催眠アプリなんてあるわけない?
「ほい愛しの大親友、これ見て」
誰もいなくなった放課後の教室で勉強をしていると、視界の端からぬっとスマホが現れた。
スマホの画面の中では白と黒がぐるぐるしている。長時間見ていると気持ち悪くなりそうだ。
「なんこれ」
「あなたはだんだん眠くなる!! ねむくなーる!!!!」
俺の疑問を無視して眠らせようしてくる女の名前は、斎川花凛。
クラスメイトであり、不本意ながら俺の大親友でもある。
「誘導と声量が相反してるな」
「あれ、眠くならない?」
俺に向けられていたスマホの画面を見て、きょとんと首をかしげる花凛。
「ならない。むしろさっきより目が覚めた」
「ちぇー、おもんねー男」
「うるせえ、おもしれー女。で、それ何?」
「催眠アプリ」
花凛の口から放たれた言葉に一瞬耳を疑う。
「......催眠アプリ?」
「そう、催眠アプリ。エロい事できるやつ」
「その使用用途に関しては審議だが。ほんとにあんのな、そういうの」
「9割偽物だろうけどね」
「時間停止モノも9割は偽物だしな」
「? 何の話?」
伝わらなかったか。よし、誤魔化そう。
「ナンデモナイヨ。そんな事より、何で急に催眠アプリなんか出してきたんだ?」
花凛は人差し指を顎に当てて、首を傾ける。
「んー、面白そうだったから?」
「そんな理由で大親友を催眠しようとするなよ」
「あはは、ごめんごめん。お詫びに、私に催眠かけてもいいよ?」
そう言って、花凛は手に持っているスマホを俺に差し出す。
「......偽物の催眠アプリでどうやって催眠かけるんだよ」
少しドキッとしたが、あまりに非現実すぎる誘いに俺の理性は揺るがない。
「眠らせるのがうまくいかなかっただけかもでしょ。ほら、やってみて」
無理やりスマホを握らされた。
「......エロい事するかもだぞ?」
「ほー、たとえば?」
「夕焼けの帰り道。一台の自転車に乗る二人。一度しかない青春の坂道を駆け降りる」
「うわ、エモ」
「何でこんな事もできないんだ!? 俺のペースに合わせて俺の言った通りに動け!!」
「うわ、エゴ」
「1603年から1868年」
「うわ、江戸」
「女子の脱ぎたてのタイツすーはーしたい」
「キモ」
「辛辣だな。......本当に掛けていいんだな?」
「ほい。ばっちいのこい」
ファイティングポーズを決める花凛。
「ばっちいのはやだな。はい、画面よく見て」
「ほい」
「集中して。この画面の中に入り込むくらい集中して」
「ほい」
画面を花凛に向けながら、それっぽい事を言う。
「......掛かったか?」
「うぷっ、ちょっと気持ち悪くなった」
「え、俺が?」
「それは元から」
「泣くよ?」
「冗談だって。今まで私が君に本気で悪口を言った事があったかい?」
......記憶を遡る。
「そもそも、お前との思い出なんて一ミリもないな」
「うわーん!! そんなこと言うなよおお!!」
泣き叫びながら肩を掴まれる。
「うわ、鼻水ばっちい」
「鼻水ばっちいこーいだろおお!!」
「やだよ。まあとにかく、このアプリは偽物だったということで」
「えー、まだ分からないじゃん。もしかしたら既に催眠かかってるかもでしょ」
「催眠かかってるやつは普通に会話できないと思うんだが?」
「いいからいいから。なんか私に指示してみて」
素直に引きそうにないため、仕方なく花凛に指示を出すことに。
「......拍手をしてください」
「パチパチ!!」
花凛は元気に手を叩いた。
「立ち上がってジャンプしてください」
「ぴょんぴょん!! おお、かかってるね!!」
花凛は元気に跳び上がった。
「......いや催眠関係なく、ただ指示に従ってるだけだなこれ」
「えー、かかってるって」
「だから、催眠にかかってるやつはそんな普通に受け答えしないんだよ」
「うーん。じゃあ、普段なら絶対に従わないようなこと命令してみてよ」
「たとえば?」
「そりゃエロいことでしょ?」
「......いいんだな?」
花凛は俺の質問に数秒考える。
「......やっぱなしで」
そして、日和った。
「懸命な判断だな。......じゃあ、目の前に見える物全てがピーマンに見えるようになる」
「......ならないね」
「じゃあ、目の前に見える物全てがケーキに見えるようになる」
まあ、これもなるわけないが。
「......」
と思いきや、火凛の様子がおかしい。目のハイライトがなくなっている気がする。
「花凛? 聞こえてるか?」
「がぶ」
気づけば、花凛が俺の頭にかぶりついていた。
「は」
「ケーキ食べるううう!!!!」
何と本当に本当に催眠がかかってしまったらしい。俺の頭がケーキに見えている様子。
「ちょ、放せ!! は、な、せえええ!!!」
てか、これどうやって解除するんだ!?
見よう見まねで、もう一度スマホを花凛に向けて叫ぶ。
「催眠、解除!!」
「......」
花凛が止まった。目にハイライトが戻る。
「なんで私、君の頭に噛み付いてんの?」
どうやら解除できたらしい。
とりあえず離れてもらった。
「このアプリ、まじで本物なのか?」
「だからそう言ってるじゃん。まあ、かかる時とかからない時があるけどね」
かかる時とかからない時の違い、ね。
「......思うに、催眠にかけられる本人の願望に命令が近いほど、催眠にかけられやすくなるのではないかと」
「なるほど?」
「俺が眠らなかったのも寝たいわけじゃなかったからで、花凛はケーキは好きだけどピーマンは嫌いだから、とか」
「本人の願望に近いほどかかりやすい、か。じゃあ、私も催眠かけていい?」
「......変なことすんなよ」
「しないしない、私を信じなさい。はい、じゃあよく見ててね」
スマホの画面が俺に向けられ、花凛が何かを言う。
「催眠解除」
◇◆◇◆◇◆◇◆
誰もいない放課後の教室。気づけば目の前にはクラスメイトの女子、斎川花凛がいた。クラスメイトとは言っても、一度もまともな会話をした覚えはない。そんな彼女がなぜ、俺の目の前で俺をじっと見ているのだろうか?
「ねえ」
斎川さんは手に持っていたスマホを制服のポケットに入れて、僕にこう言った。
「私と友達にならない?」




