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第三十一話 ルルアムスの憂鬱

 高い高い塔の上から、ルルはじっと外を眺めていた。

 灰色の石が積まれてできた塔の壁にはところどころ穴ぼこが開いていて、そのまま風が吹き込んでくるところもあれば、透明の板みたいなものが嵌められているところもある。

 現在ルルが外を眺めているのは、その透明な板が嵌まった穴の前だ。ラッティやポリーはこの穴を『マド』と呼んでいた。マドは人間ナムの住処に風の精霊を招き入れるための穴ぼこらしく、これがないと彼らの住処には風が吹かない。年がら年中、びゅうびゅう風の音が聞こえていたグニドたちの住処とは大違いだ。


 あの頃は良かったなぁ、とルルは内心ため息をつく。耳を澄ませばあちこちから風や土、水の声が聞こえてきたし、イダルが長かったかみを梳きながら色んな歌を教えてくれた。あの狭い石の部屋から出られないのはちょっぴり寂しかったけれど、時々やってきては意味の分からないことを言って笑わせてくれるスエンも、グニドに内緒でドライフルーツを持ってきてくれるエヴィもいた。

 今も傍にはラッティやポリーがいてくれるし、二人とも優しいけれど、ルルは少しだけ寂しい。

 だって、グニドと一緒に死の谷モソブ・クコルを離れてからもうずいぶん長い時間が経った。あの狭い石の部屋を出て、初めて触れる外の世界は楽しいことがいっぱいだけど、ルルは時折無性にイダルたちのところへ帰りたくなる――あの頃はグニドもルルのことだけ考えてくれていたから。


 なのに谷を出てから、グニドは少しずつ変わった。前ほどルルのことを気にかけてくれなくなった。

 特にここへ来てからはあのヒーゼルとかいう赤い鬣の人と行動を共にしてばかりで、グニドはその間ルルのことを見てくれない。おまけに昨日は小さいナムと仲良くなろうとしたら怒られた。ルルはそれが悲しかった。


 何だかこのままだとグニドがどんどん遠くへ行ってしまうような気がする。さっきだって彼はルルに何も言わずこの塔を出て行ってしまった――あれはルルがまごまごしてポリーの後ろに隠れていたせいでもあるけれど。

 こんなことなら旅になど出るのではなかった。ルルは窓辺にぺったりと頬を預けたままそう思った。

 外の世界は楽しい。でも、グニドがルルのことを忘れてしまうのは、いやだ。


「――あらあら、ルルちゃん、どうしたの? 元気がないわネ」


 と、ときに後ろから名前を呼ばれて、ルルはぐでんとしたまま声のした方を振り向いた。

 そこには今日もふかふかの毛並みをしたポリーがいて、心配そうに歩み寄ってくる。ポリーは少しの間ラッティとどこかへ行っていたみたいだけれど、どうやら先に一人で戻ってきたようだ。


「グニドのことが心配? 大丈夫ヨ、ヴォルクだってついてるんだから。ヨヘンはちょっと心配だけど……まあ、ああいうタイプは多少のことじゃ死なないし、きっとみんな無事に戻ってくるワ」


 言いながらポリーはルルの隣に立ち、やわらかい手で優しく頭を撫でてくれた。ルルはひんやりしたグニドの掌とは違う、この温かいポリーの手が好きだ。

 だけど今日はその手で触れられても、何故だか嬉しい気持ちにならなかった。ポリーはルルが魔物退治に行ったグニドを心配していると思っているみたいだけれど、そうじゃない。むしろそのことについては、ルルは何の心配もしていなかった。だってグニドは強いから。


