第十八話 旅の仲間
グニドは困っていた。
何せ谷を出るときスエンが用意してくれた砂金が、残りあと半分もない。
こんなはずではなかった。少なくともグニドは街で必要なものを買い求めたあと、ルルと共に暮らせそうな家を探し、しばらくこの街で何とかやっていくつもりでいた。
だが今となっては、その元手となるはずの砂金が小さな布袋一つ分しかない。これではこの街で暮らしていくどころか、自分とルルの数日分の食糧を確保するだけで精一杯だ。
「……ボッタクリ、デハナイカ?」
「へえ、驚いた。アンタ、そういう言葉は知ってンだ」
そう言って、馬車に荷を積んでいたメスの人間がカラリと笑った。
それもただの人間ではない。頭には狐耳、そして腰からは狐の尻尾を生やした、数少ない竜人の天敵──狐人族と人間の血を引く半獣のメスだ。
「だけど、おあいにくサマ。ウチは安心・信頼がモットーの隊商なんだ。だから相手がモノの相場が分からない竜人サマだからって、不正に金額を吊り上げたりはしてないよ。文句があるなら、物価がバカ高いこの国の連中に言うことだね」
「……」
「もしくはウチの商品をあんなにしちゃった自分を恨むか。ウチはその辺、相手が竜人だろうと牛人だろうと容赦しないからサ。〝人類皆平等!〟ってね」
「……」
「そんな恨めしそうな目で見ても、ウチの方針は変わんないよ。ずーっと死の谷に引きこもりっぱなしの竜人サンには分かんないかもしんないけど、世の中ってのはそういうモンなの」
何でも暴力で解決できると思ったら大間違い! メスの半獣はそう言って得意気に人差し指を振りながら、グニドを向いてニッと笑った。
グニドはそんな半獣の態度にイラッとしつつも、反論はせずに黙り込む。このメスが何を言っているのかは、何となく分かった。要するに相手の持ち物を壊したり、ダメにしてしまったら金によって償いをする──それが人間の社会での掟なのだ。
この半獣の名はラッティといった。グニドがヴォルクから聞いたところによると、どうやら彼女こそがこの『獣人隊商』という群の長に当たる人物らしい。
『獣人隊商』はそのラッティとヴォルク、それから犬人族のポリーと鼠人族のヨヘンからなる、ごくごく小さな隊商だった。
彼らはもう何年も前からこの四人で世界を旅しているとかで、今は東のトラモント黄皇国から西のルエダ・デラ・ラソ列侯国を目指して砂漠を横断しているらしい。その途中で商品の補給を兼ねてこの街へ立ち寄り、ちょうどこれから出発するところだったようだ。
『グニド、もうくさいのだいじょうぶ?』
と、ときにグニドの傍らに佇んだルルが、ちょっと心配そうに見上げてきた。先程ラッティが現れた際、グニドが大嫌いな狐人族の臭いにやられて転げ回っていたのを見たせいか、彼女は今も不安そうにしている。
『ああ、今はもう大丈夫だ、ルル。しかしお前、あの体臭を嗅いでも何ともないのか?』
『たいしゅー?』
『狐臭いだろ? って、そもそもお前は狐を知らないか……』
憮然とため息をつこうとして、しかしグニドは自分が今ピッタリと鼻孔を閉じていることを思い出した。もしも迂闊に鼻孔を開こうものなら、また先程と同じような目に遭うのは火を見るより明らかだ。
これはグニドに限らず竜人全般に言えることで、一族は何故か昔から狐人の体臭が苦手だった。
どうもこれは他の種族は感じない臭いらしいのだが、竜人の嗅覚は鼻から喉へ突き刺すような狐人族独特の臭いを敏感に嗅ぎとってしまい、それによって喉が焼けるような苦痛を味わうのだ。
ラッティが竜人であるグニドに対し、強気に出ている理由もそこにあった。
彼女はいざとなれば自分の臭いでグニドを撃退できると知っているから少しも怖じる様子なく、堂々と言いたいことを言ってくる。
「ところでサ、さっきから気になってるんだけど……」
と、ときにラッティが馬車に荷を積み終えるや、ずいっと身を屈めてこちらへ顔を寄せてきた。
