第一一九話 博愛とテロリズム
※今回はブクマ1000件達成記念で2話同時更新しております。
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今までグニドはあまり真剣に考えてこなかったが、ヴォルクの言うとおり、エマニュエルには二種類の獣人がいる。
すなわち、獣の姿と人の姿を自由に行き来できる獣人とそうでない獣人だ。
竜人は言わずもがな後者で、どんなに気張っても竜になることはできない。
というかそもそもラッティやヴォルク、ヨヘンやクワトがごく自然にやってのける〝獣化〟というのがどういう原理で、どうすれば使えるのかも分からない。
「いや、どうすれば、っていうか……アタシも深く考えてこなかったけど、できるもんはできるんだよ。物心ついた頃には自然とできるようになってたっていうか、気づいたらやり方を知ってたっていうか……」
「俺もそんな感じ。別に誰かに教えられたわけでもなくて……本能、みたいな?」
「うむ。まさにラッティの言うとおり〝いつの間にかできるようになってた〟って言い方が一番しっくりくるな。逆にオイラの知る中で、獣化の能力が使えないって鼠人は見たことないし」
「人が誰に教わらなくても生まれたときから呼吸してるのと一緒よ。たぶん獣化は能力というより、体の機能の一部なの。逆にどうしてこれができない獣人がいるのかって方が不思議なくらいで……」
と首を傾げながら話すのはたった今、グニドの目の前に勢揃いしたキツネとオオカミ、そして二匹の兄妹ネズミだった。彼らの傍らでは会話の内容こそ分からないものの、空気を読んだらしいクワトもまた四足歩行の鰐の姿になっている。
が、彼らと相対する位置に佇むグニドとポリーだけは依然として人型のままだ。
もともと翼を持たない竜人が、どう頑張っても竜になれないのは仕方がないというか諦めもつくというものだが、犬人も獣化できないのは何故なのだろう。
グニドは本物の狼人というのを見たことがないものの、彼らの血を引くヴォルク曰く、狼人と犬人というのは極めて近縁な種族らしい。全体的に体つきがシュッとして、いかにも狩りをする生き物といった感じの狼に比べると、黄色い毛がぱやぱやしていて体つきはまるっこく、耳も垂れているポリーはまるで違う生き物に見える……が、それでも狼人と犬人の間には子ができるためだ。
狼人の強さと犬人の穏やかさを併せ持つ合いの子は半狼と呼ばれ、彼らもまた自在に獣の姿を取れる。だのに犬人だけは獣化できない。
これは竜人によく似た鰐人は獣化できるのに、竜人はできないという構図に似ている。同じようにあのニストという半獣の親である羊人族と、遥か北東の島々で暮らす山羊人族というのもかなりよく似た種族らしいのだが、山羊人は獣化できて羊人にはできないという決定的な違いがあるのだという。
「ムウ……ダガ、獣化デキナイ獣人ハ、半獣、生メナイ。オレ、初メテ知ッタ」
「まあ、世界的に見れば半獣自体が珍しいから、そこは知らなくてもしょうがないよ。ついでに言うと、獣人の中でもより獣に近い見た目の鼠人や猫人も人間との間に子供は作れないって言われてる。ま、こっちの場合は種族としてのサイズが違いすぎるから、そもそも物理的に子作りできないってのが理由らしいけど」
「だけどニストさんは、エマニュエルで唯一確認された非獣化種と人間のハーフなの。アテシも彼の詳しい来歴は知らないんだけど、ご両親はどちらも他界していて身寄りがないらしいわ。だからスジェが自分の補佐官としてマグナ・パレスに招いたんですって。ほら、鼠人族ってもともと扶侍者が必要でしょ? で、スジェも当時、ちょうど新しい扶侍者を探してて……」
