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子連れ竜人のエマニュエル探訪記  作者: 長谷川
【無名諸島編】
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第一〇四話 さらば、聖なる島々よ


 遥か、遥か遠い昔、世界には〝無〟があった。


 否、より正確には、世界には〝無〟しかなかった。そこへどこからともなく一羽の鳥が飛んできて、長い(くちばし)の先に(くわ)えていたひと粒の種を〝無〟に()いた。


 種は芽吹いてすくすく育ち、白い幹に青き葉を繁らせる大樹となった。


 のちに《始まりの鳥》とも《神鳥ネス》とも呼ばれるこの鳥は、大樹が育つと喜んで巣をかけ、卵を生んだ。ところが卵を抱き始めてから四日目のこと、いずこからともなく飛来した流れ矢が鳥の白い翼に突き立ち、驚いた鳥は痛みのあまり叫んで暴れた。おかげで卵は巣から転げ落ち、大樹の根もとで無惨に割れた。


 鳥はこれを見て嘆き悲しみ、さめざめと涙を流した。


 すると右眼の涙から《白きもの》が、左眼の涙から《黒きもの》が生まれた。そして、割れて腐った卵は次第に瘴気(しょうき)を放ち、そこから《原初の魔物》が生まれた。


 《原初の魔物》は生命の源である大樹を奪わんとしたがために地の底へ追いやられたが、《白きもの》と《黒きもの》は交わってひと柱の神を生んだ。


 それが二十二大神の母であり、今も北極星として夜空に輝く《母なるイマ》だ。


 イマは《白きもの》と交わり十一の子を生んだ。


 イマは《黒きもの》と交わり十一の子を生んだ。


 この子らがのちに二十二大神と呼ばれ、エマニュエル中の民の信仰を集めるわけだが、しかし世界が神々のものであった頃、人類はまだ存在していなかった。


 のちに《白きもの》と《黒きもの》がイマを巡って争い始め、互いの十一の子を引き裂いたのがすべての始まりだ。引き裂かれた子らから溢れた碧血(へきけつ)は海となり、飛び散った肉は土となり、骨は岩、髪は川を創った。


 神々が肉体という名の器を失ったのは、このときであったと言われている。


 さらに子らは魂をもふたつに裂かれ、それゆえに月が生まれ太陽が生まれた。


 夜が生まれ朝が生まれた。闇が生まれ光が生まれた。


 されどすべての子を八つ裂きにしたあとも《白きもの》と《黒きもの》の争いは止まなかった。《母なるイマ》はこれを悲しみ、ひたすらに泣き暮らした。


 するとイマの瞳から零れた涙は星となり、天空はやがて星で溢れた。


 そうしてあまりに多くの星が生まれたものだから、とうとう空から零れる星々があり、地上へ落ちたイマの涙は人間となった。生まれたばかりの人類(かれら)は実に無垢で(けが)れを知らず、イマを母と慕って彼女の心を慰めた。


 けれどもそんな地上の様子を見ていた《原初の魔物》がある日、人々の間に不幸を()いた。欲望を撒いた。憎しみを撒いた。以来、人間たちは争い始めた。


 これによりいよいよもって膨れ上がったイマの悲しみは彼女を追い立て、ついに天界から身を投げさせた。大地に叩きつけられ粉々になったイマの肉は獣となり、草木となった。遺された魂だけは天高く孤独に昇り、ひときわ輝く星となった。


 そこからあとのことは世界中の誰もが知るところだ。《母なるイマ》を失った子らは嘆きのあまり怒り狂い、彼女を死に追いやった《白きもの》と《黒きもの》、そして《原初の魔物》を打ち滅ぼすべく立ち上がった。彼らが始めた仇討ちのための戦いはやがて『神界戦争』の名で語り継がれることとなり、保身のために《原初の魔物》と手を組んだ《白きもの》と《黒きもの》を神と人とが手を取り合い、打ち倒していく物語は、今も美しい愛と勇気の神話として人々から愛されている。


