第十五話
正示は早鐘を打つ鼓動が落ち着くのを待って、椎名へと緊急連絡を入れた。
そこで初めて、自分たちが隔離されていたということを知った。
先ほどの交戦に前後して、正示の位置情報が消失していたらしい。電波も繋がらず、情報部から異常を知らされた椎名は独断で非常事態宣言を発令。即座に特課部隊に緊急出動を命じるも、追い討ちをかけるように丁区でテロ発生の報が入る。明らかな陽動なのだが、まさか放置するわけにもいかず、沙希にも現場に急行するよう指示が出ている、との事だった。
自分も応援に向かいますか、と提案するも、「本命が撤退したのであればすぐに引き揚げるだろう」とすげなく断られ、尋ねられるがままに経緯を説明した後は、迎えが到着するまでその場で待機を言い渡された。
一度は退けたとはいえども、いつ何時再度の襲撃があるとも知れない。園内入り口近くのベンチに陣取り、おっかなびっくり周囲を伺う正示をよそに、一善は「カラダ動かしたら腹減ったなァ」とのんきなものである。
ここにきて、色々と気になる点が増えてきた。
急行するとは言っていたものの、迎えが到着までにはまだ間がある。
意を決して、正示は尋ねてみる。
「あ、あの……。あの人たちは、なんで一善さんを狙うんですかね?」
「さァて、なんでだろーな?」
眉を寄せ、なんとも大仰に首を捻る一善に、正示は確信を得る。
――彼女は、なにか隠している。
慎重に言葉を選び、もう少し踏み込んだ質問を投げかけてみる。
「……椎名さんが言ってた、『れいな』さんって人と関係がありますか?」
問いに、一善の口元から微笑が消えた。
こちらの目を真っ直ぐ見据え、しばしの沈黙を置いて、
「……そうさな。隠してもしょうがねえしゲロっちまうと、レイナはアタシの身内だ。クソオヤジも死んじまってたし、たった一人の家族って奴だな」
あっさりと認め、再度笑みを浮かべる。
ふぅ、と彼女にしては珍しく物憂げな溜め息をつき、一善は言う。
「久々に帰ってきてみりゃあアンニャロウ、ずいぶんアッパー気味な連中とツルんでやがる……と、そうだ」
そこで不意に話題を変えて、
「テメェこそ、エラい血相変えてたじゃねえか。アニキがどうとかよ」
思わぬ反問に、正示は思わず息を詰める。
先ほどの衝撃がよみがえり、膝の上に置いた拳を強く握り込む。
長い逡巡を前置いて、正示は言葉を搾り出す。
「……僕の兄は、〈セフィラスフェザー〉の幹部、なんです」
それは、沙希を含め同僚数名しか知らぬ極秘事項であった。椎名の指示により援護を任せる特課隊員にも伏せられているため、本来ならば一般人である一善にも話してはならない。
正示なりに重大な決意をもって告げた返答に、しかし一善は「ふぅん」と気のない相槌を打ち、
「それで?」
「それで、って……」
正示のオウム返しに、一善は子供のように足をブラブラさせながら、
「アニキと会って、どうしようってンだ? サキの話じゃアイツラ、自分らの国作って独立しようとか言って張り切ってんだろ?」
尋ねに、正示は絶句する。
もう一度、会いたい。
その一心のみを願い続けてきた正示にとって、それは死角からの問いであった。
「それは、その……」
考える。兄と再会できたならば、言いたいこと、聞きたいことはそれこそ山ほどある。だが、一旦それらを端に寄せ、彼の行っている活動について是非を判ずるとするならば、
「――止めたい、です。たとえどんな理由があろうとも、誰かを傷付けてまで願いを叶えるなんて、間違っていると思います」
返答に、一善はフン、と鼻を鳴らした。
