第三十九話 みんなで
目の前に、ほかほかの肉があった。
それは『皿』と呼ばれる丸くて平たい盆のようなものに乗せられて、卓の上で小さな山を成している。
その肉の山は先日、グニドがヒーゼルからもらい受けた牛を解体し、香辛料をまぶして炙ったものだった。
どうもサン・カリニョで食糧として蓄えられていた肉の類は、先の襲撃の際魔物に食い荒らされてしまったらしいのだが、グニドが手ずから作ったこの保存肉だけは奇跡的に無事だったのだ。
グニドはその肉の塊を掴み、エスィプスの粉がついた表面を小刀で削ぎ落とした。そうしないとエスィプスの粉が辛すぎて喰えたものではないからだが、実はそれこそが魔物がこの肉を喰らわなかった理由であることをグニドは知らない。
そうして丁寧に焼けた部分を削り取ると、手の中のそれはやがててらてら輝く赤い塊となった。グニドはそれを大きな口の中へ放り込み、あっという間に丸飲みにする。
そこはサン・カリニョにある砦の一角。人間たちが『食堂』と呼んでいるだだっ広い部屋だった。
食堂にはいくつもの卓が整然と並べられていて、義勇兵たちは皆そこに集まって食事を取る。どうやらここは死の谷で言うところの大穴――捕まえてきた獲物を捌いて群の仲間に配るところ――に相当する場所らしい。
食堂の奥には『厨房』と呼ばれる別の部屋があって、義勇兵たちがそこへ行くと、中にいる人間から食事が供給されるのだった。
グニドが現在食べている肉の山も、その奥にいる人間たちが軽く炙り直してくれたものだ。どうも人間たちは生の肉を食べると腹を壊すと思っているらしく、食事の度にグニドの肉をほかほかにして出してくれる。
もっとも生肉が主食のグニドには、彼らの主張はちょっと理解しかねるのだが、まあ、炙った方が肉汁が浮き上がってきてうまいということが分かったので今はさせたいようにさせていた。
これは〝肉と言えば生〟という固定概念の下に生きてきたグニドにとって、なかなか有意義な発見だ。これまで肉を炙るという行為は保存食を作る過程の一部に過ぎないと思ってきたが、人間たちはそれを『調理』と呼ぶ。
調理とは食い物をよりおいしく食べるための人間たちの知恵だ。彼らが極度の雑食なのは、長い歴史の中で繰り返し試行錯誤して、あらゆる野菜や果物や肉や魚を喰えるようにしてきたからなのだろう。
「はあ~、しっかし、ただでさえここ数年の飢饉で列侯国の食事は貧相だってのによ。食糧倉も魔物に襲われて、ますますメシが味気なくなったぜ。これじゃもう侯王軍との戦どころじゃねーな」
その食堂が多くの義勇兵で賑わい出した頃。本日の夕食を前に渋い顔をして漏らしたのは、卓の上にちょこんと腰を下ろしたヨヘンだった。
鼠人族であるヨヘンはグニドの掌ほどしか身長がないため、ラッティたちのように椅子に腰かけて食事するということができない。だから卓の上に直接短い両足を投げ出して、その間に置いた小さな皿から食事を取っているというわけだ。
そのヨヘンが半眼で見下ろす皿の中には、湯気を立てる赤い汁が注がれていた。
まるで鮮血のような色合いだが、血ではない。何でも『赤椒』とか呼ばれる野菜の実を擦り潰した汁だそうで、その中にぷかぷか浮いている白い物体は人間たちの主食であるパンの欠片だ。
ところが匂いを嗅いでみると、思いがけず強烈な臭気が鼻に刺さって思わず首を引っ込めた。ルルはさっきからうまそうにぱくぱく食べているが、果たして本当にうまいのだろうか?