「ねえ、ルルちゃん。良かったら私と少しお外に行きましょうか?」

「おそと?」

「そうよ、お外。こんなときは少しでも体を動かした方がいいワ。そうすれば気も紛れるし」


 ルルはまだナムの言葉が不自由で、ポリーの言っていることは半分しか分からない。「きもまぎれる」って何だろう? とりあえず外へ行こうと言っているみたいだけれど。

 ルルはしばし考えた末、ポリーを見上げて頷いた。グニドたちが魔物退治に出かけてからもうずいぶん時間が経っている。もしかしたらそろそろ戻ってくるかもしれない。それなら外にいた方が早くグニドたちを見つけられる……。

 ルルがポリーの提案を受け入れたのはその一心からだった。もっとも見つけてどうしたいのかは自分でもよく分からない。

 ただ、遠くから帰ってくるグニドを一番に見つけるのは自分じゃなきゃイヤだ。ルルは何故だかそんな風に思った。

 窓辺に寄せた椅子から飛び降り、ポリーに手を引かれて部屋を出る。塔の中は昨日に比べるとずいぶんガランとしていて、通路に出てもルルとポリー以外の人影は見えなかった。


「ナム、いないね」

「そうネ。今はみんな魔物の襲撃に備えてるから」

「しゅーげき?」

「追いかけられたり、噛みつかれたりすることヨ。魔物は人間たちを追いかけるでしょ?」

「うん」

「そうならないように、みんな外へ出てこの砦を守ってるの。だけど魔物がいなくなればまた戻ってくるワ」


 人影がないことを、ルルが寂しく感じているとでも思ったのだろうか。ポリーは優しくそう言うと、もう一度ルルの頭を撫でてくれた。

 そのまま二人はぐるぐると渦のように伸びる階段を下りて、塔の出口へ向かう。グニドの身長よりも更に大きな木の扉を開けると、空の上から燦々と日の光が降り注いできた。


 ルルはそれを少しだけ眩しく感じながら塔を出る。塔の出入り口には鎧を着た大きなナムが二人ほどいたけれど、中から現れたルルたちを見るや何か言いたげに顔を見合わせた。

 けれども結局彼らが声をかけてくることはなく、二人は物珍しそうな視線に見送られて塔を離れる。ナムたちの横を通り抜ける間、ポリーは何故だか体を縮めて首を垂れ、まるでエヴィに睨まれたスエンみたいに頭をぺこぺこさせていた。


「ねえ、ポリー。ルルたち、どこいくの?」

「そうねぇ。あんまりうろうろしてても危ないから、聖堂へ行ってみましょうか。あそこならきっとロクサーナさまがいらっしゃるし、トビアスさまもいるはずだワ。昨日ロクサーナさまから聞いたんだけどネ、トビアスさまはお絵描きがとってもお上手なんですって」

「おえかき?」

「ええ。こんな風に絵を描くことヨ」


 言って、ポリーは一度足を止めると、足元に落ちていた小さな石を拾い上げて砂の上に線を引き出した。

 その線がゆるやかな曲線を描きながら、やがてあるものの形を取る。それはレジェムと呼ばれる果物だった。ふっくらとした紡錘形の、食べるとシャリシャリする赤い果実で、最近ルルが〝こんなにおいしいものがこの世にはあるのか〟と一番感動した食べ物だ。


「すごい! れじぇむ! ルルもやるー!」

「ふふふ、それじゃあやっぱり聖堂へ行きましょう。あそこなら地面じゃなくて紙にお絵描きできるはずヨ」

「カミ、しろくてぺらぺらのやつ?」

「そう、白くてペラペラのやつ」


 ヨヘンがいつも熱心に文字を書きつけているモノだ。あの白い紙面をたくさんの線や色で埋め尽くすのは、さぞかし楽しいことだろう。

 ルルは先程まで胸に立ち込めていた暗雲が、期待という名の太陽に払われていくのを感じた。そうして足取りも軽く、ポリーと共に聖堂の前までやってきたときのことだ。


「――あーっ! おい見ろよ、ジュージンがいるぞ!」


 自分もあんな風にお絵描きができる。そんな期待に弾んでいたルルの胸はしかし、聖堂へ入る前にしおしおと萎んだ。

 何故ならその小屋の前には数人の見知らぬナムがいて、やってきたルルたちを見るやこちらを指差してきたからだ。それもただのナムではない。ルルたちの前に立ち塞がったのは、いわゆる〝脱皮してないナム〟ばかりだった。

