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Creators Heaven  作者: 八木山ひつじ
第二章
10/21

第十話

 

 東都地下鉄、双篠杜ふたしのもり駅から中央線下りで三駅、朧谷おぼろだにで重光線へ乗り代えて更に三駅。

 かのえ区は清郷町しんごうちょう駅にて下車した一善は、まっすぐ駅前に建つスーパー「りゅうおう」へと向かった。

 夕刻のラッシュもそれなりに収まりつつあるものの、店内は未だ多くの買い物客で賑わっている。間断なく響くバーコードを読み取る際の電子音、お菓子を買ってくれねば舌を噛み切って死んでやると駄々をこねる子供の声、BGMは一昔前に流行ったドラマの主題歌をイージーリスニング調にアレンジしたものと、非の打ち所の無いほど完璧なスーパーの日常風景であった。

 しかし、と正示は思う。

 一人ぶらりと立ち寄るならまだしも、制服姿の男女というのは存外に目を引く組み合わせのようだ。あらぬ想像をかき立てられるのか、あちらこちらの奥様方が何とも生暖かい視線を寄越してくる。たまたま目が合った熟練主婦と思しき女性などは、あからさまにこちらに向けてウィンクをし、あまつさえ親指まで立ててきた。なんという含みのある笑顔であろうか。いったい正示に何をどうしろと言うのだ。

 そんな正示の居心地の悪さを知ってか知らずか、一善は鼻唄交じりに店内を散策している。

 メニューは既に決まっているらしく、あれやこれやと正示の運ぶカートに突っ込みつつ、ついでだからと洗剤やトイレットペーパー、ゴミ袋などの生活必需品も乗せていく。

 あっと言う間に小山ほどの大きさになったカートを押し、いざ会計というところで一悶着あった。

 せめて食費の半分だけでも、と代金を払おうとする正示に対し、一善はこれを頑なに拒否――曰く、こういう時は黙って奢られておくのがスジってもんだ、だそうだ――代わりにと荷物持ちを命じ、「りゅうおう」を後にする。

 見知らぬ土地を、一善に先導されて歩くこと数分。

「着いたぞー」

 到着を知らせる声に、正示も歩みを停めた。

「おぉ……」

 眼前に建つ高層マンションを見、思わず感嘆の息を漏らす。

 カカシのように突っ立ったまま動かぬ正示をよそに、一善は既に入り口のオートロックを外し内部に入っていて、

「どしたい、遠慮せずに入れ入れ」

 促され、慌ててその背を追う。

 背が高ければ中も広い。高級ホテルのロビーのような、豪奢ながらも落ち着いた内装のエントランスホールを突っ切り、四基並んだエレベーターの一つへ乗り込む。一善は、迷う事なく最上階のボタンを押した。

 音も無く上昇を始めるエレベーター内で、恐縮しっぱなしの正示はええと、と言葉を選んでから、

「……り、立派なお宅ですね」

 良く言えば素直な、悪く言えば当たり障りのない感想に、当の一善は「そうかぁ?」と気のない相槌を打ち、

「アタシなんかは雨風凌げりゃ何処でも良いと思うけどなぁ。さすがはクソオヤジ、趣味が合わねえ合わねぇ」

 そう言って、スンと鼻を鳴らす一善の横顔を傍らに、正示は昨夜の椎名の台詞を思い出す。

 ――そういえば、亡くなられたって言ってたな……。

 神代・十全。一善の名付け親らしく珍しい名前の人物。それなりに気にはなるものの、好奇心は猫をも殺すと云うし、ましてや相手は一善である。

 果たして話題にしても良いものか、と悩みつつも、正示は心の中で十字を切りつつ、

「一善さんのお父さんって、なにをしてた人なんですか? 椎名さんは博士って言ってましたけど……」

 尋ねた直後、いきなり後悔した。

 一善は突然噴火直前の火山の如き恐ろしい面相になって、

「くだらねェ仕事だよ。つーか、アタシの前で二度とクソオヤジの名前を出すな。つぎ言ったらクビんぞ」

 正示はもはや、がくがくと頷くことしかできない。

 そうこうしている内に、エレベーターはあっと言う間に最上階に到着。

 清潔な廊下をまっすぐ十歩、突き当たりの何とも立派な扉を、一善は何の前置きも無しに引き開けた。

 驚いたのは正示である。

「ちょ、カギかけてないんですか!?」

られるようなモンなんか何もありゃしねえって。たっだいまー」

 あまりにも男らしい返答に、呆気に取られながらも後を追って、

「……お邪魔しまーす」

 室内に入ってすぐ、一善の言葉に嘘は無かったと悟った。

 広い。思わず「格差社会」だとか「カースト制度」などという単語が脳裏を掠めるほどに広い。だが、その広さに反して家具らしい家具は殆ど置かれておらず、目に付くものといえば壁に沿って置かれた本棚と、室内中央に設置されたガラス張りのテーブル、テーブルを挟むように置かれた年代もののソファーぐらいなものである。まるで病院の待合室のような、およそ生活の匂いが感じられない部屋だった。