「贅沢を言うんじゃないわヨ、ヨヘン。それでもこうして食べさせてもらえるだけ有り難いでしょ」
「分かってるけどよー。それにしたって、夕飯がニンニクスープだけって……しかも一日の食事も昼と夜の二回だけだし……」
「列侯国じゃ食事が一日二回なのは普通だけどね。北の群立諸国連合なんかでも、食事は一日二食ってとこが結構あるモンだよ。一日三食なんて贅沢が許されるのは、アンタの故郷みたいに平和で豊かな国だけサ」
「まーな。アビエス連合国は今や全盛期のトラモント黄皇国やアマゾーヌ女帝国にも劣らない栄えっぷりだからな。贅沢な暮らしが当たり前なんだよ、チュチュチュチュ」
どこか衒うようにそう言うと、ヨヘンは何本もの細いヒゲを震わせて笑った。狩りが上手くいったときしか食事にありつけない竜人のグニドにすれば、ポリー同様偉そうな口を叩くなと右手に握って締め上げてやりたいところだが、今は肉の脂にまみれているし、そんな気分でもないのでやめておく。
「けど、確かに食糧の問題は深刻だね……焼けてない倉もあるにはあるみたいだけど、畑も家畜もかなりの被害を受けたみたいだし……」
「近隣の集落から徴発しようにも、どこもかしこも飢饉の影響で供出できる食糧なんてありゃしないしね。隊商のツテを頼れば掻き集められないこともないけど、頼るとしたら華封諸国か連合国だ。それじゃどっちにしろ時間がかかりすぎて、問題の解決にはならない」
「カホーショコク……トハ、ナンダ?」
「ん? あー、華封諸国ってのは、北のアマゾーヌ女帝国が従えてる国々のことだよ。女帝国の王もカルロスさんと同じ神子でサ。その神子の力で周りの小さい国を守ってやる代わりに、その国々から貢ぎ物……つまり金とか食糧とかを受け取って栄えてるんだ。ま、簡単に言えば、竜人がシャムシール砂王国と結んでる同盟みたいなモンだね」
「ムウ……」
なるほど、それなら確かに分かりやすい。グニドら竜人はシャムシール砂王国に傭兵として雇われる代わりに、見返りとして食糧となる人間――そのほとんどは砂王国が誘拐した人間や戦争で獲得した捕虜だった――を受け取っていた。それと似たようなことをしている国々が〝華封諸国〟と呼ばれているわけか。
しかし詳しく話を聞けば、何でもその華封諸国へ行くにも、海を越えてアビエス連合国へ行くにも、片道で一月以上の時間がかかるらしかった。
そこから食糧を調達してサン・カリニョへ戻ってくるとしても、最低でも五ヶ月はかかる、とラッティは言う。それでは確かに、たった今貧窮の極みにある義勇軍は救えないだろう。
「カルロスさんはそのあたりのこと、どうするつもりでいらっしゃるのかしら。ワタシたちがお話を聞いたときには、近々侯王軍に大攻勢をかけるとおっしゃっていたけれど、この状態じゃまともに戦えっこないワ」
と、そのときポリーの口から漏れたカルロスの名に、グニドは肉を削ぐ手を止めた。
隣ではそんなグニドをルルが不思議そうに見上げている。慣れない匙を使っての食事で口の周りを真っ赤にしているが、本人は気づいていないらしい。
「アタシが聞いて回った話じゃ、カルロスさんはこうなることを見越して、未だ日和見を決め込んでる諸侯に協力を要請してたらしいよ。アタシらが遥々トラモント黄皇国から武器と食糧を運んできたのだって、義勇軍の物資が不足してるって噂を聞きつけたからだろ?」
「確かにそうネ。それじゃあ、その人たちが要請に応えてくれれば……?」
「あるいは、自領の物資を分けてくれる人が現れるかもね。この国のお偉いサン方の中に、困っている神子様をお助けしなければって正義心と信仰心溢れる人間がいればの話だけど」
