楽しい学校生活
美智子はうるさく鳴る覚まし時計を止め、目を覚まそうと思った。だが、掛け布団とベッドの心地良さが、彼女の欲を増大させる。その欲は人間誰しも必ず経験する欲だ。
―――もうちょっと寝たい、後5分
美智子は再び夢の世界に突入しようとしたが、自分の右手首を抓った。痛みではっと目を覚ます。
いけない、いけない、けじめはつけなくては!
彼女は、「よっと!」と言う掛け声とともに、ベッドから起き上がる。昨夜、着替えるのを面倒くさがった美智子は下着姿であるが、Tシャツはちゃんと着ていた。
「美智子、早く起きろ、遅れるぞ」
「はぁい、起きてます!」
美智子は、食卓に行った。
テーブルには、ご飯、目玉焼き、味噌汁と言ったあり溢れたメニューが並んでいた。
「お父さん、別にパンだけでも良いよ」
「朝飯は大事だ、朝のエネルギー源だ」
エプロン姿の父に、美智子は思わず微笑してしまう。父がエプロン姿は、前まではまったく浮かばなかった。それまでは母がいつもエプロン姿だった。
母?お母さん……
ふと、美智子は、母親に会いたくなった。そう言えば、何でいないんだろ?3年前まではちゃんと元気だったのに……。そんな疑問が増大した。
だが、父に「お母さんは?」と聞くべきではなかった。少なくても、今はだが。父は、世界に隔離された日本に3年間ずっと母と暮らしていた。恐らく、母の身に何かあった場合、一番傷ついているのは恐らく父だ。美智子は現場を目撃していない。もし、母が死んでいたら、心に出来た傷は父のほうがずっと大きいだろう。父は恐らく目撃していたからだ。
美智子は、この質問はずっと後でも良いと思った。それに、そのうち自分から話してくれるだろう。そう期待した。
セーラー服に着替えた美智子は、歯を磨き、ローファーを履いて、リュックを背負った。
「お父さん、いってくるよ?」
「おう、いってらっしゃい」
美智子は、玄関を出て、エレベーターに乗り、1階に向かった。
「面倒くさいな」
美智子はそう呟くが、無理も無い。美智子は電車通学だった。その距離は半端ではなく、行き帰り合せて960円もする。つまり、毎日約1000円はかかる。そんな金は、電車にではなく、CDやDVDで使いたかったが、文句は言えない。
美智子は電車に乗ると、一番近くに開いてる席を見つけ、ほっとする。
「ラッキー♪」
美智子は座ろうと思い、まずは席を確保するため、リュックを置き、スカートを調えた。
だが、運命の女神は、彼女に微笑まなかった。
スーツ姿の、黒人の眼鏡を掛けた外国人が、美智子のリュックを丁寧にどけ、席に座り、新聞を読み始めた。むっとした美智子は、1つ文句を言ってやろうと決心したが、やめた。
理由は2つあり、1つは相手が黒人だからだ。美智子にとって、黒人はチンピラの風味を漂わせており、絡まれれば自分がやばいと思った。黒人は運動神経が良く、相手は逞しい体だった。
もう1つは、さっさと座らなかった自分が悪いと思った。非常に複雑な気分だった。
「アンラッキー……」
長時間立って過ごさなければばらないのは、非常に苦痛だった。
美智子は、駅から出ると、急いで学校に向かった。通学中、人身事故で電車が遅れてしまったからだ。
「やばっ!後3分でつかないと!」
しかし、3分で学校に向かうのは非常に困難だった。途中には幾つもの試練が待ち構えていた。信号、疲労、ポン引きなどだ。
過酷な試練を乗り越え、美智子は学校の校門に辿り着いた。身も心も大袈裟に言えばボロボロだ。まるで使いまくった雑巾の用に。
「へへ……やっと着いた……よ……」
ここは倒れれば、絵になるが、制服が汚れるため、やめた。
美智子は階段を駆け上がり、自分の教室に辿りついた。
「遅れてすいません!」
担任とクラスメートが美智子に注目する。注目に慣れていない美智子は、足がすくんだ。
「まあ、長い間難民生活していたわけだし、しばらくは多めに見よう」
眼鏡を掛けた老教師はそう言った。美智子は、この言葉に感謝した。感謝しながら、窓側の2番目の席に座った。