「ココロザシは立派だがよ。それ《・・》だけじゃあちっと弱いな」
足を組み、膝に肘立て顎を乗せ、じぃっと上目使いに正示を見、
「連中も、無茶を承知でお上に楯突いてんだ。よっぽど覚悟あっての事だろうや。それを止めるつもりなら、オマエも同じぐらいの覚悟を秤に乗せるのがスジってもんじゃあねえか?」
「覚悟、ですか……?」
正直、一善の意図が読めない。彼女はいったい、何を言わんとしているのか。
困惑する正示に対し、一善は言う。
「いいか、セージ。暴力反対・博愛精神・ラブアンドピース大いに結構。だがな、ヒトが本気で何かを成し遂げようと願う時、誰にも迷惑かけずに願いを叶えられる奴なんざいねェのよ」
穏やかな口調ながら、強い意志を感じさせる声で、一善は言葉を紡ぐ。
「李も桃もモモのうちってな、欲望も希望も、一皮剥いてみりゃ同じ望みだ。行き着く先がカチ合えば、互いに競い、争い、戦わにゃあならん。それが本気で願うものならば、なおさらな」
そこで一度言葉を区切り、一善は言う。
「オマエに、その覚悟があるか? 傷を負い、相手を傷付けて、それでも願いを叶えるために、己が意志を貫き通す覚悟が」
試しの問いと共に、彼女が発する透徹とした圧力を感じ、正示は返答に窮する。
それでも、と思う心が、
「……それでも、僕は――」
そう呟くなり、一善の放つプレッシャーが爆発的に膨れ上がった。
もはや物理的な力さえ感じられるような重圧を受け、ひっ、と喉の奥から悲鳴が漏れるも、目は逸らさない。
背筋も凍るような一善の視線を、真っ向から受け止める。
奥歯を噛み締め、じっと睨み返して、数秒。
いきなり向けられていた圧力が消え失せて、
「……そこであっさり譲らない辺り、見所はありそうだな」
そう言って、一善はニッカリと歯を見せ笑った。
ほっと胸を撫でおろす正示の肩を、「悪ィ悪ィ」と謝罪しつつぽんぽん叩きながら、
「今はそれでいい。その瞬間が来るまで、じっくり覚悟を育てな」
忘れるなよ? と念を押して、
「たとえアタシがいなくなったとしても、自分で選び、勝ち取れるように、な?」
「……それって――」
どういう意味ですか、と続くはずの言葉が、特課部隊の到着により有耶無耶になる。
一善の呟いた意味深な台詞――その意味するところを、正示はすぐに思い知ることになる。
▼
一夜明け、授業を終えた放課後。
正示は、久しぶりに美術室を訪れていた。
ここ最近、ゆっくりスケッチブックを広げる時間こそ取れなかったものの、おかげで描きたい題材や風景は格段に増えていた。まとまった時間が取れたならば、端から描き止めていきたいと思う。
さて、絵を描く訳でもないのになぜ美術室に居るのか。
昨夜の襲撃から、目下最優先保護対象に指定されている一善に対し、沙希がアドレス能力についてのレクチャーを提案したのだ。
室内にはあくび交じりの一善、心なしか緊張した面持ちの沙希の姿があり、
「お願い、遠藤君」
合図に、正示は多少緊張しつつも小さく頷きを返す。
大きく三度の深呼吸の後、愛用のちびた鉛筆を一息に走らせる。
時間にすればわずか三十秒足らずの作業の末に、ポンとどこか気の抜ける音と共に描き上がったのは、妙に角張ったデザインの、てのひらサイズの落書き犬であった。
きょろきょろと周囲を見回し、落書き犬は「ひゃん!」と一吠え、机の上を縦横無尽に駆け回り始める。
出現した落書き犬を見、一善は「すげェすげェ」とはしゃぎつつ、躊躇うことなく机の上に手を伸ばした。
ぐーに握った右手をゆっくりと近付ければ、落書き犬もスンスンと鼻を鳴らしつつ差し出された拳に近寄り、ぺろりと拳骨を一舐めした後はもう、あっという間に腹を見せて降伏の構えである。
