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第四十一話 巡る悪夢

 人間ナムたちの逞しさは見上げたものだな、とグニドは思った。

 何せ先の魔物の襲撃からまだ十日も経っていないというのに、サン・カリニョの復興は急速に進みつつある。

 あれだけボロボロだった居住区からも既に瓦礫の大半が取り除かれて、新しい建物の枠組みが造られているところだ。


 グニドはそうしたサン・カリニョの様子を、カルロスと共に見回っていた。ヒーゼルの発案でグニドがカルロスの護衛となってから、既に数日が経過している。

 カルロスはこの二、三日ずっと砦に籠もりっぱなしで、こうして外を歩くのは久しぶりのことだった。

 例の魔物の襲来以降、カルロスのところにはひっきりなしに義勇兵たちがやってきて、あれはどうしたらいいですかとか、これはこうしてもいいですかとか指示を求めてくるものだから、カルロスはその処理に忙殺されていたのだ。


 はっきり言ってグニドだったら頭が破裂しそうなほど膨大な量の作業だったが、カルロスは文句も言わずそれらを淡々とこなしていった。

 夜も遅い時間まで机に向かっているようだったので、少し休んだらどうだとグニドは勧めたが、神子は眠らなくとも死なんからな、と他人事のように笑われた。


 そうした作業をグニドも手伝えれば良かったのだが、生憎グニドはサン・カリニョの内情に疎い。人語もまだまだ不自由で、文字の読み書きもできないから、結局ただ護衛としてカルロスの傍に突っ立っていることしかできなかった。

 だいたいそんなときに限って、通訳のマナがとんと姿を見せないから困ったものだ。初めはあんなにお節介を焼いていたくせに、グニドがカルロスの護衛につくと知ると「あらー、それは良かったー」と嬉しそうにして、それきり行方を晦ませた。


 結局あいつは何がしたかったんだ、と疑問に思いつつ、グニドはのしのしとカルロスの隣を行く。

 カルロスは彼の愛馬らしい黒毛の馬に跨って、多くの義勇兵が行き交う居住区の様子を視察していた。時折道端から声をかけられたりするので、その歩みはゆっくりだ。

 しかし傍に竜人ドラゴニアンのグニドが控えているせいだろうか、中にはカルロスを気にしながらも遠巻きにしている兵が結構いた。グニドを恐れずに近づいてくるのはだいたいヒーゼルの下にいる兵で、それ以外はまだグニドを味方として受け入れられていないらしい。


 まあ、グニドは追々認められればいいと思っているので気にしないが、やはり何人かはあからさまに面白くなさそうだった。義勇軍に来たばかりの人喰い獣人が、どういうわけか将軍に気に入られその傍に張りついているのだから無理もない。

 現にさっきも、あのアントニオという片足が丸太のオスと擦れ違ったが、彼はグニドを見るなりキッと険しい顔をしてさっさと歩き去ってしまった。

 カルロスが声をかけても止まらなかったところを見ると、グニドに対してよほど嫌悪感を募らせているようだ。とは言え最初みたいに喚き散らされなくなっただけでも、グニドにとってはかなりの前進なのだが。


「カルロス殿、いらしてたんですか」


 と、ときに積み上げられた木材の向こうから声がして、すぐにヒーゼルが姿を見せた。彼も昨日くらいからようやく罰焼け――これは限界を無視して神術を使おうとすると起こる現象らしい――していた腕が動くようになったらしく、もうあの白い布はつけていない。


「ヒーゼル、どうだ。このあたりの進捗は?」

「ぼちぼちってところですかねぇ。予定よりは早く作業が進んでますが、木材と石灰が足りません。特に石灰の方は何とも……」

「土壁の応用は検討してみたか?」

「その辺の大工に聞いて回りましたが、まず壁材として使うのに適した土がないとダメみたいです。そういう土が出そうな場所を当たろうにも、探索に当てる人員がいません。このとおり、皆手一杯ですので」


 言って、肩を竦めたヒーゼルが示した先では、義勇兵たちが汗水垂らしながら新しい建物の建造に当たっていた。あちこちで怒声が飛び交い、人が駆け回り、確かにどこもかしこも忙しそうだ。


