第二話
東都中央区、荒鬼ヶ丘。
その恐ろしげな地名とは裏腹に、電子部品や無線機、家電製品やパソコンなど、エレクトロニクス商品全般を扱う国内屈指の電機街である。近年ではマンガやアニメなどに代表される、いわゆるオタクカルチャーの発信地としても注目を集め、一時期の狂騒も去った今なお、国内外問わず巡礼の徒が集うオタクの聖地として持て囃されていたりもする。
今朝がたから降り続いていた長雨もようやく上がり、濡れたアスファルトから立ち昇るむわっとした空気の中、大通りには待っていましたとばかりに買い物客が溢れていた。雑然と建ち並ぶビルの壁面にはいっそ清々しいぐらいに看板広告が踊り、何を売っているのかも判然としないような怪しい専門店がずらりと軒を連ねている。店内に収まりきらない商品が歩道の半ばほどまで陳列され、小学生の男の子とスーツ姿の男性が並んで新作ゲームの店頭デモに見入っていたりする。
そんな乱雑極まりない風景の中に、おかしな人影が紛れ込んでいた。
見るからに使い込まれたトランクをガラガラ引いているその姿は、どこからどう見ても観光客にしか見えぬ出で立ち。だが、それにしては生まれ育った街を散歩しているかの如く、肩で風切る自信に満ちた足取りである。
かと思えば、この街ではさして珍しくもない町角でチラシを配っているメイドのコスプレをした女性を見て大仰に驚き、ぎゃあぎゃあと騒いだ挙句に握手をせがんだりしている。
嵐のような勢いで喋りたおすことしばし、すっかり仲良くなった猫耳メイドさんと手を振り別れ、旅人は意気揚々と歩みを再開しようとして――
いきなりだった。
ずどん、と。
凄まじい爆発音が響き渡り、周囲のビルに張られたガラスというガラスがビリビリと震えた。
あまりに唐突な轟音の炸裂に、百を優に超える通行人の誰一人として声すら上げられなかった。まるで街全体の時間が止まってしまったかのように、身動き一つ、瞬き一つできないでいる。
――ただ一人、のっそりと振り返った人影を除いては。
旅人は、眉根を寄せた怪訝の表情を浮かべ、
「……ンだァ? 今のは」
疑問を口にすると同時、傍らに立っていたビジネスマン風の男の金縛りが解けた。
呆けたように半開きにしていた唇を、わなわなと震わせつつ、
「――クリエイターだ……」
ぽつりと呟かれたその言葉は、さして大きな声ではなかったにも関わらず、波紋の如く周囲に伝播していく。
「……クリエイター?」
「まさか、事故か何かだろ?」
「マジか」
「ほら、ちょっと前にも関西でもあったじゃんか」
ざわめきは徐々に音量を増していく。
爆発音を聞きつけ、何事かと建物から出てきた人々をも巻き込んで、ざわめきはネズミ算式に拡大していく。
「なぁ、何だよ今の」
「やばくない? 早く逃げなきゃじゃない?」
「大丈夫だって。きっとどっかでイベントでもやってんだよ」
「でも、周りの人、皆クリエイターだって言ってるよ?」
「警察! 警察に電話!」
「うわ何コレ、どうなってんの?」
「――<セフィラスフェザー>のテロ?」
俄かに騒然とし始める電機街に、駄目押しの一撃が加えられる。
街のいたる所に設置されたスピーカーが、一斉にばつんとノイズを前置き起動、大音量で第二種緊急避難警報を吐き出した。
学校や会社等で行われる避難訓練の際、誰もが一度は聞いた事のある甲高いサイレンが意味するものはつまり、「当該区域内大規模集客施設へのテロ発生のおそれあり」であり――
つまりは、決定打だった。
水を打ったような一瞬の静寂を挟み、次の一瞬には火山の噴火を思わせる勢いで怒声と悲鳴が上がった。
