【4】彼が認める男の人
午後からトールは布の仕入れで出かけるので、わたしは店番をすることになっていた。
工房でもくもくと作業しているヘレンと別れて、少し早いけれど店の方へと向かう。商談用のテーブルに誰かが座っていた。
「あぁ、お久しぶりですねアカネさん」
「ヤイチさん、来てたんですね!」
わたしを見つけて、ヤイチさんが微笑んだ。
ヤイチさんは二十代半ばの男の人で、わたしやトールと同じトキビトだ。
真っ黒な髪を束ねて、すっと後ろに流している。
優しげな顔立ちをしていて、外見はトールとそう歳が変わらないけれど、かなり昔からこの国にいて、もう百歳は越えているらしい。
「すいません、お待たせしてしまいましたか?」
「いいえ大丈夫ですよ。今トールが頼んでいた品物を取ってきてくれているところです。そうだ、忘れないうちにこれをどうぞ」
そう言ってヤイチさんが手に乗せてくれたのは、星型をした砂糖菓子。
「アカネさんにお土産です。南蛮由来のお菓子で金平糖っていうんですよ」
ニホン人であるヤイチさんは和風のものが好きで、どこからか見つけてはお土産としてくれる。
この金平糖は、お菓子屋をはじめたトキビトから貰ったのだと、ヤイチさんは嬉しそうだった。
飾らない雰囲気の人だからそうは見えないのだけれど、実はヤイチさんはこの国の王に仕える騎士で、とても偉い人らしい。
トキビトの保護と支援に力を注いでくれていて、この店だってヤイチさんのおかげでできたのだとトールはいつも感謝していた。
いっきに食べるのがもったいなくて、金平糖の残りをポケットにしまったら、トールが奥から現れた。
「お待たせ。注文の品持ってきたわよ」
「ありがとうございます!」
ヤイチさんが嬉しそうにトールの手から品物を受け取り、その場で広げる。
それは和風の着物だった。
「あぁ、いい色ですね。この肌触りもとても馴染み深いです。この世界で着物が着れる日がくるなんて……」
「まったく苦労したのよ? 布地をつくるための材料からさがして、染料も自分で作ったんだから。お陰で二十年もかかったわ」
感極まった様子のヤイチさんに対して、トールはちょっぴり得意げだった。
「早速着てみてもいいですか?」
いつも落ち着いた大人の人という印象のヤイチさんが、珍しくそわそわとした様子でそんな事を尋ねてくる。
家まで待ちきれないという様子だった。
「いいわよ。着物なんて作り慣れてないから、こっちとしても丈が合うかとか心配だしね」
ヤイチさんの喜びっぷりが嬉しかったのか、トールはふふっと笑って奥の部屋を案内する。
トールの作った紺色の着物は、ヤイチさんに良く似合っていた。
ヤイチさんは着物がとても気に入ったらしく、袖を触ったり、襟元をなぞったりしていた。
「やっぱり洋装よりは、こちらの和装が落ち着きます。ニホンの心ですよね」
「んーあたしあんまり着物に馴染みないのよね。普段着ないし」
同意を求めたヤイチさんに対して、トールがそんな事を言った。
「お祭りの時に着る服だよね」
「そうそう。特別なときにしか着ないわよね」
わたしの言葉に、トールが頷く。
「私の時代ではこれが普段着だったんですけどね……」
呟いたヤイチさんは、少し寂しそうというか、納得のいかない顔をしていた。
「そういえばアカネさんはどの時代からこちらへ来たのですか?」
尋ねられて考える。
七歳の時にこちらに来たわたしは、覚えていることが少なかった。
「たぶん私とそう変わらないわよ。テレビも電話も知ってたし。あたしと同じヘイセイ生まれの現代っ子よね?」
「ヘイセイ? ショウワじゃなくて?」
首を傾げたわたしに、トールがちょっと驚いた顔になった。
「もしかして、アカネってあたしよりも前の時代からきてるの?」
「後からこの世界に来たトキビトが、自分よりも前の時代からの人だったなんてことはよくありますよ」
落ち着いた様子で、ヤイチさんは答えた。
長く生きているので、きっと他にもそういう例を見たことがあるんだろう。
「スマホとか、携帯電話って知ってる? 持ち歩ける電話よ」
「すまほ? 電話ってあんなに大きなものを持ち歩くの? 電気はどうするの?」
トールに尋ねられて首を傾げる。
電話ならちゃんと知っている。
