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第一〇五話 かつて魔女のいた島へ


 ヨヘンの妹のアルンダは、兄に似て早口でお喋りな鼠人(ネズミ)だった。


「それじゃあ改めまして、アテシはスダトルダ一族の末っ子で、アビエス連合国の公認飛空船技師をしてますアルンダです! より正確に自己紹介すると、アビエス連合国を束ねるマグナーモ宗主国(そうしゅこく)の首都アルビオンにある、国立希術(きじゅつ)研究所航空技術開発室所属の一級飛空船技師ね。まあ早い話が、国の研究所でより性能のいい飛空船の開発や研究に携わる技術者ってこと。……え? そもそも〝技術者〟が分からない? うーん、そうね……噛み砕いて言えば、専門的な技術や知識を学んで、世のため人のために活かす職業というか……アテシの場合は飛空船にまつわる知識を人よりたくさん持ってるから、その知識を研究所での仕事に活かしてるって感じね。ま、アテシの話は別にいいわよ。そんなことよりアナタたちのことをもっと聞かせて! アテシ、竜人(ドラゴニアン)とお話するのって初めてなの!」


 が、ヨヘンよりもさらに甲高いメスの声で一気に(まく)()てるにもかかわらず、アルンダの言動にはヨヘンほどの不愉快さはない。きっと兄よりずっと謙虚で、振る舞いも礼儀と常識をわきまえているためだろう。

 他方ヨヘンはと言えば、せっかく久しぶりに家族と再会できたというのに、終始(へそ)を曲げていて面白くなさそうだ。どうも急に現れた妹ばかりがちやほやされて、何を言っても皆の関心が自分に向かない状況がことさら不満であるらしい。


「ヘンッ! そうやって船のことにばっかりかまけやがってよぉ、だからいつまで経っても貰い手が見つからねーんだ。おまえさんこのままじゃ本当に行き遅れて、兄弟の中で唯一結婚もできないままぽっくり逝くのが目に見えてるぜ?」

「まあ! 商会(いえ)の手伝いをほっぽり出して、いつまでもフラフラしてる兄さんにだけは言われたくないわ。だいたいそれを言ったら兄さんだって、あちこちほっつき歩いてるせいで全然女の子にモテなくて、未だに恋人もいないじゃないの!」

「オイラは世界を股にかける冒険家だからいいんだよ! 一年中ほとんど家を空けてるってのに、所帯なんか持っちまったら嫁さんや子供がむしろかわいそうだろ? だからオイラは一生を孤高の冒険家として生きる覚悟を……」

「まあ、確かにそうね。兄さんの場合はラッティさんたちが養ってくれてるから何とかなってるけど、冒険家なんて実際は何の実入りもない無職の遊び人みたいなものだし、そんな夫を持ったら奥さんがかわいそうって話には全面的に同意するわ」

「カッチーン! 誰が無職の遊び人だコラァ!」

「何よ、まぎれもない事実でしょ! 悔しかったらお得意の冒険談とやらで、アテシの月収より稼いでみたらどうなの?」

「バカ言え! 冒険ってのはロマンと真実を追い求めるもんであって、金には換えられないから尊いんだよ!」

「だから、そういうのを遊びとか道楽っていうんでしょ!」

「ええい、やかましい! 年中狭い船渠(ドック)()()もって、外の世界を見ようともしないおまえさんにはどうせ言っても分かんねーよ! チューッ!」


 としまいには機嫌を損ねて、たびたび(アルンダ)に突っかかっていくからタチが悪い。

 おかげでこの兄妹は朝も昼も関係なく、顔を会わせれば喧嘩ばかりしていた。

 そんな不毛な言い合いがひっきりなしに繰り広げられるものだから、いつも間に挟まれるグニドはいい加減辟易(へきえき)してきて、


「アノ二人、トテモ、仲悪イ。何トカナラナイカ?」


 とラッティたちに相談を持ちかけたりもした。が、彼らは皆けろっとして、


「え? アレはどっちかっていうと〝喧嘩するほど仲がいい〟ってやつだろ?」


 と取り合わない。彼らが口にする〝喧嘩するほど仲がいい〟というハノーク語のことはよく分からないが、文脈から推理する限り〝隣の卵から生まれた者同士ほど喧嘩する〟という谷の教えに近いものだろうか?


