第二十二話 トゥルエノ義勇軍
「ふう……」
とようやく一息ついて、ヒーゼルは剣をヒュンと振った。
まだしぶとく刃にしがみついていた誰かの血が、ついに耐えかねて飛んでいく。その間にもヒーゼルは、自分のため息が思いのほか深いのを聞いて、なんだ、俺は珍しく緊張してたのか、と苦笑した。
目の前には鎧をつけた腹を見せ、ひっくり返っている竜人。
まさかこんなところでお目にかかるとは夢にも思ってみなかったが、幸い他にこのトカゲ獣人の姿はなかった。
それを確認するために視線を巡らせた戦場では、部下たちが果敢に武器を振るい、山賊どもを追いかけている。戦況はどう見てもこちらの優勢だ。相手は元々統制も取れていないチンピラの集まりだから、ここから形勢が逆転するなんてことは万が一にも有り得ない。
「とは言え、マルコスのやつ……」
と、ヒーゼルは苦虫を噛み潰したような心境で呟きながら、再び竜人へと目を戻した。
そのまま慎重に歩み寄り、サッと竜人の口へ手を翳す。そうして呆れた。――まだ息がある。
「ったく、これだから竜人は……」
膂力と頑丈さと凶暴性だけが取り柄の種族。神々は何故このような生物の存在を許し給うたのか、という天界への嘆きをため息にして漏らしながら、ヒーゼルは近くに倒れている山賊から短槍を拝借し、その柄でぐいっと竜人の鎧を持ち上げた。
革の帯で両肩に固定された彼らの鎧は、竜人の弱点である腹だけを守るものだ。だから人間の鎧のように体の前後を覆う造りではなく、下部を持ち上げれば腹を覗くことができる。
ヒーゼルは長い傭兵生活の間にそのことを熟知していた。国境付近の戦いで竜人を仕留めたことも一度や二度ではない。
――〝トカゲ殺し〟。
人間の間では、竜人を十体以上仕留めた者は畏敬の念を持ってそう呼ばれる。ヒーゼルもそんな〝トカゲ殺し〟の一人だ。
だからその剣に、恐れや迷いはなかった。
ヒーゼルは分厚く重い鎧を槍で少し浮かしたまま、隙間から覗いた竜人の腹に狙いを定める。雷撃ですっかり焦げた腹からは異臭が漂っていたが、ヒーゼルは眉一つそよがせず、そこへ差し込むように剣を構えた。
精悍な空色の瞳がにわかに鋭さを増し、切っ先を、
『――やめて!!』
竜人の皮膚に突き刺そうとした、矢先。
突然幼い声が響いて、ヒーゼルは驚きに手を止めた。
瞠目して振り向けば、その先には一人の少女がいる。
まだ年の頃十くらいの、白い貫頭衣を着た少女だ。
「子供……?」
この血生臭い戦場に、突如として現れた幼い子供。
そのあまりに不釣り合いな光景に、ヒーゼルは思わず戸惑った。少女は少し癖のある不思議な色の髪――一見黒髪に見えるが、日が当たると青色に輝いて見える――を逆立たせ、ヒーゼルから十歩ほど離れたところでキッとこちらを睨んでいる。
『はなれて』
「何……?」
『グニドからはなれて!』
ヒーゼルは眉を寄せ、目を細めた。――少女が何を言っているのか分からない。
あれは一体どこの言語だ?
古代、ハノーク大帝国の支配を拒んだ土地の民でさえ、今ではハノーク語を話すこのご時世に。
『はなれて……!』
少女は言葉が通じていないのを理解しているのだろうか?