 片方のソファーの上には年季の入ったボロ切れのようなタオルが丸まっており、すぐそばには広げられたままのトランクが口を開けている。周囲には服やら本やらが乱雑にバラまかれていて、唯一そこだけ生活感が溢れていた。

 と、そこで慌てて視線を逸らす。遅まきながら、あまり人の――特に女性の部屋をじろじろ見るものではないと気が付いたのだ。

 そんな正示のあやしい挙動を、終始しっかりじっくり観察していた一善は、口元にニヤニヤした笑みを浮かべつつ、

「荷物はそっち、まとめて台所に運んどいてくれい」

「りょ、了解しました」

 応じ、指示された台所へと移動する。こちらも予想通りというか、男子寮のそれと同じ施設とは思えないほど立派なシステムキッチンであった。

 平台に荷物を置き、ふうと一息。

 なんというか、今日一日だけで向こう半年分の感嘆の息を吐いた気がする。

 落ち着いて考えてみれば、いったい何をしているのだろう、という気もする。いくら一善の方から誘いがあったとはいえ、昨日会ったばかりの女性の自宅にのこのこ上がり込むなど、あまりに自分らしくない行動であるようにも思う。

 ともあれ、ここまでくれば後の祭りである。夕飯をご馳走になったらすぐに帰ろうと心に決めたところで、ふと喉の渇きを覚えた。

 いくら台所にいるとはいえ、流石にお邪魔している身である。水を貰っても良いか尋ねようとリビングに戻って、

「――あの、」

 声を掛けると同時、一善の腰から、すとん、と軽い音を立ててスカートが落ちる。

 視線の先に、目にも眩しい長い足がある。引き締まったふくらはぎ、張りのあるふともも、脚線の付け根には、ふんわりと下がるワイシャツの裾から白い布地が見え隠れしていた。

 予想外の事態に、呼吸も忘れて硬直してしまう正示を見、

「ん? どうしたよ」

 ワイシャツのボタンを外す手も止めず、一善はきょとんとした顔でこちらを見やる。

 ついには一番下のボタンまで外されてしまい、飾り気のない白のブラジャーと、窮屈そうに収まっている豊かな胸元があらわになるに至ってようやく、

「――し、失礼しましたっ!」

 死んでいた脳みそが蘇生すると同時、正示は摩擦で火が起こせそうなほどの勢いで回れ右。

 ビシ、と音がしそうなほどの直立不動の姿勢を保ちつつ、今しがた脳裏に焼き付いた映像を振り払おうと、必死に今日受けたばかりの授業内容を思い出す。一限は世界史、イスラム国家の成立について。二限は物理、電波が伝える情報とエネルギーについて。三限は現文、宮沢賢治で永訣の朝。四限は保健体育、性意識と行動の選択――

 ブンブンブンブンと激しく首を振る正示の身に、更に追い討ちをかけるような事態が起こる。

「……し・つ・れ・い・だァ?」

 背後から上がる、地の底から響いてくるような世にも恐ろしい声。

 反省する暇も、後悔する余裕も、逃げる時間さえも無く、ドスンドスンと怪獣のような足音が近付いてきて、

「テメェ、ケンカ売ってんのか?」

 両足同時に膝裏を小突かれ、成す術も無く尻餅をつく正示の首に、しゅる、と蛇を思わせる動きで一善の右腕が絡み付いた。まるで抵抗らしい抵抗もできない、見事なチョークスリーパーであった。

「このアタシが、人様に見せるのも失礼な、貧相で哀れな身体付きしてるってえのか、アァ?」

 耳元で、産まれて来た事を後悔するようなド迫力の低音が響く。

 一切の手加減無しにぐいぐい締め付けられる首の痛みと、背中に押し付けられる二つのやらかい弾力との板挟みの中で、もはや正示に正常な思考などできるはずも無く、

「め、滅相もございません! 大変結構なお手前で……!」

 思わず、支離滅裂な謝罪を口走っていた。

 締め付けが弱まり、地獄のような沈黙が一秒、二秒、三秒と続いて、

「……分かりゃあいんだよ。分かりゃあ」

 笑みを含んだ言葉と共に、拘束が解かれる。

 げほげほと激しく咳き込む正示をよそに、一善はそこらに放ってあったティーシャツとジーンズを手に取り着替えを終えて、

「んじゃあ作っかー! 暇だったらそこらの本棚にクソオヤジが貯め込んだ本があっから、適当に読んでくれろい」

 何事も無かったかのように、調理に取り掛かるのであった。

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