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第 四 十 話  竜人じゃなくても

 ルルはポカーンと口を開けてそれ・・を見ていた。

 それ・・は風に煽られた木の葉みたいに高速で回転しながら、ぐいーんと弧を描いて飛び、やがてゆっくりと地に落ちる。


「どう? すごいでしょ?」


 と、それを見て目をキラキラさせたエリクが、まるで自分の手柄みたいに胸を張ってルルを見た。

 けれども彼はルルが頷くのを待たずに駆け出して、落下したそれ・・を拾い上げる。エリクが手にしたそれは細い棒の先に平たくて薄い板が刺さった、木製の小さな玩具だった。


「これね、竹蜻蛉ククルっていうの。おとうさんが前につくってくれたんだ。ぎゆーぐんでも、ククルをつくれるのはおとうさんだけ。カルロスさまもつくれないんだよ」


 そうして駆け戻ってきたエリクは、相変わらず目をキラキラさせて誇らしげにルルを見ている。しかしルルはそんなことよりも、彼の手の中にある玩具に釘づけだった。

 ――〝ククル〟。確かに見たことがない玩具だ。ルルが知っている玩具と言ったら、ずっと昔にグニドが持ってきてくれた積み石クコルブとか石独楽ニプスとか竜人双六エスィドくらいで、こんな風に空飛ぶ玩具なんて見たことがない。


 そこは復興が進むサン・カリニョの居住区。

 ルルはその居住区の片隅で、エリクと一緒に遊んで時間を潰していた。

 というのも昨日からグニドがカルロスの側仕え――ルルにはよく分からないけれど、ずっとカルロスの傍にいて彼を守ることらしい――をすることになって、日中はルルと一緒にいられない、と言われてしまったのだ。


 ルルはそれが寂しくて悲しくて駄々をこねた。せっかくグニドが魔物との戦いから無事に戻ってきたのに、一緒にいられないなんてそんなのひどい。

 そう言ってルルがわんわん泣いていると、偶然そこを通りかかったヒーゼルが「じゃあうちに来たらどうだ」と誘ってくれた。

 先日の魔物の襲撃でたくさんの人間ナムの巣が粉々にされてしまったけれど、ヒーゼルが暮らしている小さな巣は奇跡的に無事だったみたいで、そこにルルを招待してくれたのだ。


「ほら。ここが俺の家だ」


 と、今朝ヒーゼルが連れてきてくれたその場所には、壁が真っ白に塗られた二階建ての建物が建っていた。

 ルルたちが部屋を貸してもらっているあの砦と比べるとずいぶん小さいし、魔物にやられたのか二階の一部が崩れてしまっていたけれど、中は綺麗で床は馬車のそれに似ている。つまり、床も壁も天井も全部木でできている、ということだ。


 そこにはヒーゼルの他にエリクとマルティナも住んでいて、二人とも遊びに来たルルを歓迎してくれた。

 巣の前まで一緒に来たグニドはちょっと心配そうだったけれど、ヒーゼルがマルティナを紹介して、マルティナがにこやかにアクシュを求めると、少し安心したみたいだった。


 そのマルティナは今、巣の中で食事を作っている。どうもサン・カリニョのナムたちは朝と昼の間に食事を取るみたいで、その準備をしているのだ。

 それが終わるまで外で遊んでいなさいと言われたルルは最初、地面に座り込んでエリクと落書きに興じていた。けれども途中でエリクが「そうだ!」と巣の中へ駆け戻って、取ってきたのがこの玩具ククル――というわけである。


「ククルはね、おとうさんが生まれた村のオモチャなんだって。だからおとうさんしかつくれないんだ。エルナンおじさんもマネしてつくってたけど、ぜんぜんとばないの。剣とか槍をつくるのはじょうずなのにね」


