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第三十七話 選ばれし者たち

 ラッティが意識を取り戻したのは、翌明け方のことだった。

 その朝、獣人隊商ビーストキャラバンの仲間と共にラッティの周りに集まって眠っていたグニドは、薄明かりの中、小さく響く話し声で目が覚めた。


 まだ眠い目を半分開けて長い首をもたげると、寝台に体を起こしたラッティとそれに寄り添ったヴォルクが何事か話し合っている。

 グニドがそこに「ラッティ」と声をかければ、彼女は驚いたように振り向いて、それからくしゃっと苦笑わらってみせた。


「話はヴォルクから聞いたよ。みんなには心配かけちまったね」


 ラッティの体調はまだ万全ではないようだが、気分はずいぶんマシになったらしい。毒を受けた直後は頭がグラグラして吐き気を催し、体も震えてとても立っていられなかったのだという。


「カルロス、トテモ、感謝シテイタ。ラッティ、イナケレバ、カルロス、倒サレテイタ、ト」

「アタシがあの場に居合わせたのはたまたまさ。あのとき魔物の急襲で砦は大混乱で、アタシは姿が見えないポリーとルルを探してた。で、カルロスさんなら二人の居場所を知ってるかと思ってサ。それであの部屋に行ってみたら、カルロスさんたちが妙な連中に襲われてて……」


 あとは無我夢中でよく覚えてない、と、ラッティは声を抑えて笑った。彼女がいる寝台の脇では、ふかふかの布を敷いた籠に入ってヨヘンが鼾をかいていて、更に隣の寝台ではポリーも眠りに就いている。ラッティが終始小声なのは、そんな仲間たちを起こさないようにという配慮だろう。


 だがグニドはそんな彼女を誇らしく思った。本人はなんてことないように話しているが、ラッティがいなければカルロスの命が危なかったことは事実だ。

 彼女はグニドのように戦う術を持っていない。にもかかわらず、身を挺してカルロスを守った。勇敢でなければできないことだ。ラッティはそこらの戦士にも負けない勇気と正義の心を持っている。

 自分はそんな長を戴くカプの一員なのだと思うと、グニドはちょっと嬉しかった。どうせついていくのなら、やはり自分は高潔で尊敬できる相手についてゆきたい。


「だけど、ちょっと変なんだよね……」

「変、トハ?」

「ん……あのときはカルロスさんも毒を受けてたし、しょうがなかったのかもしれないけどサ。ヴォルクの話じゃ、あの魔物の大群をやっつけたのはカルロスさんなんだろ?」

「ウム。オレ、カルロスノチカラ、見タ。カルロスガ剣振ルト、皆、滅ブ。トテモスゴイ、チカラ」

「だろうね。何せあの人は正義神ツェデクに選ばれた神子様だ。だけど――それならなんでたったあれっぽっちの刺客に苦戦した?」

「ジャ?」

「アタシが見た限り、あのときあの場にいた刺客は二人だけだった。対する義勇軍側はカルロスさん含めて十人はいたよ」

「ムウ……」

「そのたった二人の刺客に、大神刻グランド・エンブレムを持つ人が……いくら不意を衝かれたとは言え、ちょっとやられすぎじゃないかな。剣の一振りで敵を薙ぎ倒せるってンなら尚更だ」

「……それって、カルロスさんは戦えたのに敢えて戦わなかったってこと?」

「ホントのところは分かんないけどね。あの人、エレツエル神領国の件以外にも何か隠してる気がするよ」


 言って、ラッティは何もない向かいの壁をじっと見ながら、右手の親指をペロッと舐めた。あれはラッティが何か難しいことを考えているときのサインだ。隣ではヴォルクも黒い耳をピンと立て、何か考え込んでいる。


 グニドはちょっと困惑した。カルロスとはまだ出会って二日だが、彼は立派な人間オスだとグニドは思っている。

 戦士としては一流だし、獣人隊商を迎え入れるときも、竜人ドラゴニアンであるグニドが早く義勇軍に馴染めるようあれこれ手を回してくれた。半獣人フラーであるラッティやヴォルクのことも差別しないし、何よりヒーゼルを始め多くの人間ナムに慕われている。


 そんな男が、何か深刻な隠し事を? グニドは短く喉を鳴らした。

 もしもヴォルクが言うように、カルロスが刺客と戦えたのに敢えて戦わなかったのだとしたらその理由は何だろう?

