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子連れ竜人のエマニュエル探訪記  作者: 長谷川
【無名諸島編】
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第八十一話 次は彼の番


 森の主たち(グバト・アリ)の中で最も高い樹の上にカヌヌの(イエ)はあった。

 カヌヌの巣とひと口に言っても、彼ひとりのものではなく、ラナキラ族の長だというカヌヌの祖父と母、三人が暮らしている場所だ。同じ人間の巣だというのに、ラナキラ村に点在する樹上家屋(マカ・ラウ)はグニドがルエダ・デラ・ラソ列侯国(れっこうこく)で慣れ親しんだそれとは違い、ほとんど床と天井しかないような簡素すぎる造りをしていた。

 石の壁も、頑丈な(カワラ)で覆われた屋根もない。

 樹上家屋を形成する材料は森から採れる木材と葉っぱと(ツタ)のみで、確かに風通しはよさそうだが、嵐でも来たら何もかも粉々に吹き飛んでしまいそうだ。


「よう、お前ら。戻ったか」


 と、そんな仕切りも何もない巣の中へいざ踏み込んでみると、部屋(むろ)と呼んでいいのかどうかも分からない板張りの床の真ん中に、あぐらをかいて座ったヴェンがいた。グニドたちが無名諸島に留まる間、余計な騒動を起こさないという約束のために人質となったと聞いていたが、別段拘束されているわけでも武器を奪われているわけでもなく元気そうだ。さらに彼の傍らには三人の見知らぬ人間(ナム)がいる。

 ひとりは重ねて敷かれた葉っぱの上に横たわり、眠っているらしい痩せた老人。もうひとりは、カヌヌと同じ真っ黒な肌をしたメスの人間。そして明らかに島の人間ではないとひと目で分かる、森色の帽子と外套(がいとう)をまとった年若いオスの人間だ。


「アオーレ! カヌヌ、ヒ・アハ・オ・イア……!?」


 うち、向かい合って座るヴェンと若いオスに何かを差し出そうとしていた真っ黒なメスが、グニドを見るなり跳び上がって悲鳴を上げた。

 あんなに肌が黒いのにはっきりそうと分かるほど顔面蒼白で、何事か叫びながら寝ている老人に(すが)りついている。いや、より正確には縋りついているというよりも、老人を守ろうと覆い被さっているのか。

 恐らくはあれがカヌヌの母と祖父なのだろう。彼は狂乱する母の姿を見て困ったように頭を掻くと、歩み寄って現地語で何か話し始めた。


「わあ、驚いた。本当に竜人(ドラゴニアン)だ。しかも人間の子供を抱いてる」


 と、そんな母子の様子を後目に声を上げたのは肌の白いオスの人間だ。

 グニドの巨体を前にして取り乱すカヌヌの母とは裏腹に、彼の方は何とも気の抜けるような反応で、ちっとも驚いている様子がなかった。

 というのも彼はラッティたちから事前に〝竜人の仲間がいる〟と聞かされていたらしく、グニドが無害であることを知っていたようだ。

 だとしても実際に人喰い獣人を前にしたら、普通はもう少し驚いたり怯えたりしそうなものだが、肝が据わっているのかはたまた鈍感なのか、彼はエクターの帽子によく似た鍔広帽をはずしてにこりと笑った。


「はじめまして、竜人。ええと……名前はグニドナトス、だっけ? 僕は旅人のジェレミー・ノリス。見てのとおり大陸の人間だよ」


 そう自己紹介した彼の口調はなごやかな歌のようでいて、どことなく馴れ親しんだ響きを帯びていた。

 ジェレミーと名乗った人間のハノーク語は、ヴォルクが話すのともポリーが話すのともヨヘンが話すのとも違う──ラッティの話すハノーク語だ。


「ジェレミーさんはアタシらよりも先に島に来てた客人でね。吟遊詩人っていう、色んな体験や物語を歌にして、旅先で人に聴かせる仕事をしてるんだ。で、今回新しい歌を作るために、大陸の人間は滅多に足を運ばない無名諸島まで遥々やってきたらしいんだけど……」

「あはは、そうなんです。だけど勝手に島に入ったものだから、ラナキラ族の皆さんに怒られてしまって。でもハノーク語を話せるカヌヌくんが間を取り持ってくれて、今はこうして客人としてお世話になってます」

「フム。ギンユーシジン、カ……」


 これはまた初めて聞く人間の肩書きだな、と思いながら、グニドは興味深くジェレミーへ視線を送った。様々な物語を歌にする、ということは、すなわち彼は死の谷(モソブ・クコル)でいうところの語り部(レグニス)みたいなものだろうか。