「分かった。では追加でエンビディア侯に支援を頼んでみよう。石灰や土は無理でも、木材なら提供してもらえるやもしれん。アルマセンあたりに送る造船用の木材が、セルピエンテにも蓄えられているはずだからな」

「そりゃ有り難いですが、侯の顰蹙ひんしゅくを買いませんかね?」

「エンビディア侯はおおらかなお方だ。多少お言葉に甘えたところで咎め立てはすまい」

「だといいんですが。あ、そういやパーヴォ・レアルから鳩は帰りましたか?」

「いや、まだだ。連絡があるのは早くても明日以降だろう」


 二人は何やら難しい話をしているが、グニドは眉間にグッと力を入れてそのやりとりに聞き耳を立てる。いや、側頭部に穴が開いているだけのグニドの耳はどう頑張ってもラッティたちのように立たない・・・・のだが、とにかく会話の内容を理解しようと努めた。


 その中でグニドが唯一聞き取れたのは〝エンビディア侯〟と〝セルピエンテ〟という二つの単語だ。

 カルロスから聞いたところによると、エンビディア侯というのは列侯国南部一帯を治める小さな王で、数少ない義勇軍の支援者なのだという。

 そのエンビディア侯はつい二日ほど前、セルピエンテ――エンビディア侯が治めるパシエンシア侯領の主都――から早馬を寄越した。サン・カリニョが魔物の襲撃を受けたと聞いて、カルロスの無事を確かめるべく使者を送り込んできたのだ。


 その使者の申すところによれば、エンビディア侯はこの度の義勇軍の不幸を心から見舞い、自分にできることがあれば何でもする、と言っているらしい。

 そこでカルロスはまず絶対的に不足している食糧と馬の支援を要請した。サン・カリニョで飼育されていた軍馬は先の襲撃でほとんど魔物に喰われてしまって、今の義勇軍は著しく機動力を欠いた状態なのだ。


「まあしかし、エンビディア侯も今は飢饉の影響でかなり苦しいでしょうからね。いくら貿易で他領ほかより潤っているとは言え、砂虹同盟から一抜けした今は侯王カルヴァンからの経済的支援も望めませんし、実はそんなに余裕のある状況じゃないでしょう。となると、頼みの綱はやっぱり……」

獣人隊商ビーストキャラバン、だな。恐らく彼らもそろそろ領境を越えた頃だと思うが」


 と、ときに二人から同時に視線を向けられて、グニドは二、三度瞬いた。

 二人が何を言おうとしているのかは、分かる。

 実は今から四日ほど前、義勇軍を助けようとある作戦を唱えたラッティが、ヴォルクとヨヘンと数人の義勇兵、そしてジャックというあの顎髭のオスを引き連れてサン・カリニョを発ったのだ。


 彼らが目指したのは――東。

 このパシエンシア侯領と領境を接するアフェクト侯領。


 ラッティはそこで、未だ義勇軍と侯王軍の戦いを傍観しているイサーク・アバリシア・カルメン・ソーロ――一般には〝アバリシア侯〟と呼ばれる――に会ってくる、と言っていた。

 アバリシア侯とは、エンビディア侯と同じアフェクト侯領の小さな王だ。ラッティはそのアバリシア侯に、侯王軍に味方せよ・・・・・・・・と勧告してくる、と言って出ていったのである。


 義勇軍を助けるために侯王軍への協力を促す……とは何ともチグハグな話だが、当然ながらそれは言葉どおりの意味ではなかった。

 ラッティは侯王軍の最高戦力であるディストレーサ栄光騎士団の長の顔を知っている。ゆえにその団長フィデル・ドラードに化けてアバリシア侯のもとを訪ね、侯王軍のふりをして物資を譲ってもらってくる、と言うのだ。


(まったくムチャクチャな話だ)


