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Creators Heaven  作者: 八木山ひつじ
第一章
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第一話

 天国は存在すると思うか、と。

 何の脈絡も無しに、彼女はそううてきた。

「な、何ですかまた、いきなり……」

 突然の質問に、問われた方の少年――遠藤・正示(えんどう・せいじ)は、思いっきり面食らいつつ、そう言葉を返す。

 正示の傍らには、見るからに不機嫌そうな顔をした少女が立っており、

「別に。深い意味は無いわ」

 こちらに向き直りもせず、真っ直ぐ前方を睨み付けたまま、少女――早川・沙希(はやかわ・さき)は、尚も淡々と言葉を重ねる。

「単なる暇つぶしの為の話題だし、そう深く考えず、適当に答えて貰って結構よ。で、どうなの? 遠藤君は、天国ってヤツは存在すると思う?」

「天国、ですか……?」

 相槌を返しながらも、正示は内心、嗚呼と漏れ出そうになる溜め息を懸命に飲み込む。

 沙希には時折、こうして出し抜けに意図の読めない話題を振ってくる妙な癖があった。

 その内容も日によってまちまちで、どこか物憂げな表情で「超能力は存在すると思うか」と訊ねてきたかと思えば、これでもかというぐらい真剣な顔で「ココアとホットチョコレートに明確な違いはあるのだろうか」などと問うてきたりもする。

 一番記憶に新しいものでは、「森のバターがアボカドなのはまだ理解できるが、なぜ海のバターが牡蠣かきなのか」という激しくどうでもいい内容だった。あの時は大変だった。言わずにおけば良いものを、ついうっかり「牡蠣は海のミルクなのでは?」などと余計なツッコミをいれてしまったせいで、あくまで冷静に激昂した沙希の命令によって牡蠣と牛乳の食い比べをさせられる羽目になった。ついでに言えば不運にも貝毒かいどくあたってしまい、三日で六キロという恐るべき減量を果たした正示は、二度と貝類など食べるものかと固く心に誓ったのであった。

「遠藤君? なにゲッソリしているのかしら?」

 すわ読心かと云うほどのタイミングで釘を刺され、正示はびくりと身をすくませる。

 さて困った。

 返答には十二分に気を付けねばならない。触らぬ神に祟りなしである。口は災いの元でも良い。またぞろ地雷を踏んづけてしまわぬよう、正示は慎重に言葉を選びつつ、なるべく自然に聞こえるよう意識して、

「その、ちっちゃい頃はまだ、あるように思ってた気もしますが……今は正直なところ、あんまり、ですね……」

 無難極まりない応答に、沙希はただ一言、

「――そう」

 短い相槌の後、仏頂面を更に渋いものへと変えて、言う。

「私は、きっぱり存在しないと思ってる」

 断言。

 そのまま言葉を続けて、

「そりゃあ、誰が何を信仰しようと個人の自由なんだけれど……。死後の世界なんて確かめようの無いもの持ち出してくるだなんて、こう、あからさまに鼻っ面にニンジンぶら下げて走らせようとしているみたいで、あんまり良い気分しないのよね。そうは思わない?」

「は、はぁ……」

 生返事をどう受け取ったのか、沙希はいきなりぷっつりと黙り込んでしまった。なにやらぐるぐると考え込んでいる様子で、こうなってしまっては正示も右に倣うより他にない。

 手持ち無沙汰に任せ、こっそり沙希の横顔を盗み見る。

 不自然なまでに整った顔立ちに、強い意志の光を宿した瞳。短く切り揃えられた艶のある黒髪と、対称的に初雪のようにきめ細やかな白い肌。凜と背筋を伸ばしたその立ち姿は、どこか近寄り難い雰囲気すら放っていた。

 きれいな人だなぁ、などと呆けたように再確認し、正示が思わず感嘆の息を漏らしたところで――

 唐突に、目と目が合った。

「……遠藤君? なぜ人の顔を見て溜め息つくのかしら?」

 ぎろり、という感じで睨み付けられ、正示の背に一気に冷や汗が噴き出す。

「し、失礼しましたっ!」

 慌てて頭を下げるも、時既に遅し。

 頭上からは、もはや物理的な痛みを感じるほどに強烈な視線が向けられており、

「ねぇ、遠藤君?」

 発せられる声音は、氷柱つららの如く冷たく鋭利な響き。

「さっきから、いきなりゲッソリしたり、人の顔をちらちら盗み見たり、あまつさえ残念そうに溜め息ついたり、随分と暇そうね。無理に付き合ってくれずとも、帰りたければ先に帰ってくれても良いのよ?」