 だとすれば、まあ、同じ家族に属するヨヘンとアルンダは、確かに〝隣の卵から生まれた者同士〟と言えなくもない。つまりあのふたりの言い争いは、グニドが谷にいた頃よく巻き込まれていたスエンとエヴィの喧嘩みたいなものということか。

 だとしたらラッティたちの言うとおり、極力関わり合いにならずに放っておくのが一番なのかもしれない。〝穴蜥蜴(ティプ・ドラズィル)の喧嘩は禿鷲(エルトゥルヴ)も喰わない〟とも言うし。


「グニド。アレ、アレ」


 かくて騒がしさを増した空飛ぶ船が、無名諸島を離れて二日が過ぎた頃。

 朝、船内で食事を済ませたグニドが、もう間もなくアビエス連合国領が見えるはずだと聞いて甲板へ出てみると、舳先(へさき)の方の船縁から身を乗り出したクワトが何やら地上を指差し始めた。生まれて初めてブワヤ島を離れ、しかもいきなり空飛ぶ船に乗り込むこととなったクワトは最初のうちこそ落ち着かない様子だったものの、二日も経つと少しは環境の変化に慣れたようだ。


 おかげでハノーク語を学ぼうという心の余裕も生まれてきたのか、身振り手振りを駆使しながら、グニドたちを頼って簡単な単語をいくつか覚え始めた。

 しかし全身を包む毛皮がなく、寒がりなのは竜人(グニド)と変わらないようだ。

 そのせいで吹きさらしの甲板に出るとしきりに寒がり、今はポリーが以前グニド用に作った防寒着を着込んでぬくぬくしていた。


 他方グニドは真冬のルエダ・デラ・ラソ列侯国(れっこうこく)を離れたばかりの頃に比べたら、高所を航行する船の上もだいぶ暖かくなったと感じていて、防寒着なしでも過ごせている。だというのにクワトばかりが寒がっているのは、やはり常夏のブワヤ島に比べれば、外の世界はどこも気温が低いということなのだろう。

 昼と夜の寒暖差が激しい砂漠育ちのグニドと違って、年中気温の変わらない島で育ったクワトはなおさら寒さに耐性がないのだろうし。


「ナニカ、見エタカ?」


 と、そんなクワトに続いて船縁から長い首を伸ばしたグニドは、思わず『おぉ』と感嘆の声を漏らした。何故ならクワトが懸命に指差す先──見渡す限りの(あお)の真ん中に、ぽつりと浮かぶ小さな陸地が見えたからだ。


「ふわあー! グニド、島! あれ、島だよね!?」

「ウム……ダガ、アビエス連合国ハ、大陸ニアル。ツマリ、アレハ、無人島カ?」

「いいえ、あの島もれっきとした連合国領、もっと言えば我が国最北端に位置する常夏の楽園よ。と言っても、カヌヌやクワトさんの生まれた無名諸島に比べれば、ずっと雨も少なくて過ごしやすい島だと感じるでしょうけど──何はともあれ、ようこそ、アビエス連合国へ!」


 そう言ってひょいと船縁へ飛び乗り、両手を広げてみせたのはアルンダだった。

 なるほど、いくつもの国家が連合してひとつの大きな国を作っているというアビエス連合国には、ああいう島国も加わっているのか。

 さらに首を伸ばしてみれば、眼下に見える島はカヌヌたちのいたワイレレ島よりひと回りもふた回りも大きく感じる。島の北側には麓の森から突き出した巨大な岩山が鎮座していて、見る者の視線を引きつけた。


「デハ、アノ島モ、島ダケデヒトツノ国カ? 何トイウ国ダ?」

「あそこはモアナ=フェヌア海王国(かいおうこく)。潮が引くと砂の道でつながる五つの島からなる国サ。このあたりの海でしか採れない海蛍石(かいけいせき)って珊瑚(さんご)を使った青い街並みが有名で、特に王宮のある碧都(へきと)マリンガヌイは〝エマニュエルで最も美しい都市〟にも数えられるくらい綺麗なんだよ」

