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第二十三話 商談

 『神子ミコ』。

 それは大神刻グランド・エンブレムに選ばれた人間ナムのこと。


 『大神刻』。

 それはただの神刻より強大な力を持つ神刻のこと。


 大神刻は、一説には人間たちが信仰している二十二の大いなる神、その神の魂そのものだと言われているらしく、選ばれた者だけがそれを刻むことができる。

 そうして選ばれた者は神の代弁者となり、不老の力を与えられ、力のない人間たちを導く使命を帯びる――。


 『カルロス・トゥルエノ・エストレ・ウニコルニオ』。


 これは現在ルエダ・デラ・ラソ列侯国に刃向かっている義勇軍の長の名だ。


 竜人ドラゴニアンのグニドに言わせると、この名前はとてつもなく発音しにくい。「カルロス」と「エストレ」はまだギリギリ許せるが、「トゥルエノ」と「ウニコルニオ」は最低だ。

 「トゥルエノ」の方はどう頑張っても「トルエノ」になるし、「ウニコルニオ」は何かこう、上顎と舌先が粘って上手くいかない。発音しようとすると無性にイライラする。

 だからグニドは「カルロス」と名前で呼ぶことにしたのだが、義勇軍に属する人間たちは彼を「カルロス将軍」と呼んでいる。『将軍ショーグン』というのは、どうやら大勢の戦士を率いる特別優れた戦士にのみ与えられる称号のようだ。


 ここまでは、カルロスと面会するまでの間にラッティから教わった。

 それ以上のことはよく分からない。

 よく分からないまま、グニドはヒーゼルに連れられてサン・カリニョ――これも無性にイライラする類の名前だ。「ニョ」って何だ! ふざけるな! とグニドは思う――と呼ばれる灰色の要塞、その最上階に登った。

 要塞の北側に高々とそびえ立つ円筒状の塔。

 その一番高い場所に造られた部屋むろが、どうやらカルロスの部屋らしい。


「――カルロス殿。例の隊商の一味をお連れしました」


 塔の中でぐるぐると渦を巻く階段を登った先。そこには上部が半円状になった縦長の穴があって、例によってその穴は木の板により塞がれていた。

 たぶん、風が入らないようにするためだろう。その木の板の前には武装した二人の人間がいて、グニドを見ると兜の下の目を見開いた。

 そうしていきなり武器を向けようとするのでグニドも思わず身構えたが、事前にヒーゼルから「この砦の中では絶対に暴れるな」と釘を刺されたばかりだ。

 そのヒーゼルが慌てて「待て待て」と見張りの二人を宥めてくれたので、その場は何とか事なきを得た。が、見張りの二人はヒーゼルの説得を受けたあともグニドを凝視し、青白い顔で震えている。


「入りなさい」


 そんな二人の間からヒーゼルが声を上げると、すぐに木の板の向こうから返事があった。

 この声は、たぶんオスのものだろう。太くて芯のありそうな響きの声だ。

 それを聞いたルルが頭の上から覗き込んできたので、グニドもそれに頷いた。

 「入っていいぞ」というヒーゼルの声を合図に、まずラッティたちが入室していく。そのあとに続いてグニドものしのしと穴をくぐれば、そこにいたのは丈の長い衣に身を包んだ銀髪の男だ。


「ほう。君たちが噂の獣人隊商ビーストキャラバンか」


 と、男はやってきたグニドたちの姿を見るなり、茜色の目をすっと細めて微笑んだ。

 男は腰に剣を佩いていたが、グニドを見てもその剣に手をかけようとはしない。恐らくその男こそがカルロスなのだろう、しかしグニドの想像と違ってその風貌に戦士らしい猛々しさはなく、むしろ驚くほどに落ち着き払っている。


 歳はヒーゼルよりずっと上のように見えるものの、人間の年齢の判別が未だにつかないグニドには、男が具体的に何歳くらいなのかまるで見当もつかなかった。

 少なくとも竜人の平均寿命は既に超えているだろうか。男と見比べると、ラッティやヴォルクなどはまだまだ子供のように見える。


「紹介しよう。こちらが我らトゥルエノ義勇軍のリーダー、カルロス殿だ。元は侯王の下で一軍を率いておられたお方だが、卑劣な王の命令に従うことを拒んで義勇軍に肩入れされてな。以来この軍の指導者をされている。カルロス殿、こちらは獣人隊商隊長の――」