 実はエレツエル神領国と裏でつながっている、とか――?


 いや、まさか。カルロスは侯王軍や神領国のやり方を黙認するような男じゃない。少なくともグニドはそう思う。

 ならば、カルロスが戦わなかった理由はなんだ?

 戦は生き延びてこそ、とグニドに説いて聞かせた男が、自ら命を危険に晒すような選択をした理由とは――。


『んん……グニド……?』


 そのときだった。グニドは腹のあたりから聞こえた声で我に返った。

 そこには眠たそうに目を擦りながら顔を上げたルルがいる。グニドは現在石の床に布きれを敷いて、その上に腹這いになっていた。

 それがグニドの当座の寝床というわけだが、今夜はルルが一緒に寝たいとゴネるので、脇腹のあたりに尻尾で抱えてやっていたのだ。

 しかしどうやら彼女もグニドたちの話し声で目が覚めたらしく、『どうかしたの?』とでもいうように瞼をしばたたかせている。


『ああ、いや、悪い、ルル。何でもないんだ』


 言いながらグニドがふと目をやると、その先でラッティが鼻先に人差し指を当てていた。

 たぶん〝静かに〟とか〝秘密にしといて〟とか、そういう意味の仕草だろう。ラッティが目覚めたと知ればルルが騒ぎ出す可能性もある。

 だからグニドはぐいっとルルの頭を押しやって、気にせず寝ろ、と寝かしつけた。同様にグニドも長い首を床につけ、頭と尾で作った輪の中に再びルルを抱いてやる。


 そうしてグニドは、ルルと共に再び眠りに就いた。考えるべきことは色々あったが、さすがに昨日の連戦の疲れがまだ残っていて、目を閉じるとすぐに睡魔が襲ってくる。

 そのまま日が高くなるまで、グニドはぐっすり眠りこけた。

 いつもは竜人の習性で空が明るくなる頃には目が覚めるのだが、腹のあたりにあるルルの体温が気持ちよく、時折ふわっと浮き上がってくる意識の底で、今日はこのまま一日中寝ていてもいい、なんて思ったりする。


 ところがそうして人間たちが言うところの正午ひるを迎えようという頃、


「――どーん!! グニドさん、寝坊でーす!!」


 とかいう素っ頓狂な声がいきなり耳に飛び込んできて、グニドはビクリと跳ね起きた。

 何事かと慌てて首を巡らせれば、なんと部屋むろの入り口にあの雲みたいなふわふわした女――マナがいる。彼女は部屋の扉を叩き開けるなり大声を上げて、そのくせ居合わせたラッティたちから驚きの視線を向けられても、相変わらずニコニコしている。


「あ、アンタ……確かマナさんって言ったっけ? ウチのグニドに何か用?」

「あら、こんにちはぁ、ラッティさん。トビアスから聞いてたけどー、体調はもうすっかり良くなったみたいね?」

「ええ、まあ、おかげさまで……昨日はどーもお騒がせしました」

「いえいえー。あなたがいなきゃ今頃カルロスさんは天樹に召されて大変なことになってたわけだし、全然気にしてないわよー。それはそうと、そのカルロスさんがグニドを呼んでるんだけど、ちょっと借りていってもいーい?」

