第一二五話 新年、明けて
真夏の空に向かって掲げられた金色の喇叭が、新年の到来を告げる音色を高らかに奏でた。白都アルビオンの通りという通りは人で埋め尽くされて、すさまじい熱狂が色とりどりの花びらや紙吹雪と共に降り注ぐ。
宗暦一八年、賢神の月、賢神の日。ついに新しい年が明けた。今日は人間たちの暦でいうところの『鳥来祭』。これから六日間続くという祝祭の一日目だ。
「ユニウスさまー!」
「ユニウス様、あけましておめでとうございます!」
「ユニウス様、万歳!」
「アビエス連合国、バンザーイ……!」
アルビオンの白い街並みをぐるりと巡るように敷かれた大通り──通称『アニュラス通り』は先刻からそんな歓呼の声で満ちていた。というのもアルビオンでは目下アビエス連合国軍による〝軍事パレード〟なるものが行われており、喇叭や太鼓の音に合わせて、行列を組んだ歩兵や騎兵、豪華に飾りつけられた四頭立て戦車、さらには低空飛行の飛空船までもが群衆の目の前を行進しているのだ。
その何と壮麗で賑やかなことか。行進が始まる前は、ラムルバハル砂漠にも引けを取らない気温にルルが参ってしまうのではないかと心配していたグニドも、いざパレードが始まると夏の暑さなどすっかり忘れて、あんぐりと見入ってしまった。
「ふわあ~っ! グニド、あそこ、あそこ! ユニウス、きたよ!」
そして行列の真ん中には、ヴェンが操る小型の飛空船に乗船したユニウスの姿もある。それをいち早く見つけたルルが、周りの群衆とまったく同じ歓声を上げた。
どうやらグニドに肩車され、人垣の中から頭ひとつ抜けたルルは真っ先にユニウスを発見することができたようだ。そこでグニドも長い首を伸ばしてみると、老若男女、種族も様々な人だかりの向こうに確かにユニウスの姿が見えた。
彼は純白に塗装され、きらびやかな金の覆いが設けられた飛空船の上から群衆に向かって手を振っている。今日はヴェンもユニウスも別人かと見違えるほどの着飾りようだ。ヴェンはいつもだらしなく着崩している衣服の襟を首もとまでしっかり閉めて、ほったらかしだった髭まで綺麗に剃っている。一方ユニウスも、ゆったりとした作りの白い衣の上にまばゆい金の宝飾をいくつも身につけ、もはや神々しささえ感じさせる姿となっていた。今の彼の様子を見て、つい三日前に胸を矢で射抜かれたばかりの男だと思う者はきっとひとりとしていないだろう。
「ムウ……ユニウス、大丈夫ソウ、ダナ」
「だね。しかしまあ、いくら神子サマとはいえ、あんな事件があった直後にパレードなんてよくやるよ。普通は安静第一って言われて数日寝込むだろうにサ」
「鳥来祭のパレードと宗主演説は、新年の最初を飾る恒例行事ですからね。ユニウス様のお顔をひと目見ようと、この日を楽しみにしている民も多いのですよ。特に今年は不穏な声明があったあとですからなおのこと、お姿を隠して民を失望させたり、不安にさせてはいけないとお考えなのでしょう」
と、なおも通りに降り注ぐ喝采と音楽の狭間でラッティにそう答えたのは、クワトの平たい頭に乗った白猫のエクターだった。彼がいつも一緒にいる愛騎の翼獣は現在、群衆の後ろで行儀よくお座りをしていて、左右にはさらに数人の猫人が控えている。そう、何を隠そう彼らは六聖日の間、ユニウスが獣人隊商の身辺を警固するために手配してくれた護衛の騎士だ。三日前、マグナ・パレスの庭園でアイテール教団の差し向けた刺客に襲われてからというもの、ユニウスはグニドらの身を過剰に案じ、こうして護衛をつけてくれたのだった。
ちなみに例の刺客については、あのあとマドレーンが〝口寄せ〟なる希術を使って素性を調べたそうだが、グニドを狙った理由までは分からなかったらしい。
マドレーンはその原因について「妨害が入った」とか「キナ臭い」とか気になることを言っていたものの、グニドらは詳しい話を聞き出すことができなかった。
