【3】七歳のわたし
この世界でのわたしは、トキビトと呼ばれる存在だった。
元の世界からきたときと同じ七歳のまま、老いることがない。
そしてトールもわたしと同じトキビトで、怪しいお兄さんから時計をもらってこの世界にやってきたらしい。トールの時は、二十四才のまま止まっているということだった。
月日が流れて、お母さんの事も元の世界の事もあまり思い出さなくなった頃、わたしはトールにどうしてトキビトになったのか尋ねてみた。
今まで気になりながら、あまり触れられたくないことだったりするのかなと、口にしたことのない話題だった。
「あたしね、可愛いものが昔から大好きだったの。でも元の世界ではそれを隠してすごしてたのよ。こんな喋りかたじゃなくて、俺って自分のこと言ってね」
くすっと笑いながら教えてくれるトールは、遠い昔を懐かしむようで、聞いてもよかったのかとほっとする。
「可愛いものを可愛いって言って、こんな風に服を作って暮らすのが夢だったの。でも現実じゃそれができなくて、苦しんでた」
トールはある日、自分の好みの服屋の店員と仲良くなった。
彼女はとてもキラキラしていて。
話していくうちに自分の夢がどんどん膨らんで、抑えられなくなっていくのを、トールは感じたらしい。
「諦めなきゃいけなくて、でも諦められなくて。そしたら、怪しいお兄さんが時計をくれたのよ」
そう言って、トールはポケットから懐中時計を取り出した。
銀色の蓋付きの懐中時計は、わたしが持っているやつよりも大きくて、掘り込まれた模様はトールらしくキュートなもの。
トキビトはみんな懐中時計を持っている。
わたしも懐中時計を持っているのだけれど、それはこの手のひらに納まる小さなサイズで、模様があまりないシンプルなものだ。
ただわたしの時計と、トールの時計では大きな違いがある。
わたしの時計の針は動いているけれど、トールの時計の針は動いていないのだ。
最初時計を貰った時、針は止まっていた。
いつ動き出したのかはよくわからないけれど、トールによるとトキビトの時計は止まっている方が普通らしい。
「トキビトに詳しい知り合いに色々聞いてみたんだけどね。心が動き出した証だから問題ありませんって言われたわ。よくわからないけど、あの人が大丈夫だっていうなら大丈夫なんでしょう」
わたしの時計が動いている事に気づいた時、トールは少し不安そうにそんな事を言っていた。
心が動いた証。
その言葉に、ふいに思い出したのは、トールに好きだと初めて言った日のこと。
お母さんを一人で待つあの部屋よりも、トールと過ごすこの場所にいたいと、わたしは強く願った。
あの瞬間、カチリと秒針が動き出す音を聞いたような気がしていた。
「どうかした?」
「トールは元の世界に戻りたくないの?」
黙ったわたしにトールが尋ねてきたので、そんな事を聞いてみる。
今まで気になっていたけれど、聞けなかったことだ。
トールが困ったような顔をする。
「戻りたいけど、戻りたくないの」
よくわからなくて首を傾げたら、難しいわよねと言ってトールは自分のことを教えてくれた。
トールにはお姉さんが三人いて、一番末っ子らしい。家は大きな会社を経営していて、トールはその跡取り息子。
将来は生まれた時から決まっていたようなものだった。
跡継ぎとしてふさわしいように、男らしく。可愛いものが好きなんてとんでもない。
服を作る仕事に着きたいなんて夢は、邪魔になるだけ。
自分を押し殺して、トールは過ごしてきた。
「あたしね、家族のこと大好きなのよ。期待には答えたいと思ってるの。だからね、これは全部あたしのわがまま。少しの間だけ、いい夢を見させてもらってるの」
とてもいい家族なのよと、トールは言う。
わたしにいつか紹介したいわなんて、冗談めかしていうその顔はちょっと寂しそうで。
いつも愛情深くわたしに接するように、その家族からトールも愛情を貰ってきたんだろうと想像できた。
「何不自由ない生活を送らせてもらってたのに、それを不自由だと感じるなんて変よね」
まるでトールは自分を責めているように見えて。
なんとなくわたしは、きゅっとトールの手を握った。
「なに、慰めてくれるの?」
「トールがどんなトールでも、きっと家族の人たちはトールが好きだよ。わたしもそうだもの」
思ったことをそのまま伝えると、トールはぱちくりと目を見開いてから、ふわりと笑った。
「アカネは弱いあたしもひっくるめて受け入れてくれるのね。あんたと一緒にいると、あたしはいつだってあたしらしくいられる。あーあ本当、こんなんじゃいけないのになぁ」
最後の言葉は、いつもよりも低い素のトールの男声だった。
トールは軽々とわたしを抱き上げる。
細いように見えて、トールは結構力持ちだ。
「やりたいことを好きなだけやりきって、全部未練を断ち切って。もう少しで現実に必要のない『あたし』を置いていけそうな気がしてたのに。そんなこと言われたら捨てられなくなる。どうしてくれるんだよ?」
トンとおでこをくっつけられる。
いつもの喋り方じゃないトールはちょっと新鮮で、悪戯っぽい笑い方がどこか色っぽくて。
少しドキリとした。
「ん? どうした?」
トールが首を傾げてくる。
「男っぽい喋り方だったから、驚いた」
「こんな俺は嫌?」
わたしの反応を窺うように、恐る恐るトールが尋ねてくる。
まるで嫌われるのが怖いというようなその顔に、わたしはふるふると勢いよく首を横に振った。
「ううん。凄く格好いいよ!」
「ははっ、ありがと」
勢いこんで言うと、トールは噴出した。
「なんかアカネをぎゅってしたくなってきた。でも手が塞がってるしな」
残念そうにそう言ったトールは、ちゅっとわたしの頬にキスしてきた。
トールは結構スキンシップが激しい。
事あるごとに私に抱きついたり頭を撫でてくる。
もう子供じゃないからちょっと恥ずかしいのだけれど、それが嬉しいのも事実なので、わたしは照れながらもそれを受け入れていた。