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第十六話 砂漠の街

 ほの暗い夜光石の明かりに慣れた目に、太陽の陽射しは眩しかった。

 高く伸びた岩の階段の先を見上げ、グニドは急速に瞳孔を収縮させる。それまで暗闇を見渡すために開かれていた瞳孔は、まるでそれそのものが一匹の生き物であるかのように、すうっと縦に長く閉じた。


 頭上から吹き込んでくる乾いた風に鼻先を突っ込み、ふん、ふん、ふん、と匂いを嗅ぐ。どうやらあたりに他の竜人ドラゴニアンはいないようだ。

 グニドは念入りにそれを確かめたあと、ついにのしのしと目の前の階段を上り始めた。その階段は大地の肚レドヌ・ダオルへ続く洞窟の岩を利用して、地上に暮らす人間ナムたちが荒々しく削り出したものだ。


『ルル、起きろ。シェイタンに着いたぞ』


 砂漠のオアシスを出発してから四日。グニドは大きな体を上下に揺らして、背中で眠っているルルを起こした。

 四日ぶりに浴びる陽射しが熱い。やはり地下と地上では別世界だ。その乾いた暑さがルルの頬を叩いたのだろう、やがて背中から小さくぐずる声がする。


『んん……グニド、もうついた?』

『ああ、着いたぞ。見てみろ。あれがシャムシール砂王国唯一の集落まち、シェイタンだ』


 そう言ってグニドは体ごと街を振り返る。途端にルルが首を伸ばし、驚いて息を飲むのが分かった。


 鋭く、高く、大地から突き出し天を貫く岩の塔。

 その塔の中腹に築かれた赤褐色の王の城。

 そしてその城の麓には、どこまでも連なる人間たちの巣。

 見渡す限りの巣、巣、巣――。


『ふわあー!』


 よく晴れた空に、伸び上がったルルの歓声がこだました。

 現在グニドたちがいるのは〝旧市街〟と呼ばれる街の西側で、実際に人間たちの暮らしている街並みはまだ遠い。けれどもルルは早くもその景観に圧倒されたらしく、グニドがオアシスの木を斬り倒して作った背負い椅子の上でゆさゆさと落ち着きなく揺れている。


『グニド、グニド! あれなに!? すっごく高いよ! 大きいよ!』

『あれは人間たちが〝シロ〟と呼んでいるものだ。何でも砂王国を束ねる長があそこに住んでいるらしい』

『へぇー! じゃああれは!? あのいっぱいある四角いの!』

『あれは人間たちの暮らす巣だ。確か〝イエ〟とかいったかな。やつらは巣穴を掘る代わりに四角い石を積み上げて、ああいう巣を作ってるんだ。このあたりにも昔似たような家がたくさんあったらしいが、ほとんどが砂に埋もれてしまった』


 言って、グニドは足元へと視線を落とす。そこには砂の中から突き出した黄土色の煉瓦の先端があった。

 恐らく崩れた壁の一端が地中から覗いているのだろう。このあたりで人間たちの家らしい形を留めているのは、もはやたった今グニドたちが出てきた大地の肚の出口だけだ。

 出口の上には煉瓦造りの壁と覆いが設けられ、それはさながら黄土色の大きな箱のようだった。

 あとはただひたすら砂に埋もれた残骸が新市街まで続いている。どうもこのあたりは新市街よりも土地が低かったようで、何度も砂嵐に呑まれているうちに人が住めなくなってしまったらしい。


『あそこに行けば、お前の仲間が……人間がいっぱいいる。ただし覚悟しておけ。あそこは臭いぞ』

『くさい? どうして?』

『砂王国の人間どもは糞も小便もそこら辺に垂れ流すし、体も滅多に洗わない。おまけに腐った肉がよく道端に放置してある。やつらは死んだ仲間を弔わないからだ』

『ええっ……ルル、きたないのはやだよ』

『おれだって嫌さ。でも、他に行くあてがない』


 人間たちは往々にして竜人を畏怖するが、砂王国人だけは別だ。彼らと竜人とは古くからの同盟関係にあり、だから竜人も砂王国人だけは襲わない。

 まあそれは、筋肉だらけで骨張った砂王国の傭兵たちなど喰う気にもならない、というのが本音ではあるのだが――とにかくそうした理由から、砂王国人も竜人を恐れない。ゆえに死の谷モソブ・クコルを追われたグニドが身を寄せるとしたら、ここ以外には考えられないのだ。