その視線の先にいるのは、言わずもがなルルだ。ルルの方はラッティを天敵だと見なしたのだろう、慌ててグニドの後ろに隠れると、怯えたようにちょっとだけ顔を覗かせている。
「その子、ルルって言ったっけ? そんだけアンタになついてるところを見ると、アンタが育てたって話は本当なんだ?」
「ウム……ソレガドウシタ?」
「いや、竜人が人間の子供を育てるなんて前代未聞、ウソみたいな話だと思ったからサ。おまけにその子、人間の言葉を喋れないんでしょ?」
「ウム。ルル、オレタチノコトバ、勝手ニ覚エタ。ニンゲンノコトバ、話セルハ、竜人ニモ少ナイ」
「だろうね。アンタたちって他の種族のことは食い物か敵としか思ってないから、そもそも理解したり交流したりしようなんて考えないんだろうし。そんな中よくその子を育てられたモンだよ。アンタの仲間の中には、その子を喰っちまおうってヤツもいるんじゃないの?」
ちょっとだけこちらをからかうように肩を竦めてラッティは言う。どうやら彼女自身、こうして竜人と話ができるという状況を楽しんでいるようだ。
だがグニドは不意に出された〝仲間〟という言葉に、少し心が翳るのを感じた。
仲間──同胞。
そう呼べる相手はもう、グニドにはいない。
「……。オレ、ハグレタ」
「え?」
「ナカマ、ルル、喰ウト言ッタ。ダカラ、オレ、群捨テタ」
「群を捨てた?」
「ウム……オレ、モウ、ドラウグ族、違ウ。谷、戻レナイ」
「アンタ、」
「ダカラ、ココデ暮ラス。……ダガ、金、モウナイ」
言って、グニドはやはり恨めしそうに目の前の半獣をじろりと見た。
一方のラッティは、話を聞いてしばし言葉を失っている。彼女の鬣は砂漠にいる砂漠狐そっくりの色をしているが、瞳は遠い草原を思わせる黄緑だった。
「……アンタさ。その覚悟はご立派だけど、今まで谷を一歩も出たことがないクセに、いきなり人間の社会に飛び込んで生きていけると思ってンの? 金の稼ぎ方は知ってる? 法律は? 人間の生活習慣は?」
「ムウ……ソレハ、コレカラ、学ブ」
「どこで、どうやって? 群をはぐれて、アンタ一人でその子を育てていくなんて不可能もいいとこだよ。特にこの街じゃあね、その子をまともに育てることなんてできっこない。ここにいるのはどうしようもない悪党か詐欺師か盗っ人だけだ。まともな働き口もなければ、アンタを助けてくれる隣人もいない」
「ニンジン?」
「り・ん・じ・ん。つまりアンタの味方になってくれる人ってこと。アンタだって竜人なら、この国がどういう連中の集まりかってことはよく分かってるでしょ? あんなヤツらがウヨウヨしてるこの街で、本当にその子と幸せに暮らしていけると思う?」
「ムウ……」
「それに、いくらなんでもこの街じゃ死の谷が近すぎる。アンタ、群を抜けたってことは追われてるんじゃないの? 竜人は同族の絆は強いけど、仲間を裏切ったヤツには容赦しないって聞いたよ」
「……ソウダ」
ラッティの言うことは正しかった。捲し立てるように話すので理解するのが大変だったが、彼女が言おうとしていることはよく分かる。
何故ならそれは、グニドが内心で抱いていた不安そのものだったからだ。ラッティはそれを言葉の刃物で抉り出し、目を背けようとしていたグニドの眼前に突き出した。一葉の容赦もなく。
「それでもアンタはその子と一緒に暮らしたいの?」
「ソウダ」
「その子もそれを望んでる?」
「ソウダ」
「どうしても一緒じゃなきゃヤダ?」
「ソウダ」
「なら、一つイイ方法がある」
言って、ときにラッティが、ビシリと人差し指をこちらへ向けてきた。
正面から人を指差すなんて、なんて無礼なやつだ。そう思ったグニドは思わず眉をしかめたが、ラッティは構わずニヤリと笑う。
「アンタ、ウチの用心棒になる気はない?」
「ヨージンボー?」
「そ。つまりアタシたちと一緒に旅をして、キャラバンを危険から守ってくれない? ってこと。戦闘種族の竜人なら、そういう荒事はお手のモンでしょ?」
