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第十二話 戦士二人

『あ~っ! スエンだ~!』


 と、その瞬間、場違いな声を上げたのはルルだった。

 先程まで疲れ切って衰弱していたのが嘘のような歓声。恐らく数日ぶりにスエンと対面できたことがよほど嬉しかったのだろう。彼女はそのまま跳ねるような足取りでスエンに駆け寄ろうとする。


 だがグニドは、悪友との再会をルルほど無邪気には喜べなかった。

 だからすかさずルルの腕を掴み、そのままぐいと引き戻す。


 今にもスエンに飛びつこうとしていたルルは、その力に抗えずたたらを踏んで戻ってきた。そうしてびっくりしたようにグニドを見上げてくる。

 しかしグニドは、そのルルをちらとも見なかった。

 ただ無言で彼女を自分の後ろへ押しやって、一歩前へ出ただけだ。


『グニド?』


 不思議そうに尋ねてきたルルの声も、無視した。

 何故なら今はルルに構っている場合ではないと判断したからだ。

 まだ幼く、これまで鉄の檻に守られて育ってきたルルには分からないのだろう。

 抜き身の大竜刀を引っ提げ、まるで彫像のようにこちらを見据えたスエンの全身からは、拭いようもない殺気が滲み出している。


『スエン。どうしてお前がここにいる?』

『分かりきったことを訊くんじゃねえよ、グニド。事の顛末はイドウォルから聞いた。うえは今じゃ大騒ぎだ。一族から同胞はらから殺しが出たってな』

『……』

『お前、そのチビ助のためにイドウォルの手下を斬ったんだって?』

『ああ、そうだ。やつらはルルを傷つけようとした。だから斬った』

『バカだなァ、お前。たかが人間ナムごときのために、てめえの竜生投げ出すなんてよ。いくら相手がイドウォルの手下だからって、殺しはまずいだろ、殺しは。これでお前はもう二度とネダには戻れねえぞ』

『百も承知だ。おれはもうカプには戻らない』

『――エヴィがイドウォルに捕まった』


 覚悟はしていたのに、息が止まった。

 両足から、大地を踏み締めている感覚が消える。しかしグニドはその足に力を込めて、何とかふらつきそうになるのをこらえた。

 尻尾の腹の部分がビリビリして、たまらず吼え声を上げたくなる。

 けれどグニドは、喉を低く鳴らしただけで耐えた。スエンはその唸りを〝話を続けろ〟という催促として受け取ったようだ。


『お前が大人しく巣に戻ってくりゃあ、あいつのことは無傷で解放するそうだ。その代わりお前は見せしめに処刑。もちろんそこのチビ助もな』

『……』

『エヴィはなァ、イドウォルの罠にハマったんだよ。あいつも案外バカでよぉ。メスは巣で大人しくしてろってイドウォルの言いつけを破って、ヤツが流したニセの情報に食いついたんだ。お前らをこっそり助けるためにな』

『……』

『で、それを知ったイダルが何とかしろってオレに泣きついてくるもんだからよ。仕方なくオレはイドウォルのとこに交渉に行ったわけよ。〝グニドのことはオレが何とかするから、エヴィのバカは解放してやってくれ〟ってな』

