第一一八話 連合国の愉快な仲間たち
「おのれ、マグニどもめ! 新年祭の妨害をもくろむだけでは飽き足らず、またも卑劣な手段でユニウス殿の御身を脅かしおって! 今度という今度は許せませぬ! かくなる上は、やはり彼奴らの総本山を一気呵成に攻め立てて……!」
「ま、まあまあ、落ち着いて下さい、スヴァール公。今回も僕はこうして無事だったわけですし、そもそも実際に襲われたわけでもありません。マドレーンの研究室から開発中の希工品が盗まれたことは問題ですが、今日はただの偵察目的だった可能性も……」
「何を手ぬるいことをおっしゃっているのです! 彼奴らはこれまでにも幾度となくユニウス殿のお命を狙って暗躍しておるのですぞ! あのマグニどもを潰滅させぬ限り、もはや我が国の真の安寧は……!」
「〝マグニ〟ではなく〝アイテール教団〟ですよ、スヴァール公。とにかくここで立ち話も何ですから、一旦ヴェンの報告を聞くためにも会議室へ……」
と、ユニウスが苦笑しながら禿頭の大男を宥めるさまを、グニドたちは何が何だか分からないまま眺めていた。マグナーモ宗主国の首都アルビオン北部に位置する大宮殿マグナ・パレス。かつて天帝カエサルが己の住居として築き、今はアビエス連合国の首脳であるユニウスらが国を治めるために使っているというその宮殿は、モアナ=フェヌア海王国のヤムタンガ宮殿よりもさらに大きな建物だった。
ヤムタンガ宮殿が碧都の象徴たる碧の宮殿ならば、マグナ・パレスはまさしく白の宮殿だ。建物の大きさは正面から見ただけでもヤムタンガ宮殿の三倍はあり、右を見ても左を見ても白一色。これだけ白いにもかかわらず、人が踏み締めて歩く床を除いて、どこを見ても汚れひとつ見つからない事実にグニドは心底感嘆した。
さらに宮殿の前には人の手で草木が整えられた広大な庭園が広がっており、宮殿の白と庭の緑が見事な色彩を織り成している。白亜の宮殿も外から眺めるとまぶしいが、夏の陽射しを浴びて艶めく草木の緑も同じくまぶしい。
まるでアビエス連合国の栄華を体現するかのような、実に輝かしい場所だ。
ところが竜人の技術では考えられないほど精緻な彫刻が施された柱が林立する入り口をくぐり、いざ宮殿内へ踏み込むと、途端にグニドらの前へ立ち塞がったのが額に青筋を立てた禿頭の大男、というわけだった。
「なあ、アルンダ。あのおっかないオッサン、誰?」
「ホルスカ公主国の公主ホルム・スヴァール様よ。アビエス大戦のときに大活躍した元連合軍の重鎮で、雷みたいな破壊力の軍隊と怒鳴り声の持ち主ってことで『百雷公』なんて呼ばれてるわ。きっと新年の祝賀行事のためにひと足早く来臨されたのね」
と、そのとき隣からラッティとアルンダのそんなひそひそ話が聞こえて、グニドは思わず耳穴を開いた。なるほど、雷のごとき怒鳴り声、とはよく言ったものだ。
頭皮まで赤く染まるほど激昂しているスヴァールなる男の声は、宮殿に入ってすぐの広間に轟々と反響し、まさしく雷鳴のようだった。
おまけにわざわざ鬣を剃り落としているらしい頭も、すべての毛を完全に剃っているわけではなく、額から後頭にかけた頭頂部にだけ稲妻の形に剃り残された金鬣が乗っている。さらに両耳のあたりにもわずか残った鬣はもとからなのか、はたまた怒り狂っているせいなのか感電したみたいに逆立っていて、ずいぶん奇抜な鬣型だなと、グニドはついまじまじ眺めてしまった。
「まあまあ、そう大声を出すでにゃい、百雷公よ。そにゃたの銅鑼声は我ら猫人には大きすぎる。我輩の鼓膜が破れる前にちと声量を落としてもらえぬか。とにかくまずはユニウス殿のおっしゃるとおり、場所を移すとしよう」
ところがユニウスがいくら宥めても怒りを治めようとしないスヴァールに対し、ほどなくそう制止する声が上がった。
何とものんびりしていて気の抜けた声だったが、はて、今のは一体どこから聞こえたのかと、グニドはついあたりに視線を巡らせる。