「カルロスさんが?」


 聞き返しながら、しかしラッティの視線は部屋の奥にいるグニドへ向いた。今朝方の話を思い出したのだろう、その眉がちょっと考え込むように皺を刻む。

 だがグニドはいい機会だ、と思い、のそりと起き上がって頭を振った。寝すぎでまだ頭がぼんやりするが、もう少しすれば目も冴える。


「ワカッタ。オレ、カルロスノトコロ、行ク」

「ありがとー。ついでに寝てるとこ悪いんだけどー、ルルちゃんも一緒につれてきてもらえるかしら?」

「ジャ? 何故ダ?」

『――その子の力のことで、カルロスさんが色々聞きたいんだって』


 ラッティたちが再びぎょっとしたようにマナを見た。が、入り口に佇むマナはなおも微笑みを絶やさない。

 彼女が話してみせたのは、紛れもなくグニドの知る竜人の言葉――竜語だった。

 やはり昨日戦場で聞いたアレは聞き間違いなどではなかったらしい。マナは発音まで見事にグニドのそれを真似て、竜語で語りかけてくる。


『ああ、でも別に義勇軍ウチから追い出そうとか、そういう話じゃないから大丈夫。ただロクサーナが気になることを言ってて、ちょっとそれを確かめたいんだって』

『……その前に、お前、何故竜人おれたちの言葉を話せる?』

『うーん、それはねー、強いて言うなら……役得?』

『説明になってない。お前、一体何者だ』

『そう怖い顔しないでよ。今の私はただのしがない傭兵。それ以上でもそれ以下でもないわ。それに一人くらいあなたたちの言葉を話せる人間がいた方が、何かと便利でしょ?』

『……』

「わー、信用されてなーい。悲しいわー」


 グニドがあからさまに不審なものを見る目つきで黙り込むと、マナは再び人語に戻って悲しんでみせた。が、言葉とは裏腹にその顔は笑っている。……からかわれてるのか?


 だがグニドがそうして考え込んでいる間に、何かが足元をすっ飛んでいった。――ヨヘンだ。

 彼はわざわざ獣化して四脚でマナのところまで駆けていくと、そこで再び人型に戻り、いたく興奮した様子で声を荒らげる。


「おい、おい、あんた! 今の! グニドたちの言葉、竜語だよな!? なんであんたがそれを喋れるんだ!? この世で竜語を理解できる人間なんて、ルル以外にいると思わなかったぜ!」

「えーっと、あなたはヨヘンだったっけ?」

「そう! そうです! 歴史に残る鼠人チュイ族の大冒険家ヨヘン・スダトルダとはオイラのこと! 只今絶賛竜語勉強中! だけどグニドじゃ人語の語彙が足りなくて、全っ然何言ってるか分かんねーんだ! だから良かったらオイラにも竜語を教えてくれよ!」


 ヨヘンは小さいわりに大袈裟な身振り手振りで、マナに何事か捲し立てていた。短い両手を必死にブンブン振り回している様は、何だか雛鳥が羽ばたきの練習をしているようにも見える。そのうち宙に浮くんじゃなかろうか。