(何よりおれは、砂漠の外の世界をほとんど知らない)


 と、渋るルルを背に乗せて歩き出しながらグニドは思う。

 ラムルバハル砂漠で生まれて十七年。その十七年の間、グニドが砂漠の外へ出た経験はほとんど無きに等しかった。

 唯一砂漠を出た経験と言えば、西のルエダ・デラ・ラソ列侯国や東のトラモント黄皇国に攻め込んだときくらいだろうか。砂王国を東西から挟み込む二つの国は国境沿いに長大な防壁を築いていて、その壁の向こうにはこの乾ききった砂漠からは考えられないほど緑豊かな土地が広がっていた。


 長年砂漠に閉じ込められているシャムシール砂王国は、その豊かな大地を求めて度々両国の国境を侵犯している。グニドが何度か防壁を越えたのもそのときだ。

 だが砂王国はいつも最後は勝ち切れず、いいところで砂漠へ押し戻される。だからグニドは防壁の向こうの世界をあまり知らず、あの草の海の先には一体何が待っているのだろうと、長年想像を巡らせることしかできなかった。


 しかしそこから先へ行ってみたいかと問われれば、グニドは「うん」と即答できない。砂漠の外の世界になど興味はない、と言えばそれは嘘だが、自分がここを出ては生きていけないことは身に染みて理解しているからだ。


 何故ならあの防壁の向こう側は、完全なる人間たちの世界。そこに彼らの天敵である竜人の居場所はない。

 グニドは過去に一度だけ、ルルのための食糧を求めてトラモント黄皇国の集落を訪ねてみたことがあるが、そこに住まう人間たちはグニドの言葉になど耳も貸さず、こちらの姿を見ただけで蜘蛛の子を散らしたように逃げ去った。


 あのときは幸いそれだけで済んだから良かったものの、もしあの集落に神刻エンブレム使いの一人でもいたらどうなっていたことか。

 人間は確かに臆病で脆弱な生き物だが、彼らとて牙を持っていないわけではないのだ。身の危険を感じれば死に物狂いで自己防衛に走るだろうし、そうなればいかなグニドと言えど無傷で済むとは思えない。何しろ今のグニドには、いざというとき背中を守ってくれる仲間はいないのだから。


『……』


 カプからはぐれた竜人に残された選択肢はそう多くない。このときグニドは改めてその事実を噛み締めた。

 だが、だからと言って今更群には戻れないのだ。それならさっさと腹を括って、この街でルルと二人、何とか生きていく方法を探さねばならない。


砂の中にも三年ドゥナス・ニ・イャトス砂の中にも三年ドゥナス・ニ・イャトス……』

『グニド、それなに?』

長老様レドルの教えだ』

『どういう意味?』

『どんなバカでも三年砂に潜り続ければ、自然と狩りのコツを覚える。つまり頑張る者は報われる、という意味だ』

『ふーん。どぅなす・に・やとす』

『違う。〝ドゥナス・ニ・イャトス〟だ』

『どぅなす・に・やとす!』

『〝ヤトス〟じゃない。〝イャトス〟』

『やとす!』

『〝イャトス〟』

『いぁとす!』

『〝イャトス〟』


 そんな他愛もない会話を繰り広げながら、グニドたちはいよいよシェイタンの新市街へと踏み込んだ。

 旧市街から伸びる細い路地を抜け、城の正面を貫く大通りに出る。――相変わらずひどい臭いだ。久しぶりに訪れた街の様子を懐かしむより先に、グニドは眉間を寄せてぶるりと身震いする。


