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【3】まだ子供だから

 アカネも化粧に興味がでてきたようだし口紅でも買ってあげようかしら。

 そんなことを思いながら街に出る。

 今日は久々の休日だった。


 アカネを拾ってから、もう八年になるのかと一人思う。

 最初は細くて今にも死にそうだったアカネは、今では健康で可愛らしい女の子になった。


 くりくりとした瞳に、小さいけれど元気がいっぱいつまった体。

 体が幼いからか、時々熱を出すことくらいはあるけれど。

 今では活発で愛嬌のある、店の看板娘だ。


 話を聞けば、元の世界でアカネは母親と二人暮らしだったらしい。

 父親が出て行って、母親が荒れて。

 おそらくは育児放棄と虐待を受けていた。


「いい子にして待ってるのよ」

 そう言って出て行ったっきり、母親は帰ってこなくて。

 アカネは何も食べるものもなく、あんなに痩せ細っていた。


 アカネは自分のことを駄目な子だと思い込んでいて。

 いつも、いい子であろうとしていた。

 常にビクビクとして、あたしの顔色を窺って。

 怒られるんじゃないか、捨てられるんじゃないか。

 そうやって怯えてばかりいた。


 そんなアカネを見るたびに、どんな生活をしてきたのかわかるようで。

 あたしが守ってあげたいと思った。


「親はね、子供を無条件で愛するものなのよ。だから、そんなに怯えないで。あんたはあたしが守ってあげるから」

 幼いアカネに誓いの言葉を口にして。

 あたしは、そうやって親になっていった。


 今までは気ままな一人暮らしで。

 誰かのために料理をつくることもなければ、洗濯だってしなかった。

 アカネがどうしたら笑ってくれるかを考えて、ちょっとしたことで嬉しくなって。

 あたしの世界の中心に、アカネがいつの間にかいた。


 アカネはあまり手間のかからない子だった。

 でもなかなか心を開いてくれなくて、こっちが辛くなる日もあった。

 やっぱり人の親になったことのない、しかも母親でもない俺じゃ駄目なのかもしれないとも思った。

 

 でも、あたしが愛情をかけた分、アカネはそれを少しずつ返してくれるようになった。

 小さな、小さな変化の積み重ね。

 その変わっていく様が嬉しくて――距離が縮まることに心が満たされた。


 遠慮がちに呼ばれていたあたしの名前が、甘えるような響きを持つようになって。

 それはいつしか、笑顔と共にあたしへの絶対的な信頼へと変わっていった。


 こんなあたしを、アカネは大好きだと言ってくれる。

 素敵だと褒めてくれる。

 いつだってキラキラした目であたしを見るから。

 それにふさわしい自分でいようと、あたしは頑張ってこれた。


 アカネが好きだと言ってくれる自分が好きで。

 アカネに好かれる自分でいたくて。

 それで、いつだって――あたしはあたしらしくいられた。


 可愛い可愛い、あたしのアカネ。

 素直で優しい良い子に育った。

 自慢の可愛い娘だ。


 最近ではもう立派な女性なんですからね!

 なんて主張してきて、一緒にお風呂に入ってもくれない。

 それが少し寂しい。


 いつかは親離れするとわかってはいる。

 でも、アカネの見た目は変わらなくて。

 そのままあたしの側にずっといてくれるんじゃないかと、そんな錯覚を起こしそうになる。


 けど――それじゃいけないんだけどな。

 紅を売っている店の前で品定めしながら思う。


 この世界の口紅は、リップタイプじゃなくて小さな容器に入っていて、それを小筆で唇に伸ばす。

 少し悩んで、アカネには薄い桜色の貝殻風の容器のものを選んだ。

 紅自体の色は薄めだけれど、アカネの元の唇が綺麗な色をしているからこれで十分。きっと気に入ってくれるだろうと思うと、自然と頬が緩んだ。

 

「それアカネちゃんにかい?」

「えぇ。プレゼント用のラッピングお願いできるかしら?」

 顔見知りの店主が、選んだものを包装してくれる。

 あたしの店は要望があれば客に化粧を施すこともあったので、この紅屋さんとは長い付き合いだった。


「アカネちゃんも、もうそういう年頃なのか……いつまでも可愛いままでいてほしいけどね」

 世間話のように店主が笑う。

 そうねと言いながら、胸がちくりと痛むのを感じる。


 成長を感じるたびに、アカネを元の世界に帰す日のことを思う。

 そのたびに、苦しくなる。


 酷い目にアカネを遭わせた親の所になんか、帰したくはない。

 ずっとアカネには側にいて欲しい。

 でもそれじゃいけないのだ。


 アカネはこの世界にいる限り――ずっと七歳のままだから。

 トキビトは歳を取らない。

 幼くしてこの世界に来てしまったアカネは、ここでは大人になれないのだ。


 母親がどんな人でも、強くたくましく生きていけるように。

 アカネには色んなことを教えた。

 その体でもある程度家事ができるように教えたし、掃除も洗濯も一通りなんでもできるように仕込んだつもりだ。


 アカネはあたしに褒められるとよろこんで、色んなことを覚えてくれるよい生徒だった。

 真っ直ぐすぎて、誰かに騙されたりしないかなという所が心配ではあるけれど、しっかりとした判断もできる子に育ったと思う。


 その成長が嬉しくて。

 でも、同時に別れの時が近づいてくるのを感じて――たまらなくなる。


 アカネがずっとこのままだったらいいのに、なんて。

 親代わりとして思ってはいけないことを思う。

 娘の成長を喜ぶべきなのに、素直に喜べない自分がいる。

 七歳のままでなんて事、アカネにとっていい事なわけがないのに。


 口紅を買って、次の買い物へ向かう。

「……アカネはまだ子供だから、もうちょっと時間はある」

 人通りの多い街中。

 誰も聞いてないのをいいことに、自分に言い聞かせるための言葉を呟く。

 その声は、自分でも思いの他低かった。


 もうアカネも思春期と言われる年頃で、そろそろ親が嫌いになる時期だ。

 でも、それもない。


 ――いつだってアカネは、そのままの俺を大好きだと言ってくれるから。

 その日がきて手放せるかが心配になる。

 この世界にしがみつく一番の理由は、もうとっくの昔に変わってしまっていた。

 アカネがいるから、まだこの世界に俺はいる。

 

 いつかは帰る。

 それは俺もアカネも同じ事。

 せめて元の世界で出会えればと思うけれど、俺もアカネも生きていた時代が違う。

 会える可能性はあるけれど、アカネの方がうんと年上の可能性が高い。


 アカネを元の世界へ帰したら俺も帰る。

 あんなに渋っていたくせに、今の自分なら何のためらいもなくそれができると思えた。


 ――アカネがいない世界に、いる意味はない。

 自然とそんなことを思っていることに、自分自身気付いていなかった。

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「育てた騎士に求婚されています」
前作。ヴィルトが主役のシリーズ第1弾。
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