第五話
現れたのは、おそろしく腕組みが似合う女性だった。
幼さの残る顔立ちと、ざっくばらんに結ばれたポニーテール。着古したティーシャツにぴったりとしたジーンズと、遊び盛りの少年のような軽装である。だが、その子供っぽい見た目に反して背はすらりと高く、ボディラインは女性らしい起伏に富んでいる。かと思えば、口元には冒険小説の主人公が浮かべる類の、なんとも傲岸不遜な笑みが浮かんでいたりもする。
幾つもの矛盾した印象が重なり合い、しかし非常に「らしく」もあるという、どうにも掴み所のない人物であった。
「……誰だ、テメェ」
誰もが思っていた疑問をぶつけるアンディに対し、女性は笑みを深くして、
「いきなりテメェ呼ばわりたぁ、ずいぶんじゃねえか」
あっさりと受け流され、アンディはより一層の怒気を含んだ低い声音で問う。
「そいつら――〈クリフォトスフィア〉の一味か?」
再度の詰問に、女性は「あぁ?」となんとも柄の悪い反応を示した。
「ンだそりゃ、売れねえロックバンドか何かか?」
はンと鼻で息、彼女は自信の胸を親指で指し示し、
「アタシは一善――神代・一善だ」
告げられた名前に覚えがあった。視線を下げれば、沙希も驚いた顔をしている。
統の指示で迎えに行き、結局会えず仕舞いだった待ち人と同じ名前である。
何故ここに、という疑問よりも、女の人だったのか、という驚きの方が強かった。そんな正示の思惑をよそに、一善はなおも女性らしからぬ乱暴な口調で、
「お前らこそナニモンだよ。キテレツなナリしやがって」
反問に、アンディは威圧的に声を張り上げる。
「――〈セフィラスフェザー〉所属、第五遊撃隊、〈ヴァンダル・ブラザーズ〉だ!」
どうだ、と言わんばかりの居丈高な態度に、しかし一善は一向に怯む事なく、むしろあからさまに辟易したような顔をして、
「だから何だってンだよそりゃ……。最近はそーゆーごっこ遊びが流行ってんのか?」
と、そこで不意に何かに気付いたように眉を寄せた。
「っと待て待て、なにブラザーズだって?」
独りごち、一善は額に手を当て首を傾げる。
ようやく思い出したか、と自慢げに胸を張るガスマスクをよそに、「ああ!」と手を打ち合わせ、
「もしかして、さっきのチビっこ、お前らのツレか? なんちゃらのボブとか云う。いきなし喧嘩吹っ掛けてきたから、とりあえず畳んじまったけど」
付け足された言葉に、相対するアンディが息を呑んだ。
「テメェ……」
もはや明確な敵意を込めて一善を睨み付け、アンディは怒鳴る。
「いつまでノビてやがる! 起きろチャーリー!」
大型犬の咆哮を思わせるダミ声に、路上の隅で気絶していたひょろ長の方が殴り付けられたように目を覚ました。
バネ仕掛けの人形の如く立ち上がり、そそくさと兄との距離を詰めて、
「お、おお? 誰だあの女、何がどうなってんだよ兄貴!?」
「いいから準備しやがれ! 『合作』だ!」
いきなり飛び出した単語に、チャーリーと呼ばれたひょろ長のガスマスクが身を強ばらせる。
同時、一善が片足を乗せていたクリーチャーがどぷんとアスファルトに沈み込んだ。地面と同化したトカゲは、巨体をくねらせ一目散に主人の元へ逃げ帰る。
「何がなんだか判らねえが――行くぜ兄貴!」
踊るようにしてスプレー缶を振り回し、自身の身長ほどもある円形を描くチャーリーの合図に、
「来いや兄弟!」
アンディが答えた瞬間、巨漢を覆い隠すようにしてクリーチャーが飛び出してくる。
完成しつつある非常識なサイズの爆弾を前に、デフォルメされたトカゲの口がぱっくりと開かれる。稼働域の限界を越え首元に至るまで裂けた顎部を天に、大蛇の如く球形を丸呑みにして、
「兄弟合作――“ドラッグ・オン・ザ・ビーチ”!」
声を揃える兄弟に応じるように、どん、とクリーチャーの体内で爆弾が炸裂。
大爆発の衝撃を丸ごと燃料に、ただでさえ巨大なトカゲの身体が倍ほどにも膨れ上がった。
