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第二十七話 悩ましい日

 グニドは一人、悶々としていた。


 戦士であるグニドは元来、あまりあれこれと考えるのが好きではない。砂漠にいた頃はいくつかの心配事はあっても悩み事などなかったし、何か面倒事に直面しても、だいたいは己の直感に従えば何とかなった。


 だが昨日からこっち、グニドには考えなければならないことが多すぎる。


 まず、昨日の聖堂での一件以来機嫌が悪いルルのこと。

 ルルはあのいざこざでグニドがエリクの肩を持ったのがよほど気に食わないらしく、昨日からずっとむすっとしていた。グニドが話しかけてもぐずるばかりで要領を得ず、今はポリーにまとわりついている。

 こういうことが過去にもなかったわけではないが、今回は今までとはわけが違った。これまでルルが機嫌を損ねた理由と言えば、グニドが狩りで丸一日会いに来なかったとか、約束をうっかり忘れて破ったとか、そんなのばかりだ。


 けれども今回はグニドが詫びて済むことではない。何故ならここでグニドが詫びては、昨日のルルの行動は間違っていなかった、と言っていることになるからだ。

 彼女には何故あの場で自分が叱られたのか、その理由をしっかりと理解させなければならない。だがルルも、ただでさえ幼い自尊心を傷つけられたばかりだというのに、くどくどしい説教など聞きたくないのだろう。

 彼女があからさまにグニドを避けて回っているのはそのためだ。ルルは昨夜もポリーと一緒に寝ると言ってグニドのもとを離れ、今朝に至ってはグニドの姿を見るなりぴゅーっとスナネズミのごとく逃げ出した。


 たぶんルルはそうして、グニドが謝りに来るのを待っている。自分は悪くなんてなかったのだ、と確認し、小さな胸を撫で下ろしたいのだ。

 しかし今回ばかりはそういうわけにもいかないから、グニドは頭を痛めていた。これから当分はこの砦で義勇軍の世話になるというのに、ルルがあのままではまた人間ナムたちとの間で問題を起こしかねない。


(そう、その人間も問題だ)


 と、グニドは頭を押さえながら思う。昨日のカルロスたちの配慮によって、グニドら獣人隊商ビーストキャラバンは一応義勇軍に受け入れられたが、それがまだ表面だけであることはグニドにもよく分かっていた。

 何せ獣人隊商の仲間入りが発表されたあとも、人間たちはグニドの姿を見れば凍りつき、あるいは逃げ出し、まったくもって話にならない。こちらが歩み寄りたくても向こうにその気がないので、歩み寄りようがないのだ。


 中にはカルロスやヒーゼル、ロクサーナといった変わり者もいるが、それはあくまでごく少数。いくら彼らが義勇軍の中枢を担っているとは言え、これからここで上手くやっていくためには、やはり少数派ではなく多数派に認められる必要がある、とグニドは考えた。


 そのためにはまずどうにかして人間に対する理解を深めなければならないのだが、道のりは遠い。何せグニドは今、目の前にある『寝台シンダイ』なるものからして理解できない。

 『寝台』というのは昨日グニドが寝かされていた藁敷きの大きな台のことで、人間たちは皆それを寝床にしているのだとラッティたちが言っていた。


 だが、グニドにはそれが信じられないのだ。だってあの寝台とかいうやつは、うつぶせになると腹に藁が刺さって痛いではないか。

 人間たちはどうしてそんな苦行に耐えながら睡眠を取っているのか、まったくもって理解できない。あんなものの上で眠るくらいなら、冷たい石の床で寝た方が百倍マシだ――本当は砂山の寝床があれば最高なのだが、このあたりには砂漠のようにきめ細やかな砂がないので用意するのは難しそうだった。


 他にも人語の語彙をもう少し豊かにしなければならないとか、人間の顔を見分けるコツとか、考えなければならないことは山ほどある。

 だが慣れない思索にグニドはついに気詰まりを起こし、


「ウガーーーッ!」


 と唸ってたてがみを掻きむしった。


 瞬間、その声に驚いたヨヘンが「ヒィッ!?」と跳び上がって足を踏み外し、寝台から見事に転がり落ちた。


「いてえっ! おいグニド、ビックリさせるなよ! 危うく死ぬとこだったろうがっ!」

「ム? ……ヨヘン、ドコダ?」

「キーッ! ここだよ、ここ! 寝台の反対側!」


 反対側、と言われて腰を上げたグニドが覗き込むと、そこではヨヘンが怒りながらピョンピョンと跳ねていた。どうやら彼の身長では自力で寝台によじ登ることもできないため、持ち上げろ、ということらしい。