 人間と違って文字を持たない竜人は、一族の間に伝わる伝承や昔話を口頭で語り継ぐ。しかしただ言葉で伝えるだけではいつしか風化してしまったり、誤った内容に変換されてしまうおそれがあるから、大切なものは歌にして後世に残すのだ。


 そしてそれらの歌を歌い継ぐ役割は、語り部と呼ばれる老いた竜人たちが担う。

 加齢と共に足腰が弱り、狩りや戦いに参加できなくなった竜人は、鍛冶や工作や酒造のための職人となるか、この語り部となるかのどちらかだった。

 幼い頃はそんな語り部たちの歌を聴くのが楽しみのひとつだったグニドは、人間の語り部はどんな歌を歌うのだろうと気になってフンフン鼻を鳴らす。

 ところが刹那、グニドの右腕にすっぽりと収まったルルが、突然ひしとグニドの首に抱きついてきた。どうしたのかと目をやれば、彼女はうっすらと何かに怯えたような顔をして、笑顔のジェレミーを凝視している。


「ドウシタ、ルル?」

『……グニド。あのひと、こわい』

「ジャ?」

『あのひと、こわい。ホルトたち、みんな、おびえてる……』


 ──妙だな、とグニドは思った。

 すぐ傍にいるラッティたちにも会話の内容が分かるように、グニドがわざわざ人語で話しかけたというのに、ルルは竜語を喋っている。こんなことは初めてだ。

 何よりジェレミーが怖い、だって?

 グニドが見たところ、ジェレミーはヴェンのような毛むくじゃらでもなければ巨漢でもなく、どちらかと言えば優しげで親しみやすい見かけをしている。

 竜人(グニド)を前にしてもにこにこと愛想のいい笑みを絶やさないし、礼儀も正しい。

 だというのに何を怯えることがあるのだろう。ルルが口走った〝ホルト〟というのは、ブワヤ島でのやりとりを思い返す限りどうやら精霊の一部のようだが……。


「あれ? ごめんよ、怯えさせるつもりはなかったんだけど……」

「なんだ、ルルが人見知りするなんて珍しいな。しばらく列侯国で過ごして、人間にもだいぶ慣れたと思ってたのに」

「まあ、そんくらいの歳の子供にはよくあることだろ。しかしお前ら全員五体満足で戻ったってことは、例の鰐人(クク)族とかいうのには遭遇せずに済んだのか? 俺の部下どもは無事なんだろうな?」

「あー、うん……とりあえず空艇団(くうていだん)の方は大丈夫だよ。九番艦(ラルス)以外の飛空船(ふね)もワイレレ島の沖に移動させて、ヴェンさん不在の間の指揮はマドレーンさんとエクターさんに任せてきた。ただ、まあ、こっちもこっちで色々あって……」

「あンだあ? ずいぶん歯切れが悪いじゃねえか。どうせ人質やってる間はヒマだし、面倒ごとなら喜んで聞くぜえ……ヒック」

「つーかリベルタス提督、酔ってません!? まさか(ここ)の酒を飲んだんですか!?」

「おー。お前らがブワヤ島に戻ってる間に晩メシを馳走(ちそう)になったんでな。さすがに猿の姿焼きが出てきたときはどうしたもんかと思ったが、ダメ元で食ってみたら意外とイケたぜ。この蛇酒(サワ・アラキー)とかいうのもな」


 と若干呂律の怪しい口調でそう言って、ヴェンが掲げて見せたのは木の塊を()()いて作ったような形の杯だった。

 中に入っている黒っぽい液体──いや、カヌヌの巣は夜間の光源が柱に(くく)りつけられた松明ひとつだけだから、暗くてそう見えるだけかもしれない──はどうやら酒であるらしく、鼻を寄せてみると薬草のようなにおいの間に、微かな生臭さを感じる。鰐人族の里(イング=ハンユ)で振る舞われた酒とは違って泡立ってもいない。


 何でも〝蛇酒(サワ・アラキー)〟と呼ばれるその酒は、島に()む野生の毒蛇(レッダ)を生きたまま壺の底に沈め、酒と一緒に土に埋めて作られるという何とも珍妙な酒らしかった。

 毒を持つ蛇を漬けたりしたら毒のある酒が出来上がってしまいそうなものだが、たくさんの薬草と一緒に漬けることで滲み出た毒が薬に変じ、非常に体にいいらしい、とはヴェンの晩酌に付き合っていたジェレミーの言だ。