というのも今日から六日間、彼女はアイテール教団のテロ予告に備えて、アルビオン全域に希術を張り巡らせなければならないというのだ。今はそちらの準備に集中する必要があるため、例の事件の話はまた後日と言われ、話し合いの場はそこで一時解散となった。そんなわけでグニドらはエクターたちに見守られながら、当初の予定どおりアルビオンの新年祭を見て回ることになったわけだ。
(ううむ……もしも教団の狙いがおれひとりなら、おれだけマグナ・パレスに残ることも考えたが、この状況でルルの傍を離れるのも不安だしな……何よりおれだけ留守番となると、護衛騎士も新年祭を見られなくなってしまうし……)
それでなくともせっかくの休暇をグニドのために返上してくれた騎士たちだ。彼らもきっと楽しみにしていただろう故郷の祭を自分のために諦めてもらうというのはさすがに気が引けて、グニドは結局、こうして街へ繰り出すことを決意した。
今のところあたりに不穏な気配はないし、初めて目にする谷の外の祭は実に新鮮で刺激的だ。竜暦でいうところの『洞籠りの日』──一年の最後の日のことだ──つまり昨日、マグナ・パレスの面々と煤まみれになりながら暖炉という暖炉、竈という竈を掃除した『竈神祭』というのも、物珍しくて愉快だったし。
「だ、だけどテロ予告があったあとだっていうのに、こんなにたくさんの人が街に残ってるなんて驚きネ。軍の避難船に乗った人も、当初の予想よりずっと少なかったっていうし……」
「ま、この二十年で国民がすっかり平和ボケしちまったからっていうのもあるけどさ。やっぱ世間の大半がユニウス様の掲げる平和主義を支持してるって事実の表れなんだと思うぜ。だってテロ予告にビビって逃げ出せば、そいつは〝暴力を振りかざせば他人を思いどおりにできる〟って思想を肯定することになっちまうだろ?」
「うむ。何より連合国の民は皆、建国の英雄たるユニウスさまご一行に全幅の信頼を寄せております。ゆえに何があってもあの方々が守ってくれるはずだという安心感もまた、留まった者が多い一因なのでしょうな」
「余所者に言わせれば、ちょっと楽観的すぎるような気もするけど……まあ、二十年近くも戦のない時代が続けば、ね」
と、目の前を悠然と通過していくパレードを眺めながら、ぼそりとそう零したのはヴォルクだった。確かにルエダ・デラ・ラソ列侯国の争乱や、無名諸島でのいざこざを目撃したあとだと、谷を出て間もないグニドでさえもアビエス人はこんなに無防備で大丈夫なのだろうかと思う。
何せ人間は私欲や保身のためならば平気で仲間を裏切ったり、陥れたりする生き物だ。彼らのそういう側面を、去年までの旅の間にグニドも嫌というほど見せつけられた。されど同時に彼らの中には、カルロスやヒーゼル、カヌヌ──そしてマナやユニウスのような、正しさを貫こうとする者たちもいる。
ユニウスが掲げ、アビエス人が信じる〝平和主義〟とは恐らく、そうした人間の善性を信じようという試みなのだろう。
「おーい、ヴェン、ユニウスー! こっちだよー!」
グニドがそんな物思いに耽っている間にも、徐々に近づいてくる白船に向かってルルがぶんぶん手を振っている。
これほどの人混みと喝采の中ではどれだけ声を張り上げようと届くまい、とグニドは内心苦笑したが、しかし群衆の中で並んで頭ふたつ飛び出しているグニドとクワトの姿は思いのほか目立つのか、なんとユニウスと目が合った。
そうしてこちらの姿を見つけるや、彼は嬉しそうに手を振ってくる。
次いで口の横に手を添えて、何事か叫んだように見えた。
「……? ラッティ、ユニウス、何ト言ッタカ?」
「うーん、アタシもほとんど聞き取れなかったけど、たぶんコレのことかな?」
と、頭上の狐耳をピンと立てたラッティが、ときに腰の物入れから取り出した謎の包みを高らかに掲げてみせる。
それを見たユニウスは安堵したように微笑んだあと、去り際に、
「楽しんで!」
と言い残したようだった。
「んぅ……? ラッティ、それなぁに?」
「フッフッフッ……コイツはなぁ、ルル。こないだアルンダから、鳥来祭のパレードが始まる前に買った方がいいと教えてもらった魔法の粉サ」
