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第二話 死の谷の日常

『いやー、しかしあの蛇野郎に吹っ飛ばされたときはさすがにビビったな。我ながら死んだかと思ったぜ。まあ、オレたち竜人ドラゴニアンが寿命以外でそうそう死ぬわけねーんだけどよ。やっぱあれだな、〝腹が減っては戦はできぬ〟』

『……』


 グニドは見るからに不機嫌な面持ちで、砂漠を南に向かって歩いていた。

 隣では先程から悪友のスエンがぺらぺらと喋り続けている。昔からお喋りなやつだが、それが今はグニドの機嫌を損ねていることを本人は知らない。


『とは言え見直したぜ、グニド。まさかあの大蛇トネプレスを一人でやっつけちまうとはよ。本当はあの蛇の死骸もネダに持って帰れたら良かったんだけどなぁ……って、おい、グニド。お前、さっきから何を怒ってんだよ?』

『……別に』

『いいや、お前がそうやって〝別に〟って言うときは大抵何か怒ってるんだよな。言っとくが、オレはお前の隣の卵から生まれたんだぜ? そのオレがお前の嘘を見抜けないわけねーだろ』

『おれは、お前が死んだと思った』

『あ? 何だよ、急に』

『だから怒ってる』

『ほら、やっぱり怒ってるんじゃねーか』

『少しは反省しろ』

『何を?』

『それくらい言わなくても分かるだろ』

『ははあ、なるほど。さてはお前、一人で大蛇と戦うのが怖くてチビっちまったんだな? どうりでさっきから臭うと――うおっ!?』


 黒緑色の鱗で覆われた尻尾をしならせ、グニドは振り向きもせずにスエンの足を払った。

 脛を打たれたスエンはその場でひっくり返り、無様な格好を晒している。グニドはそれを横目に見やり、ちょっと気が晴れたと思いながら黙々と先へ進んだ。


『おい、グニド! お前、そういうとこエヴィティスに似てきたぞ!』

『何とでも言え』

『くそっ……悪かったよ。あれはちょっと油断したんだ。次からはちゃんと気をつけるって』


 のそのそと起き上がりながら、スエンはばつが悪そうにそう言った。

 一応、グニドが怒っていた理由は伝わっていたようだ。スエンはお調子者で気のいいやつだが、注意散漫で隙が多い。

 それが戦場いくさばで命取りとなることは、本人もよく分かっているはずだ。竜人は狩りとして人間ナムを襲うだけでなく、人間たちと大規模な戦をすることもある。

 だからグニドもことあるごとにスエンの不用心さを叱ってきたのだが、それでもまだまだ改善の兆しは見られなかった。

 まったくこの悪友にも困ったものだと思いながら、グニドは鼻からため息をつく。


『にしてもそのチビ、すっかり大人しくなりやがったな。もしかしてさっきのアレは、大蛇が来ることを察知したからだったのか?』


 と、ときにスエンが覗き込んだのは、グニドが小脇に抱えた箱の中にいる例の仔人だった。

 大蛇が現れるまであれほど泣き喚いていた仔人は、さっきまでの喧しさが嘘のように静まり返っている。

 それどころかこの状況ですやすやと眠っているようで、グニドはその豪胆さに内心首を傾げた。


 今はスエンと二人、狩った獲物の死骸を引きずって死の谷モソブ・クコルを目指している。今日の収穫は縄で繋いだ人間の成体が六体とエスロフ二頭だ。

 最近では竜人や大蛇を恐れ、この砂漠を渡ろうとする人間が減っているから、これはまずまずの成果だと言えた。

 二人が歩いた道筋には、馬や人間が引きずられた跡が幾筋も残っている。

 だがそれもじきに砂漠の風と砂が消し去ってしまうだろう。

 そういう自然の無情さを畏れてか、人間はこの砂漠をこうも呼んでいるようだ。

 死の砂漠、と。


『――ちょっと、グニド、スエン! やっと帰ってきたのね! まったく、遅いわよ!』


 が、そんなおぞましい名で呼ばれるラムルバハル砂漠も、グニドにしてみればカプでの煩わしさから逃れられる楽園のように思えた。