ヒーゼルが困惑から身を固めて動けないでいるのを見ると、突然、その金色の瞳が幼さにそぐわぬ殺気を帯びた。
瞬間、少女の短い髪がざわりと騒ぐ。風も吹いていないのに。
それを見てハッとしたヒーゼルは刹那、勢いよく地を蹴り、その場から飛び退いた。
その判断が正しかったと証明されたのは、直後のことだ。
雷撃。それが直前までヒーゼルのいた地面を穿ち、森の土を撒き散らす。ヒーゼルは我が目を疑った。
神術? あの子が? ――あの幼さで、祈唱もなく?
「おいおい、どうなってる……?」
まさかあれもマルコスの手先か? 侯王軍は山賊や竜人だけでなく、あんな幼い子供まで手駒にしていると?
だとしたらクソ喰らえだ。やつらのやり方にはほとほと反吐が出る。
ヒーゼルは片膝をついた姿勢から立ち上がった。が、剣は低く持ったまま。
あのように幼い子供にまでその切っ先を向ける勇気を、ヒーゼルは持たなかった。
けれども少女の方は、完全にヒーゼルを敵とみなしている。その眼差しはますます鋭さを増し――小さな白い手が、ヒーゼルへ向けて翳される。
「ビレ・シール――」
「――ストップストップ! ルル、ストップ!」
そのときだった。
突然慌てた女の声が響き、後ろから少女を抱き留めた影がある。
ヒーゼルは目を丸くした。少女を止めたのは人間の姿に狐の耳と尻尾を持つ、いわゆる半獣人というやつだった。
ヒーゼルもただの獣人なら何度も見たことがあるが、半獣人というのは初めてだ。噂どおり獣人より人間に近い姿をしているのだな――と目を見張ったところで、少女を抱いたままの半獣がこちらを振り向いてくる。
「おいアンタ、そこの竜人には手を出さないで! ソイツはアタシらの仲間なんだ!」
「……仲間ぁ?」
ヒーゼルにも馴染み深いはずのその言葉が、今は異国語のように思えた。ゆえに聞き返したヒーゼルの視線の先で、半獣がこくこくと頷いている。
そんな彼女の背後から、一台の馬車がこちらへ向かってくるのが見えた。四頭立ての、そこそこ大きくて立派な馬車だ。
が、ヒーゼルがそちらに気を取られた瞬間、少女が半獣の腕を振り切って駆け出した。そうしてまっすぐこちらへ向かってくるのを見て、ヒーゼルは思わず「おっ」と身構える。
ところが少女の目当てはヒーゼルではなかった。
彼女は倒れた竜人へ一目散に駆け寄ると――驚いたことに、その体に抱きついたのだ。
『グニド、おきて! グニド……グニド……!』
そうして竜人の体に縋りつき、少女は泣いた。竜人からの返事がないと分かると、そのまま突っ伏して泣き叫んだ。
そんな少女の泣き声を、ヒーゼルは茫然と聞いているしかない。
「い、一体どうなってるんだ……?」
人間の子供が、天敵のために泣くなんて。
×
何かが、腕の下でモゾモゾしていた。
竜人の硬い鱗は触覚を有していない。それでも何かモゾモゾしているのが分かるのは、鱗と鱗の間の皮膚に触れる感触があるからだ。
モゾモゾしているのはどうやら毛の塊で、グニドの上膊、腋の下あたりにグリグリと何かを押しつけているようだった。
それが妙にくすぐったいので、「おい、やめろよ」という意味を込めてグニドは鼻から息を吐く。が、フンスと鳴った抗議を聞いてもモゾモゾは止まらず、グニドはついに目を開ける。
真っ先に視界に入ったのは、大量の干し草だった。
どうやらグニドは今、干し草の山の上に腹這いになっているらしい。それも地面よりやや高い台の上に敷かれた干し草だ。
さっきから鼻先でカサカサ言っていたのはこれか、と思いながら、グニドは寝起きの頭をゆっくりと持ち上げた。
途端に腋の下のモゾモゾが止む。
見ればそこにいたのは、何故か顔を干し草まみれにしたルルだ。
『――グニド!』
目を覚ましたグニドを見るやルルはぱっと跳び跳ねて、干し草を撒き散らしながら歓喜した。
一方のグニドは、寝惚け眼に瞼を半分被せたまま尻尾を揺らす。自分の置かれた状況がよく分からず、尻尾だけが先に反応したのだ。
『……ルル?』
『グニド、グニド、グニド! だいじょうぶ? 体、もういたくない?』
『体?』
そう言われてみれば、先程から腹のあたりがチクチクする。たぶんこれは剥き出しの皮膚に干し草が当たっているせいだろう。
だがそこまで考えてから、いや、待てよ、とグニドは思い直した。
――そう言えば自分は森で、獣人隊商の馬車を襲った山賊どもと一戦交えていたのではなかったか?