「ケッ。神子が起ってるってのに日和見なんざ決め込んでる時点で、どうせそいつらロクな連中じゃないぜ。その上義勇軍がこのザマで、侯王のバックにはエレツエル神領国がついたとなりゃ、早晩侯王軍に味方するさ」
「絶体絶命、だね……」
ぽつりとそう呟きながら、ヴォルクが手にしていた木の匙を置いた。皆が手を伸ばしている大皿の中身が少なくなってきたからだろうか、残りは他の仲間に譲ることにしたようだ。
それを見たグニドは目だけで『喰うか?』と肉の山を示したが、ヴォルクは首を横に振った。
いくら人間の血が混ざっているとは言え、ヴォルクも本来は肉食だ。なのに次はいつ新鮮な肉が手に入るか分からないからと、グニドに遠慮したらしい。
「なあ、ラッティ。ここだけの話だけどよ。オイラたち、このままここに留まってていいのかな?」
と、ときに小声でそんなことを言い出したのはヨヘンだった。
これには皆が驚いて食事の手を止めている。
「な、何言ってるのヨ、ヨヘン。このままカルロスさんたちを見捨てて逃げるっていうの?」
「いやいや、逃げるってのとは違うだろ? だってオイラたちはそもそも、物資さえ届けたらすぐに次の行商に行くつもりだったんだぜ。それにオイラたちがここにいたって、できることなんざたかが知れてるだろ」
「けど、アタシらは今後五ヶ月間、ヴォルクとグニドを傭兵として義勇軍に貸すって契約を交わしたばかりなんだ。アンタはその契約を破棄しろってのかい?」
「そりゃ、オイラだって神子の戦いを最後まで見届けられないのは心残りさ。だけど背に腹は代えられないだろ? オイラたちは傭兵じゃない、商人だ。そもそもこの状況じゃ、グニドがいようがいまいが戦況は変わりっこないぜ」
ヨヘンが珍しく真面目な声色で話すので、一同はぐっと押し黙った。ラッティなどは耳をピンと立てたまま、親指の爪を噛んでいる。あれも彼女が難しいことを考えているときの合図だ。
恐らくラッティはこのまま義勇軍に留まるべきか去るべきか、真剣に思案しているのだろう。
先程ヨヘンに反論したときの感じからして、彼女も本当はここに留まりたいと思っている。けれど同時に、ラッティはキャラバンの仲間を何よりも大切にする隊長だ。
だからたぶん、ここに留まりたいという想いと仲間を危険には晒せないという想いの狭間で揺れている。現にグニドとヴォルクは先日想定外の死闘を繰り広げたばかりだし、ラッティだってカルロスを庇って死にかけた。
ここでは誰もが死と隣り合わせだ。
ましてや日増しに状況が悪化していく今の状態では――
「……ラッティ。オレ、ココ、残リタイ」
――頭では、そう分かっているのに。
グニドは気づけば持っていた肉を皿に置いて、ラッティを見据えていた。
これには一同が再び驚きを露わにする。今度はルルまで空気を読んだのか、赤い汁の中からパン切れを掬おうとするのをやめた。
「モチロン、ラッチィガ去ル、言ウナラ、オレ、従ウ。ダガ、オレ、残リタイ」
「……理由を聞いても?」
「オレ、ヒーゼルニ、言ワレタ。カルロス、守ル。頼ミタイ、ト」
未だ拙いグニドの語彙では、すべてを伝えることは難しい。
ましてやカルロスが抱える〝代償〟の話や、ルルが預言者と呼ばれる特異な存在であることは他言するな、と釘を刺された。後者についてはいつかラッティに伝えたいと思っているが、とにかく仲間たちはカルロスの事情を知らない――だから何をどう言えばいいのか、グニドには上手い言葉が見つからないけれど。
「オレ、カルロスト、話シタ。カルロス、トテモ苦シンデイル。トテモ、トテモ、苦シンデイル。ソレデモ、カルロス、戦ウ。義勇軍、守ルタメ」
「……」