 一番大きいのはルルより一、二歳年上に見えるオスのナム。一番小さいのは、ルルの顎の高さくらいまでしか背丈のない――赤い鬣のナム。

 そのナムを見た途端、ルルは思わず目を見張った。

 あのナムは、昨日の――。向こうもルルに気づくと地面から立ち上がって、緊張に顔を強張らせている。


「わあ、ほんとうだ! ジュージンだ、ジュージンだ!」

「すげー! 犬が立って歩いてる!」

「オレ、知ってるぜ。あれは犬人ポチっていうジュージンなんだぜ! 他にもキツネとかオオカミのジュージンが城に来てるんだって、とーちゃんが言ってた!」

「ネズミもいるって聞いたぞ!」


 小さいナムの群はルルたちを見ると、口々にそんなことを言い合って騒ぎ出した。ただ一人、赤い鬣のナム――確かグニドはエリクと呼んでいた――だけがこちらを警戒するように、体の大きな仲間の後ろで体を縮めている。


「あらあら、皆さん、こんにちワ。みんなもここに集まってたの?」

「おおっ、しゃべった!」


 ポリーが笑顔で声をかけると、小さいナムたちは更に騒いだ。ポリーは大きいナムの前ではいつも怯えているけれど、小さいナムにはとても優しい。どうして小さいナムは平気なの、と尋ねたら、子供はワタシをぶたないから、と、ポリーはちょっと寂しそうに笑っていた。


「ねーねージュージン、なまえは?」

「名前? ワタシはポリー。犬人族のポリーよ」

「へえー! ジュージンもおれたちとおんなじ言葉をしゃべるって本当だったんだな。そっちの小さいのも、ジュージン?」

「いいえ。この子はアナタたちと同じ人間ヨ。ルルちゃんっていうの」

「知ってる! そいつ、砂漠でトカゲ人間に育てられたってヤツだろ? それもとーちゃんが言ってた!」

「トカゲ人間?」

竜人ドラゴニアンだよ、竜人!」


 ――〝竜人〟。つまりグニドのことだ、と、ルルはすぐさま小さいナムたちの会話を理解した。

 ちなみに〝ドラゴニアン〟というのはナムたちの言葉で竜人を指すものであって、本来竜人たち――つまりグニドたち――は自らのことを〝エラクス〟と呼んでいる。エラクスというのは直訳すれば〝鱗の民〟とでもいったところだ。

 ルルはどちらかと言えばそのエラクスという呼び名の方が気に入っている。だって響きが綺麗だ。竜人グニドたちの操る言葉は濁った音や詰まる音が多くて何となくゴツゴツしているのだが、〝エラクス〟というのはどことなく風の精霊の囁きに似ていて耳当たりがいい。もっとも精霊たちは明確に言葉を話すわけではなくて、何かコショコショと囁きながらルルの胸に色んな感情を送り込んでくるだけなのだけど。


「ええっ、ドラゴニアンって、人間をつかまえて食べちゃうヤツらのことだろ? アイツらは魔物のナカマだって、トニーおいちゃんが言ってたぜ!」

「そーだよ。だからソイツは魔物の子なんだよ。だって人の言葉もしゃべれないって言ってたもん」

「うわぁ、こえー! じゃあもしかしてソイツもおれたちのこと食べるの!?」

「ちょ、ちょっと、アナタたち……」


 小さいナムたちはなおも興奮気味に騒いでいて、それを見ていたポリーがとみに慌て出した。

 一方のルルは彼らの会話の内容が理解できず、ポリーの服をぎゅっと掴みながら背中に隠れる。どうやら話は自分のことに及んでいるようだが、小さいナムたちは甲高い声で一斉に喋るのでなかなか内容を聞き取れない。――マモノのコ? ヒトのコトバ? たべちゃう?