「まほうのこな……!?」
「うむ。ってわけでアンタにも分けて進ぜよう。ほら、手ェ出しな」
ラッティはニヤリと笑ってそう言うや、ルルに向かってちょいちょいと手招きならぬ指招きをした。目を丸くしたルルは不思議そうに、されど興味津々といった様子で言われたとおり手を差し出す。するとラッティは包みの口を開け、彼女の小さな掌にさらさらと何かの粉を注いだ。ルルが肩の上にいるせいでグニドにはよく見えないが何やら茶色く、思ったよりも目の粗い粉だ。
ルルは瞳をまんまるにしてそれを見つめるや、色んな角度からしげしげ眺め、最後には鼻を近づけてくんくんとにおいを嗅ぎ始めた。
が、途端にはっとしたような顔をするや、興奮気味にラッティを振り返る。
「ラッティ! これ、パンのにおい!」
「アハハッ、そりゃそうサ! だってそいつはパンくずだもの」
「ぱんくず?」
「ああ、見てな。もうすぐ合図の花火が鳴るから、そしたらその粉を天に向かって掲げるんだ。そうすりゃきっとイイコトがあるよ」
「うわっ、まずい! グニド、グニド! オイラを隠せぇ!」
「ジャ?」
わけ知り顔でにんまりしているラッティとは裏腹に、突如慌て始めた頭上のヨヘンは必死の形相でグニドの鬣を掻き分け、緋色の毛の下に潜り込んだ。
そうしてぶるぶる震えているらしいのが頭皮から伝わり、一体どうしたんだとグニドが首を傾げた矢先、眼前を通過するかに見えたパレードの行列から俄然「パァン!」と大きな音がする。ぎょっとして目をやれば、何かが燃えるようなにおいと共に、空に向かって白煙が昇っていくのが見えた。
すると連合国軍の衣装に身を包んだ数人の兵士が、行列にまぎれた馬車の荷台に手をかける。そこには大きな木の箱が積まれており、彼らはその箱の後ろについた扉をガチャリと開けた。次の瞬間、箱の中から一斉に飛び出した何かの群が、すさまじい勢いで天へと向かってゆく。あれは──鳥だ。鳥の群だ。
それも一匹残らず雲のように真っ白で、美しい冠羽を風に靡かせた、
「ルル、今だ!」
刹那、群衆からわあっと歓声が上がり、同時にラッティも叫んだ。
ルルは渡されたパンくずが乗った両手を、言われるがまま天へと差し向ける。同じように周囲の群衆もまた、空に向かって一斉に手を掲げるのをグニドは見た。
一拍ののち、天へと翔け上った鳥の群が、一匹の巨大な生き物のごとく青空の下を旋回し──直後、地上目がけて一散に降ってくる。
「わああああああっ!?」
悲鳴とも歓声ともつかない声があたりに弾けた。
にわかに襲いかかってきた鳥の群に、ルルも似たような声を上げている。
いや、違う。襲われているのではない。
パンくずだ。腹を空かせた鳥の群が、ルルの持つパンくずに群がっているのだ。
「ヒィィ! く、喰われる、喰われるぅぅぅ!」
と、何やら一緒にヨヘンの悲鳴も聞こえるが、なるほど、彼が慌てていたのはこのためかとグニドもようやく納得する。鳥の群は人々が掲げたエサを取り合うように、白い羽毛を撒き散らしながらあたりを飛び回っていた。
これだけの数の鳥の群となると当然、羽毛だけでなく糞も一緒に降ってくるわけだが、しかし群衆はまったく気に留める様子もなく歓声を上げ続けている。
何羽もの鳥に囲まれ、髪や服までつつき回されているルルも、くすぐったそうに身をよじらせて笑っているのを見る限り、楽しそうだ。
「あはっ、あはははっ! すごい! トリさんすごいよ、グニド!」
「まあ、よかったわネ、ルルちゃん! 鳥来祭で鳥がエサを食べにきてくれた人やおうちは、その年一年、幸せに過ごせると言われてるのヨ」
「アハハッ、ほら、よかったらグニドとクワトもやってみな! 群がどっかいっちまう前にサ!」
と言われて、グニドとクワトもラッティから魔法の粉を分けられたが、結論から言えばあっという間に食い尽くされた。どうやらパレードの行列は行く先々でああして鳥の群を街に放っているらしく、今やアルビオンの空は鳥だらけだ。