 しかしさすがに生きた毒蛇を酒漬けにしたものを飲む気にはなれないらしく、これには酒飲みのラッティすら拒絶反応を示していた。が、カヌヌの説得によりようやくグニドを人喰いの野獣ではないと理解したらしいカヌヌの母──名はラウレアというそうだ──が恐る恐る差し出してきた酒をグニドも受け取って飲んでみる。


 途端に口に広がる苦味は酒というより本当に薬のようで、グニドは予想外の味に眉をひそめた。が、ジェレミーに勧められ、手渡された黄緑色の果実を皮ごと(しぼ)って汁を注ぐと驚くほど飲みやすくなる。

 果汁のおかげで生臭さは消え、サッパリとした酸味のあとに微かな甘味も感じるようになった。ポリーなどは震えながら「ぐ、グニド、よく飲めるわネ……」と信じられないものを見る目をしているものの、実は死の谷にも(モネヴ)を酒に沈めて作る〝蠍酒(ロウクィル)〟という酒がある。おかげでグニドとしては『蠍が蛇に変わっただけだろう』という感じで、あまり抵抗なく口をつけることができた。


「──というわけで、グニドが鰐人族最強の戦士って人に気に入られたおかげで、鰐人族がラナキラ族に力を貸してもいいって話になったわけ。あの一族が手を貸してくれるなら、とりあえずヴォソグ族とのいざこざはどうにかなると思う。問題は鰐人族側が提示した条件が〝島の人間たちとの共存〟で……最有力部族の長(オルオル)が不在のこの状況で、人間側が歩み寄りの姿勢を示せるかってのが話のキモになってくると思います」


 ほどなく広くもなければ狭くもないカヌヌの巣に獣人隊商(ビーストキャラバン)の面々と巣主(やぬし)の三人、客分のヴェン、ジェレミー、そしてラナキラ族の祈祷師(ルグア)であるクムが揃うと、ブワヤ島での顛末(てんまつ)をラッティたちが手短に説明した。と言ってもクムとラウレアにはハノーク語が通じないので、彼らにはカヌヌが現地語で同様の内容を伝えている。

 そうしてひと通り話を聞くと、ラウレアは明らかに困惑しながら口もとを押さえ、ヴェンは興味深げに「へえ」と片眉を上げ、ジェレミーは無言で酒を飲んだ。

 カヌヌと同じく上半身丸出しで、やや丈の長い腰巻きだけを身に帯びたラウレアは、やはり鰐人族が信用できないのか、何事か訴えるようにクムへと声をかける。


 が、彼の腕や胸もとと同じくらい派手な呪具で飾られた杖を床につき、あぐらをかいたクムはむっつりと押し黙ったままだ。

 皆が葉っぱの屋根の下で組んだ車座の中、彼は松明から最も遠い位置にいるせいか、褐色の肌が闇に溶け込んでグニドの夜目をもってしても表情が窺えなかった。

 長が病で昏睡している今、一族で最も強い権力(ちから)を持っているのはこのクム老人だと聞いているものの、果たして彼はどこまで頼りになるのだろうか。

 もしも彼らが臆病風に吹かれ、鰐人族との協力を拒むようならこちらにも考えがあるが……とグニドが腹の底で思案していると、ときにヴェンが塩で()ってあるという豆をひと掴み、豪快に口へ放り込んで言った。


「まあ、俺ァ無名諸島(ここ)の作法を知らねえ人間だから好き勝手に言えるがよ、状況的には〝渡りに船〟ってやつだよな。問題の鰐人族ってのが本当に竜人みてえな連中なら、身を守るものが槍と弓だけの人間サマなんざ手も足も出ねえだろ。なら今回の同盟話を蹴る理由がねえ。これを機に鰐人族とも末永くよろしくやれんなら、今後は連中に怯えながら暮らさなくて済むってことでもあるしな」

「……大陸的な考えに基づくならそうなりますけど、過去に自分たちの島を横取りされた部族は今も鰐人族に強い憎しみを持っていますから。その鰐人族と手を結べば、ラナキラ族の立場も変わってくる。彼らの間では合理性よりも、まず自分たちの掟や感情が何よりも優先されるんですよ。だから仮に同盟が成立したとしても、鰐人族を嫌う部族はラナキラ族の選択を〝裏切りだ〟と非難するでしょうね」

「そうなりゃいよいよラナキラ一強の時代が終わっちまうかもしれない。いくら鰐人族を味方につけても、他の島の部族たちを一斉に敵に回しちゃ分が悪いでしょう? おまけに今は族長(オルオル)も次期族長も不在だし……」

「だったらさっさと次の長を決めりゃいいじゃねえか。確かにそこのジイさんが今後快方に向かって、儀式に出かけた次期族長もひょっこり帰ってくるって可能性も否定はできねえ。だが今は一族の存亡が懸かった緊急事態だろ? ならもうしきたりがどうのとか序列がどうのとか言ってる場合じゃねえんじゃねえのか?」

