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第六十二話 忘れじの誓い


 ──おかしい。


 こんなのはどう考えたっておかしい、とグニドは思う。


 けれどカルロスは眉を寄せて、どうしようもないことだ、と吐き捨てた。


「我が国において、旧主一族のお言葉は絶対だ。逆らうことは許されない……ルエダ人の血が許さない。ここで旧主夫人のご恩情を拒めば、侯王派に反撃の口実を与えてしまう。ゆえに我々は従わねばならない──たとえ交渉のテーブルに用意されているのが、どんなに不合理な講和であってもな」


 嵐のようだった。この数日の間に起きた出来事は、砂嵐(ムロトス)の月にすべてを呑み込む砂漠の嵐のようだった。一体何が起きたのか、気を落ち着けるために順を追って思い出そうと、グニドは額に手を当てる。


『シャムシール砂王国……』


 そう、すべての発端はまず、ルエダ・デラ・ラソ列侯国の東の隣国──グニドにとっては馴染み深い、シャムシール砂王国にあった。グニドの記憶が確かなら、かの国とルエダ・デラ・ラソ列侯国はつい最近まで同盟関係にあったはずだ。

 いや、もっと正確には、侯王軍と砂王国の間に結ばれた同盟。『砂虹同盟(さこうどうめい)』と呼ばれるその同盟は、神子カルロスが率いるトゥルエノ義勇軍に対抗するための同盟であり、侯王軍は砂王国からの支援を恃みにしていた。

 広大なラムルバハル砂漠にいくつも存在する金泉(ドログ・トノフ)──砂王国がアレから得ている莫大な富と兵力とが、侯王軍にとっては重要な後ろ楯だったのだ。


 そうした恩恵を受け取る代償として、侯王軍は砂王国に奴隷を供給した。

 列侯国は一昨年から続く飢饉で大量の難民を出しており、侯王カルヴァンは食い扶持にあぶれた民を砂王国へ送ってかの国の奴隷、もしくは死の谷(モソブ・クコル)で暮らす竜人(ドラゴニアン)の餌としていた。

 だからこそ、そんな侯王の暴虐を許さじとカルロスたちが()ったわけだが、そこへ協力を持ちかけたのがシャムシール砂王国の向こう側、トラモント黄皇国の皇太子オルランド・レ・バルダッサーレだ。


 オルランドは砂王国の非道に加担する列侯国の現状を看過できないとして、カルロスたちが侯王軍と戦っている間、砂王国軍の大半を黄皇国に引きつける役を買って出た。黄皇国と砂王国もまた遥か昔からの仇敵同士であり、黄皇国軍がラムルバハル砂漠へ侵入すれば、砂王国がこれを無視できないと分かっていたのである。

 結果、砂王国は砂漠に進軍してきた黄皇国軍への対処に追われ、事態はカルロスとオルランドの思惑どおりに進んだ。砂王国が東を向いたことで西の侯王軍は彼らの軍事的支援を受けることができなくなり、おかげで侯王軍と義勇軍の戦いは膠着状態に陥った。


 ところが、そうした三国の争いの構図に目をつけた者がいたのだ。

 侯王軍の第二の同盟相手──エレツエル神領国。

 かの国の長であり、秩序の神(トーラ)の神子でもあるエシュア・ヒドゥリーフは、列侯国の内乱にトラモント黄皇国の皇子が干渉していることを見抜いた。ゆえに直接列侯国へ乗り込んでくるのではなく、神領国と黄皇国を隔てる泰平洋(たいへいよう)に船を浮かべ、黄皇国へ攻め入る構えを見せたのだという。


 これに慌てたのが黄皇国の長たるブリリオ三世だ。この奇妙な名前の黄帝(こうてい)は、自分の国が神領国の餌食になってはたまらないと、息子であるオルランドにラムルバハル砂漠からの撤退を命じた。オルランドはぎりぎりまでその命令に抗ったようだが、彼としても自国を神領国の標的にされるわけにはいかない。