 と、グニドは思う。はっきり言ってやり方が汚いし、そもそもそんな博打みたいな作戦が上手くいくのかどうか不安で仕方ない。

 でもラッティはそれを成し遂げる自信があるようで、「まあアタシに任せな」とにんまり笑うと、まるで探検に出る子供みたいに意気揚々とサン・カリニョを出ていった。

 ヴォルクはそんなラッティの護衛として、ヨヘンは「バカかおまえそんな面白そうな話乗るしかねーだろ」と何故か一人で興奮して、その作戦についていったというわけだ。


「……オレ、ショージキ、不安。作戦、本当ニ、ウマクイクカ?」

「さあ、こればっかりは天のみぞ知るって感じだな。成功すれば確かに十分な物資を確保できるが、失敗したときの危険も大きい。ラッティたちの身の安全はもちろん、下手すりゃアバリシア侯も敵に回すことになるからな」

「だが今は彼らに賭けるしかあるまい。やはりエンビディア侯とアロガンシア侯の支援だけでは限界がある。それにマナも、作戦は恐らく上手くいく・・・・・・・・と言っていたしな。幻視の途中で倒れてしまったので、正確なところは分からんが」

「倒レタ?」

「ああ。事を急くあまり、無理をさせてしまった。あとで詫びに行かねば」


 そう言ってカルロスは気に病んだような面持ちをしているが、グニドはそれどころではなかった。〝倒れた〟――ということはつまり、著しく体調を崩したということだろうか?

 だとしたらマナがここ数日ぱったりと姿を見せなくなった理由にも合点がいく。恐らく彼女はそのせいで、今は静養中なのだ。

 だがカルロスは他にも妙なことを口走った。確か〝ゲンシ〟とか何とか……。

 それは一体何のことかと首を傾げていると、ヒーゼルがそんなグニドの疑問に気づいて苦笑する。


「あー、マナはああ見えて体が弱くてな。ちょっと無理するとすぐに体調を崩して倒れるんだ。今はロクサーナがついてるから大丈夫だと思うが」

「カラダ、ヨワイ……病気、イウコトカ?」

「いや、あれは病気というか――魔女の力の代償、ってロクサーナは言ってたな」

「マジョ……?」

「魔女ってのは、まあ簡単に言えば神刻エンブレムを介さずに神術を使える人間のことだ。もっとも神刻によらない神術は『神術』の定義から外れるから、普通は〝魔の力〟とか呼ばれて忌み嫌われるものなんだが」

「魔ノチカラ……」


 そう言えば、グニドは似たような話を以前にも聞いたことがある。

 あれは確か――そう、魔導石。ラッティたちが身を守るために使っていた、不思議な力を持つ透明な石。

 その力について、ラッティも前に同じことを言っていたはずだ。あれは魔の力と呼ばれるものだとか、ヨージュツがどうとか、ジンコーテキにナントカとか。


「マナはその力で未来を視ることができるんだ。俺たちはそれを〝幻視〟と呼んでる。それでラッティたちの未来を占ってもらったんだよ。例の作戦は本当に上手くいくのかどうかをな」

「……!?」

「まあ、その反応も無理ないが、マナの未来予知は結構当たる。俺の知る限り、あいつが視た未来が外れたことは一度もない」

「……!? ……!?!?」

「そのマナが、ラッティたちの作戦は上手くいく、と言ったんだ。あいつらがアバリシア侯から物資を受け取るところを視たってな。だがそれを受け取ってから先、ここまで無事に戻ってこられるのかどうかが分からない。そこまで見通す前にマナの体力に限界が来て、そのまま倒れちまったんでな」


 その前に、グニドはまずヒーゼルの話していることが分からない。いや、彼が話す言葉の意味は分かるが、それを理解することを頭が必死で拒んでいる。

 だって、未来が視れる――だって?

 そんなのはグニドの理解を超えている。それもまた魔女の力だとでもいうのだろうか。実は人間の間にはそういう者が結構いるとか……?

 だとしたらそれはかなりの脅威だ。今はマナが味方だからいいものの、敵に回したら厄介なのは間違いない。


 けれど同時に、グニドは一つ思い当たった。――マナがあんなに流暢に竜語を話せる理由。

 もしやあれも〝魔の力〟の一部なのだろうか。彼女はその不思議な力で竜語を習得し、あたかも自分の言語のように操っている?