確かそこへうまそうな馬の群が押し寄せてきて……と記憶を辿ってゆき、やがてグニドは渋面を作った。
そうだ。自分はその馬群の中から現れた赤髪の人間に、神術を撃たれて喪心したのだ。
『くそ……思い出したぞ。あの人間め……』
『グニド、体、いたいの?』
『いや、体はもう大丈夫だ。お前が治してくれたのか?』
『ううん。本当はルルがなおしたかったんだけど、ラッティがダメって。だからかわりに、グニドはポリーがなおしてくれたよ』
『そうか……だが、一体ここはどこだ?』
『んっとね、わかんない!』
潔く答え、ルルはグニドの腋の下へ頭を突っ込んだ。どうしたのかと腕を上げてやれば、ルルはそのままグニドの腕の中に入り込み、ぴったりと体側にくっついてくる。
それを見て、グニドはなるほどと思った。どうやらさっきのモゾモゾの正体はルルで、彼女はこれがやりたかったらしい。だから自力でグニドの腕の中に潜り込もうと、しきりに頭をグリグリしていたのだ。
『でも良かった、グニドがおきて……グニド、もう三日もおきなかったんだよ』
『三日も?』
『うん。だからルル、こわかった。グニドがこのままおきなかったらどうしようって……』
そう言って、ルルはグニドの鱗に顔を埋めている。その肩が頼りなげに震えているのを見て、グニドはルルを抱き寄せた。
悪友ほどではないにしろ、頑丈さにはそこそこ自信のあるグニドは正直、自分が三日も寝ていたというのが信じられない。
だがその間ルルにどんなに心細い思いをさせたかと思うと、グニドは喉が勝手にグルグルと鳴るのを感じた。それは竜人が仲間に対する労りや悲しみを表すときに鳴らす音だ。
『ルル。悪かったな、心配かけて』
『うん……』
『だが三日も寝ていたとなると、もしかしてここは――』
と、グニドがルルを腕に抱いたまま、ぐん、と首を高く持ち上げたときだった。
不意に右の方から近づいてくる足音が聞こえ、グニドはサッと瞳孔を尖らせる。とっさに鼻を向けた先には、石の壁の間に佇むやたらとでかい木の板があって、足音はその向こうからやってきた。
瞬間、グニドはわずかに腹を浮かせ、その下にルルを隠すように押し込み身構える。
刹那の緊張ののち、木の板が小さく軋んだ。
そうして開いた隙間から飛び込んできたのは――竜人が大嫌いなあの臭いだ。
「グニド、無事!?」
思わず「グェ」と呻きそうになったのを、すんでのところでグニドは堪えた。
板の向こうから現れたのは、他でもないラッティだ。
恐らく彼女もまた、板の向こうからグニドとルルの声を聞きつけてやってきたのだろう。目を覚ましたグニドを見ると、ホッとしたように耳を伏せた。
そうして安堵の表情を浮かべる仲間に、まさか「お前臭い、あっちへ行け」などとは言えまい。三日も寝ていたせいだろうか、グニドはようやく慣れたと思っていた狐人の臭いがまた強烈に自分を襲うのを感じながら、今は黙って鼻孔を閉じた。
「ラッティ。スマン。オレ、迷惑カケタ」
「いや、無事だったならそれでいいよ。その様子だと、ルルから話は聞いたみたいだね。……って、そのルルはどこ?」
「ルル、ここ!」
と、ときにグニドの腹の下から、ルルがひょっこり顔を出した。
驚いたことに、今のラッティの言葉を解したらしい。
「ルル、アンタそんなとこで何やってんの? まあ、いいけどサ。グニド、あんたもルルに感謝しなよ。その子、この三日間、片時もアンタの傍を離れようとしなかったんだから。おまけにヒーゼルさんからアンタを守ってくれたのもその子だし」