「おおっ、よく見たらカリタス騎士王国の騎士王陛下までいるじゃんか! 大陸南端の騎士王国から遥々アルビオンまで来て下さったのか!」
「騎士王陛下って……ひょっとして、あのスヴァールって人の足もとにいるもふもふのこと?」
と、そこで興奮したヨヘンの声を聞いたラッティがちらと視線を向けた先をグニドも見やり、そして思わず絶句した。
身の丈四十葉(二メートル)に迫ろうかというスヴァールの巨躯にばかり気を取られて気づかなかったが、確かに彼の足もとには白くて小さなもふもふがいる。
そのもふもふはこの暑さにもかかわらず、自前の毛皮の上にこれまた上等な毛皮の外套を流し、さらに手には赤い宝石のついた杖を持っていた。
頭の上にちょこんと乗った赤い帽子には、金やら宝石やらを使った豪華な細工が施されていて、かなり金持ちのもふもふなのだろうということが分かる。
ヨヘンが騎士王と呼んだそれは、言うなれば毛足の長くなったエクターだ。
ということは恐らくは彼もまた猫人なのだろう。目は開いているのか閉じているのか判然としないほど細く、首は長い毛に隠れて見えず、さらに尻尾もエクターのものと違ってしゅっとしてはいないが、たぶん、恐らく。
「む、むう……これはかたじけない、グリアン殿。というか貴公も来ておったのだな……まるで視界に入らんので気づかなかった」
「にゃ、にゃんと無礼な! そもそも我輩は共に連れていってたもれと声をかけたではにゃいか! にゃのにそにゃたがまるで聞かずに突っ走ってゆくものだから、我輩はこの地獄のように長い廊下をヒィヒィ言いながら駆けてくる羽目ににゃったのじゃぞ!」
「まあまあ、陛下。気持ちは分かりますが俺も早いとこ状況を説明してもらいたいんで、百雷公の泣きどころを杖でぺちぺちすんのはやめてもらって、どうぞこちらへ。俺が代わりに会議室まで運びますから……」
「ヤじゃ! そにゃたは酒臭くて敵わんのじゃ、リベルタス! そもそも人間のオスに運ばれるくらいにゃら、そっちのふかふかした犬人か狐人のおにゃごに……って、見慣れにゃい顔ばかりじゃな。そやつらは一体どこの誰じゃ?」
「ああ、すみません、ご紹介が遅れました。彼らは国外から来訪された獣人隊商の皆さんですよ。遠征先でヴェンたちがお世話になったそうなので、お礼も兼ねてマグナ・パレスへご招待したんです。さっき通りでアイテール教徒の襲撃を未然に防いで下さったのも、そちらにいる竜人のグニドさんで……」
「なんと! そうとは知らずご無礼仕った。小生はホルスカ公主国が公主、ホルム・スヴァールと申す。此度は我らが宗主たるユニウス殿をお守り下さったとのこと、誠にかたじけない。本来であれば我らが事前に察知せねばならなかったところを……」
「ム、ムウ……気ニスルナ。オレ、敵、見ツケタハ、偶然ダ。シカシ、マグニ、トハ何ダ? 何故、ユニウス、狙ッタカ?」
「それについてはおれっちから説明するぜぃ。すみません、ユニウス様。少々仕事が立て込んでて遅れちまいました」
ところが刹那、グニドの疑問を遮って妙に甲高い声が響いた。
誰かと思い振り向けば、そこには変わったシルエットの人間が佇んでいる。
いや、違う。あれはただの人間ではない。何故ならくるくるとした黒い癖毛の両脇から、さらにくるくると巻かれた奇妙な角が生えている。
さらに二本の巻き角の付け根には、鬣と同じ色をした獣耳。
姿形はほとんど人間なのに、獣の特徴も持つ人影──そう、それはまぎれもなくラッティやヴォルクと同じ半獣人だった。が、一体何の半獣だ? とグニドが目を丸くしていると、頭の上のヨヘンがたちまち素っ頓狂な声を上げる。
「おおっ、スジェ! スジェじゃないか! 久しぶりだなあ、チューッ!」
「おう、ヨヘン。おまえさんも久しぶりに帰ってくると聞いて待ってたぜぃ。アルンダもお務めご苦労さん。初めての国外旅行は楽しめたかい? チュチュチュ」