 ゆえに苦渋の決断を迫られ、ついにラムルバハル砂漠から兵を引いた。砂王国軍が突如として列侯国との国境に現れた背後には、そういう経緯があったらしい。


「エシュアも本気で黄皇国(ウチ)を攻めようとは思ってねえだろうがな。エレツエル神領国はもう三百年も泰平洋を挟んで睨み合ってきた黄皇国の宿敵だ。今までの因縁を思えば、絶対に攻めてこないとも言い切れない……というわけで、悪いが俺はそろそろ祖国(くに)へ帰らなきゃならん。めでたいことに昨日、緊急の帰還命令も届いたんでね」


 そう言って一組の手紙(テガミ)を投げ渡してきたのは、トラモント人のジャックだ。かつてラッティたちと共にアフェクト侯領の侯主イサークをまんまと騙しおおせたこの男は、これまでオルランドの命令で義勇軍に協力していた。

 何でもジャックはトラモント黄皇国の王の傍に仕える人間(ナム)で、オルランドからは特に信頼されているらしい。だから単身義勇軍に身を置いてカルロスを補佐するよう命じられていたわけだが、その協力関係もいよいよ手切れになろうとしていた。


 投げ渡された手紙を開いたカルロスは難しい顔をしている。グニドは人間が使う文字(モジ)というのをまったく読めないから、何が書かれているのかは分からない。

 しかし恐らくは、たった今ジャックが口頭で説明してみせたことが詳しく書かれているのだろう。手紙はカルロスに宛てられたものではなく、黄皇国にいる上司(ジョウシ)からジャックに届いたものだと聞いた。

 それを包み隠さず見せる程度には、カルロスとジャックの間にも確かな信頼関係が芽生えていたのだ。けれども彼はこれ以上、サン・カリニョにはいられない。


「……分かった。貴君がここを発つまでに、皇太子殿下へ宛てた書状を用意しよう。こうなった以上、内乱終結後の国交正常化という約束を果たせるかどうか、怪しいものだからな。殿下には取り急ぎ謝意を表さねばなるまい」

「まあ、殿下もそこはご承知ですから。何より東の戦線を維持できなくなった原因は黄皇国(ウチ)にもあります。耄碌した爺サマがいつまでも玉座(うえ)にいるとね、色々面倒なんですよ。大した器もないのにうっかり王になっちまうような爺サマだと、なおさらね」


 修繕作業が進むサン・カリニョの虹神聖堂。そこで開かれた軍議の席で、ジャックは赤銅色の髪を気怠げにガシガシ掻きながらぼやいた。

 二人の話を傍聴していたグニドは、人間の世界では長の器でないものが長になるなんてことがあるのかと驚いたが、よくよく考えれば竜人の世界だってそういうことが起こり得る。現にかつてグニドが身を置いていたドラウグ族──その長は現在、暴力以外取り柄のないあのイドウォルなのだから。


「まあ、何なら俺らが黄皇国までひとっ飛びして、神領国軍を牽制してやっても構わんがね。列侯国の内乱がこのまま手打ちになるってんなら、そいつはかえって悪手だろう。連合国軍(おれら)の存在はそれだけで神領国軍の進攻の理由になっちまう。せっかく余所の国でひと暴れする準備を整えたってのに、そっからすげなく追い出されて、永神(トーラ)の神子サマはご機嫌ナナメだろうしな」

「そうねえ。戦争しようと思ったけどやっぱりやめました、なんて言われたら、あんただって酒瓶振り回して暴れるでしょうしねえ」


 と、こんなときだというのに気の抜けた声を上げたのは、机に頬杖をついた魔女マドレーンだ。胸の谷間を強調するように座った彼女の隣では、アビエス連合国第一空艇団提督のヴェン・リベルタスが赤ら顔で腕を組み、「いいや、酒瓶振り回すどころか街中で銃をぶっぱなしてでも暴れるね」とふんぞり返っている。

 そんな二人のすぐ横で、唯一まともな白猫のエクターが、額を押さえてうなだれていた。彼は義勇軍と連合国の同盟が成った途端にこうなったことを嘆いているのか、はたまた場の空気を一切読もうとしない同郷の二人に頭を痛めているのか……たぶん、どちらかと言えば後者だろう。