 だからおとうさんはすごいんだ、と、エリクは得意顔でえへんとした。

 でも、ルルはやっぱりククルが気になる。ものすごく気になる。だって初めて見る玩具だ。ルルもあんな風にククルを飛ばしてみたい。


「エリク」

「なに?」

「ルルも、それ、やりたい」

「? ククルをとばしたいの?」

「そう。ルルもやりたい」

「うーん……いいよ。でも、こわさないでね。これ、ぼくのたからものなんだから」


 〝タカラモノ〟ってなんだろう? と思いながら、しかしルルはこくこく頷いた。とにかく大事にして壊さなければ、エリクだって怒らないに違いない。

 ルルはエリクが差し出してきたその玩具を、そっと両手で受け取った。ククルの棒の部分はとても細いので、乱暴に扱ったらすぐに折れてしまいそうだ。


 だからルルは摘んできた花でも持つみたいに大事に持って、まずはククルをよく観察した。

 飛ばすとくるくる回る板の部分は、よく見るとただの板じゃない。目線の高さに合わせて横から見れば、厚さが右と左で微妙に違う。

 左の方はとても薄くて、摘んでちょっと力を込めたらパキッと割れてしまいそうだ。くるりと回して反対側も見てみると、そっちは右の方が薄い。こんなに薄く木を削れるなんて、ヒーゼルはずいぶん器用だ。グニドなら力持ちすぎて、絶対途中で折ってしまうだろう。


 ルルはしげしげとククルの構造を観察したあと、ついに棒の部分を両手で挟んだ。さっきエリクがククルを飛ばしたとき、最初にそんな風にしていたからだ。

 でもそこからどうすればいいのか分からなくて、ルルは目だけで助けを求めた。するとエリクはルルの隣で両手を合わせて、シュッと掌を擦るような仕草をしてみせる。


「こうやってシュッてやって、棒のところをくるっとまわすの。まわしながら手をはなして、そっと浮かせるみたいにするんだよ」


 何だかすごく難しい技術を要求されている気がする。

 けれどもルルはとにかく言われたとおりやってみた。両掌を素早く擦り、間に挟んだククルを回転させる。


 ――ボトッ。


 ククルは飛ばずに、力なくルルの足元へ落ちた。


「あー、ちがうよ。もっとつよくシュッてするの。それで、ククルが手からはなれるときに、ふわっと風にのせるみたいにしたらちゃんととぶよ」


 言われるがままルルはククルを拾い上げ、もう一度エリクの教えどおりやってみた。


 ――ボトッ。


 ククルはさっきと同じところに落ちる。それからもルルは何度か挑戦してみたが、一向に上手く飛ばせなかった。

 見かねたエリクが「かして」と言って、再びルルにお手本を見せてくれる。すると、エリクもルルとまったく同じことをやっているのに、ククルはびゅんっと風に乗って勢いよく飛び立った。

 ルルはそれが悔しくて、何度も何度も挑戦してみる。けれどもククルはルルよりちょっと離れたところに落ちるようになった程度で、やっぱり全然飛ばなかった。


「ティシュ! ルルだけとばない! なんで!?」

「ルルがへたっぴなんだよ。もっとじょうずにまわさなきゃ」

「ルル、エリクとおなじにやってるもん! もういい! ククルやらない!」

「あっ、ダメだよ。まだちょっとしか練習してないでしょ? なんでもできないってあきらめたら、おっきくなれないんだよ」

「ルル、エリクよりおおきいもん」

「ルルはグニドみたいになりたくないの?」


 ぼくはおとうさんみたいになりたい、とエリクがククルを拾いながら言うので、ルルはぐっと押し黙った。

 そりゃあルルだっていつかはグニドみたいに大きくなりたい。いや、あそこまで大きくならなくてもいいけど――何せグニドはちょっと大きすぎる――自分がグニドを頼りにしているみたいに、グニドに頼りにしてもらえるような、そんな立派な大人になりたい。


 でも……。


『……でも、ルルは竜人じゃないもん……』

「え? なんて言ったの?」

『ルルはグニドみたいにウロコがないし、尻尾も牙もないもん……ルルは、グニドみたいになれないもん――』


 それをナムの言葉でなんと言ったらいいのか分からなくて、ルルはじわっと涙ぐんだ。

 ――列侯国ここに来て、一つ分かったことがある。

 ルルは竜人じゃない。エリクたちと同じナムだ。

 肌は白くて、体は小さくて、手足の大きさもたてがみの生え方も違う。ルルがどんなに背伸びをしたって、グニドと同じには絶対なれない。


 もちろん、ルルだって自分が竜人じゃないことはずっと前から分かっていた。昔、ルルがまだあの暗い砂漠の地下にいた頃、「どうしてルルにはウロコがないの?」と尋ねたら、グニドが「お前は人間ナムだからだ」と教えてくれたからだ。

