずして落ちたりしたらまずいと思って追ってきたんだ」
「ムウ……オレ、マヌケ、違ウ。明カリ、無クトモ、足場見エル」
「アハハッ、悪い悪い。でも万が一ってこともあるだろ? ほら、ここ、広場以外は月明かりも遮られてあんまり届かないから」
悪びれもせずにそう言って、ラッティは広場の真上に開いた森の穴を仰ぎ見た。
そこには満月に少し足りない月と星とが音もなく浮かんでいる。地上は虫や鳥の声でこんなにも賑やかだというのに、天上は凪のような静けさだ。
「うーん……月の高さを見るに、まだ夜の半分も過ぎてないか。アンタ、ルルが心配で様子を見に来たんだろ?」
「ウム……ルル、クムト、ウマクヤッテイルカ、心配」
「あの子とクムさんなら大丈夫だと思うけどね。特にクムさんは、愛想はないけど気遣いのできるいい人だよ。今は非常時だから仕方なく族長の真似ごとをしてるけど、もともとは島の医者代わりだし」
「〝イシャ〟……ハ、病ヤ怪我、治ス者ノコトカ」
「そ。薬草とかまじないとか、未だに原始的な医術に頼ってる無名諸島じゃちょっとした病や怪我も死に直結するからね。だからみんな何かあると死を覚悟してクムさんを頼ってくる。そういう人らを何人も見てきたからかな。あの人はあんまり感情を表には出さないけど、人のことをよく見てる。相手が何を考えてるのかとか、どうしてほしいのかとか、そんなことをね」
次いで橋の向こうに視線を移したラッティがそう告げるのを聞いて、グニドも再び〝聖域〟を見やった。以前からラナキラ族と付き合いのあるラッティがそう言うのなら、きっと信用していいのだろうと思う。でも。
「……ダガ、ラウレアハ、泣イテイタ」
「え?」
「カヌヌガ次ノ長、ナルト聞イテ、ラウレア、泣イテイタ。アレハ、クムガ、決メタコト。違ウカ?」
「ああ……そりゃまあ、そうなんだけど。あればっかりは仕方ないだろ。ラナキラ族を守るためには、もう次の族長を決めるしかない。ラウレアさんには気の毒だけど……すべては島の掟だ。クムさんだって苦渋の決断だったと思うよ」
表情に影を落としながらそう言って、不意にラッティは歩き出した。
どこへ行くのかと思ったら、広場の隅の、森の主の枝がほんの少し盛り上がっているところへ行って腰を下ろす。
なるほど、椅子代わりというわけか、と納得したグニドも、最後にもう一度だけ〝聖域〟の様子を一瞥してからラッティに歩み寄った。丸太ほどの太さがある枝に腰かけたラッティは足もとに目を落とし、じっと何か考え込んでいる。
「……ほんとは、アタシもさ」
「ジャ?」
「アタシも、カヌヌには試練に挑んでほしくないよ。あいつが族長になるのは賛成だけど、一族の長として認められるための試練はいつも命懸けだって聞いた。それでもしあいつが命を落としたりしたらと思うと……今は状況が状況だし、今回だけ特例ってことで、試練はパスになったりしないかな、とか考えちゃってね」
「ムウ……ダガ、試練、受ケナケレバ、皆、カヌヌヲ、長ト認メナイ。一族ノタメ、命、懸ケラレナイ者ノ言葉、誰モ聞カナイ。ソレデハ、カヌヌガ長ニナッテモ、意味ガナイ。ラナキラ族、守レナイ」
「……そうかもね。特に平和主義者のカヌヌは、大昔から戦闘部族として栄えてきたラナキラ族の中では浮いてるから。アタシらが初めてこの島に来たときから、周りの人たちはみんなあいつを白い目で見てた。そんなやつが族長として立つことを認めさせようと思ったら……やっぱり体を張って、カヌヌにはその資格があると証明するしかないのかも」
いかにも原始的なやり方だけどねと苦笑して、ラッティはさらにうつむいた。足もとに置かれたランプが照らし出す彼女の横顔には、やはり濃い憂いの影がある。
しかしグニドは、ラッティが何か思い悩んでいる様子でいるのは、単純にカヌヌの身を案じているから……というだけではないような気がした。
だっていつもの彼女なら、こんなときはむしろ「カヌヌならやり遂げるサ!」と楽観的な物言いをして皆を安心させようとするはずだからだ。
グニドは獣人隊商の中では新参だが、以前からラッティのそういうところに長としての資質を見ていたし、尊敬もしていた。だからこの島に来てからというもの、何となく彼女の様子がおかしい気がしてグニドはグルル……と考える。
(ラッティはおれたちに何か隠してるのか?)
