表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/130

第六話 鎮魂歌

 薄暗い地下道に、葬送の歌が響いていた。

 低く、厳かな、地の底へ響くような歌だ。

 その歌の旋律に合わせ、一歩、また一歩と、葬列はゆっくり地下道を進んだ。

 あたりを照らすのは青白い夜光石の光と、戦士たちが手にした松明だけ。

 その戦士たちが歌う鎮魂歌が、地下道の闇を粛々と震わせている。


『地の精、水の精、火の精、風の精よ。今ここに偉大なる長老レドルが眠りに就いた。その長老の魂を掬い上げ、汝らの中へ迎え入れよ。彼の意思が風となって空を駆け、炎として燃え上がり、谷に恵みの雨を降らし、地に安らぎをもたらすように……』


 やがて葬列が地下道の先にある地底湖へ辿り着くと、レドロヴ族の長老が皆を代表し、精霊への祈りを唱えた。

 そうして一連の儀式が済んだのち、死者が乗せられた輿が地底湖の畔へと担ぎ出される。

 その輿の上で眠っているのは他でもない、グニドらドラウグ族の長老だった。

 享年四十五歳。

 寿命三十年余りの竜人ドラゴニアンにしては、ずいぶんと長生きしたものだと思う。


 長老の葬儀には、死の谷モソブ・クコルに暮らす全部族の長たちが駆けつけていた。

 グニドら竜人の起源とされる竜祖の祠。その祠の守護を司るドラウグ族の長老は竜人の中でも特別な存在であり、谷に棲むすべての竜人を束ねる存在だったからだ。

 葬儀はそうした各部族の長たちの手によってしめやかに営まれ、グニドら一族の戦士たちはそれを葬列の中から見守っていた。

 死者の亡骸は、一度地底湖の中へ投げ込まれ、骨になるまで眠りに就く。やがて頃合いになるとその骨は引き上げられ、火で燃やしたあとに粉々にされ、故人を知る者たちの手で砂漠にかれる。

 それが竜人の間に長く伝わる葬送の儀だが、果たして長老の骨が水底から引き上げられる頃、自分はまだこの世にいるだろうか、とグニドはそんなことを考えた。

 仮にもし生きていたのなら、そのときはこの手で長老の骨を土に還してやりたいと思う。


『あーあ、ついにくたばっちまったなぁ、あのジイさんも』


 ヒック、と妙な声を出しながらスエンがそんなことをぼやいたのは、葬儀が果て、皆が地上へ戻ってきたあとのことだった。

 今はグニド、スエン、エヴィといういつもの顔ぶれが集まり、グニドのむろで酒を飲んでいるところだ。岩を刳り抜いて作られた無骨な杯の中には、白く濁った白竜酒が満ちている。


『そろそろだろうとは思ってたけど、実際にこうなってみるとやっぱり寂しいわね。思えばあたしたちは、生まれたときからあの長老のお世話になってたわけだし……』

『そうだな。おれたちはずいぶんかわいがってもらったしな』

『けっ。んなもん、〝目をつけられてた〟の間違いだろぉ。あのジイさん、何かあるとすぐオレたちに面倒事を押しつけてきやがったしなァ』

『それも含めて〝かわいがってもらった〟んでしょ。中でもあんたは特に手のかかる子供だったから』

『うるせえやい。この期に及んで姉貴面すんなよなァ』


 スエンは憎まれ口を叩きながら、更に白竜酒を呷った。そんなスエンをエヴィは呆れ顔で眺めている。

 だがグニドは、わざわざたしなめるようなことを言わなくても、スエンはきっと分かっているのだろうと思った。

 ただ彼の性格上、それを素直に表に出そうとしないだけだ。既に呂律が怪しくなっているところを見ると、相当酔っているようだし。


『だけどグニド、あんたはちょっと安心したんじゃない? 次の長老に選ばれたのが自分じゃなくて』

『ああ……それは確かにな。長老がとこに臥せるようになってから、いつもどこかに〝もしかしたら〟って思いがあったから、これでやっと肩の荷が下りた』


 言って、グニドは手にした杯の中を意味もなく見つめた。

 次の長老に選ばれたのはドニクという名の、グニドより五つか六つ年上のオスだ。竜人にしては気性の大人しいオスで、猛々しさこそないが仲間想いな一面があり、それなりに声望を集めている。

 グニドは先代の長老が息を引き取る間際、彼が次の長にドニクを指名したのを確かに聞いた。

 その瞬間ふっと肩が軽くなったのは、近頃一族の間でドニクとグニド、どちらが次の長老に選ばれるかという話題がしきりに交わされるようになっていたからだ。


 正直長老の座など端から望んでいないグニドとしては、そんな噂は迷惑以外の何ものでもなかった。

 グニドにそのつもりはなくても周りからの妬みやそしりは免れなかったし、自分より年長のドニクを差し置いて長老になるなんて、その先に待ち受けているだろう面倒事の数々を思い浮かべるだけで嫌気がした。