「オレ、思ウ。カルロス、シテイルコトハ、正シイ。間違ッテルハ、侯王。オレ、侯王、キライ。ダカラ、カルロス、助ケタイ」
「……」
「困ッテイル者、イタラ、助ケルガ竜人ノ戦士。オレ、谷ノ掟、守ル」
「つまりアンタは、ここでカルロスさんを助けるために戦いたいってことだね?」
「ソウダ」
確かめるようにラッティから問われ、グニドは大きく頷いた。言いたいことが上手く伝わったかどうかは不安だったが、それ以上の言葉は思いつかない。
それからまたしばしの沈黙があった。
周りで談笑している義勇兵たちの声がやけに響く。グニドはそれを聞くともなしに聞きながら、ラッティの決断を待った。
「……アタシはね。この大陸の北も北、群立諸国連合の外れの国で生まれたんだ」
と、やがてラッティが妙なことを言い出して、グニドは首を傾げた。
「純血の狐人だったのは父さんの方。母さんは人間で、二人は獣人と人間の男女にしては珍しくお互いに惹かれ合ってアタシを生んだ。普通、アタシらみたいな半獣人ってのは事故で生まれる場合が多いんだけどね。アタシはそんな事故じゃなく、望まれてこの世に生を受けた。幸せだったよ。バカみたいに寒い山間の村で、貧しい田舎暮らしだったけど、優しい両親に恵まれて、毎日が幸せだった」
グニドにはラッティが何を言わんとしているのか分からない。彼女が話す言葉の意味も、相変わらず半分くらいしか分からない。
けれども何だかこれは聞き逃してはならない話のような気がして、グニドは懸命にラッティが話す言葉の意味を追った。ラッティもそんなグニドの苦心を分かっているのか、普段よりゆっくりした口調で話してくれる。
「だけどあるとき、エレツエル神領国がアタシの故郷に攻め込んできた。この大陸の北の方ってのは、アタシの生まれた群立諸国連合より東は今じゃエレツエル神領国の領地なのサ。だからヤツらは国境を接していたアタシの故郷にも攻めてきた。アタシの住んでた村はヤツらに焼かれ、両親も……」
「……殺サレタ、カ?」
ラッティは卓に目を落としながら頷いた。表情こそ毅然としているが、頭の上では砂色の狐耳が元気をなくして萎れている。
「アタシは逃げたよ。一人でね。当時は化かしの術も今ほど上手に使えなかったから、逃げるしかなかった。エレツエル人に見つかったら、アタシら半獣人はその場で殺される。運良く命は助かっても、最後は奴隷として売り飛ばされるのがオチだ。そのことはアタシも父さんから聞いてよく知ってた。だけど……だけど、半獣人を嫌うのは何もエレツエル人に限った話じゃなかった。どこへ行ってもそうだったよ。誰も助けちゃくれなかったし、ひどいときには石を投げたり、農具を振り回して追いかけられたりした。奴隷商人に捕まって、女帝国や好者屋に売られそうになったこともある。旅の途中で同じ境遇のヴォルクに出会わなかったら、アタシはどこか手頃な崖から飛び下りるか、もしくは人間を殺して歩く化け物になってたかもね」
最後はちょっと冗談めかして、ラッティは笑った。彼女の隣に座ったヴォルクは賑わう食堂に目をやりながら、けれど耳だけはラッティへ向けて、じっと口を閉ざしている。
「けどサ。行く宛もない放浪の旅の途中、アタシは考えたんだ。かつてこの世界がまだ神々に支配されていた頃、すべての命は平等だった。それが、神サマがいなくなって長い年月が経つうちに、人間が一番偉いって勘違いが広まったんだ。そんなのはさ、間違ってるだろ? グニド、アンタがさっき言ったように、神々はいつだって〝困っている人がいたら助けなさい〟と教えてた。なのに人間どもは弱者を生み出し、いたぶり、差別する。アタシはそれが許せなかった――今も、許せない」
