第五十一話 エタルオス
続々と城門を潜り抜けてくる騎兵の群を、グニドは城壁から眺めていた。
ルエダ・デラ・ラソ列侯国の西の端、テンプランサ侯領からサン・カリニョへやってきた騎士団は全部で三つ。その数、およそ八千五百。
トゥルエノ義勇軍の兵力が、一気に増強された瞬間だった。テンプランサ侯領の侯主ゴード・グラーサが寄越した騎士たちは、彼の腹心だという直属の騎士サンダリオによって率いられている。
「カルロス殿。この度は我らリモンテ騎士団、ティエルブ騎士団、そしてディアマンテ忠勇騎士団の貴軍への参加をお許しいただき誠に光栄に存じます。本来であれば正義神の神子であらせられる貴公のもとへいち早く参じなければならないところ、民を憂う主の下を離れること能わず、遅参した非礼をお詫びしたい。今後はその汚名をすすぐため、またあまねくルエダの民のため、身命を惜しまず勇戦することを誓います。厄災振り撒く愚王カルヴァンを、今こそ共に討ち果たしましょうぞ」
と、真っ先に胸を張って城門を潜り、騎士たちの代表として挨拶したのがそのサンダリオだ。彼が率いるディアマンテ忠勇騎士団は、トレランシア侯領で言うところのディストレーサ栄光騎士団――つまり侯主ゴードを守る精鋭中の精鋭らしい。
中でも長たるサンダリオは、群を抜いて屈強そうなオスだった。体格はガッチリしていてかなり大きく、カルロスと並ぶと彼を見下ろす形になる。
分厚い鎧を着ていても分かる、硬質な筋肉の塊。サンダリオという人間を一言で表すのなら、そんな表現が最適だろう。
更にグニドの鬣よりも明るく、毛先が後ろへ跳ねた赤毛も分かりやすい。額をあらわにした髪型も特徴的だし、あれならグニドもすぐに彼を覚えられるはずだ。
そのサンダリオの入城から半刻(三十分)。門を潜る騎士たちの列は未だ途切れる気配がない。
城壁から見ると、まるで銀色に輝く川がうねりながら城へ注ぎ込んでいるようだった。すぐ傍にはルルや獣人隊商の面々もいて、皆が身を乗り出しながら真下を通る行列を眺めている。
「チューッ、こりゃすげえや。この行列、まったく終わりが見えないぜ。これだけの兵力が味方につけば、マジで侯王軍に勝てるんじゃねーか?」
「神領国軍はまだ到着する気配がないしね。やつらが直接列侯国へ乗り込んでくるなら道は一つ、オーフ海を横断する海路だけだ」
「で、でもカルロスさんたちの計算では、神領国軍が海を渡ってくるまで最短でも七ヶ月はかかるんでしょ……?」
「ああ。そして侯王軍が神領国と同盟を結んだのは五ヶ月前。つまり残り二ヶ月の間に決戦へ持ち込めば――この戦、勝てるぜ」
あまりの大軍に怯えているポリーの横で、城壁に肘をついたラッティがニヤリと笑った。ディアマンテ忠勇騎士団を始めとする三つの騎士団は、今回の義勇軍参加に伴い大量の物資も運んできている。
それさえあれば侯王軍との決戦に持ち込める、とカルロスが宣言したのは、先々月の軍議の席でのことだった。
これまでアフェクト侯領と共に中立を宣言していたテンプランサ侯領。その戦力が義勇軍に合流したことで、列侯国の勢力図は塗り替えられつつあるのだ。
長らく日和見を決め込んでいた彼らが突如重い腰を上げたのは、侯王軍が正式にエレツエル神領国との同盟を発表したからだ、とカルロスは言った。侯王軍にも義勇軍にも属さずにいたテンプランサ侯領の騎士たちにとってその知らせは寝耳に水で、嫌でも跳ね起きざるを得なかったのだ。
そうして決断を迫られた彼らは、侯王軍ではなく義勇軍につくことを選んだ。曰く、悪逆非道で知られる神領国軍をルエダの地に招き入れるわけにはいかないから、と。
しかしそれはあくまで建前で、本当の理由はテンプランサ侯領の地理的問題にある、と教えてくれたのはラッティだ。
このルエダ・デラ・ラソ列侯国の西方にはオーフ海と呼ばれる大洋が広がっている。エレツエル神領国はそのオーフ海を越えた先にある北東大陸を本拠としているのだ。