 だがその憂鬱がようやく去った今、グニドは胸の真ん中にぽっかりと穴が開いてしまったような、そんな心境でいる。

 長老になりたかったわけでは決してない。

 ただ、長くグニドの中に居座っていた憂鬱が取り除かれると同時に、何か大事なものまで手の中から零れ落ちてしまったような、そんな気がするのだ。


『けどよォ、オレは正直不安だね。喪が明けりゃすぐにも東の人間ナムどもと戦うことになりそうなのに、そのときオレたちを率いるのがあのドニクじゃなァ』

『まあ、確かにドニクは腕っぷしはそこまで強くないけど、代わりにみんなをまとめる力があるから長老に選ばれたんじゃない。一族を率いる長は単に強けりゃいいってもんじゃないのよ』

『ハァー、そーゆーもんかねェ。しかし、あんなに長く一族をまとめてた長老が死んじまって、これからこのカプはどうなっていくんだかなァ』

『別にどうにもなりゃしないわ。ていうかスエン、あんたちょっと飲みすぎよ。ただでさえ酒に弱いんだから、今夜はこのくらいにしときなさい』

『うるへー! どうせ明日から弔いの儀で三日間絶食なんだ。今夜くらい好きに飲ませやがれェ!』

『まったく、こんなべろんべろんになって……明日二日酔いで苦しんでも知らないわよ』


 スエンはエヴィに奪われそうになった酒のかめをひしと抱き締め、それを見たエヴィの方はますます呆れ果てていた。

 だがグニドには、スエンの気持ちも何となく分かる。今夜は飲まなければやっていられない。そんな気分だ。

 けれどもグニドは同時に、酒は自分たちの気を紛らわせてくれるものの、心に開いた穴まで埋めてはくれないことも分かっていた。

 やがてグニドはそれまでじっと見つめていた杯の中の酒を飲み干し、不意に一人で席を立つ。


『エヴィ。おれはちょっと小便に行ってくる。その間スエンのこと頼めるか?』

『ええ、いいわよ。あんたの寝床の砂に潜り込もうとしたら、あたしが代わりに殴り倒しておくから安心して行ってらっしゃい』

『悪いな。頼む』


 長い首をだらりと卓の上に乗せ、もはや言葉にならない声を上げているだけのスエンを一瞥し、グニドは自身の室をあとにした。

 室の入り口付近にあった松明を手に、腰には大竜刀を引っ提げて、暗い通路をのしのしと進む。

 背後に聞こえていたスエンの譫言うわごととエヴィの呆れ声はやがて遠のき、グニドの周りには闇と静寂があるだけになった。

 今頃は他の仲間たちもそれぞれの室に引っ込み、偉大な長老の死を悼んでいるはずだ。


 グニドはそんな静寂の中を、巣穴の奥へ向かって歩いた。

 エヴィには悪いと思ったが、小便というのは嘘だ。

 ただ、何となく――まるで何かに呼ばれるように、グニドの足は竜祖の祠へと向かっていた。

 そこは先代の長老が余生のほとんどを過ごした場所。

 同時にグニドにとって、長老との思い出が一番色濃く残っている場所だ。



  ――同胞はらからよ お前の眠る水の上に星は輝く

  それは四精の導き 四精の祝福

  その祝福を受け入れ 深く眠れ

  さすれば水精がお前に寄り添い

  やがて天へ導くだろう……



 そのときどこからともなく聞こえた歌声に、グニドははたと足を止めた。

 長老の死を悼み、明かりが落とされた祠の中に、その歌声は細く粛々と響いている。

 およそ竜人のものとは思えない、朝の風のように澄んだ声だった。

 こんな声で歌える者など、死の谷には一人しかいない。


『ルル……』


 グニドはその歌声に導かれるようにして、暗闇の中、地下へと下りた。

 地上の明かりはすべて落とされているが、地下にはたった一つだけ明かりが残されている。

 ぼんやりと篝火が光るその場所は、ルルの檻の前だった。

 歌声は、その檻の中からなおも聞こえている。



  風になり 空を駆けよ

  雲を呼び 雨をもたらせ

  やがてお前の魂は炎の中で燃え上がり

  同胞はらからの鉄を鍛える

  そして最後は地に還り

  四精となりて我らを導け

  砂漠の果て 大河の終わりまで

  未来永劫 我らと共に……



『ルル』


 檻の前に立ち、グニドがそう名を呼ぶと、歌声は闇に吸い込まれるように消えた。

 鉄格子の向こうではルルが石の壁に背を預け、さして驚いた様子もなくグニドを振り向いてくる。


『グニド。やっぱりきた』

『やっぱり?』

『うん。風がおしえてくれた。今、グニドがくるよって』

『またそれか……それよりお前、その歌を誰に習った。俺は教えた覚えはないぞ』