「モアナ=フェヌア海王国(カイオーコク)……?」


 とラッティが教えてくれた国の名を復唱し、はて、とグニドは首を傾げた。

 その名前には聞き覚えがある。

 どこで最初に聞いたのだったか思い出せないが、確か──


「だけど海王国といえば、確か列侯国で知り合ったマナさんがあの国のご出身だって言ってたわよネ」

「ああ、そういやそうだっけ。でも言われてみればマナさんって、いかにもモアナ人って感じの人だったよな。なんかのほほんとしててマイペースで……」

「えっ。ちょ……ちょっと待って、ラッティさん。海王国のマナさん、って……そう名乗る人と出会ったの? ま、まさかとは思うけど、それって行方不明の女王様じゃないわよね……!?」

「へ?」

「アビエス大戦でユニウス様と一緒に連合国を創ったあと、たったひとりで大陸を飛び出していっちゃったっていうマナキタンガ女王よ! もう二十年以上も帰ってこなくて、そのせいで海王国の王位は未だ空位のままだって言われてる……!」

「え……ええええぇぇっ!?」


 直後、船縁の上のアルンダが発した驚愕の事実に獣人隊商(ビーストキャラバン)震撼(しんかん)した。

 女王? マナが? あの国の?

 いやいや、何かの間違いだろう……と首を振ってみるものの、そう言えばマナはかつて本名を〝マナキタンガ〟と名乗ってはいなかったか。

 とすればたった今、アルンダが口にした女王の名前と一致する。が、それでもグニドは偶然名前が同じだけの別人だろうという可能性を捨て切れなかった。

 もっともそんな淡い期待は、ほどなく背後から聞こえた(メス)の声によってあえなく打ち砕かれてしまったが。


「あらあら、ついにバレちゃった。ダメじゃない、アルンダ。海王国の機密を余所の国の人に勝手に洩らしちゃあ」

「ま、マドレーンさん……!」

「機密も何も、海王国の女王不在はもはや公然の秘密でしょう、マギステル教授。というかその口ぶりだともしかして、教授も女王様とお会いになったんじゃないですか? 女王様と教授もアビエス大戦時代の戦友だと聞いていますし──」

「さあ、何のことかしら? 生憎(あいにく)私は列侯国でそれらしい人物は見かけなかったのよねぇ。あの子も今や不老の魔女だから、姿を見ればひと目で本人だと分かったはずなんだけどぉ」


 と、驚くほどの白々しさで頬に手を当て、グニドたちから少し遅れて甲板に出てきたらしいマドレーンが言った。彼女は今日も今日とて露出の多い衣服の上に真っ白な外套(がいとう)を着て、いやに赤い唇をにこにこさせている。しかしそう言えばマナはマドレーンやヴェンとは知り合いで、ゆえにサン・カリニョではふたりと鉢合わせしないようこそこそしていたのだと、確かヒーゼルが言っていた。


 とはいえマナが何故彼女らに会うことを避けていたのか、その理由まではグニドも知らない。が、アルンダの話が事実なら、ひょっとすると女王として故郷に連れ戻されるのが嫌で逃げ回っていたとでもいうのだろうか?

 まあ、この様子だとマドレーンは、マナが列侯国で義勇軍に参加していることに気づいていながら目を(つぶ)り、あえて知らないふりをしていたようだが。


「え……い、いやいや、けど、待ってくんない? あのマナさんが海王国の女王サマだって? た、確かに口寄せの郷(アルカヌム)の出身でもないのに希石(きせき)なしで希術が使えるなんて、只者じゃないんじゃないかって気はしてたけど……」

「……けど、アルンダが知ってるってことは当然、ヨヘンも知ってたんじゃない? なのに俺たちに黙ってた?」

「い、いやあ……オイラも最初は全然知らなかったんだぜ? まさかあの人が噂の女王サマだなんてさ……ただ、オイラが連合国の出身だって知ったマナさんが先手を打って、こう耳打ちしてきたわけよ。〝私の正体に気づいても他言無用──もし言い触らしたら野良猫のエサにしちゃうぞっ☆〟って……」

「きょ、脅迫……! まぎれもない脅迫だワ!」

「だけど兄さん、それで女王様の正体に気づいたなら、どうして早く国もとにお帰り下さるよう説得しなかったのよ! 海王国の民はもちろん、ユニウス様だってもうずっとあの方のお帰りを待ち侘びておられるのに!」

「無茶言うな! 相手は一国の女王サマで、しかもオイラは儚い命を握られてたんだぞ!? なのにそんな(おそ)(おお)いこと言えるかあ!」

「もうっ、兄さんの意気地なし! ひとりで勝手に家を飛び出していく勇気はあるくせに、なんで肝心なところでそうビビりなのよ!?」

「うるせー!」


 また始まった。グニドはもはや日常の一部と化しつつある兄妹喧嘩を呆れ顔で眺めつつ、しかしとある疑問を抱いた。というのは今の口ぶりを聞く限り、ひょっとすると彼らはマナが国を出た理由を知らないのだろうか?