列侯国から見ると西にあるのに北東大陸とはややこしいが、ラッティの言うところによると、それはこの世界が丸いから――らしかった。
何でもこのエマニュエルという世界は、いくつかの陸地と広大な海によって創られた巨大な球体なのだとか。
だからすべての海はつながっていて、どこまで行っても途切れることがない。世界地図の端と端を合わせて筒状にしてみるとよく分かるが、グニドたちはその紙面にちょっとだけ描かれた陸地の上を走り回っている蟻に過ぎないのだ。
それを初めて聞かされたとき、グニドは衝撃に打ちのめされた。眼が脱皮するどころか眼球ごと転げ落ちて、目の前が真っ暗になったような気がした。
幼い頃スエンたちとよく話し合った〝世界の果て〟なんてものは、そもそもこの世に存在していなかったのだ。いくら果てを目指して走り続けても、いずれ球の表面を一周して同じ場所へ戻ってくるだけ。そんな話があるだろうか。
……話が逸れたが、ならば何故西の大陸が北東大陸なのかと言うと、大昔に世界を支配した人間たちがそう決めたから、らしかった。
よってこの国の場合、神領国軍は西から攻めてくる。そうなると最初の上陸地点となるのが西端のテンプランサ侯領だ。
侯主ゴードはそれを恐れた。たとえ侯王軍に味方しても、これまで事態を傍観してきた罰として神領国軍の接待をさせられるのではないかと不安視したのだ。
もしもそんなことになったなら、横暴・残酷・無慈悲で鳴らす神領国軍に領地を好き勝手されかねない。だから彼らはサン・カリニョへ駆け込んだ。神子たるカルロスに領地を守ってもらうために。
真相を知ってしまえば何とも身勝手な話だ。これまで要らぬ火の粉は浴びたくないと物陰に隠れていた連中が、いざ窮地となるや助けてくれと泣きついてくる。
そんなやつらと手を組むことに果たして利があるのかとグニドは憤慨したが、この内乱を一日も早く終わらせるためなら構わない、とカルロスは言った。どのみち義勇軍とて神領国軍が到着すれば、命運は風前の灯火。つまり彼らとは利害が一致しているのだから、と。
「けどよ。聞いた話じゃ、テンプランサ侯領には全部で六つの騎士団があるんだろ。なのに義勇軍に加わるのは三つだけってどうなんだ? 味方の中でも意見が割れてるとか?」
「ああ。出陣を拒んだ騎士団の連中は、全員侯王派だって話だ。神領国相手に戦ったところで勝ち目なんかないんだから、大人しく侯王軍に降れと言ってるらしい。ま、表向きには北のディリヘンシア侯領への備えだと言って残してきたみたいだけどね」
「……だけど、ちょっと妙だよね」
「妙って、何が?」
「あのサンダリオって人が率いるディアマンテ忠勇騎士団は、侯主のいる主都セルドを守る騎士団だろ? そんな騎士団が、侯主と反目している勢力を領地に残して出てくるなんて、ちょっと不用心すぎるというか……」
「た、確かに……都を守る騎士団が留守にしてたら、その隙に侯王派の人たちが攻め込んでくるかもしれないわよネ……」
未だ肩を竦めて震えているポリーが言い、ヴォルクもそれに頷いた。彼らの言い分はもっともで、テンプランサ侯領に残った侯王派の騎士たちは、義勇軍につくことを選んだ侯主ゴードの判断を不満に思っているに違いない。
ならばディアマンテ忠勇騎士団の留守中にその侯主の首を取り、侯王に献上することで信用を得る……なんてことを、人間たちなら平気でやりかねなかった。そんな人間の手口をすっかり予想できるようになってしまった自分にもげんなりしつつ、グニドはラッティを顧みる。
「テンプランサ侯領ノ侯主ハ、ココヘ来ナイカ?」
「まあ、今のところ来る予定はないみたいだね。今更のこのこ出てこられたところで、カルロスさんたちも扱いに困るだろうし」
「ダガ、ソレデハ危険、デハナイカ?」
「その辺の事情はアタシもよく知らないなぁ。ただディアマンテ忠勇騎士団は兵力の半分を主都に残してきたって話だから、まったくの空っぽってワケでもないんじゃない? こないだグラーサ侯の使者として来てた忠勇騎士団の副団長は、かなりのキレ者って話だったし」