『でも、このうた、みんなうたってるよ。風も、火も、石も、水も……だからルルもいっしょにうたってたの。このうたは、長老さまにさよならするためのうたなんだよね』


 ルルが静かに紡いだ言葉に、グニドはつと胸を衝かれた。

 少女の言葉はまったく要領を得ないが、最後の文脈だけは合っている。

 たった今ルルが口ずさんでいた歌は昼間、グニドら竜人の戦士たちが葬列の中で歌っていた鎮魂歌だった。

 だがそれ以上にグニドが驚いたのは、ルルが長老の死を知っていたことだ。少なくともグニドはただの一度も、ルルにそのことを告げた覚えはない。


『ルル。お前、長老様のことをどこで知った。それも〝風が教えてくれた〟のか?』

『うん。そうだよ』

『……。まさかとは思うが、お前――』


 ――精霊の声が聞こえるのか。

 思わずそんなことを口走りそうになって、グニドは口を噤んだ。

 馬鹿馬鹿しい。そんなことがあるわけがない。

 グニドら竜人にとって、精霊は声なき存在だ。神刻エンブレムを介して精霊の力を使役している人間でさえ、その声を聞くことはできないと言われている。

 そもそも精霊とは個々の意思を持たずに世界を巡り、この世のことわりを紡ぎ、生きとし生けるものにあらゆる恩恵をもたらすものと言われていた。

 そう、少なくとも竜人の間ではそう信じられている。

 なのに、そうした一族の信仰を覆すようなことがあってはならない。目に見えず、声もなく、何ものにも干渉されない――だからこそ神聖な存在とされている精霊に、触れることができる者がいるなんて。

 一族の祈祷師あたりがそれを知れば、きっとそれは精霊に対する冒涜だと怒り狂うだろう。

 だからグニドは、たった今自分の中に生まれた空想を否定し、封印した。

 このことは、自分とルルだけの秘密にしよう。

 他の誰にも知られてはいけない。


『長老さまは、もうどこにもいないんだよね』

『ああ、そうだな』

『ルル、長老さま、すきだったよ。やさしくて、おヒゲふさふさで、いつもグニドたちのことかんがえてた』

『……』

『ねえ、グニド。グニドは長老さまのこと、すきだった?』

『……ああ。尊敬してたよ。あの人は死の谷一の戦士だった』

『そっか』


 グニドの言葉の意味を、ルルがどこまで理解しているのかは分からなかった。

 けれども、何故か不思議と。

 たった今目の前にいる小さな少女は、すべてを理解しているような気がして。

 それは長老の死という現実だけでなく、グニドの感傷も、一族の深い悲しみも、ルルはそのすべてを理解し、受け止めているように見えた。

 すう、と、そのときルルが息を吸い込む音がする。



  同胞はらからよ お前の眠る水の上に星は輝く

  それは四精の導き 四精の祝福

  その祝福を受け入れ 深く眠れ

  さすれば水精がお前に寄り添い

  やがて天へ導くだろう……



 澄んだ歌声が、再び闇の中に響き始めた。

 その声はまるで一陣の風のように、すうっと石の中に吸い込まれ、そのまま天井をすり抜けて、夜空へ昇っていくような錯覚を与える。

 そしてそれは同時に、死者の魂を天へといざなう精霊の導きのようにも思えた。

 グニドは冷たい石の床に腰を下ろし、ただじっとその歌声を聞いている。


 檻の中のルルは、夜が更けるまで歌っていた。

 その歌を聞きながら、グニドがうなだれ流した涙が乾くまで、ずっと歌い続けていた。



          ×



『――おい、グニド!! 大変だぞ!!』


 翌朝。

 グニドは突然室に飛び込んできたスエンの大声に叩き起こされた。

 未明に祠から戻り、寝床の砂山に潜ってようやくうとうとし始めたところだというのに、この悪友の何と気が利かないことか。

 そもそも彼は昨夜のうちに酔い潰れ、『吐きそう』などとのたまっていたところをエヴィに蹴り出されていたはずだ。その後「アー」とか「ウー」とか呻きながらエヴィに引きずられていった彼がどんな目に遭ったのかは知らないが、それにしてはずいぶん早く生き返ったな、と思いながら、グニドは重い瞼を上げる。


『何だ、スエン……お前、飲みすぎて潰れたんじゃなかったのか? 二日酔いは?』

『ばっかやろう! んなもんとっくに足生やしてどっかに行っちまったよ! それより大変なんだって! お前も早く服着て大穴に来い!』

『大穴……? 何かあったのか……?』

『何かあったなんてもんじゃねーよ! ――新長老ドニクが死んじまったんだ!』

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