 仕方がないのでグニドはむんずとヨヘンを掴むと、彼が元いた場所に戻してやった。ヨヘンはヴォルクの寝台の端を借りてまた『冒険記ボーケンキ』なるものを書き殴っていたらしく、わずかに藁が避けられた場所にヨヘン専用サイズの手帳が広げられている。


「あーあ、ったく……! ビックリしたせいで文字が変な風になっちまったじゃねーか! インク瓶が倒れなかっただけ良かったけど……」

「ムウ、スマン……オレ、〝カンシャク〟起コシタ」

「お、何だよ、また新しい言葉を一つ覚えたな? けどなんでいきなり癇癪起こすんだよ、怖いからやめろ」

「ヨヘン。ニンゲント竜人、分カリ合ウ、デキルト思ウカ?」


 ときにグニドがそう尋ねると、ヨヘンはピクリと細いヒゲを動かした。それからグニドを見上げて首を傾げ、ちょっと呆れたように目を細めてみせる。


「なんだ、そんなことかよ。おまえさん、さては自信喪失してるな?」

「ジシンソーシツ?」

「弱気になってるってことだよ。だから一人で癇癪なんか起こしたんだろ?」


 ヨワキになる、というのもグニドにはよく分からなかったが、要するに思い悩んで及び腰になっている、というような意味だろう。そう推測したグニドが「ソウダ」と頷けば、ヨヘンは得意そうに「フフン」と笑って腕を組んだ。


「あの程度のことで自信を失くしてるようじゃ、おまえさんもまだまだだな。オイラたち獣人が人間に冷たくされるのなんて当たり前だろぉ? あんなのにイチイチへこんでたらお話にならないっての」

「ダガ、オマエ、連合国デ生マレタ。連合国、獣人、嫌ワレナイ、違ウカ?」

「おうよ、そーだとも。オイラの生まれ故郷のアビエス連合国は、偉大なる博愛の神子ユニウス様によって築かれた先進国だからな。けど、オイラはホラ、エルビナ大学に行ってただろ? あー、大学ってのはお偉い先生方が色んなことを教えてくれる、知識を学ぶための場所なんだけどさ」

「ウム……」

「その大学ってとこには、連合国の外からもたくさん人間が集まってくるんだ。そういうヤツらは留学生って呼ばれて……って、言ってもおまえさんには分からないか。とにかく大学にいるヤツみんながみんな連合国人ってワケじゃなかったから、外から来た人間にはオイラだって差別された。〝汚いから寄るな〟だの〝チビのくせに言うことだけは生意気だ〟だの、ヤツら、言いたい放題さ」


 ――他の大陸の連中は文明が遅れてるからな。そう言ってヨヘンは肩を竦めた。

 そういう理不尽な差別や偏見は、獣人隊商に加わってからも幾度となくヨヘンに降りかかったらしい。隊商の仕事は人間と物を売り買いすることだから、嫌でも彼らの目につくことが多かったのだろう。


「けどなぁ、グニド。そうやってオイラたちが差別されるのは、人間の頭が悪いからだ。アイツらには普通なら簡単に分かることが分からないのさ。つまり、生まれや見た目の差で相手を見下すことがどんなにバカバカしいかってことや、大勢の言うことが必ずしも正しいワケじゃないってことがな」

「ムウ……」

「こういう言い方は気の毒だが、人間はその数と引き換えにオツムを犠牲にしてきたんだよ。だからちょっと考えれば分かるようなことが分からなかったり、同族同士で簡単に殺し合ったりする。そんな連中を憐れみこそすれ、引け目を感じる必要がどこにある? 種族としてはオイラたちの方がヤツらよりずっと優れてるんだ。つまり悪いのは全部アイツらで、オイラたちにはこれっぽちも恥じるところはない。それなら堂々と胸を張ってりゃいいのさ。人間ってのはこっちが下手に出れば出るほどつけあがるからな」