「ラッティです。こっちは相方のヴォルク。肩に乗ってるのが鼠人チュイ族のヨヘンで、後ろにいるのが犬人ポチ族のポリー。で、こっちのデカいのが竜人ドラゴニアンのグニドナトスと、頭の上にいるのがルルです。どうぞ、お見知りおきを」


 ヒーゼルの言葉を引き継いで、自ら隊員の紹介を買って出たラッティがにっこりと笑った。

 いつもはもう少し気の強そうな笑い方をするラッティだが、時折見せるこの笑顔はヴォルク曰く〝商売用〟らしい。人間たちの言葉ではこれを〝猫を被る〟と言うようだが、竜人の間では〝人間のふりをするスィミム・ナム〟と言う。


「ラッティか。話はヒーゼルから聞いている。どうもこの男が君たちに迷惑をかけたようだな」

「いえ、迷惑だなんて。その分はきちんと賠償してもらいましたし、アタシらはもう気にしてませんよ」

「ならば良いのだが、この男は昔から何かと粗相をする。こればかりは私がいくら言っても直らなくてな。すまないことをした」

「今回のは不可抗力ですよ、カルロス殿。だって普通、竜人が隊商の護衛をしてるだなんて思わないじゃないですか」

「言い訳をするな、馬鹿者。そもそも竜人が群を離れて一人で森にいる時点で妙だと思わなかったのか?」

「それは、まあ……思いましたけど、そういうこともあるかなと」


 あっけらかんとヒーゼルが答えれば、男――カルロスはいかにも憮然とため息をついた。

 これは先程塔を上がってくるときに聞いた話なのだが、どうもカルロスはヒーゼルの『師匠シショー』というやつらしい。ヒーゼルは元々流れの傭兵をしていたところをカルロスに拾われ、戦士としての薫陶を受けたのだと言っていた。


 だが、それにしてはヒーゼルはちょっと軽い。若さのせいもあるだろうが、カルロスほど重々しい威厳のようなものがない。

 カルロスもそんな弟子ヒーゼルに頭を痛めていることは、今の反応を見ても明らかだった。が、彼は四角い木の箱――いや、あれはもしかしたら卓かもしれない――の向こうで軽く咳を払うと、気を取り直したように言う。


「ともあれ、今回危険を冒して我が軍に物資を提供してくれたこと、感謝する。最近は侯王軍による我が軍への妨害工作が執拗さを増していてな。やつらは我らを困窮させるために、このパシエンシア侯領へ向かう物の流れを断とうとしているのだ。おかげで近頃は武器も食糧も不足気味だった。多少値が張ったとしても、譲ってもらえるのは有り難い」

「いえ、お礼を申し上げるのはこっちの方です。元々アタシらはあなた方と商談するつもりで来ましたが、半獣から買うものなんかないと門前払いされたらどうしようかと思ってましてね。それを公正な値で取引していただけたこと、感謝してます」

「ほう。やはり多いのかね、そういう輩は?」

「ええ、そりゃもう。人間サマにとってアタシら半獣人は卑しいケモノと同じですから。その半獣人が触ったモンなんか食えりゃしないと追っ払われることの方が多いくらいです」

「……? 半獣人、触ル、何故食エナイカ?」


 と、ときにカルロスとラッティの会話を聞いていたグニドは、その内容が気になって思わず横から口を挟んだ。

 途端にカルロスの視線がスッとグニドを捉えたが、そこに敵意はない。ただ目の前の巨大な生物を見定めるように細められただけだ。


「ああ、そっか。アンタには分かんないかな。アタシやヴォルクみたいな半獣人ってのはサ、大昔から人間に嫌われてンだ。どこの国に行っても半獣人ってのはそれだけで差別されて、寄るな触るなって言われる。人間サマからすると、アタシらみたいに人間と獣人ケモノの血が混ざった生きモノは汚らしくて薄気味悪いんだとさ。まあ、アンタら竜人とはまた違った意味で避けられてるって言えばいいのかな」

「ムウ……ダカラ、ラッティ、時々ニンゲンニ化ケルカ?」

「そーいうこと。アタシらが半獣人だと分かると、人間サマはまともに取引なんかしてくれないからね。――だからそれで言うと、こちらのお二人は相当変わってる」


 と、ラッティは最後の一言だけグニドの耳に口を寄せ、囁くようにそう言った。

 が、それはすっかり当の二人にも聞こえていたようだ。壁際で待機していたヒーゼルが「ぶはっ」と吹き出し、カルロスも小さく笑っている。


「まあ、カルロス殿が相当変わってるお方だってのは否定しないけどな。何せ俺みたいなのを拾って目をかけて下さるくらいだから。この人、昔から変なもの拾ってくるのがお好きなんだよ」