果たして街をこんな鳥まみれにして大丈夫なのかと、鬣までつつかれてボサボサになったグニドは茫然としながら尋ねたが、エクター曰く、あれは強い帰巣本能を持つ〝ハト〟という種の鳥らしい。
ゆえに祭が終われば三々五々、自然と巣であるマグナ・パレスに帰ってくるそうで、街全体が巨大な鳥の巣になってしまうような心配はないという。
「そもそも『鳥来祭』ってのは、世界の始まりに天樹エッツァードの種を撒いた神鳥ネスの飛来を祝う日でね。だからみんなこぞって鳥を呼ぶのサ。今日の屋台が鳥肉まみれなのも、ネスに見立てた鳥の肉を有り難く頂戴して聖なるものを取り込もうっていう、まあ一種の験担ぎみたいなもんだ」
「ム、ムウ……ナルホド。鳥来祭ハ、トリノ日、カ……」
「いやほんと、オイラたち鼠人族にとってはいい迷惑だっての……カエルムバトは雑食性が強くて、腹が減ってりゃネズミだって食うおっかねえ鳥なんだから」
「……確かに他の土地のハトと比べると、少し気性が荒いみたいだね。というか、グニドもクワトも糞まみれだけど大丈夫?」
「大丈夫……デハ、ナイナ……」
「はっはっはっ。鳥来祭に限っては、鳥の糞に当たるのも幸運の兆しと言われていますがね。さすがにその姿のまま演説会場に入るわけにもいきませんから、一度ケントルム広場へ向かいましょう。今日はあそこの大噴水で体を洗うことが許可されていますので」
「こんなこともあろうかと着替えも持ってきてあるから安心しな。アタシらはそこらの露店で適当な服を買えるけど、アンタとクワトが着れそうな服はさすがに売ってないだろうからね」
なるほど、祭を見に行くだけだというのに、ラッティがやたらと大きな鞄を提げていたのはそういうわけかと納得しながら、グニドたちは早速ケントルム広場なる場所へ移動した。そこにはエクターの言うとおり、マグナ・パレスの中庭にあるものより数倍大きな噴水があり、ザアザアと大雨のごとき水音を立てている。
その噴水から立ち上る水煙で涼むためか、はたまたグニドらと同じく糞まみれになった体を洗いに来たのか、ケントルム広場もアニュラス通りに引けを取らない賑わいぶりだった。さらにグニドが舌を巻いたのは、広場の外周を取り巻くように、碧都マリンガヌイのアンガ・バザールを思わせる露店が軒を連ねていたことだ。
初めて広場を訪れたグニドは一瞬、新年祭に合わせてマリンガヌイからバザールが移動してきたのかと驚いたほどだった。が、よくよく目を凝らしてみると、並んでいるのはほとんどが衣類を売る店だと分かる。
どうやら商人たちは今日、鳥の糞害にやられたアルビオン市民が広場に詰めかけることを知っていて、着替え用の衣服をたんまりと仕入れてきたようだ。
まったく商魂たくましいというか何というか。
獣人隊商と共に旅するようになって、最近ようやく〝商売〟とか〝経済〟とかいうものが分かり始めたグニドはただただうなる他なかった。
「ふわあ~! グニド、みて! ルルが海王国できせてもらったぺぺもある!」
「ああ、今日は連合国中の商人が自国の民族衣装を売り込もうと、こぞって集まるらしいからね。海王国の商人も来てるんじゃないかな」
「ルルちゃんの着替えは持ってこなかったから、体を拭いたら一緒に服を選びにいきましょうか。せっかくならもう持ってるぺぺじゃなくて、別の国のお洋服がいいかしらネ」
「うん!」
というわけで、順番待ちの列に並んで体を洗い終えたグニドたちは何軒かの露店を巡り、銘々の着替えを買い求めた。ケントルム広場にはこの日のために、体を拭いたり着替えたりするための幕舎がたくさん用意されていて、誰でも自由に、かつ無償で使っていいというのだからまったく至れり尽くせりだ。
かくしてグニドとクワトを除く面々は露店で買い揃えた衣装に着替え、いつもの装いとはまるで違った姿になった。
ラッティは背中の部分が大きく開いた鳥人族の衣装──鳥人族は背中に翼が生えているため、服がこういう形状になるらしい──を着て、普段は黒い服ばかり好んで着ているヴォルクも今日は鮮やかな青の衣を着ることにしたようだ。
