【11】大切だから
「アカネ、たまにはデートしましょうか」
ヴィルトの結婚式が終わってしばらく経って、トールがそんなことを言い出した。
「いいんですか!」
もちろんわたしはよろこんで頷いた。
久々にトールからのお誘いだ。断るわけがない。
どこに行きたいと聞かれて、私はトールと前に一度行った植物園に行きたいとリクエストした。
綺麗な薔薇の垣根が巨大な迷路みたいになっていて、とても面白かった覚えがあった。
トールがくれた服の中から、どれを着ようか悩む。
毎年トールはわたしがやってきた日に、服を一着プレゼントしてくれた。
その日がこの世界での、わたしの誕生日。
元の世界での誕生日をわたしは覚えてなかった。両親がわたしの誕生日を最後に祝ってくれたのは、三歳の時だっただろうか。
おぼろげで、季節さえ覚えていない。
でも別に悲しくなんてなかった。
この世界にきたことで、わたしはまた新しく生まれたかのような、そんな心地がしていた。
出会った日をトールが毎回祝ってくれる。出会ったことを喜んでくれる。それはとても特別で、心が温かくなることだ。
「何にしようかな?」
クローゼットの前でうんうん唸る。
この成長しない体のいいところは、サイズが変わらないからずっと同じ服が着れるというところ。
本当は最初の誕生日にもらったワンピースが着たいのだけれど、とうの昔に着すぎてボロボロになってしまっていた。
「あら、悩んでるみたいね。それならこれにしたら? あたしとお揃い」
部屋に入ってきたトールが選んでくれたのは、今年貰った服だ。
なめらかな黒地の服に、胸元のリボン。チェック柄のスカートに、可愛らしい帽子。少しシックな感じのする服。
トールを見れば、ズボンとスカート、リボンとネクタイという違いはあるけれど、似たような服を着ていた。
それってペアルックというやつだよね。
今までやったことがありそうで、実はなかった。恋人同士っぽくて、嬉しくなる。
「うん、それにする!」
「よし決まりね」
いい返事をしたわたしに、トールが笑って服を渡してくる。着替えればトールがきゅっと帽子を被せてくれた。
「さぁ、行きましょう」
「うん!」
自然に差し出された手を取って、ふたりして街へ繰り出す。
今日はとてもいい天気だった。
植物園の薔薇は、赤く綺麗に咲き誇っていて。ふわりと漂う香りが甘く胸を満たしていく。
この日のトールは優しくて、わたしをいっぱい甘やかしてくれた。
好きなものを何でも買ってくれて、たくさん抱きしめてくれて。
最近ではまれだった笑顔も見せてくれた。
もしかして、わたしの気持ちが伝わったんだろうか。
そんな都合のいいことを考える一方で、妙な胸騒ぎもして。
でもこの瞬間が幸せだったから、そういうことを頭から弾きだした。
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家に帰って、ふたりで夕飯を食べて。
たまにはいいじゃないと、トールが一緒にお風呂に入ってきた。
また子ども扱いしてと思いながらも、こんなやりとりが嬉しくて。髪を丁寧に乾かしてもらってあと、トールが少し見せたいものがあるのと作業場へわたしを連れ出した。
「ほら、これ見て」
マネキンにかけていた布を、トールがばっと取る。
そこには、初めてトールに作ってもらった服と全く同じ服があった。
わたしの名前にちなんだ、茜色のワンピース。ふわりとした裾の部分が、まるで夕焼けの空みたいな綺麗なコントラストでお気に入りだった。
出会って一年目の日に貰って、あまりにも嬉しくて、毎日のように着ていた。
おでかけするわけでもないのに。
あまりにも着すぎて、すぐにボロボロになってしまった、トールからの初めての誕生日プレゼント。
夏仕様の半袖にはなっているけれど、同じ服が目の前にあった。
「アカネ、これ気に入ってくれてたでしょ? だからもう一度作ってみたの。着てみて?」
にこにことトールは服を勧めてくる。
「でも今日は……わたし誕生日じゃないよ?」
「いいじゃないの。あたしがアカネにプレゼントしたい気分だったの」
どうしてだろう。
嬉しいはずなのに、何故か素直に喜べなかった。
トールにデートへ誘われたときにも感じた違和感が、胸の中で大きくなる。
「もしかして、気に入らなかった?」
「そんなわけない!」
不安そうな顔で尋ねられ、勢いよく答える。
なら着てみてと服を手渡され、わたしはその服に着替えた。
なめらかな肌触り。きゅっと腰のリボン部分を、トールが結んでくれる。それから髪まできちんと結ってくれて、可愛い飾りまでつけてくれた。
「うん、よく似合うわ」
トールが満足気にそう言って、鏡の中のわたしに微笑む。
まるでどこかへ今からおでかけするかのような格好。
今日はもう夜で、今から寝るだけだというのに。