「変なもの、とはずいぶんな言い草だな。お前についてはそうだと言えなくもないが、他のものはすべて私が捨てるには惜しいと判断したものだ。私は若い頃から、つまらない先入観や他人の意見に捉われるのが嫌いでね」

「だからアタシらのことも受け入れて下さったと?」

「まあ、そういうことになるか。だが君たちに関しては、迎え入れた理由は他にもある」


 その瞬間、空気がピリッと小さく音を立てるのを、グニドは聞いた。見れば直前までいつもどおりに振る舞っていたはずのラッティが、いつになく深刻な顔をしている。

 更にはヴォルクも何かを警戒するようにピンと耳を立て、その肩の上でヨヘンが首を竦めた。そんな二人の陰に隠れるようにして、ポリーは最初から居心地が悪そうにうつむいている。


 だがカルロスとヒーゼルの方も、ラッティたちの様子が一変したのを感じたのだろう。ヒーゼルは少しばかりばつが悪そうに頭を掻くと、「あー」と意味のない声を発してから言う。


「お前ら、そう警戒するなよ。別にお前らをふん縛って女帝国に売ってやろうとか、危害を加えようとか、そういうことは一切考えてないから」

「じゃあ、今カルロスさんが言った〝他の理由〟ってのは何です?」

「そうだな。ここは誤解を招かないためにも簡潔に言おう。――実は、君たちに力を貸してほしい」


 四角い卓の向こう側で、壁の穴から差し込む陽射しを背負いながらカルロスが言った。

 それを聞いたラッティたちの間に怪訝そうな空気が広がる。誰も彼もがカルロスの言葉の意味を理解できていないようだ。


「ときに君たちは、この内乱の発端を知っているかな?」

「ええ、それはもちろん……何年か前の大飢饉で深刻な食糧難に陥った列侯国が、隣のシャムシール砂王国と同盟を結んだのがキッカケですよね。列侯国は砂王国から経済的支援を受ける代わりに、飢饉で発生した大量の難民を奴隷として砂王国に売り渡していた。それも表向きには〝労役に従事した者に給付金を与える〟との触れ込みで集めた難民を」

「そのとおりだ。その事実が昨年明らかになり、侯王の非道に憤った民たちが国に反旗を翻した。このことからも分かるように、現侯王のカルヴァン・ラビアという男は、目的のためならば手段を選ばない暗君だ。付け加えるならば、三日前に君たちの馬車が山賊に襲われたという一件にも、このカルヴァンの思惑が絡んでいる」

「それって……つまり、あの山賊どもは裏で侯王とつながってたってことかよ? オイラたちみたいに、義勇軍に物資を届けようとする有志や商人を邪魔するために?」

「ご明察。だがお前らみたいな民間の馬車を侯王軍が襲うとなると、ただでさえ暴落中の侯王軍の評判が更に地に落ちるからな。だからカルヴァンは山賊やならず者を裏で買収して、やつらに商人を襲わせてるのさ。ま、その辺の絵図を描いてるのはカルヴァンというより、やつの側近のマルコスって参謀おとこなんだけどな」


 そんな男の進言を聞き入れている時点で侯王も同罪だ。そう言ってヒーゼルは肩を竦めた。

 グニドには話が複雑すぎてついていけないが、要するに先日の山賊たちは侯王の手下だったらしい。あの場にヒーゼルら義勇軍が現れたのには、つまりそういう理由があったのだ。

 きっと彼らはあのあたりに侯王の手下が出没するという情報を聞きつけて、それを討つために戦士たちを派遣していたのだろう。だとすれば自分たちはあの山賊どもに遭遇した時点で、既に侯王軍と義勇軍の戦いに巻き込まれていたのだな、とグニドはそう解釈する。


