第六話
駆けつけた救急隊員に沙希の治療を任せ――幸いにも傷は浅く、軽い火傷程度で済んだ――路上に放置して来たという一善のトランクを回収、後処理に残る特課隊員へ報告等諸々の雑事を終えて、ようやく乗り込んだ迎えの車の中で、
「で、どこに行くんだ?」
一善は、出し抜けにそう問うてきた。
「え、ええっと、その……」
後部座席、運転手側に座る正示は、急な問いかけに盛大に慌てふためく。
それはその、あのですねあの、と見ている方が気の毒になるぐらいに言葉を探しているうちに、
「いま向かっているのは、〈クリフォトスフィア〉本部ビルです」
助手側に座る沙希が代わりに答えた。
「――沙希さん!?」
目を剥いて驚く正示に対し、沙希はたしなめるような視線を送る。
「大丈夫です。先程の治療の際に、既に統さんに連絡、許可は貰っていますから」
二人のやり取りに挟まれ、一善はみるからにうんざりした表情で、
「またそれか……」
片眉を上げて独りごち、
「さっきのマスクマンズも言ってたけども、その〈栗きんとん〉だかってのはなんだ?」
茶化すような口調に、沙希はごほん、と咎めるような咳払いを返す。
「説明の前に、幾つか確認しておきたい事があります。……〈セフィラスフェザー〉については、本当に御存知無いのですよね?」
問いに、一善は「知らん」と一言。
「では、『クリエイター』や『アドレス能力』については?」
重ねての問いに、一善は片眉を持ち上げて訝しげな顔をする。
「……駄目だ、さっぱり分からん」
返答に、沙希はなおも短い黙考を挟んで、
「神代さんは長年海外でお過ごしだったそうですが……。本当に、今まで、一度も聞いた事が無いのですか? テレビやラジオは言うに及ばず、新聞やインターネット等、クリエイターに関する報道は、今や世界中でされているはずですが」
あからさまに疑ってかかる沙希に対し、一善はんー、と緊張感なく唸って、
「こう、あんま大都市とか、文明の栄えてるようなトコには居なかったワケよ。遺跡巡りとか秘境探検専門でさ。つい最近まで住んでたのも、人間より家畜の方が多いようなチベットの山奥だしな。まず電気が通ってねえからテレビなんかあるはずねえし、外から来る客なんか一年で片手で数えられるぐらいなもんで」
軽い口調で語られる言葉に、正示はうはぁ、と感嘆の溜め息を漏らす。事前に聞いてはいたが、改めて凄まじい経歴である。産まれてこのかた国外に出たことがない正示には、まるで想像も付かない話であった。
感心しきりの正示とは対照的に、沙希はどこか釈然としない顔をしつつも、
「――今から八年ほど前になります」
静かに、説明を始めた。
「はっきりとした原因は、未だに判然としていません。世界中で同時多発的に発見されたその奇病は、人類史上例を見ない不可思議な症状を引き起こしました」
息継ぎ、一拍を置いて、
「発症者が絵画や彫刻、作曲や図案設計などの創作活動を行う事によって、自身の想像したものを実存在へと紡ぎ出す――異能の力の発現です」
まるで教科書でも読むかのように、沙希は淡々と説明を続ける。
「それが、Acquired DayDream REalization Syndrome、通称アドレスと呼称される奇病です。後天性空想実現化症候群、略して空現症とも」
そこまで聞いて、一善が突然「ああ!」と手を打った。
「さっきのアレだろ、絵が飛び出て動いたりするやつだろ?」
なんとも無邪気な合いの手に、沙希は多少面食らいつつも「ええ」と肯定し、
「一般的に、絵画や文章、演奏や詩などの創作により即時的に能力を引き出す者を『芸術家』、空間設計や服飾設計など、図面を引き作り出した造形物に対し特異な能力を付与させる『専門家』と区別しています。また、アドレス能力を持つ者を総称して『創作者』と云うのですが――」
と、脱線に気付いたのか、こほん、と咳払いを挟んでから、話を本筋に戻す。
「……アドレス発症に際し、各国政府はすぐさま対策を講じました。研究施設の設置や治療方法の模索、アドレス能力を用いた犯罪に対する空現法の施行など、大半は対症療法的な対応でしたが、それでも当初の混乱は収束へと向かっていきました」
しかし、と冷ややかに言葉を区切り、沙希は重々しい口調でもって、
「二年前、事件は起きました。当時、国内で最大勢力を誇っていた、クリエイターだけで構成された犯罪集団〈ディクテイターズ〉を前身に、新たに設立された反体制組織〈セフィラスフェザー〉が、現空現法を不服として国家からの独立を宣言、散発的なテロ活動を行い始めたのです」