「……そもそもジャックの話を聞く限り、トラモント黄皇国の現黄帝が連合国との同盟を受け入れるとも考えにくい。こういうときのためにツァンナーラ竜騎士領との同盟があるってのに、わざわざ皇子を呼び戻したのは、大国の干渉を受けたくないって心理がどっかにあるせいだろう。とすれば旧主夫人と同じように、黄帝もアビエス連合国との同盟すら拒む可能性の方が高い。結局お偉方ってのは、どこへ行っても保身、保身、保身、保身が第一だ。まったくイヤになるね」


 次いで心底つまらなそうに吐き捨てたのは、カルロスの隣に腰かけたヒーゼルだった。彼は数瞬前にカルロスから手渡されたジャック宛の手紙を眺め、露骨な渋面を浮かべている。一応ジャックもヒーゼルもトラモント人のはずなのに、自分たちの長に対してずいぶんとぞんざいな言い草だ。もっともグニドも、彼らの意見には全面的に同意するが。


「え、ええと……つまり、ここまでの話を整理すると、ですよ? シャムシール砂王国が砂虹同盟を一方的に破棄し、列侯国に対して宣戦布告してきたのが今から約一ヶ月前。現在は侯王派の諸侯が国境に集まって砂王国軍の侵攻を防いでいるものの、戦況は劣勢。ゆえに我々義勇軍にも援軍の要請が来ていて、両者が協力し合うためにはまず講和を結ぶ必要がある。すなわち、今回の内乱の平和的解決が実現するというわけですが……」

「問題は講和の条件でおじゃる。今まで内乱を傍観するばかりだった旧主夫人──ミラベル・アルコイリスがここに来て突然、両者の仲裁を申し出てきよった。義勇軍と侯王軍、双方に講和の意思があるのなら、自分が間を取り持ってやろうとの。先刻カルロスが申したとおり、ルエダ人にとって旧主一族──かつてこの地がアルコイリス法王国と呼ばれていた頃の王家の生き残り──の言葉は絶対でおじゃる。神子に逆らうほど愚かな侯王も、旧主一族の言葉にだけは逆らえぬ。ゆえに侯王軍と講和するのなら、夫人の力を借りるのが確かに最も確実じゃ。夫人の前ではさしもの侯王も、偽りの誓いを立てるわけにはいかんからの。じゃけんじょ……」

「〝夫人を間に入れての講和を望むなら、侯王軍はエレツエル神領国との、義勇軍はアビエス連合国との同盟を即座に破棄すること〟……これを受けて侯王軍は、さっさと神領国との同盟をなかったことにしちまった。連合国軍に先を越されたおかげで、神領国軍はどのみち内乱に介入できないと判断したんだろうね。こうなるとあとはもう、義勇軍も連合国との同盟を破棄しないわけにはいかない。でないと今度はカルロスさんが、夫人のご厚意を蹴った売国奴ってことにされちまう」


 やがてトビアスとロクサーナの言葉を引き取ったのは、カルロスの背後に佇むグニドから、やや離れた席に座るラッティだった。久しぶりの軍議に呼ばれた彼女は忌々しげに顔を歪め、机の上に置いた拳を握り締めている。

 ──シャムシール砂王国の唐突な裏切り。

 それが良くも悪くも列侯国の内乱を動かした。砂王国の狙いはただ一つ。内乱で疲弊した列侯国から、労せずして領地を刈り取ることだ。

 あの国がルエダ・デラ・ラソ列侯国やトラモント黄皇国と長年敵対関係にあるのも、元はと言えば緑豊かな土地を欲して砂漠の外へ、外へと軍を進めてきたためだった。グニドも谷にいた頃はそんな砂王国の野望に加担していたわけだから、シャムシール人の心理や傾向はある程度理解している。


 だが彼らの身勝手な転進のおかげで、義勇軍は今、ハズレ(くじ)を引かされようとしていた。あと一歩で侯王の首を取れるところまで来たというのに、勝利を目前にして絶対に断れない講和を持ちかけられてしまったのだ。