「けどそれって裏を返せば、そこまでしなきゃならないほど侯王軍は義勇軍を脅威に感じてるってことですよね。兵力では侯王軍の方が断然勝ってると聞きましたが……」

「確かに、数の上では我が軍は劣勢だ。侯王軍はカルヴァンが雇い入れている傭兵も含めて兵力六万。対する我が軍は傭兵、義民兵を合わせても三万」

「それに加えて、侯王軍にはシャムシール砂王国の後ろ盾もあるワケでしょう? その砂王国軍と竜人も戦力として数えたら、向こうの兵力は七万か八万か……なのになんでヤツらはそこまで?」

「まあ、理由は色々あるが、一つは時間稼ぎだな。今ラッティが言ったように、現在も列侯国と砂王国の同盟関係は続いてる。だから侯王軍は初め、砂王国からの援軍をアテにしてたんだ。が、未だにその援軍が届かない。何故なら砂王国は今、西より東の戦線に夢中だからだ」

「あ。そうか、トラモント黄皇国……!」

「そのとおり。実は我らはトラモント黄皇国の第一皇子、オルランド殿下より支援を賜っていてな。砂王国軍が東に釘付けになっているのもそのおかげ。あれは皇子殿下が自国の軍を囮として、砂王国軍を引きつけて下さっているのだ」


 ゆっくりと卓の向こうの椅子に腰かけたカルロスの一言で、ラッティたちの表情が驚きに染まった。グニドにはやはり話の詳細が分からないが、どうもトラモント黄皇国は義勇軍の味方、ということらしい。

 そこまで考えて、そう言えば自分がまだ死の谷モソブ・クコルにいた頃、谷中の竜人がトラモント黄皇国との戦に駆り出されていたことをグニドは思い出した。

 だとすればあれもまた、現在の列侯国の内乱を巡る争いの一部だったのか。列侯国と黄皇国は砂漠を挟んであんなにも遠く離れているのに、彼らは互いに協力し合って敵を分散させている……。


(なんてこった。人間どもはそんな気の遠くなるような規模で戦をしているのか)


 グニドは驚愕のあまり、首を傾げることも忘れて茫然と立ち尽くした。人間は個体数が多い分、竜人の間では考えられないほどの大人数で戦をするとは思っていたが、どうも大きかったのは戦士の数だけではなかったらしい。

 彼らはとんでもなく長大な距離の大地を巻き込んで策謀を巡らせ、駆け引きし、信じられない規模の殺し合いをしているのだ。

 それも同じ人間という、同胞はらから同士の殺し合いを。


「だから砂王国軍の戦力を頼みとしたい侯王軍は、こっちの戦を長期化させ、砂王国軍が引き返してくるのを待ってるのさ。そうでもしないと、カルヴァンは恐ろしくて俺たちと戦えないんだ。何せカルロス殿は列侯国切っての戦巧者。上手く戦えばこの程度の兵力差はなんてことないし、何よりカルロス殿には義神ツェデクの加護がある」

「――≪義神刻ツェデク・エンブレム≫、ですか」

「ああ。数ある大神刻の中でも≪義神刻≫は格別だからな。その力は東の地を平らげた≪金神刻シェメッシュ・エンブレム≫や、かつてシャマイム天帝国を支配した≪天神刻シャマイム・エンブレム≫にも匹敵し、正義の剣の一振りで軍勢一万を焼き尽くすという……」

「おい、ヒーゼル。その辺にしておけ。お前は最近吟遊詩人の影響を受けすぎだ」

「影響も何も、本当のことじゃないですか。それに元々あの歌を作ったのは光の神子ですよ。神子の言葉は神の言葉、つまりおしなべて正しいってことです」

「ならばお前が最近やたらと口達者になったのもアレのせいか。それなら人の弟子に余計なことを吹き込むなと、あとで苦情を言っておかねばならんな」

「あー、あとはジャックとマナのおかげでもありますね。俺、カルヴァンの下を抜けてから友人に恵まれて幸せですよ」

「……」


 壁際でにこにこと微笑んでいるヒーゼルとは裏腹に、カルロスはひどく疲れた様子で目元を押さえた。

 そうしてうつむき、しばらく無言で目頭のあたりを揉んでいるカルロスを気の毒そうに眺めながら、やがてラッティが苦笑と共に声を上げる。


「えーっと、それで、アタシらの力を借りたいってのはどういう?」

「ああ……そう、その話の途中だったな。それで先にも言ったとおり、我々はカルヴァンの策略により武器や物資の調達が困難になりつつある。一応兵を出してあちこちに潜伏しているカルヴァンの手先を討ってはいるが、やつらは次から次へ湧くように現れきりがない。このままこの状況が長引けば、アビエス連合国との交渉がまとまる前に兵糧が底を尽いてしまうだろう」