 そこはこの街で最も人間が集まる場所。街を東西に二分する目抜き通りには建物以外にも簡素な天幕がどこまでも連なり、多くの人間たちは強い陽射しを避けてその天幕の下にいた。

 彼らは大路の横道からぬっと現れたグニドを見ると、さすがに驚いたような顔をしている。だがそれだけだ。砂漠の外に住む人間たちのように、悲鳴を上げて走り出したりはしない。


「おい、見ろ。トカゲ野郎が人間にんげんのガキを背負しょってるぞ」


 その中の一人がこちらを見て何か言っているが、グニドはそちらへちょっと顔を向けただけですぐに無視した。傭兵たちの言葉は汚くて聞き取りにくいのだ。話しかけられたわけでないのなら相手にしない方がいい。


 目の前の通りを行き交う人間は、どちらを向いてもオス、オス、オス。この街にはメスの人間がほとんどいないことを、グニドは経験から知っていた。

 〝傭兵〟というのはすなわち人間の戦士のことだが、彼らの間では〝戦をするのはオスの仕事〟という暗黙の了解があるそうで、メスの戦士というのはとても稀なのだ。だからこの街には自然とオスの人間ばかりが集まってくる。それも見るからにまずそうな、筋骨隆々で汗と糞尿臭いオスばかり。


『ふわあ……ウロコのない人、たくさん』

『ああ、そうだ。あれがお前の仲間だ、ルル』

『あれがナム? でも、ルルよりすごく大きいよ?』

『まあ、あいつらはみんなオスだからな。それに年頃で言えば脱皮も終わってる』

『ここには、だっぴしてないナムもいるの?』

『あー、そう言えば子供の人間はあまり見ないな。たぶん、ここにはメスが少ないから繁殖できないんだろう』

『はんしょくって?』

『子供を増やすことだよ』

『こどもは、メスがいないと増えない?』

『ああ、増えない。それは人間も竜人も同じだ』

『へえ。見た目はぜんぜんちがうのに、ふしぎだね』

『そうだな、不思議だな』

「おい、すげえぞ。あのガキ、トカゲと会話してやがる」


 やはり天幕の下の人間たちが何か言っている。しかしグニドはその視線を煩わしく感じ、こちらへ興味津々といった様子の人間たちを一睨みして、すぐにその場から歩き出した。


 大路を北へ向かう人波に乗り、まずはルルのための食糧がありそうな場所を探す。背中の荷袋にはスエンが用意してくれた砂金があるから、それを見せれば人間たちも取引に応じてくれるはずだ。

 グニドがそんな計算をしている間にも、ルルはグニドお手製の背負い椅子から身を乗り出して、「あっ!」とか「ふわあー!」とか言いながら落ち着きなくあたりを見渡していた。

 いつもならあれは何、これは何、と質問責めにしてくるところだが、ここはあまりにも見知らぬものが多すぎて尋ねる暇もないようだ。


 グニドはそれを有り難く思った。ルルがあれは何だと尋ねてくればもちろんそれに答えてやる用意はあるのだが、何分竜人は鼻が利きすぎる。

 ゆえに通りに充満する人間たちの汗の臭い、酒の臭い、糞尿の臭い、屍肉の臭いなどなど、とにかく通りに満ちる何層もの悪臭がグニドからその気力を奪っていた。中には新鮮な血の匂いも混じっているが、それをまったくうまそうだと感じないあたりにこの街の異様さが滲み出ている。


 グニドは今にも鼻孔を閉じたい衝動をこらえ、黙々と通りを歩き続けた。これほどひどい臭いの中では嗅ぎ分けられない可能性も高いが、仮にもしグニド以外の竜人が現れた場合、それを真っ先に察知するには嗅覚を開いておくしかない。