と、その段になってグニドもようやく気がついた。さっき響いた甲高い声の主はあの半獣ではない。彼の頭から生える角や耳にばかり気を取られて見えていなかったが、半獣の右肩の上にもまた小さな人影がある。あれは鼠人だ。
とすればヨヘンが〝スジェ〟と呼びかけたのも恐らくは彼の方だろう。
スジェはヨヘンによく似た……というか、互いに服を脱いで並んだら見分けがつかないのではないかと思うほどそっくりな灰色ネズミで、まるでヨヘンが映った鏡を見ているような、何とも奇妙な気分になった。
が、服装についてはスジェの方が幾分か上等そうなものを身につけている。
頭には焼きたてふかふかのパンのように丸い帽子を被り、腰丈の外套を羽織った姿は、何やら妙にかっちりとした印象をグニドに与えた。とはいえ口調はヨヘンと同じくらい砕けているので、堅苦しそうな雰囲気は感じなかったが。
「あら、スジェ。年末だっていうのに、あなたも出仕してたのね。そういえばラッティさんたちは、スジェに会うのは初めてじゃない?」
「ああ、名前は聞いてたけど、いつも忙しそうでなかなか会う時間が取れなかったヨヘンとアルンダの従兄だよな? 確かセム教授のとこの三男の……」
「そうそう。スジェ、こちらがヨヘン兄さんの保護者をして下さってる獣人隊商の皆さんよ。やっとお互いに顔を会わせられたわね」
「おい待てアルンダ、保護者とはなんだ保護者とは! むしろこいつらのことは、いつも頭脳明晰なオイラが面倒を見てやってるくらいなもんで──」
「やれやれ、ヨヘンも相変わらずみたいだな。ともあれまずは客人の皆さんを案内するのが先だ。自己紹介は移動しながらでもできるだろ? 申し訳ないがユニウス様はこれからお歴々と大事な話があるんでね」
と肩を竦めながらスジェが告げたのを聞き、グニドらは改めてユニウスを振り向いた。すると彼も申し訳なさそうに眉尻を下げながら、そっと苦笑してみせる。
「せっかくお招きしたのにすみません。スジェの言うとおり、僕は少し席をはずさなきゃならないので、ひとまず皆さんはそのあいだ客室でくつろいでいて下さい。夕餐までには何とか時間を作るから、一緒に食卓を囲めたら嬉しいな」
「い、いや、アタシらのことはどうぞお構いなく! 天下のマグナ・パレスに泊めてもらえるってだけで光栄ですし、何よりあんな騒ぎがあった直後ですから……」
「うん。でも、僕も皆さんから海の向こうのお話を色々聞いてみたいんだ。とにかく皆さんの接待はスジェに頼んだから、何か困ったことや足りないものがあれば遠慮なく彼に伝えて下さい。スジェ、すまないけど頼んだよ」
「お任せあれ」
スジェが小さな手を左胸に当てて一礼するとユニウスも頷き、すぐにヴェンらを連れて宮殿の奥へと引き取った。結局白いもふもふ……こと猫人の王は、
「おにゃごじゃ! おにゃごがよいのじゃ!」
と騒いでいるところをスヴァールの小脇に抱えられ、最後まで「おい、我輩は王であるぞ!」などと喚きながらじたばたしていたが、周りの誰にも聞く耳を持たれていないあたり、王といえどあまり敬われていないのかもしれない。
あの見た目と性格では仕方がないとはいえ、ちょっと不憫だ。
「んじゃ、まずは早速挨拶からだな。ようこそ、マグナーモ宗主国へ。ヨヘンから聞いてるとは思うが、おれっちはこのマグナ・パレスで内務官をしてるスジェ・スダトルダだ。んで、こっちはおれっちの補佐官のスタラン・ニスト。見てのとおり羊人の血を引く融血児だから、苗字がスタランで名前がニストだ。超絶無口だが仕事はデキるしイイやつなんで、よろしく頼むぜぃ」
「よろしくお願いします、ニストさん。それにスジェさんとも、ようやく初めましてのご挨拶ができたわネ」
「だな。おれっちもあんたらの噂は前々から聞いてたんだが、なかなか挨拶に伺えなくて申し訳ない。いつもうちのヨヘンが世話になってるってのに……」