いつの間にか、グニドの聴覚から周囲の雑音は閉め出されていた。
聞こえるのは放たれた矢のようにまっすぐなラッティの言葉だけ。グニドはそれに必死で耳を傾ける。
「だからアタシはこの国に来たんだ。弱い者を見捨てて助けようともしない侯王のやり方が気に食わなかったからね。だったらアタシは義勇軍を助けて、傲慢ちきな勘違い野郎の鼻っ柱をへし折ってやろうと思った。――グニド、アンタはそれに手を貸してくれるかい?」
ラッティの唇の端が、不敵にクイッと持ち上がった。
いつものラッティの表情だった。
それを見て、グニドも口角を吊り上げる。
――やはりラッティは、おれが望んだとおりの理想の長だ。
グニドはつくづくそう思う。彼女はグニドが正しいと信じることを、いつだって正しいと言ってくれた。
そしてラッティは、その正しさのために戦う勇気も持っている。武器を振り回して敵を薙ぎ倒すことだけが〝戦い〟ではないと知っているのだ。
グニドはそんなラッティに頷き返して、それから仲間たちを見た。
異議のある者がいるなら話を聞こうと思ったのだが、そんな者はもうここにはいないらしい。
「はあ、ったくしょうがねーなー。そこまで言うなら付き合ってやらないこともねーけどよ。危険を承知で留まるからには、オイラの冒険記に華を添える名場面を作ってくれよな。チュチュチュ」
と、ヨヘンが言えば、
「わ、ワタシも……ヴォルクやグニドみたいには戦えないけど、神領国と戦うカルロスさんを応援したいワ」
と、ポリーも決意したように顔を上げる。
「ありがと、ヨヘン、ポリー。――ヴォルクは?」
「俺は、ラッティが行くって言うならどこへでも」
「そりゃどうも。それじゃああとはルルが賛成してくれるかどうかだね」
と、そこでラッティがそんなことを言い出すので、グニドは目を瞬かせた。正直言って、ルルは今のこの状況をちゃんと理解できているのかどうかも怪しい。
けれどもラッティは、ルルもまた仲間の一員だと認めてくれている。だからこそ彼女の意見を聞かずに決定はできない、と思っているのだろう。
グニドは改めて隣のルルを見下ろした。見返してきたルルの口の周りは相変わらず真っ赤で、竜人が獲物を貪ったあとみたいになっている。
そこでグニドはまず手近にあった布を掴み、彼女の顔をぐいと拭った。それから自分の両手も拭って、さて、どう説明したものかとしばし考える。
『おい、ルル』
『なあに?』
『お前、この場所が好きか?』
『どうして?』
『この間、魔物に襲われて怖い目に遭っただろ。ここにいたら、あんなことがこれからも続くかもしれない』
『そうなの?』
『ああ。だからお前がここにいたくないと言うなら、おれたちも考える。危険を避けて、どこか別のところへ移ることをな』
『でも……』
『でも?』
『ルル、エリクとともだちになったの。ナムのともだち、エリクがはじめて』
『そうだな』
『ルル、エリクともっとあそびたい。ルルたちがよそに行くなら、エリクもいっしょに行く?』
『いや、それは無理だな。エリクを連れていくなら、ヒーゼルも一緒だ。だがヒーゼルはカルロスの傍を離れたがらないだろう』
『じゃあ、ルルものこる!』
『だがここに残ればまた怖い目に遭うぞ?』
『こわいのは魔物がくるからでしょ? ルルね、知ってるの。魔物がくるのはね、ナムたちがけんかしてるからなの』
『そうなのか?』
『そうだよ。だってポリーが言ってたもん。みんななかよくしないと魔物がくるよって。だから、ナムたちがけんかするのをやめたら、魔物もこなくなるの。グニドならナムたちのけんか、とめられる?』
『おれ一人の力じゃ無理だ。だが、カルロスたちと一緒なら止められるかも』