「アビエス連合国との交渉?」


 と、ときにカルロスが口にした言葉を、思わずといった様子でヨヘンが復唱した。

 ――アビエス連合国。その名はグニドも覚えている。

 ここから海を挟んで南へまっすぐ行った先、そこに存在するという博愛の国。同時にヨヘンの故郷であり、グニドたちの目下の目的地。

 その名がカルロスの口から出たことで、グニドも俄然興味が湧いた。ゆえにぐんっと首を下げると、頭上でルルが「ふわあ!?」と悲鳴を上げる。


『グニド、急に動いたらあぶないよ!』

『ああ、悪い――』

「――連合国との交渉って、つまりあんたらはもしかして、黄皇国に続いて連合国の後ろ盾も得ようとしてるってのかい?」

「ああ、そうだ。連合国も黄皇国と同じく、かつての神子が暗君の暴政に苦しむ民を導いて築いた国。その連合国ならば我らとの同盟にも応じてくれるだろう。だがその同盟が実を結ぶ前に我らが力尽きてしまっては元も子もない」

「それは確かにそうですが……それとアタシらに何の関係が?」

「俺たちは今のこの状況を打開するために、ちまちま敵の手駒を潰すのをやめて大攻勢をかけることにしたんだよ。そこでお前らの力を借りたい。正確には――そこにいるグニドナトスの力を、だが」


 そこで突然名前を呼ばれたことに驚いて、グニドはぱっと頭を上げた。おかげでまたしても頭上のルルが「ふわあ!?」と声を上げ、後ろにひっくり返りそうになったところを何とかたてがみにしがみついて事なきを得る。


『グニド! だから動いたらあぶないって言ってるのに!』

『あ? ああ、悪い――』

「――待って下さい。それってつまり、グニドを傭兵として雇いたいってことですか?」


 グニドが謝っている間に、尋ねたのはヴォルクだった。

 するとカルロスとヒーゼルは、短い目配せのあとに頷いてみせる。グニドはそれを見て思い切り首を傾げそうになり、すんでのところで踏み留まった。


「オレ、義勇軍ノ用心棒、ナルカ?」

「用心棒ってのとはまた違うんだけどな。ラッティたちから聞いた話じゃ、お前、元々は死の谷でごく普通の竜人として生活していたそうじゃないか。だとすれば知ってるだろ? 人間がお前ら竜人をどれほど恐れてるのかも、その理由も」

「ムウ……ソレハ、知ッテイル」


 ヒーゼルに尋ねられ、グニドはわずかばかり視線を落としながら答えた。

 それは改めて確認されるまでもなく、グニドが谷を出てからぶつかってきた一番の壁だ。人間は竜人を恐れている。ゆえに人間と竜人は分かり合えない。

 ラッティたちが自分を受け入れてくれたのは、彼らもまた獣人だからだ。隊商の一員になったからといって、人間社会に受け入れられたわけではない。

 それは国境の関所を通ったときの出来事や、ここまでの道中や、先程この部屋の前で浴びせられた畏怖と敵対の眼差しから痛感した。ヒーゼルやカルロスが――いくら武芸に自信があるとは言え――自分を見ても平然としている方がむしろ異常なことなのだ。


「さっきカルロス殿が仰ったとおり、こちらは数の上では劣勢だ。だがルエダ人のお前ら竜人に対する恐怖心は、たぶんお前の想像を超えている。特に国境にほど近いトレランシア侯領出身者の中には、何度もお前らに襲われてる者がいるからな。そういう連中が戦場でお前の姿を見かけたら、どうなると思う?」

「……皆、逃ゲル。ニンゲン、竜人ト戦ウ、シナイ」

「そのとおり。つまりお前が味方にいてくれると、それだけで戦が有利に進められるってことだ」


 なるほどな、とグニドは思った。ヒーゼルの言葉の正しさは、三日前の山賊たちとの戦いが証明している。

 それに自分がまだ谷にいた頃、砂王国の傭兵たちがよく同じ戦い方をしていたことをグニドはよく知っていた。先に竜人の戦士たちが突っ込み、敵が算を乱して逃げ惑うところを、後ろから砂王国の傭兵たちが舐めるように狩っていくのだ。