 ヨヘンは相変わらず早口で、ペラペラとよく喋る。グニドには途中途中意味の分からないところがあったが、しかしその一方で、そういうことなのか、と納得する部分もあった。


 悪いのは分からず屋の人間たちの方で、非のないこちらが頭を低くする必要はない――確かにそうなのかもしれない。


 向こうがこちらをどう思っていようと、グニドはグニドなのだ。それを〝人間から見た竜人〟という型に嵌められて、そのとおりの形にされてしまう必要はない。

 自分は他の竜人とは違うのだ、と示すためには、ヨヘンが言うように堂々と胸を張っている必要がある――つまり、こんなところに隠れてメソメソしているようではダメだ、ということだ。


「ムウ、ソウカ……ソウカ、分カッタ。ナラバ、オレ、外ヘ行ク」

「え? なんでそうなった?」

「ラッティ戻ッテクルマデ、オレ、ヒマ。ダカラ、外ヘ出テ、ニンゲント会ウ。ソシテ、話スル。ソレガイイ」

「い、いや、けどおまえさん、城の人間がパニックを起こすと大変だから、まだ一人でうろうろするなって言われてただろ? それに、午後にはヒーゼルさんが城の中を正式に案内してくれるって話だったし……」

「大丈夫ダ。オマエ、一緒ニ来ル。スルト、オレ一人、違ウ」

「ハァ!? ちょちょちょちょっと待て、オイラは巻き添えなんてゴメンだ――」

「フウム。行クゾ」

「ぎゃーーーッ!? コラ、放せーーーッ!!」


 悲鳴を上げるヨヘンを再びむんずと掴み上げ、グニドは意気揚々と部屋むろを出た。ラッティはヴォルク、ポリー、そしてルルと共に義勇軍の主要な人間たちとの顔合わせに行っていて、当分は戻らない。

 ヨヘンがそれに同行しなかったのは、〝また子供に見つかってオモチャにされるのはイヤ〟――どうやら彼はグニドが目を覚ます前に一度、鼠人チュイ族を初めて見る人間の子供たちに捕まってもみくちゃにされたらしい――だったからだというが、まあ、それはグニドが目を離さなければ問題ないだろう。一方でグニドも騒ぎを起こすつもりこそないものの、いざというときには人間との通訳が必要になる。


 それには最近やたらと〝竜人の言葉を教えろ〟とせがんでくるこの灰色ネズミが適任だった。満を持したグニドは未だ手の中でもがいているヨヘンを連れて、のしのしと砦の外へ出る。


(ふむ。しかし、意気込んでむろを出てきたのはいいがどこへ行くか……)


 サン・カリニョ、と呼ばれるこの要塞は広い。ここには先刻までグニドたちのいた砦の他にも人間の集落やエラウなどがあり、それらが長大な石の壁によって囲われていると聞いていた。

 だがグニドは、その石の壁の内側のことをまだよく知らない。知っているのはせいぜい昨日の屠殺小屋と聖堂の場所くらいで、ヒーゼルが『兵舎区ヘーシャク』と呼んでいた場所への行き方は朧気にしか覚えていなかった。

 そんな状態であまり遠くまで足を伸ばすのは得策ではない――だとすれば。


 この状況で考えられる行き先は、一つだけだ。


「――頼モウ」


 左右に開く二枚の板――どうやらこれは『トビラ』というらしい――を開け放つ。その音が見上げるほど高い天井に朗々と響き、イタズラ好きの小精霊イニトのように飛び回った。