さらにルルとポリーは大陸の東の果てにあるという、サトゥリーネ鉱王国なる国の衣装を選んだようだった。マリンガヌイのヤムアンガ神殿で神官たちが着ていた服に少し似た、大きな布を体に巻きつけるような造りの衣装だ。
ただ神官服と大きく違うのは、装飾が華美で色使いも派手だということ。
さらに日除けを兼ねた紗の覆い──浅い帽子に垂れ布がついた〝カルバル〟という名の被りものだそうだ──もついていて、ルルは淡い紫色の、ポリーは朱色の装いになった。金糸による縁取りや刺繍が施されたふたりの衣装は、ヒラヒラのキラキラでとても華やかだ。ついでにグニドの鬣に隠れて難を逃れたはずのヨヘンまでちゃっかり着替えているのは気になったが、まあ、こんな日くらいはとやかく言わずに、好きにさせてもいいだろう。
「んで、ユニウスさんの演説は国立劇場でやるんだっけか」
「ええ。伝声器が使われるので、会場の外でも演説を聞くことはできますが、今回はユニウスさまが皆さんの席をご用意したそうですから会場へ向かいましょう」
「ウム……? ヌンティウス、トハ、何ダ?」
「うーん、こいつはちと説明が難しいんだがざっくり言うと、遠く離れた場所の音を届けてくれる装置だ。劇場は収容できる人数に限りがあるから、今回は特別に伝声器を使って、会場に入れなかった人も演説を聞けるようになってるんだよ」
「そうそう。本当は事前の籤に当たった人しか会場には入れないのヨ。だけどこの炎天下と人混みじゃルルちゃんが具合を悪くするんじゃないかって、ユニウスさまが心配して席を取って下さったんですって。あとでお礼を言わなくちゃネ」
と、ヨヘンやポリーからこもごもに説明されても、グニドはやはりヌンティウスなるものが何なのか、いまいち理解できなかった。まあ、とはいえユニウスの演説が聞けるなら何でもいいかと、割り切ってルルを抱き上げる。かくして一行は、今度はケントルム広場から国立劇場なる場所を目指して移動した。
やがて見えてきたのは、白い街並みの真ん中にどんと鎮座する巨大な円形の建物だ。さすがにマグナ・パレスよりは小さいが、しかしかの宮殿にも負けず劣らずの壮麗な外観に、グニドはまたしてもあんぐりと口を開けて立ち尽くした。
何でもこの建物は、普段は客が金を払って音楽を聴いたり〝演劇〟とかいう見世物を見たりする場所らしい。中に入ると広大な空間にぎっしりと椅子が並べられていて、ここにもまた人間や獣人が大勢詰めかけていた。
けれどどうやら今回ユニウスがグニドらのために用意してくれたのは、あのぎゅうぎゅう詰めの椅子のどれかではないらしい。ゆえにエクターの案内に従って建物の二階へ向かうと、弓形に伸びる通路に男がひとり、扉に背を預けて立っていた。
「よう、お前ら。鳥来祭の洗礼はどうだった?」
こちらの姿を見つけるなり、そう言って手を挙げたのはヴェン・リベルタスだ。
彼の身なりはパレードで見かけたときのままで、しかも見慣れたモジャモジャの髭もなくなってしまったせいで、グニドは一瞬、彼が誰だか分からなかった。
「ヴェン。オマエ、ココデ、何シテル?」
「何してるたァご挨拶だな。ユニウスがお前らのために特等席を用意したっつーから、こうして待っててやったんじゃねえか。間違って他の貴賓席に乱入されちゃ困るからよ」
「キヒンセキ……?」
「既に白都入りしてる各国のお偉方のための席さ。そこにお前らも座らせてもらえるってんだから、感謝しろよ?」
髭のなくなった顎を摩りながらそう言うが早いか、ヴェンは体を起こして背後の扉に手をかけた。そうして開かれた扉の向こうには、床が宙空に向かって張り出した露台のようなものが見える。半円を描くその床の下に広がっているのは言うまでもない、あのぎゅうぎゅう詰めの椅子の広間だ。
「ふわあ~! たかい、たかーい!」
「うわっ、涼し! さすが貴賓席……椅子がふかふかなだけじゃなくて冷却具まで完備なのか。や~、外は灼熱だったから助かるな~」
