prologue 01 勇者の最後
聖王国オーレクランの王都クランリアが落ちるのはもう時間の問題だろう。既にモンスターに門が破られている。空からのモンスターも空を覆い尽くす勢いだ。アティア姫と聖騎士エルが無事に逃げ延びるのを信じるしかない。ガリルが東の砦に援軍に行ってからもうかなり経つ。ソーマからの連絡ももう随分ない。魔術師エルローと槍術師リルアに至っては居場所すら見当がつかない。
クランリアの様子を一望できる郷望の丘に立つ青年は一人そんなことを考えていた。・・・もっとも、現在の彼にはそんなことを考える余裕などないのだが。
勇者ツラキ・サクラメ。異世界から召喚された青年を人はそう呼ぶ。彼がこの世界ヴァーシュに召喚されて既に7年になるが初めは勇者として召喚されたのではなかった。オーレクランの国難時に召喚され国を救った。その後同国を改革し、隣国を統合し聖王国家に建国に尽力した。
そして2年前、魔王軍の侵略が始まり世界は勇者を求めた。別にツラキは勇者として名乗りを挙げた訳ではないが、周囲は既に文武魔法に長けたツラキを勇者と呼んで疑わなかった。伝説の神剣の打ち直し。紫雲城に住み着く神龍の調伏。捕らわれた姫君の単独奪還。挙げていけばきりがない。
順調だった勇者の快進撃は数ヵ月前から変化の一途を辿る。敵勢力が突如膨れ上がり、強さが飛躍的に増したのだ。当初から魔王軍のモンスターの物量は多かったがそれに拍車がかかり、どんどんと連合国軍は圧されていった。
連合国軍は聖王国家オーレクランに背水の陣敷き王都を囮にしての作戦を開始したのが半日前。惨敗とも言える結果が勇者の眼前にあった。
「よそ見をしているとは随分余裕だな、勇者」
ツラキを現実に跳び戻す声が聞こえる。相手はツラキもよく知っている輩だった。
「勇者が余裕を持たないでどうするんだよ」
強気にツラキは答えた。その相手は強靭な肉体と絶大な魔力を兼ね揃えた魔王グオリアオウム。紫の肌と黄金色の瞳を持った大男が嫌らしく笑う。
「いやいや、我は感心しているよ。この状況下でもまだ戦意を喪失していないとはな」
「寝惚けるな、グオリアオウム。俺がお前を倒す。その足で仲間を助ける。仲間と共にお前の軍勢を押し返す。全て予定通りだろうが」
淡々と口を開くツラキの何が面白いのかグオリアオウムは口の端をさらに伸ばして嘲笑する。
「フハッ! ハハハハハハッ!! 助ける!? 押し返す? もう詰んでいるんですよ!! ・・・・これなんだと思いますか?」
魔王がまるでゴミでも捨てるかのように骨のようなものをツラキに投げ渡した。そうそれは骨だ。少なくとも成分的にはだ。その形にツラキは見覚えがあった。骨を拾い憤怒の瞳を魔王に向ける。
「おっ、さすがにわかりましたか。そうです。あなたの盟友の畜生の牙です」
「ガリルを畜生と呼ぶなド外道!!!」
ガリル・バグル・レイオス。ライオンのライカンスロープでオーレクラン獣師戦団長にしてツラキの友の名だ。豪胆にして義を重んじる男だ。奴の一族が誇りの現れとする牙を魔王が持っていた。その意味するところは一つしかない。
「いやはや、色々と貴方をいたぶる為に皆さんにお願いしておいたんですけど、思った通りあまり集まりませんでしたね。あぁ、そうそう獅子の畜生の彼ね牙を折られて鳴きながら掛かってきたそうですよ。もちろん、八つ裂きにされたあと砦の上階から縛り首になったそうですが」
「・・・・・・・・・」
「あと、あのウロチョロしていた風使いの小僧。本人も知らぬ間に心臓を抉られて絶命したそうです。露出狂の魔術師もリーバニアの槍使いも貴方がいなければ大したことはないようですね。おぉ! 忘れるところでした! 肝心要のオーレクランのお姫様。もうお亡くなりになりましたよ。人質に取られた数百人の兵士の前で純潔を散らしたそうです。もちろん、あの苦渋を舐めさせられた聖騎士も目の当たりにしたそうですよ。・・・最後は魔物たちに回されて亡くなりになったそうな。フフフフ」
最悪の知らせを宿敵から聞きながらも、不思議とツラキの頭は回っていた。垂れていた頭をゆっくりと起こし
「伝聞だな」
「はい!?」
「全部伝聞だ。ガリル達を殺したのはお前じゃない。やり口も滅茶苦茶で一貫性もない」
意外なツラキの冷静な口振りにグオリアオウムは驚きを隠さない。
「おやおや、勇者ツラキ・サクラメは随分卑劣漢ですねぇ。いえ、流石と言うべきなのでしょう。確かに我の部下には貴方のお仲間をこれほど簡単に殺せる者はいないわ。・・・我もちょっと羨ましくなっちゃってね、協力してもらってるの」
「協力だと? 魔王グオリアオウムの言葉とは思えないがな。魔王は従えるものだろ」
「魔王が従えるのは魔物だけ。魔物は仲間にはなり得ない。仲間は同格でないと」
寒気がした。冷静さだってもう虚勢に近い。ここから先の魔王の言葉・・・予想はできるが絶望的な結果を伴うものだ。だが、ツラキの想いを魔王はただ蹂躙する。
「だから来てもらったの。我以外の魔王に」
突如、影が蠢く。勇者に気付かれないで近寄ることがどれだけ至難か。それを容易くやってのける輩の影、その数十数体。ツラキは咄嗟に刀の柄を握る。