 そうしてグニドが乗り込んだ先で、一人の人間が固まっている。黒い目を限界まで見開いた若いオスの人間――昨日グニドを見るなり絶叫していた、トビアスという名の人間だ。


「頼モウ」


 そのトビアスが、木製の台のようなものの向こうでピクリとも動かないのを見て、グニドは改めて声を上げた。

 が、ときに手の中のヨヘンが、


「いや、おいグニド、〝頼もう〟って……その言い回し、今時古風にもほどがあるぞ」

「ム? デハ、他ニナント言ウ?」

「そりゃ、〝ごめんください〟とか〝失礼します〟とかだな……」

「ムウ……分カッタ。デハ、ゴメンクダサイ」


 改めて、グニドは台の向こうのトビアスに声をかける。するとトビアスはビクリと肩を竦ませて、


「は……はい……な、な、何用でございましょう……?」


 と、ぎこちなく答えた。

 答えが返ってきたことに満足したグニドはフン、と鼻を鳴らし、のしのしと扉をくぐる。ぐるりとあたりを見回すが現在聖堂にいるのはトビアス一人のようで、ここはひどく静かだ。


 グニドは規則正しく並んだ左右の長椅子の間を通り、まっすぐにトビアスのもとを目指した。グニドが一歩近づくごとにトビアスの顔からは血の気が失われていくが、たぶん足が竦んでいるのだろう、逃げ出す素振りはなくただただ震え上がっている。


「オマエ、トビアスカ?」

「は……は、はい、ささ左様でございますが、何か……?」


 ついに木の台を挟んで向かい合うと、グニドはまず人違いでないことを確かめた。何故ならグニドは間近で顔を確認しても、彼がトビアスだという確信を持てなかったからだ。


 それくらい、竜人のグニドにとって人間の顔というのは識別しづらい。特にトビアスのような黒髪黒眼の、どこにでもいそうな平凡な外見の者は特にそうだ。

 カルロスやヒーゼル、ロクサーナといった面々はかみの色が珍しかったり、何か只者ならぬ気配をまとったりしているために判別できるが、そうでない者はグニドの目には同じに見える。

 その中でもトビアスの顔は特別覚えにくかった。全体的に特徴がなく、ぼんやりしているのだ。だからグニドの記憶もぼんやりで、思い出そうとすると顔の部分だけ靄がかかったような感じになった。


 それでも彼をトビアスだろうと推測できたのは、彼がやたらと丈の長い、ゴテゴテした服を身につけているおかげだ。何でもトビアスは『宣教師センキョーシ』という身分の人間で、限りなく白に近い灰地に銀の糸で刺繍や縁取りが施されたその服は、彼の身分を証明するものらしい。


 なお『宣教師』とは何だとグニドが尋ねると、ラッティは「神様の教えを人々に広めるために旅をしている聖職者様のことサ」と教えてくれた。

 聖職者というのは竜人の間でいうところの祈祷師のようなものだ。つまり人間の間で信仰を司っている者のことで、トビアスは数いる神の中でも光の神――ロクサーナを神子に選んだ神だ――に仕えているらしい。


「トビアス。オマエ、ヒマカ?」

「は、はい?」

「オレ、今、ヒマ。オマエハ、ヒマカ?」

「ひ……ひ、暇ではありませんが、なな何かご用でしたら伺います……」


 依然ぶるぶると身を震わせながらトビアスは言う。そのぼんやりした顔の上にははっきりと「今すぐ逃げ出したい!!」という思いが表れていたが、一応話だけは聞いてくれるつもりのようだ――どうやら案外いいヤツらしい。


「オレ、オマエト、話、シタイ。時間アルカ?」

「は、は、話、と言いますと?」

「オレ、ニンゲンノコト、知リタイ。ダカラ話ス。デキルカ?」

「え、え、ええと、に、人間のこと、と仰いましても、なな何をお話すれば良いのやら……」


 答えるトビアスの声は終始上擦っていて、しかもいちいちどもる。額からは冷や汗がダラダラ流れ、見る者が見れば、そのうち脱水症状か貧血で倒れるのではと心配しただろう。

 だがグニドにはそういう人間の機微・・が分からない――恐らくそれを見兼ねたのだろう、ときにヨヘンがグニドの右手の中から声を上げる。


「あー、宣教師サマよ。何でもコイツは人間のことをもっとよく知って、アンタらと仲良しこよしになりたいんだと。だからそんなに怯えなくてもアンタを喰ったりはしないし、急に暴れ出したりもしない。見た目が怖いのは、まあ、カンベンしてくれ。かく言うオイラも寝起きにコイツの顔が目の前にあると、未だに叫ぶ」