「そういやあの副団長は来てねーのか。団長の代わりに主都に残ったのかな?」
「ここだけの話、その団長さんの方はただの筋肉バカって噂だけどね。典型的な猪武者だから扱いがめんどくさいって、ヒーゼルさんが嘆いてたよ」
「そ、そう言われてみれば、見た目もそんな感じだったものネ……」
一同がうんうんと納得する中、ルルだけは未だ城壁から身を乗り出して真下の行列を眺めていた。物珍しげにきょろきょろしながら、白い両足をぱたつかせている姿は何とも楽しそうだ。
……実際、見ているだけでも楽しいのだろう。列侯国へ来てから五ヶ月と言っても、ルルはその大半をこのサン・カリニョの中で過ごしている。
つまり城壁の外の世界をまだほとんど知らないのだ。だから人間たちのやることすべてが珍しく、面白い。このところルルは彼らの暮らしや文化を積極的に知りたがっているようだし。
「ねーグニド、すごいねー。ナムたちも、おウマさんたちも、みんなキラキラ! きれいねー」
「……」
……また人間の言葉で喋っている。本人も意図してそうしているわけではないのだろうが、だからこそ余計にグニドの心はざわめいた。
(本当に、当たり前になりつつあるんだな)
人間の言葉で喋ることが。彼らの暮らしに溶け込むことが。彼らと共に生きることが……。
「それではこれより、リモンテ騎士団、ティエルブ騎士団、ディアマンテ忠勇騎士団の来訪を祝し、皆で乾杯をしたいと思う。この内乱が一時の溝を生みはしたが、我らは元々ルエダの地を守るべく共に戦ってきた同志だ。ゆえに今宵は親しく酒を酌み交わし、彼我を隔てる時の河に虹を架けよう。虹神ケシェットの導きに感謝して――乾杯」
「乾杯!」
その晩、新たに三つの騎士団を仲間に加えたサン・カリニョでは盛大な宴が開かれた。復興しつつある居住区の広場にたくさんの卓が並べられ、ラッティたちがアフェクト侯領から手に入れてきた酒と、メスたちが持ち寄った料理とがあちこちに山をなしている。
集まったのはサンダリオらテンプランサ侯領の騎士たちと、サン・カリニョで暮らす老若男女。彼らの前でカルロスが杯を掲げれば、八方から一斉にカンパイの唱和が上がった。
無数に篝火が焚かれているせいもあり、広場は何ともすごい熱気だ。最近は秋も過ぎて風を冷たく感じることが増えたのだが、まるで季節が夏へ巻き戻ったみたいに感じる。
あたりは見渡す限りの人、人、人。大酒飲みのラッティなどは半獣人であることを隠そうともしないまま、ヒーゼルを相手に飲み比べ対決を始めたりしていた。それを囲む周りの人々も熱狂していて、皆とても楽しそうだ。
広場の外れでは演奏を得意とする人間たちが、見たこともない楽器で陽気な音楽を奏でていた。近くを走り回る子供の中にはルルの姿。どうやら今はウォルドと食べ歩きをしているようだ。珍しい料理を見つけては皿に取り、いちいちグニドにも届けにくる。
そのせいでカルロスの傍を一歩も離れていないはずのグニドの眼前には、卓を埋め尽くすほどの料理が並び始めていた。自分は肉しか食べないと言っているのに、なにがしかの野菜をまとめて炒めた料理や鳥の卵を溶いたスープなんかも混じっている。
正直なところ、グニドは困った。ルルはどれも「おいしいから!」と持ってくるのだが、生来肉食のグニドには肉以外の食材の味が分からない。
かと言って隣のカルロスに勧めようにも、彼は皆の様子を眺めながら静かに酒を飲むばかりで、料理には手をつけなかった。それでなくとも彼はこの一年ほど、指折り数える程度しか食事をしていないらしい。神子は不死に近い存在だから、そもそも体が食事を必要としないのだ、と。
おかげでどんなに食事を抜いても腹が空かないとカルロスは言った。だから自然と食欲もなくなったそうで、側仕えのグニドでさえ彼が食事しているところを見たことがない。