 彼女が表向きにはなんと言って女王の座を降りたのか、グニドは知らない。

 けれど少なくとも今のマナは、死ぬために旅をしているのだと言った。

 呪いに(むしば)まれゆく命を、自らの手で終わらせる方法を探している、と。


 だからグニドにしてみれば、マナには故郷へ帰るつもりなどさらさらないのではないか、としか思えない。彼女の胸に埋め込まれた呪いを取り除く方法が見つかれば話は別かもしれないが、そんなものはとうに失われてしまったとマナは諦めている様子だったし。ゆえに今更女王の座に戻ったところで仕方がないと、自らを知るマドレーンたちとの接触を避けていたのだとすれば辻褄(つじつま)は合う。しかしそもそもマナは何故、あのような呪いを抱えて生きることになったのだろう?


 その答えが分かれば、彼女を救う手立てを探せはしないか?


 マナを呪いの苦しみから解放し、再び故郷の地を踏めるよう導く手立てを──


「──せっかくだから寄ってみる? モアナ=フェヌア海王国」


 ところがグニドが徐々に近づいてくる島影を見つめて考え込んでいると、不意に予想もしていなかった言葉が耳穴を()いた。

 驚いて振り向けば、そこには意味深な笑みを(たた)えたマドレーンがいる。

 彼女は相変わらず赤い唇の端を上げたまま、腕を組んでグニドを見ていた。


「……オマエ、オレノ心、読ンダカ?」

「まさか。わざわざそんな面倒なことしなくたって、あなたの顔にはっきり書いてあるじゃない。あの島へ降りてみたいって」

「け、けど、マドレーンさん。艦隊の航路をいきなり変更しちまうのはさすがにまずいんじゃ? 寄り道した分だけ、本国に帰るのも遅くなるし……」

「寄り道って言ったって、ほんの今日一日だけよ。そもそも九番艦(ラルス)の故障で足止めを食った分を取り戻すために、無名諸島からここまで全速力で飛ばしてきたおかげで、本国に通達した帰還予定日時までまだ時間があるわ。何より海王国からアルビオンまでは、船を飛ばせば半日とかからないし」

「じ、じゃあ提督(ヴェンさん)の許可さえ下りれば?」

「ええ。あの酔っ払いなら島で一番いいお酒を(おご)ってあげると言えば喜んで飛んでいくでしょうから、許可を取るのは簡単よ?」

「いや、それはそれで何か別の問題があるような……」

「ルル、いきたい! かいおーこく、いってみたい! グニドも、クワトもいってみたいよね? ね、ね!」


 ところが悩むラッティといい加減なことばかり言うマドレーンの会話を遮って、そのときルルが無邪気に叫んだ。どうやらルルもマナの故郷だという島に興味津々なようで、大きな目をキラキラさせながらグニドとクワトを交互に見やる。

 そんなルルの様子から会話の流れを察したのかどうか、クワトは海の上の島をもう一度ちらと見やったあと、今度はグニドを向いてうんと深く頷いた。

 とすれば答えはひとつだ。

 グニドはニッと口の端を持ち上げてみせたあと、マドレーンに向き直って言う。


「ソウダナ。オレモ、興味アル。海王国、ドンナトコロカ、見テミタイ」

「じゃ、話は決まりね。早速ヴェンに掛け合ってきましょう。うふふ、これで久しぶりに海王国のパイ料理が食べれるわぁ。特にマリンガヌイの屋台で買えるフルーツパイは絶品なのよ」


 ……もしかしてこいつはそれが目当てで、おれをダシに使ったのか?

 という気がしなくもなかったが、ともあれグニドら一行は、かくてアビエス連合国最北の地、モアナ=フェヌア海王国へと降り立つことになった。

 マナが生まれ育った島。あそこではどんな人々が、どんな暮らしを送っているのだろう。その答えを知ることができたなら、自分は辿(たど)()けるだろうか。

 列侯国で別れを告げた、海の国の魔女の秘密に。


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