「わ、我々と仲良く、ですか……」

「ああ、そうさ。何せコイツはアンタら義勇軍に傭兵として雇われたんだ。今後一緒に戦っていくからには、まずお互いの間に信頼関係を築くのが急務だろ? ってワケで、たとえばアンタの身の上話なんかを聞かせてやってもらえると、コイツも満足してさっさと帰ると思うんだが」

「わ――私は昨年、ラムルバハル砂漠の地下で、仲間を竜人に殺されました……」


 刹那、トビアスの口から飛び出した思いも寄らぬ言葉に、今度はグニドが固まった。

 ついでに言えば右手の中で、ヨヘンの体も硬くなったのが分かる。当のトビアスの声は相変わらず震えていたが、今はうつむいていて表情が見えない。


「共に砂漠を抜けようとしていた仲間です……その仲間が、地下道を抜ける途中で竜人に襲われ……一緒に逃げていた我々を助けるために、自らの命を竜人の餌として差し出しました。とても、勇敢な女性だった……」

「そ、それは……」

「あのとき竜人たちが上げていたおぞましい狂喜の声や、彼女の肉を毟る音が……未だに耳に残っています。それに、今も時々うなされるんです。生きたまま竜人に腹を食い破られる彼女の悪夢に――」


 ――ああ、どうりで、と、グニドは思った。


 昨日、初めてグニドを見たときのトビアスの怯えよう。あれは確かに尋常ではなかった。

 人間が竜人を見て怯えるのはいつものことだが、トビアスの怯え方はただの本能的なそれを超えているように感じたのだ。こちらを避けるとか警戒するとかいう域を超えて、全身で竜人を拒絶している、そんな印象を受けた。


 他にも彼と同様の怯え方を見せた者がいる――倉庫番のアントニオだ。

 彼もまた、過去に東の戦線で竜人に片足を喰われたと言っていた。そうした経験は彼らの本能ではなく魂に、竜人に対する恐怖を刻み込んだのだろう。グニドはグルルル……と喉を鳴らして、思わず頭を低くする。


 いきなり越えられぬ壁にぶち当たった。そんな気がした。

 やはり竜人と人間が分かり合うなんて不可能なのだろうか?