そのわりに向こうではロクサーナがトビアスと食事をしているが、アレは長い時間をかけて習慣づけたものなのだと聞いた。ロクサーナは人と共に生きるため、彼らと同じものを食べ、同じものを見、同じ時間に眠る努力をしているのだと。
私にもあれくらいの甲斐性があればな、と呟いてカルロスは笑っていた。まるでこの世の終わりを悟った賢者みたいな横顔で。
「ムウ……シカシ、コノ料理、ドウスルカ?」
「さてな。余りそうなものはあとでウォンたちのところへ届けるか。彼らはいつもこういう場に出ることを固辞するが、たまには日頃の働きに見合うだけの報酬があってもいいだろう」
「ソウ言エバ、マナモ、イナイ」
「マナはまた体調が優れないそうだ。アレは何故か新月が近づくと体を壊す。今はウォンが看ているはずだが……」
「ウォンハ、医者ノ知識、アルカ?」
「いいや。だがマナの看病は慣れている、と言っていた。あの二人はずいぶん昔から付き合いがあるようでな。互いの勝手を熟知しているのだろう」
言いながら、カルロスは再び銀色の杯を口へ運んだ。彼の視線の先には早くもラッティに負かされそうになっているヒーゼルや、焚き火を囲んで踊るポリーたちや、はしゃぎ回るルルらの姿がある。
カルロスはそれを、まるで遠い世界でも眺めるみたいに見つめていた。彼とグニドのいる卓の周りはやけに静かで、時折ルルが料理を運んでくる以外近づいてくる者はいない。
理由は言わずもがなグニドだ。特に新入りのテンプランサ騎士たちは竜人のグニドを極端に恐れていた。カルロスによる紹介があったときもどよめきが起こり、「ありえない、竜人と手を組むなんて……」というひそひそ話が聞こえたほどだ。
だからこそカルロスは、宴の最中は自分の傍にいるよう命じてきた。酔っ払った騎士たちが分別をなくし、グニドを襲わないとも限らないからと。
おかげで彼まで輪の外でぽつんと過ごすことになっているのだが、果たしてこれでいいのだろうか。カルロスはこの義勇軍を率いる長だ。
なのにこんなのはあんまりではないか。彼だって宴の夜くらい羽目を外せばいいのに。グニドが杯の中の酒を舐めながらそう考え込んでいると、ときに隣のカルロスが小さく笑った。
「そんな顔をするな、グニドナトス。私は元々人混みが苦手でな。だからこの状態は私にとっても都合がいいのだ。お前が気に病む必要はない」
「ム、ムウ……何故ワカッタ……」
「さすがの私も、初めは竜人の顔など分からなかったのだがな。今はお前の表情もある程度は読み取れる。こうしてみると、やはり我々は同じ人類なのだな。多少顔のつくりが違っても、しばらく付き合えば互いの感情を読めるようになる。それはきっと肉体は違えど魂が同じだからなのだろう」
「タマシイ、カ……」
すべての生き物に平等に与えられ、生命の源となる魂。
それを人間の言葉ではタマシイと言うのだと教えてくれたのは誰だったか。この五ヶ月様々なことがありすぎて記憶が曖昧だが、人間たちも魂の存在は知っているのだなと新鮮に思った覚えはあった。
その魂を、グニドもカルロスも持っている。生き物としての姿形はこんなにも違うのに、心臓は同じ魂によって動いている。
そう考えたら、何だか少しだけ肩の荷が下りた。
人間と竜人が分かり合うことは、相変わらず難しい。それでもこの鼓動の源は誰もが同じと考えれば、孤独ではないような気がする。互いに嫌い合い、憎み合うのは無意味なことだと踏み留まれるような気がする。
「……オレタチ竜人ハ、仲間ノコト、〝エタルオス〟ト呼ブ」
「エタルオス?」
「〝ルオス〟ハ〝タマシイ〟。〝エタ〟ハ〝結ブ〟トイウ意味ダ」
「……なるほど。〝魂を結ばれた者〟という意味か」
「ウム。タマシイガ結バレテイルカラ、仲間、イツモ一緒。楽シイトキモ、悲シイトキモ、一緒。ツナガッテイルカラ、相手ノキモチ、分カル」
「では仲間を仲間と思わぬ者のことは何と言うのだ?」