 カルロスはこれを受け、旧主夫人ことミラベル・アルコイリスの要請を受ける方向で心を固めていた。

 今日の軍議はその意向を、義勇軍の仲間たちに伝えるべく開かれたものだ。


 当然ながら、中にはカルロスの決定に反対する者もいた。しかしこうしている間にも、列侯国の民が砂王国軍に蹂躙されていることを思えば、いつまでも迷ってはいられない。このまま民を見殺しにするということは、彼らを救うために立ち上がった義勇軍の存在意義を根底から揺るがすことになるからだ。

 本当はカルロスだって、こんな終わり方は望んでいなかっただろう。けれど今の義勇軍には、選べる道が他にない。彼の無念を思うと、グニドはただうなだれることしかできなかった。当のカルロスは執務室でただ一人抱えた懊悩を皆の前では微塵も見せず、いつもどおり淡々と振る舞ってみせているから、なおさら。


(列侯国の王には、カルロスこそがなるべきだ)


 と、そんなカルロスの姿を見てグニドは思う。焦がれるように思う。されど願いは叶わない。何故ならこの地にはかつて王だった一族が未だに存在するからだ。

 ならば侯王を退けるついでに、彼らも排することはできないのか。軍議が始まる前、グニドはたまらずそう尋ねた。しかしカルロスは瞳を翳らせ、首を横に振るばかり。


「ミラベル様は恐れておいでなのだ。我々が侯王軍を屈服させるために、連合国の未知なる兵器を借りたのがまずかった。ミラベル様はあれらの力を目の当たりにしたことで、危惧されたのだろう。神領国や連合国のような大国を父祖の地へ招き入れれば、いずれ抗い難い力で内側から支配されるのではないかと」

「シカシ、連合国ニハ、列侯国ヲ、支配スルツモリ、ナイ。ヴェンモ、マドレーンモ、エクターモ、皆、変ダガ、イイヤツダ。ミラベルハ、間違ッテイル」

「あのお方を説き伏せることが許されるなら、私とてそう訴えたさ。だが今の我々にそんな猶予は残されていない。飢えと内乱に苦しみ続けてきた民衆に、これ以上犠牲を強いるわけには……」

「ダカラトイッテ、間違ッテイル者ニ、従ウカ? ソレハ、民ヲ、不幸ニスルコト。違ウカ?」

「旧主一族は列侯国の始祖であり象徴だ。アルコイリス法王国の滅亡後も王家の血は脈々と受け継がれ、常に中立的立場を貫くことで諸侯の中心に君臨してきた。つまるところ彼らはこの国の調律者……虹神の使徒(アルコイリス)の名の下にあらゆる内紛を治め、調和と静穏を司る存在ゆえに、ルエダ人はかの一族を神と同一視するほど神聖化している。人々の血に刻まれた歴史を覆すというのは、口で言うほど容易ではないのだよ、グニドナトス。第一、私に《義神刻(ツェデク・エンブレム)》を授け、民を救えとお命じになったのは他でもない──ミラベル様だ」


 自分はあの日、確かにミラベルの理念に共鳴し、神子となることを受け入れた。それを今更ゆるがせにはできない、とカルロスは言った。

 ミラベルは確かに無知で頑迷だが、心にあるのは列侯国の安寧と民の幸福を願う想いだけ。だからこそ自分は彼女の騎士になることを選んだ。その決断を否定したら、自分は何故ここにいるのか分からなくなる、とも。


 そう言って右腕に絡みつく《蛇巻きの剣(イトゥ・ヘレヴ)》を見つめるカルロスを前にしたら、グニドは何も言えなくなった。

 ミラベル・アルコイリスという存在は、彼が神の狂気に冒されながらも戦い続けた理由の一つだったのだ。そう、気づかされた。

 だからカルロスは、誤った選択だと分かっていても引き返せない。

 広間に静寂が降りた頃、覚悟を決めたようにカルロスが立ち上がった。縦長の(マド)から注ぐ陽射しがまるで何かの啓示みたいに、彼の横顔へ降り注ぐ。


「皆、すまない。これが私の導き出した最適解だ。今日までの我々の戦いが意味を失う……そんな決断に、失望する者もいるだろう。だがここで終わりではない。侯王軍との講和ののちも、私は戦い続けようと思う。今度は武力に訴えるのではなく、内側からこの国を改革するのだ。そのためにもまずは砂王国軍を打ち払い、義勇軍の力を世に示し、侯王をも凌ぐ発言力を勝ち取る必要があるだろう。なればこそ甘んじて講和も受け入れる。今日、ここから、我らの新たな戦いが始まるのだ。そう心に刻もうと思うが、どうだろうか」