と内心首を傾げたところで、はたとひとつ思い当たった。
そう、あれはブワヤ島からワイレレ島へ向かう飛空船の上でのこと。
あのときもラッティはカヌヌの前で明らかにおかしな態度を取っていたはずだ。
そこでグニドの頭に浮かんだのは〝キーリャ〟という名前。
かつてラッティたちと共に旅していたという、豹人の……。
「……。ラッティ、訊イテモ良イカ?」
「……ん?」
「オレ、思ウ。オマエ、何カ悩ンデル。ソレハ〝キーリャ〟ト関係アルカ?」
「……!」
「オレ、〝キーリャ〟ノコト、知ラナイ。ダカラ、知リタイ、思ウ。迷惑カ?」
グニドが投げかけた質問に返ってきたのは、重い湿気をまとった沈黙だった。
森では夜の虫や鳥がギャアギャア騒いでいるというのに、グニドとラッティを包む暗闇だけがとても静かだ。
「……参ったね。まさかアンタにそこまで見透かされてたとは」
ところがやがて、その静寂をわずか揺らすため息が落ちて、ラッティが口を開いた。彼女は苦笑とも自嘲とも取れる笑みを浮かべながら狐色の髪──さっきまで横になっていたためか、珍しく結われていない──をガシガシ掻くと、再び足もとへ目を落とす。
「……ごめん。アンタらに心配はかけたくなかったんだけどサ。どうもダメだね、キーリャの話になると……未だにあのことを乗り越えられてないんだって痛感するよ。我ながら情けないけど」
「アノコト?」
「ああ……話すと少し長いんだけどサ。聞いてくれる? アタシもアンタには話しておきたい。ルルと──人間と一緒に生きることを選んだアンタには」
そう言って見上げてきた草原色の瞳が、闇の中で一瞬強く、危うげに閃いた気がした。ラッティの表情はそれだけ真剣で、グニドの胸にまっすぐ届く。
だからグニドも頷いた。こちらが立ったままでは話しづらかろうと、ラッティの隣に腰かける。お互いの尻尾が枝の後ろに垂れて、ほんの少し先が触れた。
「あー……しかしまあ、何から話そうかな。思えばアンタにはまだ、いつ、どうやって獣人隊商ができたのかも話してなかったよね」
「ウム。オレ、知ッテルハ、獣人隊商ノ最初、オマエト、ヴォルク、二人ダケ。オマエモ、ヴォルクモ、ズット一人デ旅シテタ。ダガ、二人、出会ッテ、獣人隊商、作ッタ。合ッテルカ?」
「ああ、大筋はね。アタシとヴォルクが出会ったのは六年前……どこの森だったかは忘れたけど、人間の目から逃れるために迷い込んだ先で、ボロボロになって倒れてたあいつを見つけた。何でもヴォルクはアタシと出会うまでの数年間、そのほとんどを狼として生きてたらしくてね。物心ついた頃にはひとりきりで、以来、生きるために本物の狼の群にまぎれて暮らしてた。でも土地によっては、まざりもののあいつを受け入れてくれない群もあったらしくて……アタシと出会ったのはそういう群に〝縄張りから出てけ〟と攻撃されて、死にかけてたときだったと言ってたよ」
もっともそうしたヴォルクの半生を知ることができたのは、出会って半年以上が過ぎた頃のことだったけどね、と付け足してラッティは苦笑した。というのもラッティと出会うまで獣として生きていたヴォルクは人の言葉を話すことすらままならず、出会った当初は意思の疎通を図るのに大層苦労したのだという。
だがヴォルクが少しずつ言葉を覚え、お互いが身寄りのない半獣同士だということが分かると、ふたりは共に人間の迫害から身を守り、生き抜く方法を模索した。
そしてラッティたちはとある国のとある場所で、持ち主のいなくなった馬車を見つけた。馬車の中には商人の荷物と思しい食糧や売り物がどっさり。
されど周囲に人の姿はなく、綱を切られて遠くから馬車を眺めている二頭の馬と数人の人間の肉体の一部、そして大量の血痕が残されていただけだったという。
