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第二十四話 おたがいさま

 グニドは狂喜した。

 目の前に、丸々と太ったエヴィーブがいる。

 全身艶のある黒の毛皮をまとったそれは雄牛で、グニドを見ると威嚇の声を上げてあとずさった。


 そこは要塞の外に設けられた小さな小屋の中。薄い木の板で築かれたその小屋はグニドと牛が収まるだけで精一杯で、隅々まで敷かれた干し草の間に一本、太い杭が打ち込まれている。

 その杭から伸びた縄が牛の鼻輪につながって、彼が憐れな生け贄であることを無言でグニドに教えていた。

 乾いた干し草の匂いに混じって、濃い血の匂いがするのはここが恐らく家畜の屠殺小屋だからだろう。見上げると天井からは丸い金具がぶら下がっており、いつもはそこに屠った家畜を吊り下げて血抜きをしているのであろうことが窺える。


「あー、グニド? 一応言われたとおり牛一頭準備したが……血抜きと皮剥ぎまでした方がいいか?」

オン、コノママデ、イイ」


 後ろから声をかけられて、グニドは興奮に尻尾を振り回しながら振り向いた。そこにはグニドをここまで案内してくれたヒーゼルがいて、そこはかとなく乾いた笑みを浮かべている。

 更にそのヒーゼルの後ろには、ここまでこの牛を曳いてきたと思しいオスの人間ナムが二人ほどいるのだが、彼らは今すぐにでも逃げ出したいといった様子でずっと腰が引けていた。

 ラッティたちは現在、『契約書ケーヤクショ』なるカルロスとの誓いの証を作るとかで別行動だ。グニドはその間に食事を済ませてくるようにと勧められ、喜び勇んでここまでやってきた。


「コレ、本当ニ食ッテ良イカ?」

「あ、ああ、それはもちろん……しかしまさかとは思うがその牛、丸ごと全部たいらげるつもりじゃないだろうな?」

「オレ、食ウ、内臓。残ッタ肉、マタ違ウ日、食ウ」

「違う日って、生の肉はそんなに日持ちしないだろ」

「オレ、エスィプス・・・・・ラエム・・・、アル。ラエム、カケテ、少シ焼ク。スルト、肉、腐ラナイ」

「ら、らえむをかける?」

「ムウ……コレダ」


 ヒーゼルがまったく理解できないという顔をしているので、グニドは仕方なく腰の物入れから掌ほどの布袋を取り出した。

 それをヒーゼルへ手渡し、開けてみろ、と促す。ヒーゼルは恐る恐るといった様子でそれを受け取ると、袋の口を縛っていた紐を解いた。


 その中には、死の谷モソブ・クコルの南で採れるエスィプスの実のラエムがたっぷり入っている。エスィプスの実は蔦状の植物に房を作ってる乾いた木の実で、それを岩塩と共に細かく擂り潰したものだ。

 この粉を満遍なくまぶして擦り込んでおくと、生の肉でも数日は腐らない。更に表面を火で炙れば一月は持つ。

 死の谷の竜人ドラゴニアンたちはしばらく狩りができないとき――たとえば戦へ向かうときなど――にはこの方法で肉を保存し、携帯していくのだった。ただしエスィプスの粉には舌が痺れるような辛味があって、そのままではとても食べられない。


 だから保存肉は表面を小刀で削いでから食べる必要があるのだが、グニドは人語の語彙が乏しくてそこまで説明できなかった。

 たぶん、それが悪かったのだろう。袋の中身を見たヒーゼルは「何だこれ?」と言いたげに首を傾げ、指先にちょっと粉をつけて舐めた。

 直後、彼が跳び上がって悲鳴を上げたことは言うまでもない。グニドは口元を押さえて震えているヒーゼルに、「ス、スマン……」と謝った。


「と……とりあえずお前の言いたいことは分かった……それじゃあ残った肉を焼くために、火を用意しておいた方がいいな?」

「ウム。頼メルカ?」

「やっておこう。その間にお前は食事を済ませてくれ」


 涙目になって口元を拭いながら、ヒーゼルはそう言ってエスィプスの袋を返してきた。グニドはそれを受け取ると、上機嫌で小屋の中の雄牛へと向き直る。

 雄牛は相変わらず怯えながらも頭を低くし、グニドに対して「来るな。来るな。来たらこの角で突き殺すぞ」と、頭に生えた二本の角を見せつけていた。角は短いが互いに向かい合うように湾曲し、竜人の牙にも負けない鋭さを持っている。