こやつめワハハ、などと口走りながら上機嫌で落書き犬の腹を撫で回している一善は、不意に顔を上げて、
「これが、なんだっけか、その『くりいちゃあ』ってやつか」
「そう、ですね。僕のは絵画系に分類される『挿絵画家』の能力で、見ての通り、描いた生物を『空想獣』として具現化する力です」
どうぞ、と沙希に視線を送れば、彼女はこほん、と咳払いを置いて、胸元のポケットから琥珀色の万年筆を取り出し一拍、
「それでは」
短く告げて、硬筆を走らせる。
『机の上に、犬小屋が建っている』
中空に書かれた一文は仄かに明滅、次の瞬間には木製の机から生え出すようにして、三角屋根の小さな犬小屋が現れる。
突如として建設された家屋を見、びくっ、と身を強ばらせる落書き犬を見、沙希はむ、と眉を八の字にして、
『小屋の前には、餌が入った小皿が置かれている』
描写を追加すれば、なにやらドックフードらしき物が山と盛られた皿が現れた。
それでもなお警戒を解かぬ落書き犬であったが、一善が餌をひょいとひとつまみ、止める間もなく口にするのを目にして安心したのか、ものすごい勢いで山を崩し始めた。
突拍子もない一善の行動を見、沙希は呆れながらも、
「これが私のアドレス、文章系に分類される『小説家』の力です。生物を描き出す遠藤君とは違い、どちらかと言えば動かない物――静物などの『人工物』を書き現すのに向いている力ですね」
がつがつとドックフードを頬張る落書き犬に視線を横目に、
「一文の描写だけならばごく短時間で行えますが、実物として存在できる時間も一分から三分と比較的短めです。また、書いた文章の発現に際し、その場にいる読み手全員のイメージを平均値をとって顕現するので、状況によっては描写の追加が必要になります」
ふう、と一息、沙希はなおも説明を続ける。
「こうしてクリエイターの『創作活動』から産み出される『作品』――『クリーチャー』や『アーティファクト』は、基本的に描写に時間を掛ければ掛けるほど、現実に存在できる時間も増えます。中には、神代さんが帰国した時に遭遇した『落書屋』のようにスピードとラフさが完成度に繋がるものや、『合作』といって二人以上のクリエイターが異なるアドレスを以て一作品を作り上げることで、創作にかける時間を大幅に短縮する技術もありますが……」
徐々に熱を上げていく沙希の講義をよそに、一善は落書き犬を撫で回す作業に没頭している。
「また、『作品』の多くは、その作品を鑑賞・使用する者の評価によって実存在としての影響力を左右されるという特質を持ちます。要は、鑑賞者が多ければ多いほど影響力の増減が顕著に表れるのです」
いっそ清々しいまでの二人の温度差に、間に挟まれた正示はもうハラハラしっぱなしなのだが、沙希はいよいよ勢い込んで、
「――『ピース』の出来が悪ければ、さして障害にはなりません。影響力も弱く、対クリエイター兵装の特課機動隊でも十分に鎮圧できます。問題は、出来が良かった場合です。アドレスを介して現実を凌駕するほどの表現が成された時、その『ピース』は鑑賞者の数に比例して影響力を増すのです」
その昔、沙希や正示が〈クリフォトスフィア〉に所属する以前の話である。
伸び悩む視聴率をどうにかせんと腐心していたあるテレビ局が、報道の自由を錦の御旗に封鎖区域内に侵入、敵性クリエイターとの戦闘をライブ映像として放映してしまうという事件があった。
折悪しく、その時前線に出ていたクリエイターはそれなりに名の知れた『水彩画家』で、電波に乗って国民の目に晒された竜型の『クリーチャー』は爆発的にその影響力を増し、まるで特撮映画に登場する怪獣の如き猛威を振るった。