 何しろ帰ってくるなりすぐこれだ。

 危険な狩りを終え、ようやく巣へ戻ったグニドたちを迎えたのは、褐色の鱗に幾本にも編んだ枯れ草色の鬣を垂らしたメスの竜人。

 彼女こそがグニドやスエンの幼馴染みであり、同時に恐れてもいる相手、エヴィティスだ。


『あー、エヴィ。オレの記憶が確かなら、オレたちが狩りに出てからまだ半日しか経ってないと思うんだが……』

『はあ? 何言ってんのよ、半日、でしょ、半日! まったく、こっちは子供たちがみんなお腹を空かせて大変だってのに、何をもたもたやってるんだか……』


 案の定、エヴィはとてもカリカリしていた。この時期になるとメスが神経質になるのはいつものことだが、エヴィのそれは例年より甚だしい。

 それもそのはず。何しろエヴィは今年、生まれて初めての産卵を経験していた。

 つまり、自分の生んだ子を育てているのだ。

 メスたちは卵がかえるとすべての子供を共同で育てるのだが、その中に自分の産んだ子がいるとなると、やはりいつもより過敏になるらしい。


『って、あら? やだ、もしかしてそれ、馬じゃない!?』

『あ、ああ。運良く砂漠を渡ろうとしてた馬車バシャを見つけてさ……今日の収穫は馬が二頭に人間が六匹だ。なかなか大猟だろ?』

『ヤーウィ! そうね、あんたたちにしてはよくやったわ。みんな、来てちょうだい! グニドとスエンが馬を狩ってきてくれたわよ!』


 エヴィが奥に向かってそう叫べば、すぐさま数人のメスたちが飛んできて、狂喜しながらさっさと獲物を持っていってしまった。

 巣の入り口に取り残されたのは、ぽつねんと立ち尽くすグニドとスエンだけ。

 当然のように獲物の分け前はなく、乾いた風の音が余計に寂寥感を煽っていく。


『はあ……なんか虚しくなってきたな……』


 ややあってそんな愚痴を零したスエンが、隣でがっくりと肩を落とした。

 その台詞は確か去年も聞いたな、と思いながら、グニドも再びため息をつく。


 そこはラムルバハル砂漠の南に横たわる岩だらけの土地――通称死の谷。

 赤褐色の巨大な岩がいくつも連なるその場所が、グニドら竜人の棲み処だった。

 もっと正確に言えば、そうした岩々の中には内部が空洞になっているものがあって、グニドたちはそこを巣穴にしている。

 中は複雑かつ広大な洞窟だ。死の谷のあちこちに分かれて暮らす部族によってその規模はまちまちだが、グニドやスエンの属するドラウグ族の巣には、先日孵化した子供たちも含めて百人を超す竜人が暮らしている。


『おれたちの他に狩りに出た連中は、まだ戻ってないみたいだな』

『ああ。それだけ砂漠を渡る人間が減ったってことだろ。シャムシール砂王国も、最近ろくに人間しょくりょうを送ってこないし』

『砂王国は今、前の王が死んで相当揉めてるって話だからな。次の王が決まるまでは、食糧は期待できないんじゃないか?』

『ならいっそ砂王国の人間を狩っちまった方が早いんじゃ?』

『お前、あんな筋肉ばかりで糞臭い連中でも喰いたいのか?』

『いや……遠慮する』


 力なくうなだれたまま、スエンは弱々しい声で言った。

 シャムシール砂王国とは、北のラムルバハル砂漠に存在する唯一の人間の王国だ。

 竜人は古くからその砂王国と同盟を結んでいて、こちらから戦力を提供する代わりに食糧となる人間を定期的に送らせている。


 だがシャムシール砂王国は東のトラモント黄皇国おうこうこくや西のルエダ・デラ・ラソ列侯国とは違い、筋肉まみれの荒くれ者だけが集まる一風変わった国だった。

 何でも人間にとっては最悪の治安と環境だとかで、王のいる集落にはカネ――人間たちが何故か大事にしている金屑だ――に目が眩んだ傭兵とそれに使われる奴隷しかいない。

 そしてこれがまた見るからにまずそうなのだ。傭兵と呼ばれる人間は皆、体は大きいが骨張っていて食べにくそうだし、奴隷は皮と骨だけのようなやつがほとんどでしかも臭い。汚い。喰いたくない。