「えっと、皆さんも知っての通り、日本はしばらく危険な感染症に汚染されてましたが、既に感染症の恐怖は去りました。ので、気持ちを切り替えて、学校生活に慣れましょう」
全員が「はーい」と返事した。朝の出席確認が終わり、1時間目の社会が始まった。新日本の法律が変わったため、高校も義務教育になった。そのため、授業は全員受けなければならなかった。
1時間目は社会科だった。
「みっちゃん、社会楽しみだね」
前に座る幼馴染の花形美由紀が優しく微笑みながら、そう言った。花形美由紀は美智子の幼馴染だ。長い若干茶髪の髪の毛と、生まれつき優しい顔立ち、希望溢れた目が、対面者に好印象を与える。彼女は生まれつき体が弱かったが、自分を悲劇だと思ったことはなかった。彼女は生きていることに感謝している。故に、どこかのおせっかいな説教者のゲームの対象にはならない。好きな授業は社会科の歴史であり、美由紀は美智子を「みっちゃん」と呼び、美智子は美由紀を「ゆっちゃん」と呼ぶ。本来なら美由紀だから、頭文字を取って「みっちゃん」になるはずだが、それでは被るため、美由紀の由を取って「ゆっちゃん」になった。
「ゆっちゃんは楽しみ?」
「うん!とっても楽しみ!だって、外国の歴史は外国の視点でしょ?私は日本人だから、日本の視点で学びたいの」
「分かる分かる、何かそういうのってこだわりあるよね」
すると、隣に座る橋本順平が言い出した。
「それ分かる!『死霊のえじき最終版』より『死霊のえじき完全版』がいいって感じだよね」
美智子は「はあ?」と言うが、美由紀は笑みを見せながら「うん、そうだね」と返す。美由紀は優しかった。
橋本順平は、見た目は普通だ。むしろ、端整な顔立ちだが、性格上の問題が故、もてない。さっきの例からも挙げられるように、オタクだった。美智子は『死霊のえじき』なんて作品は見ていないし、見る気もしなかった。見るなら『バイオハザード』くらいだ。
すると、扉が開き、社会科の教師が入ってきた。始めは、渋い男性を連想したが、現れたのはそれとは正反対の人物だった。
それは大人にしては小柄のほうだ。しかし、魅力的な人物だった。銀色の長い髪の毛、大人しそうな、しかし優しそうな顔つき。渋い男性よりは親しみやすそうだった。胸は少女ほどではないが、小さいが、すらりとした華奢な体つきだった。
その教師は、黒板の前に立ち、口を開いた。
「皆さん、おはようございます」
見た目とは裏腹に、明るい声だ。
「今日から、皆さんの社会の教師になる橘椿です教師経験は初めてで、皆さんと同じ初心者ですが、一緒にがんばっていきましょう」
思わず、美智子は胸をきゅんとしてしまう。これが理想の教師だった。美智子は、自分の母を連想する。母も、こんな感じの人だったな。
「えっと、先生も皆さんの顔を覚えたいので、自己紹介してもらいましょ」
皆、「えーっ」と言ったので、橘は慌てた顔をした。
「えっと!あの、その!自己紹介といっても、自分の名前、誕生日、好きなものやこと、好きな時代などでいいので」
この頼みに、クラス全員が思わず微笑む。全員、子供っぽい橘を気に入ったのだ。
「えっと、そこの人、お手本にお願いします」
何と、美智子が任命された。美智子は慌てた。自己紹介って、何を紹介すれば良い。
すると、橋本が手を上げる。
「先生、俺がやっていいですか!」
橘は優しく微笑む。
「じゃあ、お願いします」
「俺は橋本順平!誕生日は6月6日で、好きな時代は飛鳥時代、好きなものは『ナイト・オブ・ザ・リビングデッドスペシャル・エディション』、『ゾンビ米国後公開版』、『死霊のえじき完全版』です!」
橘は苦笑した。
「えっと、マニアックな自己紹介ですが、こんな感じで紹介してもらえばいいです」
美智子は内心、橋本に感謝した。彼が自ら地雷を踏んだため、美智子は自分が失敗しても引かれないと思った。
「そうね…窓から順に自己紹介してもらいましょう」
自己紹介が終わり、授業が始まり、良いところで終わった。