「いやいや、マグナ・パレスの官僚は死ぬほど忙しいってのはアタシらも聞いてたし、こうして会えただけでも光栄だよ。ていうかひょっとしてユニウスさんは、最初からアタシらを招くつもりでスジェに声をかけてくれてたのかな?」
「チュチュ、どうやらそうみたいだぜ。ヨヘンやアルンダもいるんなら、少しでも気心知れたやつが接待役についた方が安心できるだろってことでおれっちにお呼びがかかったんだ。ってわけでまずは客室まで案内するぜぃ。マグナ・パレスはとにかくアホみたいに広いから、迷子にならんようについてきな」
スジェがそう言ってくいっと親指を奥へ向けると、彼を肩に乗せた羊の半獣──名をニストというらしい──は無言で歩き出した。
グニドらも彼の背中に続くようにぞろぞろとついていく。
しかし見た目はヨヘンそっくりで、同じスダトルダ族の血も引いているというのに、スジェはとても利発で礼儀正しい鼠人だった。
聞けば普段はマグナ・パレスでユニウスの部下として働き、複雑な金の計算や連合加盟国との細かなやりとりを担当しているのだという。さらにアルンダも仕事の中身こそ違えど、立場的にはスジェと同じ国仕えだというから、獣人隊商にくっついて余所で好き勝手しているヨヘンが彼らからぞんざいに扱われるのも納得だ。
もっとも当のヨヘンは、自分もいずれは冒険者として後世に語り継がれるほどの偉業を成し遂げるから何ら問題ない、となおも豪語していたが。
「にしてもスジェ、さっきの騒ぎは一体何だったんだ? マグニがどうとか言って百雷公がブチ切れてた件は、おまえさんの耳にも入ってるんだろ?」
「ああ、何でも例の狂信者どもがまーたユニウス様を狙って現れたらしいな。まったく懲りない連中だよ、アイテール教団ってのは」
「その〝アイテール教団〟っていうのは?」
「数年前にどこからともなく現れた、狂信的な天空神の信奉者どもさ。連中はユニウス様がシャマイムの神子だったお父上……すなわち天帝カエサルを討ったことに激怒しててな。んで〝博愛の神子は魔道に堕ちた邪悪の使徒だ〟とか何とか喚き立てて、以来ずっとあの方のお命を狙ってる。シャマイム天帝国に力で押さえつけられて、骨の髄までしゃぶり尽くされた時代の方が幸せだったとのたまう変わり者の集まりさ」
「そ、そんな恐ろしい人たちがいるの……!? 連合国のどこへ行っても、天帝国時代の方がよかったなんて言う人とは会ったことがないけれど……」
「……むしろみんな口を揃えてユニウスさんの治世を歓迎してるよね。けど、それじゃあスヴァール公が言ってた〝マグニ〟っていうのは……?」
「ああ、そりゃアイテール教徒の蔑称さ。やつらはみんな〝マグニフィカト・アイテール!〟ってのを合言葉にしててな。ハノーク語に訳すとしたら〝天帝万歳!〟みたいなもんか。んで、ハノーク語では要人を暗殺することを〝マグニサイド〟っていうだろ? そこでやつらの合言葉と暗殺をもじって〝マグニ〟と呼ばれるようになったのさ。ま、ユニウス様は差別的な呼び方はよくないとおっしゃって、教徒をマグニと呼ぶのを禁じてるけど……」
「ムウ……ユニウス、マグニニ、憎マレテイル。ナノニ、マグニヲ庇ウカ?」
「そういうお方なんだよ、うちの国家元首殿は。臣民の大半は〝アイテール教団は治安を乱す不穏分子だから排除すべき〟と言ってるんだが、ユニウス様のお考えは違う。あの方曰く、アイテール教徒も連合国の民である限り、連合国憲法で定められた信仰の自由が保障されるはずだってさ。だからやつらの信仰や存在を頭から否定するんじゃなくて、話し合いで妥協点を探るべきだとおっしゃるんだ。ま、もちろん教団側はそんなユニウス様の主張には一葉も耳を貸さないけどな」
「じゃあ、教団とはまともに話し合いの席が持てないってこと?」
「うむ。ユニウス様が何度か協議を打診してるが、返ってくる答えはいつも決まって〝お前が死ねば問題はすべて解決する〟のひと言さ。最近じゃユニウス様からの交渉の申し入れすら〝我々に対する挑発行為だ〟とまで言い出す始末で……」