「ま、要は行商の途中で運悪く魔物に襲われた商人の馬車だったんだよな。アタシらは警戒に警戒を重ねて周辺の様子を探ったが、どうやら生存者はひとりもいないらしかった。で、閃いたんだよ。死んだ人らには悪いけど、この馬車を丸ごと頂戴して、人間の商人のふりをすればいいんじゃないかってね」
「人間ノフリ……? ダガ、オマエモ、ヴォルクモ、半獣ダ」
「そうサ。だけどアンタ、コレを忘れてるだろ?」
と、ラッティは得意げに「フフン」と鼻を鳴らすと、突然右手の指と指とを擦り合わせ、パチンと器用に音を立てた。
瞬間、グニドの視界は一変する。巨大な樹々の枝が絡み合ってできたはずの広場は消え、砂の大地と化し、天上からは灼熱の日光が降り注いだ。
驚いて顔を上げれば、頭上に広がっていたはずの夜空は雲ひとつない砂漠の空に様変わりしている。しかも太陽が昇っているということは、昼だ。おまけに熱された砂のにおいや乾いた風の感触、砂丘に砂紋が刻まれる微かな物音まで確かに聞こえる──間違いない。これはグニドのよく知る故郷、ラムルバハル砂漠の景色だ。
ところが驚愕したグニドが腰を浮かしかけた刹那、再びラッティが指を弾く音がして、目の前にあった故郷が消失した。
まるで蜃気楼のようにゆらゆらと景色が揺れて、面食らったグニドが瞬きをした次の瞬間には、世界がもとの姿を取り戻している。
そこでようやくグニドも理解した。今のはラッティの化かしの術だ。
彼女の力を見せられるのは久方ぶりのことだったので、完全に失念していた。
そうだ。この力さえあれば、ラッティはいつでも人間を化かせるのだと。
「ハハッ、アタシの父さんも商人だったからね。人間に化けて商売をするのは思いのほか簡単だったよ。もちろん最初は死ぬほど緊張したけどサ。もともと狐人は商人の一族だから……血のおかげかな。小さな取引を何回か繰り返すうちに要領は分かったし、少しずつ儲けも増えた。で、懐にちょっと余裕ができて、商人としての自信もついてきた頃にね。当時エレツエル神領国の奴隷だったポリーと出会ったんだよ。いや、より正確には、神領国の奴隷小屋から逃げてきたポリーと、ね」
そこで彼女を助けたことが、ラッティの第二の転機となった。
人間に追われ、虐げられ、傷だらけになって泣いていたポリーを見たとき、ラッティは決意したそうだ。人間へ向かう自分たちの憎悪を糧にして──同じように人間に苦しめられ、助けを求めている獣人や半獣人を救うための集団を創ろうと。
「で、つけた名前が獣人隊商サ」
と、ほんの少しだけ照れ臭そうに、されど懐かしそうに呟いたラッティの語調には、誇らしさが滲んでいた。それだけで新参のグニドにも、ラッティがこの道を選んだことをまったく後悔していないのが伝わってくる。
おかげでグニドも彼女たちと出会い、助けられた。グニドの場合は人間に虐げられていたわけではなかったが彼女たちは構わず、同じ獣人の誼だからと手を差し伸べてくれた。あのとき隊商と出会わなければ、きっと遅かれ早かれグニドも人間との共生の壁にぶち当たり、差別や迫害に苦しむことになっていただろう。
「そのあとしばらくしてカヌヌが仲間になって……キーリャと出会ったのは、カヌヌをキャラバンに加えた翌年だったかな。昼間ヨヘンが言ってたとおり、キーリャはメスの豹人で……まあ、なんというか、盗賊をしてた」
「トーゾク?」
「ああ……南東大陸で豹人族が受けた迫害の話は聞いたろ? キーリャはアレのせいで故郷を失った放浪の身でね……逃げ延びてきた別の大陸で、生きるために盗みを働いてたんだ。もともと豹人族はひとりで狩りをする種族でサ。アンタら竜人ほどじゃないけど、戦闘能力はかなり高かった。で、当時から少人数で旅してたアタシらを狩りやすそうな獲物だと踏んで襲ったわけだ」
「!?」