『じゃあ、みんなでとめよう。じゃないとナムたちがかわいそう』
思いもよらないルルの言葉に、グニドは思わず首を傾げた。
〝人間がかわいそう〟なんて、これまで考えたこともなければ聞いたこともない発想だ。グニドはルルが何故そんなことを言い出したのか分からず、何度も首を右へ左へ傾げてから眉をひそめる。
『かわいそうか?』
『かわいそうだよ。だってこのままずうっとけんかしてたら、みんな魔物に食べられちゃうんだよ?』
『……』
『だから、とめるの。ルルはエリクが魔物に食べられたらかなしい』
『……そうだな。おれもだ』
『じゃあ、ナムたちのけんか、とめてくれる?』
『ああ。やれるだけのことはやってみよう』
グニドがそう答えれば、ルルの白い頬にぱっと笑顔が弾けた。彼女は元々大きな目を更に見開いてキラキラさせると、『ヤーウィ!』と喜びながらグニドの脇腹へ抱きついてくる。
「――ラッティ。決マリ、ダ。ルルモ、ココニ残リタイ、言ッタ」
「本当かい?」
「ウム。ニンゲン、戦ウ、止メル。ソレガ、ルルノ望ミ」
「へえ、そりゃ驚いた。その子の方が侯王なんかよりよっぽど立派なことを言うじゃないか」
ちょっと戯けた調子でラッティが言えば、仲間が声を揃えて笑った。グニドに抱きついたまま頭をぐりぐりされたルルも、笑ってはしゃぎ声を上げている。
グニドはそんなルルを見下ろす目を細めた。――どうやらコイツもおれの望んだとおりに育ってくれたらしい。
初めはただの家畜だと思っていたのに、妙な話だ。
けれど今なら、谷でメスたちが熱心に子を育てていた理由がよく分かる。
「しかし、侯王の鼻を明かすっつってもなー。そのためにはやっぱりまず食糧の問題をどうにかしねーと……」
「ああ、それなんだけどサ」
と、ときに腕を組んで考え込んだヨヘンを見つめて、ラッティが卓に頬杖をついた。
その草原色の瞳が、まるでイタズラを思いついた子供みたいに弓形を描く。彼女の腰のあたりでは尻尾がゆさゆさ揺れていて、何だか妙に楽しそうだ。
「いいこと思い出したよ。そういやアタシ、何年か前にウニコルニオでディストレーサ栄光騎士団の団長サマを見かけたことがあるんだよね。これがまあ、いかにも〝騎士様〟って感じのイイ男でサ」
「ディストレーサ栄光騎士団って、確か侯王直属の近衛軍みたいなヤツらのことだよな? 列侯国には全部で四十六の騎士団がいるらしいが、その中でも最強と言われてる……」
「そうそう。まあ、カルロスさんがトゥルエノ騎士団を率いて蜂起したとき、それを止めようとしてボロ負けしたらしいから〝最強〟には程遠いけど、それでも権威ある騎士団ってことには変わりない。代々団長を務めるドラード紅爵家の人間は、トレランシア侯領以外でも顔が利くって話だしね」
「……その紅爵がどうかしたの?」
とヴォルクが不思議そうに尋ねれば、ラッティは意味深に口角を吊り上げた。それは竜人のグニドが見てもはっきりそうと分かるくらい、何か悪いことを考えている顔だ。
「だから言ったろ。そのドラード家の現当主、フィデル・ドラード閣下はそりゃもうイイ男だったって。アタシもこう見えて女だからサ。一度見た色男の顔はそうそう忘れないよ」
「……ねえ、ラッティ。アナタ、まさか……」
そこまで聞いたポリーが何かを察したように震えた声で言い、グニドも嫌な予感がした。
この場でにこにこしているのはもはやラッティ一人だけ――そのラッティが、いよいよ爽やかな笑顔を浮かべて言う。
「さっきヴォルクが言ってたろ? 義勇軍は今、絶体絶命だって。だったら、日和見を決め込んでる諸侯はみんな――侯王軍に味方したいよな?」