 非常に単純な作戦だが、グニドの知る限りその効果は絶大だった。この世で竜人を恐れないのはトラモント黄皇国の荒野で暮らす亜竜ドナトスくらいで、人間たちがよく乗り回しているエスロフだって、どんなに鞭で打たれても竜人には向かってこない。


「もちろんこちらもその分の対価は払うし、何もこの戦が終わるまで戦ってくれとは言わない。ただこの状況を打開するために、次の作戦だけはどうしても失敗できないんだ。そこでぜひお前の力を借りたい。協力してもらえないか?」

「お……おぉー!! いいじゃんかいいじゃんか! 神子と竜人が共闘なんて、こんなアツい展開はないぜ! そいつをネタにすれば、オイラの冒険記もバカ売れすること間違いなし――むぐぅ!」

「ヨヘン。アンタはちょっと黙ってな」


 何故か一人で盛り上がり出したヨヘンは、ヴォルクに無言で押し潰された。たぶんヴォルクはラッティの意を汲んだのだろうが、彼の肩の上で潰されたヨヘンは「モゲ、モゲ……!」とよく分からない呻き声を上げてもがいている。


「そちらさんの仰りたいことは分かりました。要はウチのグニドを金で借りたいってことでしょう? だけどウチは生憎そういうサービスはしてないし、仲間を戦場に送り込むってのはちょっと……」

「だがそいつは元々竜人の戦士だろ? 戦場なら何度も経験してきたはずだ」

「それはそうですが、グニドは今はアタシらの仲間です。それを歩く兵器みたいに言われるのは、楽しくない」


 ラッティが思いのほか鋭い声を上げるので、グニドはぎょっとして彼女を見た。

 その横顔が、グニドが思った以上に怒っている。先の方だけ白い狐耳も、いつもはやわらかそうなふかふかの尻尾も、今はピンと張り詰めて天井を向いている。

 かと思えばそんなラッティの背中を見て、突然ポリーが泣き出した。

 彼女はポロポロと宝石のような涙を零しながら、臆病なわりに大きな体をぎゅっと小さく縮めて言う。


「わ、わ、ワタシも反対……グニドは確かに竜人だけど、人間の奴隷でも、道具でもないワ」

「い、いや、俺たちは何もそういうつもりで言ったわけじゃ――」

「ヒーゼルさん。アタシらはね、今でこそこうして笑って暮らしてるけど、元々みんな人間に虐げられて生きてきた。アタシらは人間の前じゃ生き物としてすら扱われないんだ。そこのポリーはずっとエレツエル神領国の奴隷だったし、アタシもヴォルクも半獣ってだけで手ひどく迫害されてきた。ヨヘンだって人間にわらわれたことは一度じゃないさ。それと同じ思いを、仲間にはさせたくない」


 グニドはラッティが一体何を言っているのか分からなかった。

 分からなかったが、ラッティの瞳が怒りと悲しみで燃えていることと、彼女が自分を守ろうとしていることは、分かった。


 その瞬間、グニドは頭の上にいたルルを抱き上げ、床へ下ろす。

 そうして言った。


「ラッティ。オレ、義勇軍ノ用心棒、ヤル」

「え?」

「オレ、用心棒スルト、キャラバンニ金、入ル。違ウカ?」

「い、いや、合ってるけど――」

「金、入レバ、食イモノモ、タクサン。ソシタラ、皆、腹イッパイ。ラッティ、皆ノ腹イッパイガ良イ、言ッタ」

「そ、そんなこと言ったっけ?」

「言ッタ。ダカラ、オレ、用心棒ヤル。竜人、戦ウタメ、生マレタ。オレ、戦ウ、嫌ジャナイ」


 グニドはこのとき初めて、自分の人語が拙いことをもどかしく思った。知っている限りの言葉をつなぎ合わせて、何とか今の思いを伝えたかったが、どうも上手く伝えられている気がしない。