「ヒーゼルサン?」
「ああ、ヒーゼルさんってのは、トゥルエノ義勇軍の副将さんサ。アンタたちの言葉で言うなら、〝義勇軍の長の側近〟」
「ギユーグン? ナラバ、ココハ……」
「ああ。ここはトゥルエノ義勇軍が拠点としてる小要塞――サン・カリニョだよ」
ニカッと笑ったラッティの言葉を真似て、ルルが「サン・カリニョ!」と復唱した。が、恐らく意味は分かっていないに違いない。
グニドは股のあたりまで垂れる衣服をまとい、ルルを頭に乗せて部屋を出た。ラッティの案内に従ってついていくと、その先にはヴォルクを始め獣人隊商の面々がいる。
彼らは無事に起き出してきたグニドを見るや、再会を喜んでくれた。ヴォルクなどはグニド一人に無理をさせたと気にしていたようだが、何のことはない。あんなことになったのはグニドの戦いにちょっかいを出してきた義勇軍とやらのせいで、ヴォルクを責めるのは巣穴違いというものだ。
「いやー、けどよ、お前がぶっ倒れてるのを見たときは正直ヒヤヒヤしたぜー! いくら名前を呼んでもピクリともしねーからよ、マジで死んじまったかと……」
「縁起でもないこと言うんじゃないわヨ、ヨヘン。でも、大事に至らなくて本当に良かったワ。ヒーゼルさんの話じゃ、グニドが受けたのは人間だったら即死していてもおかしくない威力の神術だったそうヨ」
「ムウ……オレ、心配カケタ。スマナイ」
「アンタが謝ることじゃないけどサ。さすがに真っ黒に焦げたアンタの腹を見たときは、アタシらもゾッとしたよ。アレはたぶん内臓までイッてたし、普通の神術じゃ治せなかったかもしれない。治癒魔導石の在庫があって良かった」
「グニドのやけど、ポリーがなおした。みどりのいしで、なおした」
「まあ、ルルちゃん。また言葉が上達したわネ!」
「グニドが眠ってる間、ルルはずっと傍で人語の勉強をしてたんだよ。たぶんグニドを助けに行ったとき、言葉が通じなくて悔しかったんだろうね。この三日でずいぶん上達した」
「ルル、ことば、おぼえる。もっともっと、おぼえる!」
壁際の席に着いたヴォルクがちょっと笑ってそう言えば、頭上のルルが、グニドの首をぺしぺしと叩きながら宣言した。
そこは長い通路の先にある少し開けた場所で、麓に小さな腰掛けが設けられた石の壁には四角い穴が並んでいる。その縦長の穴から注ぐ日の光が眩しくて、グニドはルルを見上げようとした眼を思わず細めた。
それにしたところで、たった三日でよくぞここまで上達したものだ。元々熱心にポリーから文字を習ってはいたが、グニドが倒れる前は、ルルが理解できる人間の言葉などほんの一握りのものだけだった。
それが今では、たどたどしいながらもラッティたちとの会話が成立している。これにはグニドも驚いた。ルルよりずっと成熟しているグニドでさえ、人間とまともに会話ができるようになるには一年近い歳月を要したというのに――
「――おいおい……驚いたな。その竜人、本当に人間に馴れてるのか」
と、そのときだった。突然背後から思考を遮る声があり、振り向いたグニドは背中の毛がブワッと逆立つのを感じる。
そこにいたのは若いオスの人間――あの日、グニドに雷撃を見舞った赤髪の人間だった。
