第十六話
正示の一番古い記憶は、兄の背中から始まる。
土手沿いの道を、兄に手を引かれて歩いている。桜が咲いていたから、きっと春だったのだと思う。
いつまで経ってもぐずぐずと泣き止まない幼い自分に対し、兄は怒るでも宥めるでもなく、ただただ無言で歩を進めていく。
大丈夫だと言い聞かせるように。
なんとかしてやると請け負うように。
繋いだ兄の手の力強さと掌の温度は、今でもはっきりと覚えている。
父――遠藤・誠は、正示が産まれる間際に亡くなったらしい。
消防士として働いていた父は、炎上する家屋に取り残された少年を救出せんと、周囲の制止も振り切って炎の中に飛び込んでいったそうだ。結果、少年は無事に助け出されたが、父は全身に酷い火傷を負い、搬入先の病院で息を引き取った。
だから正示は、写真に残された父しか知らない。真夏の太陽のような、はっきりとした笑みが印象的な人だった。
母、遠藤・正美もまた、正示が物心つく前に、持病の肺疾患を悪化させこの世を去った。
まったくの突然に最愛の人を失い、想像を絶するような悲しみの日々にあってなお、残された幼い二人を育てるため、無理をおして働き詰めたせいだった。
淡い記憶の中の母は、いつも儚げな微笑を浮かべている。月夜に咲く花のような、美しい人だった。
そうして、兄だけが唯一の家族になった。
身寄りの無い自分たちを引き取ったのは、父方の遠い親戚であるという初老の夫婦だった。
彼らは優しかった。
少なくとも、最初の一年間だけは。
彼らの目当ては、両親が残した雀の涙ほどの財産だった。わずか一年足らずで遺産を食い潰した後は、文字通り手の平を返すように態度を変えた。
宛てがわれた部屋を追い出され、狭い庭に建てられた物置き小屋で寝起きするよう命じられた。朝食は無く、昼食、夕食は彼らの食べ残しが与えられた。なにかにつけて「居候の癖に」となじられ、容赦なく「無駄飯ぐらいが」と罵られた。
四六時中光る養父母の監視の目に怯え、物置き小屋の隅で膝を抱えてベソをかくばかりの正示に対し、兄は嘆くでも憤るでもなく、淡々と日々を過ごしていた。
この頃から、兄は感情を表に出さなくなったように思う。口数も減ったし、険しい顔で考え込んでいる時間が増えた。
異変が起こったのは、兄が小学校に通い始めてからのことだった。
勉学やスポーツ、およそ学事にまつわる全てにおいて、兄は非の打ち所が無い成績を修めていた。男女問わず友人も多く、教員からの評価も高い。最上級生と比べても遜色の無い、或いはそれ以上という類まれなる優秀さだった。
ただでさえ話題に乏しい片田舎である。兄の噂は野火の如く近所中に知れ渡り、どこからか漏れ出した兄弟の生い立ちも相俟って、主婦層を中心に好意的に受け入れられた。
今思えば、全ては兄の思惑通りだったのだと思う。綿密な筋書きを立て、劇的な演出を加え、自らが舞台に立った上で、己に課した役を演じ切ったのだ。
かくして、「不運な兄弟を養う善良な夫婦」という役柄を与えられた養父母も、表立って二人をないがしろにする訳にはいかなくなった。それどころか、このタイミングで兄がこれまで受けた仕打ちを暴露すれば、児童虐待の罪にも問われることになる。劣悪だった待遇は劇的に改善され、疎まれながらも人並みの生活を送れるようになった。
そうした兄の尽力によって確保された平穏はしかし、長くは続かなかった。
正示が八歳になった時、なんの前触れもなしにアドレスが発症。
全世界で同時多発的に発見されたアドレスを、当時のマスコミは現代の奇病としてセンセーショナルに報じた。力の発現が図画工作の授業中だったせいもあり、多数の生徒に目撃されてはいかなる言い訳でもできず、同情的だった周囲の目は一転、疫病を恐れるかのように距離を置いた冷ややかなものになった。
養父母はこれ幸いとばかりに正示を研究施設へと送り出すことを決め、ついでとばかりに兄にもアドレス発症の疑いがあると虚偽の報告を付け加えた。
――否。
彼らからすれば、兄の完璧さは明らかなる異常にほかならなかったのであろう。
養父母の取った行動はおよそ褒められたものではないが、この時ばかりは嬉しかった。たとえ原因不明の病を発症しようとも、兄さえそばにいてさえくれたのならば、何の不安も無かった。
人里離れた山奥に建てられた巨大な研究所には、正示と同じくアドレスを発症させた少年少女が、百人近くも集められていた。