 仮にそうだとしたら、魔女の力というのははっきり言って反則だ。万能にも程がある。

 もちろん魔術それにもカルロスの《義神刻ツェデク・エンブレム》と同じく代償があるようだから、使い放題というわけにはいかないのだろうが――。


「――カルロス殿?」


 そのときだった。混乱と動揺の渦中にあったグニドは、ヒーゼルがカルロスを呼ぶ声で我に返った。

 はっとして振り向けば、馬上でカルロスがきつく眉根を寄せている。そうしてじっと何もない彼方の方角を見つめている。

 その彼が、自分の右腕を左手で握り締めているのを、グニドは見た。

 ――まさか。

 瞬間、グニドはすかさずカルロスの馬のくつわを取った。黒馬はグニドの手が伸びてくると怯えて暴れようとしたが、それを押さえ込み、次いでヒーゼルを振り返る。


「ヒーゼル。オレタチ、モウ行ク」

「グニド、」

「任セロ」


 俺も行く、とヒーゼルが言い出す前に、グニドは身を翻して駆け出した。ほとんど真後ろまで見渡せるグニドのが、カルロスの額に浮いた脂汗あせを捉える。

 グニドと共にカルロスの護衛についていた兵たちが、慌ててついてこようとした。だがあいつらまで一緒に来たのでは意味がない。

 振り向いて、来るな、と言おうとした。

 が、そのときカルロスが大きく息をついて、


「大丈夫だ、グニドナトス。自分で走れる」

「本当カ?」

「ああ。――すまんが少し付き合ってくれ」


 言って、グニドが轡を放した刹那、カルロスは思いきり馬腹を蹴った。それまで三拍子だった蹄の音が四拍子に変わり、黒馬が全力で駆け始める。

 グニドはそれに並走した。カルロスの馬はかなり速い。気を抜くと置いていかれそうだ。

 だからグニドも首と尻尾を一直線にして、竜人の最高速度で駆けた。後ろからカルロスを呼び止めようと叫ぶ兵たちの声が聞こえる。


 けれどグニドもカルロスも、それを無視して馳せた。


 どれくらいの間無心に走り続けていただろうか。

 気づけばグニドたちは何もない草原みたいなところにいて、周りには誰もいない。

 サン・カリニョの中にもこんなところがあったのか、と、グニドはあたりを見回しながら歩調を緩めた。

 同じ頃、カルロスも馬の手綱を引いている。それまで黒い稲妻のように疾駆していた馬もまた、ゆっくりと速度を落とした。


「撒イタカ?」

「ああ、どうやらそのようだ」


 ヒーゼルと同じくらい長いカルロスの銀鬣かみが、風に靡いている。彼がまとう丈の長い衣服の裾も、バタバタと音を立てた。

 ここは遮るものが何もないから、風がよく通る。

 谷にいた頃には無縁だった、瑞々しい匂いがした。足元に生えた色んな草が、砂漠で砂紋が広がるときのような囁きを交わしている。


「すまん。手間をかけさせたな」

オン。コレガ、オレノ仕事」

「ヒーゼルもよく考えたものだ。お前に私の世話をさせるとは」


 前方、遥か彼方まで続く緑を眺めながらカルロスは笑った。けれどもその笑みは苦笑というより、自嘲に近い。

 ――ここ数日の間にも、似たようなことは何度かあった。

 例の《義神刻》の代償というやつだ。

 それはいつも不意にカルロスを襲い、彼に剣を抜かせようとした。ひとたび剣を抜けば最後、その切っ先は義勇兵みかたへ向けられる。


 だからカルロスは自分の意識が怪しくなると、いつも人を周りから遠ざけた。ここ数日は砦の中で過ごすことが多かったから、近くにいる者には適当な用事を申しつけて、体良ていよく追い払うことができた。