今日はあの日のように鎧を身につけてはいないが、腰にはしっかりと剣を佩いている。対して、グニドは現在鎧どころか大竜刀さえ持ち合わせていないことを思い出し、思わず『くそ!』と毒づいた。
男はグニドたちと一定の距離を取ってはいるが、その武芸の練度が如何ほどかは三日前の交戦で嫌というほど理解している。
だからグニドは頭にルルを乗せたまま、ラッティたちを庇うような位置に出て喉を鳴らした。あの男ほどの腕があれば、最初の踏み込みと抜き打ちでその切っ先がラッティたちに届くことを、グニドは知っていたからだ。
ところが、
「――ヒーゼル!」
と、ときに頭の上のルルが、男を指さして声を上げた。
『グニド、あれがヒーゼル!』
『何?』
『グニドのことけがさせた、悪いやつ! でも、ラッティたちのみかただから、燃やしちゃダメだって』
『ヒーゼル……そう言えばさっきラッティが、義勇軍の長の側近とか言ってたな。それがこいつだったのか……』
ルルを乗せたままの頭をぐっと下げ、グニドは警戒の意味を込めて男を睨む。すると男――ヒーゼルの方も殺気を感じたのか、ピクリと眉を動かした。
だが双方の間に緊張が走ったのは、ほんの一瞬のことだ。
何故ならすぐに苦笑を浮かべたヒーゼルの方が、両手をひょいと顔の高さまで持ち上げた。何の真似だ?とグニドは訝しんだが、どうやらそれは〝今の自分は無抵抗です〟という合図のようだ。
「なあ、ラッティ。こいつ、人間の言葉も理解できるんだよな?」
「ああ、一応ね。簡単な言葉ならだいたい通じるよ」
「じゃあ、えーと、グニドナトス? って言ったっけ? 俺はヒーゼル。砂漠の東出身の傭兵だ。お前のことはラッティたちから聞いたよ。その節は悪かったな」
「……」
「あのときは俺も、まさか竜人が隊商の護衛をしてるなんて思わなかったからさ。だからとっさに、お前もガスパル一家――あの山賊どもの仲間だと思っちまった。だけど事情を知った今は、お前たちと敵対するつもりはない。俺たちは今日から仲間だ。森でのことはお互い水に流そう。な?」
「……」
「……おい、これ、本当に言葉通じてる?」
グニドがじーっと視線を注いだまま黙っていると、やがてその沈黙の重さに耐えかねたのだろう。困惑顔をしたヒーゼルが、口の端を引き攣らせながらラッティに尋ねた。
するとラッティは呆れたように笑って、バシッと一発グニドの背中を叩く。何だ、とグニドが振り向くと、ラッティはふくよかな尾をゆらりと優雅に揺らして言った。
「グニド。ヒーゼルさんとは確かに行き違いがあったけどサ、この人は信用して大丈夫だよ。なんたってアンタをあんな目に遭わせちまった詫びにって、アタシらの積み荷を定価の三割増しの価格で買い取ってくれたんだ。他にも何か望みがあれば、何でも聞いてくれるって言うし」
「望ミ?」
「そう。アンタもなんかある?」
「……肉」
「へ?」
「肉、喰イタイ。オレ、腹減ッタ。デキレバ、馬ノ肉ガイイ」
グニドが腹を押さえながらそう言えば、一瞬目を丸くしたラッティが、直後に「ぶはっ」と吹き出した。
何がそんなに可笑しいのだ、とグニドは眉をひそめたが、ラッティ曰く「いかにもアンタらしい」らしい。自分としては思いつく限りの最上級の要望だっただけに、グニドはそんなラッティの反応がいささか不満だ。
「そういうワケなんだけど、ヒーゼルさん。コイツとの和解のために、馬一頭用意してもらえる?」