下は五歳から上は十七歳まで、年齢もバラバラならば、施設に至るまでの経緯も様々だった。未知の力に対する好奇心から自ら志願してきた高校生がいれば、一日でも早い快復のために渋々滞在している中学生がいた。毎日のように家に帰りたいと泣きじゃくっている男の子がいれば、自分の身に何が起こったのか理解していない様子の女の子もいた。
ここで、問題が生じる。
当然といえば当然だが、検査の結果、兄からはアドレスは確認されなかったのだ。
いくら政府直属の研究施設とはいえ、資金が無尽蔵にあるわけではない。ただでさえ続々と発症者が集まってくるのだ。アドレスに罹っていない者まで養っている余裕はない。かといって元いた場所に送り返そうにも、当の親族は頑なに受け入れを拒否している。
なにも兄だけに限った話ではなかった。アドレス発症に際し、虚実は横に置いてでも、我が子を捨てるも同然で施設に預ける保護者もまた、少なからず存在したのである。
こうなれば孤児院にでも預けてしまおうか、という乱暴な意見を聞き付けた正示は、全力で抵抗を示した。兄を追い出すならば自分も出て行く、とまで主張した。
幸か不幸か、当時施設にいた絵画系アドレスの発症者の中でも、正示は群を抜いて強力な力を有していた。特殊な家庭環境も考慮され、唯一の例外として認められた兄は、率先して子供たちの世話を買ってでた。
研究所での暮らしは、予想に反して快適なものだった。
平日は、施設側が雇った講師により学年別に授業が行われる。土、日曜は休日で、施設内のグラウンドや図書館を自由に利用することができる。変わった点といえば、三日に一度のペースでアドレス能力の検査が行われることぐらいだ。
当初は目の敵にしていた職員も、大半が優しく、なによりアドレスに対する嫌悪感が薄いのが救いであった。
日々を暮らすうちに、正示は明日が来るのを楽しみにしている自分に気が付いた。母が亡くなってから、ずっと忘れていた感情だった。
兄がいる。数人だが友人もできた。優しい大人たちもいる。
ずっと、このまま、ここで暮らせたら。
心底から、そう思っていた。
そうして、半年が経ったある日。
茹だるような暑い夏の日だったように思う。
未だに正確な原因は分からず、ただ「実験中の事故だった」とだけ伝えられている。
なにもかもが唐突だった。
その瞬間の記憶を思いだそうにも、霧がかかったように朧げになる。それほどまでに突然に、施設は崩壊した。駆けつけた救助隊の手によって、瓦礫の下敷きになっていた正示が助け出された時にはもう、建物は跡形もなくなくなっていた。
職員、感染者問わず半数以上が死傷、或いは消息不明として扱われた。
そして。
生存者、死傷者のどちらにも、兄の姿は無かった。
事故から一週間が経ち、一カ月が過ぎても、兄の行方は知れぬままだった。
たった一人の家族さえも失って、正示を含む生存者は各地の児童養護施設に預けられた。
兄の安否はようとして知れず、正示は少しずつ、泥沼に沈むようにゆっくりと、希望を捨てていった。
さらに二年の月日が流れた。
言葉を忘れ、喜怒哀楽を失い、ただただ機械的に日々を過ごす正示の元に、彼らは現れた。
全身黒尽くめの奇妙な男。傍らには、人形の如く無表情な少女が控えていた。
訝しむ正示に、彼は名乗りもしないでこう言った。
兄が見つかった、と。
反政府組織〈セフィラスフェザー〉の中核を担う者の中に、遠藤・誠一郎の名が上がった、と。
あまりに唐突な報告を受け、なす術もなく硬直する正示に対し、彼はなおも言葉を続ける。
――兄に会いたいか。
当たり前だ。たった一人の家族なのだから。
ならば、と男は言う。
――戦え。
――その身を蝕む異能の力を以て、天使気取りの阿呆どもを駆逐してみせろ。
芝居がかった台詞をまるで抑揚のない棒読みで諳じて、男は右手を差し出してくる。
――無論、無理強いはしない。
――選ぶのは、お前だ。
まるで意味が分からなかった。突然現れた謎の男が、何年も行方知れずだった兄の消息を告げ、忌むべきアドレスを用いて戦えと言う。
しかし、それでも。
惑い、悩み、躊躇った末に、正示は男の手を取った。
すべては、兄に会うために。
特務機関〈クリフォトスフィア〉の一員として、クリエイターたちとの戦いに身を投じたのであった。