第四部 第四話 切れてはいけない糸
ノア君やらかし回
~ノア・ハミルトン~
その日は、最初から嫌な予感がしていた。
理由は分からない。
ただ、朝から胸の奥がざらついていた。
会議室。
いつもの顔ぶれ。
いつもの議題。
俺は、前に座っている。
もう、それが当たり前になった。
「では、本件はノア様の判断で」
その言葉に、誰も異を唱えない。
資料を確認する。判断を口にする。
表面上、何も問題はない。
だから、誰も気づかない。
俺の視線が、無意識に部屋の後方を探していることに。
ーーいない。
悠馬兄さんは、今日も発言しない。
席にはいる。でも、存在感がない。
以前なら、この空気はありえなかった。
「……順調ですね」
誰かが言う。
「ええ」
別の誰かが応じる。
「佐伯さんが前に出てた頃より分かりやすい」
俺の指が、ぴくりと動いた。
聞き間違いだと、思おうとする。
でも。
「正直、もう調整役は要らないでしょう」
軽い調子。
雑談の延長。
ーーそれだ。
俺の中で、何かが音を立てて切れた。
「……待ってください」
自分の声が、低く響く。
会議室が、一瞬静まる。
「今の発言」
視線が集まる。
「どういう意味ですか」
言った本人が、少し笑った。
「いや、悪い意味じゃないですよ?
ノア様がここまでやれているなら」
佐伯さんはもう裏方で――」
そこまでだった。
次の瞬間。
俺の拳が、動いていた。
考えていない。判断していない。
ただ、体が前に出た。
鈍い音。
椅子が倒れる。
誰かが叫ぶ。
殴られた男が、床に倒れ込む。
静寂。
完全な静寂。
俺は、自分の拳を見下ろした。
震えている。
「……」
言葉が出ない。
頭の中が、真っ白だった。
『言われたのは、兄さんのことだった。』
でも同時に。
『自分が立っている場所を全部否定された気がした。』
兄さんが積み上げたもの。自分が乗っている土台。
それを、笑いながら「要らない」と言われた。
それだけだった。
それだけなのに。
「ノア様!!」
誰かが駆け寄ってくる。
「暴力は許されません!」
その言葉で、現実が戻ってきた。
ーーああ。
やってしまった。
殴った。
理由がどうであれ、これは問題行動だ。
視線が、一斉にノアへ向く。
非難。
驚き。
恐怖。
そして……失望。
「……」
その時。
椅子が静かに引かれる音がした。
「ここまでで結構です」
兄さんの声。
低く、よく通る。
俺は、ゆっくり振り向いた。
兄さんが、立っている。
いつの間にか、前に。
「以降の対応は、私が引き受けます」
その一言で、場の空気が変わった。
「ノアの行動は、私の監督責任です」
誰かが何か言いかけるだが、兄さんはそれを遮った。
「この場は、散会してください」
異論は出ない。
出させない。
それが、“佐伯悠馬”だった。
人が引いていく。
床に倒れた男は、運び出される。
残ったのは、二人だけ。
「……兄さん」
ノアは、声を絞り出した。
「俺……」
「後で」
兄さんは、短く言った。
怒っていない。責めてもいない。
それが、一番怖かった。
「今は、ここを出る」
俺は、何も言えず頷いた。
廊下を歩く。足が、重い。
自分がしたことの重さが、ようやく実感として落ちてくる。
ーー殴った。
守ろうとした。
でも、壊した。
兄さんの立場を。自分の立場を。
全部。
後ろで、兄さんが静かに息を吐く。
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~佐伯悠馬~
”想定内だ。”
僕はそう、頭のどこかで思っている。
だけど。
ノアの背中は、想像よりずっと小さかった。
「……」
僕は、目を閉じた。
ここから先は、もう構造の話ではない。
責任の話だ。
そして。それを引き受けるのは、自分しかいない。
ーーだから。
「佐伯悠馬」は、再び前に立つ。
誰にも頼まれなくても。
ノアが、殴ってしまったその瞬間から。
すべては、「僕」の問題になった。
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感想をいただけると嬉しいです。
※一応完結分までは完了してますので都度載せる予定です。
よろしければ見てください。
AIアシスト作品です。
僕はまだ、ただの学生だったはずなのに。
気づいたら、伯爵家と組織と、大人たちの胃を一手に引き受けていた。
これは「有能すぎたせいで詰んだ男」の話。