黒くて丸いわっかがついてるやつだ。受話器を取ってから、数字のかかれた穴に指を入れて、くるくる回すと遠くの相手に繋がって話ができる。
けれどあれは結構重いし、持ち歩くのは大変そうだった。
それを伝えたら、トールは額を押さえて、なにやらショックを受けたような顔になる。
「そんな電話あたし知らないんだけど。ボタンを押すんじゃなくて回す? もしあっちで出会ってたとしたら、アカネはあたしより年上だったのね。てっきり五十くらいは年下だと思っていたわ」
トールは独り言のようにそう言って、考え込んでしまう。
「でも着物が普段着じゃないってことは、そこまで昔ってわけでもない。冷蔵庫はあるって言ってたしね……」
トールは、難しい顔で黙りこんでしまった。
しかたないので、ヤイチさんと何か話そうかと思い、ちらりとそちらを窺う。
ヤイチさんは考え込むトールの様子を見て、少し微笑んでいるように見えた。
「どうかしたの、ヤイチさん」
「トールはあなたの事となると一生懸命だなと思いまして。そういえば、前にトールから聞きましたが、あなたの時計の針は動いてるのですよね。ちょっと見せてもらっていいですか?」
気になって尋ねたら、ヤイチさんはそんなことを言ってきた。
しゃがんだヤイチさんはわたしから懐中時計を受け取ると、動いているのを確認して、ふっと微笑む。
「アカネさんはこの先も、トールとずっと一緒にいたいと思っているのですね」
いきなりそんな事を言われ、慌てる。
わたしの心が見透かされているようで焦った。
ヤイチさんの口を押さえてトールを見れば、自分の世界に閉じこもっているようで一安心する。
「いきなり何を言い出すんですか!」
小声で非難すれば、ヤイチさんはすいませんと謝った。
「そういう意味で言ったわけではなかったのですが。アカネさんの好きはそういう好きなのですね」
「わーわー! ヤイチさん、折角の着物ですからちょっと外をお散歩しましょう!」
何てことを言い出すんだと、ヤイチさんの手を引いて外に連れ出す。
すいませんと言ったくせに、何がよくなかったのかヤイチさんは全くわかってない様子だった。
悪気のなさそうなあたり、天然というやつなのかもしれない。
幸いトールは、こっちの会話なんて耳に入ってないようだからいいものの、ばれたらどうしてくれる気だったんだろう。
いや、わたしはトールに気づいてもらいたいのだから、ばれたほうがいいのか。
何だか混乱してきた。
「私はあなたとトールはお似合いだと思いますよ」
にっこり笑ってヤイチさんはそんな事を言う。
「……そんなことないです。わたしがどんなにトールが好きでも、こんな体だからトールはわたしを大人の女の人として見てくれないし」
それは誤解だなんて嘘をついたところで、ヤイチさんには通用しない気がしたので、そのまま会話を続けることにする。
「大人になりたいのですか?」
「それはなりたいですけど。でもいいです。大人になったら、トールと一緒にいられないってわたし、わかってますから」
ヤイチさんの質問に、答えを返す。
トールは、いつかわたしを元の世界に帰すつもりでいる。
七歳のわたしが一人で生きていけるように、色んなことを教えてから、元の世界へと送り出すつもりなのだ。
その事に気づいたのは割と最近で、十二歳の時。
学校に通いたいと言ったわたしに、トールは駄目だと言った。
理由はここでの知識がつくと、現実に戻った時混乱するかもしれないからという事だった。
トールが幼い頃からわたしに、ニホン語の読み書きや、知識を教えていたのも、いつか帰る時のためのものだったと、その時気づいた。
「だからわたし、子供のままでいいんです。トールに女の子として意識してもらいたいけど、一緒にいられるならずっと子供のままでいい」
呟いたわたしの手を、ヤイチさんがぎゅっと握ってくれる。
「トールは幸せものですね。こんなにまで思われて。うらやましく思います」
「ヤイチさん……」
その言葉に少し勇気付けられた気がして、その黒い瞳と見つめ合う。
ふいに、わたしの体が後ろにぐいっと引かれた。
「もう、いきなりいなくなるから探したじゃないの!」
「トール?」
ふりむけば、いつの間にかトールが背後からわたしを抱きしめていた。