「テリーン?」
「扶侍者ってのはオイラにとっての獣人隊商みたいなもんだよ。オイラたち鼠人族には、他の種族のサイズに合わせて作られた社会は何もかもがデカすぎるんだ。たとえばこの姿でアルビオンの真ん中をひとりで歩こうもんなら、あっという間に通行人に踏み殺されるか、鷹だの猫だのに攫われるかのどっちかだろ?」
「タ、確カニ……」
「だからアテシたちは成人すると、専属の扶侍者を雇ってほとんどの行動を彼らと共にするの。何なら同じ家で一緒に暮らす鼠人と扶侍者も多いわ。で、町を歩くときには肩に乗せてもらったり、書き物を代筆してもらったり、とにかく日常生活のありとあらゆる物事を代理でこなしてもらうのよ。鼠人はみんな、自分の稼ぎで専属の扶侍者を持って初めて一人前って認められるんだから」
「……ヨヘンはそのせいでいつまでも半人前扱いされてるんだよね。俺たちはあくまで旅の同行者であって、ヨヘンに雇われてるわけじゃないから」
「ていうか何ならヨヘンを仲間に加えたときに、扶侍代はヨヘンのオヤジさんがまとめて払ってくれたしな。ウチの問題児をどうかよろしく頼みますってサ」
「う、うるさいうるさいっ! オイラの扶侍代は出世払いだって言ってるだろぉ!? 今はまだ冒険の途中だから稼ぐ手段がないだけで、無事に冒険記が完成した暁には、今までの扶侍代を一括でドーンと払ってやるって約束のはずだぞッ!」
「いや、いいよ、今更。オヤジさんからは既に充分すぎるほどの大金を受け取ったし、出世払いっていうならアタシたちにじゃなくて、親御さんに借りた金を利子つけてしっかり返すことだね。ま、本当に稼げたらの話だけど……」
「ああ、なるほど。兄さんが実家に帰りたがらないのにはそういう理由もあるわけね。父さんにお金を返せるあてがなくて気まずいんだ?」
「違ァうッ! オイラはあの狭ッ苦しいネズミ小屋に、甥っ子だの姪っ子だのイトコだのハトコだのと一緒に詰め込まれてもみくちゃにされるのが嫌なだけだいッ! 世界の広さを知っちまったオイラには、あんな薄暗くて小汚い屋根裏部屋は狭すぎるんだァいッ!」
とヨヘンはネズミ姿のまま地団駄を踏んでいたが、獣の姿を取っていても、ラッティたちがそんなヨヘンを冷ややかな眼差しで見ていることは伝わった。
しかし改めて見てみると、なるほど、鼠人というのは犬人や鰐人などの一般的な獣人に比べると、ラッティの言った〝より獣に近い種族〟という形容がしっくりくる。人の姿と獣の姿に大した差がなく、腕が縮んで二足歩行が四足歩行になっただけといった印象だ。ひと口に〝獣人〟と言っても、そこにはさらに獣化種と非獣化種、そして鼠人族のような〝小さき獣人〟と、大まかに三つの違いがある。
今まで大して気にも留めてこなかったが、こうしてその違いに着目してみると、途端にグニドの脳裏には様々な疑問が浮かび始めた。
そもそも獣人とは何なのだろう?
人類は何故〝人間〟と〝獣人〟に分かたれたのだろう?
獣になれる獣人となれない獣人がいるのはどうしてなのか?
後者が人間との間に子を残せない理由は?
それがもし不動の事実であるならば、かつて死の谷でイドウォルが試そうとした〝ルルに繁殖能力があるかどうかを確かめる実験〟は、竜人が試みたところでそもそも意味がなかったということになるが──だとしたらあのニストという半獣人の存在は、どうすれば説明がつくのだろう?