通行人はおろか、店で働いていた従業員までもが飛び出してきて脱兎の如く走り出す中、
「おお? おおおお?」
旅人だけが状況を飲み込めないまま、雪崩のように押し寄せてくる人の波を避けつつその場に留まっていた。
「……ぬゎんだか」
周囲の狂騒をぐるりと見回し、フンと挑戦的に鼻で息、
「ちっと留守にしてる間に、面白い事になってんじゃねえかこの国も」
歩き出すその顔に、なんとも不敵な笑みが張り付いた。
▼
東都中央駅から迎えの車に乗り込み、現場に到着した時には既に、荒鬼ヶ丘駅周辺は混沌の坩堝と化していた。
押し合い圧し合いしながら逃げ惑う人々が、車道にまで溢れ出している。当然の如く車は遅々として進まず、一分もしない内に沙希が痺れを切らした。
「……これじゃあ埒が明かないわね。出るわよ、遠藤君」
「ちょ、危ないですって沙希さん!」
制止も聞かず車外へと飛び出す沙希を追って、正示も人混みの中へ突入する。
途端、津波の如き人の流れにぶち当たった。成す術もなく押し流されそうになるも、器用にすり抜けていく沙希の背中を懸命に追いかける。「すいません」と「ごめんなさい」をグロス単位でばら撒き進み、散々に揉みくちゃにされながらも、なんとか張り巡らされた立入禁止の内側へと潜り込む。
一息つけるかと思ったのも束の間、制服姿を見咎められ止められること都合七回、ただでさえ気の短い沙希の堪忍袋の緒が切れる寸前になって、ようやく見知った顔を発見した。
シックなダークスーツを身に着けた長身痩躯。短く刈り込まれた髪に、ご丁寧にサングラスまで掛けているその姿は、まるっきり都市伝説に登場する『黒尽くめの男』のようである。
彼こそ、誰あろう沙希の叔父であり、二人に出迎えを指示した張本人、椎名・統であった。
「――早かったな。沙希、遠藤」
こちらの到着を待っていたのか、椎名は出し抜けに口を開き、
「どうやらあの馬鹿とは合流出来なかったようだな。無駄足を踏ませた、すまんな」
「いえ」
「は、はい……」
紋切り型の労いを前置き、椎名はすぐさま状況説明を始める。
「敵性クリエイターは四人、全員<セフィラスフェザー>所属の札付きだ。事前事後の声明は無し、おそらく独断で出てきていると予想される。保有アドレスは絵画系が三人、不明が一人だ。最後の一人に関しては、おそらく空間設計系のデザイナーだと思われる。おかげで対応が盛大に遅れた。今頃、保障局の連中が発狂してそうだな」
沙希、正示の順にサングラス越しの視線を向け、
「市民の避難は済んでいるはずだ。包囲網も報道規制も敷いてある。リミットは一時間。可及的に速やかに連中を捕縛しろ。抵抗するようなら以下略、だ。好きにやれ」
話は終わりだ、とばかりにスーツの懐から煙草を取り出す椎名に対し、沙希は素早く一礼を返し、
「――了解しました」
言うやいなや走り出す沙希を追って、正示も慌てて頭を下げる。
「りょ、了解です!」
そのまま路上に並ぶ警官隊の封鎖を抜け、無人の街へと進み入る二人を見送りもせず、椎名はその場で踵を返す。
煙草を手に、背後に控えていたブラウンのスーツを着た男に声を掛ける。
「中田さん、火、貸してもらえますか?」
「あ、ああ」
同僚であろうか、中田と呼ばれた壮年の男はごそごそとポケットを探り、百円ライターを手渡す。
「椎名、あの子たちは……?」
問いに、椎名はいつも通りの平坦な口調で応じる。
「ああ、中田さんにはまだ紹介してませんでしたか……」
短く礼を言い、火を点ける。
深々と吸い込み、長々と紫煙を吐き出して、
「悪魔、ですよ」
一拍を置いて、椎名は言う。
「“芸術家”気取りのガキ共にお灸を据える、とびっきりの悪魔憑きです」