 広間はやはり静まり返っていた。集まった皆の視線はカルロスを向いているものの、誰一人として口を開けずにいる。たぶん、誰もが納得できていないのだ。こんな終わり方は理不尽だ、と。けれどここにいる誰よりも苦しんでいるのはカルロスだと、みな分かっているから、動けない。


「……俺はカルロス殿が進まれる道なら、どこまでもお供します」


 やがて重い沈黙を破ったのは、ヒーゼルだった。


「ウチも軍事面での支援は当分無理そうですがね。それ以外のとこでなら、できる限り協力しますよ。きっと殿下もそうおっしゃると思うんで」


 と、続いたのはだらしなく椅子に凭れたジャックだ。


「もちろん我らも協力を惜しみませんぞ、カルロスどの。たとえ表向きの関係は断たれても、こうして手を取り合った以上、我々は既に盟友です。お困りのことがあれば、またいつでも連合国を頼って下さい。陰になり日向になり、必ずや貴殿をお助けすると誓いましょう」


 次いで机の上に直立したエクターが胸を張り、帽子の羽根を風にそよがせながら言った。そんな仲間たちを見渡して、カルロスはほんの微かに──笑ったようだ。


「……感謝する。今日まで共に戦ってくれた一人一人を、私は決して忘れない。エクターの言うとおり、この地に集った者は皆、永遠の盟友だ。ありがとう」


 グニドは牙を噛み締め、うなだれた。

 今、ここに戦いは終わった。そう思った。

 十日後、カルロスはミラベルが暮らしているという旧主領──これはエスペロ湖という巨大な泉の真ん中に浮かぶ島らしい──へ赴き、侯王軍との講和を誓うための『調印式(チョーインシキ)』なるものに出席するという。

 軍議が終わると、そのための準備が慌ただしく進められた。調印式には義勇軍の代表であるカルロスと、アントニオを始めとする数人の供だけで行くそうだ。

 侯王軍からは当然侯王カルヴァンがやってくる。それを懸念したヒーゼルが自分も供をすると何度も進言していたが、カルロスは受け入れなかった。向こうも護衛としてディストレーサ栄光騎士団の団長(フィデル)を連れてくるだろうから、彼からつがい(・・・)を奪ったヒーゼルが来ると話がこじれる、と呆れ顔で。


「んじゃ、俺はこれで。また会えるかどうかは分かりませんが、再会することがあればまあ、そんときはどうぞよしなに。列侯国の密偵でこそこそしてても、怒んないで下さいよ」


 軍議の翌日には、トラモント黄皇国へ帰るというジャックがサン・カリニョを発った。共にアフェクト侯領へ潜入した戦友として、ラッティやヴォルクも彼との別れを惜しんだようだ。


「次に黄皇国へ行くときには、皇子サマの目に留まるような商品(ブツ)を仕入れていくからよろしく」


 なんて笑いながらジャックの肩を叩いて、「絶対ェ取り次がねえ」と邪険にされていた。同じく彼と懇意にしていたらしいトビアスなどは、終始めそめそしていたようだけれども、


「お前、ロクサーナの血を飲んで不老になったんだろうが。俺なんざこの先も順当に年食ってくんだからな。妬ましいから会いに来んなよ」


 と、さらに邪険にされたようだ。ショックを受け、地面に崩れ落ちた自分の血飲み子を、ロクサーナは慰めもしなかった。……果たしてあの三人は、本当に仲がいいのだろうか?