 一方のマナはそんなヨヘンを見下ろすと、やがてその場にしゃがみ込んだ。そうしてニコッと微笑んだかと思えば、


「ガッ」


 といきなりヨヘンを捕まえる。


「ギエーッ!? ナンデ!? なんでオイラ掴まれてる!?」

「実はねー、昨日からずっと確かめておきたいことがあったんだけどねー。あなた、鼠人族ってことはアビエス連合国の出身でしょ?」

「そ、そうデスが、ソレがナニか!?」

「じゃあ、私が誰だか分かる?」

「はい!?」

「私が、誰だか、分かる?」

「え、えっと……傭兵隊の副将であらせられるマナ様とお見受けしますが……?」


 その認識に何か間違いがあるのだろうか、と言いたげに、ヨヘンは怯えた様子で尋ね返した。

 するとマナは海色の瞳に笑みを刻む。そのとき初めて、グニドはあのメス、あんな笑い方もするのかと少し背筋が寒くなった。


「うーん、ま、そんなとこね。正確には傭兵隊の副将じゃなくてただの居候なんだけどー」

「そうなの!? あ、あんた、あのウォンとかっていうおっかない人とずいぶん上手くやってるみたいだし、てっきりあの隊の一員なのかと思ってたぜ」

「うふふ、そうなのよー。ウォンとはずっと昔からの腐れ縁でねー、今はその誼で一緒に戦ってるのー。だけど、そう。私のこと、知らないのね。だったら安心だわー」


 マナは依然ニコニコしながらそう言うと、最後に掴んだままのヨヘンを自らの口元へ引き寄せた。そうしてその薄くて丸い耳に、何事か囁いたように見える。

 そのときマナがなんと言ったのか、グニドにはちっとも聞こえなかったが、途端にヨヘンの灰色の毛がぶばっと針鼠エルディーンのように膨らんだ。

 それを確かめたマナは更にニコッとして、ようやくヨヘンを床へ戻す。けれどもヨヘンは完全に放心して、しばし針鼠のまま固まっていた。


「じゃ、グニド。行きましょっかー。でもその前に何か服を着てくれると助かるんだけどー」

「ウ、ウム……ワカッタ。今、ルル、起コス。少シ待テ」


 あの傭兵隊の長であるウォンもそうだが、このマナというメスもまた違った意味で何を考えているのか分からない。グニドは内心マナを警戒しながらルルを起こし、彼女の着替えはポリーに任せて自分自身も服を着た。

 その長い首を通すだけの簡単な上衣に革帯を巻き、腰に大竜刀を吊る。その頃にはルルも寝間着からいつもの白い貫頭衣に着替え終えて、寝惚け眼を擦っている。


 グニドはそんなルルの手を引くと、カルロスのもとまで先導するマナに続いた。

 砦の北側にある塔の、ぐるぐる巻きの階段を登って上を目指す。そうして昨日グニドたちがエレツエル神領国の話を聞いたあの部屋の前まで行けば、そこには以前のように武装した義勇兵が二人いた。


 どうやら彼らはカルロスのいるその部屋の入り口を守っているようで、グニドを見るやピクッと眉を吊り上げる。

 けれどそれ以上の反応はなかった。彼らはこの間のようにグニドを恐れて腰の剣に手をかけたりはせず、まるで恐怖心を克服するように何もない壁の一点を見据えている。


「カルロスさーん。グニドとルルちゃんを連れてきましたよぉ」


 そんな見張りの兵の間を抜けて扉をくぐると、その先にはカルロスの姿があった。それ以外には誰もいない。

 刺客に襲われたばかりなのにちょっと無用心な気もするが、ヒーゼルたちは城の復旧や事後処理で皆忙しいのだろう。ただ昨日、石の床に広がっていた血の痕だけは綺麗に拭い去られている。


「来たか、グニドナトス。疲れているところ、急に呼び出してすまない」

オン。オレ、今日、ヨク寝タ。モウ疲レテナイ」

「そうか。さすが、竜人の戦士は逞しいな」


 昨日と同じ窓の前に佇みながら、カルロスは薄く笑った。だがグニドにはそのカルロスの方が、何だかずいぶん疲れているように見える。逆光のせいだろうか?


「早速だが、ここに来てもらった理由についてはマナから聞いているな?」

「……」

「そう警戒しないでくれ。少しばかり確かめておきたいだけだ。これは昨日、ロクサーナから聞いた話なのだが……」


 言って、カルロスはちらとマナの方へ目を向ける。視線を受け取ったマナは心得たというように軽く頷き、竜語で事の経緯を説明し始めた――どうやらカルロスはマナが竜語を操れることを先刻承知だったらしい。


 そのマナの話によると、何でもルルの力が露見したのは昨日のこと。魔物の大群がこのサン・カリニョを襲った際、ルルはポリーと共に聖堂に隠れていたが、そこにも魔物の牙は迫った。