 グニドは、ラッティたちの役に立ちたかった。

 もちろんこれまでも隊の用心棒として、それなりの働きはしている。ラッティたちが毎日――生の肉ではないけれど――貴重な食糧をグニドに譲ってくれるのはその対価だ。


 けれど、そうじゃない。

 そうじゃなくて、グニドは隊の用心棒という役割を超えて、対価のためではなく彼らのために働きたかった。


 ラッティたちと行動を共にするようになってから、こんな思いに駆られたのは初めてだ。

 けれどもグニドは今、何だかそんな気持ちでいっぱいになっている。


 思えばドラウグ族の群にいたときだって、グニドは対価のために戦士として戦っていたわけではなかった。

 あの群の仲間が大切だったから、皆を守りたかったから、群の一員として恥じない働きをしていたのだ。


「だ、だけどグニド、戦に出るなんてやっぱり危険よ。これまでは竜人の仲間が一緒に戦ってくれたかもしれないけど、今のアナタは一人なのヨ?」

「――ちがうよ」

「え?」

「グニドはひとり、ちがうよ。だって、ルルがいるもん」


 床に下ろされたルルが、そう言って得意げに胸を張った。

 かと思えば彼女はにいっと無邪気な笑みを浮かべてグニドに抱きついてくる。


 グニドはひとり、ちがうもん。更にそう言いながら腹に頬を擦り寄せてくるルルを、グニドはもう一度抱き上げた。

 腕の中にすっぽり収まったルルが、はしゃぎ声を上げてグニドの首に抱きついてくる。それを見ながら、ヨヘンを握ったままのヴォルクが小さく笑った。


本人グニドがいいって言うなら、俺はいいけど」

「ヴォルク!」

「何なら俺も戦うし。キャラバンの用心棒は、何もグニド一人じゃないだろ」

「そ、それはそうだけど……」

「そもそもラッティがここに来たのはなんで? ただ単に武器を高く売りたかった――それだけが理由じゃないだろ」


 ヴォルクがいつもと変わらぬ穏やかな口振りでそう言えば、ラッティが「うっ」と言葉に詰まってうつむいた。

 途端に頭の上の耳がしゅん、としおれたが、目だけは恨めしげにヴォルクを睨んでいる。が、ヴォルクの方は慣れているのか、そんなラッティの視線などどこ吹く風だ。


「……っあー、もう! 分かったよ! ただしウチの仲間を借りたいってんなら条件があります!」

「おっ、おう、何だ?」

「一つは獣人も半獣人も、義勇軍の中では人間と同等に扱うこと。もう一つは、役目が終わったら必ず全員無事に返すこと。この条件を守ってくれるってんなら契約書を作ります。金額は応相談で」

「――それでお願いしよう」


 即答したのは、深く腰かけたままのカルロスの方だった。そんなカルロスとラッティとを、ヒーゼルが「えっ、いいんですか?」と言いたげに見比べている。

 けれどもカルロスの意思に揺らぎはないようだった。彼は薄く――されどすべて見透かしたような不敵な笑みを浮かべると、再び席から腰を上げる。


「商談成立、ということでよろしいかな?」

「……神子様の仰ることに、二言はありませんよね?」

「ああ、ないとも」

「なら、いいです。これから契約書を作成してお持ちします。少しお時間いただけますか?」

「ではこちらはその間に公証人を用意しよう。私は神子ではあるが同時に契約者だ。公証人には別の者を立てた方が良いだろう」

「そうですね。できれば商人組合ギルドの正式な手続きと同じように、公証人は聖職に就いてる方だと有り難いです」

「心得た。では、そのように」


 微笑みを浮かべてそう答えると、カルロスはヒーゼルに目配せした。どうやらそれが〝話は終わり〟の合図だったらしい。

 途中から話に置いていかれたせいだろう、ヒーゼルは戸惑いの表情を浮かべながらも、ひとまずグニドたちを先導するていを取った。


『グニド、おはなしおわった?』

『ああ、終わったぞ』

『ラッティたち、なんのおはなししてたの?』

『それが、おれにもよく分からん』

『そっかぁ。むつかしいおはなしかぁ』

『おれたち、もう少し人間の言葉を教わらないといけないな』

『うん。あのね、でもね、ルルは文字もよめるからね、グニドがよめなかったらルルがよんであげるからね!』

『ああ、それはいいな。おれはあの文字とかいうやつだけはどうもダメだ。見てると頭が痛くなる』

『ヤーウィ! そしたらねぇ、ルルねぇ、いっぱいグニドのやくにたつからね!』


 再び頭に乗っかってそんなことを言うルルに、グニドは思わず目を細めた。

 そうしてぶるぶると首を振れば、しがみついたルルが「きゃあー!」とはしゃいだ悲鳴を上げる。

 そんな二人を顧みて、何やってんの、危ないよ、と呆れながらラッティが笑った。

 グニドもそれに笑い返して、長い尻尾でバシバシと、石の床を叩いてみせた。


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