『……それで、イドウォルは何て?』

『――〝それなら、グニドナトスかお前のどちらかが死ねばその願いを叶えてやる。ジャララララ!〟……だとよ』


 そのとき、グニドの後ろに隠れたルルの肩がびくりと跳ねた。突然笑い出したスエンの物真似がイドウォルにそっくりだったので、先程の恐怖が甦ったのかもしれない。

 グニドは低く喉を鳴らし、わずかに首を下げた。

 それは竜人ドラゴニアンが威嚇や警戒をするときに見せる仕草だ。


『ま、そういうわけだ、グニド。あとは言わなくても分かるよなァ?』

『……。エヴィは何と言ってた?』

『〝イドウォルの言うことなんか無視してグニドと二人で逃げろ〟とさ。いっそのことそうするか?』

『そうしたいのか?』

『そう見えるかよ』


 口の端をニタリと吊り上げ、直後、スエンは再び大竜刀を地面へ叩きつけた。

 すさまじい音と共に大地が震え、砕けた岩の破片が飛び散る。その音にルルがまたびくついた。だがグニドには分かる。

 決闘の合図だ。


 瞬間、グニドも刀を抜いた。

 同じように地面を叩き割った。

 大地の精霊への誓い。

 それを足元に刻みつけ、互いに首を低くして腹の底から咆吼する。


『グニド、てめえにはここで死んでもらう。遺言があるなら聞いとくぜェ?』

『それはこっちの台詞だ。死んだあとになって〝あれを言い忘れた〟なんて化けて出られるのはご免だぞ』

『言ってろ。悪ィがオレは手ェ抜かねえぜ』

『望むところだ』

『ま……待って、待って、グニド!』


 向き合った二人の間に殺気が漲り、闇が恐怖に縮み上がった。夜光石の光がギラギラと騒ぎ出し、それがスエンの目に映り込んで狂気を孕んでいる。

 だがそのとき、突然背後からグニドを呼び止める声があった。

 ルルだ。彼女は幼い顔いっぱいに戸惑いを乗せ、グニドを引き止めるようにその背へしがみついている。


『な、なんで? なんでスエンとけんかするの? けんかはだめだよ! ふたりともやめて!』

『下がってろ、ルル。これはただの喧嘩じゃない。戦士と戦士の決闘だ。黙って見てろ』

『や、やだよ! だって、だって、グニドとスエンは友だちでしょ? なのに――!』

『――下がってろと言ったんだ。神聖な決闘の邪魔をするな!』


 刹那、牙を剥き出しにして吼えたグニドの剣幕に、ルルがびくりと震え上がった。

 彼女はその淡黄色の瞳に恐怖を滲ませると、あとは言葉を失ってじりじりとあとずさっていく。

 グニドはそれ以上、ルルに構うことをしなかった。


 知らなくていい。

 こうなったのは他ならぬ自分のせいだ。


 だからルルは、何も知らなくていい。

 傷つかなくていい。


 そう思ったグニドの心中を見抜いたのか、どうか。


『なァ、グニド。死ぬ前に一ついいことを教えてやるよ』

『何だ?』

『実はな、オレ、昔からお前のことが大嫌いだったんだ。狩りにしろ戦にしろ、何でもすました面でホイホイこなしやがるお前が目障りでよ。その積年の恨みをやっと晴らせる』

『……奇遇だな。実はおれもお前のことが嫌いだった。毎日飽きもせずへらへらしてるところも、酒が弱いくせにいつも吐くまで飲むところも――その趣味の悪い鬣型かみがたもだ!』


 吼えた。

 その残響を蹴散らすように、地を蹴って駆け出した。

 スエンも咆吼を上げながら迫ってくる。

 交差は一瞬。

 互いの大竜刀がぶつかり合い、火花が散り、鉄の悲鳴が大地の肚レドヌ・ダオルを震撼させる。


『ジャアッ!!』


 刃と刃が弾き合った反動。その勢いを利用して身を翻し、スエンが尾を振り抜いた。

 その尾はグニドの脚を払うような軌道を描いて飛んできたが、グニドはそれを後ろへ跳んで素早くかわす。

 そこからスエンが体勢を整える前に、踏み込んだ。

 限界まで首を下げ、渾身の力で突撃する。スエンの懐に入って体当たりをかまし、ぶつかると同時に首を大きく振り上げた。

 その衝撃で背後へ吹き飛ばされたスエンがたたらを踏む。だが並みの竜人ならそのまま背中からひっくり返るところを、スエンは尾を上手く使って踏み留まった。

 そこからの反撃。斜めに降ってきたスエンの大竜刀を、右手の籠手と強靭な筋力で受け止める。

 その寸前、刀は左手に持ち替えていた。

 グニドは右腕でスエンの刃を止めたまま、左手で斜めに切り上げる。


『おっと!』


 ギャリギャリギャリとすさまじい音がして、グニドの刀がスエンの胸当てを抉った。

 しかし、抉っただけだ。直前にスエンが半歩身を引いたのと、利き腕ではない左手で放った一撃だったために決定打にはならなかった。

 再びグニドから距離を取ったスエンはその胸当てに走った傷を見て、何がおかしいのか笑っている。

 その声はやがて地下中にぐわんぐわんと響き、あまりの喧しさにグニドは若干眉を寄せる。


『ジャヒャヒャヒャ! そうそう、これだよこれ! オレが待ってたのは!』

『何?』

『人間相手の戦なんかじゃ生温い。やつらの剣じゃオレたちの鎧に傷をつけるどころか、懐に飛び込んでくることさえできねえからな。正直、あんな連中といくらり合ったってつまらねえと思ってたんだよ!』

『スエン』

『この期に及んで手ェ抜いてんじゃねえぞ、グニド。ここを通りたきゃ、オレを殺す気で来いや!』


 狂喜に染まったスエンの声が、咆吼となって大地の肚を駆け抜けた。

 風のように吹きつけたその声が、グニドのたてがみの一本一本を震わせる。――スエンは本気だ。まるでそうグニドに教えるかのように。


 だが、グニドは内心舌打ちした。

 そんなことは言われなくても分かっている。

 スエンがここに現れた本当の理由も。

 目的も。

 グニドはこの抜け道で最初にスエンと目が合ったときから、分かっていた。


 そしてスエンも分かっている。

 グニドの望みを。

 グニドの揺らぎを。


 しかし、これは決闘だ。

 精霊に誓いを立てた神聖な決闘だ。 


 ならばもう、迷うことは許されない。



 兄弟ともの想いを、無駄にはしない。



『ジャアアアアアアアアアッ!!』


 腹の底から、吼えた。


 すべての記憶おもいを断ち切るように。

 あらゆる感情をぶちまけるように。


 スエンの望みと自分の望み。

 その双方を叶える方法は一つだけだ。

 そしてスエンもそれを知っている。

 グニドの覚悟を待っている。

 ならば、


『終わりだ、スエン!!』


 すさまじいグニドの怒号が、ビリビリと大地を震わせた。

 その震動の中にあってスエンは、笑っている。

 にはやはり狂喜をギラギラさせて、グニドに応えるように、吼えた。

 互いに踏み込む。

 グニドは下段から。

 スエンは上段から。


 衝撃。

 火花。

 一瞬の拮抗。


 その拮抗を破って、グニドの刀がスエンのそれを押し上げた。

 渾身の力で振り上げられた刃はやがて、スエンの刀を吹き飛ばす。

 跳び上がった大竜刀の勢いにつられ、スエンの両手が宙に浮く。


 最初で最後の隙。


 グニドはそこに、跳ね上げた刃を振り下ろした。


『――それでこそ、オレの相棒だぜ』


 刹那の静寂。

 最後に見えたスエンのは、やはり笑っていた。

 けれどそれもすぐに血飛沫の向こうに消えて、見えなくなる。


 鋼の砕ける音がした。

 まるで時の流れが変わったようにゆっくりと、グニドの大竜刀が鎧ごとスエンの体を斬り下ろした。


 グニドの視界が真っ赤に染まる。


 泣き叫ぶルルの声が、聞こえた気がした。


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