「――め、滅相めっそう御座ございません! 最後の最後まで御伴おともさせて頂きます!」

 思わずの敬語であった。

「――そう」

 さらりと答え、沙希は視線を前方へと戻す。

 底無しに気まずい空気の中、正示は何とか場を和ませようと、恐る恐る口を開き、

「そ、それにしても遅いですね……」

 我ながら白々しい台詞だとは思いつつも、話を逸らした手前、ぐるりと周囲を見回してみる。

 東都とうと、中央駅。

 中央自動改札前に陣取り、忙しく行き交う人々をぼんやり眺め続けて、かれこれ一時間が経過していた。

「とっくに着いていてもいい頃だと思うんですが……」

「確かに、遅いわね」

 ふぅ、と物憂げに溜め息を漏らす沙希を横目に、正示はじんわりとはい上がってくる両足の疲労をごまかすため、もぞもぞと小さく足踏みをする。

 事の発端は、沙希の叔父であり彼女の保護者でもある、椎名・しいな・とおるからの指示であった。

 ――知人の子を迎えに行ってほしい。

 沙希だけならばともかく、自分も一緒に、という事は、椎名も何か考えあっての事だろう。正示にとっても、直属の上司にあたる彼の頼みを断れるはずもなく、授業の終了を待って連れ立って指定の場所に向かった。

 だが。

 待ち人は、約束の時間を過ぎても一向に現れる気配が無かった。

 そもそも、である。正示も沙希も、待ち人の何とも珍妙な名前と、簡単な経歴だけを伝えられただけで、相手の顔も知らなければ特徴すらも伝えられていないのである。

神代・一善(かみしろ・いちぜん)さん、でしたっけ」

 口に出し、改めて珍しい名前だと思いつつも、正示は続けて、

「もしかしたら、迷ってるのかもしれないですね……。椎名さんの話だと、十年振りの帰国ってことでしたから」

 聞いた話では、待ち人は若干八歳の折に海外へと渡り、その後各国を転々と旅して回っていると云う、筋金入りの風来坊であるらしい。

 歳は沙希と同じ十八歳というから、正示の一つ上と言うことになるのだが、どうにもイメージが沸かない。自分など、産まれてこのかた飛行機に乗ったことも無いのだ。海外など夢のまた夢、殆どフィクションの世界に近い。

「子供じゃないんだから、空港から此処までの道程で迷うって事も無いでしょうに……」

 口には出さぬものの、沙希もやはりというか若干焦れているようだ。

 今朝がたからつい先程まで降り続いていた雨のせいか、駅構内は湿気がこもって蒸し暑いぐらいである。早々と夏服に切り替えた正示ですらそう感じるのだから、未だ冬服で、しかも上着のブレザーまでかっちり着込んでいる沙希は尚更であろう。

「……あと三十分だけ待って、統さんに連絡して指示を仰ぎましょう」

 そう言って、気合を入れ直すようにかかとを揃える沙希に習い、正示もぐぃっと背を伸ばす。

 と、不意に。

 くぐもったメロディが響き、沙希が手に提げた学生鞄から古びた携帯電話を取り出した。

 機械類の操作を壊滅的なまでに苦手とする彼女は、必要最低限の機能しか搭載されていない骨董品レベルの携帯電話を未だに愛用しているのだ。

 昔懐かしの三和音で奏でられる『G線上のアリア』を操作し止めて、耳元へ運んで、

「――沙希です。はい、はい……それが、まだ……」

 事務的ながらも、どこか親しげに会話する沙希を見、正示は通話相手が統であると察する。

「はい、遠藤君も一緒です、はい……」

 どうやら予想は当たっていたようだ。待ち人と連絡がついたのか、これで何かしら事態が進展するかも、と正示は至極のんびりと構えていて、

「……!」

 沙希が、小さく息を呑んだ。

「了解しました。至急、そちらに向かいます」

 通話が終わる。携帯電話を鞄にしまい、「あ、え?」と呆気に取られている正示に向き直り、

「行くわよ、遠藤君」

 きっぱり言い放ち、沙希は駅出口へと向かって足早に歩き出す。

「え、と、でも……」

 何が何やら判らない正示に対し、沙希は一分一秒も惜しいというほどの剣幕で、

「――緊急出動命令よ! 急ぎなさい!」

 告げられた言葉に、正示も急ぎ、彼女の背中を追った。


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