「はは、だな。俺も炎天下でのパレードのあとでくたくたよ。正直、この暑苦しい軍服もさっさと脱いじまいてえんだが〝マグナ・パレスに戻るまで釦ひとつでも外したら呪う〟と、どこぞの狂魔女サマに脅されて参ってたんだよなぁ」
「そういえば……マドレーンさんは来ないんですか? 六聖日の間はマグナ・パレスから動けない、とは聞いてましたけど……」
「ああ。新年祭が無事に終わるまでは常時、マグニどもの動きを察知するための結界を張ってなきゃならんってんでな。マジでテロでも起きねえ限り、六聖日中はマグナ・パレスの祈祷所から出てこねえと思うぜ」
「……せっかくの新年祭なのに残念ですね。だけどアイテール教団は、本当に何か仕掛けてくるんでしょうか」
「さあなぁ。こればっかりは六聖日が終わってみるまで分からねえ。アルビオン中に兵を配備して警戒を強めちゃいるとはいえ、さすがに街が広すぎて万全とは言えねえし、ぶっちゃけほとんどマドレーンの希術頼みさ。あいつが予定より早く帰国したのにビビって、連中が計画の実行を断念してくれてりゃいいんだがねえ」
と、貴賓席なる露台に用意された椅子にどかっと腰を下ろしながら、ヴェンはさも大儀そうにぼやいた。そういえば今日のヴェンからは、珍しいことにまったく酒のにおいがしない。顔もいつものように赤くないし、髭を剃っただけでなく酒まで断ったのか。そちらもマドレーンに脅迫されてのことかもしれないが、アイテール教団のテロ予告に対して、彼らもそれだけ気を張っているということだろう。
(本当にこのまま何事もなく、新年祭が終わればいいが……)
と思いながら、グニドも手摺から身を乗り出してはしゃいでいるルルを抱き上げ席に着く。階下の広間に並んだ席ももうほとんど埋まっていて、薄暗い空間に群衆のざわめきが反響していた。而して四半刻(十五分)ほど経った頃〝舞台〟というらしい開けた場所にひとりの男が現れる。あれはグニドたちも先日世話になったエルビナ大学の大学長──サヴァイ・シエンティアだ。
『えー、皆さん、あけましておめでとうございます。エルビナ大学学長の、サヴァイ・シエンティアです』
かと思えば直後、貴賓席から二枝(十メートル)以上も離れた場所にいるサヴァイの声が、突如耳もとで聞こえてグニドは仰天した。何事かと慌てて周囲を見渡せば、サヴァイが何やら目の前の演説台の上の木の棒に向かって喋っていることに気づく。その棒の先端で緑色に閃いているのは恐らく、希石だ。
「言ったろ、こいつが伝声器だ」
と、ときにグニドの困惑に気づいたらしい頭上のヨヘンが、耳穴を除き込んでそう囁くのが聞こえた。
「ほら、貴賓席の扉の上にも希石があるだろ。あの石を通じて学長の声がここまで届いてるんだよ」
言われてグニドが振り向けば、確かに先程くぐった扉の上に、サヴァイの前にあるのと同じ緑の希石が埋め込まれているのが見える。
ということはあの石が壇上の石とつながって、サヴァイの声で喋っているということか。希術による芸当だと分かっていても、そう思うと気味が悪い。
『本日もお暑い中、我が友ユニウスのためにお集まりいただき、誠にありがとうございます。それではお時間となりましたので、只今よりアビエス連合国宗主ユニウス・アマデウス・レガリアによる新年祝賀演説会を開会致します。皆様、どうぞ拍手でお迎え下さい』
やがてサヴァイがそう促すや、集まった聴衆からわっと盛大な拍手が上がった。
その雷鳴のごとき喝采が会場内で谺するのに驚いたらしく、ルルはグニドの膝の上で耳を塞いでいる。ほどなく演説台の傍から数歩退いたサヴァイを追うように、パレードのときと同じ装いのユニウスが現れた。
途端に会場を包む拍手の音が一層大きくなる。ユニウスは壇上で軽くサヴァイと抱き合うと、次いで客席に向かって恭しく一礼し、伝声器の前に立った。
『ありがとう、サヴァイ。そして連合国民の皆さん、新年あけましておめでとうございます。午前のパレードは楽しんでいただけましたでしょうか? 今年もまた皆さんと新しい年を迎えられたことを、大変嬉しく思います』