 結局、その戦いで力を使い果たした神々は、復活の予言を遺して眠りに就いてしまったが、今、世界では次々と彼らの崇高なる魂が目覚め始めていた。


 ということはやはり、神話も予言もすべてが約束された真実であり、世界は再び神々の御許(みもと)へ還る日がやってくるということだ。

 そう考えれば《新世界(エデン)》の到来を告げる《夜明けの喇叭(シャルマン・ヨベル)》を吹き鳴らし、天使たちが《神々の目覚め(エル・シャハル)》を報せるために地上へ舞い降りる日も遠くはない。


 もうすぐ、人類が太古の昔から焦がれてやまなかった楽園の扉に手が届くのだ。

 だから誰にも邪魔はさせない。

 神々が再び降臨し世界の支配者となる日が来れば、人類の穢れは洗い清められ、本当に正しい者だけが究極の幸福を手にすることができるのだから。


「〝神々に選ばれ《新世界》へ招かれし者は、老いや病、死さえも超越した存在となる〟……そうですよね、エシュア様」


 肉を喰らう獣の(むくろ)があちこちに転がる洞窟で、男は()(ただ)れた顔を押さえる指の狭間から、爛々(らんらん)と輝く眼を覗かせながら呟いた。


 ──ああ、早く。


 一日も早く全人類の夢である白き扉に辿(たど)()き、この手で押し開いてみせたい。


 その扉の先には果たしてどんな景色が広がっているのか。

 どんな祝福が待っているのか。究極の幸福とは何なのか。それを全身に浴びたとき、自分は甘い痺れと共に、とろけて消えてしまうんじゃないだろうか。

 いや、永遠が約束された楽園では、人はそんな風に消えたりしないか。

 むしろ息もできないほどの多幸感に溺れ続ける?


 甘美な夢想は男の嗅覚から鼻を覆いたくなるほどの死臭を遠ざけ、手にした剣が獣の腥血(せいけつ)にまみれていることすら忘却させた。


 そうして彼は笑い続ける。初めは低く、最後には天を仰いで高らかに。


「待っていて下さい、大いなる神々よ。あなた方に仇為す冒涜者の群は、僕らが根絶やしにしてご覧に入れます。アビエス連合国の魔女どもも、邪教を奉ずる異種族どもも──そして、慈悲深き神の手を振り払ったルルアムス。君も必ず、ね」



          ×



 空飛ぶ船団がワイレレ島の上空を埋め尽くしていた。騒ぎを聞きつけ集まったラナキラ族の者たちは、誰もが唖然と空を仰ぎ、口々に何事か叫んでいる。

 されど彼らの声はいずれも船上で回転する翼の音に掻き消され、ほとんど聞き取れそうもなかった。やがて一隻の大きな船の上から小舟が一艘(いっそう)飛び離れて、グニドたちのいる浜辺を目指して飛んでくる。小舟の傍らには随行する翼獣(ラプン)の姿もあり、黒い翼の陰に見えつ隠れつする白い毛玉に、当然ながらグニドは見覚えがあった。


「ご無事でしたか、ヴェンどの! 獣人隊商(ビーストキャラバン)の皆さんも、大事なかったようで何よりです!」


 ほどなく小舟と共に浜辺へ降り立った白猫のエクターが、着地するや否やひょいとラプンの背から飛び降り、鍔広(つばひろ)の帽子をはずしてグニドたちとの再会を喜んだ。

 空の上で彼らと別れてからまだ八日しか経っていないというのに、その八日の間に色々なことがありすぎて、ずいぶん久しぶりに彼の声を聞いた気がする。


 さらにエクターに続いて小舟から降りてきたのは、言わずもがなマドレーンだった。例の魔物による襲撃で魔力を使い果たし、しばらくは静養が必要だと聞いていた彼女も、もうすっかり回復したように見える。

 空の上では風避けのために羽織っていた丈の長い上着も今は脱ぎ捨て、肩やら(もも)やら胸やらと、()(つや)を取り戻した肌をやたらと露出しているし。


「よお、お前ら。提督不在の間の舵取り、ご苦労だったな。九番艦(ラルス)の状態は?」

「おかげさまで修理完了よ。船底に開いた穴は応急処置したときのままだから見てくれは悪いけど、新しい希石(きせき)の取りつけも無事に終わって、自力で航行可能になったわ。そっちはそっちで色々大変だったみたいだけど?」