「おい、竜人。どうしたんだよ、その背中のガキは」


 ところがしばらくそうして通りを歩いていると、珍しく声をかけてきた人間がいた。ちょうど通りの両脇に続いていた天幕がほんのわずかに途切れたところだ。

 グニドはそれが自分にかけられた言葉だと気づいて足を止め、声のした方を振り向いた。そこにはボロボロの建物の壁に背を預け、酒瓶を手にたむろした三人ほどの人間がいる。もちろんオスだ。


 見るからに筋肉質で、食べるところなど内臓くらいしかなさそうな大柄の三人組だった。腰には各々得物を提げているところを見ると、こいつらも例に漏れずカネに目の眩んだ傭兵どもに違いない。

 だがそれはかえって好都合だ、とグニドは思った。傭兵なら砂金を渡せば話が通じる。それに酒瓶を持っているとは言え、この昼間から天幕の下でべろんべろんに酔っている連中よりはずっとまともそうだ。身なりもそこそこ綺麗だし、何よりそれほど臭くない。


「訊キタイコト、アル」


 ようやくまともに話せそうな相手を見つけたグニドは、体ごと向き直って傭兵たちに声をかけた。

 途端に三人が驚いたような顔をする。まさか言葉が通じるとは思っていなかったのだろう。

 砂王国人は竜人を恐れこそしないが、言葉が通じないことを分かっているので滅多なことでは呼び止めたりしないのだ。

 だがグニドが自分たちの言葉を理解していると知った三人は、それまでのニヤニヤ顔を引っ込めて互いに顔を見合わせている。


「おめえ、俺たちの言葉が分かるのか」

「ウム。ニンゲンノ、コトバ、少シ、話セル」

「こいつぁ驚いた。だが竜人の中でも人間の言葉を話せるのは、やつらの長の側近だけだと聞いたぜ」

「オレ、ドラウグ族ノ、戦士。ニンゲンノ、コトバ、長ニ教ワッタ」

「へえ。ってことはおめえ、竜人のエリートかい。そんなやつが人間のガキなんか背負って、こんなところで何してる?」


 やはり傭兵たちの言葉は少し汚く、グニドはすべてを聞き取るのに難儀した。

 だが前後の文脈から、何となく何を言っているのかは分かる。〝ガキ〟というのはたぶんルルのことだろう。その言葉を使うとき、傭兵たちはちらりとグニドの背中に目を向けたから、たぶん間違いない。