「〝オンルオス〟。タマシイ、失クシタ者ノコト」
「面白いな。魂失くし、か。ならば民を民とも思わぬ侯王はオンルオスで、我々はエタルオスというわけだ」
カルロスが何食わぬ顔でサラッとそんなことを言うので、グニドは思わずぶんっと尻尾を振ってしまった。
エタルオスとはつまり、同じ巣穴で生まれ育った同胞のことだ。それは竜人にとって大きすぎるほどの意味を持つ。
生まれてから死ぬまでずっと傍にあり、体の一部と変わらないもの。竜人の生きる理由。そういう意味を持つのが〝同胞〟。
だからカルロスが自分たちをエタルオスだと言い出したのには驚いた。何故ならそれはグニドを〝兄弟〟と呼ぶのと同じことだからだ。
しかし人間が竜人を〝兄弟〟と呼ぶなんて聞いたことがない。グニドは驚きすぎてかなり首を傾げてしまった。するとカルロスは傍にあった酒瓶を手に取って、グニドと自分の杯に改めて酒を注ぎ始める。
「これはジャックから聞いた話なのだがな。トラモント黄皇国の一部の地域には『兄弟盃』と呼ばれる風習があるらしい」
「キョーダイサカヅキ……?」
「ああ。事の起こりは海の向こうの倭王国まで遡るそうだが、何でも共に生きることを誓った者同士が契りの盃を交わすことで、血のつながりより確かな〝兄弟〟になるのだという。そうして固く結ばれた絆は、死してなお切れることはないらしい。というわけでグニドナトス、そのまじないを試してみるつもりはないか?」
カルロスはそう言うと、琥珀色の酒がなみなみと注がれた自身の杯をひょいと軽く持ち上げた。それを見たグニドは束の間唖然としたあと、卓の上にある自分の杯に目を落とす。
……キョーダイサカヅキ。
この杯と杯とを交わせば、グニドはカルロスと〝兄弟〟になる。
共に本当のエタルオスになるのだ。
人間の神子と、竜人の戦士が。
「……オマエ、オレト、エタルオスニナリタイカ?」
「ああ、ぜひお願いしたい。千年以上続くエマニュエル史を顧みても、竜人の兄弟がいた人間など一人もいないだろうからな。私の数少ない自慢話になる」
「オマエト、オレガ、エタルオス……」
「不服か? ならば強要はしないが――」
とそこでカルロスが杯を引っ込める仕草をしたので、グニドは大慌てで自分の杯を掴んだ。そうしてそれを勢い良くカルロスの杯にぶつけて鳴らす。
これにはカルロスもちょっと意表を衝かれたようだった。滅多なことでは驚かない彼が、わずかに目を丸くしている。
「コ、コレデイイカ?」
「ああ……恐らく」
「オソラク?」
「私も話を聞いただけで、やり方までは知らんのだ。だがまあ、こういうものは我々の信じたやり方で済ませればいいだろう。他の誰でもない、お前と私の誓いなのだからな」
そう言って笑ったカルロスを見て、グニドはまたもぶんっと尻尾を振った。
それから互いに視線を合わせ、もう一度杯を掲げ合う。
契りの酒は、ひと思いに飲み干した。人間の酒は相変わらず薄くて甘い味がしたが、この際どんな酒だって構わなかった。
これでグニドとカルロスは兄弟だ。健やかなるときも病めるときも――どんなに遠く離れても切れない絆で結ばれた、兄弟。
「おーい、グニド! ヒーゼルさん、口ほどにもなくて全然ダメだ! 次はアンタが勝負しないかい!?」
そのとき少し離れた卓の方から声がして、グニドは首を巡らせた。見やった先では椅子から伸び上がったラッティが上機嫌に手を振っている。
彼女の目の前で卓に突っ伏しているのはヒーゼルだろうか。エリクに揺すられてもまったく動かないところを見ると、手酷くやられたようだった。
対するラッティはまだまだ余裕の構え。むしろ飲み足りないとすら思っていそうで、グニドは呆れ顔をする。
もしかしたら人間の酒は、半獣人にとっても薄いのだろうか。……いや、待てよ。そう言えば獣人隊商と出会ったばかりの頃も、ラッティは暇さえあれば酒ばかり飲んでいた。
しかし思えばその途中、自分は彼女とも酒を酌み交わさなかったか?