「ら、ラッティ! それは……!」
と、それを聞いて真っ先に声を上げたのはポリーだった。
彼女は先程の事件でグニドをよほど恐ろしいと感じたのだろう、今も馬車の後ろに隠れてふるふると震えている。
「わ、ワタシは反対、反対ヨ! やっぱり竜人なんて信用できないワ! 今は大人しくしてたって、こっちが油断した隙にバクッと食べられちゃうかもしれないじゃない!」
「さっきの件ならグニドも反省してるよ、ポリー。それにアレはルルを守ろうとしただけだって。彼がこの子をどんなに大事にしてるかは、今の話を聞いて分かったでしょ?」
「うぅ、それは……」
屈託なく笑ったラッティに諭されると、ポリーは反論に困って首を竦めた。つぶらな眼差しはうろうろと砂の上を彷徨い、やがて助けを求めるように足元のヨヘンを向く。
ところが目が合ったヨヘンは、サッと顔を背けるや口笛を吹き始めた。どうやら巻き込まれたくないようだ。
だがその頃にはグニドもようやく、ラッティの言う〝ヨージンボー〟というものの役割を理解した。先程の彼女の言葉を何度も反芻し、それを自分の知っている最も分かりやすい言葉に置き換えて、確認のために口にする。
「ツマリ、オレ、オ前タチ、守ル。代ワリニ、金ヤ食イモノ、モラウ。ソウイウコトカ?」
「そうそう、そういうこと! それが人間の社会で〝働く〟ってことサ。コッチの社会では働けば働いた分だけ対価がもらえる。アタシはその対価としてアンタたちの寝床と食糧と安全快適な旅を保証する。ついでに旅先で人間の言葉や文化を教えてあげるっておまけつき。どう? 悪い話じゃないと思うけど?」
そう言ってラッティはニカリと笑った。悪意も打算も感じない、清々しい笑顔だった。
ふと目をやった先ではヴォルクが腕を組んで佇んでいて、目が合うと微かに笑いながら頷いてくる。
それからグニドはしばし考え、やがて足元にいるルルを見下ろした。
『ルル』
『なぁに?』
『お前、こいつらと一緒に旅がしたいか?』
グニドを見上げたルルの瞳が、きらりと一瞬輝きを増した。……ような気がした。
『旅? 旅って、遠くまでおでかけすること?』
『ああ、そうだ』
『グニドもいっしょ?』
『そうだ』
『でも、グニドはくさくない?』
『……それは何とか我慢する。それより問題は、お前がどうしたいかだ』
『あのね、グニド。ルルはね、もっといっぱいいろんなものが見てみたい。だっぴしてないナムとか、砂じゃない海とか、お水がいっぱい、ざあざあ降ってくるところとか』
それらはすべて、グニドがかつてルルに聞かせた外の世界の話だった。様々な姿の人間が暮らす街。砂漠の外に広がる広大な海。大地を潤す恵みの雨──。
しかしこの世界には、グニドが話したそんなものよりもっと多くの、未知なるものがたくさんあるのだ。
ルルはそれを知らない。そしてグニドも、砂漠の外の世界は見たことがない。
『それって、この人たちといっしょに遠くまでいけば、見れる?』
『ああ、見れるさ』
『ならルルは、グニドといっしょに見にいきたい!』
そう答えたルルの目は、輝いていた。
今度は気のせいなどではなく、まるで瞳に星を宿したように輝いていた。
それを見たグニドは両手でルルを抱き上げる。途端にルルがはしゃいだ声を上げるので、グニドはそのまま彼女を持ち上げ、ひょいと肩の上に乗せた。
するとルルの方も嬉しそうにグニドの首へ抱きついてくる。グニドはそんなルルの頬に軽く額を擦りつけてから、言った。
「決マリダ。オレ、オ前タチ、守ル」
そう告げたグニドを、目の前のラッティが呆けたように見上げている。
見ればそれは、馬車の陰に隠れたポリーやヨヘンも同じだった。そんな彼らの様子に気づいたグニドは、首を傾げてラッティに言う。
「ドウシタ?」
「……いや、ちょっと驚いた。まさか竜人にそんな優しい顔ができるなんてね」
「ヤサシイ?」
それは一体どういう意味だ、とグニドは尋ねた。