 そのときエリクが魔物に捕まり、危うく喰われそうになったところをルルが助けたというのだ。

 それも彼女の年齢では考えられないほど強力な力――胸に刻まれたあの神刻エンブレムがもたらす神術ちからで。


『まあ、おかげでエリクは助かったから、ルルちゃんにはむしろ感謝してるのよ? ただそのときロクサーナが、ルルちゃんの祈唱が妙だったって言い出して……』

『祈唱……お前たち人間が神刻の力を使うときに唱えてる、あの呪文みたいなやつのことだな?』

『そう。その祈唱をね――ルルちゃんが、古代ハノーク語で唱えてたっていうの』

『古代ハノーク語?』


 なんだそれは? と首を傾げたグニドの足元で、ルルもまたぽかーんと口を開けながらマナを見ていた。どうやらルルはマナが流暢な竜語を喋ってみせることに驚いて、呆気に取られているらしい。


『うーんと、古代ハノーク語っていうのはね、今よりずっと古い時代の人語ってこと。今、人間わたしたちが日常的に使ってる言葉は現代ハノーク語っていうんだけど、古代ハノーク語と現代ハノーク語じゃ綴りも発音も全然違うのよ。おまけに古代ハノーク語は、私たちの間じゃとっくに失われてる。つまり現代であの言語を話せる人間はいないってこと』

『だが、それなら何故ロクサーナは、ルルの祈唱がその古代ハノーク語だと分かったんだ?』

『そりゃあ、ロクサーナは六百年前から生きてる神子だもの。ロクサーナの言葉って、普通の人間の言葉と違って訛りがキツいでしょ?』

『うん……? あれは訛りなのか?』

『そーよ。ロクサーナがあんな話し方なのは、古代ハノーク語の発音が混ざってるせいなの。まあ、正確にはアレは古代ハノーク語じゃなくて中世ハノーク語らしいんだけど、中世ハノーク語は現代ハノーク語より古代ハノーク語に近いから……』

『……?? まあ、要するにロクサーナの言葉は人語の中でもかなり古い言葉だということだな? で、ルルが祈唱のときに使う言葉はその古い言葉だった、と……』

『ま、そゆことね』


 ひょいっと軽く肩を竦めてみせて、それからマナはカルロスの方を一瞥する。だいたいのことは説明しました、という合図のようだ。

 だがそれを受けたカルロスが頷くのを後目に、グニドは改めて足元のルルを見下ろした。ルルはまだマナを見つめたままぽかーんとしている。話の内容よりも驚きの方が勝って、グニドたちの会話は右から左へ流れているようだ。


 しかしグニドも、実は死の谷モソブ・クコルにいた頃から妙だとは思っていた。何しろルルが神術を使うときに唱えてみせる言葉は、グニドが長老レドルから教わったどの人語とも符合しなかったからだ。

 けれども当時は自分の人語の語彙が乏しくて、だからルルの唱える言葉が分からないのだ、とそう思っていた。というより、そう思うようにしていた。ルルが精霊と交信しているらしい事実を、あまり深く考えたくなかったから。