「ああ、それはね。非獣化種の獣人を構成する霊子配列は、どちらかというと人蛇や人魚みたいな亜人に近いからだと言われてるわ。あくまでそういう説があるだけで、まだ明確に証明されたわけではないんだけど、亜人も人間とは交配できない種族でしょ。だから今の生物学会では、獣人はもともとみんな非獣化種だったけど、一部の種族が人間と共生するために進化した結果獣化能力を手に入れたんじゃないかって仮説が有力みたい。まあ、そもそも獣化能力自体が希術の一種だからね。ああいう生まれながらに使える希術を希術学では〝生得的希術〟っていうの。でもって人間との交配が可能になったのにも、生得的希術の獲得が関係してるんじゃないかってことで、今も生物進化学の教授と共同研究を進めてるわ。ひょっとするとニストのご両親も、突然変異か何かで生得的希術が使えたんじゃないかっていうのが今のところの私の見解よ。人間の中にも稀に生得的希術を持って生まれる個体がいるからね」
ところがそうしたグニドの疑問は夕食の時間を迎えると、怒濤のごとく押し寄せたマドレーンの解説によって押し流された。そう、解決したのではなく、まさしく押し流されたと形容するのが最もしっくりくる表現だ。
何せグニドは日暮れと共にマグナ・パレスへ戻り、ちゃっかり夕食の席に着いたマドレーンによる解説が一葉も理解できなかった。いや、最初は理解しようと必死に耳を傾けていたのだが、途中で彼女の話すハノーク語を竜語に翻訳する作業が間に合わなくなり、ぐるぐると目が回って頭が煙を噴き始めたのである。
「いや、マドレーン……君の研究には僕も一目置いてるけど、そもそも生物進化学自体が連合国で生まれたばかりの学問だろ。まずはそこから説明してあげないと、獣人隊商の皆さんが困惑してるよ」
「ああ、そういえば他の大陸では、この世の万物は神々が無から創造したものである、なんてオカルトが信じられているんだったかしら? だとするとまずは進化論から説明しないといけないわけね」
「なんだあ、マドレーン? お前、例の盗っ人を望みどおりギタギタにしたわりにずいぶん不機嫌じゃねえか。野郎を八つ裂きにしただけじゃまだまだ怒りが治まらねえってか? さすがは『狂魔女』サマ、相変わらずの残忍ぶりだねえ、ヒック」
「うるさいわよ、酔っ払い。こっちは丸三年かけた研究成果を台無しにされたの。八つ裂きどころか細切れにしてやらないと気が済まないに決まってるでしょ? なのにユニウスが、嬲り殺しも拷問も許さないって言うんだもの」
「当たり前だよ……これ以上アイテール教団との関係が悪化するような真似は慎んでもらわないと。ダメになった透化布の件は気の毒だけど、一応アレを製造する技術自体は確立したわけだし、再製作すれば問題はないはずだろ」
「簡単に言ってくれるけどね、ユニウス。あの試作品をイチから作るのにはかなりの時間と労力がかかるのよ。だいたい透化布の開発は、将来的な軍事転用も視野に入れた極秘の研究だったでしょ。それが外に洩れたってだけで一大事じゃないの。しばらくは研究自体を凍結しないと、技術を悪用されかねないわよ」
と話すマドレーンは依然として言葉の端々に棘があり、さも不機嫌そうに食事へ食叉を突き刺した。哀れ、八つ当たり気味に串刺しにされたのは薄い肉で巻かれた竜鬚菜と呼ばれる野菜だ。
グニドたちがマグナーモ宗主国に到着した日の夜、金神の刻(十九時)。
マグナ・パレスの小食堂なる部屋へ案内されたグニドたちは、そこでユニウスを始めとしたアビエス連合国の面々に迎えられ、改めて歓待を受けた。
〝小〟食堂とは言うものの、皆が集められたその部屋は六人の獣人隊商とユニウス、ヴェン、マドレーン、そして昼間に見かけたホルム・スヴァールなる大男と、あの白いもふもふ──彼はエクターの故郷であるカリタス騎士王国の王で、名をグリアン・リーフブレニンというらしい──が席に着き、食卓を囲ってもなお充分な余裕があるほどに広い。
さらに食堂内にはグニドたちの食事の世話をする給仕人が数名同席しており、空になった杯に酒を注いだり、料理を取り分けたりと忙しなく動き回っていた。というのもどうやらアビエス連合国ではルエダ・デラ・ラソ列侯国のように、ひとつの器に盛られた料理に皆で手を伸ばして食べるということをしないらしい。大きな皿や器に山盛りの料理が乗せられて出てくるのは同じだが、それがひとつやふたつではなく、とにかく何種類もの料理が山盛りにされて卓の真ん中に置かれるのだ。