「でも、コイツそんなに強くなさそうだぜ。だってチビだし、やせっぽちじゃん」

「そーだな。オレももうちょっと怖そうなヤツかと思ってた。人間なのにウロコがあったりとか」

「うへっ、なにそれ、きもちわりぃ! けど服を着てるから分からないだけで、ほんとは体中ウロコだらけなのかも?」

「キバも生えてるんじゃない!?」

「やだよぉ、こわいよぉ!」

「こらっ、アナタたち!」


 小さいナムたちは何故か突然怯え出した。一体何がどうなっているのかとルルが混乱しているうちに、ポリーが珍しく叱るような声を出す。ルルは彼女がヨヘン以外の相手に怒っているところを、初めて見た。


「あのネ、ルルちゃんは確かにグニド……竜人に育てられた女の子だけど、だからって人を捕まえて食べたりしないワ。人間の言葉だってまったく通じないわけじゃないの。こう見えて思いやりも勇気もある、とってもいい子なのヨ」

「えーっ、本当かよ? だけど魔物の子だろぉ?」

「竜人は魔物じゃないワ。ワタシたちとおんなじ獣人。そりゃあ砂漠に住んでる竜人はみんな凶暴でおっかないけど、この子を育てたグニドは違うの。人の言葉だって通じるし、すごく強くて頼りになるワ」

「でも、でも、トニーおいちゃんはドラゴニアンに足を食べられちゃったって……それに、ミッケルのおとうさんだって……」

「そうだよ。ミッケルのとこのおじさんはギョーショーニンだったんだけど、砂漠でドラゴニアンにおそわれて食べられちゃったんだって。おじさんはなんにも悪いことなんてしてないのに!」

「竜人は砂王国の味方でしょ? 砂王国は悪者の集まりなんだよ。その砂王国に味方してるってことは、竜人も悪者!」

「ぼ、ぼ、ぼ、ボクのおかあさんは、ジュージンをお城に入れるなんてハンタイだって……」

「だって危ないもんな」

「うん。そのグニドって竜人だって、同じジュージンとかそこのチビには優しいだけで、本当はオレたちのこと騙してるんじゃないのか? 油断してるところを襲って食べてやろうと思ってるかも」

「そーだそーだ! 魔物なんかとなかよくなれっこないや!」

「マッモノ! マッモノ! マモノはみんなでやっつけろー!」


 やはり興奮気味に言いながら、小さいナムの中でも中くらいのナムが持っていた木の棒を振り回した。それに呼応するように、他の小さいナムたちも「おー!」と手にした棒を高く掲げる。

 そのとき、ルルの中で何かが弾けた。

 いや、切れた。爆ぜた。燃え上がった。とにかくそんな感じだった。

 相変わらず小さいナムたちが何を言っているのか、正確なところは分からない。だが一つだけルルにもはっきりと分かったことがある。

 ――竜人は魔物。

 あのナムたちはそう言った。

 竜人は魔物。グニドは魔物。魔物はやっつけろ、だって!


「――うわぁっ!?」


 瞬間、小さいナムの中で一番大きなナムが悲鳴を上げて後ろへ吹っ飛び、他のナムたちが色めき立った。

 理由は言うまでもない。怒りに駆られてポリーの後ろから飛び出したルルがまなじりを決し、他のナムたちを煽動するようなことを言っていた一人を思いきり突き飛ばしたからだ。


「る、ルルちゃん!?」

『グニドは魔物じゃないもん! 魔物とちがうもん! グニドはすっごくつよくてやさしくてりっぱな竜人の戦士だもん! グニドは魔物なんかじゃない!!』

「な、なんだ、コイツ……!?」


 後ろでポリーが悲鳴を上げているのも無視して、ルルは叫んだ。叫び倒した。

 だってこいつら、グニドをバカにした。グニドを魔物だって言った! グニドは今だってナムたちのために戦っているのに!