その影の一つがそっとツラキの手を握る。
「そんなに怯えてくれるなや。取って食ったりは・・・するかもしれんねぇ」
簡単に触られる。赤色の着物に身を包んだ花魁のような角のある女が舞うように躍りながらツラキから離れる。動作一つにその強靭さが見てとれる。魔王グオリアオウムとはまた別次元の強さだ。冷や汗が背中を伝う最中も奴らはただ笑う。
「勇者はそれがしが食らう」
「いやいや、順番ではワシじゃろうが」
「おで・・・・・・勇者・・・・・・しゃぶる」
「勇者の仲間も大したことなかったからな。少しは抵抗しろよ」
「どうすんだよ! 煮るか? 焼くか? さっさと済ませようぜ!」
「呪って・・・ほふる」
「面倒だわ。なら、殺した奴の自由ってことでいいんじゃない」
殺した奴の自由。もはや論理が破綻しているが周囲は納得したようだった。グオリアオウムが嘲笑いながらツラキを指差す。
「今生のお別れになりそうねぇ。諦めて武器を捨てるなら潔さに免じて苦しまずに殺してあげるけど?」
魔王グオリアオウムに対して勇者ツラキ・サクラメが笑う番だった。
「潔さだぁ!? 生憎そんなもん持ち合わせちゃいねぇよ!! そんなことしたらなぁ! 牙折られても立ち向かったガリルに! 心臓無くしても前に進んだソーマに! 回されても抗ったアティアに! 勇者の一分が立たねぇだろうが! お前ら20匹の素っ首! 奴等の墓前に添えてやる!」
勇者の啖呵に魔王20人が見せる表情は一様に薄気味悪い笑みだった。ツラキは両手に力を入れ直し声の限りに魔法の詠唱を始めた。
『今、身命を賭して願い奉る。北の覇王龍、永久の神樹の雫、闇巫女の血、魔女の緋目! 我が願いを指し示し、星出ずる方向への方向と膂力貸し与えんことを。守護八神龍! 字を鎧! 盟約に従い出てよ我が友!! 守護神銀甲龍ギンジュリウス!!!』
「なんと! 守護神龍の召喚ですか!? 最後の勇者の隠し球としては上策も上策」
と魔王グオリアオウムが感嘆の声を漏らし他の魔王も感心している中、召喚術は展開される。 難解な多くの魔法陣。一等に巨大な魔法陣が一体の巨大な銀龍を召喚した。その佇まいは一般的な龍を知っているだけのものならば腰を抜かすほどのものだろう。その巨大龍はゆっくりと首を曲げてツラキに語りかける。
「・・・随分なことになっているな。大昔に見た顔も、変な力を持ったのもいる。もう召喚などされることはないと思っていたが」
「・・・・・・ああ。こんなことはしたくなかった。悪いなギン、そうも言ってられなくなっちまった。ここで俺が死ねばこいつら意気揚々と人間を殺し始める。ここ数カ月で虐殺され尽くしたヴァーシュに生きる人類はもうオーレクランにしかいないだろう。仲間もこいつらに殺されたそうだ。・・・・・・もうお前しかいないんでな」
「・・・・・・生き残ったら俺が酔いつぶれるほどの酒を持って来い」
「望み薄だぞ?」
「構わん。人間王国の最後の地か・・・。俺も長く生きた。死地としては出来すぎている。北方の守護はマヴァリスにでも頼んでおこうか」
「すまん」
そんな他愛のない話の間もツラキは自己とギンに掛けられるだけの付加魔法をかけ続ける。魔王たちもツラキの魔法がかけ終わるのを待っている様子だった。そして、最後の付加魔法をかけて一人の勇者と一匹の龍が臨戦態勢を取る。それが火蓋だった。魔王グオリアオウムの声が響く。
「用意ができたようですね。ヴァーシュ最後の勇者ツラキ・サクラメ。いえ、人間が魔族に敗れ去る瞬間です。あなたが死ねばもう人間は私たちに抵抗しようとは考えないでしょう。死になさい!! 勇者!!!」
20人の魔王が一斉にツラキに襲いかかる。
郷望の丘は名前を絶望の丘に変えるべきだろう。いや、帰る人間などいないかもしれない。どのような戦争が起こってもここまでの事態にはならない。燃え尽くし、氷尽くし、帯電尽くし、よくわからない状況の何所まである。人間と魔族の最後の戦いの結果は・・・・・・。
人間の惨敗だった。
ツラキは唯一、草原で被害のない場所に倒れ込んでいた。神龍に至ってはどこにいるのかもわからない。しかし、状況はすでに終わっていた。
ツラキの右腕と左足は切断され、左腕にはいくつもの刺が刺さり、手に握られた刀は砕かれて既に柄のみ。右足はよくわからない呪いに犯され既に腹部まで侵食されている。内蔵も確実に幾つか潰れている。頭部や首からも大量の出血。両目がえぐり取られている。これでまだショック死することなくツラキに息があるのが奇跡だった。
その息もだんだんと弱まっている。腕も上がらない。目も見えない。魔法力も残ってない。魔王の一人が止めをさしに来たらもう抗えない。
そんなツラキの前に立つのはかなり疲弊した魔王グオリアオウムだった。
「よくぞここまで戦いました。神龍は原子分解して果てました。もういいでしょう。せめて我がとどめを!」
宿敵にこうまで言われても指一本動かない。
(・・・みんなワリィ・・・。敵、討てなかった)
ここでツラキの意識は途絶えた。