「まあ、アタシらの感覚で言えばそうですけど……」


 とラッティが困ったように狐色の頭を掻く中、不意に彼女の傍らでカヌヌが顔を伏せた。やはり肌が黒いのと、松明の明かりが逆光になっているのとで表情は読めないが、何かひどく(ふさ)()んでいる──ような気がする。


「……エ・ロア・カウア・イ・カヒ・スマガサ」


 ところが刹那、車座の最奥で黙りこくっていたクムがついに口を開いた。


「パグパライン・アウ・マイ・ケイアポ。エ・ホーロヘ・ワウイ・カーナ・マナォ・マカラ・ア・ポーポ」


 うつむいていたカヌヌが弾かれたように顔を上げ、ラウレアも息を飲んだ。

 彼女は依然として口もとを押さえたまま、痩せた肩を小刻みに震わせている。

 一方カヌヌは、闇の中でいやに白く浮き上がる両目を見開き、微動だにしなかった。そんなカヌヌをまっすぐに見据えて、眠そうに垂れた(まぶた)の下でクムは言う。


「カヌヌ。エ・リオ・イ・アラカイ・ホウ・アエ。エホ・オホロ・オエ・イ・カー・マーコウ・オペ。エ・ハハイ・ノーナ・カーナカ・ア・パウイ・カホ・オホロ・ア・ケアラカイ」


 クムが先程から何を言っているのかは分からない。

 されど見据えられたカヌヌはやがてゆっくりと床に視線を落とすと、


「……クポノ・ケーラ」


 とだけ答えた。途端に押さえられたラウレアの唇から嗚咽(おえつ)が漏れ、くしゃくしゃに歪んだ彼女の頬を涙が濡らす。

 そうしたラウレアの反応を見て、グニドらもようやく只事ではないと気づいた。

 カヌヌはまるで何かの覚悟を決めてしまったかのように神妙な顔をしているが、泣き叫ぶラウレアの声に打たれ、ラッティたちは明らかに動揺している。


「お、おいカヌヌ、一体どうしたんだ!? クムさんは今、お前になんて──」

「……ラッティサン。ボク、言いマシタ。〝次はボクの番デス〟と」

「は……?」

「クムサマは、父サマ(タタイ)はもう戻らないと。ダカラ、次はボクがスマガサをしマス。ヴェンサンの言うとおり、今の一族には新しい長が必要ネ。ナゼなら長が決めたコトには、一族のみんな従うから」

「な……何だって? 次の長はアンタなのか!? けどアンタには姉さんがふたりいて、しかもどっちも婿(むこ)を取ってるだろ? なら先に試練を受けるのは──」

「ラッティさん。無名諸島では原則、家や財産は末の子が相続するんですよ」

「えっ……」

「ここでは人の寿命が短いから。だから年長者よりも若く健康で、より長く生きるであろう末子に家督が譲られるそうです。……と、僕もカヌヌ君から聞いただけだから、あまり偉そうに講釈はできないけど。でもカヌヌ君のお父さんが十日経っても戻らなければ、次はカヌヌ君がスマガサを受けるって、僕はそう聞いてました。そうだよね、カヌヌ君?」


 ジェレミーがそう尋ねると、カヌヌは無言で頷いた。

 つまり彼が次の族長候補に選ばれ、スマガサ──次の長を決めるための試練のようなもの──を受けるという話は事前に決まっていたことらしい。

 だがカヌヌの説明によれば、クムは試練の予定を早めると言い出した。

 今日はカヌヌの父がスマガサに出発してから九日目。

 つまり本当ならあと一日猶予(ゆうよ)があるはずだったが、クムはカヌヌの父の生還を見限り、次の候補者であるカヌヌに試練を受けさせるつもりのようだ。


 理由は言わずもがな、鰐人族への返答の期限が明後日に迫っているから。

 ゆえにクムは予定を早めてカヌヌに試練を受けさせ、その正否でもって一族の未来を決めようとしているのだった。争いを好まないカヌヌが次の長となれば、鰐人族との同盟は無事に成立する可能性が高い。ラッティたちはラナキラ族以外の部族が、鰐人と手を結ぶことに反感を募らせるのではないかと危惧しているようだが、カヌヌの望みは無名諸島に住むすべての民が手を取り合って暮らしていくことだ。

 そして鰐人族の祈祷師(ヌァギク)もまた彼と同じ未来を望んでいた──〝神〟の名を(かた)る者たちに(あらが)うために、皆が協力し合わねばならない時代がついにやってくる、と。