『グニドは今までルルのこといっぱいたすけてくれたもん! まもってくれたもん! グニドのこと、なんにも知らないくせに! グニドみたいに魔物と戦えないくせに!』

「おいおまえ、人間の言葉でしゃべれよ! なに言ってんのかわかんねーよ!」

『うるさい! あんたたちなんてキライ! グニドにあやまって! あやまってあやまってあやまって!』

「あーもーうるせー! ――近寄んな、バケモノ!」


 そのとき、先程ルルに突き飛ばされたナムが立ち上がりざま、仕返しと言わんばかりに思いきりルルを突き飛ばした。

 それは〝チビ〟で〝やせっぽち〟のルルにとってはものすごい衝撃で、背中から地面に倒れ込む。ポリーが黄緑色の糸で風の模様を描いてくれた白い服が土にまみれた。小さなナムたちはそんなルルを、それこそ魔物でも見るような目で見下ろしてくる。


「コイツ、やっぱり魔物の子だ! いきなり人のこと襲いやがって!」

「しかもトカゲの言葉をしゃべってる。気持ち悪い!」

「コイツも魔物だ! 魔物はやっつけろ!」

「こ、こら、アナタたちやめなさい! ケンカはダメ――」

「うるさい、ジュージンはだまってろ!」


 刹那、ルルは見た。小さいナムの一人が止めに入ろうとしたポリーへ向かって、足元に落ちていた石を投げつけた。

 それがまんまと額に当たって、「キャンッ」とポリーが悲鳴を上げる。彼女は頭を押さえてうずくまった。その瞬間、ルルの中で今度こそ何かが爆発した。


『ひどい!! ひどいひどいひどいひどいひどい!! 魔物!! あんたたちの方が魔物!! ゆるさない!!』

「いてっ! くそっ、コイツ、やったな!?」

『だいきらいだいきらいだいきらい!! ナムなんてだいっきらい!!』

「はなれろよ、バケモノ! おまえなんかおれたちがやっつけてやる! このっ、このっ……!」


 ルルと小さいナムたちは、壮絶な取っ組み合いになった。ルルが押し倒したナムの上に馬乗りになってボカボカ殴れば、それを見た別のナムがルルを突き倒し、持っていた棒で何度も殴りつけてくる。

 けれどもルルは怯まなかった。振り下ろされる棒から両腕で頭を庇いながら、唇を噛み締め、よってたかって殴りかかってくるナムどもを睨みつけた。


 ――燃やしてやる。


 こんなひどいやつら、みんなみんな燃やしてやる!


「――やめろよ!」


 そのときだった。大気中に散らばる火の精霊を呼び集め、その力を胸の前に集めていざ爆発させようとしたとき、ルルの視界に真っ赤なものが飛び込んできた。

 それはルルが呼び起こした炎――ではない。鬣だ。燃えるように赤い鬣。

 そこには昨日の〝脱皮してないナム〟――エリクがいた。エリクは小さなナムたちの中でも一際小さいくせに、まるでルルを守る壁みたいに立ち塞がって、武器であるはずの木の棒を仲間たちへ向けている。


「おいエリク、邪魔すんなよ! オレだってとーちゃんたちみたく魔物をやっつけるんだ!」

「ルルはまものなんかじゃないよ! さっきポリーが、ルルもぼくたちとおなじにんげんだって言ったもん!」

「そんなの、コイツらがオレたちを騙してるだけかもしれないだろ! ミッケルのところのおじさんみたいに、みんな食べられてからじゃ遅いんだぞ!」

「ルルはぼくたちのことたべないよ! グニドだってたべない。だってグニドは〝いいどらごにあん〟だって、おとうさんが言ってた。ぼくのおとうさんはウソつきじゃない!」


 エリクが小さな体で力の限りそう叫ぶと、小さいナムたちはシンと静まり返った。ルルにはそれがひどく意外で、思わずまじまじとエリクの背中を眺めてしまう。

 ――どうして他のナムたちは、ルルよりも小さなこのナムに怖気づいているのだろう?

