【12】あなたのいない日々
目が覚めたら、見知らぬ空き地にいた。
元の世界に戻ってきたんだと、周りの景色でわかった。
胸に懐中時計はなく。
頭上を見れば、トールが作ってくれた服とお揃いの茜色が広がっていて。大好きな色だったはずなのに、妙に物悲しく見えた。
「茜ちゃん?」
何をするでもなくぼーっとしていたら、知らないおばちゃんが声をかけてきた。
誰だろうこの人はという目で見ていたら、おばちゃんはいまにも顎が外れそうなほどに口を開く。
おばちゃんは近所の人で、わたしの事を知っている人だったらしい。
この空き地には十二年くらい前まではアパートがあって、わたしはそこに住んでいたとの事だった。
けれど、お母さんはわたしを置いて、ビルから投身自殺をはかり亡くなって。そしてわたしは行方不明扱いになっていた。
お母さんの親族が、わたしを探してくれていて、警察に行ったわたしは彼らと対面した。
けれど、十二年前と同じ七歳のわたしに、彼らは不気味なものでも見るような目を向けてくる。
それは当然の反応だったし、他人のような彼らにそんな風な目で見られても、別に何も思わなかった。
引き取りを拒否され、わたしは施設に預けられることになった。
しかし、現代の神隠しということで、地域の新聞が取り上げたことにより、それが一人の人の目に止まった。
「君はもしかして、トキビトだったんじゃないかい?」
ある日施設を訪ねてきた男の人は、わたしと同じで以前トキビトとしてあの世界へと行ったことがある人だった。
ヤイチさんとも知り合いらしいこの男の人は、政府のお偉いさんで。
わたしに新しい苗字と、生きていくための環境を与えてくれた。
けれど、トールのいない毎日は、やっぱりつまらなくて。
あの世界に過ごした時間の方が長かったわたしは、こっちの世界に愛着が持てなかった。
それでもトールに失望されるような自分にはなりたくなかったから、勉強も料理も、なんでも自分でできるように頑張った。
唯一のわたしにとっての希望は、未来でトールと会えるかもしれないという事。
トールは言っていた。
わたしとトールの時間は、そんなに離れていないと。
けれどこんなに人が多いこの世界で、わたしはトールを見つけられるんだろうかと不安になる。
ちなみにトールがくれたカバンの中には、色々入っていた。
ニホンのお金と、金になりそうな宝石類。
数日分の食料。
この世界の常識や、気をつけるべきことが書かれたトールお手製の冊子。
わたしがこっちで困らないように、考えてくれていたんだろう。
それ以外には、ヴェールと電話番号の書かれた紙切れが入っていた。
ヴェールは細かな細工が綺麗で、トールがわたしの幸せを願って作ってくれたんだということがわかる。
『いつかこのヴェールを付けて、誰かと幸せになりなさい』
入っていたメッセージカードには、トールの繊細な文字。
その誰かが側にいなければ、わたしは幸せになんかなれはしないのに、トールは本当に意地悪だ。
紙切れの電話番号はこっちに着てすぐにかけたけれど、そもそもそんな番号は存在しなかった。
それでも、一ヶ月に一度くらいはかけていたら、つい最近その番号に繋がるようになった。
間違い電話だと思われたのか無言で切られてしまって、それ以来は掛からなくなってしまったけれど。
――そうやって過ごしているうちにわたしは大人になって。
気づけば、十六年もの月日が経っていた。
書類上二十三才になったわたしは、服飾関係の仕事に就いていた。
もちろんトールの影響なのはいうまでもない。
ショップの店員をしながら、見習いではあるけれどデザインも手がけている。
この店には男の人向けの服だけでなく、トールの店の傾向と似た可愛らしい服たちが並んでいた。
でも別にわたしは、それを理由にここを選んだわけじゃない。
以前ヴィルトに渡されたお守りのカードは、このショップの名刺だったのだ。
何か意味があるんじゃないかと、わたしはここの面接を受けた。
職場としてはかなりよく、仕事もやりがいがあって楽しい。それなりに親しい友人もできて、とても順調な生活を送っていたけれど。
ヴィルトはなんでこれをお守りだと言って渡してきたのか、それが今でもよくわかっていなかった。
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「ねぇ遠藤さん。みてみて、凄いイケメンの男の人があんな可愛い服見てる!」
そんなある日。同僚が興奮した様子でそんな事を言ってきた。
そこにいた人物を見て、息を飲む。
短いさらさらとした、明るい栗色の髪。
すらりとした長身に色っぽい目元。
シンプルだけれどセンスのよい服を着ていて、それがクールな雰囲気を持つ彼に良く似合っていた。その服にフリルなんてものは一切ない。
――まさか、トール?