 だがグニドは怯まなかった。それどころか胸を踊らせて小屋の中へ飛び込むと、雄牛の突き上げをひょいとかわし、大竜刀でその首を叩き落とした。

 巨大な牛の体がどうと倒れ、グニドは歓喜の雄叫びを上げる。

 そのあとは脇目も振らず牛の腹に食らいついた。

 うまい。うまい。

 久方ぶりの生肉に、長い尻尾がバシバシ躍る。


「これはルルを連れてこなくて正解だったな……」


 と、ときに背後からそんな声が聞こえ、グニドは鼻を真っ赤にしたまま振り向いた。

 その先には開け放された小屋の入り口があり、壁にもたれるようにしてヒーゼルが立っている。グニドはそれを見て「何ダ?」と首を傾げたが、ヒーゼルは「何でもない」とげんなり笑って手を振った。 


 ほどなく小屋の外から木の焼ける匂いが漂ってくる。どうやらヒーゼルの部下が外で火を熾してくれたようだ。

 グニドは雄牛の内臓をあらかた貪り終えると、大変満足して食事を終えた。

 久方ぶりの幸福感が腹を満たして、グニドは上機嫌だ。それでも内臓ばかり選び食いしたせいか、牛の体はまだ四分の三ほど残っている。


 グニドはその肉を解体し、いくつかの小さな塊にすると、ヒーゼルが用意してくれた水で丁寧に洗い、更にエスィプスの粉を擦り込んだ。

 そうしてできたいくつかの塊を一つずつ串に刺して火にかけ、表面を炙る。すべての面を満遍なく炙ろうと肉をくるくる回す度、焼けた表面からは脂が滴り、炎の中に落ちてジュッといい音を立てた。


「なんていうか……アレだな。竜人もこうして保存食を手作りするなんて、正直意外だよ」

「ホゾンショク?」

「あー、つまり、肉を腐らないようにするってこと。てっきりお前らは血の滴る生肉しか食べないもんだと思ってたから」

「砂漠ハ、食イモノ、貴重。毎日腹イッパイカ、分カラナイ。ダカラ、肉、トッテオク、トテモ大事」

「でもさ、来る日も来る日も食うのは肉だけって飽きないか? なんか胃にもたれそうだし……」

オン。肉モ、皆、味違ウ。ソレニ肉以外、食ッテモ、ソノママ出ル。ダカラ、意味ナイ」

「そのまま出る? ……ああ、つまり肉以外は消化されないってことか。なるほど、そりゃ面白いな」

「オモシロイカ?」

「面白いさ」


 ヒーゼルはそう言ってにかっと笑うと、自らも串に刺した肉の塊を手に取ってグニドの横にしゃがみ込んだ。

 そうしてそれを先端が二股になった木の杭に立てかけ、グニドを真似て炙り出す。そんなヒーゼルの様子を部下の二人はヒヤヒヤした様子で見守っているが、本人は気にかける様子もない。


「なんていうか、上手く言えないんだけどさ。俺、こうして竜人と話をするなんて初めてだから、色んなことが分かって面白いんだ。こんな風に言うと気を悪くするかもしれないが、俺たち人間にとって、お前ら竜人ってのは魔物と大差ないんだよ。凶暴だし、意思の疎通はできないし、無差別に人間を襲ってくるし」

「ムウ……」

「でも、だからこそこうして言葉でやりとりできるのが何か新鮮でな。話をしてみると、確かに違いは色々あるけど、お前ら竜人も俺たち人間とそんなに変わりないんじゃないかって思えてくる」

「ウム……オレタチ、ニンゲン襲ウ、生キルタメ。ニンゲンモ、ソレ同ジ」


 手元の肉に目を落としながらグニドが言えば、ヒーゼルも頷いた。竜人は視野がかなり広いので、前を向いていても真後ろ以外はすべて見える。


「さっきは悪かったよ。本当に他意はなかったんだけどな……けど、ラッティに言われてハッとした。俺たちはどこかで、お前のことを道具として・・・・・利用できると思ってたのかもしれない。人間サマの悪いクセだな、獣人や半獣人を無意識に見下しちまうのは」

「ダガ、オ前、竜人、恐レナイ」

「あ? あー、そりゃまあ、俺も一応戦士だからな。戦場じゃ敵前逃亡するわけにもいかないから戦うが、俺だってできればお前らとは戦いたくない。竜人とり合うと寿命が縮むんだよ……」