次いでユニウスがそう挨拶すれば、会場からは再び拍手が上がる。
されどそれが収まると、客席はにわかにシンと静まり返った。
皆が宗主の言葉を聞き逃すまいと口を閉ざし、耳を澄まし始めたのだ。
『会場の外にお集まりの皆さんも、声は届いているでしょうか。僕たちがアビエスの樹の下で、愛と平和と自由の誓いを立てたあの日から、今年で二十年となりました。皆さんの弛まぬ努力と日々の営みにより、我がアビエス連合国は、世界的にも類を見ない豊かさを享受しています。この平和をぜひとも恒久的なものとして後世に託し、また海の外にも広めようと、昨年は我が国初の試みとなる国外遠征軍の派兵などもありましたが……』
と、そこからさらにユニウスの演説は続き、グニドも可能な限り彼の言葉を聞き取ろうと意識を集中させた。ところが刹那、膝の上に座ったルルの体がびくりと跳ねて「ひっ……」と小さな声が漏れる。
どうしたのかと目をやれば、舞台の上のユニウスを見つめたルルはみるみる顔面蒼白となり、次の瞬間、弾かれたようにグニドの上から飛び下りた。
そうして今にも落ちんばかりに手摺から身を乗り出して、叫ぶ。
「ユニウス、にげて!!」
ルルが小さな体の底から絞り出した大声は、会場の静寂を引き裂いて、ユニウスにもはっきり届いたようだった。その証拠に滔々と紡がれていたユニウスの演説がぴたりと止まり、彼の目が驚いたようにこちらを向く。
否、ユニウスだけではない。彼の隣に控えたサヴァイも、階下を埋め尽くす聴衆も、同じ貴賓席にいるグニドらまでもが面食らって固まった。
が、ほどなくはっと我に返ったらしいポリーが慌てて「る、ルルちゃん!」と立ち上がり、ルルを席へ連れ戻そうとした──直後。
グニドはユニウスのいる壇上で異変が起こるのを見た。
意表を衝かれて目を見張っているユニウスの傍らに突如、謎の光が現れたのだ。
光は最初、小さな球のようだったのがみるみる大きく膨らんで、最後には人の形を取った。そして次に気がついたとき、ユニウスの前にはひとりの少女が立っている。年の頃はルルと同じくらいと思しい、長く白い髪の、人間の少女だ。
「は……!? あのガキ、どこから……まさか転移術か!?」
と、同じく異変に気づいたヴェンが、血相を変えて目の前の手摺に飛びついた。
他方、舞台の上のユニウスとサヴァイも突然の事態に驚いて硬直している。髪も肌も、服まで白い謎の少女はそんなユニウスを見上げて、くすりと笑った。
『ユニウス・アマデウス・レガリア。堕天した神に選ばれし子よ。イーテの民の名において──おまえに神罰を授けましょう』
ユニウスのために用意された伝声器を伝い、少女の声が会場全域に、届く。
瞬間、少女は小さな手を掲げ、その手をシュッと横へ薙いだ。
途端にユニウスの左耳から下がった耳飾りの青い宝石が、ピシリと小さな音を立てる。一拍ののち、石は脆い硝子細工のごとく粉々に砕け散った。
ああ、グニドはあれが何だか知っている。あの石は他でもない、三日前、暗殺者からユニウスを守った希術の源──護身石だ。
いつもご愛読ありがとうございます。
このたび新しい試みとしてイラストAI「Bing Image Creator」を利用した本作のビジュアルイメージ集を作成しました。AIによる生成イラストに抵抗のない方、また解釈不一致が特に気にならない方は、作者の中ではこのキャラや土地はこういうイメージなんだな~くらいの気持ちで楽しんでいただけましたら幸いです。
▼『子連れ竜人』イメージビジュアル集
http://nanos.jp/fulhsin/album/5/
※「Bing Image Creator」による生成イラストは非商用の個人利用のみ許可、という利用規約との兼ね合いもあり、画像の無断転載は固くお断り致します。
AIによる再現なのであくまでも参考イメージ程度ですが、なるべく解像度の高い画像を選んだつもりなので、作品の世界観を伝える一助になれば嬉しいです。
引き続きエマニュエル・シリーズをよろしくお願いいたします。