 だがここに来て、ルルが時折口ずさんでいたあの言葉は人間たちの言葉でないことが分かった。そんな言葉を、ルルは一体どこで誰に習ったのか。


『ルル』


 と、名を呼びかけて、しかしグニドは口を噤んだ。――そんなことは改めて本人に尋ねるまでもない。訊けば返ってくる答えは決まっているのだ。


 〝風が教えてくれた〟。


 思えばルルは神術の使い方も一人で勝手に習得した。ならばそのために必要な祈りの言葉も、きっと人外のものから教わったに違いない。すなわち――精霊たちに。


「それで、グニドナトス。ルルは一体その言葉をどこで覚えたのかね?」

「……ワカラナイ」

「えーっ。分からないってことはないでしょぉ? だって誰かが教えなきゃ、他にどうやって言葉を覚えるっていうのよ」

「ルル、言葉、勝手ニ覚エタ。竜人オレタチノ言葉モ、ニンゲンノ古イ言葉モ」

「お前たちが日頃話していた言葉を、彼女が耳で聞いて覚えたというのは分かる。だが人間の子供が、誰にも教わらずに古代ハノーク語を習得できるとは思えんのだが?」

「オレモ、ソウ思ウ。ダガ、本当ニ知ラナイ。ルル、神術モ、勝手ニ覚エタ。ルル、ソレ、精霊ニ教ワッタ、言ウ」

「精霊って……じゃあルルちゃんは精霊の言葉が聞けるってこと? それってつまり――」

「――預言者、か」


 マナの言葉を引き継いで、カルロスが緋色の目を細めた。途端に部屋の空気が張り詰める。グニドはうろたえた。――ヨゲンシャ? なんのことだ?


『マナ。ヨゲンシャ、とはなんだ?』

『……預言者っていうのはね、神の言葉を聞ける人間のこと。つまり眠れる神々からの〝お告げ〟を聞ける特別な人間ってことよ』

『神々のお告げ……? つまり、祈祷師たちが石占いや風占いで占うようなことを、ルルは直接精霊から聞けるということか?』

竜人あなたたちの占いの精度がどれくらいのものかは知らないけど、簡単に言えばそういうこと。だけど人間の中でも預言者っていうのは滅多にいないの。私の生まれたアビエス連合国には、精霊の意思を読む技術・・はあるけど、それだって一部の限られた人間にしかできないことだし……』

『なら、ルルは本当に――』


 ――精霊と直接結ばれていたというのか。なんということだ。

 グニドは軽い眩暈を覚えながら、三度みたびルルを見下ろした。その頃にはルルもある程度驚きが醒めたようで、隣からグニドの服を引っ張ってくる。


『ねえ、グニド。あの人、どうしてルルたちの言葉を話せるの? ナムはナムの言葉で話すんじゃなかったの??』

『いや、ルル。そんなことよりお前……』

『……? なに? ルル、なにかへんなこと言った?』


 ルルはグニドの服を掴んだまま、きょとんとした顔で首を傾げる。どうやらグニドたちの話は彼女には難しかったようで、事の重大さに気づいた様子はまったくない。

 ――いや、仮に今の話を理解できていたとしても、ルルにとっては〝だから何?〟という程度のことかもしれない。

 彼女は物心ついた頃から精霊たちと交信していた。つまりそれはルルにとってごく当たり前・・・・のことであって、むしろ彼女は人間も竜人もみんなそういうものだと思っている。


 だがそんなルルの認識とは裏腹に、これはかなり大変なことだ。

 竜人の常識では、精霊に直接触れられるルルの存在は禁忌そのものだと言ってもいい。それどころか人間たちの間でも異常な存在として見られることはまず間違いないだろう。


「カルロス。ヨゲンシャ、ハ、悪イコトカ? 人間、ヨゲンシャ、罰スルカ?」

「罰する? まさか。我々人間の間では、預言者とは神と非常に近しい存在――つまり神子とも並ぶ神聖な存在だ。だがそれゆえに、危険も伴う」

「キケン?」

「昨日話したエレツエル神領国だ。彼らは預言者を欲しがる・・・・。自分たちの行いを神の言葉で正当化するためだ。預言者が神領国の選択は正しいと言えば、それはすなわち神がかの国を認めたということになる」