で、そこから自分の食べたいものを指差すと給仕人がサッと素早く寄ってきて、グニドの皿に指定された料理を取り分けていく。と言ってもグニドはさっきから、ユニウスが気を利かせて用意してくれたという生肉──そう、久々に食べる生の獣肉だ──の塊しか指差していないのだが、隣のルルは夢中であれもこれもと色んな料理に手を出している。しかもさらに不思議なのはヴェンやマドレーンは食刀や食叉といった食器を使って食事を口に運ぶのに対し、ユニウスやホルムは手掴みで、グリアンに至っては皿から直接食事をしていることだ。
何でもアビエス連合国では手掴みで食事をする方が一般的で、食刀や食叉といった食器の類は長く国を鎖していたシャマイム天帝国が崩壊したのちに北西大陸から輸入され、最近ようやく普及し始めたものなのだという。
ゆえにヴェンやマドレーンは、ルエダ・デラ・ラソ列侯国への遠征が決まった頃から異国の文化に合わせ、食器を使った食事法に切り替えたのだそうだ。
が、国に残ったユニウスたちは依然として手で食事をしており、彼らが〝水盤〟と呼ぶ銀盤の水で何度も手を濯ぎながら料理を口に運んでいた。
これにはもともと食器を使う文化がなかったグニドも大助かりだ。
おかげで自分も遠慮なく手掴みで生肉を頬張れる。ルルの逆隣ではクワトも大きな口に次々と生肉を放り込み、大変満足そうにしていた。
「あー、えっと、ちなみに、ユニウスさん。アイテール教団のことはアタシらもスジェから聞きました。で、昼間、ウチのグニドが追っ払ったあの人は結局どうなったんですか?」
「ああ、ご心配をおかけしてすみません。彼はマドレーンとエクターが無事に保護してくれて、今は部屋で休んでもらってます。マドレーンが怒りに任せて彼に手を上げてしまったから、しばらくは安静が必要だけど、幸いエクターが途中で止めてくれたおかげで一命は取り留めたので」
「ふむ。誠に大儀であったぞ、イーヘソラス。さすがは騎士王国が誇る白猫隊の騎士じゃ。北方遠征の成功も含め、そにゃたにはのちほど褒美を与えねばにゃらんな。何か望みがあれば考えておくがよい」
「はっ。勿体なきお言葉であります、陛下」
と、ときに口の周り……どころか顔中を魚の脂まみれにして声を上げたのは、他でもない騎士王グリアンだった。彼が振り向いた先ではエクターが壁際に控え、ビシッといつも以上に姿勢を正している。さらに彼の左右には他にも数名の猫人が控えており、みな食事もせずにグリアンの警固に当たっているようだった。
ユニウスは彼らも共に食事をと誘ったのだが、猫人たちにとって王と共に食事をするというのはあまりに畏れ多いことなのだという……当の王は、先程から顔を上げるたびにマグナ・パレスの給仕人──しかも若いメスの人間だ──に顔を拭かれ、ぐるにゃ~んと嬉しそうに威厳もへったくれもない猫撫で声を上げているが。
「で、ですが〝保護〟って……あの人はユニウスさまのお命を狙っていたのですわよネ? なのに〝逮捕〟や〝拘留〟ではなく〝保護〟なんですか?」
「ええ。というのもよくよく調べたところ、彼はエルビナ大学の卒業生だったようで、大学では卒業生が構内に立ち入ることを特に制限していません。だから大学に不法侵入したという罪には問えないですし、昼間あそこに現れたのも僕を狙ってのこととは言い切れない。実際、僕は彼から一度も危害を加えられていませんから」
「しかし彼奴はマギステル教授の研究室で厳重に保管されていた成果物を所持していた上、武器まで携えておったのですぞ、ユニウス殿。現にエクターはその武器で襲われており、彼奴が放った矢には毒が仕込まれていたことも確認済みです」
「だとしても彼が僕に危害を加えようとしていた証拠にはなりませんよ、スヴァール公。エクターに対する攻撃も、突然襲われたことによる正当防衛だったのかもしれません。よって本人の口から詳しい事情を聞くまでは、彼もまたマグナ・パレスの客人として遇します。透化布を所持していた件だって、彼が直接マドレーンの研究室から盗み出したという証拠はまだ見つかっていないわけですし」