椎名を筆頭に〈クリフォトスフィア〉の全戦力をつぎ込んでようやく打倒できたものの、被害は甚大に過ぎた。事態を重く見た政府はすぐさま空現法に追記、改正を付け加えた。やり過ぎなくらいに厳しい報道規制が敷かれ、故意に封鎖区域内に侵入した民間人には重い罰則が科せられる運びとなった。
「その事件を機に、統さんは少数精鋭で編成された、独立執行部隊を新設したそうです。アドレスによって産み出された『作品』に対抗するには、同じアドレスであたるのが最も効果的ですから」
沙希の声に、どこか誇らしげな響きが交じる。
「――ゆえに! 私たち〈クリフォトスフィア〉独立執行部隊は、日夜人知れず〈セフィラスフェザー〉の敵性クリエイターたちと戦っているのです!」
どうだ、とばかりに小鼻を膨らませる沙希に対し、一善はやはりというか「ほぉん」と気の抜けた相槌を返すのみであった。
予想を遥かに下回る反応の薄さに、沙希は明らかに鼻白む。
と、そこで、
「――あ。」
一善の腕の中で、落書き犬が音も無く消え去った。
あー、と惜しむような声を漏らし、一善はどこか寂しげな微笑を浮かべる。
気まずい沈黙を打破するように、一善は不意に腰を上げ、
「腹ァ減ったなぁ。そろそろ帰ェんべ」
「ま、まだ話は――!」
「分かった分かった。続きがあんならウチで聞くからさ」
最優先保護対象に指定された人物に対しては、二十四時間体制で〈クリフォトスフィア〉の警護が付く。本来はテロの標的として槍玉に挙げられた重要人物を守るための制度だが、今回は予め見知った間柄であることも考慮して、沙希と正示に任命されている。昨晩も、本部で合流した沙希が一善宅に泊まっていたはずだ。
「そういやセージ、サキが昨日、寝言でな……?」
「げ、下校しましょう! 暗くならないうちに!」
なぜか慌てた様子で沙希も席を立ち、なし崩し的に講義が終わる。
下駄箱長屋へ向かう道中、夕食の招待を受け、一善の腕をよく知る正示は是非ともと快諾する。
靴を履き替え、校舎を出る。
先ほどの憂い顔はどこへやら、早くもメニューを決めたのか調子をつけて食材を数え唄う一善を先頭に、ゆるゆると歩を進める。
絵に描いたような平和な放課後の風景を眺め、正示はごく自然に心の中に白紙を広げる。
油断していたのだ。
いつ何時再度の襲撃があるとも知れないと、警戒していたはずなのに。
「遅ェよ、セージ! キビキビ歩かねえと置いてくぞ!?」
弾む声に急かされて、最後尾の正示はペースを上げる。
そして。
正門から一歩目を踏み出したところで、異変は起こった。
「――っ!?」
ぞく、と正体不明の悪寒が背筋を貫き、正示はたまらず足を止めた。
見れば、隣を歩いていた沙希も異変に気付き驚いた顔をしている。
視線を巡らす。背後には見慣れた校舎、遠くには繁華街のビル群、いつもと変わらぬ風景が広がっている。
だが、何かが決定的に欠けている。
まるで騙し絵を見ているような猛烈な違和感に、正示は何だ、何だ、何だと原因を探して、
――気付く。
音が、無い。
行き交う車の排気の音や雑踏のざわめきといった、都市の日常にあるべき生活音が、すっぽりと抜け落ちている。
「これって……」
もはや疑いようも無い。空間設計系のデザイナーが製作する『空白地帯』だ。
本来ならば路地裏などの人目のつかない場所に作られ、外部の人間の侵入を遮断するためのものなのだが、これほど人通りの多い場所に展開されるなど前代未聞である。
――閉じ込められた!?