 ルルは知らなかった。小さなナムたちだってエリクの父親が義勇軍の副将たるヒーゼルであることは知っている。副将ということは将軍であるカルロスの次に偉いということだ。そのヒーゼルを嘘つき呼ばわりなんかしたら、彼を尊敬する親兄弟から何発ゲンコツをもらうか分からない。


「ルル。だいじょうぶ?」


 そうして皆が押し黙ってしまったのを確認すると、エリクは振り向いてそう声をかけてきた。

 けれどもその手には未だ木の棒が握られている。他のナムたちから同じもので散々打ち据えられたルルは、それを見てちょっと怯えた。するとエリクも――こんなに小さいのに――それを察したのだろう、手の中の棒を一瞥すると「あ」とでも言いたげな顔をして、その棒を明後日の方向へと放り投げる。


「ひどいことしてごめんね。立てる?」


 言いながら、エリクは傷だらけのルルを見て悲しそうな顔をした。そうしてルルのそれより一回り小さな手を差し出してくる。

 ……どうしてここでアクシュをするのだろう?

 ルルは疑問だった。

 仲直りのつもり? でも、エリクの後ろにいるやつらは許せない。たとえ謝られたって絶対に許さない。

 だけどエリクは? 昨日ルルがひどいことをした――と、グニドは言っていた――にもかかわらず、彼は身を挺してルルを守ってくれた。小さいナムたちはエリクの仲間のはずなのに、その仲間にたった一人で武器を向けて。


 それにエリクはグニドを〝いいどらごにあん〟だと言ってくれた。他のナムたちみたいに、あいつは魔物だ、なんて言わなかった。

 そう思った途端、ルルの瞳からぶわっと涙が溢れてくる。それを見たエリクがぎょっとした。彼はたちまち慌てふためき、差し出していた手を引っ込めてルルの前に膝をつく。


「あ、あ、だ、だいじょうぶ? 立てないくらい、いたい?」

「ごめんな……さい……」

「え?」

「ごめんなさ、い……ごめんなさい……」

「な、なんであやまるの?」


 まったく意味が分からない、と言いたげに、今度はエリクの方が首を傾げた。エリクの話す言葉はとても平易で、何を言っているのかはルルにも分かる。


「ルル、エリク、たたいた……」

「え?」

「ルル、エリクのほっぺ、たたいた……」

「えっと……ああ、きのうのこと?」

「グニドが、エリクに、ごめんなさいしなさい、いった……でもルル、ちゃんとごめんなさい、しなかった。ルル、とてもひどい。なのに、なんで……?」

「なんで、って……だって、ルルはまものじゃないでしょ? グニドもちがう。なら、ちゃんとちがうよって言わなきゃ、ダメだよ」


 ――おとうさんならそう言う。エリクがきっぱりとそう答えるので、ルルは更に泣いた。ぽろぽろぽろぽろ泣いた。

 ひどい。ひどいひどいひどい。なんてひどい。自分はついさっきまで、そんなエリクごと目の前のナムたちを燃やしてしまおうと思っていた。

 そのときになって思い知る。正しいのはグニドだった。昨日のアレは、どう考えても、間違いなくルルが悪かった。なのにルルはそれを教えてくれたグニドを責めた。逃げた。嫌いになりかけた。ひどい。ひどすぎる……。


「ね、ねえ、それはもういいから、聖堂に入ろう? ロクサーナさまにいえば、ケガ、なおしてくれるから。ロクサーナさまはね、すごいんだよ。こう、ぱあって目の前がひかったとおもったら、どんなキズもすぐになおっちゃうんだよ」

「……ルルもできる」

「え?」

「ケガ、なおす。ルルもできる……」


 ずっ、と鼻を啜りながら、ルルは小さな傷がたくさんついた自分の腕をそっと摩った。そうして地の底にいる水の精霊に呼びかける。――こたえて。アルフル・フォ・アメル……。