「まったく、ヤイチったら。うちの娘をかってにたぶらかさないでよね」
「すいません了承を得るのを忘れていました」
冗談めかしたトールに、ヤイチさんが謝って向き直る。
「ではトール、アカネさんをデートに誘ってもよろしいでしょうか?」
「えっ?」
ヤイチさんの言葉に、トールが間の抜けた声を上げた。
「私の服をいいなという目で見ていたでしょう? トールにあなたの分の着物を作ってもらいますから、夏になったら祭りへ行きましょう。この世界にもお祭りはあるんですよ」
わたしの目の前で片膝をつこうとして、着物だったことを思い出したのか、ヤイチさんはかがんだ。
「行ってみたくありませんか?」
「うん……行ってみたい」
元の世界で祭に行った時のことを思い出す。
あの時はまだ、お父さんとお母さんの仲が良くて。二人がわたしの両手を繋いでくれて、みんなで見た花火を、わたしは未だに覚えていた。
ずっと忘れていた、幸せだったときの思い出。
頷いたら、ヤイチさんは微笑んで指きりをしてくれた。
「ヤイチ、あんたロリコンなの?」
眉を寄せて、トールがヤイチさんを見ていた。
「ろりこんとは?」
「幼女趣味なのかってこと。そんな変態にうちの娘はあげられないんだけど」
首をかしげたヤイチさんに、トールが失礼な事を言う。
「幼いのは見た目だけでしょう? 彼女はもうちゃんとした女性ですよ。だからこうしてデートに誘っているんです。それに歳の差なんて私は気にしません。私から見れば、皆若いですから」
トールの言うことが面白いというように、ふふっとヤイチさんが笑った。
確かに百年以上生きているヤイチさんからすれば、七歳も六十歳も変わらないのかもしれなかった。
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「……あんたヤイチとずいぶん仲がいいのね」
家に帰って、出かける支度をしながらトールがそんな事を言ってくる。
「うん、仲いいよ」
ヤイチさんはお菓子をくれるし、優しいから好きだ。
そんな気持ちから頷いたら、トールが怖い顔をしていた。
「トール、なんか怒ってる?」
「別に」
むすっと頬を膨らませたトールは、怒っているというよりは拗ねていると言った方が正しい気がした。
「もしかして、ヤキモチとか?」
そんなわけはないと思ったのに、つい言ってしまう。
「……そんなわけないでしょ」
トールはちょっと目を見開いて、ふいっと視線を逸らした。
「わたしが誘おうと思ってたのに、先を越されたから面白くないの。あと、可愛い娘がヤイチなんかとデートするかと思ったら、心配でしかたないのよ」
まぁヤキモチとかそんなわけはないと思っていたけれど。
一瞬あんな顔をするから、期待してしまったわたしがいた。
「良い人なのに、トールはヤイチさんの事嫌いなの?」
「嫌いじゃないわよ。でも、アカネにはふさわしくないの。アカネには誰よりも幸せになってもらわなきゃ。アカネの相手は、あたしが認める男じゃないと許さないわ」
すでにトールは花嫁の父モードだった。
気が早いにもほどがある。
けどふと思う。
優しくて、地位があって、騎士だから強くて。
ヤイチさんはかなりいい男の部類に入るんじゃないだろうか。
「あのヤイチさんが駄目なら、どんな人ならいいの?」
「えっとそれはね……」
言ったトール本人も、その事に思い当たったのかちょっと考え込むような顔をしていた。
「……そう、アカネの事を誰よりも想ってくれるやつじゃなきゃ。あたし以上にアカネを愛してるヤツじゃないと、絶対に渡せないわ!」
これだわというように言ったトールの言葉が嬉しくて、思わずぎゅっと抱きつく。
「あ、アカネ?」
「じゃあ、わたしずっとトールのものでいい!」
戸惑うトールを見上げて宣言する。
トール以上なんてないし、トール以外なんていらない。
そんな気持ちをこめて見つめる。
「全く、アカネはしかたないわね。親離れはまだ先かしら」
困ったような、ちょっと嬉しそうな顔をして、トールはわたしの頭を撫でてくれた。
★7/27 他シリーズとの兼ね合いによる微妙な年齢修正を行ないました。ミサキから見たヤイチの歳を二十代後半から中盤に変更しています。