(ならばおれは、カヌヌがラナキラ族の次の長になることには賛成だが……)


 しかしクムが試練の予定を早めると言い出してからラウレアの様子がおかしい。

 彼女は涙ながらに声を荒らげて何かを訴え、激しい口調はクムの決断を非難しているようにも聞こえた。何しろ自分の()()()はもう戻らないと宣告され、さらには一番年少の我が子を危険な試練に送り出せと言われているのだ。

 そう考えれば彼女の反応はもっともだし、クムを責めたくなる気持ちも分かる。

 とは言え一族を守るためには彼の決断に従う他ないのではないか、と複雑な心境でグニドが考え込んでいると、同じく眉を曇らせたヴォルクが、隣に座るカヌヌを一瞥(いちべつ)して尋ねた。


「……カヌヌ。ラウレアさんはなんて?」

「ええと……母サマ(ナナイ)は、タタイの帰りをあと一日待ってもいいだろう、と言ってマス。ナゼなら、ボクがスマガサに行くためには、クムサマの儀式受けなければいけないから。そのためにクムサマは今夜から、パグパラインすると言ってマス。でもパグパラインには三日(サンニチ)くらいかかるのが普通ネ。だったらどのみち、鰐人族との約束の日には間に合わないのだから、タタイを待ってもいいハズだと……」

「パグパライン……って、霊術師(パヌガ)精霊(マヌ)の力を借りるために、ひとりで森に()もる儀式のことだっけ?」

「ハイ。ボクが受けるスマガサ、どんなスマガサになるか、クムサマがマヌに()いてこなければなりマセン。だからパグパラインはどうしても必要(ヒツヨー)です。でも……」


 と困ったような顔をして、カヌヌは再びクムとラウレアの会話に耳を傾けた。

 ラウレアは依然として取り乱しているが、クムの方は冷静だ。老齢のオスにしてはやや高い(しわが)(ごえ)で、ラウレアを(さと)すように何事か言って聞かせている。

 が、そんなふたりのやりとりを聞いていたカヌヌが、次第に驚きをあらわにするのが分かった。彼はゆっくりと目を見開くや、次いでグニドを──否、先程からグニドの左腕にぴたりと抱きついて離れないルルを凝視してくる。


「……ドウシタ?」


 カヌヌの視線に気づいたグニドがそう尋ねるのと、ラウレアがこちらを振り返るのが同時だった。彼女もまたグニドの傍らで小さくなっているルルを見つめるや、驚愕した様子で言葉を失っている。さらに隊商の面々やヴェン、ジェレミーも彼らの視線を追ってルルを(かえり)み、突然注目の的となったルルはびくりと震えた。そうしてますます身を竦める彼女を正面から見据え、刹那、クムが静かに杖を横たえる。


「マヌ・ホアロハ。エ・コクア・マイ・イア・マーコウ」


 (おごそ)かな口調でそう告げるや、クムは村の広場でもそうしたように、ルルに向かって深々と頭を下げた。そこで初めて彼の言葉と敬意が自分に向けられていると察したらしいルルは、面食らった様子で固まっている。


「……オイ、カヌヌ。クムハ、ナント言ッテイル?」

「ソ、ソレが……クムサマは、ルルサンに力を貸してほしい、と。ルルサンは、マヌの大切な子ども──だから、ルルサンの力あれば、すぐにマヌの声が聴けるハズと言ってマス」


 ひどく動揺した口振りでカヌヌはクムの言葉を通訳した。

 なるほど、〝精霊(マヌ)の大切な子ども〟とはまさしくルルのことだ。

 〝マヌ・ホアロハ〟──それは恐らくハノーク語でいうところの〝預言者(ギフテッド)〟であり、竜語でいうところの〝精霊の愛し子(グニセルヴ)〟なのだろう。

 そしてクムの言い分は正しい。精霊の声が()()()も何も、ルルは自ら働きかけて彼らの声を聴いているわけではなく、こうしている今もごく自然に()()()()()

 何故なら夜の風や小さく燃える松明の音、木々のざわめきの中、そのすべてに精霊はいるのだ。だから特別耳を澄まさなくても、愛し子であるルルには聴こえる。

 グニドたちの耳に、風や火や葉擦れの音が届くのと同じくらい当たり前に。


『……ルル。少し話をしよう』


 精霊に愛された金色の瞳が、まんまるに見開かれてグニドを見上げた。


 しかしそんな彼女の反応とは裏腹に、瞬間、ルルを見つめるジェレミーの双眸(そうぼう)がすうっと細められたことを、グニドは知らない。


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