「ナラバ、神領国、ルル、狙ウ?」

「彼らがルルの存在を知れば、そうなるだろう。何しろ彼女はまだ幼い。今のうちに捕らえて洗脳すれば、容易く傀儡にできるからな」

「ムウ……ナラバ、コレ、知ッテイルカ?」


 グニドは、覚悟を決めた。そうしてルルをひょいと抱き上げ、カルロスとマナの目の前で、彼女の服の襟ぐりをぐいっと引いた。

 そこから覗く、あの謎の神刻。それを見た二人がわずかに目を見張った。

 正円の中に、色の違う縦長の菱形が四つ。


「それ、もしかしなくても神刻? 見かけない形だけど……」

「大神刻……ではないようだな。だが確かに我々の知らないものだ」

「ルル、オレ、拾ッタ。ソノトキ、モウ、コレ、アッタ」

「グニドがルルちゃんを拾ったのって、彼女がまだ赤ん坊の頃よねー?」

「ソウダ」

「ってことは、もしかしたらそれ、天授刻ギフトかも。そんな小さい頃から神刻を刻むって、ちょっと考えられないし……」

「ギフ……?」

「生まれた瞬間から身に授かっている神刻のことだ。ごく稀にだが、我々人間の間ではそういう事例が確認されている。それもまた神に選ばれた証拠だ」

「天授刻を授かった人間っていうのはねー、小さい頃から神術の才能に恵まれてることがとても多いの。だから普通の神術使いには真似できないような威力の術が使えたりしてね。まあ、たまに神力ちからが溢れすぎて、暴走したあげく自滅しちゃうってパターンもあるみたいだけど……」


 言って、何故かマナはそのときちらりとカルロスを見た。カルロスの方もそんなマナの視線に気がついたようで、ちょっと眉を曇らせると、横を向いてため息をつく。


「……だが、見たところルルにそのような兆候はないようだな」

「ウム。オレ、ルルニ、チカラ、アマリ使ウナ、言ッテイル。コノ神刻、誰モ知ラナイ。ダカラ、使ウコト、トテモ危険」

「賢明な判断だ。詳細の分からない神刻はむやみに使うものではないし、今は何の兆候も見られなくとも、力を使い続けるうちに何かしらの症状が表れてくる可能性もある」

「そうねー。ルルちゃんまだ小さいのに、カルロスさんみたいになっちゃったら大変だものねー」


 今度はついにカルロスもマナを睨んだ。それを見たマナはにっこりと笑みを湛えている。先程ヨヘンに見せていた薄ら寒い笑みとはまた違う、いかにも含みのある笑みだ。


「マナ。私はあまり余計な世話は焼くなと言ったはずだが?」

「それってつまり、余計なお世話じゃなければ焼いてもいいってことですよね?」

「本人が余計だと言っているなら余計だということだ」

「カルロスさん、〝余計〟って言葉の意味を辞書で引いたことありますか? 〝余計〟っていうのはですねー、〝必要のない無駄なこと〟って意味なんですよー。だから客観的に考えて〝必要だ〟と思われることは、まったく〝余計〟じゃないと思うのでーす」

「……なるほど。最近ヒーゼルが口達者になるわけだ」

「カルロスさんだってー、ほんとはもう気づいてるんじゃないですか? グニドは大丈夫・・・・・・・って」


 マナがニコニコしながら告げた言葉が、カルロスの瞳を揺らした。――ように、グニドには見えた。

 それきり彼は黙り込むと、思案に沈むように視線を逸らす。けれどもマナは黙らなかった。


「カルロスさん。渡り星からの忠告です。このままだとその代償・・のこと、みんなに隠し通せなくなりますよ。そうなったら、義勇軍はおしまいです」


 グニドはカルロスとマナを見比べた。眉を寄せ、苦渋の表情を浮かべたカルロスが再び息をつく。


「だがそれをグニドナトスに打ち明けてどうなる?」

「それは試してみれば分かります」


 マナは明らかに乗り気でなさそうなカルロスを前にしても、決して笑みを絶やさなかった。その喋り方がいつもの間延びしたそれではないことに、グニドはようやく気がついた。


「……分かった。そこまで言うなら試してみよう」


 と、ときにカルロスが言い、腰の剣に手を伸ばす。


「――許せ、グニドナトス」


 瞬間、白刃が煌めいた。グニドは思わず目を見張る。

 つるぎが空を裂く音がした。

 振り抜かれたカルロスの剣が、刹那、グニドの首に吸い込まれた。


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