 だが今日はタイミングが悪かったのだ。まさか外の視察中に発作――と、カルロスは自虐を込めてそう呼んでいる――が起こるとは思わなかった。


 あそこにはヒーゼルを始め大勢の人間がいた。彼らの安全を確保するためには、カルロスの方がその場を離れるしかない、とグニドはそう判断した。

 結果として、その判断は間違ってはいなかったのだろう。今のカルロスは周囲に誰の姿も見えないためか、すっかり落ち着いた様子でいる。


「ヒーゼル、オマエ、心配シテイル。トテモ、トテモ、心配シテイル」

「それは分かるが、あれは少々過保護すぎる。まるで死んだ私の母のようだ」

「〝ハハ〟……ハ、メスノ親?」

「ああ。私の母もそれはそれは過保護でな。父にまったく似ずに生まれた私を世間の目から庇おうと、やること為すことすべてに口を出してきた。私はそれが煩わしかったのだ。それでいつもこんな風に馬を駆って逃げ回っていた」


 カルロスは歩みを止めない馬の上で、なおも遠くを見つめながら言う。彼が父親に似ていなかった――という話が母親のお節介とどう関係あるのかは分からないが、どうもカルロスが一人で過ごすことを好む背景にはそんな過去があったようだ。


「だが、これでも一応感謝はしている。お前が傍にいてくれることで、発作が今までより軽くなっていることは確かだからな」

「ソウナノカ?」

「ああ。前にも話したように、私は一度発作が起こると周りが皆化け物に見えてしまう。だがそういう光景の中にお前がいると、〝ここは現実なのだ〟とそう思える。私が見ているものはただの幻で、何も恐れることはないのだとな」


 それはいい兆候だ、とグニドは思う。ヒーゼルの懸念はいずれカルロスが現実を忘れ、暴走して我を失ってしまうことだ。

 だが自分がいるだけで彼が現実と悪夢の境界を越えずに済むのなら、そんな安いことはない。

 グニドは肉さえもらえればいつまでだってここにいられる。神子だがあまり戦いは得意でないというロクサーナや子供たちと違って、戦場にも同行できるのが何よりの強みだ。


 ――あるいはマナは、そうなることも事前に視て・・知っていたから、代償のことをグニドにも話すよう促したのだろうか?


 だとしたらあのメスは相当の曲者だ。もしかしたらグニドの心の内まで完全に見透かされているのかもしれない。

 今カルロスの代償のことを伝えれば、グニドがきっと断らないと知っていたから――。


(……カルロスには悪いが、おれだって善意だけでこの役を受けたわけじゃない)


 もちろん代償に苦しむカルロスを助けたい、と思ったことは事実だ。仲間のために己を犠牲にする姿に心打たれ、同じ戦士として彼に敬意を表したいと――そのために彼を助けようと思った。

 だがそれ以上に、グニドはこの男が恐ろしいのだ。

 だってもしヒーゼルが危惧しているように、いつか彼の力が暴走して人類に牙を剥いたら?

 あんな圧倒的にして絶対的な力が、この世界を支配するようになったら――。


(滅ぶのは人間だけじゃない。ゆくゆくは谷の一族だってきっと根絶やしにされるだろう。それを未然に防ぐためには、いざというとき、おれがこの男を止めるしかない――)


 グニドは悲壮な思いで馬上のカルロスを見上げた。

 もしもカルロスが暴走したら、そのときはおれがこの手でこいつを止める――グニドは内心、そう決意している。

 それは正義神ツェデクの断罪の対象となってしまうヒーゼルたちにはできないことだ。だが正義の剣は罪なきグニドは裁けない。

 いや、グニドとて今まで生きてきた中で一度も罪を犯していないとは思っていないのだが、どういうわけかカルロスの剣はグニドを避けるのだ。


 だから、これは自分の役目。

 かつてグニドを育て上げてくれた一族の長老レドルはきっと、この力の存在を知っていた。ゆえに一族を守ろうと、人間との共生の道を模索していた。

 ならばグニドは、その遺志を継ごうと思う。

 自分はもうドラウグ族の戦士じゃない。けれど死の谷モソブ・クコルは二つとないグニドの故郷であり、かつての群の仲間はかけがえのない〝家族カゾク〟だ。


 それを守るためなら、おれは神にも逆らう。


 精霊の意思に決して背くなかれ――と群の祈祷師たちはそう言うが、これ・・が精霊の意思だというのならクソ喰らえだ。

 グニドは生まれて初めて、精霊という絶対的な存在に対する叛意を抱いた。

 それがたとえ戦士としての誇りを穢すことであっても。


(そんなものは、巣を捨てるときにいくらでも汚した)