今や小山ほどもあるクリーチャーは、映画や物語に登場する怪獣の如き迫力でこちらを睥睨しており、
「全員まとめて、燃えちまいなっ!」
号令に、クリーチャーの喉元が風船のように膨れ上がっていく。
あと数秒もしないうちに、先ほどまでとは比較にならないほどの灼熱が吐き出される。だが、防ごうにも沙希は足の負傷により「創作活動」に必要不可欠な集中が難しく、かといって自分の「挿絵」では描画に時間がかかり過ぎる。
打つ手無し。
正示は再度、覚悟を決める。
即座に回れ右、沙希の背後へと回り込み、
「失礼します!」
「ゃっ――ちょっ、遠藤君!?」
俗に言うお姫様だっこの形で、一息に抱え上げる。
予想していたほどではないにせよ、それでも人間一人分の重量である。到底逃げ切れるはずがない。それでも、と腹を括り、正示はなけなしの余力をかき集める。
あとは――
「あっ、あの、あなたも!」
逃げて下さい、と続くはずの言葉を、一善は腕の一振りで遮った。
え、と面食らう正示に対し、大丈夫だとでも云うように片目を瞑って見せて、
「……ったく、メンドくせえなぁオイ」
言葉とは裏腹に、その顔に裂けるような凄絶な笑みを貼り付け、
「でもまァ、売られたケンカだ」
足元、分厚いトレッキングブーツのつま先を、ガツンガツンとリズムでも刻むかのように鳴らし、
「手加減しねえぞオラァっ!」
一歩目から、いきなりの全力疾走だった。
要塞の如く鎮座するクリーチャーに向かって、一善はぐんぐん加速していく。
彼我の距離を瞬きの間に詰め、一切速度を落とすことなく踏み切った。
跳躍したその身が聳える壁の如きトカゲの腹を蹴り付け、一瞬の溜めの後、更に上方へと飛翔する。
三角飛びの頂点、十数メートルという非常識な高さまで駆け昇った一善は、今まさに炎を吐かんとするクリーチャーを眼下に収め、
「いっ――」
落下と同時に膝を抱えるようにしてぐるりと回転、
「――せーのっ!」
すらりと伸ばされた右足の先端、三日月の軌跡を描いた踵が、戦斧の如くトカゲの鼻先に叩き付けられる。
打撃により強制的に顎部を閉め切られ、喉元まで迫り上がってきていた火炎が出口を失い、口内でバボンと間抜けな音を立てて暴発する。
突然の衝撃にひとたまりもなくよろめくクリーチャーに対し、一善は打点を足場に小さく跳躍。
空中、旋風の如く身を捩り、
「せっ!!」
凶悪な遠心力を乗せて放たれた後ろ回し蹴りが、無防備なトカゲの頭部を直撃した。
誰の目にも明らかな、致命的な一撃。
軽やかに着地する一善の背後で、巨体がゆっくりと傾いでいく。
地響きを立てて横倒しになったクリーチャーの身体が、みるみるうちに元の霧状の塗料に戻り、風に吹き流されて消えていく。
正示は、金縛りにでもあったかのように動けずにいた。
――なんだ、今の……。
俄かには信じ難い光景を目の当たりにして、どうにも思考がうまく働かない。見れば、唖然とするガスマスク二人はおろか、腕の中の沙希までもが瞬き一つ出来ずにいる。
止まってしまった時間の中で、一善だけが動く。
固まったままのガスマスクたちへと向き直り、ニヤリと唇を吊り上げて、
「おら、どしたい。お次のネタは?」
緩く掲げた右手、指先だけで手招く一善の挑発に、ようやくアンディの金縛りが解けた。
「――な、なに呆けてやがる! もう一度だ、チャーリー!」
「で、でもよう兄貴!?」
俄かに浮き足立つ二人に追い討ちをかけるように、
「――兄貴! チャーリー!」
唐突に割り込んでくるもう一つの声があった。
アンディたちの後方、少年のように小さな人影は、二人と同じくペンキまみれのパーカーにガスマスクという珍妙な姿で、
「ボブ兄!?」
「特隊の連中が動いた! 早いとこズラかんねえとヤベえぞ!」
報告を聞き、アンディは低く唸る。踵を返し、ガスマスク越しにでも鋭い視線を一善に向けて、