 ルルが〝ナム〟という生き物の存在を初めて知ったのはそのときだった。ナムは竜人とは違う生き物で、砂漠の外にはたくさんのナムがいるけれど、ここにいるのはお前だけだ、とグニドは言った。

 どうしてここにはルルしかいないの? と尋ねても、それには答えてもらえなかったけど、でも自分はグニドたちとは違うのだ、と、何となく理解してはいた。


 だけどそれは理解したつもり・・・でいただけで、実際は違ったのだ。

 ルルは列侯国ここでたくさんのナムたちの姿を見るまで、自分は見た目は違うが本当は竜人なのだと思っていた。

 だってこれまで自分以外のナムを見たことがなかったから、そんな生き物が実際に存在しているなんていまいち信じられなかった。


 シャムシール砂王国で初めて大きなナムたちを見たときもそうだ。

 あの国にいたナムたちはみんなグニドみたいに大きくて、腕や脚がムキムキしていて、どちらかというと竜人に似ていた。さすがに尻尾や鱗まではなかったけれど、それでもグニドにそっくり、とルルは思った。


 でも、ルルはここに来て初めてエリクみたいな小さいナムと出会った。エリクはオスだと言うけれど、ルルよりも小さくて全然ムキムキじゃなくて、ちっともグニドに似ていなかった。

 それどころか、彼はどちらかと言えばルルに似ている。顔つきとか鬣の色とかのことじゃなくて、存在そのものが。


 だからルルはエリクに親近感を覚えると同時に、思い知った。

 ――自分はナムだ。グニドの言っていたことは本当だった。

 歳が近いエリクと一緒にいると、ルルは楽しい。でも、エリクと遊んだあとグニドのところへ戻ると時々不安になる。


 自分はグニドとは違う。竜人じゃない。

 今はとても小さいからグニドも傍にいてくれるけど、もしもルルが大人になって、一人でも生きていけるようになったら?