「あー、まあな。島のゴタゴタに巻き込まれたり、神領国(しんりょうこく)(いぬ)っぽいのに好き勝手されたりはしたが、なかなか悪くねえバカンスだったぜ。なあ、お前ら?」

「まあ、ヴェンさんはほとんど酒飲んで酔っ払ってるだけだったからね。そりゃあ楽しいバカンスだったでしょうとも」

「はあ……そんなことだろうと思った。悪いわね、あなたたち。うちの不良提督のお守りをしてもらっちゃって」

「デスガ、ヴェンサンがいなければボクたちの村、大変になってマシタ。ヴェンサン、すごく大きな空飛ぶマモノから、イノチがけで村を守ってくれたデス! だから村のみんな、ヴェンサンにはとっても感謝してマス」

「ホラ、聞いたか、お前ら? やっぱ一軍の提督ともなるとな、こーゆーところで隠しきれないカリスマが滲み出ちまうモンなんだよ。いやあ、お前らにも見せてやりたかったなあ、現役時代さながらの俺の活躍をよ」

「でもあの魔物にトドメを刺したのはウチのグニドですよね?」

「気づけばグニドもいつの間にか、村では英雄扱いになってたしね……」

「──というか、リベルタス提督ッ! 提督は今もバリバリの現役でしょう? でなきゃ普通、あんな無茶な飛び方はできません! まだまだ軍を育てていただかなくちゃいけないのに、隠居気分でいられては困りますよ!」

「……え?」


 ところが数日ぶりの再会を果たしたマドレーンたちととりとめもない会話を繰り広げていると、突然、どこからともなくヴェンを叱りつける声がした。

 少なくともグニドには聞き覚えのない声だ。甲高くて早口で、キンキンと耳に刺さるような声だから、たぶん喋ったのはメスだと思う。

 しかしどう聞いても隊商の仲間の声ではなかったし、マドレーンも違う。


 あたりには野次馬として集まったワイレレ島の住民もいるものの、彼らはハノーク語を話せない──ならば今の声は一体どこから?

 と、グニドが首を傾げた矢先、マドレーンの胸もとではち切れそうになっている黒い(えり)つきの上衣が、何やらゴソゴソと動き始めた。

 かと思えば「ぷはっ!」と大きく息をつく声がして、マドレーンの胸が半分以上も覗く鋭角的な襟刳(えりぐ)りの下から、毛むくじゃらの小さな頭が飛び出してくる。


「あああ、暑いっ! やっぱりこれ以上は潜っていられません、マギステル教授! ただでさえモアナ=フェヌア海王国(かいおうこく)をも(しの)ぐ気温なのに、おまけに教授の胸が大きすぎて苦しいし……!」

「あらぁ、残念。せっかくサプライズとして登場してもらうつもりだったのに」

「わあああっ!? あ、アルンダサン!? ひょっとしてアルンダサン、デスカ!? お久しぶりデス! ボク、カヌヌデス! 覚えてマスカ……!?」

「は、はあ!? アルンダ!? なんでお前がここに……!? ていうかおまえさん、なんちゅうところから出てきてんだァ!? 羨ましいぞこのバカ──むぎゅう!?」


 俄然(がぜん)マドレーンの胸の狭間から顔を出した毛むくじゃらは、よくよく目を凝らしてみれば、なんとヨヘンと同じ鼠人(チュイ)だった。おまけにその鼠人を見てカヌヌが叫んだ〝アルンダ〟という名前には、グニドも聞き覚えがある。

 確かグニドたちがこれから向かうアビエス連合国で、新しい飛空船を考えたり、作ったりする仕事をしているというヨヘンの妹。ところが故郷にいるはずの家族がマドレーンの服の中から現れたと知り、面食らうあまり不適切な発言をしかけたヨヘンは、珍しく不穏な顔つきをしたポリーにすかさず締め上げられた。