鏡に映ったわたしの顔は、迷子の子供のような顔をしていた。
「ねぇ、トール」
振り返ってトールの服の端をひっぱった。
「ん? なぁに?」
「わたし、ここにいていいよね。トールの側にずっといていいよね?」
懇願するように見上げれば、ゆっくりとしゃがんでトールはわたしを抱きしめた。
「――駄目よ、あなたは帰らなきゃいけないの」
いい聞かせるようなトールの言葉。
まるで今日が別れの日みたいだ。
さっきまで温かくなっていた心に、冷水を浴びせられたような気がした。
「わたし帰らないよ。ずっと子供のままでも、トールの側にいたい」
声が震えて、しゃくりあげた。
別れなんて嫌だった。
泣いてしまうなんて子供みたいなのに、涙はいうことを聞いてはくれない。
「トールは、わたしのこと嫌いなの?」
「そんなわけないでしょ」
答えがわかっていてそんな事を口にすれば、トールがよしよしと頭をなでてくる。
「アカネ、あたしあんたが世界で一番好きよ」
柔らかく、声が耳にふってくる。
どんな顔で言ってるのか気になったのに、トールが胸に頭を押し付けるように手を添えてくるから、それもできなかった。
そっとトールの胸に顔を寄せるようにして目を閉じたら、心臓の音が聞こえてくる。
トットッと少し早い。わたしと同じだ。
落ち着くのにドキドキとする、バニラの香り。
「あたしがあんたを愛してるってことだけは、ちゃんとわかってほしいの。こんなあたしを受け入れて慕ってくれたこと、あたしだけを見ていてくれたことが、特別だって思えて幸せだった。本当に欲しかったものをアカネはくれたのよ」
優しく髪を撫でてくれる手が、震えているのに気づく。
それだけで芽生えた不安が、どんどん大きくなる。
「素直で可愛くて、賢くて。アカネはあたしの自慢の娘よ。だから誰よりも幸せになってほしい。あたしのことなんて忘れたっていいから、女の子としてちゃんと幸せを掴んでほしいの。ここであたしとずっと一緒にいたら、あんたはいつまで経っても子供のままだから」
そこでトールは一旦言葉を切って、わたしから体を離した。
見つめてくるトールの目には、何かを決意したような光があって。
トールは本気なんだと、愕然とした。
「トールったらやだなぁ。それまるで別れの言葉みたいだよ」
それでも冗談めかしてそんな事を言うと、悲しげにトールは微笑む。
何も答えてはくれなかった。
「……今からわたしを元の世界に帰すつもりなの?」
「言ったでしょ。ヴィルトとミサキの結婚式が終わったら、アカネを元の世界に帰すって」
あぁそういうことかと思う。
今日のデートは、別れる前の最後の思い出作りだったのだ。
「トールは、わたしをひとりにするつもりなんだ……」
「あんたはもう大人よ。あたしがいなくてもやっていけるわ。だってあたしの娘ですもの。すぐにあんたを誰より大切にしてくれる人が現れる」
責めるような口調で言えば、トールがなだめるようにそんな事を言う。
その胸にわたしは縋りついた。
「やだ……やだよ、トール。ひとりは嫌だ。トール以外はいらない。いい子にするから。だからお願いわたしを捨てないで」
「わかって頂戴、アカネ。捨てるわけじゃないの。ここにいることは、もうあんたのためにはならないのよ」
トールは肩掛けバックをわたしの体に掛けてくる。ずっしりと何かが入った、重たいバック。
抵抗すれば、身動きを封じるように床に押し倒された。トールがわたしの上にまたがり、その向こうに天井が見える。
トールがわたしの首に下がっていた懐中時計を取った。
「ほら、アカネ。口を開けて?」
優しい口調で言われようと、わたしは絶対に口を開ける気はなかった。
――あの時計を食べてしまったら、わたしは元の世界に戻ってしまう。
それは確信めいた予感だった。
鼻を摘まれて、息ができなくて口を開けた瞬間に時計を口につっこまれる。
舌で押し返すようにして抵抗していたら、トールの指が口の中へ入ってきた。
時計が奥へと押し込まれ、唾液を飲んだ瞬間にごくりと一緒に嚥下されてしまう。
「!?」
こんなに簡単に時計を飲み込めるわけがない。
なんなんだと戸惑っているうちに、頭がぼーっとし始めて、ちくたくと時計の音が体の中に響く。
「ごめんね。いつまでもどこにいても、愛しているわ」
ぽたぽたとわたしの上に雫が落ちる。
トールはわたしの額に、ついばむようなキスをした。
感触もないキスだった。すでにわたしの体は透けはじめていて、トールの顔がどんどん白く霞んで見えなくなっいく。
あぁ、元の世界へ戻ってしまうんだと、感覚でわかった。
懐中時計を飲み込めば、いつだって帰れた。
頭のどこかで知っていたような気がした。
手を握ってくれているトールの手の感触も消えて。
わたしは、またひとりぼっちになってしまった。
★7/27 アカネの誕生日設定による、プレゼントの服デザインを少し変更しました。