あのときもラッティは上機嫌で、グニドを勝手に〝兄弟〟と呼んだ。
ならばまさかあれもまたキョーダイサカヅキだったのか。なんということだ。自分は知らぬ間に半獣人とも兄弟になっていた。それならそうと、ラッティも事前に一言くらい断りを入れればいいものを。
「ムウ……騙サレタ。カルロス、オレ、ラッティト話アル」
「ああ、行ってこい。ついでに私の不肖の弟子の仇を取ってきてくれるか」
「任セロ。オレトオマエ、エタルオス。ナラバヒーゼルモ、エタルオスダ」
フンと鼻息荒くグニドが言えば、カルロスも目を細めて頷いた。何となく彼を一人にするのは心配でもあったが、大丈夫だ。こんな薄い酒では竜人は決して酔わない。いかな酒豪のラッティと言えど、あっという間に潰せる自信がある。
――それにしても、今のおれを見たらスエンやエヴィはなんて言うかな。
そんなことを考えながら、グニドはおもむろに席を立った。
谷を出ておよそ七ヶ月。たったそれだけの間にグニドには人間の兄弟ができ、いつの間にか天敵であるはずの狐人とさえ兄弟になっていた。
そう話してみせたところで、二人は信じてくれるだろうか。あるいは馬鹿げた釣り話と揃って笑い飛ばすだろうか。
もしも後者だとしたら、いつかあいつらをこの城へ連れてきてやろう。ここにはカルロスがいてヒーゼルがいて、そしてこんなにもまばゆい景色がある。
ところがサン・カリニョはその晩、再び炎に包まれた。
遅くまで続いた宴もついに果て、人々が眠りに就いた深夜のことだ。
『――……ニド……グニド……! グニド、起きて!!』
接戦の末、酔っ払ったラッティの暴走により強制終了となった飲み比べのあと。騒ぎ疲れて寝床で熟睡していたグニドは、火花が弾けるような呼び声で覚醒した。
はっとして顔を上げれば、途端に刺激臭が鼻をつく。鼻孔の奥に突き刺さるその臭いの正体は、木とか布とか生き物とか、とにかく色んなものが焼ける臭いだ。
グニドは目を疑った。
サン・カリニョの本砦に与えられた獣人隊商のための部屋。
それが炎に巻かれている。唯一無事なのはグニドが寝床代わりにしている薄い布の周りだけで、キャラバンの面々もそこに身を寄せ合っている状態だ。
『………………これは夢か?』
『夢じゃない!! 砦が燃えてるの!! ナムがたくさん死んでる!!』
いつからそうしていたのだろう。グニドの首に必死に抱きついて、泣きじゃくっているのはルルだった。逃げ場を失ったラッティたちもぎゅうぎゅうとグニドに体を押しつけるようにしていて、取り乱すポリーの悲鳴や泣き喚くヨヘンの絶叫がすぐ耳元で聞こえている。
「おいグニド、やっと起きたかよ!! おまえさんよくもこんな状況でぐーすか寝てられたよな!? というわけで早く何とかして!!」
「……待テ。ナンダコレハ?」
「んなもんこっちが訊きたいってんだよ!! オイラだってヴォルクに叩き起こされてみたらこのありさまで……!!」
「テンプランサ侯領から来た騎士たちだ。やつらいきなり部屋に押しかけてきて、火炎瓶を投げ込んで行った……!」
ラッティを庇うように背後の壁へ押しつけたヴォルクが、額に腕を翳しながらそう叫んだ。しかし彼の話を聞いてみても、グニドはやっぱり状況が飲み込めない。
……テンプランサ侯領から来た騎士たちがこの部屋に火をつけた? 何故?
彼らは新たにやってきた味方ではなかったのか? なのにどうして砦に火を? 竜人であるグニドの存在を恐れたからか? それとも――
「ヤツらの狙いはカルロスさんだよ、グニド! アイツら、義勇軍を騙し討ちするためにここへ来たんだ……!」
そのとき聞こえたラッティの叫びが、ぞわりとグニドの鬣を逆立たせた。
――カルロスを狙った騙し討ち。
つまりテンプランサ侯領からやってきたあの騎士たちは、初めから味方などではなかったということだ。