「無事に調印式が終わったら、エクターたちも一度本国(くに)へ帰るそうだ。ウォンが率いるアルハン傭兵旅団との契約も、調印式の日までということになった。ウォンはどうも、神領国が絡んできた地に長居したくないようだな。砂王国軍の撃退に協力してもらえないかと交渉してみたが、断られた」


 カルロスがそう言って苦笑したのは、旧主領への出発を翌朝に控えた夕刻のこと。季節はすっかり冬めき、日が落ちるのも早くなった。最近は日中でも、夜の砂漠のような寒さが降りてくる。

 グニドはポリーが縫ってくれた厚手の上着ですっぽり体を覆いながら、城壁の上に立つカルロスの傍らに佇んでいた。少し風を浴びたい、という彼の要望に応えてここまで来たのだが、高いところから眺める落日というのは思いのほか格別だ。

 寒さで色褪せた空も大地も、燃え上がるように赤い。それがこの世の終わりのようで、しかし何故だか美しいと思う。

 砂漠で見ていたものとまったく同じはずなのに、違う落日。列侯国に来てからグニドはあまりに多くのものを見て、聞いて、感じて、知った。


「ウォンハ、神領国ト、戦イタクナイカ?」

「ああ……どうやらそのようだ。侯王軍が神領国と手を組んだと聞いたときから、列侯国を離れる準備は進めていたと言っていた。どうもあの男と神領国の間には、浅からぬ因縁があるらしい。どんな因縁なのかは聞き出せなかったが」

「ムウ……シカシ、ナラバ何故、列侯国、今マデ離レナカッタカ?」

「さて、な。私も気になって尋ねたところ、至極不機嫌そうな顔で〝マナに訊け〟と返された。つまり、マナに乞われて仕方なく留まっていたということだろう……もしかするとマナには、私がツェデクに乗っ取られる未来がとうに見えていたのかもしれんな。だからウォンをこの地に留めた」

「……モシクハ、マナニ、弱味、握ラレテイル、トカ」


 〝綿(ワタ)〟とかいう白くてふわふわしたものが入れられて、やたらと温かい上着の恩恵を享受しながらグニドが言えば、カルロスがちょっと意外そうにこちらを向いた。かと思えば彼は小さく笑い、自分の瞳と同じ色の太陽に改めて目を向ける。


「驚いたな。たった数ヶ月で、人語の冗談まで言えるようになったか」

「冗談、デハナイ。本気ダ」

「まあ、マナなら有り得ない話ではないが。どちらにせよ、あの二人にはずいぶん助けられた。これ以上無理を言って引き止めるのは、いささか不義理が過ぎるだろう」


 まずジャックが義勇軍を去り、じきにエクターら連合国の面々、そしてウォン率いるアルハン傭兵旅団もいなくなる。元々ルエダ人ではないというトビアスとロクサーナも、一度故郷へ帰るかどうか検討しているところだという。

 残るのは義勇軍が『トゥルエノ騎士団』という名前だった頃からカルロスの傍にいた者たちだけ。しかし彼らも度重なる侯王軍との死闘でずいぶん減った。

 戦い疲れ、小さく磨り減った義勇軍がバラバラになっていくような感覚。グニドにはそれがたまらなかった。たった六ヶ月彼らと共にいただけの自分でさえこうだというのに、カルロスの心の中には今、どんな寂寥の風が吹いているのだろう。


「して、お前たちはどうする?」

「ジャ?」

「私が調印式を終えて帰ってくる頃、ちょうど獣人隊商(ビーストキャラバン)との契約も切れるだろう。そのことについて、ラッティたちと何か話し合ったのではないか? 列侯国の外から来た者の中で、まだ身の振り方を明らかにしていないのは、お前たちだけだ」

「……」


 痛いところを突かれ、グニドはうなだれた。いや、あるいはカルロスははじめから、その話をさせるために自分をここへ連れてきたのかもしれない。

 ラッティたちとの話し合いは、既に済んでいた。あとは皆の総意をカルロスに伝えるだけ。ところがグニドはそれを渋り、今日まで打ち明けられずにきた。カルロスには自分から伝える、と、仲間たちの前では大見得を切ったくせに。