「時間なので、続きは明日ね」
橘は礼をし、教室から出た。
「良かった!」
美由紀の台詞に、思わずびくってしまった美智子。
「どした?」
「だって、社会の教師って凄く綺麗で優しかったじゃない?厳しい教師じゃなくて良かった」
「本当よね、大人しそうで親しみやすそう。意外に昔生徒会長やってたり」
「ありえる」
すると、男子達がどよめいた。
「嘘!英語復活かよ!」
「ありえね!」
「しかも教師って外人らしいぜ!」
「畜生、英語死ね!」
美智子はこれを聞いて少しむっとしたが、考えれば、3年前の自分だったら恐らく同じ台詞を言っただろう。
「酷いわね」と美由紀が言った。
「どうしたの?」
「自衛隊がいない私達を守ってるのは、アメリカなのに、良くぬけぬけと」
「……」
すると、男子の1人、山田太郎が言った。
「何なら、歓迎してやろうぜ!」
それは山田太郎だった。美智子、美由紀、橋本の幼馴染で、幼稚園からの問題児。小学校の頃は、パブリックエネミーとまで言われた。
「どうするんだ?」
「こうするのさ」
山田は、バケツをドアに挟み、ローラーを仕掛けた。
「やめなよ」と美由紀が反対しても「いいんだZE」と言う。
他のクラスメートも賛同した。美智子は呆れた。あまりに典型的過ぎるいたずらに、首を振る。誰も引っかからないだろう。
そこに、1人の男子が言った。
「やめよう、先生がかわいそうだ。それに、連帯責任になる」
それは栗山一輝。幼馴染で、昔から正義感が強かった。容姿も端整で、非常に良い奴だ。
「んだよ、偽善者」と山田は言う。
そんな山田を無視して、栗山はドアに向かった。
と。
ドアが突然開いた。英語の教師が来たのだ。教師の頭にバケツがはまり、ローラーを踏んで、前に滑った。目の前に居た栗山は、避けるまもなく、教師と激突し、一緒に倒れた。
美由紀は駆けつける。
「大丈夫ですか!?」
美智子は呆れる。あのいたずらにはまるなんて……
すると、クラス中がどよめいた。
教師は女性だった。大きい胸、つまり巨乳によって、栗山の頭が挟まっていた。
「いたたたた…」
教師は立ち上がり、バケツを取る。
「ごめんなさい、大丈夫?」
「は、はい、無事です」
しかし鼻血が垂れていた。
「血!ティッシュ!」
教師は慌ててポケットティッシュを渡し、立ち上がった。
クラス中がどよめいた。
その教師は、女性だった。膝まであるクリーム色のアイリッシュ・セーターに黒のスパッツという軽装に身を包んだ、魅力的な若い女性だった。金色の豊かな髪が無造作に肩に落ち、優しそうな顔立ちを引き立てる。青い目と白い肌により、よりいっそう神秘性を感じさせた。何よりも、美智子には、その教師から母性的な魅了を感じた。
「私は、英語教師のアリア・マリです」と、滑らかな日本語に、ゆったりとした口調。そして、見た目にふさわしい名前。美智子は惚れていた。いや、クラス中の皆が惚れ込んでいた。美由紀すら、あまりの魅力に、唖然とした。
「く、栗山の奴は幸運だ!」と山田が叫ぶ。アリアは、どういう意味という感じで首を傾げる。
「あいつ、あの先生の胸に挟まれたんだ!」
すると、アリアは慌てた。
「あ、あれはイタリアンジョークよ」
美由紀は頷く。「イタリア人ですか?」
「いえ、フランス人だけど?」
フランスは良い国だと、男子達は心で思ったろう。
「何か質問ある人は?」
すると山田は躊躇無く言った。
「先生はお幾つですか!20代!?」
「残念、18歳でした」とアリアは微笑んだ。
美智子は驚いた。18歳は、あまりにも若い。美智子と1、2違う程度だ。18歳でもこんなに魅力的だとは、きっと中学生の頃はもてただろうな。
「突然ですが、皆さんに英語と日本語で自己紹介してもらいますが、大丈夫ですか?」
「ノー、プロブレム!」と男子達は叫んだ。「オフコース!」
と言うわけで、美智子は英語の自己紹介文を考えた。美智子は自己紹介が超がつくほど苦手だ。それを英語で書けというのだ。美智子は心が折れそうだ。
「大丈夫?