 眠るように目を閉じ、ルルは念じた。念じようとした。

 だがその矢先に、耳に刺さる。遠くから聞こえる変な音。カン、カン、カン、カン――と、まるで鉄と鉄がぶつかり合っているような音。

 ……アメルの声じゃない。ルルは瞬きと共に顔を上げた。

 エリクたちも異変に気がついたようで、皆が一様にきょろきょろとしている。この音は一体どこから聞こえるのか。誰もが不思議に思っているようだった。

 けれどもそのとき、ルルの視界の端ではっと立ち上がったポリーが、みるみる全身を震わせる。


「こ、この音は……警鐘……!?」


 ……〝ケーショー〟?

 何だろうそれ、とルルは思った。まだ教えてもらってない言葉だ。

 どういう意味? と試しに首を傾げてエリクを見てみるが、エリクも目をぱちくりとさせるばかりで応答がない。たぶん彼も知らないことなのだ。だけど四日前にこの砦へ来たばかりのポリーは知っている――どうして?


「た、大変ヨ! アナタたち、早く聖堂に入って! ホラ、早く早く!」

「な、なんで? ポリー、あの音、なに?」

「魔物ヨ! 本物の魔物が攻めてくるワ! だから早く安全なところに――!」


 ポリーは大変取り乱した様子でルルを立ち上がらせようとした。けれどもルルは衝撃のあまりすぐには立ち上がれなかった。

 ――魔物。本物の魔物。攻めてくる。

 だけど、そんなはずない。

 だって魔物はグニドたちが止めにいった。グニドは負けない。どんなに大きな魔物にだって、グニドは絶対負けたりしない――なのに、なのにどうして魔物がここに?


「おい、お前たち!」


 茫然と座り込んだルルをポリーが必死で立ち上がらせたところで、突然背後から声がした。それに驚いたポリーがびくっと振り向いた先には、立派な馬に跨った大きなナムが一人いる。


「早く建物の中へ避難しろ! 南から魔物の大群が押し寄せてくる!」

「ま、ま、魔物の大群って、だけど、どうして……!? 魔物の群は、ヒーゼルさんたちが止めに向かったはずじゃ……!」

「詳しいことはおれにも分からん! だが現に魔物はやってきているのだ! 女子供はとにかく身を隠して――」


 と、大きなナムが言いかけたときだった。

 その上に、彼が乗った馬ごと呑み込むような大きな影が不意に落ちた。

 皆が言葉を失い、唖然として頭上を見上げる。バッサバッサと大袈裟に響く羽音。それと同時に巻き起こる風。舞い落ちてくる茶色の羽根と、鋭い爪の生えた後ろ脚――そしてナムによく似た毛だらけの手に、角の生えた獅子の顔。


「ゴワアァァァァッ!!」


 その鷲のような獅子のような生き物が、吼えた。風圧を伴い、周りを圧するようなその吼声こえに、ルルたちは耳を塞いで竦み上がる。

 馬が恐怖に嘶いた。彼は驚きのあまり思いきり前脚を蹴り上げ、背中から乗り手を振り落とそうとした。

 大きなナムがその首にしがみつく。その一瞬の、隙だった。

 ゴウッと風が唸って、舞い上がった砂が叩きつけてくる。ルルたちは頭を抱えた。その一刹那のうちに、馬上のナムが攫われた。

 頭の上から悲鳴が聞こえる。何か叫んでいるが分からない。ルルは顔を上げて、硬直した。


 そのルルの視線の先で、宙に放り投げられたナムがバクッと喰われる。強靭な魔物の顎に噛み砕かれたナムの体はバラバラになった。

 血の雨と肉片が降ってくる。

 魔物の咆吼と子供たちの悲鳴が重なった。

 サン・カリニョは瞬く間に、炎と恐慌に包まれた。


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