正示の驚愕をよそに、沙希は既に動いていた。胸元から万年筆を抜き出し油断無く周囲を警戒しつつ、
「遠藤君、神代さんをお願い!」
「は――はい!」
慌てて指示に従うも、一善はフン、と鼻息一発、
「どこの誰だか知らねえが、コソコソ隠れてねえで面ァ見せやがれ!」
大音声の呼び掛けを背中で聞いて、正示は「そんな直球な」と内心でツッコミを入れる。
しかし、またしても想定外の事態が起こる。
正示たちから見て右手側、繁華街方面へと続く道から、人影が歩み出てきたのだ。
小柄な女性だった。歳は自分たちとさして変わらぬように見える。見覚えの無い制服の上に、化学の実験の際に着用するような白衣を袖を通さず羽織っている。
要求通り姿を現した女性を前に、一善はにんまりと微笑を浮かべて、
「良い度胸だ、お嬢ちゃん。……お名前は?」
なおも馬鹿が付くほど正直な問いに対し、白衣の女性は明らかに気分を害した風にスン、と鼻を鳴らして、
「こっちの入手した情報じゃあ歳はタメのはずやねんけどな、一善ちゃん?」
挑発的な口調で返し、なおも言葉を続けて、
「ま、ええわ。ウチの名前はチヒロ。〈セフィラスフェザー〉技術開発部・部長、〈純美〉の香田・千尋や」
告げられた名乗りに、正示は三度目の瞠目に身動きを止める。
「本業は空間デザインとちゃうけど、それでも、外部からの助けは期待せえへん方がええやろな」
好戦的な物言いに、一善は口元に笑みを浮かべる。
前に立つ正示の肩をむんずと掴み、邪魔だと言わんばかりに押し退けて、
「そいつぁ困ったな。これからダチと一緒に飯食おうと思ってたんだが……。アンタを泣くほど張っ倒せば、出られたりするか?」
「出来るんやったら、な?」
返答を聞き、一善の笑みがぎちりと音を立てて強張る。
傍らに立つ正示の背が粟立つほどの猛烈な戦意を放ちながら、前進の一歩目を踏もうとして、
「無闇に挑発するな、香田」
嗜める声は、白衣の少女の背後から響いた。
何も無い空間から、するりと抜け出すようにして姿を現したのは、昨晩死闘を繰り広げた相手、山里であり、
「……名乗りは不要だな。今度こそ、貴様を連れていく」
通告を受け、一善は今度こそ歯を見せ笑う。
「上等ォ……!」
臨戦態勢を取る一善を見、正示は咄嗟に、止めるべきか加勢するべきか迷う。
そんな一瞬の逡巡を断ち切るように、
「――いくわよ、遠藤君!」
決断を知らせると同時、沙希は右手を閃かせる。
『空中に、矢が現れる』
牽制の一文を書き記し、流れるように描写を付け加えようとして、
「な――!?」
動きが止まる。
普段ならば即座に実体化するはずの一文が、徐々に輝きを失っていくのだ。
思考を邪魔する混乱を端から噛み潰しながら、沙希は懸命に原因を探る。
間を置かず発見、中空に浮かぶ自身が書いた一文、『矢』の文字が不気味に蠢き、『失』の文字へと変化しているのだ。無論、書き間違えた覚えなどありはしない。
それはつまり、既に何らかのアドレス能力による攻撃を受けているという事であり、
「お察しの通り、『誤』の書による封を施させていただきました。文字を用いる創作活動の一切は無効化されます」
新たな声は正示たちの背後、校舎側から響いてきた。
左右に分けて結われた三つ編みと、縁無しの眼鏡。穏やかそうな見た目とは対照的に、苛烈なまでに鋭い目付きが印象的な女性であった。
「情報管理部・部長、〈慈悲〉の宮元・彩乃と申します。お見知り置きを」
新手の登場に沙希の無力化と、重なる不利に追い討ちをかけるように、
「っサキ!」
一善が弾かれたように振り向き叫ぶも、一手遅い。
「――きゃあ!」