年も背格好も同じだ。
けれど髪型や服、まとう雰囲気が全く違う。
冷たく近寄りがたい空気がその人物にはあった。
「何かお手伝いできることはありますか?」
同僚が声をかけると、彼は無言で去っていってしまう。
トールではないかもしれない。
けれど同時に、あれがトールのような気もして。
気がつけばわたしは服のカタログを手に、走って彼を追いかけていた。
「あ、あのっ!」
「何」
声をかければ、無愛想に彼は振り返った。
こんな目でトールから見られたことはない。
わたしの知っているトールとは別人なんだと、その瞬間にわかった。でも他人だとも思えなくて、どうにか繋がりを持ちたいと思った。
「よければカタログだけでもどうぞ。お姉さんへのプレゼントとかでも、全然構わないので。自慢の商品ばかりなんですよ!」
笑顔を作って、勇気を振り絞る。
声が震えそうになったけれど、どうにか言い切ることが出来た。
「……ふーん? あんたずいぶん必死なんだな」
冷めた言い方は、トールと似ても似つかない。
わたしの事なんて知らないようだった。
そんな態度にちょっと傷つく自分がいた。
いらないなんて言われたらどうしようと思ったけれど、彼は可愛い服がいっぱい載ったカタログを気にしている様子だった。
トールとの共通点を見つけた気がして、少し嬉しくなる。
「一応貰っとく」
「ありがとうございます!」
震えそうになる手で、自分の名刺をこっそり挟んだカタログを差し出す。
その瞬間が、とても緊張した。
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次の日、トール似の彼が、店にやって来た。
「あんたがどうしてもって言うから、姉さんのプレゼント用でも良いかなって見にきたんだ」
聞いてもいないのに、そんな事を言ってくる。
「ありがとうございます」
そんな小さなやりとりが、嬉しくてしかたない。
「なんでにやにやしてるんだよ」
「えっ? あっすいません。つい来てくれたのが嬉しくて」
指摘されて頬を触れば、緩みまくっていた。
「……変な店員」
彼はちょっぴり毒舌なようだった。
けれど悪い気はしない。
ちょっとトールよりも若い感じがして新鮮だった。
ツンツンしているというか、服に熱い視線を送っているのに、興味がないようなふりをしている。
頻繁に彼は姿を見せるようになり、出会った春から秋になって。
交わす言葉も増えていき、それは心躍るやりとりだった。
話すのは服のこと。最初はわたしばかりが話していたのだけれど、デザインの事で悩んでいた時に少し相談したらいいアドバイスをくれたりした。
「ありがとうございます! やっぱりあなたも服が大好きなんですね!」
「別に……ちょっとそっちの方がいいかなと思っただけ」
ふいっと視線はそらされてしまったけれど、彼が照れていたのがわかった。
未だに苗字しか知らない彼だけれど、やっぱりトールの面影が見え隠れする。
わたしの事を知らないし別人なんだろうとわかっているのに、トールであってほしいと思うから下の名前が聞けずにいた。
秋頃には、時折彼もわたしに服への情熱を零すようになってきて。
語っているその顔が、わたしの知ってるトールとよく似ていてドキリとした。
けれど、彼は冬になってぱったりとこなくなって。
最後に会ったとき、思いつめた顔をしていたのが気になった。
★7/27 年表作成による微妙な年齢修正を行ないました。「11年前と同じ7歳」を「12年くらい前」に変更しました。
★彼の名前を知らないから、苗字しか知らないとわかりやすく書き変えました。