 だというのにアルンダは、今にも圧死しようとしている兄には目もくれず、駆け寄ってきたカヌヌを振り向き黒い瞳を輝かせる。


「まあ、カヌヌ! 本当に久しぶりね! 忘れるわけないじゃない、アテシもあなたに会いたくて遥々ここまで来たんだから! ね、元気してた?」

「ハイ! 色々ありマシタが、今はとってもゲンキデス! ボクの故郷(コキョー)でアルンダサンとまた会えるなんて、ユメみたいヨ!」

「あー、ヴェンさん。ひょっとしてこのためにアルンダを呼んでくれたの?」

「やーね、うちの飲んだくれがそんな気の利いた真似できるわけないでしょ? ただアルンダは本国でも指折りの飛空船技師で、しかも『ラルス』の設計者。だから事情を話して出張を要請したら、喜んで飛んできてくれたってだけの話よ」

「ラッティさんたちも久しぶり! 引き続き兄がお世話になってます。……あら? だけどしばらく会わないうちに、もしかしてお仲間が増えた?」

「ああ、ほんと久しぶりだね、アルンダ。こいつは今年の夏に新しく入った仲間で竜人(ドラゴニアン)のグニドだ。その隣にいるのがグニドの連れ子のルル。んで、他にももうひとり──今日からしばらくアタシらと旅することになった、鰐人(クク)族のクワトだよ。どうぞよろしく」


 どうやらアルンダはヨヘンに似て早口だが、兄よりはしっかり者で礼儀もわきまえているらしい。毛の色は灰色一色のヨヘンに比べてやや茶色っぽく、毎日よく手入れされているのかツヤツヤだ。グニドがそんな推測をしながらアルンダを観察していると、彼女も明らかに人間(ナム)ではないグニドらの存在に気がついたようで、好奇の眼差しを向けてきた。そこでグニドやルルと共に紹介されたのが、二日前の宴の席で正式に獣人隊商の仲間入りを果たしたクワトだ。


 ワイレレ島での〝弔いの宴(ラカドゥ・ナ)〟のあと、ヌァギクからクワトの処遇について相談を受けたグニドは、彼女から聞いた話を包み隠さずラッティへ伝えた。すると彼女は予想どおりふたつ返事でクワトを歓迎し、かくてブワヤ島で開かれた返礼の宴の席で、彼がしばらく島を離れることがヌァギクの口から発表されたのだ。


 これにはラナキラ族も鰐人族も驚き騒ぎ、鰐人の子らの中にはクワトとの別れを寂しがって泣き出す者も多くいた。だがクワトの意思は固かった。里で長にも並ぶ権力を持つヌァギクの命令だから仕方がないとか、一族のためにはこうするしかないとか、恐らく彼はそういう気持ちで旅立つことを受け入れたわけではない。


 今はまだ言葉を交わせないから確かなことは言えないが、やはりクワトは自ら望んで決めたのだと思う──まだ見ぬ広い世界を知るために。


「まあ、すごい! 竜人と鰐人の仲間だなんて……! どっちもすごく凶暴で近づけない未知の種族だって言われてるのに、一体どうやって仲間にしたの? おまけに竜人の連れ子が人間の女の子って……?」

「アハハッ、まあ、詳しいことは連合国までの道すがらゆっくり話すとするよ。ルル、この人はヨヘンの家族のアルンダだ。ヨヘンと違って真面目でいい人だから、仲良くするようにな」

「おいィ、ラッティ! なんだその悪意全開の紹介は!? オイラだって物知りだし勇敢だしいい人だろ!? なあ、ルル!?」

「ゆーかん……?」

「なんでおまえさんまでそこで首を傾げるんだよ!? 〝勇敢〟の意味は前に教えてやったよな!?」

「だからルルちゃんも首を傾げてるんデショ」

「ああ、子どもってのは素直だからな……」

「はあ……兄さんも相変わらずみたいね。何だかかえって安心したわ」


 と、いつの間にやらマドレーンの胸もとを離れ、彼女の肩の上に乗ったアルンダは、ヨヘンそっくりの顔に深い呆れを滲ませ嘆息した。ふたりは毛の色が若干違っているから、恐らく見分けがつかなくなることはないだろうが、しかしグニドの目にはやはり竜人以外の種族はみんな同じ顔に見えてしまう。