「オレモ、神術使ウニンゲン、キライ。仲間、何人モ神術デヤラレタ」

「ああ。つまりお互い様ってわけだ」

「オタガイサマ?」

「どっちも正しくて、どっちも悪いってことさ」


 言いながら、ヒーゼルは二股の木に差しかけた串をゆっくり回す。それまで火に当たっていた面が上を向き、脂がてらてらと日の光を返すのが見えた。

 グニドはそんな肉の塊を見つめながら、思う。


 ――どちらも正しく、どちらも悪い、か。


 確かにヒーゼルの言うとおりだ。彼は知る由もないだろうが、竜人だって砂漠ではいつも人間を笑いものにしている。

 竜人は彼らを臆病で、脆弱で、数ばかり多い下等な種族だと思っていて、だからこそ殺すことにためらいがない。竜人にとっての人間は〝ただちょっと知恵のある獲物〟でしかないのだ。かく言うグニドも、昔は人間をエスロフ駱駝レマクと同じ程度の存在だと思っていた。


 けれど、今は違う。


「なあ、グニド。俺たちの方からあんなこと言っといて何なんだけどさ……人間の中にはお前ら竜人を恐れる以上に、心底憎んでるやつらがいる。砂王国との戦いに送り出した父親や兄弟が、竜人に食われて戻ってこなかったって連中が大勢いるんだ。だから、その……正直言って、義勇軍ここでもお前に対する風当たりはかなり強いと思う。あー、〝風当たり〟っていうのはつまり、みんながお前にキツく当たるだろうってことだ。それでも俺たちの仲間になってくれるか?」


 肉の塊から顔を上げて、ヒーゼルは言った。その空色の瞳が、じっとグニドの反応を窺っている。

 グニドはこの男がどこかふざけているのに、将軍ショーグンであるカルロスの傍に置かれている理由が何となく分かった。

 この男は、自分が正しいと信じたもののためならいくらでも考えを曲げられる男なのだ。それでいて、一度信じたものは絶対に裏切らない。


「――ヒーゼル。オレ、ニンゲン、モット知リタイ」

「知りたい? 俺たちのことを?」

「ソウダ。ニンゲンノコト、分カル、竜人モシナイ。竜人、ニンゲン、食ウダケ。ダカラ、オレ、ニンゲン、知ラナイ。ダガ、コレカラ、知ラナイト困ル」

「……確かにそうかもな」

「ダカラ、オレ、オ前タチト、一緒、戦ウ。ソシテ、ニンゲンノコト、モット知ル」

「そのためなら多少のことは我慢すると?」

「ウム。オレ、ニンゲン、タクサン食ッタ。ダカラ、キラワレル、アタリマエ。ソレカラ逃ゲルハ、卑怯。竜人ノ戦士、卑怯ノコト、シナイ」


 ――卑怯者や臆病者であることは、戦士の恥。

 グニドは幼い頃から大人たちにそう教えられて育ってきた。

 だから何があろうと、逃げない。命ある限り戦う。

 それが戦士の誇りであり、強さだ。


 そしてグニドは群からはぐれた今も、自分は竜人の戦士であるという誇りを捨てるつもりは毛頭なかった。


 それを上手く言葉で伝えられたかどうかは分からないが――ときにふっと笑ったヒーゼルが、「よし」と頷いて立ち上がる。


「分かったよ。そういうことなら俺も協力してやる。――おい、お前ら!」

「はっ、はい!」

「俺はちょっとここを離れる。残りの肉はお前らが処理して、獣人隊商ビーストキャラバンのところに届けておけ」

「えっ……し、しかし、ヒーゼル殿……!」

「大丈夫だ、心配するな。グニドも俺が連れていく。おい、グニド、そういうわけだから早く立て。あとのことは俺の部下に任せていい」


 何だって?と思いながらも、グニドはつられて腰を上げた。彼が声をかけた二人のオスは相変わらずビクビクしていて、一向にこちらへ来ようとしない。

 そんなやつらに大事な肉を任せて大丈夫なのか、グニドはそれが心配だった。が、未練がましく火元をチラチラとするグニドを、先に歩き出したヒーゼルが急かしてくる。


「おい、グニド、肉ならさっき仔牛一頭分も食っただろ。己を律するのも優れた戦士の条件だ。行くぞ」

「ムウ……シカシ、ドコヘ行ク?」

「お前、人間のことをもっとよく知りたいんだろ? なら、答えは一つ――〝木を知りたくば森の中〟だ」

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