【7】子供のわたしと進んだ時計の針
「アカネの髪は本当に綺麗な黒髪よね。うらやましいわ」
そんなことをいいながら、トールが髪を結ってくれる。
トールの髪はニホン人にしては明るめの栗色をしていて、だから尚更黒髪に憧れているようだった。
器用なトールは髪をいじるのも上手で、さらには特別に化粧までしてくれた。
男の人なのにどうしてそんなに手馴れているのかと尋ねれば、元の世界ではお姉さん相手に家でよくやっていたらしい。
「上手にできると、姉さんたちが喜んでくれてね。自分が誰かを可愛くしてあげられるっていうのが楽しくてしかたなかったのよ」
それがトールの可愛いもの好きの原点のようだ。
「よしできあがり! 鏡を見てごらんなさい」
トールに導かれて、全身が映る鏡の前に立つ。
浴衣を着て化粧をしたわたしは、普段より少しだけ大人っぽく見えた。
「凄い、わたしじゃないみたい」
「ふふっ、可愛いでしょ」
わたしの反応にトールは満足げだ。
「トールって、魔法使いみたいだよね」
なんだってトールの手にかかると、可愛くなる。
ただの布地が誰かを着飾る服になり、それを着た人が幸せな気分になる。
そんなトールの魔法が、わたしは大好きだった。
「アカネは本当可愛いこというわよね」
思わずといったように頭をなでようとして、セットしたことを思い出したのか、代わりにトールはわたしを背中からぎゅっと抱きしめた。
「そんな可愛いアカネを、今から他の男のところへ送り出さないといけないなんて。本当気が重いわ」
今日はヤイチさんと祭りへ行く約束をしていた。
トールはそれが面白くないらしく、芝居がかった口調でそう言って、もういちどわたしをぎゅっと抱きしめた。
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しばらくしてヤイチさんが迎えにきて、わたしは祭りへと出かけた。
家から離れた、普段足を運ばない場所。陽気な音楽が鳴り、人々が思い思いに祭りを楽しんでいた。
色々な屋台が立ち並んでいて、ついつい見入ってしまう。
「ヤイチ様、その服珍しいものですね」
屋台のおじちゃんが話しかけてくる。
本日これで五回目だった。
ヤイチさんは知り合いが多いのか、歩くたびに色んな人が声をかけてきた。
みんな、トールの作ったこの着物が気になるみたいだ。
「これはニホンの服です」
「なるほど、ニホンのものですか! どうりで見たことない服だと思いました」
この国の人たちは、トキビトやニホンの事を知っている人が多い。
先のトキビトたちが、色んな文化を持ち込んで国を豊かにしたからだと、わたしは知っていた。
そして、それにはヤイチさんが一枚噛んでいる。
ヤイチさんが積極的にトキビトを保護して、支援することによって、トールのようなトキビトがこの国に新しい文化を持ち込むのだ。
「とても面白い服ですね。気になります」
屋台のおじちゃんは着物にとても興味を持ってくれたようだった。褒められると、それが自分のことのように嬉しい。
浴衣に合わせてトールがつくってくれた下駄は、ちょっと歩き辛かったのだけれど、ヤイチさんは速度を合わせてくれた。
ふたりしてゆっくり祭を楽しむ。
「やはり、どこの世界でも祭りはにぎやかでいいですね。こうやって着物で歩くと、ニホンを思い出します」
休憩のためベンチに座る。
空を見上げたヤイチさんは、どこか遠くを見るような瞳をしていた。
故郷を思い出して懐かしんでいるんだろう。
「ヤイチさんはそんなにニホンが好きなのに、帰りたいと思ったりはしないんですか?」
ふと疑問に思ったことを尋ねたら、ヤイチさんは少し目を伏せて悲しげに笑う。
「帰りたいと思ったことは何度もあります。でも、わたしの時は進んでしまっていますからね。大切な人たちの居ない場所へ戻ったところで、意味はありません」
その言葉の意味がよくわからなくて首を傾げたら、あなたは知らないんでしたねとヤイチさんが謝ってくる。
「私の時計はあなたと同じで、針が進んでいるんですよ」
ヤイチさんがそういって、自分の懐中時計を見せてくれる。鈍い色に光っていて年代モノといった感じのその時計は、確かに時を刻んでいた。