 だがアビエス連合国へ行けばさらに大勢の鼠人がいるのだろうし、かの国ではグニドが未だ出会ったことのない種族もたくさん暮らしていると聞く。

 つまり自分もまだまだ知らないことだらけだということだ。だからこそ今日、ついに無名諸島を離れる寂しさはあれど、胸は期待に躍っている。ふとグニドの腕を引き、きらきらした目で見上げてきたルルもどうやら同じ気持ちのようだ。


 次いでグニドはクワトを振り向き、軽く肩を叩いてみた。

 不安はないか、と尋ねたつもりだ。

 するとグニドの考えが伝わったのか、クワトはニッと白い牙を見せて笑った。

 心配するな、と言っているのだろうか。

 いや、あるいはクワトも同じ気持ちでいるのかもしれない。


 そのときクワトの背後から、不意にのそりと歩み寄ってきた人物がいた。

 他でもないヌァギクだ。現在ワイレレ島の浜辺には、クワトの見送りのためにブワヤ島からやってきた数名の鰐人もいた。

 一族の長がしばらく島を離れるのだ。群の者たちは皆、名残惜しいに違いない。

 けれどもヌァギクだけはいつもと変わらぬ眠たそうな眼と(しわが)(ごえ)で何事かクワトに話しかけ、石炭の塊のような彼の両肩を一度ずつ、愛用の煙管(けむりくだ)の先で叩いた。


 ひょっとすると、あれはクワトに精霊の加護を授ける儀式か何かだったのだろうか。ヌァギクからの別れの挨拶を受け取ったクワトは自らも二、三言答えを返したのち、低く喉を鳴らしながら一礼した。


 まるで竜鼓(ムルド)()のように一定の間隔を開けて鳴る喉の響きは、竜人が故人との別れを惜しんだり、相手に敬意を表するときの音に似ている。ヌァギクはそれを見つめて頷くと、次に獣人隊商を(かえり)みて、ラッティとグニドにそれぞれ一瞥(いちべつ)をくれた。


「デハ、ナ。我ガ一族ノ長ヲ頼ンダゾ」

「ああ、任されたよ。隊商(ウチ)としても、竜人に続いて鰐人の仲間まで増えるなんて鼻が高いんだ。世界の色んなとこを見せて回ったら、きっと無事に帰すから」

()。クワトハ、子鰐(コワニ)ノ頃カラ強ク、(サト)ク、長トナル(タヌェ)ニ生ナレタ器ダト信ジテ育テタ。ダガ()所為(セイ)デ、少々窮屈ナ(オヌォ)イヲサセタト思ウ。(ユエ)ニ、此奴(コヤツ)ニハ外ノ世界ヲ見セテヤリタイト望ンダガ、ダカラト言ッテ何カ大事ガアッテハ(コヌァ)ル。呉々(クレグレ)ヌォ(ヨロ)シクナ」

「それ、本人にも言ってやったの?」

(オーラ)。此奴ノ決心ヲ(ニウ)ラセルノハ、本意デハナイ。故ニ、伝エヌサ」

「へえ、驚いた。やっぱ鰐人にも親心ってのはあるんだな。ま、おんなじように群全体が家族って感覚で暮らしてた竜人(グニド)にだってあるんだから当然か。神話に出てくる〝人類みな兄弟〟って格言は、あながち嘘でもないのかもね」


 感心したようにそう言いながら、ラッティは丸出しの腰に手を当ててニシシッと笑ってみせた。ふたりが何を話しているのか分からないのであろうクワトは、何だか少し不思議そうだ。ともあれこれにて出発の準備は整った。あとは再び空に浮くあの船団に飛び乗って、一路アビエス連合国を目指すだけだ。


 ラッティもそう腹を(くく)ったのか、仲間たちに目配せすると、最後にカヌヌへと向き直った。少し遠巻きにこちらを見つめる群衆の中には、ラウレアに付き添われたオルオルの姿もある。一族の皆に見守られながら、カヌヌはニッと笑ってみせた。


 いかにもカヌヌらしく、されどほんの少しだけ寂しそうに。


「じゃあ、ラッティサン、ヴォルクサン、ポリーサン、ヨヘンサン──ソレから、ヴェンサン、ルルサン、そしてグニドサン。ホントのホントに、皆サンにはいっぱい助けてもらいマシタ。どうもアリガト! またこうしてみんなに会えて、ボク、とっても嬉しかったヨ!」