「ひ、ひどい……だ、だけど教団は、別にシャマイム信仰を禁じられているわけでも非難されているわけでもないのに、どうしてそこまでユニウスさまを憎むの?」
「それがアイテール教団の教義では、真の信仰心ってのは救いを求める心から生まれるものであって、だからこそ天帝国時代のような混沌や恐怖政治が必要だったって理屈になるらしい。要するにやつらは平和主義を掲げたユニウス様の治世自体も〝自分たちの教義に反する〟と言って叩いてるわけさ。おかげで両者の議論はずっと平行線だ。ユニウス様はみだりに他者や他国へ危害を加えないことを約束できるなら、連中に元天帝国領の一部を割譲して自治国を創らせてもいい、とまで譲歩してるんだけどな」
一国──否、大陸の主がそうまで言っているにもかかわらず、アイテール教団は応じない。つまりやつらの真の望みは自分たちの信仰を全人類に強要することであり、ひいてはその足がかりとして大陸中を再び戦火で覆うことなのだろうとスジェは言った。何しろ教団の教義を守るだけでいいのなら、ユニウスの提案を受け入れて自分たちだけの国を創り、そこで好きなだけ天に祈ったり、己を痛めつけたりすればいい。しかし彼らはそうしない。
だから大半のアビエス人は教団に対して強い反感を覚えていて、そんなに苦痛や争いを望むならエレツエル神領国の民にでもなれと言って大陸から追い出そうとしているらしかった。そしてそれすら拒むのなら、国家の安寧のために殲滅も已むなしという過激な意見を唱えているのが先程のホルム・スヴァールを筆頭とする一派だとか。されどユニウスは依然として彼らの主張に難色を示している。
アイテール教団が実際に国や民を脅かすような行動を取るなら確かに排除も視野に入れなければならないが、そうでないのならむやみに迫害したくない。それを許せばせっかく博愛の神の名の下に融和と結束を実現した連合国に〝自分と異なる思想の持ち主は排斥しても構わない〟という悪しき前例を作ってしまうから、と。
「へえ……噂には聞いてたけど、ユニウスさんってほんとにエハヴの申し子なんだな。自分に対して敵意を剥き出しにしてくる相手を許すなんて、普通の感覚じゃできないよ。ましてやそんな相手を気遣ったりかばったりするなんて……」
「ま、なんたってユニウス様は、お生まれになったときから《愛神刻》と共に在るわけだしな。何より〝我が意に添わずば是を罰す〟ってのは、ユニウス様が誰よりも憎んだ天帝のやり方だ。だからユニウス様も頑なになるんだろうよ。自分が存在ごと否定した天帝と同類にはなりたくないってな。けど……」
と、そこで難しい顔をしたスジェが言葉を濁した刹那、彼を肩に乗せたままのニストが不意に足を止めた。どうしたのかと目をやれば、無言でこちらを振り向いた彼の前方に一枚の扉がある。素材は恐らく木なのだろうが、表面に彫られた彫刻まで白く塗られた扉だった。どうやらその先が今夜、グニドたちの泊まる客室であるらしい。一行がそう気づくと同時に、ニストは金の把手に手をかけ扉を開いた。
直後、目に飛び込んできたのは真っ白な空間に並んだ青い寝台だ。
いや、よく見れば寝台だけでなく卓や椅子にも青い布がかけられ、奥に見える扉つきの大きな窓にかけられた窓掛けも青い。
まさに先程ヨヘンが言っていた〝空の上〟を思わせる彩りだ。しかも窓の向こうには宮殿の入り口前に広がっていたのと同じ、まばゆいばかりの緑も見える。
どうやら部屋を出てすぐのところに中庭が広がっているらしく、ルルくらいなら泳げそうなほど幅のある盥──いや、あるいはあれは盥型をした人工の池かもしれない──の真ん中から、涼しげな音を奏でて水が噴き出しているのが見えた。
『ふわあ~! またふかふかの寝台だぁ!』
とそれを見たルルが大喜びでグニドの腕の中から飛び下り、寝台へと駆け寄っていく。かと思えば靴も脱がずにぴょんっと跳ねて、思い切り寝台の上へ落下した。