突然話しかけられたので、美智子は驚いた。アリアが隣に居た。
「かなり悩んでたみたいだけど?」
「い、いえ、その、自己紹介が苦手で……」
「誰もが苦手よ、いい?自己紹介は自分の美点を書けば良いの。短所は必要なら書けば良いけど、なるべく少なめに。たとえば、私は可愛いとか、運動が得意だとか」
「私は可愛いって、ナルシーっぽくないですか?」
アリアは微笑んだ。美智子は思わず赤面した。あまりに魅力的だった。
「大丈夫、あなたは可愛いわよ。私が保証する。自信もって!」
「は、はい……」
胸がドキドキしていた。
「英語は読める?」
「はい、読めますが」
「私が大まかな文章を書くから、ね」
美智子はよりいっそうドキドキした。これは恋愛に近い感情なのか?
すると、消しゴムが転がってきた。それは斜め後ろに居る栗山のだった。
「先生、すいめせん、取ってくれmせんか?」
「喜んで」
アリアは消しゴムを拾い、栗山に渡そうとした。
が、栗山の顔を見た瞬間、突然動きが止まった。美智子には、まるで、数年ぶりに再会した恋人同士が驚きあってるように見えた。
「先生?」
「え、あ、はい」
アリアは渡した。
美智子は尋ねた。「先生、どうしたんですか?」
「え?ううん、なんでもない」
すると、美智子は、首にぶら下がるロケットペンダントを見た。
「先生、それ綺麗ですね」
アリアはペンダントを見て「そう?好きな人の写真が入ってるかもしれないからね」といった。
好きな人?美智子は思わず聞きたくなった。
「好きなって誰ですか?」
すると、アリアは赤面した。
「えっと、まあ、かっこいい人だったな」
「かっこいい人?フランス人ですか?」
「ううん、日本人」
それを聞いて驚いた。
「日本にいたんですか!」
「うん、日本に来て、学校で知り合った人。とっても強くて、正義感溢れた人だった」
「へー、先生、告白しました?」
「うん、成功した」
これは意外だった。
「でも、死んじゃった……」
その時、アリアは悲しい顔をした。涙も溢れるかと思った。
「あの!先生、時間です!」
「あ、本当だ」
アリアはそう言って、大きな声で時間よと言い、自己紹介するのは次回だと言った。
美由紀は振り返った。
「あの先生、すごく綺麗な人ね」
「うん、女神だと思ったよ。私もああなりたいなぁ~」
「ぷっ、美智子には無理」
「何よ、失礼ね!私はマリ先生に可愛いって言われたんだから!」
「お世辞よ、お・せ・じ」
「む~、分からず屋」
しかしアリアは本当に美智子にとって最高の教師だ。初対面だが、絶対に優しいと思った。そう信じた。信じたかった。
授業は進んだが、橘椿、アリア・マリのような魅力的な教師は現れなかった。
美智子は、掃除の時間になって不機嫌になった。掃除は得意だが、好きではなかった。しかも、トイレ掃除となると、その絶望感は、鎖でつながれた状態で、バスタバで目覚め、バスタバの水を抜くも、実は鎖を解く鍵がバスタバにあり、流れてしまい、1人鎖で繋がれたまま、バスルームに置いていかれる、というほど感じていた。つまり最悪だ。
メンバーに、美由紀が居たのはせめてもの救いだった。男子メンバーは山田、栗山、知らない人物の3人だが、女子には、足立彩という女子が居た。
それは、小柄で大人しそうな長髪の女子だったが、可愛らしかった。彩は無言で掃除を進めていた。
「そう言えば、彩ちゃんは何部に入るの?」と美由紀は優しげに聞いた。
「帰宅部」と彩は非常におとなしそうな声で言った。
「帰宅部か、家が遠いの?」
首を振る。
「別に何部でもいいの」
「じゃ、私と一緒に野球部に入ろうよ!」
「えっ?」
彩は困った顔をした。
「えっと、私が一緒で良いの?」
「うん、大歓迎!美智子は?」
「私も野球部に入ろうかな?」
美智子は野球が好きだ。青春と言えば、良く野球を連想する。なんたって、野球をテーマにした作品は沢山あるからだ。
「じゃ、3人で野球部に入りましょ」
「ゆっちゃんが言うなら、彩ちゃんは?」
彩は赤面し、こくりと頷く。
ここで美由紀は微笑んだ。いつでもそうだ。美由紀は誰にでも公平に優しい。そこに母性を感じた男子達が過去に数多く存在する。
美智子は、窓から空を眺めた。
それは大きく晴れ渡っていた。壮大な青い空は、美しかった。