「神代……。テメェのツラは覚えたぜ。次は容赦しねぇ」
押し殺した憤怒混じりの捨て台詞に、一善はあくまで飄々と応じる。
「お約束だな。そーゆう暑苦しいのは、嫌いじゃないぜ?」
そんな二人のやり取りに、腕の中の沙希が慌てて口を挟んだ。
「ま、待ちなさい! ちょっと遠藤君!? もう、降ろしてったら!」
「っと、わっ、暴れないで、危ないですって沙希さん!」
暴れる沙希を庇い、絶望的なまでにバランスを崩れる。本日三度目となる尾てい骨に走る激痛に身悶えているうちに、三人組は既に走り去っていた。
「さて、と」
一仕事終えた、という風情で両手を腰にあて、一善が振り返る。よっこいせ、と爺臭い掛け声と共に、堂に入ったヤンキー座りでこちらと視線を合わし、
「どれ、足の怪我見せてみな、お嬢ちゃん」
気安げな呼び掛けに、沙希の顔がきっ、と強張った。
ブリーツスカートのポケットから携帯電話を取り出し、
「……平気です。連中の注意が貴女に向いている隙に、特課機動に応援を要請しておきました。じきに増援が来ます」
硬い声音の返答に、「ふむ」と片眉を上げ、一善はにんまりと意地の悪い微笑を浮かべる。
「まぁ、そんだけイチャつけりゃあ大丈夫か」
指摘に、沙希は訝しげに眉を寄せた。
ついで、正示の体にしなだりかかるように密着していた自分の体勢に気付き、
「――っ!」
薄闇の中でも分かるほど顔を真っ赤にして、慌てて正示の上から退いた。
八つ当たり気味に向けられる沙希の視線に耐えられず、正示は半ば強引に話題を探して、
「あ、あの、ありがとうございます。危ないところを助けていただいて……」
「あー、良いよ良いよ。アタシが好きで首突っ込んだんだし」
礼も途中で遮って、一善は尚も続ける。
「――『一日一善』ってな。アタシの趣味、ってぇかもう、生きがいみたいなモンなんだ。名前通り過ぎてちょっとアレだけどな? だからまぁ、そんなに気にすんない」
そのまま照れ隠しにヌワハハと笑う一善に、正示は多少気後れしながらも、
「そ、それで、その……。すごい偶然なんですけど、僕たち、椎名さんに云われてあなたを迎えにですね、」
途端、朗らかだった一善の雰囲気が一転、泣く子も黙るような剣呑なものに変わった。
「あ"ァ"? シーナだあ!?」
思わず小さく悲鳴を漏らす正示を見下ろし、一善は地の底から響いてくるような恐ろしい声で問うてくる。
「シーナってあのシーナか? 陰気で根暗で無愛想な、年中まっくろくろすけの!?」
「は、はい……多分……」
肯定の言葉を引き金に、一善は「カーッ!」と爆発的に血圧を上げ、
「あンの馬鹿、迎えぐらい手前で来いっての! アイツが来ると思ったからわざわざすっぽかしたってのによおっ!」
そのまま悪魔にでも変身するのではないかというほどの勢いでテンションを上げていた一善は、そこでようやく半泣きの正示に気付き、
「……っと、悪ィ悪ィ」
抜け落ちるようにして凶相が消え、一善は心底申し訳なさそうに眉を寄せる。
「無駄足踏ませちまったな……。でもまぁ、こうして合流できた訳だし、結果オーライだろ、なぁ?」
「は、はぁ……」
勢いに圧されて、正示もついつい頷いてしまう。
「そいじゃま。改めて、初めましての挨拶だ」
仕切りなおすようにそう言って、一善は左手を正示、右手を沙希へと差し伸べる。
「あ、と……」
戸惑う正示に構わず、沙希は躊躇なくその手を取った。
「早川・沙希です。宜しく」
どこかトゲのある口調に、一善は無言で不敵な笑みを返す。
そして、
「……え、遠藤、正示です」
差し出された手を取る。
思いがけぬほど強い力で掴まれて、正示も反射的に力を込めて握り返した。
お、と僅かに驚いた顔をする一善と、視線が合う。
その目が柔らかく弧を描いて、
「サキに、セージな。神代・一善だ。よろしくな!」
そうして、三人は合流を果たしたのであった。