「はあ……お前も相変わらずだな、ユニウス。そういう態度がかえって連中の神経を逆撫でしてるってのに、いつまでイタチごっこを続ける気だよ?」
「かと言って僕らがアイテール教団との敵対を表明しても、結局彼らを激昂させるだろ。だったら可能な限り穏便に済む方法を選んだ方が合理的だ」
「じゃ、いっそのことやつらの要求どおり、新年祭も一切合切中止にしちまったらどうだ? そうした方がより穏便に済むだろ」
「……それとこれとは話が別だよ。新年祭を中止になんてしようものなら、民の間でどれほどの経済的損失が生じるか分からない。いくら彼らの要求でも、民衆に危害や不利益が及ぶものは絶対に飲めないし、飲む気もない」
「ちょ、ちょっと待って下さい。新年祭の中止って?」
とそこでユニウスとヴェンの会話に割り込んだのは、血のように赤く酸っぱい奇妙な酒──葡萄酒というらしい──を慌てて卓に置いたラッティだった。
ヴェンほど重症ではないとはいえ、仲間の中では誰よりも酒を愛するラッティが杯を差し置いて身を乗り出すなんて、よほど重要な話らしい。
「なんだ、スジェから聞いてねえのか? 何でもマグニどもは、ユニウスがこの調子じゃいくら話し合ったところで埒が明かねえってんで、いよいよ強行手段に出たらしいぜ。つまり──新年祭でのテロ予告だ」
「なっ……!?」
「……だから〝マグニども〟じゃなくて〝アイテール教団〟だよ、ヴェン」
「……? ダガ、テロ、トハ、ナンダ?」
「テロっていうのは頭のイカレた連中が、政治的に対立する相手を暴力や脅迫で従わせようとすることよ。教団は何度試してもユニウスの暗殺がうまくいかないものだから、ついに業を煮やして、標的をユニウスを支持する民衆に切り替えたってわけ。で、民に危害を加えられたくなければアルビオンの新年祭を中止して、宗主の座から下りろとユニウスに迫ってるらしいわ」
「そ、そ、そんな……!」
「……でも新年祭は予定どおり開催されるんですよね? テロ予告のことは、アルビオン市民はみんな知ってるんですか?」
「もちろん。教団からの声明が届いた翌日には予告があったことを公表したし、避難を希望する市民のために、大晦日には軍の飛空船も出す予定です。だけど避難希望者は当初の想定よりもずっと少ないみたいで、新聞社にはむしろ〝例年どおり新年祭を開催してほしい〟って要望の手紙が山ほど届いてるとか……」
「シンブンシャ?」
「ウェリタス新聞公社のことだよ。連合国では政府から国民に広く知らせたいことがあるときに〝新聞〟って呼ばれる紙を作って配るんだ。連合国民の識字率はこの二十年で七割まで上昇したからな。国民の大半が字の読み書きを覚えた今なら、新聞にして配った方がより確実に情報が伝わるから便利ってわけ」
「でも、それじゃ教団は今後国民を攻撃の対象にすることも辞さないって表明したようなもんですよね? ユニウスさんは連中が国民に危害を加えない限りは教団の存続を許すってお考えみたいですけど、やつらが本当に無差別攻撃を始めるつもりなら、さすがにもう放っておけないんじゃないですか?」
「うむ、そうだ、まさしくそのとおりであるぞ、ラッティ殿。ですから小生も早々に手を打つべきだと口酸っぱく申し上げているのです、ユニウス殿。これ以上彼奴らを野放しにすれば、次は貴公の御身のみならず、無辜の民にまで危険が及ぶ可能性がある。そうなれば教団に何の制裁も加えなかったユニウス殿の施政に対し、異を唱える国民も出て参りましょう。そして最悪の場合には、ようやく一致和合した連合国が再び分断される事態に陥るやも……」
「……その件についてはさっきの話し合いで一旦の結論が出たはずです、スヴァール公。とにかくまずは、六聖日の間に教団がどう動くかを見定めた上で今後の対応を協議する、と。軍による警備を万全にして臨めば、いかなアイテール教団といえども容易にテロは実行できないでしょうし、あとのことは六聖日が明けてから首脳会議の場で決議します。ですから今夜は、教団の話はもうやめにしませんか。せっかく国外からの客人を歓待する席だというのに、こう暗い話ばかりでは、宮廷料理人に腕を揮わせた甲斐がありませんよ──ね、ルルアムス」