「コイツ、ルル。オレ、ルルノ食イモノ、欲シイ」

「ルル? それがそのガキの名前か」

「ソウダ。ココ、ルルノ食イモノ、アルカ?」

「まあ、ねえことはねえが。しかし何で竜人が人間のガキの世話をしてんだ?」

「ルル、オレ、育テタ。ダカラ、食イモノ、食ワセル」


 傭兵たちが、またしても顔を見合わせた。その顔は改めて驚きに彩られている。

 まさか竜人が人間の子供を育てているとは夢にも思わなかったのだろう。

 だがそのとき、背中の椅子から身を乗り出したルルが、グニドの首に抱きつくようにして囁いてくる。


『グニド、なにはなしてるの? ルル、ぜんぜんわかんない!』

『大丈夫だ、お前は大人しくしてろ。今、こいつらにメシの食える場所を訊いてるんだ』

『でも、ルルのしってることばとちがうよ!』

『当たり前だろ。人間には人間の言葉があるんだ。お前が今話してるのはおれたち竜人の言葉。竜語で話しかけてもこいつらには通じない』

『そうなの? そうなの? だったらルルもナムのことば、しりたい!』

『分かったから、今は大人しくしてろ。その話はあとだ』


 グニドがそう言って背中の椅子に戻そうとすると、ルルは「む~!」と不満そうな声を上げた。

 どうやらグニドが人間たちと会話しているのが羨ましいらしい。が、ときにそんな二人のやりとりを見た傭兵たちが、何故か突然笑い出す。


「ぶははははっ! こいつぁすげえ! このガキ、本当にトカゲの言葉を喋ってやがるぞ!」

「竜人が非常食背負って旅でもしてんのかと思ったら、どうやら違うらしいな。しかしまさか竜人に育てられたガキがいるとは……」

「しかもこのガキ、髪は伸び放題だが見てくれはそこそこだぞ。ある程度整えてどっかの娼館か見世物屋に出せば、えらい額で売れるかもしれねえ」

「おう、そいつは名案だな、オイ」


 グニドは思わず眉をひそめた。傭兵たちがいきなりグニドの知らない言葉で話し始めたからだ。

 いや、それは確かに人間の言葉ではあるのだが、〝ショウカン〟とか〝ミセモノヤ〟とか、グニドには分からない言葉が複数含まれている。

 おまけに何か、傭兵たちのまとう空気が不穏なものに変わったことを、グニドは長年の勘で察した。

 傭兵たちはグニドに声をかけてきたときと同じやにさがった顔になると、瞳をギラギラさせながら腰の得物へ手をかける。


「なあ、竜人さんよ。あんた、この街には一人で来たのかい」

「ソウダ」

「へーえ、そうか。それじゃあ色々と勝手が分からなくてお困りだろうな」

「それならよ、そのガキを一旦こっちに預けてくれりゃあ、俺たちが代わりに世話してやるぜ。メシの世話から下の世話までなァ」


 それまでグニドの首の上に乗っていたルルが、鱗を滑り下りてすとんと椅子に収まった。

 しかしその手は未だグニドの体を抱き、微かな震えを伝えてくる。どうやらルルも傭兵たちの様子がおかしいことに気がついたようだ。


「オ前タチノ、コトバ、キタナイ。モット、分カルコトバ、話セ」

「だから、そのガキをここに置いてけって言ってるんだよ。そうすりゃ代わりに俺たちが面倒を見てやるから」

「メンドウ、見ル?」

「そうだ。面倒を見るってのは、つまり、その……お前の代わりに俺たちがそいつを育ててやるってことだ」

「オ前タチ、ルル、育テル?」

「そうそう、育てる育てる! だからそいつをここに置いていけって。な?」

「――断ル」


 ようやく傭兵たちが何を言っているのか理解して、グニドは即答した。こちらはルルのための食糧が手に入る場所を尋ねているだけなのに、何故このオスたちにルルを預けていかねばならないのか、まったく意味不明だったからだ。

 だがグニドのその返答を聞いた途端、傭兵たちの顔色が変わった。

 彼らは口元に浮かべた細い笑みを更に歪めると、にわかに得物を抜き放つ。


「ああ、そうかい。そいつは残念だ。それじゃあお前をここで倒して、力づくでガキをいただいていくことにするよ」


 異変に気づいた天幕の下のゴロツキどもが、わっと色めき立つのが分かった。

 シャムシール砂王国の傭兵たちは、とにかく喧嘩が好きだ。街では四六時中気の短いオスどもが殴り合いの喧嘩をしていて、時には得物まで振り回し、どちらかの気が済むまで殺し合いをする。