「うーむ……生憎今の我が軍にとって馬は貴重だ。代わりに牛か羊で良ければ用意できるが」
「ウシ……牛ノコトカ? ナラバ、ソレデイイ」
「お、そうか? ならそれで手を打とう。知らなかったとは言え、あんな大怪我をさせちまった詫びだ。その、まあ、何だ、本当に悪かったよ」
言って、ヒーゼルは短く結った赤髪を掻きながら、そのときスッと右手を差し出してきた。
その表情には、少しばかりの緊張がある。差し出した手をそのままバクッと喰われやしないか。たぶんそんな心配をしているのだ。
だがグニドはその右手の意味を知っていた。これは〝アクシュ〟という挨拶だ。
互いを仲間と認め合い、その友情を確かめるための儀式。確かラッティはそのように言っていた。
だからグニドはその大きな三本指で、ヒーゼルの手をガッチリと掴み返す。
途端にヒーゼルの肩が微かに震え、驚いたようにグニドを見た。かと思えば彼はぎこちなく口角を上げ、ひどく乾いた笑いを漏らす。
「は、はは……なんてこった。夢みたいだな。まさか竜人と握手を交わす日が来るなんて……」
「オ前、肉クレル、言ッタ。ダカラ許ス」
「そ、そらどーも……」
未だに目の前の光景が信じられないといった様子で、ヒーゼルは全身を強張らせていた。だがグニドにとっては大したことではない。隊長が信用しろと言うから信用してやる。それだけのことだ。
それに、この男は戦士として見どころがある。それは強さを何よりの誇りとする竜人にとって、相手を認めるに十分な理由だった。
竜人と人間は確かに敵同士かもしれないが、それはあくまで種族間でのことだ。ただ〝人間だから〟という理由でこの男との和解を拒むなら、グニドは今頭の上にいるルルのことも敵として喰らわねばならない。
『ルル、ラッティの命令だ。こいつは今日からおれたちの仲間。だからもう喧嘩はなしだ』
『む~……ヒーゼル、グニドにひどいことしたのに……』
『あれはおれを敵だと誤解したんだと。一応反省もしてるみたいだ。だからお前もアクシュをして許してやれ』
グニドが言うと、ルルはいかにも不承不承といった様子でヒーゼルへ右手を差し出した。
それを見たヒーゼルは重ねて驚いている様子だったが、すぐにこちらの意図を察したのだろう。ちょっとなごんだように笑うと、ルルの小さな手をそっと握り返してくる。
「よし。それじゃあ約束の牛はこれから部下に連れてこさせるとして、だ。その間に、お前らにぜひ紹介したい人がいるんだが、ちょっと顔を貸してもらえないか?」
やがて二人の手が離れると、ヒーゼルの方からそんな提案があった。
どうやら彼はそのためにラッティたちを呼びに来たらしい。そしたらグニドが目を覚ましていたので、何ならお前も、と気安く誘ってくる。
「まあ、アタシは別に構わないけどサ。アンタらはどうだい?」
「オイラも、見世物にされないってんなら別にいいけど。だけど誰だい、その紹介したい人ってのは?」
「昨日の夜話したろ? 日が昇ったら俺の師に会わせてやるって」
ニッと意味深に笑ってヒーゼルが言えば、隊商の面々はたちまち目を丸くした。その中で唯一話の見えないグニドとルルだけが、きょとんとしてヒーゼルとラッティたちとを見比べる。
「ちょ、ちょっと待って下さいナ。そ、そ、それって、つまり――」
「ああ。お前ら、義勇軍と懇意になりたいんだろ? だったら俺から口利きしてやるよ。――我らが大将にして正義神の神子、カルロス将軍にな」