「うん。アタシらも同じ気持ちだよ、カヌヌ。キーリャのことがあって……アタシは心のどこかで、アンタにはもう二度と会えないんじゃないかって思ってた。どんな顔して会いに来ればいいのか、全然分かんなかったからサ。でも……こうしてまた会えて、本当のことも全部話せて、正直すごくほっとしてる。やっぱアンタはいい長になるよ、カヌヌ。キーリャも、きっとそう言う」


 ラッティがほんの少し狐耳(みみ)を伏せ、不器用に笑ってそう言えば、カヌヌの瞳が熱を帯びて輝いた。けれど、やはり彼も笑っている。

 まるで泣いたりしたら、すぐそこにいるキーリャに叱られるとでも言うように。


「アリガト、ラッティサン。ボク、やっぱり獣人隊商がスキ。大好きヨ。だから次からはエンリョなんかしないで、みんなでまた島を訪ねてきてほしいデス! そのときは特製ハンモックじゃなくて、ちゃんと優しくオデムカエしマスから!」

「ああ、そこんとこはマジでよろしく。あのハンモック、冗談抜きで使い心地最悪だったからサ」

「だけど、カヌヌ。本当に大丈夫? ヴォソグ族の件……あいつら、島に逃げ帰ったと思ったら、今度はラナキラ族と鰐人族が手を結んだことをあちこちの部族に言い触らして回ってるんだろ? ひょっとしたら向こうも向こうで同盟を組んで、また戦を吹っかけてくるつもりかも……」

「アハハッ、大丈夫ヨ、ヴォルクサン! ボクたちには今まで、島の人間がタバになっても敵わなかった鰐人族がついてるんデスから。ソレに、ボクは無名諸島(オネ・ハーナウ)でイチバン強い部族の長デス。だから、何があっても負けマセン。ゼッタイみんな説得して、戦わないで済む道、探してみせマス!」

「へへっ……そっか。まあアンタなら、やると言ったからにはほんとにやり遂げちまうんだろうけどサ。困ったらいつでもアタシらを呼びなよ。そんときは世界中どこにいたって、必ず駆けつけるから」

「ハイ! でも、そうなったらボク、ホントにエンリョしないで呼びマスから、皆サン、ゲンキでいて下さいネ? でないとすごく申し訳ないキモチなりマス」

「バァカ、おまえさん、誰に向かって言ってんだよ? こっちにだって最強の用心棒がついてんだぜ? 狼人(ロボ)と竜人と鰐人っていう、エマニュエルの三大武闘派種族と呼ばれる連中が三人もな!」

「いや……それを言うなら、狼人(おれ)より牛人(タウロス)とか猿人(ショウジョウ)の方が武闘派じゃない?」

「じゃあ、正しくはエマニュエルの五大武闘派種族かしらネ?」

「ってことはそのうち、牛人と猿人も仲間になるかも?」

「ムウ……猿人ハ、オレ、ワカランガ……牛人ハ、仲間ニスル、嫌ダナ……」

「あ。そういや竜人と牛人って犬猿の仲なんだっけ?」

「いや、竜人と牛人なんだから〝竜牛(りゅうぎゅう)の仲〟だろ?」

「アハハッ。でも、獣人隊商に入ればみんなナカヨシ! 違いマスカ?」

「そーだよ! ケンカすると魔ものがくるから、みんななかよくだよ!」


 カヌヌがなおも笑って茶々を入れれば、話を真に受けたルルが腰に手を当て、胸を張って叱るような口調で言った。

 そんなルルの様子を見たラッティがぶっと吹き出し、周りもつられて笑い出す。

 無名諸島に注ぐ陽射しのように、からりとした別れになった。そうしてグニドたちはマドレーンが乗ってきた小舟と、ヴェンがこの島へ来たときに使った小舟に分かれて乗り込み、上空を埋め尽くす船の群へと帰還することになる。


「じゃあね、カヌヌ。今回は少ししかお話できなかったけど、アテシもいつか自分の船を作って、無名諸島へ飛んでくるから! アナタが島の長になるなら安心して遊びに来れるわ。そのときはアテシのことも歓迎してよね?」