 よく道端に切り刻まれた人間の死体が落ちているのはそのせいだ。彼らはちょっとした諍いで、いとも容易く同族を殺す。

 それがグニドには理解できない砂王国人の習性の一つだった。

 この国には一切の秩序がなく、掟もなく、誇りも帰属意識もない。


「オ前タチ、何故、武器ヲ抜ク?」

「お前がそのガキを渡さねえって言うからだよ」

「ルル、育テルハ、オレ。オ前タチ、関係ナイ。何故、戦ウカ?」

「あーあー、そういう御託はいい。とにかく俺たちはその嬢ちゃんが欲しいんだ。欲しいものは力で奪い取る――それがこの国の流儀ってもんよ!」


 瞬間、グニドの真正面にいたオスが、突然こちらへ向けて手をかざした。その手の甲で何かが光り、グニドの視界を土色に染める。


『――グニド! うしろによけて!』


 背中でルルが叫んだ。その声に体が反応し、とっさに背後へ跳んだ刹那、それまでグニドがいた地面から鋭く尖った岩が勢いよく突き出してくる。


 ――地刻グラウンド・エンブレム。大地の精霊を操る神刻だった。

 まさかこの傭兵たちが神術使いだったとは。間一髪のところで大地の牙を逃れたグニドは、瞬時に大竜刀を抜き、友好的ではなくなった人間どもを睨み据える。


『ルル、掴まってろ!』


 グニドがそう叫んだときには、左右から挟み込むように二人の傭兵が走り込んできていた。

 その手には曲刀シャムシール。この国の国旗にも記されている、三日月のような形の剣だ。

 その大きさはグニドが握る肉厚の大竜刀とは比ぶべくもなかったが、それでも怯まず突っ込んできたところを見ると、よほど膂力に自信があると見えた。

 ならば受けて立つ、と言わんばかりに、グニドは腹の底から咆吼する。神術使いが紛れているのは厄介だが、相手はたったの三人だ。それも人間の中では大柄な方とは言え、どいつもこいつもグニドと並べばその肩ほどまでしか身長がない。そんな矮小わいしょうな生き物を恐れる理由がどこにあるのか。


『ジャアアアアッ!』


 グニドは牙を剥いて吼えるや否や、右から来た傭兵を大竜刀で薙ぎ払った。相手はすんでのところでそれを避け、その隙に背後からもう一人が迫ってくる。

 だがグニドは容易に接近を許さなかった。体は前を向いたまま、長い尾を使って地面を払い、盛大に砂をぶちまけた。

 目潰しを喰らった一人が怯み、もう一人もグニドから距離を取る。そのとき、またしても土色の光が走った。神術だ。


『グニド、下からくる!』


 再びルルの声。グニドは素早く背後へ跳んだ。瞬間、直前までグニドのいた地面が炸裂し、まるで巨大な水飛沫のように砂が宙へ舞い上がる。

 その砂を頭から被り、ルルが悲鳴を上げていた。グニドは透明の瞼があるので大丈夫だ。視界は失わず、更に優れた嗅覚、聴覚を全開にして敵を追う。


『ジャアッ!』


 通りを覆った砂埃。その中で見えた一瞬の隙を、グニドは決して見逃さなかった。

 すべての砂が落ちきる前に、首を低くして突撃する。その砂の向こうには隙を晒した傭兵がいた。

 その懐へ飛び込み、得意の体当たりを喰らわせる。腹の方まで引きつけた長い首を思い切り振り抜き、頭突きをかます要領で相手を吹き飛ばす技だ。

 案の定、意表を衝かれた傭兵はグニドの巨体に激突され、小石のように吹き飛んだ。そのまま向こうの天幕まで突っ込み、そこにいた酔っ払いや粗末な木の椅子、机などを巻き込んで、盛大に転がっていく。


 硬い頭蓋を、更に鎧のような鱗で覆われた竜人の頭部はそれだけで凶器だった。体当たりを受けたのが同じ竜人ならいざ知らず、全身をやわらかい皮膚で覆われただけの人間ならばひとたまりもないに違いない。

 その証拠に体当たりを決めたグニドの頭部には、相手の骨を砕いた感触があった。人間が体の構造からして脆弱な生き物であることは分かっていたが、それにしてもこんなに脆かったか、とグニドは頭を撫でる。


 だがそのとき、突然背後で悲鳴が上がった。ルルの声だ。

 と同時にグニドの背中に激痛が走る。いつの間にかグニドの背後に走り寄った傭兵がルルを引きずり下ろそうとし、それを嫌がったルルがグニドの背中を走るたてがみにしがみついたのだ。