 そうしたら、グニドは自分から離れていってしまうんじゃないだろうか。

 だって大人になればなるほどルルはナムに近づいて、グニドとは違う生き物だと、今よりはっきりしてしまうから。


『でもルルは、グニドといっしょがいい……グニドとずっといっしょにいたい……』

「わ、わ、ごめん、泣かないで? ねえ、ルル。もういっかい、ククルのやり方おしえてあげるから」


 ついにはぽろぽろ泣き始めてしまったルルを見て、エリクは慌てた。それから彼はもう一度ククルを構えると、「ほら!」と言ってルルにお手本を見せてくれた。

 けれどもルルは泣きやまない。今やルルの興味はククルの飛ばし方よりも、自分とグニドの将来の方へ向いている。


 ――だって、そんなの飛ばせたってルルは竜人になれないもん……。


 ルルはとても悲観的な気持ちだった。

 つらくて悲しくてもう何もする気になれなかった。

 するとエリクも、そんなルルの気持ちに気づいたのだろう。

 くるくると宙を舞っていたククルは地に落ち、それきり静かになった。


 エリクは何も言わずにうつむいている。二人の間に沈黙が降りた。

 けれどもやがてエリクがぱっと駆け出すと、ククルを拾って戻ってくる。

 そうして大事そうに手にしたそれを――エリクは、ルルに差し出した。


「――これあげる」

「……え?」

「もっといっぱい練習したら、ルルもとばせるようになるよ。だから、もってっていいよ」

「でも……ククル、エリクの〝タカラモノ〟でしょ?」

「ぼくはおとうさんのケガがなおったら、またつくってもらえるもん。だからこれはルルにあげる」


 そう言って、エリクは更にずいっとククルを差し出した。ルルはそのククルとエリクを見比べて、おずおずと両手で貰い受ける。

 そうしてから、エリクの優しさにまたちょっと涙が出た。

 ルルが勝手に拗ねて放り出しても、エリクは怒ったりしない。それどころか泣いているルルを心配して、大事な〝タカラモノ〟をくれた。


 ――ぼくはおとうさんみたいになりたい。


 さっきのエリクの言葉が甦る。

 そう言えばグニドがこの前、ヒーゼルはちょっと変だがいいやつだ、と言っていた。剣の腕が立って、皆からも信頼されていて、とても頼り甲斐のあるやつだと。

 エリクもそんな風になりたいのかぁ、とルルは思う。エリクがルルに優しいのは、きっとヒーゼルを見習っているからだ。

 ヒーゼルみたいになるために、ヒーゼルならこうするだろう、と思うことを自分も真似してやっている。ルルはそんなエリクと自分を比べて、少しだけ恥ずかしい気持ちになった。


 確かにルルは竜人にはなれない。だけどエリクのように、グニドの真似をしてグニドみたいになることはできる。

 たとえ竜人になれなくたって、ルルはグニドの子だ。自分もそう言って胸を張れるようになりたい。

 そしたらグニドだってきっと、ルルを誇りに思ってくれるから。


 ルルはついに涙を拭った。

 そうして受け取ったククルを見ると、再び両手で挟み込んだ。

 意を決し、きゅっと眉に力を込めて、いっとう強い力でびゅんっとククルを回転させる。


 そのとき、風が吹いた。

 ルルたちの後ろからやってきた風の精が、くるくるっと舞い踊りながらククルを捕まえて、びっくりするほど遠くまで一気に運び去っていく。


「わあー! とんだー!」


 エリクの歓声が上がった。ルルも跳び上がるほど嬉しくて、「ヤーウィ!」と快哉を叫んだ。


「ルル、すごいよ! ぼくよりとおくまでとんだよ! もう一回やって!」

「うん!」


 はしゃぐエリクにせがまれて、ルルは走った。ずいぶん遠くまで飛んでいってしまったので追いかけるのが大変だったけど、ようやく着地したククルを拾い上げ、今度はエリクがいる方に向かって飛ばすことにした。


 けれどもそのとき、ルルは気づく。

 ――左。そちらから何か視線を感じる。

 ……なんだろう?

 ルルはククルを構えた体勢のまま動きを止めて、ゆっくりそちらを振り向いた。

 途端に物陰からこちらを見ていた何かがびくりと跳ねる。


 目が合った。

 ルルも相手も、目を見開いた。 

 ――女の子だ。

 ルルよりも小さいけれど、エリクよりは大きい、赤毛のおさげの女の子。


「……だれ?」


 見たことのない小さなナムに、ルルは思わず首を傾げた。

 女の子の方はまさか見つかると思っていなかったのだろう、逃げようか出ていこうか迷った様子でおどおどしている。


「あっ、あっ、あのっ……わ、わたし、ユシィ……」

「ゆしぃ?」

「わ、わたしの、名前……」

「なまえ……ルルは、ルル」

「えっ」

「なまえ、ルル。ほんとは、ルルアムス。でもルルなの」

「ルル」


 ユシィと名乗ったおさげの子は確かめるようにルルを呼ぶと、ちょっとうつむいてはにかんだ。

 そうしてついに物陰から出てきたと思ったら、ルルより大きなくりくりの目で笑ってみせる。頬には薄茶色い点々がいっぱいあって、笑うと利発そうに見えた。でも初めて会う人の前だからか、ちょっと緊張しているみたいだ。


「あ、あのね、ルル。ルルは、お医者さんを知らない?」

「オイシャサン……?」

「わたしのお母さんがね、病気なの。だからお医者さんを呼んでほしいって義勇軍の人にお願いしたんだけど、全然来てくれなくて……」

「ルル、どうしたの?」


 〝オイシャサン〟の意味が分からずひたすら首を傾げていると、すぐにエリクが来てくれた。が、エリクもユシィを見ると目を丸くして、あからさまに「だれ?」という顔をしている。どうやらエリクも知らない子みたいだ。