「……独立?」
呟き、一善は眉を寄せてしばし黙考の後、
「したいっつーなら、させてやりゃいーじゃん」
あっさりと言い切る一善に対し、沙希は唖然とした表情で硬直する。
数秒の沈黙を置いて、ハッと我に返り、
「……と、とにかく!」
無理矢理に話を戻し、沙希はやや口早にまくし立て、
「横行するテロリズムを鎮圧するため、政府は対クリエイターに特化した組織を設立しました。それが私たちの所属する――内務省特務部隊〈クリフォトスフィア〉です」
長い説明を聞き終え、一善はううむ、と渋く唸った。
険しい顔でがっしと腕組み、意味ありげな長い沈黙を前置いて、
「すまん! 正直、よく解らん!」
快活な、いっそ清々しいぐらいの謝罪であった。
どこまでも男らしい一善の態度に、沙希はがっくりとうな垂れながらも、
「……着きました。詳しい説明は、統さんから聞いて下さい……」
搾り出すようにして、何とかそれだけ口にしたのであった。
中央区、針山の如く乱立する高層ビル群の真っ只中。時代を感じさせる見た目ながら、威風堂々とした立派な造りの建物の前で、黒塗りベンツは滑らかに停車した。
怪我を気遣い肩を貸そうかと提案する正示に、沙希は毅然とした態度で断り、自ら先頭に立ってエントランスへと向かう。
その足が、不意に止まる。
「只今帰還しました」
深々と一礼する沙希に習い、正示も頭を下げる。
そんな二人の傍らで、一善だけが会釈もせずに胸を反らし、
「よぉ、シーナ。相っ変わらず辛気臭えツラしてんな」
敵意を隠そうともしない、荒野に生えるサボテンの如く刺々しい声音に対し、
「……十年振りだな、一善」
エントランスに立つ椎名は、僅かに唇を歪めて応じるのであった。
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表向きは老舗の貿易会社として看板を掲げている、〈クリフォトスフィア〉本部ビル内の一室、モノトーンで統一されたシンプルな会議室は現在、もはや物理的な圧迫感を伴うほどの重苦しい沈黙に支配されていた。
備え付けの革張りソファーに座る正示から見て、テーブルを挟んで向かい側に沙希、右隣に一善が座っているのだが……
これがまた、どちらも底抜けに機嫌が悪い。
まずは一善。まるでこの世の全てが気に食わねえとでも言いたげなむくれっつらに、削岩機の如き勢いで貧乏揺すりを繰り返すその姿は、まるで檻に入れられた猛獣といった風情である。
初対面の折りに垣間見た豹変っぷりから薄々気付いていたはいたが、どうやら椎名とは相当な因縁があるらしい。
加えて厄介なのが、沙希の存在である。
本部に到着してからというもの、沙希はむっつりと押し黙り、氷柱の如く刺々しい雰囲気を三百六十度全方位に振り撒いており、ただでさえ居心地の悪い空気におもいっきり拍車を掛けていた。
こちらも一善と同じく、原因は椎名にある。あくまで正示の主観ではあるものの、沙希には明らかにファザコン(叔父なので正確にはアンクルコンプレックスか……?)の気がある。自らの与り知らぬところで気安げに言葉を交わす叔父と一善の関係に大いに不満があるらしく、ある意味ではとても分かりやすい形での無言の抗議であった。
言葉を発するのも憚られるような険悪な空気の中、正示はただただ身を縮こませ耐え忍ぶばかりである。先程から胃がしくしくと痛み、背中を流れる冷や汗は次から次へと溢れて止まらない。もういっそ退室してしまおうか、とまで追い詰められたところで、
「――待たせたな」
ようやく、椎名が現れた。
異様な雰囲気が充満する室内を一瞥、何の反応も示さずに自身の席へと腰を下ろす。
持参した書類をぱらぱらとめくり、椎名は「まずは」と前置いて、
「先程の戦闘の追加報告から。逃亡した敵性クリエイター四人だが、特課機動の追跡部隊も取り逃がしたそうだ」
報告を聞き、沙希が悔しげに下唇を噛む。が、すぐに毅然とした態度で顔を上げ、
「……申し訳ありませんでした」
「気に病むことは無い。『落書屋』の症例は国内では珍しいからな。データも取れた事だし、次に活かせればそれでいい」
責めるでも慰めるでもなく、どこまでも淡々と椎名が応じた、その時だった。
「次に活かせれば、ねぇ……」
それまで仏頂面で聞いていた一善が、唐突に口を開いた。
「しばらく見ねェうちに、ずいぶんとまァ丸くなったじゃねえか、シーナさんよお。“怒槌”トールの名が泣くぜ?」
