【5】はじめてのおるすばん
「じゃああたし行ってくるけど、夜には帰るから。本当に一人で平気?」
ある日、トールはどうしても行かなくちゃいけない用事が入って、わたしは一人でお留守番することになった。
「大丈夫です。もうわたし一人でお留守番できる歳ですから!」
胸を張って請け負うわたしに、トールは少し心配そうだったけれど、こっちを何度も振り返りながら、出かけて行った。
トールはわたしを一人にしたがらない。
普段は弟子の誰かを一緒に残したりしていたけれど、今日は生憎みんな都合が合わなかった。
きっと、過去を気にしてのことなんだろうなとは思う。
お母さんを一人で待っていた幼いわたし。
あれからかなりの時が経って、わたしはあの時のことを冷静に考えられるようになっていた。
――わたしはお母さんに捨てられた。
それは、薄々わかっていたけれど、認めたくなかったことだった。
幼いわたしも気づいてはいた。
けれど、その事を否定したくて、きっと帰ってくるとあの部屋で待ち続けていたのだ。
やっぱりその事実は、冷たい重りのように胸に落ちる。
けど、すんなりとはいかなくても、今はその事を見つめられた。
だって今のわたしには、トールがいるのだ。
ひとりぼっちで、お母さんしか頼るものがなかった幼いわたしとは違う。
待っている間に掃除をしたり、洗濯をしたりした。
いつかトールの役に立つんだと、一生懸命に裁縫の本を読む。
本当はそろそろ針を持たせてもらいたかったのだけれど、トールは過保護でわたしが怪我をしそうなモノを渡してはくれなかった。
手がもう少し大きければなぁと思う。
トキビトだから、わたしの体は成長しない。
どんなに心が成長したと思っても、見た目はいつまで経っても子供で。
わたしは、この先もトールに世話をかけてばかりなんだろうか。
トールは歳をとらないし、わたしも歳をとらない。
ずっと一緒にいられる。
そう思うこともあったけれど、同時にそれはわたしの面倒をずっとトールに押し付けるということだ。
こんなわたしに、いつかトールは愛想を付かすんじゃないか。
そんな思いが、一人になると湧いてくる。
「はやく帰ってきて……トール」
不安になって外をみれば、大雨。
カミナリがゴロゴロと鳴って、わたしは机の下に隠れた。
大きな音に、強い光。
どっどっと心臓が音を立てる。
母さんがいなくなった日も、こんな大雨の日だった。
一人でタンスの中に隠れてカミナリに耐えた。
時計を見れば、もう帰ってくるはずの時間は過ぎていて。
――またわたしは捨てられたんじゃないか。
そんな思いが頭に過ぎった。
トールはそんな人じゃないと否定するけれど、一度考えた不安は大きくなってわたしを襲ってくる。
――よく考えてごらんよ。何もわたしはトールにしてあげられてない。今まで側にいてくれた事の方が不思議じゃないか。
ささやくような自分の声が聞こえた気がした。
だから捨てられても傷つく事はない。
そうやって、自分を守ろうとする弱いわたしの声だった。
「帰ってくる……帰ってくるよ、トールは」
言い聞かせるように口にする。
耳を塞いで呪文のように唱えていたら、ふいにドアが開く音がした。
走ってそこまで向かうと、ずぶぬれのトールがそこに立っていた。
「ごめん。道がぬかるんで、馬車が動かなくなっちゃって。遅くなっちゃった。大丈夫だった?」
馬車を置いて、徒歩でここまできたんだろう。
トールの息は弾んでいた。
「っ、トール!」
勢いよく抱きつく。
「ちょっと、濡れるわよ! 何かあったの!?」
戸惑うトールのお腹に、顔を擦り付ける。
泣いていたのを雨で誤魔化すように。
「あたしが帰ってこないかもって、心配したの?」
優しい声色は、ちょっぴり嬉しそうにも聞こえた。
うんと頷くと髪をなでてくれる。
「馬鹿ね。あたしがあんたを置いていなくなるわけないじゃない」
「わたし何もトールにしてあげられないから、もう愛想つかされたのかなって、思って」
しゃくりあげながら言葉にすると、トールが私と目線を合わせるために膝を床に付いた。
「アカネはもう十分あたしに何かしてくれてるわ」
にっこりと幸せそうな顔で、トールがそう言う。
「でもわたし、お仕事の手伝いも、家事もできないし……トールの役に立ってない」
「あんたはあたしの側にいて、あたしのことを想ってくれてる。そこにいるだけで十分なのよ」
納得いかない顔をしているわたしの手を、トールが引く。
「濡れちゃったし、お風呂に入りましょう」
「えっ、一緒に?」
戸惑っている間に風呂場へと連れて行かれる。
てきぱきとトールが湯沸しをし、わたしの服を脱がしていく。
「ちょっとトール、恥ずかしいよ!」
「今更何言ってるの。子供なんだから問題ないでしょ」
冷えるほうが問題なんだからというように、トールはわたしを無理やり風呂に入れた。
十四歳になって、男の人とお風呂なんておかしい。
なんでトールは気にしないんだろう。
恥ずかしいし、腹立たしい。
こっちはどこに目をやったらいいのかわからないというのに。
当然のごとくトールは裸だ。
「ちょっとどうしたの。何でそんなにむくれてるの?」
わたしの怒りの原因さえ、トールには検討がつかないようだ。
ちょっといつもよりしっとりとしたトールの髪とか、意外と厚い胸板とか、わたしにはついてないアレだとか、こっちは意識して大変だというのに。
トールときたら、大人だから自分でやると言ったのに、たまにはいいじゃないのとわたしの頭から体まで洗ってしまった。
子供のときと全く同じように、トールはわたしを扱う。
自分だけドキドキしてしまっているのが、悔しい。
トールの態度がしかたない事だとわかっていても、それがちょっぴり腹立たしかった。