「エリク。このナム、ユシィ。オイシャサンのはなし、してる」

「おいしゃさん? おいしゃさんがいるの?」

「う、うん。わたしのお母さんが病気で、お医者さんにみてほしいの。お母さん、すごくつらそうなの……」

「フェリペ先生なら、たぶん聖堂にいるよ。このあいだの魔物とのたたかいで、ケガしたひとたちがそこにいるから」

「せ、聖堂……? それって、どこにあるの?」

「しらないの? 礼拝にいってたでしょ?」

「わ、わたし、ここには来たばっかりで……」


 困ったようにおどおどしているユシィを見て、ルルとエリクは顔を見合わせた。同じくここへ来たばかりのルルだって聖堂の場所は知っているのに、変な子だ。

 ルルはククルを手に持ったまま、『どうしよっか?』という意味を込めてエリクを見た。エリクもそんなルルの意図を読み取ってくれたのか、腕組みをして「うーん」と唸っている。


「えっと……それじゃあ、ぼくたちといっしょに聖堂にいく?」

「つ、連れていってくれるの?」

「うん。ここからだと、ちょっととおいけど――」

「――おい、ユシィ!」


 そのときだった。何か言いかけたエリクの言葉を遮って、別の声があたりに響いた。

 それは本当に突然のことで、全然身構えていなかったルルたちは仲良くビクッと飛び上がる。一体誰の声だろうと、ルルはすぐにきょろきょろした。


 すると先程ユシィがいた物陰から、誰か飛び出してくる。

 ちょっとボサボサ気味の黒いかみをした男の子だ。

 歳は、ルルとどっちが上だろう? 男の子は痩せているけどルルより少し大きくて、何だか険しい目つきをしている。

 服は少しボロボロ。でもよく見たら、ユシィが着ているジグザグ模様のチュニックも、男の子のそれと同じくらいボロボロだ。


「お、おにいちゃん……!」

「お前、勝手にいなくなるなって言っただろ。こんなところで何やってんだ!」

「ご、ごめんなさい……でも、お医者さんを探してて……」

「それなら父さんが義勇軍の人にお願いしたって言ってたろ」

「で、でも、全然来てくれないから……」

「おれたちみたいなよそ者・・・は後回しなんだよ。いいからさっさと来い。帰るぞ!」


 男の子は何だか怒った様子でそう言うと、まごまごしているユシィの腕をぐいっと掴んだ。そのまま彼女をずるずる引っ張って、またあの物陰の向こうへ去ろうとしている。

 だけどユシィはまだルルたちとお話したそうで、何度もこちらを振り向いてはちょっと泣きそうな顔をしていた。

 途端にルルはムッとする。

 次の瞬間、ルルはククルをエリクに押しつけるように預けると、地を蹴ってユシィたちを追いかけた。


「まって!」


 後ろからユシィのもう一本の腕を掴む。ガクンとユシィの体が揺れて、先を歩いていた男の子も引き戻された。

 一瞬タタラを踏んだ男の子は、ボサボサ髪の向こうから「何だ?」と言いたげにルルを睨みつけてくる。だからルルも負けじと相手を睨み返した。


「ユシィ、オイシャサン、いる。ルルたち、ユシィつれていく」

「連れていくって、どこに?」

「セードー! オイシャサン、いるところ!」

「お節介だな。ていうかお前、だれだよ?」

「ルルはルル! あなたはだれ!」

「お前、義勇兵の子か?」

「……? ルルは、グニドの子」

「だれだよ、グニドって……」

「グニドはグニド! ドラゴニアンのせんし!」

「は? 竜人? ……こいつワケ分かんねーな。ユシィ、もうこいつには関わるな」

「ダメ! ユシィつれてく、ダメ!」

「なんでだよ! おれの妹なんだから、どこに連れていこうがおれの勝手だろ!」

「ユシィ、こまってる! あなた、手、はなして!」

「困ってるのはお前のせいだ! そっちこそ放せ!」

「イヤ! そっちがはなす!」

「こっの……!」


 ついにユシィの奪い合いになった。ルルと男の子はそれぞれにユシィの腕を引っ張って、どうにか相手から彼女を引き剥がそうとする。

 しかし間に挟まれたユシィはたまったものではなかった。彼女は途中で「痛い痛い痛い!」と悲鳴を上げて、二人を止めようとした。

 それでも二人は引っ張り合いをやめようとしない。ユシィはついに声を放って泣き始めた。わあわあ泣いて嫌がるユシィを、それでもルルと男の子は我が方へ引き寄せようとする。