 だからやっぱり、これは自分の役目なのだ。

 グニドは遠い目をしたカルロスの横顔を眺めながら、そう思う。


「――遥か昔、海の向こう……東の大陸にはペダング剣王国と呼ばれる王国があった」

「ジャ?」


 と、ときにカルロスがそんな話をし始めて、グニドは歩きながら首を傾げた。

 ペダング剣王国――というのは、初めて聞く国の名だ。でもカルロスは〝あった〟と過去形で話したから、今はもうないということか。


「現在ではエレツエル神領国と呼ばれている土地だ。かつてそこはペダング剣王国の領土だった。だがそこに秩序の神トーラの神子エシュアが現れて、革命軍を率い剣王国を滅ぼした――何故だか分かるか?」

「……? カクメーグン、トハ?」

「今の義勇軍われわれのようなものだよ」

「ムウ……ナラバ、剣王国ケンオーコクノ王、悪イヤツ、ダッタカ?」


 革命軍が義勇軍みたいなものだったというのなら、グニドにはそれくらいしか理由が思いつかない。だから思ったことをそのまま口にすると、カルロスはこちらを見下ろして薄く笑った。


「いいや。剣王国の王マンダウは、私と同じツェデクの神子だった」

「……!?」

「だがかの王は強大すぎる《義神刻》の力に呑まれ、やがて己を失った。そして自らに仕える家臣や民を次々と殺戮し、国を恐怖のどん底へ陥れ……その結果、新しき神子エシュアに討たれ滅ぼされた。後世のちに伝わるかの王の異名は、『兇王』――比類なく残虐で気のれた王、という意味だ」


 グニドは思わず足を止めた。

 兇王マンダウは正義神の神子だった。

 その神子が暴走し、同じ神子であるエレツエル神領国の長に討たれた。


 それはまるで――これからグニドたちに降りかかる未来の予言みたいだ。

 何せ兇王を打倒した神子エシュアは今、エレツエル神領国という名の巨大勢力を率いて再び正義の神ツェデクの前に立ち塞がっている。

 あたかもペダング剣王国の滅亡を再現するかのように……。


「だが《義神刻》は兇王の死と共に失われ、以後数百年行方が分からなくなっていた。それが再びこの地に現れ、巡り巡って私が神子に選ばれたというわけだ」

「……」

「あるいは神領国が私に同盟の話を持ちかけてきたのは、かつて東の大陸を恐怖に陥れた元凶が甦り、また悪夢が繰り返されることを警戒したからなのやもしれぬ。ならば味方を装って私を監視下に置き、いざというときには背後から一突きにしてやろう、とな」

「……」

「だが案ずるな、グニドナトス。私は誰の手も汚させぬ。もしもこの身が内なる獣に乗っ取られ、いずれ私のものではなくなるのだとしたら、そのときは――」


 言いさして、カルロスはグニドの数歩先で馬を止めた。

 そのまましばし沈黙が流れる。

 グニドはカルロスの言葉の続きを待った。

 けれども、やがてこちらを振り向いたカルロスは――笑っている。


「いや、何でもない。お互い今の話は忘れよう」

「カルロス、」

「それはそうと、せっかくだ。このままマナを見舞いに行こうではないか。傭兵隊の駐屯地まで案内する。ついてこい」


 馬の腹を蹴り、カルロスは駆け出した。

 見晴らしのいい草原に、蹄の音が軽快に響く。

 グニドはしばらくそれを見送ってから、あとを追って地を蹴った。


 やはりおれは神を拒もう、と、そう思った。



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