 トビアスは依然顔を上げず、グニドとは目も合わせようとしない。チラ、と目を向けた先ではヨヘンが、「おいおいどうすんだよ?」と言いたげにこちらを見上げている。


 そこでグニドはしばしの沈黙のあと、右手に握ったままだったヨヘンの体をぽんとトビアスのいる木の台の上へ置いた。

 次いで腰の革帯から、すらりと一振りの短刀を抜く。

 それに気づいたトビアスがはっと顔を上げ、更に怯えの気配を濃厚にした。

 けれどもグニドはトビアスの予想を裏切り、引き抜いた短刀を彼の前にドンと置く。


「お、おい、グニド?」

「――カタキウチ」

「へ?」

「カタキウチ、スルカ?」

「か……仇討ち……?」

「オマエノ仲間、喰ッタハ、オレノ仲間。ダカラ、オマエ、竜人、憎イ。ナラバ、オレ、倒シテ、仲間ノカタキ、取ル」

「お、おいおいおい、おまえさん、何言って――」

「オレ、逃ゲナイ。抗ウモ、シナイ。カタキ、取リタイナラバ、取ルトイイ」


 ヨヘンが唖然としていた。あまりに突拍子がなさすぎて反応が追いつかないといった様子だ。

 一方のトビアスもまた、目の前の台に置かれた短刀を見つめて固まっている。もうほとんど体が石になってしまっているんじゃないか、と疑わしいくらいだ。


「ダガ、ソノ前ニヒトツ、訊イテイイカ?」

「な……何です?」

「オマエハ、オレノ仲間、襲ワナカッタカ?」

「え……?」

「オレノ仲間、オマエタチ、襲ッタ。ソノトキ、戦ウ、シナカッタカ?」


 トビアスが言葉を飲んだ。それと同時に飲み込まれた唾が、ゴクリと彼の喉を通っていくのが見える。


「……戦いました」


 やがて、絞り出すようにトビアスは言った。


「そのとき、一緒にいた私の仲間が……退路を開くために、武器を取って……」

「ソウカ」

「……死者を出したのは、私たちだけではありません。あのとき私たちの応戦によって、竜人も何人か……」

「ソウカ」

「……。あれは……あれは、私たちが生き残るために、必要な犠牲でした」

「ウム」

「ですが、あのときあなたの仲間が私の仲間を殺して食べたのも……生きるため、だったのですね」


 グニドは、否定も肯定もしなかった。ただ先程と同じように、グルルルル……と喉を鳴らしただけだ。

 しかしその音は先程よりも高い。それは竜人が相手に判断を委ねるときの合図だ――そして同時に、相手への信頼を表す合図でもある。


「……実は、我々が砂漠の地下道で竜人に襲われたとき、その場にはロクサーナもいました」

「ム?」

「けれどもロクサーナは昨日、けろりとした様子であなたを受け入れていた。正直、私にはそれが腑に落ちなかったのですが……彼女には初めから分かっていたのですね、あなたを責めたり憎んだりすることに意味はないと」

「フム……」

「彼女はあれでも神子ですから。神子というのは往々にして、誰よりも鋭く真理を見抜き体現するものです。その彼女の判断を疑うなんて、私は神僕しんぼく失格ですね――この短刀は、お返しします」


 そう言って、トビアスはグニドが台に置いた短刀を手に取り、差し出してきた。それも内反りになった刃の方を持ち、きちんと柄をグニドへ向けている――それは敵意のないことの表れだ。

 そうしてグニドと目が合うと、彼は笑った。それはまだあまりにぎこちない、ヘタクソな笑顔だったが、あんなに蒼白だった顔色はずいぶんマシになっている。


「ちなみに私は光神真教会の修道士ですので、会則によって生き物の殺生が禁じられています。ですから〝仇討ち〟はご遠慮しますよ」

「カイソク?」

「会則というのは、私の所属する集団の……そうですね、〝掟〟のようなものです。それを破ると〝破門〟と言って、その集団から追放されてしまうんです」

「ハモン……ムウ……ソウカ……掟、破ルト、群カラハグレル、竜人モ同ジ。ニンゲンニモ、竜人ニモ、ソレゾレ、掟アル」

「ええ、そうですね。掟――つまり秩序を守るための法とは、智恵と理性の象徴です。あなた方竜人にも、私たち人間と同じようにそれがある。言い換えればそれは、あなた方にも確かな智恵と理性が備わっているということ……」


 独白のようにそう言ってから、トビアスは一つ息を吐いた。そうしてわずかに顔を伏せると、ギュッと平たい被り物を被り直し、もう一度ヘタクソな笑みを作り直す。


「〝智恵があれば言葉があり、言葉があれば歌があり、歌があれば壁はない〟……ですね」

「光神オールの言葉かい」

「ええ、そうです。私はそのオールに仕えるしもべ、ならば神子に倣って神の教えの体現者とならねばなりません。グニドさん、私で良ければお話を伺いましょう」

「本当カ?」

「私は去年修道院を出たばかりなので、あまり有意義なお話はできないかもしれませんが……私にお答えできることなら何でもお教えしますよ」


 腹を決めたようにそう言って、トビアスはグニドの前に手を差し出した。その手は微かに震えていたが――間違いない。〝アクシュ〟だ。


 途端にグニドの中で、何かが弾けた。弾けたそれは星のように輝きながらグニドを満たし、瞳の奥でチカチカ言った。

 それが何だか眩しくて、グニドは思わず頭を振る。

 そうしてトビアスの手を握り返そうとした――そのときだ。


「――グニド!」


 突然、背後からの呼び声。

 驚いたグニドはトビアスの手を握る寸前で、長い首をぐるりと巡らせた。

 そうして見やった聖堂の入り口に佇んでいたのは、ヴォルクだ。しかも普段の人形ひとがたではなく、稀に見せる真っ黒なケモノの姿でそこにいる。


「ヴォルク? どうした、獣化なんかして?」

「ああ、良かった、ヨヘンもいるのか。部屋に戻ったら二人の姿がなかったから、ニオイ・・・で追ってきたんだ」

「〝カオアワセ〟、モウ終ワッタカ?」

「それどころじゃない。一大事だ。――魔物の大群が、近くの村を襲ってる!」

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