あからさまに小馬鹿にするような口調に、場の緊張感が一気に張り詰める。
しかし。
ごくりと喉を鳴らす正示の予想に反し、椎名はかすかに苦笑を浮かべただけで、
「この十年で、その渾名を知っている人間も随分と少なくなった」
返された台詞に、一善は拍子抜けしたように肩をすくめた。
そんな一善の態度を見、遂に堪忍袋の尾が切れたのか、沙希はやおら立ち上がる。
「――統さん。一つ、質問があります」
まるで動じぬ椎名を見据え、硬い声音を前置いて、
「お二人は一体、どういったご関係なのですか?」
詰問するかのような鋭い語調に、椎名はふむ、と頷いた。
きっかり一秒の黙考の後、相も変わらず平坦に答えて曰く、
「事前に伝えてある通り、知人の娘だ。関係と言われても、昔、頼まれて少し世話したことがあるぐらいなものだな」
実にあっさりとした返答に、沙希もそれ以上の追及はできず言葉に詰まる。
どこか納得のいかない顔で腰を下ろす沙希と入れ代わりに、今度はそっぽを向いていた一善が猛然と食って掛かった。
「――世話だァ? アタシが、いつ、どこのドナタの世話になったって? 全っ然記憶にねえんだけどなァ!」
嫌味ったらしい物言いを挟み、一善はフン、と鼻で息。
挑戦的な口調のまま、なおも言葉を続けて、
「で? そのお優しいシーナさんが、このアタシに何の用だよ」
そこで、椎名は初めて躊躇うような素振りを見せた。
ややあって、ダークスーツの懐から古びた封筒を取り出し、
「……十全先生から、手紙を預かっている」
差し出された封筒を正示経由で渋々受け取って、一善は片眉を上げて一人ごちる。
「クソオヤジから?」
いかにも胡散臭そうな顔をして、封筒の表裏を確認しつつ、
「つうか、本人はどうしたんだよ」
「……お前を送り出して、一年もしないうちに亡くなったよ。心不全だった」
訃報を聞いても、一善はふうん、と淡白に頷いただけであった。
封筒の上部を乱暴に千切り、中身を取り出す。
入っていたのは、たった一枚の便箋だった。
書面をちらりと一瞥し、一善はフンと呆れたように鼻で笑い、
「――最期まで、食えねえヤロウだ」
呟いた直後、読み終わった手紙を二つに裂いた。二枚を重ねて更に破り、三度続けてあっと言う間に紙吹雪に変える。
細かい紙片で机の上に小山を作り、一善はどこかさっぱりした顔で、
「そんで、本題は何だよ。わざわざこんな紙切れ渡すために、アタシを呼んだワケじゃあねえよな?」
再度の質問。
これまでの感情に任せた口調とは違い、はっきりとした意志を感じさせる響きに、椎名は確認の問いを返す。
「沙希から、どこまで聞いている?」
「ここ来る途中の車ン中で、大体は。つっても、あんま解ってねえけどな」
「……ならば話は早い」
呟き、椎名はサングラスを外した。
色素の薄い瞳を晒し、真っ直ぐに一善を見据えて、
「神代・一善。〈クリフォトスフィア〉独立執行部隊長として、君を我が隊に勧誘したい」
「――なっ、」
いきなりの誘いに、沙希も正示も揃って異口同音を発した。
だが、二人が不意打ちの驚愕から立ち直るよりも早く、
「ヤだね」
たったの三文字で一蹴する一善に、今度こそ絶句する。
椎名だけが、泰然とした態度でふむ、と頷き、
「そうか。残念だ」
言葉とは裏腹に、大して気にした風でもなく応じた。
話は終わり、とばかりに一善は真剣な表情を崩して、
「そんな事よりよぉ、急に帰ってきたもんで今日泊まるトコの当ても無いんだわ。どうにかなんねえ?」
人に物を頼む態度とは思えない尊大な言い様に、しかし椎名は怒るでも咎めるでもなく、
「庚区に十全先生の遺した家が有る。定期的に手入れもしてあるから、しばらくはそこに住めばいい。送迎の車を用意しようか?」
「助かる。頼むわ」
存外素直に感謝を述べる一善に無言で応え、椎名は未だ呆気に取られたままの二人へと向き直る。
「二人とも、ご苦労だったな。帰ってゆっくり休むように。沙希、悪いが下の連中に指示して車の手配を頼む」
てきぱきと指示を出しつつ、椎名はサングラスを掛け直し、席を立った。すたすたと出口へと向かい、扉を前に、ふと足を停める。
「――最後に一つだけ」
こちらを振り返りもせず、椎名は独白のように呟く。
「玲奈は、今、〈セフィラスフェザー〉に捕らわれている」
果たして、大あくびと共に身を反らしていた一善は、ぴたりと身動きを止めた。
しばしの間を置き、片頬だけを吊り上げた悪魔の笑みを浮かべて、
「……知ったこっちゃねえなァ」
返答を背中で聞いて、椎名は何も言わず扉に手を掛けた。