 無論、死の谷に食糧として送られてくる人間は別だが、それが途絶えている今でもやつらを喰いたいとは思えない。あれを喰うくらいなら禿鷹ロドノックを喰った方がマシだ。

 そんなことを考えていると、自然、腹が鳴る。


『馬、喰いてえ……』


 とスエンがぼやき、グニドも心中でそれに同意した、そのときだった。

 突然ベシャッと足元で音がして、グニドとスエンは同時に視線を落とす。

 そこにはそれぞれ茶色と黒、二本の馬の脚が転がっていた。

 それを見たスエンが「ヤーーーウィーーー!」と狂喜の声を上げ、早速黒い方の脚にかぶりつく。

 が、グニドはすぐに手を出さず、まずそれを投げて寄越した相手を見やった。


『エヴィ。いいのか?』

『今回は特別よ。あんたたちには明日も狩りに行ってもらわなきゃなんないし、空腹で動けなくなったりしたら困るから。ただし内臓おいしいところは子供たちに食べさせるから、あんたたちの取り分はそれだけね』

『十分だ。礼を言う』


 二人分の肉を持って戻ってきたエヴィは、ちょっと呆れたようにこちらを――主にスエンを、だが――眺めてそこに佇んでいた。

 グニドはそんなエヴィに礼を言い、早速自分も二日ぶりの食事にありつこうとする――が、そこに至って右手が不自由なことに気がついた。


『あ、忘れてた』


 途中からすっかり忘れていたが、グニドは未だ仔人入りの木箱を抱えたままだ。

 見れば箱の中では、布にくるまれた仔人が依然寝息を立てている。

 人間の幼体というのはずいぶんよく寝るんだな、と思ってそれを覗き込んでいると、同じようにエヴィも長い首を伸ばしてきた。

 どうやら箱の中から聞こえる寝息に気がついたようだ。


『何、それ?』

『馬車に積んであった人間の赤ん坊だ。あんまり喰うところはなさそうだが、しばらく飼って育てれば喰えるようになるかなと思って連れてきた』

『まあ、人間の? 珍しいわね。ちょっと見せてよ』


 自分の子供が孵ったばかりということもあり、エヴィは俄然人間の赤子に興味を持ったようだった。

 そこでグニドが箱を手渡せば、エヴィはそれを覗き込んで早速首を傾げている。


『ほんとに小さいわね。でも、こうして見るとうちの子供たちと大して変わらないじゃない。人間ってちっぽけな生き物だと思ってたけど、生まれた直後は竜人と同じくらいの大きさなのね』