やれやれと言いたげに肩を竦めたラッティの告白に、グニドは意表を衝かれて眼を見開いた。だって、まさかラッティたちの昔の仲間が、彼女らを狙った盗っ人だったなんて夢にも思わなかったのだ。
「オ、オマエ、キーリャニ、襲ワレタカ? ナノニ、キーリャヲ仲間ニシタカ?」
「まあ、そうなるね。というのもアタシらを襲ってきたとき、キーリャは満身創痍でサ。ひとつ前の盗みに失敗して、だけど生きるためには盗むしかなくて、そんな状態で無謀にもアタシらを狙ってきた。ヴォルクとカヌヌだけで返り討ちにできたのもそのおかげだったわけだけど……当然、なんか事情があるんだと思うだろ。傷だらけの獣人が捨て身で勝負を挑んできたりしたらサ」
結果としてキーリャは隊商の用心棒だったヴォルクとカヌヌに敗れ、捕らえられた。初めのうちは素性も何も話そうとせず、頑なに心を閉ざしていたものの、ラッティたちが傷を手当てし、自分たちの身の上をぽつぽつと話して聞かせるとやがて少しずつ心を開いた。そして最後には彼女もまた隊商の護衛役として、ラッティたちの仲間に加わることになったのだという。
「キーリャは最初から最後まで、愛想のないやつだったけどサ……アタシらの中では年長だったし、生き抜くための色んな術を知ってたから、次第にみんなキーリャを頼りにするようになっていった。ツンと澄ましてるように見えて、実際は面倒見のいい姐御肌だったんだよな。だからアタシも……気づけばキーリャを姉さんみたいに思ってた。ずっと獣人隊商の隊長としてみんなを引っ張ってたからサ。嬉しかったんだよな。自分にも頼れる相手ができたことが……」
膝の上で手を組みながら、どこか遠い目をしてラッティは言った。その横顔はかつての日々を懐かしんでいるようでもあり、痛みをこらえているようでもあった。
かと思えばふーっと深く息をつき、ラッティはうつむく。
長い髪が肩から垂れて、隣に座るグニドの位置からは表情が読めなくなった。
「……だから、ほんとは嫌だったんだ。キーリャと離れ離れになるなんて、耐えられなかった。でもキーリャの幸せを思うなら、望みを叶えてやるべきだって……」
「ラッティ」
「……そう思った。そうするのが正しいって。だけどあのとき、変にかっこつけたりしないで、自分の気持ちに正直になってればあんなことには──」
震えた声でそう言って、ラッティが顔を覆う。
そんな彼女の心の揺らぎを代弁するかのように、足もとのランプの火が揺れた。
再び沈黙が降りてくる。グニドはじっと黙って彼女の次の言葉を待つ。
もう話さなくていい、とは言わなかった。
何故ならこれは他でもない、ラッティのために必要なことだと思ったからだ。
「……ごめん、グニド。少し待ってくれる?」
「ウム」
「仲間の前で、こんな情けない顔、見せらんないからサ……もう少しだけ」
「ウム。オレ、待ツ。イツマデデモ」
だって、それが仲間だ。
そういう想いを込めて、グニドは枝から垂れた尻尾の先をゆらゆら揺らした。
すると再び先端がラッティのやわらかな尻尾に触れる。
グニドの尻尾は、ラッティのように毛皮に覆われていない代わりにとても長い。
だからラッティの尻尾の先に自分の尻尾を巻きつけて、ぎゅっと握った。
ここにいるぞ、と知らせるために。
「……ありがと、」
と顔を覆った手の内側、くぐもった声でラッティがそう呟いたような気がする。
ちょうどそのときふたりの頭上を、やかましい鳴き声を上げながら、無粋な夜鳥が飛び過ぎていったから定かではないが。
「キーリャはサ、人間に恋をしたんだ」
こんな夜中になんと騒がしい鳥だ。
グニドがそう思って空を睨み上げた刹那、ついにラッティがぽつりと言った。
ゆえにグニドも視線を戻して耳を傾ける。
ラッティが過去を乗り越えるための、昔話に。