すると何故かラッティは吹き出し、何でもない、と答えて笑い出す。
「よし、それじゃあ契約成立だ。アンタは今日からウチのキャラバンの用心棒。で、そっちのルルちゃんは……まあ、ウチのマスコットってところかな。アタシはその対価として、アンタたちを獣人隊商の仲間として受け入れる。みんな、異存はないね?」
そう言ってラッティが振り向けば、驚いたことにまずポリーが頷いた。
その足元でヨヘンが「賛成!」と跳び上がり、次いでヴォルクが「いいんじゃない?」とゆったりした態度で言う。
そんな三人の反応を見たラッティは満足げに頷き、それから改めてグニドを見上げた。
「そういうワケで、よろしく、グニド。アンタがいれば、ウチのキャラバンは百人力だ」
「ヒャクニンリキ……?」
またしてもラッティはグニドの知らない言葉を使う。けれどもそれ以上にグニドが気になったのは、彼女が突然差し出してきた右手だった。
彼女はそれをグニドの腹のあたりに突き出して、まるで何かを求めるようにこちらを見ている。……まさか金か? それならさっきグニドの懐からごっそり持っていったばかりではないか。
「金ナラ、モウナイ」
「アハハッ、違うよ。これは握手」
「アクシュ?」
「人間式の挨拶ってとこ。お互いの手と手を結んで、〝よろしく〟って友情を確かめ合うのサ」
「ユウジョウ……」
「こう見えてアタシたちもそれぞれ事情を抱えてるからね。群からはぐれたのはアンタだけじゃない。でも、だからこそアタシたちは一つの群。アンタは今日からその群の仲間だ。だから、〝よろしく〟の挨拶」
そう言ってラッティはニカリと笑った。やはり屈託のない笑顔だった。
その白い歯が照り返す光の眩しさに目を細めつつ、グニドもひとまず自らの手を差し出してみる。
するとラッティは迷いもなく、その手をぎゅっと右手で握った。
──これが〝アクシュ〟か。
人間どもはまったく妙な挨拶をするものだ。
けれどもそれを見て首を傾げたグニドを余所に、ラッティは嬉しそうに笑っている。
「よーし、そうと決まれば今夜は宴だ! ヴォルク、酒買ってきて!」
「……ここで買うの? 高いよ」
「いーからいーから。金ならさっきグニドからもらった砂金がたんまりあるでしょ。アレあげるから、適当に買ってきてよ」
「ダメになった商品の買い直しは?」
「そんなのどーせ大した量じゃないし」
「ラッティ。俺たち、何のために列侯国に行くんだっけ?」
「そりゃ、義勇軍に恩を売りに行くのよ」
「うん。だから武器と食糧を運んでるんだよね?」
「そうだけど?」
「……。あのさ、」
「あーあー、無駄だぜ、ヴォルク。ラッティが一度〝酒!〟って言い出したら聞かないことくらい、おめえさんだって分かってるだろ?」
「そうヨ、ヴォルク。それに新人を迎えたら必ずお祝いするのがウチのしきたりだもの。今回だけ例外ってわけにはいかないワ」
「ニヒヒ、そういうこと。ってわけでヴォルク君、よろしくー!」
ラッティが上機嫌に手を振れば、ヴォルクは深々とため息をついた。その落胆したような横顔を見て、何か揉めているらしい、とグニドは思ったが、それにしてはポリーもヨヘンも愉快そうに笑っている。
……まったくよく分からない連中だ。共に行くとは言ったものの、果たして彼らと本当に分かり合うことができるのだろうか?
グニドは四人を眺めて佇んだまま、ぼんやりとそんな不安を覚える。
けれどもそのとき、グニドの肩に座ったルルが、
『ねえ、グニド』
『ん?』
『なんだかたのしくなりそうだね!』
そう言って笑うルルの顔を見ていたら、グニドも何だか気が楽になった。
そうだ。少なくとも彼らと共に行くことは、ルルと二人、何も分からないままこの街で途方に暮れるよりずっといい。
これもきっと精霊の導きだろう。グニドはそう信じることにして、そうだな、とルルに頷き返した。
向こうでラッティが呼んでいる。
グニドはルルを乗せたまま、新たな仲間のもとへと一歩、踏み出した。