「もちろんデスヨ、アルンダサン! ヴェンサンも、マドレーンサンもエクターサンも、いつでも歓迎デス! また会いましょー!」


 そう言って大きく手を振るカヌヌに見送られ、グニドたちを乗せた舟はついにふわりと浮き上がった。途端に船底から輪っかのような風が起き、白い砂の上に波紋が広がる。それを見た島の住民たちから再びどよめきと歓声が上がった。彼らの喝采を浴びながら、グニドたちも銘々手を振り返し、空へ、空へと昇ってゆく。


「よっしゃ。そんじゃ有意義な休暇も楽しめたことだし、年が明ける前に帰国するとしますかね。各艦、帆を張って面舵(おもかじ)一杯! 毎日退屈すぎて死にそうなくらい平和な祖国が待ってるぜ!」


 やがてグニドたちが無事に艦上へ帰り着くと、船団はヴェンの号令を受け、一斉に右へと旋回し始めた。その光景は壮観で、この無数の舳先(へさき)の向く先に次の大陸が待っているのだと思うと、常夏の陽を浴びる水平線がいつもより輝いて見える。

 ところがいざ全艦の向きが揃い、南へ向かって進み始めたときだった。

 次第に遠のいてゆく無名諸島と、地上から手を振るカヌヌたちの姿を見納めようと身を乗り出したグニドたちの目に、思いもよらないものが映り込む。


「あっ!? お、おい、ありゃ何だ!? 海の中に何かいる! かなりの数だな……もしかして人魚(フィン)の群じゃないか!?」


 最初に異変に気がついたのは、ヴォルクの肩から船縁へと飛び移ったヨヘンだった。彼が全身の毛を逆立てて頓狂(とんきょう)な声を上げるので、グニドたちも何だ何だとヨヘンの指差す先に目を凝らす。するとそこには確かに()()の影があった。

 空の上から見下ろしても、海底に広がるサンゴの森がはっきり見えるほど澄んだ水中に、見たこともない形の生き物が群をなしている。


 この高さからでも輪郭が分かるということは、かなり大きな生物と見ていいだろう。死の谷(モソブ・クコル)で唯一海辺に暮らすエディサエス族が、時折獲物として狩っている(クラース)のような生き物だろうか。けれども影は尾が異様に長く、水中をうねうねとしながら泳いでいる。あれでは鮫というよりむしろ──蛇だ。


 人間と同じくらい大きく、上半身に腕と頭と髪を生やした。


「いや、違う……人魚じゃない。あれは──」


 息を飲んだラッティがそう言い終えるが早いか、かなり沖まで船団を追いかけてきた影の群がついに海上へ頭を出した。途端にあらわになったのはやはり人間そっくりの顔と体だ。なのに下半身は丸きり蛇で、水面から突き出された上半身とは裏腹に、なおも水中でうねうねと揺らめいている。


さようなら(ナマスカール)、ルルアムス」


 刹那、群の先頭で美しい緋色の髪を掻き上げたひとりの女人蛇(ナーギニー)が微笑んだのを、グニドは知らなかった。


どうか其方たちの(アープキー・ヤー)旅の終わりに(トラー・ケ)精霊の加護が(アント・メイ・)あらんことを(シャーンティ・アーエ)


 グニドに抱かれて船縁から身を乗り出したルルの首輪がちかりと光る。

 まるで七色に揺れる魔石の雫が、彼女の呼びかけに応えたかのようだった。

 精霊の祝福を受けた九つの島がどんどん遠くなってゆく。その島のひとつに佇む森の王だけが、浜辺に人が出払ったラナキラ村の静寂を聞いていた。


 ──ホロロロロゥ、ホロロロロゥ、ホロロロロゥ。

 ──ギーコォ、ギーコォ、ギーコォ、ギーコォ。

 ──コカカカカカカカッ……コカカカカカカッ……。

 ──ウイーィ! ウイーィ! ウイーィ……!


 彼らの愛する楽園は今もなお、那由多(なゆた)生命(いのち)(たた)えて、そこにある。






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