 が、そのとき、


「――こら! あなたたち、何やってるの!」


 いきなりぐいっと肩を引かれて、ルルは思わずユシィの手を放してしまった。が、その拍子にユシィを引っ張っていた男の子も盛大に後ろへひっくり返る。

 それにつられて、あわやユシィも頭から地面に突っ込むかに見えた。

 けれど後ろから伸びた白い手が、とっさに彼女を抱き留める。


 そうして泣きじゃくっているユシィを抱き締めたのは、ヒーゼルの巣にいたはずのマルティナだった。

 食事の用意ができて、ちょうどルルたちを呼びにきたところだったのだろうか。彼女はユシィの赤毛を撫でながら「もう大丈夫よ」と言い聞かせると、ちょっと呆れたような顔をルルたちへ向けてくる。


「あなたたち、あんなことしたらこの子がかわいそうでしょう。一体ここで何してたの」

「あのナム、ユシィ、ひっぱった! ユシィ、オイシャサンのこと、ききにきたのに!」

「お医者さん? この子はユシィっていうの?」

「そいつはおれの妹だ。だから連れて帰ろうとした。なのにこいつが……!」

「あなたは? 見ない顔だけれど……もしかして、北のポジート村から来た子?」


 マルティナがそう尋ねると、起き上がって怒気を露わにしていた男の子が急に黙った。何だかばつの悪そうな様子で、じっと見つめてくるマルティナの視線から逃げるように顔を伏せる。


「おかあさん、ポジート村って……?」

「この前、お父さんが魔物退治に行った村よ。だけど家や畑が魔物のせいで駄目になってしまったから、しばらくここで私たちと一緒に暮らすことになったの。それにしても、お医者さんのことを訊きに来たって……もしかして誰か病気なの?」

「母さんは病気じゃない。魔物に襲われたショックで寝込んでるだけだ。目の前で、ばあちゃんと弟が魔物に喰われたから……」


 マルティナがはっと息を飲み、ルルも目を見開いた。――〝魔物に喰われた〟。その意味はルルにも分かる。

 つまりこの男の子は、先の襲撃で誰か身近な人――ルルにとってのグニドのような人――を魔物に食べられてしまった、ということだろう。

 だからあんなに態度がトゲトゲしていたのか。数日前、グニドに叱られて悲しかったときのルルもあんな感じだった。

 ひょっとしたら、あの子は目を離した隙にユシィまでいなくなってしまったと思って、慌てて探しに来たのかもしれない。どうやらあの子とユシィも、友達かそれ以上の関係みたいだから。


「そう……そうだったの。それはつらかったわね……それで、お父さんは?」

「……父さんは、別に平気。落ち込んでるけど、ケガもしてないし……」

「それじゃあご両親は今、避難所にいるのかしら?」

「そうだよ。だから、ユシィを連れて帰る」

「待って。それならうちでごはんを食べていかない? ちょうどお料理ができたところなの。あとで避難所にも届けようと思ってたくさん作ったから、あなたたちもお父さんとお母さんに――」