と刹那、大きな円卓の向こうからユニウスが急にルルの名を呼んだのを聞き、グニドははっと振り向いた。そうして見れば、ユニウスがにこりと優しく笑いかけた先で首を竦めたルルが、いつの間にか両手を膝の上に置いている。さっきまでは大喜びで色とりどりの料理を頬張っていたはずが、いつの間にか場の様子がそういう空気ではなくなったことを悟り、子供ながらに遠慮していたようだ。
『ルル、』
「おお、にゃんということだ、かようにゃ幼子を畏縮させてしまうとは。だから少しは我輩を見習って、そにゃたももそっと愛嬌というものを身につけよと申しておるのじゃ、百雷公よ。そんにゃだからそにゃたはいつまで経っても侘しい男鰥夫のままにゃのじゃぞ」
「む、むう……申し訳ござらぬ、お客人。小生も昼間の騒動で、つい頭に血が上ってしまって……」
「ですが、陛下。陛下も陛下で、少しはスヴァール公の威厳を分けてもらったらいかがです? 陛下は確かに愛くるしいお姿とお人柄をお持ちですけれど、食いしん坊な上にメス猫と見れば誰にでもヒゲを垂らしてデレデレするのが困りものだと、エクターが常々嘆いていましてよ」
「にゃに……!? イーヘソラス……そにゃた、陰では我輩のことをそのように思っておったのか……!?」
「め、滅相もございません、陛下! このエクター・イーヘソラス、王前に立てた誓いと忠誠に今も翳りはございません! というか、マドレーンどののおっしゃることは真に受けないで下さい!」
「しかしマドレーンは年増の狂魔女とはいえおにゃごであるぞ!? 我輩におにゃごの言うことを疑えと申すのか!?」
「世界よ、あのブサ猫に今宵悪夢をもたらしなさい」
「ほれ、見よ! マドレーンも顔は笑っておるが、何やら今にもそにゃたを呪い殺しそうなオーラを発しておるではにゃいか! 今すぐに誠心誠意謝罪せよ!」
「あー、残念ですが、陛下。どっちかってーと呪われたのは陛下の方で、何なら今から謝っても、もう手遅れっぽいですよ」
「にゃんと……!? 何故だ!? 何故にゃのだ、マドレーン!?!?」
と、グリアンはただでさえ長い毛を針鼠のごとく膨らませながら絶叫していたが、どうやらヴェンの言うとおり、すべては手遅れだろうと思われた。
これが王では確かに苦労も多かろうと、グニドは内心エクターに同情する。
けれども同時に止まっていた食事を再開し、取り皿に上がったままになっていた生肉を次々と口の中へ放り込んだ。するとそんなグニドの様子を見たルルも、恐る恐るといった様子で真っ白なパンに手を伸ばし、はむっと囓りついている。
生地の中に雲のごとくふかふかの乾酪が仕込まれたパンを咀嚼したルルは、たちまち幸せそうな顔になった。それを見たグニドもつい口もとが綻んで、すまなかったな、という謝罪の気持ちと共にルルの頭を撫でてやる。
だが先刻のユニウスたちの話はやはり気がかりだ。
何せ四日後に迫った新年祭には、グニドたちもまた参加する予定なのだから。
本作は今年で連載9年目になりますが、先日ついにブックマーク件数が1000件を突破しました。長きに渡る応援とご愛読、誠にありがとうございます。
正直、ブクマが1000件を超えるとしたら連載10周年を迎える頃かなと思っていたので、予想よりも早い大台達成に有り難みを噛み締めております。
年に12回しか更新されないという驚異の亀更新にもかかわらず、本作を推し続けて下さる皆さまには何度感謝しても足りません。今後ものんびり連載にはなりますが、引き続きグニドたちの珍道中をお楽しみいただけましたら幸いです。
なお同じエマニュエルを舞台にした『エマニュエル・サーガ』や、本作とはまた違ったベクトルで作者のドラゴン&ケモノ好きが炸裂している『ドラゴン・パークをつくろう!』も同時連載中です。
エマニュエルの秘密をもっと深く知りたい方や、ドラゴン愛好家の同志がいらっしゃいましたら、ぜひそちらもお楽しみいただけると嬉しいです。
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今後も『子連れ竜人のエマニュエル探訪記』をどうぞよろしくお願いします。