『ああ。だが竜人の赤ん坊に比べたらずいぶん大人しい。うちのチビどもは一日中動き回って腹が減った、肉をよこせと騒いでるが、そいつは一度寝入ったらそれきりだ』

『だから育つのが遅いんじゃない? うちの子たちは卵から孵って一月もすれば走り回るようになるけど、人間の子供は生まれてから一年も寝たきりだって聞いたことがあるわ』

『一年も? じゃあ、その間の食事や糞はどうするんだ?』

『知らないけど、周りの大人たちが世話してやるんじゃない? 言葉を覚えるのも竜人あたしたちよりずっと遅いって言うし、人間って生まれたときから貧弱なのね』


 グニドは右手に馬の脚をぶら下げたまま、思わず茫然と立ち尽くした。

 今のエヴィの話が事実なら、人間の赤ん坊を飼って育てるというのはかなり大変なことなのではないか。

 竜人の子供なら満足な食事さえ与えておけば放っておいても勝手に育つが、人間の子供は少なくとも一年もの間、誰かが付きっきりで世話してやらなければならないと言うのだ。


『だけどお手柄よ、グニド。人間の赤ん坊を生きたまま捕まえたなんて聞いたら、きっと長老様レドルもお喜びになるわ』

『長老様が? どうして?』

『あら、あなた、知っててコレを連れてきたんじゃないの? うちの群で人間を繁殖させてみようって話』


 首を傾げたままのエヴィに問われ、グニドは思わず目を瞬かせた。

 そうして隣のスエンと顔を見合わせる。

 見つめ合ったスエンの口は血で真っ赤だ。

 どうやらグニドとエヴィが話し込んでいる間に、さっさと馬の脚をたいらげてしまったらしい。


『知ってたか、スエン?』

『いいや、オレも初耳だね。それはそうとグニド、その脚、喰わないならもらっていいか?』

『ダメに決まってるだろ。だけど長老様はどうして急に人間を飼うなんて?』


 尋ねながら、グニドはスエンに盗られてなるものかと、すかさず馬の脚にかぶりついた。

 それを見たスエンが、隣でひどく落胆したような顔をしている。が、グニドは潔くそれを無視した。


『あたしも詳しくは知らないけど、何でもこの間の長老同士の寄り合いでそういう話になったみたいよ。ほら、最近砂王国の方がゴタゴタしてて、人間が送られてこなくなったでしょ? それで食糧の確保が難しくなってきたから、将来のことも考えて、巣で人間を繁殖させてみようってことになったとか』

『でも、それならある程度育った人間を捕まえてきた方がいいんじゃないか? さすがにそんな赤ん坊じゃ繁殖なんてできないだろうし』

『それがね、前にも何度か同じような計画が持ち上がったことがあるんだけど、人間の成体じゃダメなんですって。あいつらも一応知恵があるから、言うことを聞かなかったり脱走しようとしたり、果ては自殺するやつまでいたらしくって、どれも上手くいかなかったそうよ』

『なるほど。だからガキのうちから群で育てて、脱走や自殺なんか考えないように飼い慣らそうってわけか。なかなか面白そうじゃねーか』

『面白いとか面白くないとかいう問題じゃないと思うが……』


 肉の味が名残惜しいのか、今度は長い舌でぺろぺろと口の周りを舐め回しているスエンを見てグニドは呆れた。

 どうもこの悪友は、人間の飼育を娯楽か何かと勘違いしているような気がする。何せスエンは単純だから、物事を面白いか面白くないか、あるいは腹が満ちるか満ちないかでしか判断しない。


 だが人間を赤ん坊から育てるというのは、恐らくスエンが思っている以上に大変なことだ。

 グニドは人間の生態をよく知らないが、きっと竜人とは食べるものも違うだろうし、繁殖が可能になるまで時間がかかる。

 何より信じられないほど軟弱だから、ちょっとした病気にかかっただけですぐに死んでしまうかもしれない。

 そんな途方もない計画を、長老は本気で実現させるつもりでいるのだろうか。

 竜人の寿命が三十年とちょっとしかないことを考えれば、とても今の長老の代で叶えられるとも思えないのに。


『まあ、とにかく、詳しい話は長老様に直接聞いてみましょ。まずはこの赤ん坊をどうするか、長老様の指示を仰がないと。あたしも一緒についていってあげるから、このことはあんたたちから報告しなさい』

『げえっ。あんた〝たち〟って、もしかしてオレまで行かなきゃなんないのかよ?』

『当たり前でしょ、ソレを拾ってきたのはあんたとグニドなんだから。ほら、分かったらさっさと歩く!』

『あだっ! いちいち尻尾でどつくんじゃねーよ、この暴力メストカゲ!』

『誰が暴力メストカゲですって? あんた、いつからあたしにそんな偉そうな口をきくようになったのよ? 死にたいの?』

『ヒィッ! 嘘ですごめんなさい! 自分にはエヴィティスさんに逆らうつもりなんてこれっぽっちもありません、ですからどうかお許しを!』


 オスの戦士も顔負けの殺気を放ったエヴィに怯え、スエンはへこへこと命乞いを始めた。

 そんな二人のやりとりを、グニドはやれやれという思いで眺めている。先程はあの口で竜人の誇りがどうたらと抜かしていたのだから、スエンの二枚舌にもまったく困ったものだ。

 それをエヴィに告げ口すべきか否かと考えながら、グニドはのんびりと馬の肉をむしった。


 これが竜人の戦士グニドナトスの日常。


 そんな他愛もない日常を、まさかたった一人の仔人が大きく変えてしまうとは、このときグニドは微塵も考えていなかったのだ。

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