「この世界にくるトキビトは、大抵元の世界でどうにもならないことがあって、体だけでなく心の時も止めてこの世界にやってきます。この時計はトキビトの心と連動している部分があるんですよ」
そういって、ヤイチさんは懐中時計をしまう。
元の世界への未練が薄れたり、この世界で心を動かされるような事があると、懐中時計の針は動き出す。
けれどそれと同時に、元の世界で止まっていた時も動き出してしまうらしい。
ヤイチさんは時計が動き出してから百年以上ここに留まっている。
だから、今帰ったところで現実ではヤイチさんがいなくなって百年以上経っていて。辿りついた場所に、知っている人は誰もいない。
親も兄弟も知り合いも。大切な人達がすでに亡くなってしまった世界に、戻りたいとは思わないのだとヤイチさんは言った。
ふと思う。
わたしがニホンに帰った時、そこに大切な人はいるんだろうか。
唯一思い浮かぶのはお母さんの事。でも、もう顔すらおぼろげだ。
それに、わたしの時計も進んでしまっている。ヤイチさんの言葉を信じるなら、おそらくはトールと出会って一年目の日あたりから、時計は動き出したんじゃないかと思う。
そうなると、現実では六年くらいの時が経過しているわけで。
六年経っても見た目が七歳のままの娘を、お母さんは受け入れられないと思う。あの人は弱い人だったし、別れた日思いつめた表情をしていた。
もしかしたら――自分で死を選んだんじゃないか。あまり想像したくはないけれど、そんな気もしていた。
それに、大切な人と言われて一番先に想うのはやっぱりトールのことで。
帰りたいと思う場所は、トールの側以外ありえないと再確認する。
「そこに大切な人がいるから、帰りたいって思えるんですよね」
「そうです。アカネさんはそれがよくわかっている」
思ったことを口にすれば、好ましいというようにヤイチさんは微笑む。
「あなたはすでにトールを選んでいる。なのにまだトキビトなのは、子供のままでいる事が一緒にいる手段だからなのかもしれませんね」
理解できたと思ったら、またヤイチさんは思わせぶりな事を言う。
その言葉を頭で噛み砕こうとしたとき、人ごみの奥に見知った顔を見つけた。
わたしに気づいて、こちらへと歩いてくる。
「遅いから迎えにきたわ」
「トール?」
「何よきょとんとして。そんなにあたし、着物似合わない?」
トールはヤイチさんとは違う色の着物を着ていた。
シンプルな男モノの着物。
男用の服を着てるトールを見るのは初めてで、戸惑う。
お世辞抜きで、とてもよく似合っていた。
そういう格好をしていると、トールはかなり男前だ。
襟から覗く肌や、少しまくれた袖口から見える手が、とても色っぽい。
トールが格好いいことくらい知ってはいたけれど想像以上で、どうしていいかわからなくなった。
「アカネ?」
わたしの反応に、トールはちょっと驚いたようだった。
どうしたのかというように近づいてくるトールに、わたしは立ち上がってヤイチさんの後ろに思わず隠れた。
トールがショックを受けたように固まる。
「あなたが格好いいから、照れてるみたいですよ」
ふふっと面白そうに、ヤイチさんがわたしの心を代弁する。
こちらを見たヤイチさんの目は、ほらとわたしを促していて。
「着物、よく似合ってる……格好いいよ」
ゆっくりとトールの方に歩みよって、小さな声でそう言う。
妙に恥ずかしくて、トールの方を見れなかった。
「アカネ」
優しく名前を呼んで、トールがしゃがむ。
わたしをじっと見つめているのが、見てなくてもわかった。
「そういうことは、目を見て言って?」
おねだりするようなトールの声。
ゆっくりとトールを見れば、愛おしむような目でわたしを見ていた。
「……格好いいよ、トール」
「ありがと。褒めてもらったことだし、ここからはあたしとデートしましょうか」
わたしの言葉に、目を細めてくすぐったそうにトールは微笑む。
差し出されたトールの手は、骨ばっていて、男の人の手をしていた。
★7/27 アカネの現実での時の説明を加えました。大きな内容の変更はなく、補足的なものです。