「いいです」

「え?」

「おれ、義勇軍の人となれあう・・・・気はないから。だから早く妹を返して下さい」

「ま、待って。馴れ合うって、そんな……」

「――義勇軍がサン・カリニョに来なければ、村が魔物に襲われることもなかったんだ。なのに、あんたたちがあの魔物の群を呼んだから……!」


 男の子はうつむいて、絞り出すようにそう叫んだ。これにはマルティナも言葉を失い、驚いたように彼を見つめている。

 そのマルティナの腕の中で、まだユシィが泣いていた。彼女はしきりとしゃくり上げながら、幼い声で切れ切れに何か言っている。


「お母さん……やだよぉ……お母さんまで、いなくなっちゃったら……やだよぉ……っ」


 それを聞いたマルティナが、もう一度――今度は強くユシィを抱き締めた。

 そうして彼女は、ユシィを抱いたまま立ち上がる。ユシィはエリクより大きいので、ちょっと重そうだったけど、それでもマルティナはしゃんと背筋を伸ばして立った。


「エリク。ルルちゃんを連れておうちで待っていてちょうだい。すぐに戻るから」

「どこいくの?」

「この子たちをお父さんとお母さんのところへ送ってくるわ。戻ったらすぐごはんにするから、もう少しだけ待っていて」


 エリクはちょっと心配そうにマルティナを見上げたものの、やがてこくんと頷いた。マルティナもそんなエリクを見て微笑むと、今度は地べたに座り込んだままの男の子を振り返る。


「さ、立てる? 一緒に避難所まで行きましょう」


 マルティナはそう言って、器用にもユシィを抱いたまま男の子へ手を差し出した。ルルはそれを仲直りのアクシュだと思った。

 でも、男の子はそれを無視した。まるでマルティナを睨むように一瞥すると、ぷいとすぐにそっぽを向いて、自力で立ち上がろうとした。

 が、その刹那、


「ぐぎゅうううるる……」


 という何とも摩訶不思議な音がして、男の子の動きが止まった。

 というか、その場にいた全員が動きを止めた。

 立ち上がろうとしていた男の子は、ちょうど顔を下に向けたところだったから、そのままの姿勢で固まっている。

 けれどもルルは気づいた。――静止したままの男の子の肩が小さく震えている。まるでどうすべきか困り果てているような……それでいて何か必死に耐えているような、そんな感じで。


「……お腹、空いてるのね?」


 やがてうつむいたまま動かない男の子に、マルティナが微笑みかけた。

 男の子はなおも顔を上げない。でも、震えながら耳まで真っ赤になっているのがルルのところからもはっきり見える。


「ねえ、ユシィちゃん。あなたは? お腹空いてない?」

「……おなか、すきました」

「そう。じゃあ、お兄ちゃんと一緒にうちでごはんにしましょう。帰りにお父さんとお母さんの分も持たせてあげるから」

「本当、ですか?」

「ええ。それからあとでお医者さんも呼んできてあげる。――それでいいわよね、お兄ちゃん?」


 〝オニイチャン〟と呼ばれた男の子は、なおもだんまりを決め込んだままだった。けれどその顔はもう下を向いていなくて――そっぽは向いているけれど――一応はマルティナの言葉に耳を貸す気になったようだ。

 彼は地べたに胡座をかいたまま、返事の代わりに口を尖らせた。それを見たルルはととと、と彼へ駆け寄ると、マルティナを真似て手を差し出す。


「オニイチャン。ごはん、いっしょ、たべる」

「……お兄ちゃんって呼ぶな」

「……? 〝オニイチャン〟、なまえ、ちがう?」

「そんな名前のわけないだろ。ていうかお前、なんで片言なの?」

「カタコト?」


 オニイチャン――という名前ではないらしい――が話す言葉の意味が分からず、ルルはきょとんと首を傾げた。

 それで、相手もこれはもう話が通じないと覚ったようだ。深々と諦めのため息をつくと、黒鬣くろかみを乱暴に掻きながら言う。


「――〝ウォルド〟」

「え?」

「おれの名前はウォルドだ。そう呼べ」

「ウォルド!」


 ようやく彼の名前が分かって、ルルは弾けるようにその名を呼んだ。

 一方ウォルドはツンとそっぽを向いたまま――けれど確かに、ルルの手を握り返してくる。


「………………で?」

「え?」

「え? じゃなくて……引っ張り上げてくれんじゃねーの?」

「これは、アクシュ」

「は?」

「なかよしのアクシュ! だから、ひっぱるはちがうよ?」


 首を傾げたルルの向かいで、ウォルドがため息と共にうなだれた。不思議に思ってマルティナを振り向くと、彼女は口元に手を当ててどうにか笑いをこらえている。

 でもルルはマルティナがどうして可笑しそうにしているのか分からなかったので、もう一度ウォルドの右手をぎゅっとした。


 〝なかよしのアクシュ〟だった。



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