すると青い掛け布を被った寝台がぼふんと音を立て、ルルの体が小さく跳ねる。
確かにヤムタンガ宮殿の寝台にも負けず劣らずのふかふかぶりだ。
が、ルルが土足のまま寝台に上がり、キャーキャー歓声を上げて転がるのを見たグニドは、慌てて靴を脱がそうと駆け寄った。続いて足を踏み入れたラッティたちも、涼しげな配色の室内を見渡して感嘆の声を上げている。
「へえ、こりゃまたいい部屋だな。ヤムタンガ宮殿の客室ほど派手じゃないけど、瀟洒で家具も一級品だ。欄間窓も彩色硝子になってるし……」
「まあ、ほんと! とっても素敵なお部屋だワ……! だけどこんなお部屋にタダで泊まらせてもらえるだなんて、本当にいいのかしら?」
「おー、そこは気にすんな。これから新年の祝賀会に向けて、大陸中から客人が押し寄せてくるからな。人数がほんの数人増えるくらい誤差みたいなもんさ。とりあえずご一行はここでしばらく休んでてくれ。おれっちたちは一刻(一時間)くらいしたらまた来るよ。んで、このあたりの区画をひととおり案内するから、それまでに足りないものや欲しいものがあればリストアップしといてくれよな。あとアルンダ、おまえさんはどうする?」
「アテシも一旦研究所に顔を出して、室長に帰還の報告をしたらうちに帰るわ。兄さんが帰ってきたことを家族に伝えないと……兄さんも一緒に行く?」
「ハンッ、冗談じゃないね! せっかくタダでマグナ・パレスの豪華客室に泊まれるってのに、だーれがあんなむさ苦しい屋根裏なんかに帰るかってんだ! 親父とお袋にはおまえさんから適当に言っといてくれ、チュチュチュ!」
「……そう言うと思った。じゃ、スジェ。悪いんだけど運び屋さんを呼んでおいてくれる? 迎えが来るまではアテシもラッティさんたちとここにいるから」
「ガッテンだ。んじゃ、またあとでな」
そう告げてニストの肩の上から手を振ると、スジェは彼に運ばれるがまま客室を出ていった。グニドははしゃぐルルの足を捕まえながらそんな彼らを見送ったが、結局ニストの方は最後まで口をきかなかったな、とあまりの寡黙さに首を傾げる。
「やー、しかし驚いたな。まさか二日連続で一国の宮殿に泊まれちまうなんてサ。こんな経験そうそうできるもんじゃないし、他でもない宗主サマが直々に泊まっていいと言って下さったんだから、存分にお言葉に甘えるとしようか。でもって隙あらばマグナ・パレスの関係者や各国の重鎮とお近づきに……」
「もう、ラッティったら目がお金になってるわヨ。いくらユニウスさまのお心が広いからって、羽目をはずしすぎて獣人隊商の名前に泥を塗られちゃ困るワ。ご厚意に甘えるのはいいけれど、極力失礼のないようにしなくちゃ……ネ、ヴォルク?」
「……」
「……ヴォルク? どうかしたの?」
と、なおもキャッキャッと笑っているルルの両足から靴を引っこ抜き、グニドがフウと鼻から息を吐いたところで、背後からポリーの不思議そうな声が聞こえた。
どうしたのかと振り向けば、名前を呼ばれたヴォルクは未だ入り口の傍に立ち尽くし、何事か考え込んでいる。が、ポリーの呼び声や仲間の視線に気がつくと、彼もピンと黒い狼耳を上げ「ああ、ごめん」と謝った。
「何でもない。ちょっと考えごと……というか、気になることがあって」
「気になることって?」
「ひょっとして、さっきのアイテール教団とかいう人たちのこと?」
「いや、そっちも確かに気になるんだけど……あのニストって半獣、さ」
「うん?」
「さっきスジェが、ニストさんは羊人と人間のハーフだって言ってたよね?」
「ああ。というかあの巻き角は、どっからどう見ても羊人の角じゃん?」
「……うん。けど、さ。俺の記憶が確かなら、羊人って獣化しない獣人だよね」
「え?」
「犬人や竜人と同じで、さ。獣人の中には獣の姿を取れない種族がいるだろ。で、獣化できない獣人は普通──人間との間には、子供を作れないはずだよな?」