短い悲鳴を上げる沙希の背後に、彼女を抱き竦めるようにして立つ女性の姿があった。
百八十センチはあろうかという長身に、緩く波打つ見事に染め抜かれた金の長髪。すらりと伸びた手足を絡ませ、完全に沙希の動きを封じている。
「んー。ちょっと細っこいけれど、ステキな抱き心地ねぇ。やっぱ若いコは良ーわぁ」
「沙希さん!」
反射的に駆け出そうとする正示に対し、女性は立てた親指、その先端から伸びる鋭い爪を沙希の喉元に押し当てることで制止を命じて、
「第一実働部・副長、〈理解〉の桜庭・優果。すこぉし、オトナしくしててねん?」
万事休す。
沙希を人質に取られた今、もはや逃げる事すら出来なくなってしまった。
「そんな、〈セフィラスフェザー〉の幹部が、四人も……」
正示の呆然とした独白もよそに、宮元と名乗った三つ編みの女性が厳かに口を開く。
「準備万端、整いました――」
報告に、正示の背後から、コツコツと硬い足音が響く。
その音を耳にした途端、正示の胸中に圧倒的な予感が渦を巻く。
呼吸が浅く狭まり、鼓動が音量を増す。「まさか」と「でも」が脳裏を埋め尽くし、猛烈に喉の乾きを覚える。
足音が、止まる。
意を決し、正示はゆっくり、ゆっくりと振り向いて、
「……兄、さん」
虚脱した表情で呟く正示に、沙希は驚きに目を見開いて、
「兄って……それじゃあ、彼が!?」
視線の先に、青年が立っている。
丁寧に撫で付けられたオールバックに、高空の覇者たる大鷲を思わせる鋭い双眸。造作こそ端正ではあるが、女性的な柔さとは無縁の精悍な顔付き。ただそこに在るだけで息苦しさを覚えるほどの、尋常ならざる威圧感。
青年が、口を開く。
「――〈セフィラスフェザー〉代表、〈王冠〉の遠藤・誠一郎」
呆然としたままの正示には目もくれず、ただ一点のみを射抜くように見据えながら、
「神代・一善。君を、迎えに来た」
確定事項を告げるような頑とした声音に、名指しで呼ばれた当の一善は不快そうに眉を顰めた。
誠一郎が放つ並はずれた重圧を歯牙にもかけず、いつものチンピラ染みた雰囲気そのままに、
「ンだテメェ、いきなしシャシャり出てきやがって。良いオンナ口説くにゃあ順序ってモンがあんだろう?」
軽口で返すも、誠一朗は眉一つ動かさずに、
「断るのならば、君を除くこの場に居る〈クリフォトスフィア〉独立執行部隊隊員二名、及び今現在校舎に残っている生徒、教職員の安全は保証出来ない」
切られたカードに、それまで誰のどんな台詞にも喧嘩腰でもって返してきた一善が、口を閉ざした。
無言、
静寂、
沈黙。
三拍を置いて、一善はふぅ、と溜め息をつき、
「……しょうがねえ。冴えねぇ誘い文句だが、ノってやんぜ」
観念したように、肩を竦めた。
「宮元、山里は彼女の護送にあたれ。くれぐれも、油断するなよ」
淡々と指示を出し、誠一朗は踵を返す。
用は済んだとばかりに一歩目を踏み出すその背を追って、正示は半ば恐慌に駆られて叫ぶ。
「――待ってよ、兄さん!」
必死の呼び掛けにも、誠一朗は振り向きもせず歩を進める。
沙希を抱きすくめていた桜庭が拘束を解き、親しげに一善の腕を取ると同時に、世界に音が戻ってくる。
そこにはもう、〈セフィラスフェザー〉の五人も、捕らわれた一善の姿も無く、呆然と立ち尽くす正示たちだけが残されていた。
間を置かず、椎名からの非常招集により、正示たちは〈クリフォトスフィア〉本部へと呼び戻される事になる。
東都全域で同時多発的に発生した〈セフィラスフェザー〉所属クリエイターによる一斉蜂起は、都市中に混沌を撒き散らしながらも、一点を目指して収束していくのであった。