 とは言えカルロスは、肝心な話をいつまでも切り出せずにいたグニドの心中など、とっくにお見通しだったのだろう。

 だからこうして二人きりで話し合える時間を作った。思えばこの男には、出会った当初から導かれてきたな、と思う。

 人々がまだグニドを恐れていた頃、ヒーゼルやロクサーナを動かして馴染みやすい環境を作ってくれたのもまた、カルロスだった。


「……カルロス。オレハ、竜人、ダ」


 そんなカルロスに、いつまでも背を向けてはいられない。グニドはついに観念して口を開いた。カルロスは黙って言葉の続きを促している。


「砂王国ハ、竜人ト、同盟、結ンデイル。ナラバ、今度ノ戦イモ、当然、竜人、連レテクル」

「ああ、そうだろうな」

「オレハ……(カプ)ノ仲間、裏切ッタ。ダガ、今モ、仲間、家族(カゾク)ト思ッテイル。ダカラ……家族トハ、戦エナイ」

「ああ」

「キャラバンハ、列侯国、来ル前カラ、アビエス連合国、目指シテイタ。オレタチ、次ハ、ソコヘ行ク。エクタータチガ、飛空船、乗セテクレルト、言ッタ。……ダカラ、オワカレ、ダ」


 言いながら、グニドは胸の中が熱くてたまらなかった。いや、もしかしたら熱いのは胸ではなくて、それよりちょっと上の、喉のあたりかもしれない。

 とにかく、そこが熱くて熱くて、最後は絞り出すような声になってしまった。

 うなだれたまま、カルロスの方を見られない。

 しかし刹那、カルロスの手が、やわらかい上着の背を叩いた。


「グニドナトス。私は、お前と出会えた幸運に感謝している」


 胸か喉か判然としないあたりが、またきゅうっと熱くなった。


「この数ヶ月、お前には本当に助けられた。その恩に大して報いてやれなかったことを、すまなく思っている。不甲斐ない私に、お前たちを引き止める資格はあるまい。別れは惜しいが今はただ、お前の往く道を祝福しよう」


 真っ赤な命を滾らせながら、落日が沈んでいく。


「情けない顔をするな。これは嘘偽りない私の本心だ。お前にはたくさんのことを教えられた。人間も竜人も、同じ心を持った人類で……言葉さえ通じれば、こうして互いに理解し合うことができるのだとな」

「……カルロス、」

「我々は種族の壁を越えて手を取り合うことができた。ならば人間と人間が歩み寄れない道理はあるまい。私はお前の姿に、そんな希望を見出した。世界は無限の可能性で溢れている──我々にそう思わせてくれたお前なら、この先どこへ行っても、きっと上手くやれるだろう」


 グニドは長い首を垂れたままカルロスを見た。

 カルロスは、微笑(わら)っている。まるでグニドの背中を押すように。


「なあ、グニドナトス。私とお前は兄弟だ。あの晩、私は言ったろう。盃で結ばれた兄弟の絆は、血のつながりよりも確かな、死してなお切れぬものだと」

「……オレタチハ、タマシイト、タマシイデ、結バレタ、仲間」

「そうだ。どんなに遠く離れても、我々の魂はつながっている。ならば何を嘆くことがある? また会おう──兄弟(エタルオス)よ」


 燃えていた。夕日が、世界が、カルロスの瞳が──グニドの心が。

 目の前に五本指の手が差し出され、グニドはようやく顔を上げた。

 自らも三本指の手を差し伸べ、悔いを残さぬようまっすぐに見据える。

 砂漠の外で出会えた、愛すべき兄弟(エタルオス)を。


 翌日、カルロスはわずかな供のみを連れてサン・カリニョを発った。調印式は五日後だ。彼が再びこの城へ戻ってくるのは、月を跨いだ頃になるだろう。

 そうして次にカルロスとまみえるときが、別れのときだ。

 グニドはエスペロ湖を目指すカルロスを、城壁の上から見送った。

 彼らの姿が地平の彼方へ消えるまで、いつまでもいつまでも、見送っていた。



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