「おいっ、ガキ! 大人しくこっちに来やがれ!」

『いやっ! やだ、やだ! グニド!!』


 ルルを引っ張る傭兵も、鬣にしがみつくルルも、どちらもとにかく必死だった。おかげでグニドは鬣がごっそり抜けそうな激痛を味わい、思わず反撃も忘れて悲鳴を上げる。


 ところがそのとき、またも視界の端で閃光が走った。

 まずい。神術が来る。

 しかしこの状態では――


「――ガアアッ!!」


 そのときだった。

 俄然あたりに咆吼が響き、背後の傭兵が悲鳴を上げた。

 何事かと振り向けば、そこにはグニドも予想だにしていなかった光景がある。


 それは四つ足の――黒い獣。

 毛むくじゃらの尾にしなやかな体。そして竜人にも負けない鋭い牙を持つ獣がルルを攫おうとしていた傭兵に飛びかかり、その肩に喰らいついたのだ。


「ぐあああああっ!」


 激痛に身悶えた傭兵の手がルルを離れ、グニドは体の自由を取り戻した。

 瞬間、今だとばかりに身を翻し、傭兵の首に喰らいつく。その強靭な顎が傭兵の肉を捕らえ、骨を砕き、体重一六〇ペリー(八〇キロ)はあろうかという傭兵の体を軽々と持ち上げた。

 直後、傭兵の肩に喰らいついていた獣が跳ぶように離れたのを認め、グニドは思い切り体を回す。首が長いことを活かして極限まで勢いをつけ、そのまま傭兵の体を放り投げた。

 宙を飛んだ傭兵は狙い違わず、あの神術使いへと激突する。

 仲間の死体に押し潰された神術使いは悲鳴を上げて倒れ込んだ。おかげでどうやら神術も最後は不発に終わったらしい。


『ルル、大丈夫か?』


 最後の一人が死体の下で伸びているのを一瞥し、グニドはルルに安否を尋ねた。

 ルルはよほど怖い思いをしたのか、その問いに答えない。ただグニドの背中にひしと抱きつき、震えながらこくこくと頷いた。

 それにしてもあたりはひどい騒ぎだ。竜人と傭兵たちの戦いに熱狂した他の傭兵たちが、次は自分がと言わんばかりの形相で囂々ごうごうと騒ぎ立てている。


(これはまずいな)


 と、グニドは思った。この数の人間に一斉に襲われたら、いかなグニドと言えど太刀打ちできない。

 一度どこかに身を隠さなくては。とっさにそう思ったとき、グニドの視界を黒い影が横切った。

 先程唐突に現れて、窮地を救ってくれたあの獣だ。


『おい』


 と、グニドは思わず獣を呼び止めた。さすがのグニドも獣とは意志疎通できないが、せめて礼くらい言っておこうと思ったのだ。

 獣はその声に気づいて立ち止まり、炯々けいけいと光る目でグニドを振り向いた。

 そして、言う。


「来い」


 グニドは驚いた。獣が突然喋ったからだ。

 それは人の言葉だったが、人語を話す獣がいるなんて聞いたことがない。

 さては何かの聞き間違いか、と立ち尽くしていると、


「ボサッとするな。ワケありなんだろ?」


 ――やはり喋った。

 グニドは信じられない思いで獣を凝視した。

 しかしグニドがそうして固まっている間にも、獣はふいっと前を向いて足早に歩き出してしまう。その姿は黄土色の建物と建物の間を縫って、細い横道に消えてしまった。


『グニド。黒いの、行っちゃうよ』

『あ、ああ……』

『追いかけないの?』


 通りの狂騒は更に膨れ上がっている。何故か天幕の下で人間同士が殴り合いの喧嘩を始めたのだ。

 グニドにはわけが分からないことだらけだった。

 だが恐らくあの獣は自分たちの味方だ、ということは分かる。


『ルル、掴まってろよ』

『うん』


 次から次へ人を巻き込み、乱戦の様相を呈し始めた通りを抜けて、グニドはするりと獣が消えた横道へ滑り込んだ。

 すると驚いたことに、その道の先で黒い獣がこちらを向き、前脚を揃えて座り込んでいる。

 ――待っていてくれたのか。

 グニドがそう思うと同時に、獣はゆっくりと立ち上がった。

 それからまた身を翻して走り出す。

 グニドはその背中を追った。通りの騒ぎは次第に遠のき、やがて風の音に紛れて聞こえなくなった。


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